俺――只野圭吾は、島根の焼き鳥とうなぎ屋の三男坊として育った。
小さい頃は仮面ライダーに憧れていた。俳優そのものより、スタントマンやアクションに惹かれていた変わったガキだった。
格闘技好きの兄貴達に鍛えられ、小学校からは合気道にも通っていた。
だが、高校生の頃に店の経営が傾き、実家は店を畳む事になった。
その時、俺は思った。
――夢より、安定した仕事を選ばないと駄目だ。
合気道の経験も活かせる。そう考えて、俺は警察学校へ進んだ。
そこで白バイ隊員の存在を知った。
大型バイクを乗りこなし、事故や事件の現場へ真っ先に駆け付ける姿は、子供の頃に憧れたヒーローそのものだった。
だから俺は必死に努力した。
訓練して、走り込んで、食らいついて――。そして、念願だった交通機動隊へ配属された。
だが。
『島根県警 交通機動隊 只野巡査。職務規定違反により異動を命ずる』
あの日。全てが狂った。
本庁捜査一課の刑事が追っていた連続殺人犯が、島根県へ逃走した。
俺達交通機動隊も応援へ駆り出され、白バイで犯人を追跡していた。
だが、運が悪かった。
犯人は逃走中、地元有力議員の別邸へ車で突っ込んだ。
そして、更に運の悪い事に――。
その議員が建設会社から賄賂を受け取っている現場を、俺達は目撃してしまった。
正義感の強い同期は、独断で犯人と議員をまとめて逮捕した。
だが、相手が悪過ぎた。
その議員は、警察OBや政治家と強い繋がりを持っていた。
当然、賄賂の件は表沙汰にならない。議員は釈放。事件は揉み消された。
だが、誰かが責任を取らなければならなかった。
同期は警視副総監の親族だった。露骨な処分は出来ない。
だから――俺が切り捨てられた。
逃走犯には同期の手錠が使われ、議員には俺の手錠が使われていた。
そのせいで書類上では、“俺が議員を誤認逮捕した”という形にされた。
無茶苦茶だった。
だが、本庁上層部は同期を守る為、俺へスケープゴートになる事を強要した。
同期は必死に抗議していた。俺の異動を取り消そうと動いていた。
でも――。
面倒臭くなった。
権力争いも。政治も。正義を振りかざす事も。全部。
だから俺は条件を出した。
交番勤務へ回してくれるなら、この話を呑む。
それだけだった。
こうして俺は、白バイ隊員を辞めた。
「只野!! 何でお前はすぐ諦めるんだよ!!」
辞令の日。同期は俺へ怒鳴った。
だが、俺は笑って返した。
「悪いな。俺は食っていけりゃ十分なんだよ」
それからの俺は、交番勤務をしながら生きていた。
趣味のツーリング。深夜アニメ。休日の聖地巡礼。
平凡で、適当で、そこそこ楽しい人生。
でも――。
アイツは最後に、俺へこう言った。
「必死に生き抜けよ」
「そうじゃないと、お前の人生……何も残らないぞ」
その言葉だけが、今でも胸に刺さっていた。
「―――……」
耳元で、誰かの声が聞こえた。
ぼんやりと重い瞼を開ける。
霞む視界の中、最初に見えたのは金色だった。
柔らかな金髪。整った顔立ち。心配そうに覗き込んでくる、可愛らしい女の子。
「……天使?」
「え? あ、気が付きました!? 大丈夫ですか? 気分悪かったりしませんか?」
優しげな声。
あぁ……俺、死んだのか。
神様も気を利かせるじゃねぇか。
彼女いない歴三十五年のおっさんに、最後くらい美少女の天使を寄越してくれるとは。
「神様も粋なことするねぇ……。彼女いない俺に、こんな綺麗な天使を迎えに寄越すなんて……」
「て、天使!? ちょ、ちょっと! しっかりしてください!」
慌てる姿もまた可愛い。
何だこの癒やし空間。異世界最高か?
ぼんやりそんな事を考えていると――。
「くだらない問答は終わった?」
ゾワリ、と背筋が凍った。
天使ちゃんの背後。
そこには、殺気全開でこちらを見下ろすヒナタの姿があった。
目が怖い。めちゃくちゃ怖い。
「早く起きないと、今度こそ永眠させるわよ?」
「はいっ!!」
俺は脊髄反射で飛び起きた。
「今日も一日元気よく過ごしましょう!!」
「元気なのは結構ですけど、病人は大人しくしていてください!」
天使ちゃん――いや、修道女っぽい服装の少女が慌てて俺を押し戻す。
「あ、すみません……」
「まったく……無茶し過ぎなんですよ。あんな大怪我しておいて」
「大怪我?」
そこで初めて、自分の衣服の所々に血が滲んでいる事に気付いた。
だが、不思議と傷跡は残っていない。
「……あー、そういやムカデに襲われた時に転んで怪我したんだっけ」
「“転んで怪我した”じゃありません!! 普通の人なら死んでますよ!?」
「死にかけるのは慣れてるんで」
「慣れないでください!!」
テンポ良くツッコミを入れる天使ちゃん。
うん、可愛い。
「……それで? 天使ちゃんのお名前は?」
「天使ちゃんじゃありません! リティスです!」
「リティスちゃんね。よろしく」
「は、はい……よろしくお願いします?」
少し困ったように頭を下げるリティス。
そんな微笑ましいやり取りをしていると、背後から冷めた声が飛んできた。
「随分と余裕ね。ついさっきまで気絶していた癖に」
「いやぁ〜、目覚めたら美少女が看病してくれてるとか、男ならテンション上がるだろ?」
「そのまま眠らせておけば良かったかしら?」
「押忍!! 真面目モードに入ります!!」
ヒナタは呆れたように溜め息を吐いた。
だが、その表情は最初に比べれば、少しだけ柔らかい気がした。
改めて見渡すと、街の中ではなく、何処かの野営地のテントの中だった。
「あれからどれくらい経った?」
「半日ほどよ。場所は先程居た草原地帯、その近くで野営しているわ」
「そうか……あっ、檻の中に居た皆は?」
「心配しなくても、打ち身程度よ。リティスが治癒魔法で治してるわ」
「はい! 皆さん、ケイゴさんの事を感謝してましたよ」
「そっか、良かった……ところで、何で“石抱き”してるんだ? 変わった趣味してるな……えっと、フーディン君」
「フリッツだ!! あんた、さっき普通に呼んでただろ!? ワザとだろ!!」
状況確認でヒナタへ質問していた横で、大きな石を抱えながら正座しているフリッツへ、思わず声を掛けた。
「ワザとだと? 本気でおちょくってるわ!!」
「余計にタチ悪いだろ!! クソ〜、アンタを解放するんじゃ無かった!」
「貴方達、随分元気そうね。追加でもう一つ石を増やす?」
『すみませんでした』
俺とフリッツは即座に正座した。
「それで、あのロボットは何?」
「え? あぁ〜、オート・バジンの事? 多分、俺が理想にしてた形の召喚魔法……なのか?」
「その疑問形は何?」
「いや、あの時は必死で“バイクがあれば”って強く念じたら……この世界に来る前にも、“スキル獲得”とか頭の中に声がしたんだ。その中に、オート・バジンの事も言ってた気がする」
「スキル獲得……なるほどね。貴方、幾つ言われたの?」
「最初にユニークスキル
ヒナタにスキルの事を聞かれ、俺は答えた。
だが、“危機回避”と“超幸運”については隠した。
ゲームに疎い俺でも、その二つが便利な能力なのは分かる。
ヒナタを全面的に信用してる訳じゃない。
こういう能力は、簡単に明かさない方が良い。
だから、まだ仕組みも分かっていない三つだけを教えた。
「……成程」
「それで、ヒナタ達のスキルも聞いていいのか?」
「そうね。私のスキルは
「ヒナタ様!? 教えて良かったんですか?」
「そうですよ! どう見ても怪しい男ですよ!」
「んだと、フロックの癖に生意気な事を」
俺はフリッツの脇をくすぐった。
「ぎゃぁぁぁ!! やめて!! 苦しい痛い!! すんませんでした!!」
「もはや名前についてツッコまなくなりましたね……」
「はぁ……話を戻すわ。彼に教えた所で、どうこう出来る訳じゃないし……そもそも、他所へ逃がすつもりも無いから」
『はぁ?』
ヒナタの爆弾発言に、俺達三人は揃って間抜けな声を漏らした。
「先程、神ルミナス様から神託があったのよ。“この男を聖騎士団へ入隊させなさい”ってね」
「えぇ!? 神ルミナス様から神託が!?」
「いやいや、そんな理由で入隊出来るのか!? この手の組織って試験とかあるんじゃないのか? 年齢制限とかも! 俺35だぞ!?」
神託とか意味不明だが、ここは現実的な理由で回避する。
ここに居たら、俺の命が持たない。
本能がそう告げていた。
「騎士団の入団資格は14歳以上よ。もっとも、40前後で受ける人は見た事ないけど」
「だよねぇ〜!? だったら掃除係とかで手を打てば、神託に背く事にはならないんじゃ……」
「あら? Aランク相当の魔物を一人で倒した逸材を、雑用係で終わらせるほど騎士団は暇じゃないわ」
「いや、それ!ただの人手不足じゃん!!」
「そもそも試験がいつかも分からないし、こんなおっさんが受かるほど甘くないだろ? 見てみろよ、この華奢な“僕の身体”を」
「鏡を見たら? どこの世界に、身長180センチ超えで90キロある男を“華奢”って呼ぶのかしら?」
「アハハハ!! ヒナタさん、それは流石に無理ありますよ!! そんな男を猫みたいに持ち上げた人に言われたくないですよね〜!」
ビビるな、俺。
ここで屈したら、異世界人生が地獄になる。
逃げろ。全力で。
「あら? 貴方に拒否権があるとでも?」
「拒否も何も、試験は水物だろ? 落ちれば意味ないじゃん」
「心配しなくていいわ。フリッツとリティス、それにもう一人、隊長格候補の特訓を私が直々にしているの。貴方もそこへ入れば、必然的に受かるわ」
「待て待て!? 隊長候補の特訓!? 入団試験よりハードル高い連中の中に、俺も混ざるの!? そんなの、裸で魔物の巣に放り込まれるようなもんだろ!!」
「ヒナタ様、流石に無茶ですよ……」
「そうですよ! 一般人が入隊試験を受けるだけでも大変なんですから!」
「そうだそうだ! 二人とももっと言ってやれ!」
ゴン!!
ヒナタは剣を地面へ突き刺し、俺達を睨みつけた。
「私の命令には、“YES”か“はい”だけで十分よ」
『はい……』
こうして、俺の異世界生活は――。
カミソリ女騎士による地獄の特訓から始まる事になった。
最悪のスタートである。
その頃――現実世界。
とある場所で、一人の男が葬儀へ参列していた。
「この度は、お悔やみ申し上げます……」
俺、三上悟。33歳。
かねてより世話になっていた警察官の葬式へ来ていた。
彼とは、俺が上京した頃、チンピラに絡まれた時に助けてもらったのが切っ掛けだった。
オタク趣味でも意気投合し、休日には彼の実家で鰻をご馳走になった事もある。
「只野さん……」
地震による崖崩れで転落したらしいが、遺体は未だ発見されていないという。
警察は事件性も考慮してアパートを捜索したらしいが――。
「PCのアダルトサイト履歴をガッツリ見られたとか……災難過ぎますよ」
当然、一人暮らしの男の部屋から怪しい物など出る筈もなく、警察は事故として処理したらしい。
「俺も気を付けないとな……死ぬ時は、PCのハードディスクごと消去頼まないと」
この考えが、4年後。
とある通り魔事件で、自分がスライムへ転生する切っ掛けになるとは――。
この時の三上悟は、まだ知る由もなかった。