これは、ある男との会話を思い出していた時のことだ。
「悟、異世界転生って何で魅力を感じるんだ?」
「何ですか? 藪から棒に……」
「実はな。今日、デパートの屋上で自殺未遂をしようとした少年を補導してな。現実が嫌になって、異世界転生に期待してたんだと」
「なるほど。それはご苦労様です」
「何で現実で駄目なのに、異世界へ行けば成功するって思うんだろうな?」
「只野さん、俺と同じオタクなのに妙に現実主義ですよね」
「仕事柄、人間関係のドロドロした部分を見過ぎてるからな〜」
「うわぁ……それはキツいっすね」
「まぁ、非モテの俺らにとって、異世界の美人に会いたいって部分だけは同意するけどな」
「めちゃくちゃ夢見てるじゃないですか!」
そんな馬鹿な話をしていた。
現実は厳しい。
だからこそ、異世界なら――。
そう。
どこかで優しい世界を夢見ていた部分はあったのだ。
「それでは、ギャルドとケイゴ。試合開始よ!!」
「異世界の方が地獄だぜ……」
時は数日前へ遡る。
ヒナタから騎士団入団を命じられ、フリッツ、リティス、そしてもう一人ギャルド――隊長昇格試験を控えた騎士達の訓練へ強制参加させられることになった俺。
その後、神聖法皇国ルベリオスへ護送され、ドラン達は騎士団宿舎の雑務として働くことになったらしい。
リティスによれば、今回の主犯格を捕らえた功績もあり、彼らには罪を問わないようヒナタが取り計らったそうだ。
そして三日後。
ルベリオス近郊の雪原で、俺はこの前見かけなかった赤い逆立った髪の男――ギャルドと向かい合っていた。
「待て待て。武器持ってる相手に対して丸腰はおかしいだろ?」
「ヒナタ様。彼がどのような人物かは存じませんが……いくら何でも酷いのでは?」
ギャルドが苦笑しながら言う。
「彼のユニークスキルは戦闘で発揮されるタイプよ。フリッツやリティスでは無意識に手加減してしまうでしょうし」
「そんなに脅威なんですか?」
「俺からしたら、こんな無茶を言うアンタが一番怖いわ」
「ぷっ……確かに」
ギロリ。
「早く始めなさい」
蛇に睨まれた蛙のように、俺達は鬼教官の視線を感じながら模擬戦の準備をした。
『はい!!』
「異世界人。済まないが、手加減すると俺の命が危ない。全力で行かせてもらうぞ!」
槍を構えたギャルドは、どこか楽しそうだった。
「俺としては可愛いお姉さんとイチャイチャする異世界ライフを送りたかったんだけどな……」
俺も構える。
合気道には短刀、剣、正拳、杖などへの対処法がある。
相手の攻撃を捌き、投げ飛ばし、時には武器を奪う。
だが――。
現代日本で槍を扱う人間などまず存在しない。
ましてや相手は明らかな歴戦の戦士だ。
果たして俺の合気道が通用するのか?
「始め!!」
ヒナタの合図と同時に、ギャルドが踏み込んだ。
槍の穂先が一直線に俺の喉元を狙う。
速い。
だが――見えた。
俺は右足を軸に身体を捻り、紙一重で槍を回避する。
そのまま突き出された腕を掴み、重心を崩すように引き下げた。
「え?」
ギャルドの身体が宙へ浮いた。
そのまま前方へ転がる。
合気道の入り身投げだった。
「へぇ……あれが合気道の技なのね」
ヒナタが感心したように呟く。
俺は倒れたギャルドの槍を奪い、その切っ先を喉元へ向けた。
「……これで一本か?」
「マジかよ……」
ギャルドが目を丸くする。
俺自身も驚いていた。
何だ今の。
槍の軌道がはっきり見えた。
身体も信じられないほど自然に動いた。
「異世界人である私達は、この世界へ来た時に身体構造そのものが作り替えられるの」
ヒナタが説明する。
「特に貴方みたいに向こうで実戦経験を積んでいた人間は、その恩恵が大きいわ。身体能力の強化幅が大きいのよ」
なるほど。
ヒナタは最初からそれを見越していたのか。
だとすると――。
この世界での俺は、もう元の世界の只野圭吾ではないのかもしれない。
「なるほど……ヒナタの怪力も似たような仕組みってことか」
異世界人の身体能力強化。
確かに、あの細腕で俺を猫みたいに持ち上げていた理由にも納得がいく。
「とはいえ、入隊試験レベルの俺を隊長試験レベルの連中の特訓に混ぜるのは無謀に見えるんだが?」
「貴方を彼らの特訓へ参加させる理由は単純よ」
ヒナタは即答した。
「監視が楽だから」
「おいおい。身も蓋もねぇな」
「異世界人というだけで、貴方は十分に狙われる立場なのよ」
「いやいや、こんなおっさんに需要なんて――」
「先日、異世界人を魔物のいる森へ放り込み、逃げ惑う様子を見て楽しんでいた貴族を捕まえたばかりよ」
「この世界の倫理観おかしいだろ!?」
思わず叫んでしまった。
どうやら俺は、想像以上に治安の悪い世界へ来てしまったらしい。
ヒナタはそんな俺の反応を気にする様子もなく続ける。
「それに、スキルを奪うことに特化した集団も存在するわ」
「スキルを奪う……?」
「ユニークスキル持ちなら尚更よ。価値が高い分、狙われやすい」
なるほど。
ゲームで言うレアアイテム持ちみたいなものか。
それなら確かに放置される方が危険だ。
「分かったよ。自衛の術を学ぶ意味でも特訓には参加する」
俺は大きくため息を吐いた。
「トホホ……異世界に来てまで訓練漬けの日々とはなぁ」
「諦めが早くて助かるわ」
「褒められてる気がしねぇ」
そんな俺を無視して、ヒナタはパンッと手を叩いた。
「さて、ギャルド、フリッツ、リティス」
『はい! ヒナタ様!』
三人は即座に姿勢を正し、騎士らしい敬礼を取る。
その反応速度だけで、普段どれだけ鍛えられているのかが分かった。
「そして、ケイゴ」
「え? あ、はい」
俺だけワンテンポ遅れた。
ヒナタはそんな事を気にする様子もなく告げる。
「貴方達には、ウルグレイシア共和国で上位精霊と契約してもらう」
『承知しました!』
三人は迷いなく返事をした。
だが俺だけは話についていけない。
上位精霊?
何だそれ。
ゲームとかで出てくる火とか水とかのアレか?
「なぁ、質問いいか?」
「何かしら?」
「精霊と契約するのが隊長になる条件なのか?」
「えぇ。その通りよ」
ヒナタは頷いた。
「聖騎士団の隊長格には、最低でも精霊との契約が求められるわ」
「へぇ……戦力強化みたいなもんか?」
「えぇ、私達の戦うのは魔物、特に悪魔相手には精霊の力が必須なのよ」
なるほど。
「ちなみに契約できなかったら?」
俺の質問に、ヒナタは少しだけ微笑んだ。
嫌な予感しかしない。
「その時は、契約できるまで訓練を続けるだけよ」
「うわぁ……」
思わず天を仰いだ。
異世界へ来れば自由な冒険者生活が待っていると思っていた。
だが現実はどうだ。
鬼教官付きの強制合宿である。
「なぁ、今から冒険者コースに変更とか――」
「却下」
「まだ最後まで言ってねぇだろ!?」
俺の悲鳴が雪原へ響き渡った。
数日後
そして俺達は、神聖法皇国ルベリオスから南下し、西方諸国を経由して目的地へ向かった。
本来なら魔導王朝サリオンを通る方が近いらしいが、今回は海岸線沿いを進み、ウルグレイシア共和国近郊の森を目指すルートらしい。
移動手段は馬。
――のはずだった。
俺だけはオートバジンである。
馬の手配が間に合わなかったこともあるが、ヒナタ曰く、
「この世界の魔力は限界近くまで酷使することで総量が増える」
らしい。
そのため、魔力消費に慣れる目的も兼ねてオートバジンで移動することになった。
そして現在。
ギャルドをリーダーとした四人組は、西方諸国のとある村の宿に泊まっていた。
「やっとベッドで休める〜」
俺はベッドへ倒れ込んだ。
魔力消費で身体が重い。
俺のオートバジンには三人分の荷物や食料が積まれている。
しかも、三人の馬には加速系のエンチャントまで掛かっているため、結果的に俺だけ負担が増えていた。
「それでも、よく頑張ってますよ。ケイさんは」
「確かに。入団前の自分なら途中で根を上げてましたね」
「全くだ」
「それなら、あのカミソリ隊長に――」
「明日も早いんだ。部屋で休めよ」
ギャルドが即座に遮った。
「了解〜」
「皆さん、おやすみなさい」
三人は見事な手のひら返しで部屋へ戻っていった。
俺は一人、気分転換も兼ねて外へ出る。
久々の一服だ。
「はぁ〜……俺は一体どこへ向かってるんだろうなぁ……そう思いません? レナード副団長さん」
「……まさか、気付かれていたとは」
宿屋の角で煙草を吸っていると、物陰からレナードが姿を現した。
やはりいたか。
「まぁ、素性の分からない異世界人を放置する方がおかしいだろうしな。三人の試験に監視役が付いてても不思議じゃない。消去法で副団長のアンタだと思っただけだ」
「なるほど……」
「それで、本来は監視役の人がわざわざ出てきたってことは、俺に聞きたいことでもあるのか?」
レナードは少し考えた後、口を開いた。
「我々聖騎士団は、今後の戦力強化が必須です。彼らが隊長格になることも含めて」
「教会内でのヒナタ派の勢力拡大か?」
「――ッ!?」
レナードの表情が固まる。
どうやら図星らしい。
「そうです」
「そんな時に得体の知れない異世界人が現れた。しかも七曜の老師の回し者かもしれない。加えて、まぐれとはいえギャルドから一本取った。無視できない存在って訳だ」
「その通りです」
レナードは苦虫を噛み潰したような顔をした。
俺は煙を吐きながら夜空を見上げる。
「んで、今の俺に対する評価は?」
「……まだ分かりません」
レナードは正直に答えた。
「彼らの態度を見る限り、ヒナタ様へ害をなす敵には見えない。ですが、信頼するほど――」
「実力があるか分からない、か?」
「えぇ」
少し沈黙が流れる。
「貴方は不思議な人です。フリッツのようなお調子者に見えるのに、妙に洞察力が鋭い」
「警察官の経験ってやつだな」
「警察官……でしたか」
「仕事はきっちりやるのが俺の流儀なんだよ。警察ってのは事件だけじゃない。揉め事の仲裁や相談事も多いからな。自然と人間観察するようになる」
刑事ほど聞き込みはしない。
それでも交番勤務を続けていれば、人を見る目くらいは嫌でも養われる。
「人間観察……ですか」
「魔物相手がメインのアンタらには馴染みがないかもな」
俺は苦笑した。
「魔物はシンプルだ。強いか弱いか。生きるか死ぬか」
だが――。
「人間は違う」
権力。
欲望。
嫉妬。
保身。
色んなものを腹に抱えて生きている。
「ある意味、魔物より面倒臭い相手だよ」
俺がそう言うと、レナードは何とも言えない表情で夜空を見上げた。
冷たい夜風が吹き抜ける。
しばらく沈黙が流れた後、俺は煙草の火を揉み消した。
「さて、そろそろ戻るか」
「えぇ。明日も早いですからね」
そうして俺達は宿へ戻っていった。
――だが。
俺達の知らない場所から、その様子を眺めている者がいた。
街外れに建てられた古い塔の上。
月明かりに照らされた銀髪の美女が、静かに眼下を見下ろしていた。
その紅い瞳は、まるで獲物を観察する捕食者のようだった。
「あれがヒナタの言っていた異世界人か……」
風に銀髪が揺れる。
女は口元へ薄く笑みを浮かべた。
「くふふ……なかなか面白そうではないか」
その声音には愉悦が混じっていた。
まるで新しい玩具を見つけた子供のように。
だが――。
その笑みの奥に潜むものは決して無邪気なものではない。
月光に照らされた白い犬歯が僅かに覗く。
「暇潰しとして眺めるには悪くない」
そう呟くと、女の姿は闇へ溶けるように消えた。
ただ一つだけ。
夜空に浮かぶ満月だけが、その不敵な笑みを見ていた。