松下千秋の余裕 作:中森藤之
2-1『綾小路清隆の独白◆茶柱佐枝の独白』
最初、
あれは4月何日のことだったか。
オレが部活動について話を振った時、アイツはとんでもないことを抜かしたのだ。
『綾小路くん。あなたは
オレと堀北は隣の席だ。少しコミュニケーションを取ろうと思っただけなのに、
堀北は友達作りにも部活にも興味がないとのことで、オレの存在に関してもどうでも良かったようだ。
そして、どうでも良い存在に何度も話しかけられるのは迷惑だとも言っていた。
『やはり友達がいない人はダメね。人の気持ちがわからないから、こういう迷惑行為に及ぶのよ』
『悪かったな。友達いない奴に言われたくないけどな』
『あなたのはただの孤独でしょう』
『お前と何が違うんだよ』
『私は孤高よ』
オレは心の中で言ってやった。
お前こそが孤独なんだぞ、と。
この頃はとんでもない奴と隣の席になってしまったもんだと、入学早々頭を抱えていた。今となっては懐かしいな。
『ギャハハハハ! 山内お前それやばいって!』
『こうなったら
『しゃあねえだろ! これじゃ彼女なんかできねーって、早くも平田が持ってっちゃってるし、現実見るなら早い方がいい! その方が有意義ってもんだろ!』
オレが堀北に痴呆呼ばわりされた日の翌週。お調子者の
あいつらは基本的にやかましくて、バカな話ばかりしている愉快な奴らだ。ああいうのもいいなと、オレは仲間になりたそうな目で眺めていることが多かったが、なかなか気づいて貰えず……ちょっと悲しかった。
『哀れね、程度の低い人達にすら構って貰えないだなんて、被友達適性がないんじゃない?』
『被友達適性ってなんだよ……』
堀北は気づいてくれたが、追加ダメージを与えてくるという鬼畜。
もうホントやだコイツと思いながらも、オレは鋼の心でやり過ごす日々を続けた。傷つくのはオレだけでいいという、アニメで見たセリフを心の中で反芻しながら。
しかし、そんなオレの想いとは裏腹に、堀北は他の奴にも牙を剥いた。
ある日のこと、山内達のやかましさに機嫌を損ね、軽蔑した顔で言ったのだ。
『まるで猿ね。恋愛しか興味のない日本猿と、バスケットボールしか頭にないゴリラ、現実と妄想の区別もつかないチンパンジー。迷惑だから少しは静かにしたらどうなの?』
『誰がゴリラだぶん殴るぞ!』
『あら、あなたは誰かしら? 私はゴリラの顔をいちいち覚えてはいないの』
『俺は須藤だ! ぶっ殺してやるクソ女!』
教室で暴力事件が発生しかける中、オレは黙って気配を消していた。
そんな時だ。
見かねた早瀬がノートを丸め、堀北の後頭部を引っぱたいたのは。
『パァン!』
『痛い! 何をするのあなた!』
『何をするの! じゃねーんですよ。聞き苦しいからやめろそれ。ここじゃあれだから別の場所でお話しようか。綾小路君も手伝って。歩き回る公害を放置してたら被害は広がる一方だから、早目になんとかしないと』
堀北がキレて立ち上がる中、須藤達は呆気に取られていた。クラス内はざわついていて、松下は素知らぬ顔でスポーツドリンクを飲んでいた。
この時は昼休みだったのだが、オレはなぜか一緒に連れていかれることになり、昼休み中はずっと口喧嘩を聞いていた。
『──私を無能呼ばわりするって、あなたって何様なの? どうせ大層な人間じゃないんでしょう。誰にでもヘラヘラ媚びを売っているような人に、とやかく言われたくないわ』
『まずは大層の定義を教えて欲しいなぁ。あと、媚びは売ってません。もしそうだとしても、孤高と孤独を勘違いしているような人に、とやかく言われたくはありません』
静かな声でキレ続ける堀北、声を荒らげることなく言い返す早瀬。あいつらの口喧嘩は放課後まで持ち越されることになり、なぜかオレも同席することになった。
最初は何も発言しなかったオレだが、ずっと黙っているのもつまらない。これが『何か言わないと』っていう感覚なのかと新鮮に感じつつ、徐々に早瀬に便乗していくことにした。
『これは知り合いの話なんだけど、イジメして逆に半殺しにされた奴がいるんだよね。そんなんなりたくないだろ。だったらやめときな。なんでもかんでも思ったこと口に出すことこそ無能だから』
『そうだぞ堀北。よくないぞそういうのは』
『綾小路君を痴呆とか言うのも良くないよね。綾小路君がティラノサウルス・レックスだったら、堀北さんはとっくに食い殺されてるからね』
『そうだぞ堀北。オレがティーレックスだったら、お前はとうに死んでいる』
なぜティーレックスでたとえるのかは不明だったが、とりあえず便乗しておいた。仲間が出来て嬉しいとか思いながら。
『口に出すのが良くない? きちんと教えてあげないと、無能は己の無能に気づかないものよ。だから私のこれは慈悲みたいなもの──』
『──だったらもう少し面白くけなしなよ。伝わらない、笑えない、思いやりの欠けらもない。そんな感じでしか意思伝達できないことこそ無能だから。だって喧嘩しか生まれないんだよ。そんなん全く建設的じゃないでしょうが。堀北さんの言う大層な人は、そんな馬鹿なことしないだろ』
『そうだぞ堀北。お前こそが無能……オレが悪かったからそのシャーペンをしまえ。そんなに芯を出して何するつもりだ』
オレは身の危険を感じながらも便乗を続け、やばそうな時は謝った。しかし、何かあっても早瀬がいるから大丈夫だろってことで便乗は継続。堀北が言い返せなくなるまで口撃を続けた。
その後、完全にムキになった堀北に対し、早瀬は囲碁で勝負しようと提案。堀北もやり方は知っていたらしく、望むところということで、対決が始まり……堀北は負けた。10戦全敗の無惨な結果になった後、そこから更に説教が始まって発狂。
『なんなのよ! あなた達、まさか私のことが好きなの!?』
『いや、それはないぞ堀北』
髪を掻きむしって叫んだ堀北に対し、オレは早瀬よりも早く否定の言葉を述べた。この時だけは便乗ではなく、オレは前のめりになって否定した。
『うん、それはないよ堀北さん。あのさ、本当に有能な人間になりたいんでしょ? なんか迷走してるみたいだけど、ほんと時間が勿体ない。堀北さんの場合は少し思考を変えるだけでなれるんだから、さっさとしなよ』
『そうだぞ堀北。お前は本当は出来るやつだ。褒めるポイントはオレにはよくわからないが、オレはお前を応援しているぞ』
『そんなことはどうでもいいのよ……ボードゲームでもテレビゲームでもいいわ、なんでもいいから私が勝つまでやらせなさい!』
『綾小路君、堀北さん壊れかけてるような気がする』
『気のせいじゃないと思うぞ、早瀬』
その後も堀北は負け続け+何を言っても言い返せなくなるまで懇切丁寧に論破され、最終的には泣きながら白旗をあげるハメに。
オレは『今どんな気持ち?』と質問しようと思ったのだが、殺される可能性を考慮してやめといた。
そして、堀北はオレ達と“約束”を交わすことになる。その“約束”とは、とりあえず1ヶ月だけアドバイスを聞きながら、無意味に敵を作らないよう心がけて生きること。まずは試しにやってみて、それで本当に無意味だと思うなら勝手にしろ。早瀬はそんなようなことを堀北に伝え、堀北は不承不承やってみることを約束した。
『何の意味もないことだと思うけど、わかったわよ……ここまでやられたら、逆に頭が冷えたわ』
そして、始まったわけだ。
堀北の覚醒のターンが。始まってしまったんだ。
後日、須藤達に謝罪して、キレられても殊勝にしていたところまでは良かった。へえ頑張ってるじゃんって思って、あいつが本気で変わろうとするなら力になりたいとも感じていた。
そうして変わっていってくれれば、隣人が普通のコミュニケーションを取れるようになって、結果としてオレに平穏が訪れる。そう考えていたんだが、堀北はオレが期待していたのとは違う方向に変化した。
いや、人当たりは良くなったんだよ。ただ単に不快なだけの罵倒なども鳴りを潜めた。しかし、代わりに厄介な病を患ってしまったんだ。
『……何を読んでいるんだ、堀北』
『早瀬君が貸してくれた、人の心を活性化させるコツ、という本よ。なるほど。たしかに無能な人を貶めても世界はちっとも平和にはならない。暴走する正義は悪よりも醜悪なものなのね』
『……』
そう、よくわからない心の病に。多分、厨二病かそれに類するなにかだ。
このことには早瀬にも大いに原因がある。色々と世話になっておいてとやかく言いたくはないが、心を叩き潰した後に飴を与え続けるのはよろしくない。そう、早瀬は堀北を叩きのめした後はひたすら褒めるフェーズに入り、自信を回復させながら変な本を何冊も貸し与えたのだ。
他にも上に立つ人とはこうあって欲しい、みたいな話を長文でやり取りしたりもしたようで、堀北はどんどん頭がおかしくなっていった。オレはちょっと面白かったのもあって、早瀬と一緒に堀北の背中を押しまくった。
「綾小路君、世界に一つだけの花は聞いてみたかしら? それなら、ぜひ聞かせて欲しいの。オンリーワンとナンバーワン、あなたはどちらが好みなのか」
「オレはオンリーワンがいい。ナンバーワンに興味はない」
「そう……そこはやはり相容れないけど、心配する必要はないわ。私はそんなあなたでも、できる限り能力を発揮できるように、導くための策がある」
「そうか。やっぱ変わったな、堀北……」
結果、7月の時点でこんなことになってしまった。
やってるうちにしっくり来たらしく、このまま自己変革に励んでいくことを決めたとのこと。
なんでも今の目標は『あまたの人材を最高の効率で導くことができる優秀な人間』らしい。そいつは結構なことだが、気に入った名言を片っ端からかき集めてメモしているのに意味はあるのか。須藤の一件でもそうだったが、とりあえずただ言いたいだけの時も多いようだし、迷走していると言わざるを得ない。
まあ、親しみやすくなったのは確かだし、生徒会長も言ってたように頭の良さは変わっていない。変に弄り回して元に戻られても、それはそれで困る。
だから、放置しておこうと思う。将来変な宗教にハマってしまったとしても、それはオレの責任ではない。
────────◇────────
なぜ、ここまでする必要があるのだろう。
ふとした時に、私は疑問が頭に浮かぶ。
それは、鏡に映った自分の顔を見た時。あるいは窓の外の夕日を見た時。昔よりも設備が増えた、敷地内の景色を眺めている時。生徒達の後ろ姿が目に入った時、教員達と他愛もない話をしている時。
私は唐突に我に返って、急激に冷めて、しかしすぐに燃え盛る──執念の炎が。
「同じですね。自分ができなかった運命を子供に辿らせようとする、そういう親達と同じだ。あなたは」
「だったらどうした。早瀬。たしかに、そういう親達は世間一般に良い評価は受けないがな、必ずしも全て間違っているとは言えないんだぞ?」
私は一人の少年を前にして、その瞳の中に自分と同じ炎が見えた。私と同じように、彼もまた憤りを忘れることはできないのだと思った。
耐え難い理不尽を受けた者が燃やす激情。
どれだけ目を背けたとしても、決して消えない、逃れられない厄介な炎。その苦しみを理解できるのは、同じような境遇を経験した者だけ──。
「親には親の想いがある。まあ、私はお前達の親ではないが、これでも色々と考えている。お前が考えている通り、私は私のためにこの仕事をしているが……目的のために全てを使い捨てよう、などとは考えていないぞ。私はそこまで悪魔ではない。悪いようにはしない」
「自分のことを過大評価しているんですね。先生は十分悪魔ですよ。それでも、親をあなたに変更できるならその方がマシかな。目くそ鼻くそですけど」
「お前の本質はやはり荒々しいな。私が見込んだ通りで何よりだよ」
私の見立ては当たっていると考えていた。
彼の本質は荒々しいが、同時に情を忘れてはいないのだと。人間のフリをしているだけではない。
人並みの感情は持っている。他者への情は恐らくは深い方だ。ならば、綾小路よりも動かしやすいと思った。どんな手段を使おうが構わない。懐に入ってしまいさえすれば、口では嫌がっていても、なし崩しに持ち込める。そう思っていた。
「なあ、お前は穏やかに振舞っていることが多いが、疲れることも多いだろう? 過去にあったことはそう簡単に忘れられないし、どこまでいっても消えることはないんだ。私もそうだ。ふとした瞬間に頭をよぎって、気がおかしくなりそうになる」
「何があったかは知りませんけど、どこか静かな場所で休養してみたらどうですか? 鏡、見てみてくださいよ。妄執に取り憑かれてるような酷い顔、してますから」
程度の差はあるとはいえ、普通の子供なら経験しないような理不尽を経験した者同士。理解し合うことができるなら共感もできる。他に目をつけていた綾小路は理解も共感もしてくれなかったが、この少年なら。
完全に拒絶されることはない。だから、逆鱗に触れることで無理やり動かす必要はない。最初は嫌々であっても、そのうちきっとわかってくれる。
「妄執か。そうなのかもな。この苦しみはやはり妄執なのだろう。そうだ、私は苦しいんだよ。色のない世界を歩き続けるのは、もうたくさんだ。だから、私を助けてくれないか。綾小路を活用しながら、お前がこのクラスをAクラスまで押し上げてくれ」
思い通りにならないことばかりで
だから、そうするしかなかったのだ。
みっともない懇願をしてでも、少年に協力させるしかなかった。
「お願いだ。私を解放してくれ。ずっと悪夢が終わらない、この最悪な感覚。お前ならわかってくれるだろう? 恐らく、こんな好機は最初で最後だ。見捨てないでくれ、頼む──」
なぜ、ここまでする必要があるんだろう。
全て忘れて普通に生きればいいのに、高校生に媚びを売ってまで拘ることじゃないだろう。
ふと、頭が冷えたが、すぐに灰色の景色が戻ってきた。綾小路に対する賭けは既に始まった。早瀬にも望みをぶつけた。
立ち止まることのできるタイミングは過ぎ去った。
後戻りはもう、できないのだ。
────────◇────────
夏休み前の期末試験を乗り切った後、俺達には嬉しいご褒美が待っていた。
なんと、豪華客船による2週間のクルージングの旅。生まれて初めての
絶対になにか裏があるだろ、って。
「はぁ、はぁ……くそっ、あーもー! やるよ! やりますよ! やりゃーいいんでしょ!?」
夏休みの旅もきっと波乱続きなのだろう。それはともかく、今、俺は発狂寸前に追い込まれている。
終業式の前日。場所はプールサイドだ。授業中ではなく、朝の登校の時間帯。周りにはまばらに人がいて、遠巻きにこっちを見ている。
「今、先生達が来ると思う! 待ってる時間が勿体ないから、お願い早瀬君、やっちゃって!」
「なずな先輩がやれば──いやいいです俺がやりますよクソッ」
なずな先輩が他の生徒に先生達を呼んでくるよう指示を出し、俺の横にしゃがみこんだ。
俺の腕の中には美少女──ではなく美少年がいる。柔い金髪を水に濡らした、端正な顔立ちの生徒会副会長……。
どういうわけか誰もいないプールで溺れたらしく、今は引っ張りあげた直後だ。
なんでこんなことに……この学校はなんでこう、命に関わるトラブルが連続するんでしょうね!
「ううん、ごめん私がやる」
「いやいいです! やりますからカメラ構えてる人達を何とかして! いきますよ!」
なずな先輩が焦った顔で申し出てくれたけど、好きでもない男とチューさせるのは気が引ける。
俺はせめて撮影だけはやめてもらうようお願いしてから、決死の覚悟で目を見開いた。南雲さんの唇に自分の唇を近づけ、人工呼吸を開始した!
「──ハッ!?」
そして次の瞬間、南雲さんは目をかっぴらいて俺を見た。唇を通じて、水が俺の口の中に入ってくる!
「──ッッ!?」
塩素の味だ。ちくしょう! すぐ復活するならそう言ってくれ、って無理ですよねわかってます!
「ぶはっ! な、なんだ……ゲホッ、ゲホッ」
「ぶはっ、げほっ……ご、ご無事で何よりで……はぁ」
俺は尻もちをついて項垂れた。
南雲さんは苦しげに手で口を拭っている。上半身裸で濡れ濡れの髪で色気が凄いね。ああ、俺もこんなイケメンに生まれたかったよ……どっと疲れた。
にしても、野次馬はほんとよくないな。
こっちの苦労も知らずに、少し離れたところからは黄色い歓声があがっている。
「あっ、本当にやったよあの子!」
「す、しゅご……わはっ、キャアアアアッ!」
「貴重な副会長のキスシーン……」
「何考えてるのっ!? やめなさい! カメラ下ろせって言ってんのよ撮った写真を消しなさい!」
シャッター音も聞こえてくる。
なずな先輩、怒ってくれてありがとう。俺は泣きそうになりながら感謝した。
────────◇────────
南雲副会長はすぐに意識を取り戻し、命に別状はなかった。
めでたしめでたし、で話が終わるわけがない。
俺はトラウマが蘇ったから放心状態になってしまい、しばらくなずな先輩に慰めてもらうことに。
そうこうしてる間に警察が来て、
殺人未遂に盗撮。二度と娑婆に出てこないことを祈るばかりだが、残念ながら日本の法律では死刑するのは無理である。副会長と同じようにプールに沈めて、裸にして撮影くらいはしてやりたいものだけど、日本の法律って加害者に優しいよなぁ。
「いやぁ、素早く対処してくれて凄かったよ。本当にありがとうね。
騒動が収束した後、俺は空き教室──備品室を使わせてもらって精神を休めることに。顔色がやばいからってことで、1限と2限は免除してもらったのだ。
誰かいた方がいいだろうという話になり、なずな先輩が我こそはと付き添ってくれた。千秋ちゃんに連絡したらスタンプだけが返ってきたんだけど、なんで死亡したピカチュウだったんだろうか。
「トラウマが……無理やりキスされかけた時の。いや、されはしなかったんですけど、まさぐられた時の感触が忘れられなくて」
「えっ、まさか松下ちゃんが言ってた、トイレで見つめてきた人?」
「いや、その人じゃなくて、ランニング後に寝転んでたらいきなり襲われたことがあって……夜の公園で」
あれは恐怖だった。いきなり茂みから飛び出してきたんだよな、プロレスラーみたいな体格の男が。すぐに反撃して倒すことはできたけど、玉つかみを防ぐことはできなかった。普通の体勢かつバテバテじゃなければ防御できたけど、あれはさすがに無理だった。
「う、うわぁ……」
なずな先輩は言葉を失っている。
可愛らしい目が左右にキョロキョロ動いていた。
「……」
「あ、この教室はテレビ置いてるんだね。なんか見よう、なんか!」
なずな先輩は立ち上がり、小さなテレビが置いてある部屋の奥へと向かった。棚からリモコンを取り出して電源オンにすると、なにやら切ない雰囲気の音楽が流れ始めた。
『オゥ……トニー……』
『ジャクソン……無事で良かったよ……親友』
何の映画かは知らないけど、屈強な男達が熱い抱擁を交わしていた。なずな先輩は「!?」、と目をかっぴらいてチャンネルを変える。天気予報のお姉さんが出てきた。うん、こっちの方がいいや。
「あ、あはは……チューはしてなかったね」
「はいそうですね」
「やばいめっちゃ元気ない。松下ちゃん呼んでくる?」
「いいです。すぐ元に戻るんで……あー……」
まずい、南雲副会長の唇の感触が忘れられない。
しかも写真撮られてたよな……流通しちゃったらどうしよう。どこのクラスの女子達かは知らないけど、人命がかかってる時に撮るな!
「いやー……無理矢理にでも私がすればよかったね。ごめん。そんな辛いなら上書きしとく?」
「いや、断ったの俺なんで…………」
女子みたいに柔らかかったな。いや、千秋ちゃん以外の感触は知らないけども、思ってた男子の感触とは違った。おっっえ。やばい、夜の公園で襲撃してきたオッサンの姿が脳裏に浮かんで……とりあえずやばい。
「わ、話題を変えようか! そういえば、初対面の時の口説き文句は凄かったね! ストレートに告白されてるのかと思ったよ!」
そんな凄いこと言っただろうか。記憶にない。
大したことは言ってないはずだし、なずな先輩の考えすぎだろう。
「そうでしたっけ……まあいいや。とりあえず……付き添ってくれてありがとうございました。落ち着いてきたんで、そろそろ戻ります」
本当は胃がムカムカするけど、あんまり心配をかけるのもよくない。俺はペットボトルの水を口に含むと、ゴクゴクと飲み干した。
よし、気持ちを切り替えよう。雑念よ消え去れ。ほんとまじで消え去ってください。
「まだ冷や汗かいてるじゃん……。うーん、かなり嫌なことしてもらっちゃったし、やっぱり上書きしてあげようか? そのかわり内緒にしてね」
「内緒ってなにを……上書き?」
その後、引き続き30分ほど休憩させてもらい、俺は2限から出席することに。主に女子の皆さんから感触とか色々と聞かれたせいで、授業には全く集中できませんでした。