松下千秋の余裕 作:中森藤之
夏を歌う波の音。果てなき
「うおおおお! 最っ高じゃねえかああああああああっ!」
豪華客船のデッキで飛び跳ね、クラスメイト
いつもなら誰かしらが瞳を吊り上げ、騒音被害を訴えていたことだろう。しかし、今日に関しては文句が飛んでくることはなく、機嫌を損ねている者は誰もいない。特等席とも言えるデッキから見える絶景に、皆が目を輝かせていた。
「こんな景色見たことない! マジ超感動やばいって!」
船内から姿を見せた女子グループの先頭で、
「色々あったけど、この学校に入ってよかったぁ……!」
そのグループの後ろの方に居る女子の一人、
「ヒャッホゥ! やばいテンション上がってきたァ!
誰か今からダイビングしねぇ!? おいっ、そこの
「嫌に決まってるでしょ! 私、まだ死にたくないし!」
みんな、かなりテンションが上がっている。
それもそのはずで、今回は
「いやぁ、ほんっと最高だよな! 期末テストも無事に乗り切れたことだし、心置きなく遊びまくろうぜ! なっ、
「ったく、しゃーねーな! そこまで言うなら遊んでやるよ! ははは!」
山内から調子のいいことを言われても、須藤は余裕そうに大笑いしている。暴力事件の際は少し距離ができていたが、山内と池がちゃんと謝罪したこともあり、決裂という結末は免れていた。
「で、健は誰が本命なんだよ? なあ
「おおっ、それ名案だろ!」
池が山内と須藤の首に腕を回し、そこそこでかい声で内緒話を始めた。普通に周りに聞こえている。
苦難だらけの中間テスト、平均点が上がったことで退学者が出かけた期末テスト。俺達Dクラスはどうにかこうにか全員で乗り切り、高度育成高等学校が用意した豪華旅行が始まった。
「で、言ってみろよ健。誰だよ。やっぱ堀北か?」
「おいおい春樹、名前出すのはダメだろ〜。でも出ちゃったもんは仕方ないな。健、どうなんだよ〜?」
「うるせえなお前ら! あいつとはそんなんじゃねえよ! 暑苦しいから離れやがれ」
テスト直前まではかなり苦しんでいた3人は、水を得た魚のように活き活きとしている。真面目に顔色が健康的になってるんだよな。堀北の全身全霊の──懇切丁寧な──指導で魂抜けてたからな、あの3人……。
ともあれ、雰囲気が良さそうで何より。みんな楽しそうだと俺の心も平和になるね。ギスギスしてるより和気あいあいしてた方がいい。当たり前のことだ。
「……早瀬。テンションが上がらないんだが」
「綾小路君。どうした」
しかし、約1名。
あからさまにマイナスのオーラを放っている人がいた。綾小路清隆はパーカーのフードを深く被って、放心した瞳で佇んでいた。
1箇所だけ空間が歪んでいる。どよんどよんという効果音が聞こえてきそうである。
「オレは今のままでいいんだ。それなのに、茶柱先生が……」
「……」
原因は担任の先生だ。
茶柱先生は出発前に綾小路を呼び出し、Aクラスを本気で目指せと脅迫したのだ。これまでの頑張りを褒めるわけでも、これからのアドバイスをするわけでもなく、あろうことか脅した。
従わないと
「もうやる気が完全になくなった……本当に何もしたくないんだが、退学は困るし……」
なんでも、少し前に綾小路の父親が高校に来て、息子を退学させるよう迫ってきたらしい。学校側は突っぱねてくれたようだが、茶柱先生はその件を脅しのネタに使ってきたのだ。
自分に協力しなければ退学させると。
脅迫現場には俺も呼ばれていて、とても気分が悪くなったよ。
「はぁ……面倒なことになった」
「いいよ何もしなくて」
「いいのか?」
「茶柱先生は言ってただろ。お前らのどちらかがやる気になればそれでいいって」
繰り返すけど、胸糞は悪くなった。でも、一方であの場にいて良かったとも思う。
先生はこうも言っていた。どちらか1人が協力することを約束すれば、ひとまずはそれで納得してやる────と。
それなら俺がやればいい。簡単な話だったが、綾小路の実家の話が出た時はやりにくかったな。知ってることを気付かれないように話を合わせて、綾小路がもっと出来る人間だってことも、『とてもそうは思えない』って誤魔化して。
「とりあえず、また何か言ってくるまでは俺が積極的に動いてみるよ。あの先生は俺のどこに期待してるのか、それは全くもって不明だけど」
「そうしてくれるとオレは助かるが、本当にいいのか?」
「いいよ。俺は綾小路君みたいに事なかれ主義ってわけでもないし、友達ならこういう時に力にならにゃ」
俺の場合は、何がなんでも頑張りたくないってわけじゃない。だからこれでいいのだ。
綾小路はずっと自由を奪われ続けてきて、ようやく好きなことができるようになったんだ。新天地でまで縛り付ける訳にはいかない。それも、先生の自分本位な野望のためだなんてダメダメ。絶対に認められない。
「それなら、今回は頼らせてもらう。悪いな、早瀬。その代わり、オレにできることがあったら言ってくれ。協力するのは吝かじゃないから」
「全然、全く気にしなくていいよ。何かあったら言うけど、今はまだ、何をどうしたらいいのかすら不明だからね。とりあえずバカンス楽しもうよ」
「ありがとう。……バカンスか。高校生に与えるご褒美にしては凄すぎるな。一般人からしたら規格外だぞ、これ」
綾小路の言う通りだ。庶民からすれば卒倒しそうな待遇だろう。いくら日本政府が支援しているとはいえ、この学校の太っ腹ぶりは異常だ。学費や雑費は完全に無料で、入学直後は確定で10万円のお小遣いがもらえて、今回のバカンス。……国民の皆さんが聞いたらブチ切れそうだな。
血税をそんなことに使いやがって、と。この学校はいつ炎上してもおかしくないと思う。むしろなんで、まだ叩かれてないんだろうって不思議だ。
「あっ、綾小路くん。中すっごいよ。でっかいシアターがあって、レストランも!」
綾小路と海を眺めていると、小柄な女子がぱたぱたと小走りでやってきた。
赤みがかかった長髪を後ろで2本に束ねており、よくわからない文字が書いてあるシャツを着ている。ピッチピチだ。何がとは言わないけども。
彼女は須藤の事件で活躍した少女、佐倉
「そうか。堀北も誘って、もう少し色々と見に行くか?」
「ほ、堀北さんはそっとしておいた方がいいと思う……なんかメモしてるし」
佐倉の視線が向かう先、堀北鈴音はキリッとした顔で、メモ帳にペンを走らせていた。海面を凝視しているから、魚影の観察でもしてるのかもしれない。
「あの……早瀬君も一緒に来る?」
「ああ、俺は──」
船のデッキが微動する中、佐倉のお誘いをお断りするべく口を開く。どうせなら2人で行ってきなよ、と言うべきか言うまいか迷っていると、俺の言葉は途中で遮られた。
「──うわぁ。ほんと凄いね! 2週間も遊び放題だなんて夢みたい!」
普段よりトーンの高い声で、垢抜けた雰囲気の女子が話しかけてきた。
千秋ちゃんより暗めの茶髪ロングヘアー。大人っぽい水着の上に、上品なカーディガンを羽織っている。色はどちらも白。透明感のある容姿なのも相まって、楚々とした印象を受ける。
隣の席の森さんだ。もりねね。軽井沢達のグループから離れてこっちに来たらしい。後ろには千秋ちゃんと前園、
「あ……ごめん。ちょっとテンション上がっちゃって……びっくりするよね、教室だとあんまり騒いだりしないし」
「あはは、大丈夫大丈夫。森さんだけじゃなくて皆テンション上がってるよ。池君とか見ててみ、またそのうち叫び出すから」
こちらも少し声のトーンを上げて応じる。その間に千秋ちゃんをチェックすると、水着ではなかった。シンプルなティーシャツと短パンだ。色は黒黒、ちょっと新鮮だな。
「あは、やっぱ騒いでるんだ池君。元気だよね〜。まあ無理もないか。こんなご褒美もらったら騒ぎたくもなるよね」
「まあね。でも、森さんはこういうの慣れてそう。勝手なイメージだけど」
「えー、なにそれー! うちはお金持ちとかじゃないから、贅沢に慣れてるとかないよ」
森さんは普段よりも元気で絡みやすい……けど、なんか違和感が発生してる。千秋ちゃん、全くこっち見ないな? と想ったらちょっとだけ口角を上げてチラ見して、すぐに前園&佐藤とのお喋りに戻った。
まずいな機嫌が読めないぞ。たまにある仮面モードだ。笑ってるけど何考えてるのかわからない、ちょっと厄介な状態。
「ふふっ、予定では、これから無人島でバカンスだよねっ。まずは1週間。見たことない動物とかいるかな? ちょっと楽しみじゃない?」
「そうだなー……楽しみではあるけど。毒蛇とかいるかもしれないから、変な生物には近づかない方がいいよ」
「あー、そういや毒蛇だらけの島あるよね。どこかは忘れたけど」
「ブラジルの島ね。スネーク・アイランドって呼ばれてるとこ」
「あ、そうそう。さっすが物知りだねっ。私、行ったら卒倒しちゃうかも」
森さんと会話を楽しみつつ、千秋ちゃんをチラ見すると、やっぱり干渉してこない。普段なら話に入ってくるはずなんだが、今は全く興味なさげ。なんか俺達をいないものとして扱ってる……みたいに感じるのは被害妄想だろうか?
「えーっと、森さんは蛇が苦手なの?」
「そこまでじゃないけど、群れで来られるのは無理だよ……100匹とか泣く。ぴえんじゃすまない」
「それは俺も無理だな……」
ぴえんとか言ってる間に死ぬわ。毒蛇100匹にまとわりつかれたりしたら。
「ふふっ、だよね〜。てか、大丈夫? 出発してからずっと眠そうだったみたいだけど」
綺麗な顔がひょこっと覗き込んでくる。軽く曲がった腰は、千秋ちゃんよりほっそりしている。森さんはクラスの中でもかなり細い方である。
「だって、学校出たの5時だよ? それは眠いって」
「あはは、たしかにー。もしあれだったら日光浴しながらお昼寝とか……でも、うーん、それは勿体ないかな?」
5時出発が原因なんじゃなくて、単に朝方まで起きてたせいなんだけどね。まさかギリギリまでチューしてたとは言えない。
「ふぁ……そうなんだよ。爆睡しちゃって、夜眠れなくなっても困るし」
まだ時計の針は正午を回っていない。
船が向かっている先は、南の島のプライベートビーチだ。もうすぐ到着する。この学校が所有しているという無人島で、自由に泳ぐことができるそうだ。
「じゃあさ、一緒に泳がない? もうすぐ島につくみたいだし、眠気覚ましになりそうじゃん?」
それは構わないけど、なんで誰も話に入ってこないんだ。佐藤さんや、この旅行ではポイント必要ないからって、俺のことは放置かい? お金足りない時は部屋にまで押しかけてくるのに、所詮は金蔓くらいにしか思われていないのかもしれない。
「えっと、もしかしてダメ……?」
すぐ返事をしなかったことで、断ろうとしていると思われたらしい。もりねねは控え目な笑顔で聞き直してきた。
「誰かと遊ぶ約束は今んとこないから、泳ぐのはいいけど……男俺だけ? ちょっとそれは……」
女4に俺1人はちときつい。そういう状況に憧れはあれど、いざそうなると絶対にやりにくい。そういうことなら平田グループを吸収して、どさくさに紛れて池達も巻き込むか? アリだなと考えを巡らせていると、もりねねが少し焦った顔に変わる。
「あっ、そうだよね。ごめん気が回らなくて。それじゃ池君とかも誘おっか。平田君や櫛田さんのグループも混ぜちゃえば楽しそうだよね」
「いいね。それでいこう。さすが森さん」
「あはは……えっと、メンバーは増やすとして、ちょっと別にお願いがあるんだけどいいかな?」
「お願い? いいけど何?」
「私、運動の方はいまいちだからさー……良かったら一緒に泳いで教えて欲しいなって。ほら、彼女持ちの平田君とかには頼めないじゃん?」
ちらりと千秋ちゃんの方を見ると、一瞬、薄笑いを浮かべていたのがわかった。待て。色々と引っかかるんだけど、どういうつもりだ。
森さん、今、何か含みを持たせた言い回しをしなかった? 普段から仲が良い方の女子ではあるけど、今日は過去一番に会話が多いんだけど、まさかなんかあるのこれ。
「早瀬君は水泳も得意だし、せっかくだしお願い! ちょっとだけでいいから!」
もりねねはパンッ、と手を合わせた。
まあ、普段から楽しく会話させてもらってるし、隣の席は結構居心地がいいしね。仲は良い方だと思うし、一緒に泳ぐのは嫌ではないよ。
全然いいんだけど、千秋ちゃんが何か考えてるのに何も伝わってこないのが怖いのよ。結構小悪魔でドSなとこあるから、黒いこと考えてなければいいんだけど……。
「えっと、ダメかな……」
「あ、ごめんボーッとしてた。いいよ。それじゃ溺れたりしないように、なるべく浅いところで泳いでみるか」
「えっマジ? えへへ、ありがとう!」
と、顔を赤らめる森さんの後ろで、千秋ちゃんは微笑を無限ループさせている。
このグループ、実はそこまで仲が良くない。
みんな腹の中で色々と考えてて、探り合いしてるんだなってなんとなくわかるんだよ。千秋ちゃんから聞いてなくても感じ取れるレベルでわかる。ここに軽井沢が加わると余計にややこしくなるけど、人数を増やしたいから平田グループ巻き込むのは決定で。
「じゃ、よろしくね! プライベートで遊んだことあんまりないし、楽しみ〜!」
もりねねは嬉しそうにしてるけど、後ろの人達が怖いなぁ。
天候とは別の意味で荒れないことを願う。あの美しい空と同じように快晴でいかせて欲しい。気を揉むのは学校側の動向だけで十分だ。
────────◇────────
私は知っている。
森さんは席順がラッキーだったと思っている。
平田君でもわからない問題をわかりやすく教えてくれるし、ちょっと仲良くしても下心出したりしない大人だし、いいなと思ってることを知っている。
ああ、そういえばこんなこともあったね。
森さんが風邪気味の時、微熱があることに気付いて市販薬を渡してあげてた雷の日。雷は私の心ではないよ。天候。私はむしろわくわくしながら様子をうかがっていたよ。
「まだプライベートで走ったりしてるの? 制服着てるとわかりにくいけど、すごく鍛えてるよね」
「昔からのルーティンがやめられなくてさ。それにいいことしかないし。頭スッキリするし体力もつくから、悪いことは何もないし続けてる」
すぐ体調の変化に気付いてくれて、どんな会話にも合わせてもらって、全てにおいてスペックが上ときたらいいなーっと思うよね。うんうん。私が初めて会った時は学力も運動神経も抑えてたから、私は即落ちしたりはしなかったけどねー。
あれ、この人って実は突き抜けてる? って思ったのは季節が何回か変わった後だ。一緒に線香花火してくれた時はもちろん知らなかったよ。
「へぇー……私も少しは鍛えようかな。もう少し運動も頑張らないと、そっちの評価も気にするべきだと思うし……」
「頑張ればある程度まではいけるよ。森さんは学力は高い方だろ? 努力しないでできちゃう天才ってわけでもないし、それなら運動も頑張れるって」
「どういうこと?」
「コツコツやれる人なんだから、何やってもある程度のレベルまでは出来ると思うってこと。苦手なことは大変だけど、継続力ある人は強いから」
そういう励まし方、いいよねー。まな君、もっと褒めてあげなよ。森さんとっても嬉しそうだから、甘やかせてあげればいいと思う。でも、君が森さんに甘えることはできなさそうだね。現時点では無理だと思うよ。
「もー……やめてよ、そんな褒められるような人間じゃないって」
森さんがちらちら私の顔色を窺ってくる。だから気にしなくていいって言ってるのに。
この旅行でもうちょっと仲良くしていいか聞かれたから、私は言ったよ。
頼られると張り切ってくれる人だから、もう少し甘えていいと思うよって。え、答えになってない? いいよって言うまでもないから省いただけ。アドバイスまでしてあげるなんて、私は素敵な友人だね。
まな君は森さんと話してる時も、私を気にしているようだ。気にしないで仲良くしてていいよ? そうだ。一緒に泳ぐなら、優しく手を引いてあげればいいんじゃないかな。
森さんは私達が付き合ってないから、自分が近付いてもオッケーだって考えた。実際に口にもした。
そういう理屈で無理やり納得して頑張ってるんだよ。微笑ましいよね。私は個人的に森さんのこと嫌いとかないし、真面目に仲良くなろうとしてるんだからいいと思うよ。
期待に答えて甘やかしてあげていいと思う。
森さんもグイグイいって問題なし。ただし、恋人関係になって独占するのは無理だから。自分だけの彼氏が欲しいなら、やめとくことをおすすめするよ。今回はかなりやる気みたいだから、ニコニコしながら経過を観察しておこうと思う。