松下千秋の余裕 作:中森藤之
「そういや、綾小路君と佐倉さんは付き合ってなかったんだって」
タオルで頭を拭きながら、先日の話は早とちりだったことを報告する。
髪、少し伸びてきたな。あと半月もしたら鼻のあたりまできそうだし、そろそろバッサリいっとくか。あんまりやりすぎると引かれるから、ほどほどの長さで。
「そうなんだ。誤情報には気をつけてね……私は言いふらしたりしないけど、早とちりは良くないよ早とちりは」
「ですよねー。反省します」
佐倉さんと密会していたのは事実だが、やましいことはなくて須藤の話をしてただけ。件の暴力事件、佐倉さんが見てたんだってさ。佐倉さんはそれを言い出せなくて、綾小路に相談しようと思ったんだと。
夜の密室。何もなかったと断言はできないけど、二人の感じを見てると本当に何もなかったっぽい。
せっかくお祝いしてあげようと色々考えてたのに、俺はとても残念だよ。
「ドライヤー借りるね。あ、このままの方がいい?」
「いやいや、乾かしちゃいなよ。せっかくマメに手入れしてるのに、傷んじゃったら勿体ないじゃん」
「じゃあお言葉に甘えて」
「別に聞かなくても勝手に使っていいからね、ドライヤー」
千秋ちゃんは安物のドライヤーを片手に、鏡を見ながらスイッチを入れた。しっとりと重みを帯びた栗色の長い髪が、温かい風に吹かれて艶やかに揺らめく。
ぶかぶかのTシャツの裾下では健康的な腿が光っていて、お風呂上がりなのもあって色気が凄い。
スレンダーだけど柔らかいんだよな、この子。女子ってそういうものなんだろうけど、抱き心地は良い方だと思う。つまり抱いたことがあるのだ。なんだったら5分ほど前まで堪能してたし、おかげで疲れが吹っ飛んだわ。
「ん? なんで見てるのー?」
「サイズ大きめのシャツ着てるのいいなーって」
「そっかそっか。胸元も余裕あるし、色々と便利だもんね。制服とどっちがいい?」
「それは……甲乙つけがたい」
「あはは、私も」
たおやかで色白な美人。
松下千秋を簡単に表現するとそんな感じだろうか。
詳しく言い出すと長くなるけど、ひとまずたおやかで色白。このふたつは誰が見てもそうだと思う。
裕福な家の生まれなのもあって、将来は親が納得する相手と結婚することになる。という話を高校入学前まではしてたけど、最近は結婚したくないとか言い出している。そんなことより、30歳くらいまでは自由に好きなことをしてたいらしい。
「歩き回ったから疲れたでしょ。髪、乾かし終わったら揉んであげるよ」
「いいよ、そこまでじゃないし。それよりゴロゴロしたい」
「そっか。それじゃ私、枕になればいい?」
「まじ? なってくれたら疲れ吹っ飛ぶ」
なんで歩き回ってたのかと言うと、上級生相手の聞き込みだ。須藤の件で。途中で佐倉さんからメッセージが来て、綾小路に話したことを教えてくれた──自分が見ていたことを──から、その時点で俺は退散することに。
もう少し早く教えて欲しかったな。
足は張ってないし精神的な疲労もないけど、無駄な労力を使ってしまった。
「ふぅ。はい、おしまい」
千秋ちゃんはドライヤーの電源をオフにして、コードを綺麗にまとめた。こういうとこ丁寧でいいね。俺は結構適当にしちゃうから、多分断線の頻度が多い方だと思う。
「先戻ってて良かったのに、ずっと私のこと見てたね?」
千秋ちゃんは振り向きざまに、少し目を細めた。
透き通った碧眼。涼しげな美貌によく映えてる。
「見られるの好きでしょ?」
「んー、嫌いではないかな。でも、気をつけた方がいいよ? 表情は変わってなくてもわかるから。ギラギラしてるのって」
「ギラギラってなんだ。俺そんな凶暴じゃないよ?」
「さっき言ってた枕、膝枕でいい? まったり撫でてあげるから、ベッド行こ」
ほらほら、と背中を押されてベッドへと移動。
松下千秋は唐突に押しが強くなることがある。挑発的になることもしばしば。俺がどんなことが好きか熟知してるんだよなこの子。一度も教えたりしたことはないけど、いつの間にか。
「あー……なにしてるんだろうね、私達。ていうかいつから始まったんだっけ、こういうの」
「家出した時の翌週じゃない? ほら、むしゃくしゃして家出したくなったって連絡来たやつ」
「だよね。懐かしい」
この子は自己管理能力が非常に高い。メンタルコントロールも大人顔負けの安定感なんだが、一回だけ癇癪を起こして家出したことがあった。
中学時代。どこでもいいから遠くに行きたいとか言い出して、ほんとに消えて、夕方から深夜にかけて探し回ってようやく見つけた。橋の途中に立ってたからマジで焦ったよ。思春期こじらせた勢いで飛び降りるんじゃないかって。
「一緒に川に飛び込んだよね。寒かったなー」
「俺じゃなかったら溺れてたから、二度としないでね」
「本気で?」
「本気で」
飛び降りはしなかったけど、川に飛び込みはした。
「じゃあ、今日は本当に溺れてみる? 私の脚、好きでしょ。おいで。なんか愛でたい気分なんだよね。ここじゃペットとか飼えないから、代わりに撫でてあげる」
千秋ちゃんはベッドの上で女の子座りになって、自分の太ももをポンポンと叩いた。羞恥で固まったり遠慮したりはしない。来いと言われてるんだから有り難く堪能させてもらうまでだ。
「じゃあよろしく」
「うん。よろしくされた」
横になると速攻で幸せな気分になる。
この子の体、マシュマロか?
────────◇────────
防音カーテンとか買っちゃおうかな。
頭が急に冷静になる現象。はっと我に返った時間の中で、私は後で検索してみようと思った。
あー、顔が熱い。冷房ガンガンにつけてて、超薄着だから寒いはずなのに……って寒いは寒いね。触れてるところと顔以外は寒いや。
「大丈夫? まったりしすぎてて、退屈じゃない?」
「全然……むしろもうちょい。千秋ちゃん脚とか痛くなってない? 大丈夫?」
「脚はなんともないけど、胸はちょっと辛いかな。そこはずっとまったりされても困るよ。まったりっていうか、ゆっくりっていうか……」
もどかしい。そこまで言う必要はなかった。
彼は意図を汲み取ってくれたようで、すぐに力強くなってくれた。頭、撫でてあげないと。えらいえらいってね。あー、ペットは飼えなくてもいいから、やっぱりこの人がいいなぁ。
「……っ、ふぅ」
「千秋ちゃんって静かだよね。あんまり叫んだりしないし」
「教室では叫ばないよ。私、そういうキャラじゃないし。ずる賢く生きてるからね」
「たしかに。気配薄めて上手く立ち回ってる感じ」
「そう考えると性格はあまり良くないよね。計算高い女子に純粋によしよしされる気分はどう?」
撫でる加減も計算して、と。
頭やら胸やらソフトタッチ……全然力入ってないのに、ちょっと汗ばんでくる。不思議。
「うーん、天国?」
「それじゃ、恋人でもない女友達にこんなことさせてる気持ちはどう……? 罪悪感とかあったりするの? それとも背徳感かな?」
「それは……どっちも。てかこれ、本当に付き合ってないの?」
「付き合ってないよ。だって私達、どっちも告白とかしてないよね? まあ、今はどうだっていいよそんなこと。お互いに相手が喜んでくれるのがすごく嬉しくて、だいたい何でもわかってるじゃない? だから、ふふ……大変だよ。恋人作るのも、将来結婚するのも」
「すごい嬉しそうに喋るじゃん。今、機嫌めちゃくちゃ良い?」
「んー、どうだろ?」
機嫌はいいよ。お喋りするのが楽しいし、私と一緒にいて嬉しいのも手に取るようにわかるし。
買い出し、いかなくてもいいかな。料理はまた別の日でいいよね。機会はいくらでもあるんだし、焦る必要はないよ。
「ひとつお願いがあるんだけど、いい?」
「なに?」
「アラームセットしておいて欲しいな。いつ寝落ちするかわからないし、念のためにね」
「もうセットしてるから大丈夫。いつ寝落ちてもいいよ」
「ふふ。さすが。じゃあ頭空っぽにしていい?」
「もちろん。いつでもどうぞ」
そんなわけでポジション交換。
今度は私が膝枕してもらって、引き続き一緒にまったりしていくよ。お喋りながらでも、無言でも、どっちでも君の好きな方で。
あー、あと半年くらいしたら、私は完全にお嫁にいけなくなるな。そうしたらこの人、どうするんだろう?