松下千秋の余裕 作:中森藤之
月明かりの下を、気持ちの良い風が吹いていた。
緑葉を揺らしているのは街路樹だ。街の景観を彩る木々は、学生寮に向けて規則正しく並んでいる。
初めて体験する、友人と迎える夏の季節。
ファミレスを出た後、オレは佐倉の隣を歩いていた。表情は先週に比べて明るい。須藤の話を打ち明けてくれた時はかなり気負っている様子だったが、今は肩の荷が降りたようだ。
「ありがとう、
「どういたしまして。でも、佐倉は感謝する側じゃない。される側だ。妙なことに巻き込まれて災難だったと思うけど、後は俺達に任せておけばいい」
オレは佐倉に力強さをアピールした。いずれ彼女を作る時のためにも、今のうちからアピールの練習はしておいた方がいい──というのが早瀬のススメで、オレは物は試しと実行している。
早瀬
「綾小路君は、やっぱり優しいね」
後は、この佐倉と仲良くなるキッカケになったのも早瀬だ。オレが付き合うなら性格が良い奴がいいって言ったら、あいつは何の親交もなかった佐倉を誘って遊びの計画を立てた。初回はカラオケ、次はウィンドウショッピング。どっちもまあまあ楽しくて、佐倉はあいつの見立て通り性格が良かった。
「優しくはないよ。オレは結構自己中だ」
異性へのアピールとは自慢することが全てではない。というか、露骨な自慢はアピールにならない場合がほとんどである。口だけでもいいから謙遜は忘れないようにしろ、というのも早瀬からのアドバイスだ。
そんなことは言われなくてもわかっていたが、友人が良かれと思って言ってくれているのだ。アドバイスを受けた時、オレはウンウンと頷いておいた。
「そんなことないよ。自己中心的だなんて全然思わないし、もっとワガママとか言ってもいいと思う。ほら、綾小路君ってあんまり自己主張しないし……」
「ワガママか。生憎とオレにはママがいなかったからな。慣れてないんだ。ワガママなだけに」
アドバイスその3。ギャグセンス。略してギャグセンを磨け。早瀬自身はセンスがない人間らしいが、ギャグセンは絶対にあった方がいいとのこと。そういうわけなのでオレは練習しているのだが、これが中々ウケてくれない。
「そうなんだ……ってことはお父さんが男手ひとつで……で、でもっ、綾小路君はこんなに立派になって、凄いよ!」
佐倉は何か勘違いしている。
たしかにオレにはまともな母親はいないが、かと言って父親に育ててもらった覚えもない。
今のは笑いを誘おうとしたんだ、気づいてくれ佐倉。ほら、ママとワガママをかけてるんだ。わかるだろう?
「……」
「な、なんかごめんね……もしかして、お父さんは……そのっ、厳しかったのかな……」
アレは厳しいというか畜生の類だが、その話は誰にもするつもりはない。明後日の方向に想像を広げている佐倉に、オレは力強い視線を送った。
「佐倉、聞いてくれ。後は任せろ」
「綾小路くん?」
「大丈夫だ。きっと上手くいく」
「う、うん……よろしくお願いします?」
誤解は恐らく解けていないが、まあいい。
とにかく今は、佐倉の証言をもとに学校側を納得させる。まずは明日の朝、担任の茶柱に話をして、それでどうなるかだな。
佐倉はああ言ったが、正直なところ
「おい綾小路! お前ら歩くの遅いぞ! 早く来いよ、堀北は行っちまったぞ!」
「なんでメチャクチャ早歩きなんだ、あいつは……」
「うーん、もうちょっとお喋りしたかったのに、堀北さんはシャイなのかな?」
進行方向から須藤と櫛田が戻ってきた。オレ達はちんたら歩いていたので、いつの間にか距離が開いてしまっていたのだ。
「櫛田さん、邪魔しちゃ悪いんじゃなかったの?」
「平田くん、もう十分だと思うよ。こんなにゆっくり歩いてたら深夜になっちゃうよ」
「流石に深夜にはならないんじゃないかな……」
少し間を置いて平田も合流する。すっとぼけたことを抜かした櫛田に、苦笑いを向けた。
というか櫛田、堀北はお前のことが嫌い……苦手なんだと思うぞ。それでもまとわりついてくるから、ウンザリしてるって本人が言ってた。
「綾小路君、茶柱先生への報告は君と堀北さんに任せるよ。佐倉さんから相談を受けたのは君なんだし、僕や櫛田さんは見守っているから」
「いや、オレは大層なことはしてないぞ……」
茶柱への報告自体は誰がやってもいい。誰が伝えたところで事実は変わらないからな。
だが、堀北がやる気に燃えていて、オレは助手扱いされているから仕方ない。助手になった覚えはないんだが、まあここまできたら最後まで手伝うさ。
「綾小路君、お願いします……」
「また敬語に戻ってるぞ、佐倉……言われなくても隣でフォローはするから、お前は見たものをそのまま先生に伝えればいい」
不安げな表情を浮かべた佐倉を元気付け、オレは月を見上げた。
「頼んだぞ、綾小路……!」
「近いぞ、須藤……!」
たそがれていると、須藤に手を握りしめられた。純粋に気持ち悪かったからやめて欲しい。オレは無言で後ずさり、見つめてくる須藤から距離を取った。
明日は上手くいけばいいが、あまり楽観視はしない方がいいだろう。オレは、皆の空気が弛緩している中で一人、ある可能性を思い浮かべていた。
────────◇────────
翌日の朝、ホームルームが終わった後。
綾小路達が先生を追って教室を出てくのを尻目に、俺は端末の画面を見ていた。
メモしておいた今月1日時点でのクラスポイントの一覧表。果たしてDクラスが最下位脱出できる日は訪れるのだろうか。
A1012
B680
C488
D107(暫定)
「それ、クラスポイント? 1万円貰えないと困るよね……700円でもありがたいってのに……0とか困るよ」
クラスの雰囲気は相変わらず不穏な中、後ろの席の軽井沢さんが話しかけてきた。俺の椅子を両手で掴んで、右上から端末を覗き込んでいる。
長く伸ばしている髪の先に枝毛が見えた。なんか昨日よりも脱色してるけど、この子はまたブリーチしたのか?
「でも、大丈夫だよね。洋介くんも大丈夫って言ってたし、早瀬くん的にもいける感じなんでしょ?」
「いけますようにって祈ってるよ」
「え、微妙に不安になること言わないでよ……」
軽井沢は平田から計画を聞いているが、一応周りには内緒ということになっている。期待を持たせてダメでしたって最悪だからな。佐倉にプレッシャーをかけすぎるのもアレだし。
「……なんか怖くなってきた。あのさ早瀬くん、もしダメだったら」
「……」
お前も融資を求めてくるんかい、とツッコミを入れそうになったが、ここはグッと堪える。いきなり乱暴な言葉遣いをしてビビられるのは避けたい。
それにしても、麻耶ちゃんといい軽井沢といい、なんで俺に金をたかろうとするんだ? この子に関して言えば平田っていう彼氏がいるんだから、頼るならそっちにしなさいよ。
「平田君、彼女がお金ないって」
「早瀬君、ごめん。本当にどうしようもなくなったら僕が何とかするから……」
「だってさ。いい彼氏じゃん」
「えー……厳しいってー……」
軽井沢は膨れっ面で自分の席に帰って行った。千秋ちゃんみたいにちゃんとしろとは言わないけど、何も考えずに散財するのはやめなさい。
軽井沢
「平田君、軽井沢さんは放っておくと将来大変なことになりかねない。危機感持った方がいいかもよ」
「そうだね……軽井沢さん、家計簿アプリを見つけたんだけど入れてみない?」
「あっ、それ知ってる! 中学の頃に管理してみたことあるんだけど、いつの間にか残高がマイナスになってて凄い困った!」
「「……」」
それは管理ではない。
俺は平田君と顔を見合せた。
マイナスにならないために家計簿つけるんだよ。無駄遣いいっぱいの家計簿とか意味ないからね。ほんと大丈夫かこの子、生活能力が身につかなくて体を売ったりしないだろうな?
「──やっぱりさぁ、このままポイント支給なしなんじゃない? 振り込まれてないし! 誰かさんのせいで!」
と、教室に不機嫌な女子の声が響いた。
俺から見てふたつ左隣の席の
「えーっと……」
森は言葉を濁す。クラス内では須藤に対する不満が渦巻いていて、前園のようにデカイ声で不満をぶちまける人間もいる。一方、森はそこまで攻撃性が高い女子ではない。率先して非難するつもりはないのだろう。
「まあまあ落ち着けって
そう言って立ち上がるのは、前園の更に左側に座っている男子、
言葉遊びをしたまま放置するタイプの人間。彼と喋ると結論がわからないことが非常に多い。
「えっ、ありがとう! それならメロンソーダがいいな」
「メロンソーダな。オッケオッケ」
牧田は軽い足取りで教室を出ていく。須藤と同じで活発そうな赤髪。さらには身長180cmと立派な体格をしているが、スポーツはてんでダメなタチらしい。
(そんで女には甘い……まあ、前園はちょっとやかましいし。今のは牧田なりに気を使ったんだろうな。気があるとかじゃないと思う。彼女いるらしいしな、牧田は)
「──マジねぇわ須藤。どこ行くか聞いたら、関係ねえだろだってよ! 迷惑かけといてあの態度はねえだろ! なんなんだよっ……たく……」
「ほっとけって
後ろの方の席で愚痴を吐いているのは、お調子者の
あんまりよくないと思うんだけどな、ああいうのは。これで須藤の名誉が回復したら、あいつらはどんな顔してどんな言葉をかけるんだろうか。
────────◇────────
「
俺はチャット画面を閉じると、机に突っ伏している男子の頭を小突いた。
何をのんびりしているんだコイツは。
厄介事が大きくなる前に可能なら潰す。そういう話だったのを忘れたのか?
「……あー、頭いてぇ。
「お前、まさか不安で寝不足なのか?」
「まさか。ゲームしてたら朝だったんだよ……ったく、Dクラスのポンコツ共、コソコソ無駄なことしてんじゃねーよ……ったく鬱陶しいったらありゃしねぇ」
小宮を連れて
「坂上先生」
「おや、どうしましたか石崎君」
「須藤のことで相談があります。少し、外で話せませんか?」
ここで出ていけば、恐らくいい
俺は端末のチャット画面を再び開き、送られてきた文章を速読した。
『ここで折れば話は早いよ。でも、気をつけて。Dクラスには怪物がいるから、目をつけられないようにね。いずれにしても貸しひとつ。これからも良好な関係性を続けていこう。引き続き、我がBクラスをよろしく』
────────◇────────
「恐らく駄目だ。佐倉の証言は認められないだろう」
オレは茶柱の返答を聞いて、やっぱりなと思った。
ここで情報を整理しておくと、須藤が暴力事件を起こした6月末、佐倉はわけあって現場の柱の影にいた。
佐倉は自撮りが趣味なので、自撮りスポットを探していたらしい。それで運悪く、一部始終を目撃してしまったというわけだ。
そして先週、7月最初の金曜日。
オレは佐倉に呼び出されて部屋に向かい、ベッドの上で全てを聞いた。大丈夫だやましいことはしていない。たとえ佐倉がどんなにモノを持っていたとしても、オレは指一本触れていない。
そこは問題ないのだが、佐倉はすっかり怯えてしまっていた。佐倉の中での須藤は暴力的な野蛮人のような感じで、すぐ話さなかったことで虐められるんじゃないかと怖がっていたのだ。
だから、昨日の朝。早瀬と話をした段階では、佐倉の目撃情報について知っていたのはオレだけ。
オレは『無理強いはしない。佐倉の好きにすればいい』、と伝えていて、何もするつもりはなかった。だが、放課後になって佐倉が決心してくれたので、それなら全力でフォローすることを決めたわけだ。
恐らくは遅すぎたであろうことを知りながら、オレは全ての選択を佐倉に委ねた。
「どうしてですか。佐倉さんは勇気を出して打ち明けてくれたんですよ……私は納得できません」
「俺も納得できねえよ! 俺は佐倉のことはあんま知らねえけど、こいつは嘘つく奴じゃねえって! アンタ教師なのにそんなこともわかんねえのかよ!」
堀北と須藤が食い下がっているが、この件に関して処分を下すのはこの学校そのものだ。
茶柱じゃない。だから、ここでいくら騒ぎ立てたところで無駄だ。
「どうせ勇気を出すなら、事件が公表された時点で名乗り出るべきだったな。私は当然の義務として学校側に報告はするが、これでは保身のための
そうだ。恐らく、そう受け取られるだろう。
事件現場に佐倉がいたという証拠もない。だから、佐倉の証言だけではこれが限界。これが別クラスの人間なら話も変わってきていたが、身内となると保身と見られてしまうのは仕方のないことだ。
法の世界でも同じ。身内の証言というのは裁判所に提出する資格こそあるが、利害関係があるため内容の証明力は低くなる。
「ふざけてんのかアンタ! どこのクラスの担任だよッ! 自分のクラスを虐めて楽しいのかよ!?」
「須藤、私はお前達の担任だ。
「どういうことでしょうか、茶柱先生。私には先生が悪意を持っているようにすら見えます」
「堀北、くだらん事を聞くな。お前ならわかるだろ。須藤は
茶柱は続けて、担任としてクラスの不利益になるようなことはできない、と言った。
「証言については報告するが、学校側もCクラスの言い分を信じている。そんな状態で、私も加わって徹底抗戦なんてしてみろ。傷は余計に深くなる。そんなことをするより、いかに情状酌量を求められるかの方が重要だ」
だから素直に自白して許しを請え、とも。
たしかにそれも方法のひとつだ。やってしまった過去は取り消せないが、傷を小さくするための努力は今からでもできる。
減点の計算方法は不明だが、泣いて謝れば多少マシになる……ことも考えられなくはない。
無罪を勝ち取るのは諦め、少しでも学校側の心象を改善することを優先する。茶柱の言っていることも理解はできる。だが、そういった手段を選択するのは、あくまで須藤が黒だと断定できる場合だ。
「ふざけんなッ! ジョウジョウシャクリョーだぁ!? アンタがやってんのは自白の強要ってやつだろ! 教師がそんなことしていいのかよ!」
「須藤。静かにしないか。他のクラスの生徒が出てきているぞ。ここでも悪目立ちするのかお前は。本当に……出来の悪さだけは一級品だな」
「テメェ……どこまで馬鹿にすれば気が済むんだよ、ああっ!?」
須藤は茶柱に一歩、近づく。
今にも殴り掛かりそうな剣幕だ。
「須藤君、やめなさい! 殴ったら今度こそ退学になるわよ! せっかくここまで乗り越えてきたのだから、無駄にするなんてことは許さないわ。やめなさい!」
「す、須藤君……ごめんっ、私がすぐ言わなかったから」
堀北が須藤の肩に手を伸ばし、佐倉が泣きそうな声を発した。
他クラスの教室から何人かの生徒がこちらを見ている。近付いてくる連中もいる。一人の教師が、俺たちの立っている場所に向かって来ているのが見えた。
好奇の視線に晒される中で、オレは茶柱と須藤の間に割って入る。
「堀北、佐倉、下がっていろ。やめろ、須藤。オレたちは諦めるとは言っていない。先生を信じられないのは当然だろう。だが、堀北や佐倉の想いを無駄にするようなことはよせ」
茶柱の冷たい瞳と目が合う。
人を人とも思っていないような、こちらを不愉快にさせる目線。表情。薄ら笑い。オレは熱血系とは対極にいるような人間だが、反吐が出た。
「先生、ひとつ聞かせてください」
「なんだ、綾小路。いかにして情状酌量を求められるか、その相談か?」
「まさか。須藤は間違いなくシロです。オレが聞きたいのはそんなくだらない事じゃない。先生。先生の仕事って一体なんなんですか」
茶柱の薄ら笑いが消え去り、形良い眉があからさまに寄った。
お前までしょーもないことを聞くな、とでも言いたいのかもしれない。
「私の仕事は教師だ。それ以上でも以下でもない」
「オレは、そういうことを言っているんじゃありません。先生はオレと堀北。早瀬にもAクラスを目指させようとしている。オレはともかく、堀北や櫛田は須藤達の赤点を回避させようとして、須藤達はそれに応えた」
4月。茶柱はオレを土俵に引っ張り出した。上を目指す堀北の前でオレの実力を仄めかし、堀北がオレに興味を持つよう仕向けた。
オレはなし崩し的に堀北に協力することになったが、別に大層なことはしていない。だが、意に反して巻き込まれた事実は消えない。
5月の定期テストの時は、堀北をはじめ櫛田達も協力して、須藤を含む赤点組の点数を引き上げた。須藤や池はあいつらなりに努力して、辛うじて赤点を回避した。
どれもこれも、やったのは生徒だ。この教師がやったことは罵倒。もしくは挑発。ハッキリ言って、別の人間が担任だったとしても、何も変わらなかっただろう。
「生活態度が改善したのは平田達が頑張ったからです。早瀬もできる範囲で呼びかけていた。オレは特に何もしてませんから、偉そうなことは言えません。でも、先生はそんなオレより何もしていないでしょう」
「そうね……綾小路君の言う通りだわ。それなのに、こんな時まで担当生徒を悪だ黒だと決めつける。須藤君は変わってきています。彼なりに成長しているんです。担任でありながら、生徒の可能性を潰すつもりですか」
堀北は口調こそ落ち着いているが、その瞳は怒り心頭とみえる。こいつは完全に
「ほ、堀北……俺、お前に惚れちまうかも」
「おぞましい事を言わないで」
「……すまん」
須藤はショックを受けているが、そんなことはどうでもいい。
オレも柄にもなく熱くなってしまったようだ。
あまり注目を集めるのは本意でないし、そろそろ退散の頃合いだろう。
「話は逸れましたが、学校側への伝達はお願いします。堀北、その後はどうする?」
「その前にもできることがある。最悪の結果を想定して動くのみよ。先生、私達は情状酌量など求めません。なぜなら、これは人間の尊厳に関わる問題だからです。やってもいないことをクラスの利益のために認めさせる。
オレは素直に感心した。
2ヶ月足らずで大した変貌ぶりだ。入学当初のこいつと来たら、口を開けばオレの見下すかオレを馬鹿にするか、とりあえずろくでもない奴だったからな。
「そうか。なら、私は私の仕事をしよう」
茶柱は静かな声で告げると、一度、オレたちに背を向けた。
しかし、立ち去る様子はない。
すぐに振り返ってオレを、いや、オレの後ろに立っている奴らを見やった。
数分前からすぐ近くで様子を窺っていた、Cクラスの担任の坂上。そして須藤と揉めた当事者の2人、小宮と石崎という男子生徒だ。
「──いや、素晴らしい心意気ですね。流石は堀北生徒会長の妹さんです」
拍手の音が響いた。
坂上が穏やかな笑みを浮かべ、困惑している堀北に賞賛を送る。後ろの二人はニヤニヤと俺たちのことを見ていた。かなり嫌な感じだ。
「坂上先生……それに、あなた達は須藤君と揉めたという」
「テメェら……よく俺の前に顔を出せたな。あぁ!?」
須藤が食ってかかるが、すぐに堀北が前に出る。
おぉ、まるでナイトだ。堀北が堀北じゃないみたいだが、なんかカッコイイな……。
「須藤君、やめなさい。──坂上先生、どういったご要件でしょうか。もしや、事実を認めて謝罪する気になったと?」
「はは。なんとも血気盛んですね。茶柱先生、Dクラスはどういう教育をされているんですか? いもしない
堀北が瞳を吊り上げる中、オレはある違和感を抱いた。なんだこれは、どういうことだ?
「失礼。見苦しいところを見せてしまいましたね。今、解散しますので」
「解散する前にやるべきことがあるでしょう。嘘の証言など報告するのはやめなさい。いい機会です、ここで罪を認め謝罪してください。そうすれば、必要以上の追求はしないでおきます。喧嘩両成敗とも言いますし、これで手打ちにしませんか?」
坂上の提案。
内容はオレたちにはなんのメリットもない。手打ちにすればクラスの評価は減点確定。須藤の停学も確定し、濡れ衣は本当のことになる。
「何を勝手なことを……茶柱先生、私達は認めません。徹底的に戦います。どのみち、戦うしかないんです」
「どういうことだ、堀北」
「考えてもみてください。仮に私達がでっちあげようとしていたとして、先生はそんなクラスに未来を感じますか? 先生の言葉は悪辣ではありますが、私達に上を目指させようとしているのを感じます。こう言っては須藤君には悪いですが、
堀北の主張。
完全に正しいわけではないが、かといって間違ってもいない。
言うまでもなく感情に寄りすぎているが、教師に対する説得としては合格点だろう。
問題は堀北が狙って発言できているのか。多分、溢れるパッションを制御できてないだけだな。
「なるほど、一理ある」
茶柱は刹那、目を瞑った。すぐに首を縦に振る。
納得してくれたようだ。坂上は嘲笑を浮かべているが、勝手に笑っていればいい。
「たしかに、
「茶柱先生、本気ですか? 意固地になったところで事実は何も変わらない。そちらの傷が大きくなるだけだと思いますが……」
「坂上先生。そこにいる二人も。その時はその時です。私達は須藤君と佐倉さんを信じます。こちらが負けた時は、Dクラスが沈むだけ。そちらにデメリットはないはずですよ。ですから、
堀北が宣言する。
ほんと盛り上がってんなこいつ。どうした。
まあ、見ていて悪い気分はしないし、こっちの方が好感をもてるのも確かだが、気色は悪い。だって中身はあんまり変わってないんだもんコイツ。今は役に入り切ってるんだ、多分。
「いいでしょう。堀北さん。それならせいぜい証明してみてください。ですが、忘れないでくださいね。君は我々に止める理由はない、と言いましたが……これは立派な名誉毀損。そちらの有罪が確定した後は、徹底的に追求させてもらいますので」
「望むところです!」
オレは望みたくないが、こうなったらもう仕方ないな。
様相はまさに全面戦争。
なんとしてでも勝たないと、Dクラスは今度こそ再起不能になるだろう。勝手に徹底抗戦することを決めて、クラスを危険に晒したんだからな。それで負けましたなんてことになったら、間違いなく避難の嵐が暴れ狂う。そうなれば、ただでさえ一体感のないクラスはバラバラになり、ほとんどゲームオーバーだ。
────────◇────────
「それ、
教室に、
綾小路達はまだ戻ってこない。その前に牧田が帰ってきて、買ってきたジュースを片手に言いやがった。
──『佐倉さんが見てたんだって! でもすぐ言わなかったから証拠として認められるのほぼムリで、それなのに堀北のヤツ須藤を信じるとか言ってたぞ! 坂上先生に喧嘩売ってた!』
仲の良い池のところに一直線に向かい、バカでかい声でまくしたてやがった。
結果、クラス全員に情報が共有されることとになり、非難の対象が増えた。
「なによそれ! 堀北のやつ勝手なことして……しかも佐倉さんも佐倉さんでしょ!」
キレ始める麻耶ちゃん。呼応するように他の女子達も不平不満をぶちまけ始め、男子達も加わって悪口大会が始まる。
「あー、もう終わったじゃん! ったく佐倉のやつ……だから暗いやつはダメなんだよ!」
「堀北さんも良くないよね! あいつ、平田君をさしおいて何勝手なことしてるの? 綾小路君も意味わかんない。なんなの、堀北のパシリ?」
嶋村という男子が声を荒らげ、前の席の前園かわ堀北と綾小路に憎悪を燃やす。
瞬く間にクラス中に怒りの炎が燃え広がる中、立ち上がったのは平田君だった。
「──ごめん! みんな聞いて欲しい! 今回のことは僕が堀北さん達にお願いしたんだ! 急な話だったから説明している時間もなかった! 黙っていたことは本当にごめんこの通りだ!」
ふわりと茶髪を揺らして、平田が勢い良く頭を下げる。その姿を見た女子達は困惑の顔に変わり、男子達の騒ぎも収まる。
「え、平田君、それってどういうこと?」
「ごめん、私も悪いんだ。みんなに連絡回せばよかったね……ごめん。この通りだよ」
前園が平田を凝視する一方、窓際の方で立ち上がるのは櫛田だ。平田と同じように謝罪の言葉を述べて、ぺこりと頭を下げる。それを見て、池をはじめ男子達は言葉を失う。
「あの……前園さんは昨日すぐ帰っちゃったから知らないよね。私達は堀北さん達と協力して、須藤君の無実を晴らすために調査をしてたの」
「それは朝も話してたから、知ってるけど……でも、平田くんはさっきまで普通に座ってたし。それで堀北さんと綾小路くんが動いてるってことは、あのふたりが勝手にやったのかと思って……」
うんうん、と頷くのはクラスの3分の1程度か。全員が全員、堀北達の独断だとは思っていなかったようだ。
「それは違う。僕が頼んだ。だから責任は僕にある。堀北さん達は何も悪くない。仲間の無実を証明しようとしてくれた人達を、攻撃するなんておかしいよ」
「えー……っと、平田君が把握してたんなら、私達は何も言えないけどさ……」
前園が勢いを失って着席する。
やっぱりイケメンで優等生でサッカー部で人望がある人間は違うな。そういえば一限は坂上先生のはずだが、堀北達と喋ってたから遅れてるのかな?
とりあえず、ナイス平田。
やっぱり、このクラスで一番リーダーに相応しいのは君だと思うよ。
「じゃあ、静かになったことだし俺からもいい? その前にありがとう平田君。嫌な役回りをさせて」
俺が発言したのとほぼ同時に、綾小路達がドアを開けて戻ってきた。クラスメイト達の視線が一斉に4人に向くが、俺は構わず声を張る。
「まず軽井沢さん、ポイント貸すから!」
「うえっ!?」
いきなりの宣言に軽井沢が飛び跳ねた。
何が起こったのか分からず混乱している。
「どうせ今日明日では決着しない。要するにポイントは入ってこない。現時点で
「! 神が降臨した! 早瀬くん、私をたすけて! マジでお金がない! このままだとヤバいんだって!」
軽井沢が床にひれ伏した。やめろバカ。
額を擦り付けそうな勢いだ。やめてほんと。
人の彼女を調教する趣味はない。後で千秋ちゃんに怒られそうだから、本気でやめて頂きたい。
「はっはー! 早瀬は優しいなッ! 俺はとりあえず1000ポイントでいいぞ!」
軽井沢の首根っこを掴むか掴まないか迷っていると、牧田が小躍りを始めた。元はと言えばこいつがデカイ声で騒いだから、話が大きくなったんだよなぁ。
ちょっとなってないな。要注意人物だ。
「早瀬くん、私もいい? 私はちゃんと返すから!」
前園が軽井沢をチラチラ見ながら、言った。
軽井沢は自然に気づいたようで、あからさまにイラッとした顔になる。
「は……? ちょっと前園さん。私がお金返さないみたいな顔やめてよ」
「どんな顔よ……返さないのは本当じゃん。軽井沢さんに貸した5000ポイントがあれば、早瀬くんに借りなくても良かったんだからね……迷惑かけてる自覚ある?」
「う゛っ……」
軽井沢は気まずそうに目を伏せた。ホント大丈夫かこの子。色んな人から小銭をつまみ過ぎなんだよ……いや、軽井沢に限った話ではないけども。
「──とりあえず、ポイントの相談があるなら言ってね。全員やばいってことなら、
「は!?」
気配を消していた堀北さんが、素っ頓狂な声をあげる。大丈夫だ勝てばいいんだ。そうすれば全員1万くらいは入ってくるんだし、一時的に貸すことになっても回収できるさ。
がんばれリーダー候補。
俺も一緒に出血するから、がんばろう!
「──よし! それじゃ、僕達は引き続き、須藤君の疑いを晴らすために動くから! 何か言いたいことや聞きたいことがあったら、僕のところに来てくれ! 授業始まっちゃうから、今はここまでにさせて欲しい!」
平田の呼びかけにより、クラスメイト達は一限の準備に取り掛かる。
俺は端末を取り出し、トーク画面に文字を入力。パパっと送信した。
────────◇────────
「女子と会ってきていい?」
「なんで私に聞くのかな? 付き合ってないんだからそこは自由でしょ。お互いに」
俺は少し寂しい気分になった。
本日最後の授業が終わった後、学内にあるコンビニの前で苦笑いを浮かべる。隣にいる千秋ちゃんは、涼しげに微笑んでいた。
「いや、クラスのこと……須藤の件に関係することだし……ついてきたいとかないの?」
「女の子から情報抜くなら、私がいない方がよくない?」
「なんでよ」
「逆ハニトラするつもりなのかなって」
「違います」
この子は俺をなんだと思ってるんだろうか。
やろうとしていることは、たしかに搦め手の類にはなる。でも、異性を弄んでどうこうって話ではないから。
「ほら、早瀬君って女子のストライクゾーンは広めじゃない? だからそうなのかなって」
「ごめんよくわからない。大丈夫だからついてきてよ」
「うーん、遠慮しとく。その代わり、ご飯作っといてあげるよ。それと」
千秋ちゃんはアッサリと拒否して、俺の部屋の鍵を取り出した。合鍵である。俺は作った覚えはないけど、この子はいつの間にか持ってた。
「それと?」
聞き返すと、千秋ちゃんキョロキョロと周りの様子を確認する。近くに人がいないことを確かめてから、こしょこしょっと小声で囁いてきた。
「今日はまな君が枕になってね。私は人形になってあげるから、そっちは動く枕で」
内容がエグい。
吐息はエロい。
俄然、やる気が出た。