松下千秋の余裕 作:中森藤之
俺はクズだ。
蛙の子は蛙って言葉があるが、きっと俺はクズから生まれたクズなんだろう。
水商売してたお袋に捨てられた時、俺は強くなりたいと願った。
清掃員の親父は暗い顔ばかりしていて、なんの頼りにもなりゃしない。
だから、俺は自分のことは自分で決めた。自分がバカなのはわかってたから、勉強を早々に諦めてスポーツの世界に入った。
最初はテニスや卓球、水泳などといった個人競技に手をつけたが、どうにもしっくり来なくて。そつなくはできたが一流にはなれないって、ガキのくせに悟ってた。
そんな俺が出会ったのがバスケ。
チームプレイは好きじゃなかったが、バスケだけは素直に受け入れられた。だから実力が伸びて、全国屈指の強豪からスポーツ推薦を貰えたが……やっぱり俺はクズだった。
暴力事件で推薦は白紙。
自分のクズさを痛感すると共に予感した。将来の夢絵が見えちまった。両親みたいなクソ人間になっている自分の姿が、想像できちまった。
だからこの学校を選んだ。
金がかからず、そして将来まで約束されるっていう夢のような学校を。
「……あいつ、よく平気な顔して来れるよね」
「やめろって、悪いのはCクラスだろ?」
「どうだかな。前園の肩を持つわけじゃねーけど、あいつにも原因はあると思うぜ。普段からイキってて信用ねーから、学校からも色眼鏡で見られるんだよ」
「まあ……
「牧田君はあいつの味方なわけ? あー、平田君に言っちゃおうかな。無理して誰にでも優しくする必要とかないよって」
あっという間に7月になった。
今、ほとんどの奴は俺をクズだと思ってるし、俺自身も同じ思いだ。せっかく回復したポイントが、俺のせいでパーになりかけてるんだ。敵意を向けられても仕方ない。
気に食わねえからって自分勝手な振る舞いをしてきたツケ。自業自得……とか考えが浮かんでくるあたり、俺も相当キてるようだ。誰にどう思われようが知ったこっちゃねえって思ってはずなのに、情けねぇ。
「あっ……お、おはよう須藤君」
「……おう。はえーな佐倉」
「いやぁ、普通だよ……?」
「そうかよ」
「うん……」
「……」
この高校に入ったのは友達を作るためじゃなく、将来のためだ。いけ好かねえ優等生やら金持ちの女子達と仲良くなるためじゃねえ。その他にも合わない奴と馴れ合うなんて御免だった。
思えば、入学した瞬間から俺はイラついていた。クズじゃない奴らが気に食わなかった。つまり俺がクズなのがいけなかったんだって気付いたのは、ここ最近のことだ。
「あ、あの……綾小路君がね、頑張るって」
「なんだよそれ……よくわかんねえし、あの顔で言われてもかえって不安になるぞ」
「た、たしかに……ってちがうちがう! 綾小路君は頼りになるから大丈夫」
「お、おう……そうか。お前、ボソボソじゃなくてもちゃんと喋れるのな」
自分のことが嫌になる。
事件があった日、俺は小宮に呼び出されて特別棟に向かった。そこには石崎もいて、あいつらは俺を挑発しながら殴りかかってきたんだ。
その時、俺は考えた。叩き潰すことはできるが、んなことしたら少なからず面倒事に発展する。たとえ正当防衛だって言っても、なにかしらクラスに迷惑はかけちまうんだろうってな。
わかってた。そのうえで俺はあいつらを返り討ちにして、予想よりも悪い、最悪な結果になっちまった。
「須藤君、大丈夫……ねむれた?」
「ああ……余裕だ」
俺は本当にどうしようもねえ。
今回の件で本格的に嫌になっちまった。
だが、こんな俺でも味方してくれる奴らがいる。
隣の席の佐倉は俺のことが怖いだろうに、喋りかけてくるし。多分、元気づけようとしてくれてるんだろ。
「須藤君。おはよう。もしかして寝不足かしら?」
「おう、堀北……寝不足っつーか、腕立てしてたら眠れなくなったんだよ」
「それを寝不足と言うのよ……綾小路君、やっぱり須藤君はかなり様子がおかしいわ」
「オレからすれば、最近の堀北の方が変だぞ……」
堀北と綾小路が近づいてきた。
周りの空気なんぞ知ったこっちゃと言わんばかりに、普通に話しかけてきやがる。池とか山内は露骨に避けてやがるのによ。
「変? 私はただ、あなたたちの意見を取り入れて、努力をしているにすぎないわ。きっと将来の役に立つと思ったから、今は自己変革に励んでいるの」
「いや、たしかにオレと早瀬はお前に変わるよう働きかけたが、いくらなんでも変わりすぎだ……ぶっちゃけ怖いぞ」
「怖い? 何を言っているの? 冗談は顔だけにして頂戴」
「以前のお前からしたら、今のは毒のうちにも入らないな……」
そういや、堀北にはさっさと退学しろとか言われたことあったな。あの頃はまだチョイチョイ猛毒を吐いてたもんだが、最近は普通の毒になってやがる。その方がいいに決まってるんだが、なんか物足りねえと感じる俺は……やっぱかなりキてるみたいだ。
「須藤君。伝えておきたいことがあるの」
「なんだよ、あらたまって……」
「お昼を一緒に食べる友達がいないのなら、綾小路君を頼るといいわ」
「言われんでも一緒に食ってる……つか、お前もいることが多いだろうが」
堀北は相変わらず偉そうだが、前みたいな不快感はない。喋ってる内容はワケわかんないことが多いが、まあコイツは頭いいしな。勉強できる奴ってのはわけわかんねーことを言うもんだ。
「まあ、あれよ」
「どれだよ」
「どうせ私達が勝つ。だから周りの声なんて無視しておいて構わないわ。それが伝えたかったの。私ではなく綾小路君がね」
「オレも須藤に元気だして欲しいとは思うが、今みたいなことは言ってないぞ」
「今朝、空を見上げていたら……おぼろげに見えてきたの。勝利の女神の微笑みがね」
「堀北、オレと早瀬はポエマーになれとは言ってない。オレたちはただ、ことあるごとにお前を監禁して協調性について教えただけだ」
「今、私はとてもいいことを言ったわ」
「保健室に行くか?」
マジでわけがわかんねえが、俺はこいつらに助けられっぱなしだ。
どうにかして俺自身も頑張りたいもんだが、大したことなんぞできやしねえ。
ほんと、情けねえ話だよ。
────────◇────────
水曜日。
朝のホームルーム後、本日の放課後に審問会が行われるとの連絡があった。
Cクラスとオレたちの主張、どちらが正しいか、そこで判断が下される。場所は生徒会室で、生徒会長も同席するらしい。
「……」
「おい、大丈夫か堀北」
「ええ、大丈夫よ……問題ないわ」
顔引きつってるけど、本当に大丈夫かよ……。
生徒会長は堀北の兄で、堀北は兄に大きなコンプレックスを抱えている。気負って変なことになったりしなきゃいいんだが……激しく不安だ。
「綾小路君、ちょっといい?」
「ああ、どうしたんだ?」
一限の開始を待っていると、人の良さそうな男子に話しかけられる。
「連れションしようぜ」
「なんでだよ……」
「ちょっと見てほしいものがあって。堀北さんは女子だから綾小路君に」
なんだこいつ、まさかティーレックスでも披露しようとでもいうのか?
堀北は……なんか放心しているから、しばらくそっとしておこう。
オレは席を立ち、早瀬と共に廊下へと向かった。
そこまで時間はないから手短に連れションするか、と気合いを入れていると、早瀬はおもむろに立ち止まった。トイレはまだ先だが、どうやら目的はティーレックスではないようだ……いやいや、ちょっとオレはふざけすぎだな。真面目にやろう。
「ここならいいか。手短に言うけど、恐らくAクラスから
「……は?」
早瀬は神妙な顔で言った。
最上位クラスから退学者。なんだそれは。あまりに脈絡がない。寝耳に水でもある。
「でも、須藤君の一件とは切り分けて考えて良さそうだから、先に伝えておきたくて。堀北さんはほら、なんか様子がおかしかったし」
なるほど。知らない状態で後で聞いて、無駄に混乱しないようにってことか。それはわかるが、こいつはどこからそんな情報を入手したんだ? 堀北についてはこいつの判断は正しいと思う。しばらくそっとしておいてやったほうがいい。
「情報源は友達ってことで。須藤君の件も気にしてもらってるけど、正直あんまり期待はできないかな」
「そうか……昨日言ってたやつだな。協力してくれそうな人に会ってくるっていう」
早瀬はうなずいた。
「綾小路君達の手が回らないところで、なにか出来ればと思ってさ」
「それはわかるし有難いが、穏やかじゃないな……いきなり退学ってどういうことだ」
「さあね。そこまでは聞けなかったけど、とりあえず今はそこまで気にしなくていい。って言われた」
「信用できるのか、そいつは」
「少なくともDクラスに恨みとかはないし、今は敵ではないから大丈夫だと思うよ。単に後から聞かれるのが面倒だから、先に教えてくれただけだと思う」
ここまでしか話せないから、気になったとしても諦めろ。そうやって釘を刺されたようだ。
「話はこれだけ。戻ろうか」
「ああ。そうだ早瀬、お前は審問会には来ないのか?」
教室に引き返しながら、本日のこいつの予定を確認する。昨日の時点では引き続き単独行動すると言っていたが、やはり審問会には来ないのだろうか?
「こちらの出せる証拠は限られてるし、大した進展があるとも思えない。いるだけなら時間の無駄だし、別のことをするよ」
「そうか。まあ、ぞろぞろと人数ばかり増やしても仕方ないからな」
「そうそう。団体戦で殴り合うわけじゃないんだし」
そのたとえはよくわからないが、大した進展がなさそうっていうのは間違いないな。
オレは小さく息を吐いた。
オレの予想が当たっていれば、今日の審問会は恐らく──。
「そういや一之瀬さんだっけ。Bクラスからは何か聞けた? って、聞けたなら共有してくれてるか」
「ああ。その件についてはこれからだ」
Bクラスの一之瀬帆波と友人達は、昨日約束してくれた。オレ達Dクラスに協力してくれると。
一之瀬の善意というのもあるだろうが、それよりもCクラスを突き放したいってのが大きいんだろう。どうやらオレ達の知らないところで、Cクラスと何度かトラブルになってたみたいだ。これから先の順位争いも含めて、オレ達に協力しようと思ったってとこか。
「早瀬は次は何をするんだ?」
「いらないかもしれないけど、綾小路君達の保険を作っておくつもり。不要になったらその時はその時。できることはやっておくさ」
何をするか具体的には聞かなかったが、視野の広いこいつのことだ。堀北や平田の後押しをうまいことやってくれるだろう。保険とやらは早瀬に任せて、オレは引き続き堀北の助手でいよう。
────────◇────────
チャイムの音が放課後を告げる。
オレと堀北は席を立った。教室後方のドアへと真っ直ぐに向かい、そこで須藤、佐倉と合流する。
「それじゃ、行くか。大丈夫か須藤」
「ああ……俺は大丈夫だが、堀北の様子がおかしいぞ」
「私は平気よ──そうでなければならない」
堀北は腕を組んで精神統一を始めた。兄の前で戦うのが余程緊張するらしい。
「堀北、お前には最初の頃は散々バカにされてたけどよ、今は感謝してるんだ。もし上手くいかなくてもキレたりしねえから、そんな気負わないでくれ。俺まで不安になる」
「勝手にしなひゃい」
「……」
堀北が噛んだ。須藤は押し黙って、何とも言えない顔でオレを見てくる。
佐倉が顔を背けて笑いを堪える中、平田達が近づいてきた。
「みんな、頑張ってね。僕達は一之瀬さん達と合流しようと思ってる。何かわかったらすぐ、審問会に乗り込むから」
平田はそうは言っているが、表情は冴えない。Bクラスの人脈を使って聞き込みをしてもらってはいるが、今のところ成果なしだ。厳しい状況なのは重々承知しているのだろう。
「堀北さん、頑張ってね。私、応援してるよっ。堀北さんは優秀だから、きっと大丈夫だよっ」
「! え、ええ……手を離して、櫛田さん」
櫛田が自分の手を堀北の手に重ね、優しく包み込んだ。堀北は我に返り、さっと櫛田から距離を取る。
「じゃ、じゃあ、しゅっぱーつ!」
「元気だな、佐倉」
「うぅ……空元気だよ」
佐倉の号令で教室を出る。
話し合いは4時から行われる。
時刻は既に3時50分を回った。もうそこまで時間はない。
オレ達はまずは職員室へと移動し、茶柱先生の姿を探すことに。ドアを開けて中に入ると、手を振って迎え入れてくれる先生がいた。
「やっほ〜。Dクラスの皆さんおつかれ〜!」
男子生徒から大人気の女教師、Bクラス担任の
見るからに気弱そうな少女で、髪型は冴えない三つ編み。眼鏡とマスクを装備している。昨日はほとんど喋っていなかった。
「……」
「一之瀬さん達から聞いたよ〜! なんかすごいことになってるんだってね」
星之宮先生は完全に他人事で、楽しそうに目を輝かせている。
「よかったらわたしも手伝って」
「おい、野次馬はやめろ」
「うわ佐枝ちゃん」
茶柱先生が睨みつけながら職員室に入ってくる。
「おまえが絡むとろくなことがない。この件は全く関係ないんだからやめてくれ」
「関係なくはないよ〜、一之瀬さん達が協力してあげるわけだし? だから私も審問会に参加しちゃ」
「ダメに決まってるだろ。部外者の参加は認められていない──行くぞお前たち」
茶柱先生は星之宮先生を追い払い、オレ達を先導して職員室を出る。
廊下を歩き始めて間もなく、足を止めて堀北を見た。
「逃げ出すかと思ったぞ、堀北」
須藤と佐倉は事情がわからず、頭にハテナマークを浮かべていた。
この先生は毎度毎度、挑発的なことを言わなきゃ死ぬ病気にでもかかっているのか?
「逃げるわけがありません。こちらは既に、徹底抗戦の構えですから」
堀北は平手でオレの背中をぶっ叩く。アレ、音のわりに痛みがあんまりないぞ?
「なにするんだよ」
「闘魂注入の儀式よ」
「お前はアントニオ猪木か」
軽口を叩きながら、階段を3つ上がる。
職員室がある棟の4階。オレ達は『生徒会室』と書かれたプレートがかかった部屋を、ノックした。
すぐに中に足を踏み入れると、部屋の中には長方形を作っている長机。先に到着していたCクラスの生徒達が一斉にこちらを向く。
人数は
彼らの横には坂上先生の姿もあった。
「来ましたか。念のために確認なのですが、本当にこのまま始めてもいいんですね?」
「ええ、構いません」
茶柱先生ではなく堀北が答える。しかし堀北の目は坂上先生ではなく、部屋の奥に座る男子生徒に向けられていた。
「このまま始めます」
堀北が声を飛ばす先、鋭い目付きの男子生徒の名は、
堀北は表情を消して、Cクラスの生徒たちの前に腰を下ろした。
「ではこれより、先日発生した暴力事件について。生徒会及び事件の関係者、担任の先生を交えて審問会を執り行います。進行は、私、生徒会書記の
ショートカットの女性、橘書記が軽く会釈をする。
直後、茶柱先生が小さな笑い声を漏らした。
「この程度の揉め事、橘だけかと思ったんだかな。生徒会長まで同席するとは思わなかったぞ」
「日々多忙ゆえ、参加を見送らせていただく議論はありますが、私の理想は原則参加です。そして、本日は参加可能だったためここにいる。それだけのことです」
堀北兄が淡々と答える。今度は顔が上がっていた。
「あくまでも偶然か。まあいいだろう。それでは始めましょうか坂上先生。まずは概要の振り返りから──っと、その前にうちの生徒から聞きたいことがあるようです」
茶柱先生は笑みを浮かべたまま堀北を、次に俺をちらりと見た。よし、喋れ堀北。とりあえず聞かなきゃいけないことがあるだろう。
「……ええ。おかしいですね。坂上先生、もしや彼は、目撃者かなにかでしょうか?」
須藤にぶちのめされたのは小宮と石崎の2名だ。しかし、オレたちの目の前には3人目が座っている。
「ええ、
堀北が肩を揺らし、須藤が目を見開く。佐倉以外にも目撃者いたという新事実。もしそれが本当なら、オレたちにとって有利な話のわけがない。
「彼は近藤君。須藤君はご存知だと思いますが、バスケットボールの部員です。我々は目撃者として近藤君を同席させることにしました。証言内容については後ほど。まずは事件の概要共有をお願いします、橘さん」
「ええ、それでは──」
橘書記がホワイトボード前に立ち、口と手を同時に動かし始める。
「事件の発生は6月末日の夜。須藤君が小宮君と石崎君に暴行を加えた、という報告が後日Cクラスからありました。補足しておくと、
説明を終えた橘書記は着席し、まずはCクラスへと視線を向ける。
「小宮くんは須藤くんに呼び出されて特別棟に行った。その際、暴力を振るわれる可能性を考え、友人の石崎くんに同行してもらった。よろしいですね?」
Cクラスの面々が頷き、橘書記の顔がオレたちに向く。
「彼らの主張は本当ですか?」
「嘘だ。呼び出されたのは俺だ。さっさと帰りてぇのにだりーなと思いながら特別棟に行ったよ」
須藤が間髪入れずに否定する。
「では、須藤君にお聞きします。事実はどのようなものだったのでしょうか」
「俺はあの日、部活の練習後に小宮に呼び出された。そしたら石崎もいて、2人がかりで殴りかかってきたんだよ」
事実のみを述べる須藤に、堀北は俯き気味で首を縦に振る。Cクラス側は顔をしかめている。
「それが嘘です。呼び出されたのは僕たちの側だ」
「ふざけんな小宮。てめえが俺を呼び出したんだろーが。いつもいつも鬱陶しいと思ってたから、わざわざ出向いてやったっつーのに……」
「身に覚えがありません。それにいちいち威嚇してくるとか、どう見ても悪いのは向こうだとは思いませんか、橘さん。彼はいつもそうなんです。だから呼び出された時、僕は石崎君に助けを求めた」
須藤は苛立って机を叩く。一瞬訪れた静寂の後、堀北が「須藤君」と声をかけた。
「申し訳ありません、橘さん。ですが、尊厳を傷つけられているのはこちらの方。でもね須藤君、ここは冷静にいきましょう。橘さんも生徒会長も、あなたがどんな人間なのかは知らないの。だから、いたずらにみっともない姿を見せてはダメ」
誤解されてしまう。
堀北はそう言って、橘書記に頭を下げた。どうやら隣でブチ切れてる奴を見て、自分は冷静になったようだ。よし。これで脇腹をこちょこちょする必要はなくなったな。
須藤は「…………悪い」と小声で呟く。本当に反省しているようだ。素直で何よりだが、こいつらキャラが丸くなりすぎじゃないか? いいことなのは間違いないが、入学直後を思い返すと違和感がすごい。
「……心象は関係ない。この場で大切なのは、あくまで事実だ。鈴音、それはわかっているんだろう?」
と、ここではじめて生徒会長が妹の顔を見た。今のやり取り、何か感じるものがあったのかもしれない。
「もちろんです、にいさ──生徒会長」
「なら続けろ。橘書記、よろしく頼む」
「はい。では──依然として、双方共に主張は食い違っています。ですが、共通していることもあるようですね。普段から険悪だった。それは間違いないですか?」
「険悪というか、須藤君が一方的に絡んでくるんです……僕は別に、須藤君のことなんでどうでもいいのに」
「絡むとは?」
「彼は僕、あとは近藤よりもバスケットボールが上手いので、その自慢をしてくるんです。それだけならまだしも、下手くそはやめろとか、やる気がないならやめちまえとか……僕も言われっぱなしは嫌なので、言い返すこともありました」
部活中の話はわからないが、須藤のバツの悪そうな顔を見ると本当のことみたいだな。
橘書記は次に須藤の方を向いた。
「どうですか、須藤君」
「下手くそだからやめろとは言ってねえよ……ただ、キツイ練習はサボることばっか考えてて、練習中なのに女子がどうとか喋ってるし、そんなタラタラした気分でやるならやめちまえとは言った」
「なるほど。伝え方に問題はあるとはいえ、須藤君の考えも間違ってはいませんね」
須藤はやはり事実だけを述べたようだ。橘書記は一定の理解を示しつつも、何故か、どこか残念そうな表情で首を横に振った。
「やはり、事件についての主張は平行線。こうなってしまっては、今ある証拠で判断せざるを得ません」
「僕は須藤君にめちゃくちゃに殴られました。石崎君は僕を助けてくれようとしましたが、歯が立たずにやられてしまったんです」
「ふざけんな……先に襲ってきたのはそっちだろ。俺を嵌めて、追放でもするつもりかよ」
須藤は今度は冷静に、声を荒らげることも机を叩くこともしなかった。
「僕はプレイヤーとしては彼を尊敬しているんです。だから、正々堂々と勝負したいと思っていました。裏切ったのは彼の方です」
小宮は悔しそうに須藤を睨む。自分は真摯にバスケットボールと向き合っていた、そういう姿勢を言外に伝えようとしているように見える。
「……Dクラス、なにか反論はありますか?」
「ええ。私から申し上げます」
「どうぞ、堀北さん」
「まず、この場で大切なのは事実です。小宮君が真摯にバスケットボールを頑張っていたとして、それは今は関係ありません」
「ええ、もちろんです」
「次に、我々にも証言者がいます。佐倉さんが喧嘩の一部始終を見ていました」
堀北が視線を送ると、佐倉はゴクリと息を飲む。
息遣いが荒くなっているのが音でわかる。佐倉は元々、人前で話すのが不得手だ。ましてこの状況なのだから追い詰められるのは当然のこと。
だが、
「!」
「大丈夫だ。喋れなくなったらフォローはする。隣にはオレがいるんだから、安心しろ」
友達だろう、信用しろ。と伝えると、佐倉は意を決したようにうなずいた。
「私はたしかに見ました……先に手を出したのは、Cクラスの生徒です。須藤君はむしろ、彼らを、なだめようとしているように見えました。きっと、わかっていたんだと思います……」
「わかっていたとは、何をですか?」
「手を出すのはよくない。自分にも不利益があって、周りにも迷惑がかかる……でも、黙って殴られることはできなかった、仕方なかったんだと思う……きっと、そういうことなんです!」
佐倉は声を張った。多分、オレが聞いた中で一番大きな声だ。こんな大きな声、出せたんだな。
須藤は目を見張っている。単純に驚いているのはそうだろうが、まさかこんな理解のされ方をするとは思っていなかったんだろう。今回の件があるまで、ほとんど交流なかったからな。席は隣なのに。
「なるほど。必死に仲間を庇う心意気は見事です。ああ、橘書記。本来、教師はあまり口を挟むべきではなありませんが、それでも聞きたいことがある。いいですか?」
堀北が力強く頷いた直後、坂上が静かな、しかし圧のある声を発した。
「どうぞ、坂上先生」
「ありがとう。では佐倉君。それならそれで、どうしてすぐに名乗り出なかったんですか? 本当に見たのなら、すぐに言い出すべきでした」
先日と同じ追求。
佐倉は須藤と同じく事実を述べる。
「それは、怖かったからです……須藤君とは、今まではあまり喋ったことがなくて、っ、それもあって、巻き込まれたくないと、他人事のように思ってしまいました。でも、それはダメだって、思い直したんです」
決死の告白。しかし坂上の顔色は変わらない。
「そうですか。今回の一件で君は成長したということですか。なるほどなるほど。とてもいい話です。ですが、そういうことなら困りましたね。こちらにも君と同じように、成長し、告白することを選んだ者がいるのですよ」
坂上は近藤に視線を向けた。佐倉に次ぐ目撃者だという男子生徒だ。
「近藤君」
「はい。俺も、佐倉さんと同じで一部始終を見ていました。もちろん、証拠もあります。写真です。佐倉さんとは違って、俺がそこにいた証明です」
近藤は一枚の写真を机の上に置いて、軽く前にスライドさせた。橘書記が確認に向かい、写真を持ってオレたちの方に歩いてくる。
堀北の目が、ほんの少し細められた。まさか向こうも写真を用意しているとは。さすがに予想していなかったはずだ。
「……須藤君が一方的に殴っていますね。Dクラスの皆さん、確認を」
写真に収められていたのは、須藤が小宮を殴り倒し、石崎がそれを止めようとしている構図。
この写真だけで須藤が嘘をついていると決められることはないはずだが、近藤本人が述べた通り、本当にその場にいたという証拠にはなる。こうなったらこちらも、佐倉の写真を出すしかない。
「──なるほど。承知しました。では、こちらも写真を提出します」
堀北も写真を差し出す。須藤が2人を殴り飛ばしているシーンだ。坂上の顔が僅かに曇る。これで近藤と佐倉の立場はイーブン。
しかし、最も重要な部分は決着つかず。
どちらから先に手を出したかの証明は、お互いにできなかったということになる。
「わかりました。佐倉さんもその場にいた。これで証明できましたね。しかし、これではどちらから仕掛けたのかの判断がつきません。そして、呼び出したのがどちらであるのかも」
橘書記は全員を見渡す。
オレは堀北に目配せをする。堀北は小さくうなずいてみせた。事前に話したことを、忘れていないなら安心だ。ここで
一瞬の静寂が流れた後、口を開いたのは坂上だった。
「正直、私は須藤君が嘘をついていると思っています」
「坂上先生、聞き捨てなりません。根拠を教えてください」
堀北がすかさず反応する。
声は震えていない。大丈夫だ。
「聞いていますよ、須藤君は非常に喧嘩っ早く、思ったことをすぐ口にしてしまう直情的な生徒だと。あまりに成績が振るわず、危うく退学になってしまうところだったとも。その時は堀北さん、随分君とも揉めたようですね。胸ぐらを掴まれたこともあったようだ」
「それは今は関係ありません」
そうだ。関係ない。だが、場の空気が須藤にとってより不利になったのはたしかだ。
決定打がない以上、今の感情に訴えるやり方は有効だ。坂上が語ったことは全て事実。最近は改善されてきているとはいえ、入学した直後は実際にそういう状態だった。成績に関してはほぼ変わってない。
「ええ、この場では事実がもっとも大切ですからね。ですがその事実を決定する決め手がない。これではいつまで経っても平行線です。
坂上は堀北から視線を移動させ、茶柱先生を見た。
「ふむ。正論ですね。それで、落としどころとは?」
「茶柱先生、喧嘩両成敗ですよ。ですが、結果として一方的に負傷させられたのはこちらです。須藤君はほぼ無傷で、小宮君と石崎君は顔に怪我を負わされ、体にはアザもできています」
事実だ。
小宮と石崎はシャツをめくり、青、あるいは赤くなった箇所に指をさした。対して須藤は目立つ怪我は全くない。
「ですから、小宮君と石崎君は停学1週間。須藤君は2週間。これでどうです? 妥当……いえ、かなり甘い措置だと思いますが、どうやら須藤君も反省しているようですし、我々はそれで手を打ちます」
幕引きにしましょう──坂上はそう告げた。
生徒会長は黙って耳を傾けている。
恐らくこちらが全面的に悪いとなれば、須藤の停学は1ヶ月以上。それが半分以下で済む上、Cクラスにも少なからず責任があるという形にできる。
悪い条件じゃないと思う。堀北もそれはわかっているはずだ。
「ふざけんな! それじゃ結局、俺が一番悪いってことになるじゃねえか! 冗談じゃ──」
「──須藤君。少し黙っていなさい」
「ほ、堀北!?」
立ち上がろうとした須藤の肩を、堀北が掴んで、力任せに座らせる。
入れ替わるようにして堀北が立ち上がった。
「言ったはずです。須藤君は尊厳を傷つけられている。このまま引き下がるわけにはいかない。そんな
そして、言い切った。
Cクラスの生徒達は堀北を睨む。
坂上が理解できないと言わんばかりの顔に変わる。
生徒会長は顔色ひとつ変えず、妹の姿をじっと見ていた。
「生徒会長はおっしゃいました。この場で大切なのは事実であると。私もその意見に完全に同意します。そして、だからこそ、私達は譲りません」
「はは……何を言っているんだ。その事実が明らかにできないのだから、私は次の最善手を提案しているんだよ?」
「最善手は事実を明らかにすることです。坂上先生、ご理解いただけないのなら、何度でも同じことをお話しますよ?」
堀北は一歩も引き下がらない。
それどころか笑みすら浮かべ、真っ向から坂上に圧をかけている。これがオレと早瀬が行った平和的話し合い、もとい詰問地獄の成果か。
そのうち使えるようになりそうだとは考えていたが、こんなに早く成長するとは思わなかった。きっと早瀬が見たら喜ぶだろう。
「私達は須藤君の完全無罪を主張します。付け加えるなら、これはCクラス側によって引き起こされた意図的な事件だと考えています。よって、そちらの提案を受け入れることはできません」
「な、何を言うかと思えば……意図的な事件? おかしなことを言うものです……どうやら生徒会長の妹は、正真正銘のDクラス。学校側の判断は間違っていなかったようですね?」
優秀なものと出来損ないを見比べるように、坂上は生徒会長と妹を交互に見た。
堀北は……揺れない。いや、折れてしまいそうなほど拳を握りしめているが、我慢している。
「……生徒会長、オレ達の考えは堀北が全て話してくれました。生徒会長はどうですか?」
こんなことをするつもりはなかったが、オレは口を挟んだ。考えるよりも先、自然に口が動く、経験したことがない不思議な感覚だった。
「どう、と聞かれても抽象的で、どう答えればいいのかわからないな。だが、お前達の想いは理解した。そして、どちらかが極めて悪質な嘘をついている、ということがわかった」
生徒会長は鋭い眼光で部屋の中を一瞥し、次に坂上に、茶柱に、順番に視線を送った。
「明日、同じ時間、同じ場所。再度話し合いの場を設けます。そうすべきであると、生徒会長として判断しました。鈴音、綾小路、そしてCクラスの面々も。事実だというなら証明しろ」
重々しい声が継戦の確定を告げる。
残された時間は約1日。こうして啖呵を切ったのなら、もう勝つしかない。このしょうもない勝負に全力で挑み、勝ち切るしか──。
────────◇────────
感極まった須藤が堀北に抱きつこうとしてビンタされ、かなりヤバい音が鳴った。
審問会終了後、オレ達は今、3階の音楽室付近にいる。踊り場に続く通路上で、Bクラスの
吹奏楽部が奏でている名曲、パッヘルベルのカノンが、オレたちの耳をくすぐる。
「イテテ……堀北、ぶつことはねえだろ!?」
「二度と私に近づかないで」
「謝ってるじゃねえか!」
「謝って済むならこの世は痴漢天国ね。半径400キロ以内に近づかないで。さあ、早く出発しなさい」
「もはやどこまで行けばいいのかわかんねえよ!」
やはり、堀北にしては優しい罵倒だ。須藤は全く怒っていないが、代わりに頭を抱えていた。
そんなDクラスを観察しながら、クスクス笑っているのは一之瀬だ。両隣を固めているのは
「噂とは違って仲がいいね。もっと険悪だって聞いてたけど」
「最近かなり改善したんだ。それで一之瀬、やっぱり目撃者は見つからないんだな?」
「うん、ごめんね。時間が遅かったのもあって、難しそう。それにしても驚いたよ。坂上先生の提案を蹴っちゃうなんて」
一之瀬は豊かな何かの上で腕を組んで、感心した顔でオレを見る。これはいかんな。誰かさんが一之瀬に似てる女優を教えてくれたおかげで、もはやその女優にしか見えない。むっちりとしていて、真面目で明るいキャラが売りで、やはり似ている。どうしたもんか。
「あくまで無罪を主張するんだね?」
「ああ。向こうにとっては須藤を停学にした時点で勝ちみたいなもんだからな」
「それだけではないわ。これは尊厳を守るための戦いでもあるのよ、綾小路君」
堀北……なんかやたらと尊厳、尊厳って連呼してるけど、まさか気に入ったのか? まあ、響きはカッコイイしな。正義の味方っぽい。
「俺には綺麗事に聞こえるな」
そう言ったのは神崎だ。彼は納得がいかないようで、堀北に懐疑的な目を向ける。
「相手を殴ったのは事実だ。そして、お前達に有利に働く材料は今のところ出てきていない。相手の気が変わらないうちに妥協し、傷を少なくするべきだったと思うが」
「それも考え方のひとつね。でもね神崎君、あなた、同じことが言える? 仲の良い一之瀬さんが須藤君と同じ立場だったとして、やってもいないことを認めろと言えるのかしら?」
「……俺が言うまでもなく、頭の良い一之瀬ならそうするだろう。その場でリスクとリターンの計算くらい、一之瀬からすれば簡単だ」
堀北の反論に神崎は言葉を濁し、一之瀬は苦笑いで2人を見ていた。なるほど。神崎はリアリストなタイプなんだな。
一之瀬に頼まれてかなり精力的に動いてくれたみたいだし、こいつにとっては既に乗りかかった船。アホなことをされたら物申したくなるのも頷ける。
「……今日と同じ条件で向こうが折れてくるとは限らない。そうなった場合は、お前ら……より厳しい条件で負けることになるぞ」
神崎の意見は間違っていない。
だが、堀北の主張は正解だ。なぜならオレ達は勝てるからだ。
「たしかに、今持っている材料で再度話し合ったところで負けは必至。状況は悪くなることはあっても良くなることはない」
「そう思うなら、お前が堀北を止めるべきだったんじゃないのか?」
「それでも戦うことを選んだのは、もしかしなくても勝算があるからかにゃー?」
一之瀬がおどけた様子で顔を覗き込んでくる。オレは女優を連想するのは一旦やめて、ちらりと堀北の顔に視線を送った。
「勝算は
負けたら、オレ達の席は教室から消えているかもしれないな。真面目に迫害されそうだ。
「なるほどねー。まあ、そういうことなら私達もギリギリまで探してみるよ。新たな目撃者を。Cクラスには意趣返ししておきたいし、もっともっと引き離してもおきたい。だから頑張ろっか、みんな」
「……まあ、一之瀬がそう言うなら」
「もちろん、帆波ちゃんに従います!」
「わたしも、一之瀬さんについていく……よ」
一之瀬は善人なうえにコミュニケーション能力が高く、しかも容姿も抜群に良い。人望があるのは当然のことだろう。
Bクラスの面々は従う意向を口にした。
その後はこれで解散という流れになりかけたが、オレ達から伝えたいことがあったので、もう少しだけ廊下にとどまる。
「ちょっと聞いて欲しいんだけど、私達は少し考えていることがあって、一之瀬さん達の見解を──」
そして、堀北が本題に入ろうとした時、足音が聞こえた。
「──お前ら、Bクラスの連中……何コソコソやってんだよ、一之瀬。
聞き覚えのある男子の声。曲がり角から姿を現したのは、Cクラスの新たな目撃者、近藤だった。
隣には小宮がいる。石崎はいない。近藤はオレたちDクラスではなく、一之瀬を睨みつけている。
「えっと……誰だっけ? お話したことあったかな?」
「ないけど、お前は有名だからな。はぁ……正義の味方ぶりやがって。セイレンケッパクっていうの? なーんか胡散臭いんだよなお前」
「だな。なあ近藤、思ったんだけど、そういう奴ほど
「あー、エロい体してるしな。中学自体はヤリまくってたとかありそうだわ」
あまりに突然かつ理不尽な罵倒。
一之瀬の顔が影を帯びる。わけもわからないままビッチ呼ばわりされて、困惑しない奴なんていないだろう。こいつら、何しに来たんだ?
「──おい。お前らいい加減にしろよ。一之瀬に何か恨みでもあるのか。だとしてもいきなりこんな」
神崎が間に割って入り、小宮と近藤を睨みつけた。
「いきなりはてめぇらだろBクラス。嘘つきのDクラスに肩入れしてんじゃねえよ。迷惑なんだよ、テメェらみたいに気色の悪いイイ子ちゃんは」
「近藤、お前らが潔白だって言うんなら、どっしり構えてればいいだろ。何が迷惑なのか、俺には理解できない」
すぐに一触即発の雰囲気が生まれる中、白波とメガネ女子は戸惑いの色を隠せない。
「黙れ一之瀬の
「なんだと? 全く意味がわからないな……もう一度言ってみろ」
「聞こえなかったか? それとも理解できるアタマがないのか? ビッチに媚びて恥ずかしくねーのかよ、って言ったんだよ!」
「……おい、言っていいことと悪いことの区別もつかないか? ちょっと黙れ」
神崎の顔が震え出す。紅潮。
そして近藤はせせら笑った。
「ハハッ。ヤリマンの手下とか恥ずかしくねーの。まさか毎晩
「近藤、お前──」
堀北が「待ちなさい」と言った。オレはどう考えてもおかしいと思った。一之瀬も咄嗟に止めようとしたが、神崎は右腕を小宮に向かって伸ばしてしまった。
「──どこ殴ってんだよ、ノロマ」
「近藤、待て!」
神崎の右手は空を切った。小宮はオレ達に背を向け、一直線に階段へと。
音楽室とは反対方向。パッヘルベルのカノンが細かい音符を奏で、小さく、小さくなっていく。
けたたましい足音が響く。素早く気持ちを切り替えた一之瀬が神崎の背中に向かって叫ぶ。
「神崎君、ダメ! そんなくだらない挑発に乗っちゃ──」
「──神崎、やめろ!」
嫌な予感がする。オレは一之瀬の声に被せて、神崎に警告した。
二人の背中が見えなくなる。オレと一之瀬、堀北達の足が止まった。先回りしていた小宮が消化器を手に取り、立ち塞がったのだ。
「そんな大人数で追いかけ回すとか、お前らって本当に卑怯者だな。あぁ!?」
「どいて、小宮君!」
「小宮、何が狙いだ」
オレたちの足は止まった。しかし、足をもつれさせたヤツがひとり。素朴な三つ編み女子が顔面から床に滑り込み、小宮の壁をくぐり抜けていた。
「!
「ひゃ、ひゃい! わかったよ一之瀬さん」
まるで運動神経を感じさせない鈍足で、蛇行しながら神崎が向かった方向、上り階段へと向かう。
カノン進行が遠くに聞こえる。小宮がオレたちに向かって叫ぶ。
「──お前ら、鬱陶しいんだよ! こっち見るんじゃねえっ!」
もういい。
どういうつもりかは知らないが、強行突破させてもらう。オレはゆっくりと前進し、後ずさる小宮に向かって手を伸ばした。
「ぎぃゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
音楽室の扉が開いたのか、カノンの旋律が大きくなった。ほとんど同時に、断末魔を思わせる声が校舎の中を駆け抜ける。
「えっ?」
オレの後ろで一之瀬が硬直する。堀北や須藤達も一様に動きを止める中、踊り場に何か、いや誰かが転がり落ちてきた。
勢い良くバウンドした人体は、壁に激突してようやく止まる。
美しい旋律が場違いに聞こえてくる中、泡を食った様子で、三つ編みマスクの女子が飛び出してきた。
「いっ、一之瀬さんっ! たたたっ……たいへっ、大変!
ぐったりとした近藤が抱き起こされるも、反応がない。我に返ったオレ達が激しい足音を鳴らす後方、カノンの旋律がようやく終わった。
────────◇────────
「──まあ、そうだね。私は殴り合いの現場は見ていないけど、その3人が向かうところは目撃したよ。ちゃんと写真撮っとけーとか言ってたかな」
ショッピングモール内にある、あまり人気のない飲食店。メニューが極端に少ないやる気のないお店で、私は先輩女子をじっと見ていた。
向かいの席に1人で座っている彼女は、顔は童顔気味で可愛い系。レベル高め。ものすごくスレンダーではないけど、私よりも男子に受けそうな体型だ。
「でも、証言してあげる義理はないなぁ。私は正義感に溢れてはいないしね。それに、この学校は厳しいところだって、そろそろ気づいてきたでしょう? だったらタダで助けてもらえるなんて、思ってないよね君達も」
ちょっとシワになってるワイシャツの位置を直したあと、先輩は手を伸ばしてきた。私じゃなくてまな君に。綺麗な指でするすると鼻の先っぽを撫でて、なんか誘惑してるみたいに見える。
「私、そんなに優しい女じゃないよ?」
「それはどうですかね。あなたは珍しく普通に優しい人だって、2年の先輩はみんな言ってましたよ。ああ、
えっ名前呼び?
私は瞬きを数回。待って待って、いつから知り合いなのこの2人。
目の前の美人は
2年Aクラスの女子だ。あざといヒマワリの髪飾りをつけてる、雰囲気からしてあざとい人。あざとい言い過ぎだな私、おちつけ。
「その褒め言葉は昨日も聞いたよ。で? 彼女連れてお姉さんを口説きに来たのかな? どんな神経してるのかな〜、面白い子だね」
「ははは、そう言われることは多いですけど、付き合ってないんですよ」
そっちを否定するんかい。この人はほんと、前触れもなくすっとぼけるから困る。否定するなら口説いて云々ってほうでしょ。常識的に。
2人で会いに行った方が協力して貰えそうだって言うから来てみたら、なにこれ? なんか仲良さそうだし、私は帰っていいかな?
「千秋ちゃん、なずな先輩を口説き落とせば証拠が手に入るから、頑張ろう」
「それはいいけど、カルマ値が上がってることは自覚してね」
「カルマ値ってなに?」
「カルマ値はカルマ値だよ。そんなこともわからないの?」
まな君は他クラス(主にA)クラスだけじゃなく、上級生にも接触して情報集めてたみたい。それで辿り着いたのがこの人。
昨日は時間ないって逃げられたから、改めて約束を取り付けたんだって。ちなみに昨日が初対面だったらしいよ。すごい距離感の詰め方だね。もしかして相性良いんじゃないかな? よかったね綺麗でえっちな先輩と仲良くなれて。
「で、何を話すつもり? 先に言っておくけど、泣き落としとかはやめてね。そんなことされても困るだけだから」
先輩は身を乗り出すのをやめて、今度はソファーに背中を預けた。鼻触りすぎじゃない? でも、これはこれで胸が強調されててあざといな。なんなんだろうこの人、天然を作るタイプ?
「なずなさんのお眼鏡にかなえば、協力してくれるんだよね?」
「うん、たしかに私はそう言ったね」
そういう話だったそうだよ。そのためにまな君と一緒に色々調べたり分析したりして、それは楽しかったけど、今は微妙な気持ちだよ。
いいんだけどね。付き合ってるわけじゃないんだし、誰に体を触られようとも。
「お眼鏡にかなうかどうかはわからないですけど、とりあえず考えてきたことを話します。堅苦しい感じじゃなくて、雑談みたいにしましょう。2年生のこと、俺達なりに色々と考えてきたんで」
まあ、限られた時間と少ない情報の中ですが、とか頭の良さそうな顔で言ってる。
待ってちょっとカッコつけてない? なんか思ってた展開と違ってて、私は帰りたくなった。本当に帰ったりはしないけどね。ちゃんと認めてもらうためのお手伝いをしなきゃだし。
「ほー、いいね。じゃあさ、単刀直入に2年生のことどう思う?」
「俺の意見は生ぬるいって言われたんで、千秋ちゃんの考えでいいですか?」
「生ぬるい? まあ別にどっちでもいいけど、言ってみてよ松下さん」
お、発言が求められている。
それじゃ手短にお伝えしちゃおうかな。
今の2年生の勢力図をフワッと調べて、私が抱いた感想は、これだ!
「まずは、南雲副会長を
「ふぁっ!?」
あっちゃー、と困った笑顔を浮かべてみる。
朝比奈先輩は喉からブスな声を出した。やったね、掴みは完璧だよ。私は歓喜した。でも、伝えた内容はウケ狙いじゃなくて本気なやつ。
2年を牛耳っている南雲生徒会副会長は、女の子をモノ扱いしてお古を取り巻きに配る人なんだって。しかも恐怖政治らしくて、全体としての活性化を阻害してる感もあるから、多分デメリットの方が多い。ほら、いくら優秀な人が1人いても、その人の毒で周りが死にかけてたらダメだからね。
「独裁、ハーレム、気に食わない相手をとことん追い込んで排除するという暴君。長い歴史の中で、そういう人の王国はろくな最期を迎えてません。理由は他にも色々とありますが、どんなに優秀だとしても、追放でいいんじゃないでしょうか、っていうのが私の第一印象です。先輩はどう思いますか?」
「コメントに困る! スッゴイ的を得てるけど困るよ! ねえ君の彼女大丈夫!? とってもおしとやかな見た目なのに言ってること怖いよ!?」
先輩は焦っているけど、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。だってこの人、私のパーツはもれなく全部大好きだし。
「そうですね……ちょっと言い過ぎかも」
あれっちょっと引いてる?
おかしいな。私は彼のカルマ値を引き上げつつ、後で意地悪してやろうと思った。