1m強の狼がこちらに噛み付こうと猛然と迫りくる。
ナイトは剣を構え、冷静に狼の攻めに対処する。噛みついてきた所を剣で受け、押し返した後、剣の腹で狼を打ち据える。
打撃の衝撃で狼は体勢を崩し、その距離は大きく開いた。
「スイッチ!!」
合図よりも早く、後ろに控えていたユウキは前に躍り出てソードスキル《スラント》を発動する。
システムアシストによって放たれた斬撃は狼を的確に捉え、その身体をポリゴン片へと変えて消滅した。
突然、奇妙なファンファーレが鳴り響き、二人の体を金色のライトエフェクトが包み込む。
「今のなんだったの?」
「……レベルが上がっただけだな。傍から見ると変な感じするけど」
初めての事態に戸惑ったが、開かれたウィンドウを見て胸を撫で下ろした。
目の前に開かれたウィンドウには「レベル2に上がりました」と記されていた。タップすると筋力と敏捷、二つのステータスの振り分け画面になる。
「そうだったんだ、レベルアップおめでとう!!」
「ユウキもおめでとう。さて――」
ナイトは少し考えて、ステータスを筋力寄りに振り分けてメニューを閉じる。
ユウキは唸りながらウインドウと睨めっこをしている。だがすぐに「よしっ」と軽快にウインドウを操作する。心が決まった後のユウキは晴れやかな笑顔を浮かべる。
これからどうしようか、と声を掛けようとした所に再び音が響いてウィンドウが開いた。今度は規則正しい電子音――設定していた時刻アラームだった。
「17時か。さすがに一度落ちないといけない時間だな」
現実と時間がリンクしたSAO内も夕日が眩いくらいに輝いている。
あと1時間もすれば日が暮れ、夜の帳が落ちるだろう。
「ナイト、今日はありがとう。おかげで凄く楽しかったよ」
「俺の方こそ、今日は楽しかった。よかったら、またパーティー組んでくれるか?」
「うん、ナイトならいいよ」
ユウキは満面の笑顔で言い、メニューを操作してフレンド登録の申請をする。
ユウキの返事にナイトは照れくさくなり、頭を掻いて誤魔化しながら了承の操作をする。
登録は滞りなく済み、登録欄の一番上に互いの名前が載る。
この世界に来て、最初に出来たフレンド。長い付き合いになれば良いと、心から望んだ。
「またな、ユウキ」
「またね、ナイト」
そう言って、この仮想世界から一時の別れをする。
――――筈だった。
大きな鐘の音が夕暮れに染まる第一層に響き渡った。
ゴーン、ゴーンと左右に幾度となく揺れて響く金属音に、音がする方向――《始まりの街》の方を向く。
鳴り響く鐘の音は、胸から不安を搔き立てるような、そんな音色に感じた。
そして目の前が突然光り出し、視界を白く染まる。
光が収まると、そこはさっきまでいた草原ではなかった。
辺りを見回し、そこが見覚えのある場所――ゲームの開始地点であった《始まりの街》の広場であると分かり、少しホッとする。
どうやら転移されたのは自分だけでなく、傍にユウキも、周囲には広場を埋め尽くすほどの人で溢れかえっている。
「ねぇナイト、ここ《始まりの街》の広場だよね? 何があったんだろ?」
「さぁ? 何かあったのかもしれねぇな。――ちょっとすみません」
近くの人に何があったか尋ねる。
返ってきた内容に驚き、慌ててメニューウィンドウを開いてそれを確かめる。
「……ユウキ、ログアウトボタンは、あるか?」
「え? ……うそっ。どこにも無いよ、ログアウトボタン!?」
「ああ、隅まで探したけどねぇな。一体どういう事だ?」
おおよそ考えられない事態。『ゲームを止める』という当たり前の事が出来ないのだから戸惑わずにはいらない。しかもVRゲームにフルダイブしている今の状態では主電源を切る、もしくはコンセントを外すといった強制終了を自発的に行えないのだから、ログアウトが出来なければゲームの中に囚われたも同然。困らない人が居ない訳がない。
「じゃあ、これを何とかする為にみんなここに集められたのかな?」
「わざわざ集める必要ないと思うが……まぁアナウンスの一つでもあるんだろ」
すぐに何らかの対応がある。そう信じて疑わなかった。しかし、
「おい!上を見ろ!!」
誰かそう叫んだ。
空を見上げると、そこには赤い半透明のパネル状の物が点滅していた。その中には『Warning』と『System Announcement』という文字。それが中央広場の上空に広がり、空を赤く染め上げていく。
その中から血のように赤い液体がドロリと流れ出し、ローブを着た巨大な人型を形成する。
不気味なその姿に不安と恐怖が込み上げてくる。それらを少しでも振り払うようにナイトは大きく息を吐いて、空に浮かぶ人型のローブを見上げた。
『プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ』
私の世界。最初に浮かんだ疑問は次の言葉で氷解した。
『私の名前は茅場晶彦。今やこの世界をコントロールできる、唯一の存在だ』
茅場晶彦。それはソードアート・オンラインの開発者。おそらくこの仮想世界において一番の大物の登場に思わず息を呑む。
『プレイヤー諸君の中には、ログアウトボタンがない事に気付いている者もいるだろう』
わざわざ開発者本人からこの事態についての説明と謝罪がしてくれるのか。
その考えは半分正解であり、もう半分は決定的なまでに違った。
『これはバグではなく、ソードアート・オンライン本来の仕様である』
「はっ?」
あまりにも突飛な事に声が漏れる。
『よって諸君らによる自発的なログアウトは一切出来ない。また、外部によるナーヴギアの強制ログアウトも出来ない。もしも外部の人間の手によってナーヴギアが停止、あるいは取り外しが行われた場合……ナーヴギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが、諸君らの脳を破壊し、生命活動を停止させる』
告げられた内容は、予想をはるかに超えるものだった。
加えて既に犠牲は出ていた。現実世界で家族や友人がナーヴギアの取り外しを試み、その結果死亡しているプレイヤーが少なからず居る。その死亡者数は213人に及び、メディアの報道によりナーヴギアの取り外しによる危険は低いだろう。と茅場晶彦の口から告げられた。
この話が事実である事を告げるように、現実で報道されているであろうニュース映像が、茅場の周りに浮かび上がっている。
『しかし、充分に留意してもらいたい。今後ゲームにおいて、あらゆる蘇生手段は機能しない。HPがゼロになった
瞬間、諸君らのアバターは永久に消滅し、同時に……諸君らの脳は、ナーヴギアによって破壊される』
HPが0になれば、このアバターはポリゴン片となって砕け散り、同時に現実の肉体は脳を焼き切られて死ぬ、という事。つまりは、仮想世界と現実世界の命は繋がっているという事実。
その考えに至ると胸の奥が跳ね上がる、うるさく跳ねる胸――その奥にある心臓――を抑えるように掴む。爆ぜそうなほど震える心臓を力尽くで止めるように強く、強く。
『諸君らが解放される条件はただ一つ。このゲームをクリアすれば良い』
その言葉を聞いた瞬間、ナイトは冷や水を掛けられた様にハッと目を見開き、ローブの巨人――茅場晶彦の姿を正面から見据えた。見据える事が出来た。
『それでは最後に、諸君のアイテムストレージに私からのささやかなプレゼントが用意してある。確認してくれたまえ』
言われた通りにアイテムストレージの確認を行う。そこにあったのは、
「手鏡?」
アイテム名をタップしてオブジェクト化する。オブジェクト化された手鏡は手の平サイズの物で、鏡には作成した自身のアバターが映し出されている。
何が起きるのか鏡を注意深く覗いていると、鏡の中の自分が光り出す。
光が収まり、再び鏡を覗き込んだ中には、さっきまでの作られた青年のアバターではなく、伸びた髪が目元を隠した少年の顔。現実世界で見慣れた自分の顔がそこに映っていた。
もしかしてと思い、隣にいたユウキの姿を見る。
そこに居たのは、まだ幼さの残る少女。背は低めで、髪も肩口より長い程度。言うなれば、さっきまで一緒に居た少女の幼かった頃を想像したら、おそらくこんな感じになるだろうという感じだ。
「君はユウキ、だよな?」
「う、うん。えっと、ナイト、だよね?」
戸惑いながら聞くユウキに頷きで返す。そして改めて鏡の中に映る自分達の顔を見る。
さらに周囲を見れば、それは服装を除けばどこかの町中にいるような既視感を感じる様相。幻想の世界に、現実世界を無理矢理混ぜ込まれたようなものだった。
『諸君は今、何故?と思っているだろう。何故ソードアートオンライン及びナーブギア開発者の茅場晶彦はこんな事をしたのか? 私の目的は既に達せられている。この世界を作り出し、鑑賞する為にのみ、このソードアートオンラインを作ったのだ』
確かに解らない。目的がSAOの制作と鑑賞の為であるのならば、こうして閉じ込められ、現実の死とリンクしたデスゲームと化する理由が分からない。
『そして今、全ては達成せしめられた。――以上で、ソードアートオンライン正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君、健闘を祈る』
その言葉を最後に、ローブの巨人は霧となって消え、空も元に戻った。
空は元の夕焼けのまま変わらない。いつの間にか市街地のBGMともいえるNPC楽団の音楽が流れている。
話は終わったのだと。今の話が冗談ではないのだと、心に沁み込む様に思い知らされていく。
だが、誰も動かない。動けないのだ。今起きた出来事を受け入れる事が出来なくて。やがて、
「ぶざけるな!? 出せ! ここから出せよ!!?」
「このあと約束があるのよ!!」
「いやぁぁあ!? 帰してよ!!??」
怒号のような悲鳴が広場に響き渡る。
帰れない。ゲームの世界に囚われてしまったという事実が、多くのプレイヤーを絶望に叩き込んだ。
多くの者が泣き叫ぶ中、ナイトは不思議と落ち着いていた。
周りが騒がしいと冷めやすい気質があったが、それが良い方向に作用していた。
私の世界。死。ゲームクリア。と茅場晶彦の言葉を反芻する。
きっとこれは冗談ではない。無機質な言葉の中にそう思わせるだけの何かを感じた。
だからこそ、天啓――唯一の希望ともいえる『ゲームクリア』という言葉が耳の奥で木霊している。
外に出れば常に死の危険が付き纏う。死ぬ瞬間を思えば、今にも体が震える。
けれど『ゲームクリア』という目的を思い浮かべれば、体は震えながらもその足を踏み出す事が出来た。
なすべき事が決まれば、後は行くだけ。
未だに止まない喧騒を背にし、ナイトは広場を後にしようとする。その時だった。
「どうしよう……」
恐怖と戸惑いを含んだ少女の声。
その主はすぐ傍にいた少女、ユウキのものだった。
震える少女の姿に、この場を去ろうとした足は縫い付けられたかのように動かなくなる。
喧騒の中で体が凍りついたかのような錯覚に陥るほど、ユウキの存在から離れる事が出来なかった。
意を決してユウキの手を掴む。
「――話がある。ちょっとついてきてくれ」
返事を聞く間もなく、ナイトはユウキの手を引いて広場から離れていくのであった。
文章を書くと、自分の語彙や表現に不安を覚える。
思い描いたものが伝わるものを書けていると良いな。