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2022年12月28日。アインクラッドの第五層が解放された翌日の夕方、彼らはそこに居た。
レベル16細剣使いのアスナは、愛剣《シバルリック・レイピア+5》を正中線に構えながら、正面に立つ青年の姿を見据える。
正面5メートルほど先で、黒髪に濃紺コートの下で金属片が鈍く光る盾使いが、左手に壁を彷彿とさせる盾を持って立っている。リズムを取るかのように体を左右に揺らしていた。
二人が向かい合っているのは、苔むした古代の遺構に囲まれた四角い広場だ。周囲は静まり返り、観客二人を除いたものの気配は無い。浮遊城の外周部から届く残光は弱々しく、青紫色の夕闇が刻一刻と深みを増していく。
アスナは少し変な気分になる。死が本物のデスゲームと化した仮想世界に囚われてから、今日で五十と二日を数える。その中で、おそらく三番目に同じ時間を共有してきた青年と、特に戦いの場においてその背中を見せるポジションにある彼と、こうして得物を構えて向かい合っているという珍しい事態に。
普段はその手に持つ得物の様に、盾となってこの身を守ってくれるはずの彼――レベル16ディフェンダー・ナイトは、無造作に伸びた前髪の奥で瞳を冷たく光らせてこちらを見ている。そこに普段の様子も、パートナーの少女に見せる優しさも見い出せない。ただひたすらに相手の出方を見極めようとする真剣さだけがある。
「…………どうした? 動かないのか?」
不意に、抑揚を欠いたかのような冷たい声がナイトから発せられた。
態勢を斜に構え直し、半身が其の巨大な盾の陰に隠れる。平たくも巨大な盾《ウォール・シールド》は、その名の通り壁となってアスナとナイトの間を阻む。その大きさはもとより、盾自体の強固さがアスナの攻撃を阻む壁となって聳える。
けれど、アスナがナイトに勝つ為には、最低でもあの壁を越えなければならない。如何に壁を越えて、右手に握る細剣を突き立てるか。その方法を考え……考えて……アスナの右手が震えた。
アスナが握るシバルリック・レイピアは、第三層の闇エルフ野営地に居るNPC鍛冶職人が鍛えた業物だ。キリト曰く、イレギュラー的に高いスペックを持っていて、手数重視の刺突剣でありながら、一撃の威力でも大方の片手剣を上回る。
ナイトは今、コートの下に重金属製のベストを着込んでいるのを知っている。それでも、この細剣は十分なダメージを与える事が出来る事を、アスナは今日までの経験と培われた感覚からそれが想像できた。
自らの剣が相手の身体を切り裂く瞬間を思い描くだけで、視野が狭まっていく。呼吸が浅くなる。両足でしっかり踏み締めているはずの石畳の感覚が遠ざかる。
「――――来ないなら、俺から行くぞ?」
再びナイトから発せられた言葉に、アスナはビクッと体を震わす。遠ざかる感覚を必死に噛み締めながら、対戦相手に意識を持っていく。
ナイトはSAO内でも稀有な遠隔攻撃の使い手である事も知っている。左手は壁のような盾で塞がれているが、その陰に隠された右手は、今何をしているのだろう。直線で飛ぶナイフだけでなく、弧を描いて飛ぶチャクラムもある。加えて《クイックチェンジ》による高速の武器持ち替え機能による変化も備えている。それに素手による近接戦闘だってある。離れていると危険だが、近付ければ一方的に攻めれるという訳でもない。
相手が何をしてくるのか、それこそ無限に浮かんでは消えていく思いだ。相手の意図が読み切れない事による不安。それが盾によって半身が見えない事が一層その不安を加速させる。
片目だけ覗かせる瞳が、どこまでも冷たくアスナを見据えている。
その瞳に射抜かれた瞬間、アスナの戸惑いは不安に。不安は恐怖へと変化していき、アスナの右手を、シバルリック・レイピアの切っ先を揺らす。
言う事を聞かなくなり始めた右腕を左手で掴み、無理矢理コントロールしようとする。強引に揺れを抑え込んだ切っ先をナイトへ向ける。そして、
「ヤアアァァァッ!!」
裂帛の気合で叫んで切り込もうとした。が、
「――――え?」
アスナは目の奥で火花が弾ける様な感覚が襲い掛かり、気がついたら大きく天を仰いでいた。
何が起きたのか理解できないまま、深みを増していく夕闇を眺めながら、アスナは背中から地面に倒れた。
パチッ、と何かが弾ける音を聞いて、アスナは意識を覚醒させた。
「あ? 目が覚めた?」
赤い光がこちらを覗き込んでいるユウキの顔を照らす。
ユウキに見下ろされている事。その向こうに見える夜空。そして頭に感じる柔らかい感触。それらから既視感を感じ、アスナはほんの少し懐かしい気分になった。
「……あれから、どうなったの?」
「ナイトが投げた石が当たって『デュエル』はアスナの負け。アスナはそのまま倒れちゃって、五分くらい寝てたよ」
「……そう」
暗い面持ちでアスナは呟きながら、身体を起き上がらせる。
先程の事――アスナとナイトのデュエルは、アスナが対人戦の事をレクチャーして欲しくてキリトに話を持ちかけたのが始まりだ。それで一番安全に戦える者――耐久力が高く、攻撃力が低いナイトが仮想敵となったのだが、結果はあの様。文字通り何も出来ずに終わってしまった。
あまりの情けなさに、アスナは自己嫌悪で溜息を吐く。
「ほれ」
「ひゃっ!?」
突然差し出されたマグカップにアスナは跳び上がりそうなほど驚く。ナイトの手から差し出されたそれの意味をなぜか理解できず、手が宙を彷徨う。ようやく向けられたマグカップの取っ手を掴みとり、「ありがと」と呟いた。
マグカップを受け取ってから、どこから出したのかと疑問に思ったが、小さな焚き火の傍に金属製のケトルが置かれ、その隣にティーポットが置かれているのが目に入った。
ユウキにもマグカップを渡すと、ナイトは焚き火を管理するキリトの隣に腰を下ろした。
アスナはカップから香り立つ果物のフレーバーを味わいながら、熱い液体を一口啜り、ホッと一息吐いた。
「…………全然違うのね」
「それって『デュエル』が?」
「ええ。想像してたのと、違った。今まで色んなモンスターと戦ってきたし、見た目はプレイヤーと何も変わらない森エルフとも剣を交えてきたのよ。その時は、こんな恐怖なんて感じる事なかったのに……」
「――ナイトってさ、意外と怖いよね」
突然ユウキが言い出した事に、アスナはへっ、と間の抜けた声が出た。
ユウキはどこか意地悪そうな笑顔を浮かべながら言葉を続けた。
「ボクたちから見たら身体も全然大きいし。今はコートの下に金属鎧着るようにしたから、前よりも体が厚く見えてスゴイよね。それにさ、ナイトの前髪って結構長いからさ、たまに目が隠れてなに考えてるのか分からない時ってない?」
「う、うん。あるわね」
遠慮がちにだが、アスナは頷いて答える。
先刻のデュエルでも手の内が読めなくて困惑した事が思い返される。
「ナイトのスタイルって、色んな事できるし、SAOでも他に見ないからどうしたら良いか悩むよね。ボクはもう開き直っちゃって最初から全力で突っ込んじゃうけど、初めてだったら戸惑うのも無理ないよ」
ユウキの言葉を聞きながら、アスナは記憶を辿って反芻する。
無数に枝分かれしていく思考に混乱し、頭がパンクしそうになっていたのを思い出す。それらを一つずつ噛み砕いていきながら、混乱する前の自分を取り戻していく。
気持ちが落ち着いた所で、アスナはお茶を一口飲み、その味を楽しむ。
「ありがとうユウキ。励ましてくれて……」
「ん……どういたしまして」
ユウキはアスナのお礼の言葉を素直に受け取った。
それを聞いたアスナは、起きてから初めて微笑みを浮かべた。
「今度は、ユウキに倣って何も考えずに突っ込んでみようかしら?」
「あ、ひどい。ボクだって何も考えてないわけじゃないんだよ」
「それに、素早いウサギを追うのに、鈍足なカメは何時も必死なんだがな。まぁ、やり甲斐があって良いけど」
突然話に混ざってきた声に驚いて振り向くと、そこには右手にティーポットを、左手に芋が刺さったショートスピアを持つナイトが居た。
呆気に取られるアスナを余所に、ナイトはティーポットを地面に置き、地面に槍の柄を指して立てて切っ先から焼き芋を引っこ抜く。両手で何度か芋を転がしてから、真ん中から二つに割る。割れた断面から湯気が立ち上り、甘く香ばしい匂いがアスナの鼻孔をくすぐった。
「ほい」
「え、いいの?」
「ああ。こっちの分は「焼けたどー!」今焼けたから気にせず受け取れ」
そう言われれば気にせず取るしかない。日中は街中の探検とクエストの受注に費やしていたおかげで、あまり落ち着いて食事を取っていない身としては、目の前の芋から香る甘く香ばしい匂いは逃すには惜しいものだった。
二つに割った芋がアスナとユウキの手に渡し、マグカップにお茶のお代わりを注ぐと、ナイトはキリトの隣に戻って半分に割られた芋を受け取った。
「いただきます」
四人の声が薄闇の広がる遺構広場に通っていく。
熱々の焼き芋は、現実のサツマイモと比べれば手触りや皮の色合いが異なるが、齧り付くには支障のないものだ。一口味わうと、ほっくりとした身が口の中でクリームの様に溶け、濃厚な甘みが広がる。
一口、二口と焼き芋を味わい、お茶を飲んで一息つく。落ち着いた所でアスナは訊ねた。
「こんなもの、いつの間に買い込んだのよ? 八百屋さんになんて寄らなかったと思うけど」
「買ったもんじゃないぞ。このイモはB級食材だから、こんな低層階じゃ拾えるもんじゃないし」
「じゃあ、どこで手に入れたの? もしかして、誰かに貰った?」
「ある意味そうだな。四層の迷宮区に出てくる半魚人のドロップ品だから、奴さんから貰ったようなもんか」
「…………」
予想外の出所に、アスナはどう反応したらいいか迷う。それこそ、倒したモンスターの肉片なら全力で投げつけてやりたい所だが、推定持ち物にそこまでするのもどうかと思った。何よりとても美味しいのだから粗末に扱いずらい。
「でも、半分お魚さんの人がサツマイモを落とすなんて不思議だね?」
「確かにな。何か芋と半魚人が繋がるネタ有ったっけか?」
「うーむ……………………なくはない、かな?」
しばらく唸った後、キリトは食べかけの焼き芋をかざして話し始めた。
中米アステカ神話において、現代とは五度目の創生と言われている。過去に四度大災害で滅びたとされる世界があるが、その四度目の世界において人々は魚になったと言われている。四番目の世界と身体の半分が魚と化した人。符合する点があるからモチーフになった可能性は考えられる。
では、なぜその半魚人がサツマイモを持っていたかというと、サツマイモの原産地が中南米と言われている。正確には南米のペルーの熱帯地方とされる。中米アステカの本拠であるメキシコと関連が無いように思えるが、サツマイモの祖先に当たる野生種が発見されたのはメキシコらしいのだ。
「――とまあ、適当な知識から半魚人とサツマイモの事をコジツケてみたけど……」
「ふーん。それにしても、よくサツマイモの原産地とか、アステカの神話とか知ってたわね?」
「あー……」
「サツマイモのことで調べる機会でもあったの?」
「まあ、小学校の夏休みの自由研究で。住んでたとこがサツマイモの名産地だからテーマにしてさ。覚えてるもんだな、けっこう」
「ああ。馬鹿みたいな事でも、本気で調べれば意外と記憶に残るよな」
サツマイモの豆知識は意外な盛り上がりを見せた。
肝心の答えが確かめられない現状じゃ、さして益体のない考察だが、B級食材に恥じない味を堪能しつつ息を抜く為の肴代わりにはなった。
ナイトはパンパンとはたいて両手を合わせる。
「――で、何でまた対人戦のスキルなんか学ぼうと思ったんだ?」
空気と一緒に思考を切り替えたナイトはそう切り出した。
今のアインクラッドの環境下では、滅多な事でもなければプレイヤー同士の戦闘なんて発生しない。やろうと思えば簡単に人を『殺せる』状態で積極的にプレイヤーと戦おうとは思わないし、万が一殺してしまったとなれば相応のバッシングを受けるだけでなく、悲願であるはずのゲームクリアも遠退いてしまう。
そんな状況では、いつ必要になるか分からない対人戦のスキルを磨くより、対モンスターやパーティーでの立ち回りを磨く方がはるかに大切だと考えるのが普通だが。
「その前に一つ聞かせて欲しいんだけど……相手をしたあなたから見て、わたしはどうだった?」
「うん……」
アスナの問いにナイトはしばし口元に手を当てて考え込み、溜息を堪えるように言った。
「残念だが、問題外だ。剣を握る腕が震えるようじゃ、デュエルは出来そうにないな」
「そう……」
ハッキリと駄目だとナイトは言った。
それを聞いて落ち込んでしまうのでは思いもしたが、当のアスナはむしろスッキリしたような顔だった。
「まぁ自覚はあって、何とか抑え込もうとした意志の強さは流石だが……今日はそこまでだな」
気持ちばかりのフォローを入れて、感想を締める。
デュエルを終わらせた一撃は、石つぶてによる《指弾》だった。ソードスキルではない、高いSTR値を活かした小技。例によって石の攻撃力が低い事もあってダメージは期待できないが、指で弾くという極小のモーションと相まって不意を突く上で有効な手段になる。
とは言え、冷静なプレイヤー、普段のアスナならこの不意打ちに気づくのも無理ではないはず。デュエルの向き合った状態なら飛んできた石を見て払い落とすくらい出来そうなものだが、それが何も気づかずに額に受けてしまった辺り、アスナが周りを見えてなかった証拠だ。
「まぁ無理なら対人戦なんて覚える必要ないさ。現状のPvPは殺し合いも同然だ。仮想とは言え、鋼の武器で対戦相手の身体を切り裂く以上、本気で人を傷つける覚悟も要る。でもそれは相手も同じだ。如何に対戦相手を傷つけ、傷つけられるかの競い合いの果ては、無情な命の奪い合いだ。遊び半分でも出来るスポーツとは、一線を欠くものだよ」
ナイトの言葉を聞いて、アスナはぶるりと体を震わせた。何でもない事の様に口にしてるが、その中に混ざる負の思いにアスナは気がついた。それが、先刻のデュエルで自分の右手を竦ませたものだと悟った。
「……わたし、殺し合いなんて、誰かを傷つけたりなんてしたくない」
「良いんだよ、それで。それが普通だ。好き好んで誰かを傷つけようとするなんて、まともな感性じゃ出来ないさ」
不意にぽろりと失言が零れてしまったと、アスナは慌てて口元を引き締めたが、ナイトはそれで良いとアスナの言葉に肯いた。
アスナは少しばかり驚いてナイトの方を見たが、ナイトは普段と変わらない様子で新しいお茶を注いで、カップを傾けていた。
「それで話を戻すが……何で対人戦の勉強なんかしようと思ったんだ?」
お茶で唇を湿らせたナイトは当初の話題に戻した。
いきなり話を戻されてアスナは戸惑うが、特に変わらない落ち着きを見せるナイトを見て、アスナも一呼吸挟んで少し強引に気持ちを落ち着かせた。
アスナがデュエルを求めた原因は、アスナのパートナーであるキリトが往還階段を上っている時に発した言葉が由来している。
階段ホールの壁には、例によって上層の地形や風物を暗示するレリーフが施されている。特に印象的なのは、大扉に施されたレリーフの、古びた巨大な城。どっしりと重厚にそびえる要塞のようなデザインのものだった。
それを見たキリトが溜息混じりに、ベータの時の第五層の地形に付いて解説してくれた。
五層のフィールドのモチーフは遺跡。フィールドの大半が迷路みたいな遺跡で構成され、さながらダンジョンのような物。加えて、やたら暗いという。そんな不意打ちに適した地形だから、ベータの時はPKがよくあったという。
そして、それを語った時のキリトは、それを危惧しているかのような険しい表情をしていた、とアスナは語った。
「つまりキリトは、この五層でPKに遭う可能性がある……って思ってる?」
「ん? んん~~…………」
話を聞いたユウキから出た問いに、視線がキリトの方へ集まる。
カップの中でお茶をくるくる回しながらキリトはしばらく唸っていたが、不意にピタリと動きを止めて口を開いた。
「話したっけか? 三層の、キャンペーンクエスト中に、俺がデュエルしたプレイヤーのこと……」
「うん。モルテって名前だよね? DKBとALSの両方に入って、何か企んでたっていう……」
結果として、リンドとキバオウの両方のパーティーがキャンペーンクエストから撤退し、キリトとアスナがキャンペーンクエストをクリアする流れとなった話だ。大いに気になる、というよりキナ臭い事もあって、特徴的な鎖頭巾姿を探したが、見かける事は無かった。
ユウキの言葉に軽く頷くと、キリトは視線を焚き火の炎に戻した。横顔から、分かりやすく張り詰めた雰囲気漂い出す。
その時のデュエルの事、《半減決着モード》の仕様を利用して、約半分のHPから特大の一撃で全損を狙った合法的プレイヤーキル。言わば《デュエルPK》を行おうとしていた事を話した。
「目的は別にして、手法は見事だな。感心すらするよ」
「ダメだよ、そんな危ないこと認めるようなこと言っちゃ」
「悪い。で、そんな凝った真似を仕掛けてくるプレイヤーが居るから、対策として早めに経験を積んでおこうって訳か?」
ユウキからの苦言に謝罪を入れながらも、ナイトはアスナに真意を問う。今一つハッキリしない様子ではあったが、アスナはその問いに頷きで答えた。
「なんで、モルテって人はそんなことしたんだろう? もしキリトがやられちゃってたら、別々のクエストを進めていたDKBとALSが争うことになったかもしれないのに」
「……うん」
当時の事を思い出しながら、アスナは頷いた。
「わたしとキズメルがキャンプ地に駆け付けた時は、もう一触即発って感じだった。キズメルのおかげで場が収まったけど、攻略集団が丸ごと崩壊しちゃってもおかしくなかったわ」
「でも、そうなっちゃたらゲームクリアが…………この世界から解放されるのがずっと先になっちゃうかもしれない。そんなことになってでも、モルテって人は何が欲しかったんだろ?」
ユウキが呟いた疑問は当事者であるキリトはもちろん、話を聞いていたナイトも思った事だ。
攻略集団そのものと言っていい二大トップギルド。その両ギルド抜きで迷宮区タワーの突破は考えられないと言ってもいい。
その二大ギルドを争わせる動機は。それによって得られる利益は。
二大トップギルドを牛耳る事で得られる名誉欲。死んだプレイヤーがドロップするお金やレアアイテム、つまり金銭欲や物欲。パッと思いつくのはそんな所か。
けれど、それが自分の命、生存欲よりも優先されるだろうか。例え競争相手であったとしても、同じ目的を持って戦う味方を手に掛けてまで欲しがるようなものだろうか。電子の牢獄に囚われている今、それからの解放を遠ざけてまで得る意味があるとは到底思えない。そう――――
「――――――――まぁ、俺らはモルテじゃないから、いくら考えたって正しい答えは出ねぇな」
急に、大仰な振りをまじえながらナイトは言った。
いくら考えた所でモルテの行動は間尺に合わない。デスゲームの攻略を意図的に妨害しているとしか思えない。死のリスクを冒して、安全な街から危険なフィールドに踏み出した人間が、そんな事をするはずがないと、アスナは思っていた。
いつか。いつか必ずこの浮遊城から脱出してみせるというモチベーションがあるからこそ、攻略プレイヤーとして危険な圏外で戦い続けていられるのだ。それを無駄にしようとする人間が、この世界に存在するはずがないのだ。
そこまで考えた所で、
「まぁ、対人戦の勉強は次の機会という事にして。大分暗くなってきたから、いい加減に街に戻るか?」
ナイトがそう話を切り出して、帰り支度を始めようとした。
思考を遮られ、特に異論の無かったアスナも、それに倣って帰り支度を始めるのだった。
陽が落ち、暗闇に包まれたフィールドを警戒しつつ四人は主街区へ向かって歩く。
そんな中、キリトはそっとナイトの隣に寄り、小声で呟いた。
「話を切るにしても、少し強引過ぎたんじゃないか?」
「…………考え続けた所で、時間の無駄なのは事実だろ」
キリトが話しかけて来たのに合わせて、ナイトは気付かれない様に歩く速度を緩める。
前を歩く女子二人と約一歩分の距離が離れた所で、キリトは小声で会話を再開した。
「俺は、モルテはデスゲームの運営側が用意した工作員じゃないかって考えた。それなら、いちおう行動の説明はつく」
「なるほどね。それなら、プレイヤーなのに妨害してくる理由はあるな。……でも、それが違うと思ってるんだろ?」
その返答にキリトは頷きで答えた。
「ゲームクリアが目前ならともかく、モルテが暗躍し始めたのが全百層の内のたった三層だからな。いくらなんでも行動を起こすのが早過ぎる」
「そうだな。大元からの工作員にしては、正直ちょっと不合理な気がするな。で、話はそれで終わりか?」
「まさか。無理矢理話を打ち切ったくらいだ。何か言いたくない想像をしたんじゃないか?」
キリトの言葉を聞いて、ナイトは小さく舌打ちをした。
少し悩んで、重い溜息を吐きながらナイトは答えた。
「普通の価値観で分からなければ、視点を変えてみるしかない。この場合で言ってみれば、悪い価値観で考えてみただけだ」
「悪い価値観か。それで?」
「…………」
ナイトはそこで答えずに、さらに半歩分、女子と距離を離す。
キリトがその歩調に合わせた所で、ナイトは一層声を潜めて話し始めた。
「一言で言えば、悪意だ。純粋に人を害しようとする意思。でなければ、《デュエルPK》なんて凝った真似を考えようとすらしないはずだ」
「……確かに……」
ナイトの解答に、キリトは頷いた。
《デュエルPK》はデュエルのルールに則った上で行われる方法だ。システム的に可能とは言え、確実にそれを行うには後一息削れば勝てる所で寸止めした所を狙う必要がある。それを成功させるには確かな対人戦の戦闘技術と狙って行う意思が不可欠だ。
文字通り、デュエルに『勝つ』為でなく、対戦相手を『殺す』為の意思が。
「それに……似たような悪意を、俺らはぶつけられた覚えがあるからな」
「俺ら?」
突然の呟きにキリトは首を傾げる。
ああ、と答えるナイトは地面を向いた。《索敵》を持つキリトには、ナイトが地面ではなく、どこか遠くを
見ているような瞳をしているのが見えた。
「俺は詐欺の共犯者として。キリトは、ズルをしたベータテスターとして、な」
「……そう、か」
ナイトの発言の意味を理解したキリトは短く呻いた。
キリトが最初に思い浮かべたのは、ネズハの事だった。ネズハが行った強化詐欺は、黒いポンチョを着た男に教えてもらったと言っていた。それもタダで。詐欺という犯罪行為を人に教えている時点で怪しいが、その見返りを何も求めなかったのがより不気味さを醸し出している。
当時は黒ポンチョの男の目的は見当もつきそうになかったが、今なら――純粋な悪意を持った人間がこの世界にもいると考えれるのなら、その目的を想像する事が出来る。
「詐欺行為がばれたネズハを、その償いとして攻略集団に断罪させようとした、か。となると俺の時は、ディアベルが死んだ理由を、ベータテスターの不正として処罰しようとした、という訳か。何人ものプレイヤーの心理を巧妙に操って、誘導して、最終的に殺させる……言わば《扇動PK》か」
「加えて言えば、当時のブレイブスは攻略を目指す一パーティーでしかない。そのメンバーの一人を殺すにしては、あまりに手が凝り過ぎている。ネタを仕込んでまで他人に殺させようとする辺り、悪趣味にもほどがある。穿った考えだろうが、殺す事そのものを目的に――――それを楽しむ気がなければ、こんな恐ろしい事、考えようとすらしない」
頭を振りながら言った自分の言葉に、ナイトは吐き気を覚えそうだった。
同様に気分を悪くしたのか、キリトも小さく唸りながら目元を揉み解す。
「……なぁ、モルテと黒ポンチョの男って同一人物だと思うか?」
ナイトの疑問にキリトは少し悩み、一際低い声で呟いた。
「ネズハは、黒ポンチョの男を《楽しそうな笑い方をする男》って表現してた。モルテもヘラヘラと笑う奴だったから、その可能性はあると思う。でも、もし別人だとしたら……」
「ボス部屋で扇動しようとした奴と含めて二人。そうでなければ、三人はPKを目的として動いているプレイヤーが、今のアインクラッドに存在するという事になる。もしかしたら、それ以上の規模の集団が、PKを狙って暗躍している可能性も……」
「……」
出来るなら、そんな事は考えたくもない。あって欲しくないと願う。
今のSAOでプレイヤーは死んだら、二度と蘇生する事は出来ない。プレイヤーを殺す事は、現実でその人を殺す事と同じなのだ。
ゲームをクリアするまで、この世界から解放されるまでの道のりはまだ全百層の内の五層目。つまり全体の二十分の一しか進んでいない。その長い道のりを進んでいく上で協力し合わねばならないプレイヤーが――例え極々一部だとしても――自らの意思で、障害となろうとしているのだ。おそらく、己の愉悦を満たす為だけに。
そんな暗い人の闇を、この大変な事態に、こんな所で見たくなどない。
「……やっぱりこんな話は、聞かせないようにしてよかったよ」
「でも、何時までも黙っておく訳にはいかないんじゃないか? 遅かれ早かれ、奴らが動き出せばその目的も知られるようになる。それに、お前はネズハの共犯者に仕立て上げられたくらいだ。既に奴らのターゲットに数えられているかもしれないぞ?」
「……かもな」
そう呟くナイトは、遠くを見るような瞳で前を歩く二人を見ていた。
その姿に、キリトは一月近く前の出来事を思い出した。
「なあ、もしかしてまた離れた方が良いなんて考えてないか?」
「ん? ああ、もうそんな事は考えてないよ。徒に悲しませたりするだけで、大して意味が無いって身に染みたから」
「そうか。勝手に変な事するなよ。なぜか俺が文句言われるんだから」
「――覚えとくよ」
ナイトが苦笑を浮かべながら呟いたのを最後に、その会話は終わった。
会話が済んだ事で、意図的に抑えていた歩調は自然と上がっていき、前を歩く女子二人との距離が詰まっていく。
ステータスと装備重量の関係で、敏捷値が一番低いナイトは少し遅れ、キリトが前に追いついた時にはまだ半歩ほど後ろを歩いていた。
三人の仲間――この世界で出来た友人達の姿を見て、独り言を漏らした。
「分かってるさ。だから今度は守り抜く。『盾』とてして、自分の力でな」
その決意を胸に沁み込ませる様に低く響かせる。
ただ、胸に当てたその拳は、不穏な音を響かせて握り込まれるのであった。
改めて第五層編こと、冥き夕闇のスケルツォ編の始まりです。
先日の質問にお答え下さった方、本当にありがとうございます。これからも鋭意執筆を続けていくので、よろしくお願いします。
私の執筆ペースから言って、これが今年最後の投稿になりそうです。
少し早いですが、皆様良いお年を。