組み分けと夕食を終えた新入生たちは、恥ずかしそうにグリフィンドールとハッフルパフのテーブルの間を歩いて、ハーマイオニーの方へ向かっている。誰もが先頭に立たないようにしていて、本当に小さく見える。ハリーは、自分がここに来た時はこんなに幼くはなかった、と思った。ハリーが一年生に笑いかけると、ユーアン・アバクロンビーの隣のブロンドの少年は顔を強張らせ、ユーアンを突いて、耳元で何か囁いた。ユーアン・アバクロンビーも同じように怯えた顔になり、恐々ハリーを見た。ハリーの顔から、微笑が「臭液」の如くゆっくり落ちていく。
「またあとで」
ハリーはハーマイオニーとロンにそう言って、1人で大広間を出て行った。途中で囁く声、見つめる目、指さす動きを、ハリーはできるだけ無視する。真っ直ぐ前方を見つめ、玄関ホールの人波を縫って進んだ。それから大理石の階段を急いで上がる。人混みから抜け出したくて───あそこにいるのが頭のおかしいハリー・ポッターだというささやき声が聞こえてくるのは気分が良くない───隠れた近道を通ろうと群れを外れると、声をかけられた。
「ハリー!」
明るい金髪を二つ結びにしていて、大きな縁なしメガネをしている。身につけているのはスリザリンのグリーンがあしらわれたローブで、所々ほつれて、少しくたびれている。
「リコ」
ハリーは数少ない、スリザリンの中でも唯一まともに、つまりニヤニヤと笑われず話せる相手に、少し緊張を解いた。リコはスリザリン生で、しかもイギリス人であるのに、皮肉をあまり言わない。
「ハリー、私、新聞を読んだの。去年にあった事で」
リコは言葉を選びながら、ハリーを刺激しないようにしながら話しているようだった。思い込みの激しい癇癪持ちを相手にするような話し方に、ハリーは苛立ちながら返す。
「『日刊預言者新聞』を信じてるってわけ?」
ハリーはリコを少し睨んで続けた。
「僕が嘘つきで、ダンブルドアがボケ老人だって?」
リコは慌てた様子で、両手を振りながら否定した。
「違うわ!違うのハリー、私、ハリーを信じてるわ。あの人が帰ってきたって」
ハリーはスリザリン生の意外な言葉に、胸が軽くなるのを感じた。
「それで、どんな感じだったのか訊きたくって。例のあの人が、どうやって蘇ったのか」
ハリーは今まであまり訊かれなかった事に驚いた。セドリックの最後や、あの人がどれだけ恐ろしかったのかについては訊かれる事があったが、蘇生方法については訊かれる事がなかったからだ。
「私のお母さん、ピラミッドとか、ジャングル奥地にある寺院とか、そういった闇の魔術が多く使われた遺跡の調査をしていたの。私もそういった探窟家になりたくて、その、色々勉強しているわ」
ハリーは、リコが有名な魔法使いの母とマグルの父を持つ事を聞いていた。どのように有名であったかは知らない。両親は既に他界していて、リコは今、孤児院に住んでいる。それが、リコの家族についてハリーが知る全てだった。
リコの目には心配と気遣いもあるが、大きな好奇心も覗いているようだった。
「だから、そういった闇の魔術への対抗策もわかるかもしれない」
たしかに、リコはよく禁書庫に忍び込んでいるらしく、その度に罰則を食らっていた。何度か成功させたこともあるようで、明るい性格でありながらも、しっかりスリザリンらしい闇の魔法使い候補生として認識されている。しかしハリーは、去年ダンブルドアに話した事を思い出した。いくらリコが禁書を読んだとしても、ダンブルドアより詳しいとは思えない。
「わかったけど、今日はもう遅いし、今度でいいかな。合言葉をまだ教えてもらっていないから、急がないと」
見ると、ハリーが抜け出した人混みは、ほとんど大広間を抜け出そうとしていた。ガヤガヤとした声が小さくなり始める。
「それなら私、近道を知っているわ!ついてきて!」
リコはハリーの手を掴むと、ハリーが入ろうとしていた隠れた近道に入って行った。
「どうしてグリフィンドールへの近道を君がしっているんだい?」
ハリーはこのスリザリン生が怪しく思えてきた。いじわるではないだけで、他のスリザリン生とも仲良くしているのだ。もしかしたら自分をスパイしているかもしれない。
「私、この城のいろんな道を知っているわ。色々探検したもの!」
ハリーは手を引かれながらも、リコについて行く事にした。先ほどまで使おうとしていた近道をわざわざ使わないのも変な気がする。
それにリコがホグワーツの道に詳しいのも事実だった。リコは暇さえあればホグワーツを探検しているようで、様々な所に出没していた。
「私のお母さんね、最後に行った場所、ホグワーツの近くなんだって。ホグワーツ周辺にも遺跡があって、そこを調べていたみたい。もしかしたら、ホグワーツにお母さんの手がかりがあるかもしれない」
ハリーは、リコを疑っていた事が急速に恥ずかしくなった。母の手がかりの為にとはいえ、禁書庫に忍び込むのは良い事とは思えなかったが、少なくともハリーを頭のおかしいやつと揶揄う為にスパイしているのではなかったからだ。
リコはハリーが知っている近道から少し外れて、目立たない部屋に入った。ハリーは続けて入ると、強い埃の匂いにむせて咳き込んだ。
部屋は埃しか詰まっていない本棚と、壁にかかっている、古びた額縁に飾られた井戸の絵があるだけだった。
「こっちよ。前にここに入ったら、太った婦人のある廊下に出たの」
そう言ってリコが指したのは、井戸の絵だった。そばにはリコが取ってしまったのだろう、絵を埃から守っていたと思われる大きな布がある。絵の中ではどうやら井戸が枯れてしまっているようで、村は乾いて寂れており、中の村人たちは嘆いていた。何十年ぶりの来客であるにもかかわらず、ハリーたちの事は気にも留めておらず、絵がほとんど灰色なのは埃のせいだとは思えなかった。
リコは既にハリーの手を引いておらず、額縁の何かをいじっている。
「あれぇ、おかしいわね。前はこの紋章が押せたんだけど……」
リコの様子を見たハリーに、急速に不安が襲ってきた。リコは探検のためなら何をしても良いと思っているようで、それによる被害はホグワーツ生なら一度は受けた事があるからだ。
「リコ、無理ならいいよ。僕、少し前からの道なら、他にも知ってるんだ」
「えぇ、ちょっと待ってよ、もう少しで……、あれ?こんなところにこんなのあったっけ?なんか光ってる?」
ガチャンッ
リコが額縁をいじると、何かが大きな音を立てた。とてつもなく嫌な予感がする。
「リコ!何をやったんだい?」
「あわわ、違うの、何か渦みたいなマークが光ってたから、それに触っただけで……」
「君がよくわからないものを触って、動く階段を動かなくしちまった事を忘れたのかい!?」
ハリーとリコが言い争う間に、絵の様子が目まぐるしく変わっていく。まず乾いた村に雨が降り出した。荒廃し、廃村直前だった村に色彩が生まれていく。枯れた木々は葉を茂らせ、やがて実までつけ始める。土だけだった地面には生き生きとした草花が生まれていく。
井戸は水が出るようになったようで、村人たちが歓喜していた。
絵の変化がひと段落つき、暗く灰色の絵から明るい色彩溢れた絵になったところで、仕掛けは終わったようだった。思っていたよりもかなりマシな結果にハリーは一息つく。
「ハリー、これ何かわかる?」
「知らないけど、絵が変わる仕掛けだったんだろ?僕、本当に遅れちゃうから、やっぱりいつもの道から行くよ」
この部屋はハリーの知っている近道のすぐそばにある。今から少し急ぐだけで、グリフィンドール生全員が帰ってしまうまでに、まだまだ間に合うはずだ。ハリーはそう思って踵を返した。
「わかったわ、私はこれをもう少し調べてみる……。うーん、本当に絵が変わっただけなのかしら……」
リコの独り言を背に、ハリーは扉に手をかけた。
ガチャンッ
開かない。
ガチャンッ、ガチャンッ、
ガチャガチャガチャガチャ
開かない。
「アラホモラ!開け!」
ガチャンッ
ハリーは本格的に焦り始めた。
「ハリー?開かないの?」
リコが扉にやってくる。
「駄目みたいだ……君の動かした仕掛け、もう一度動かせないのかい?」
ハリーは最後の希望を込めて訊いた。このまま開かなければ、もしかすれば合言葉がわからない程度ですまないかもしれない。
「駄目みたい……でもね!すごい発見だわ!見て!」
リコは絵に向かうと、絵に手を突っ込んだ。絵は手を飲み込むが、破れた様子はない。
「中に入れそうなの!きっと、キングクロス駅みたいな仕掛けなんだわ!」
ハリーはもはや使い慣れた通り抜けられる壁の事を思い出して納得する。
「これが近道かい?」
そうであってもらわなければ困る。
「ううん、前は紋章を押すと、あそこの壁が開いたの」
リコは本棚のない方の壁を指差す。確かに、その壁に向かう床には、埃に足跡がついている。
「でも、今日はダメみたい。絵の中に進むしかないわ」
ハリーは絶望的な気持ちになった。絶対に嫌だ!
「な、なんとか扉を開けられないのかい?」
リコは額縁から離れて扉に向かうと色々といじる様子をみせた。少しして杖を出す。
「アラホモラ。……だめね。開かないわ」
ハリーは魔法省に退学を宣告されたとき程の絶望を味わった。どこに出るか見当もつかない道に進むことになる。しかも戻れない。
「ハリー?こっちは大丈夫そうよ、灯りまであるわ」
リコは早々に諦めたようで、既に絵の中へ入ってしまった。今は絵から首だけが生えている。
「早く行かないと、遅れちゃうわよ?どこに出るか私にもわからないんだから」
リコは些細なことのようにそう言って、首を引っ込めた。部屋に取り残されたハリーは、一瞬茫然とする。しかし、ここで取り残されたままになる方がより絶望的な事を思い出し、ハリーはなんとか絵に入った。