どれくらい、そうしていただろうか。
艦外で聞こえた甲高いエンジン音に、カイは顔を上げる。
窓の外、雪原を蹴立てて近付いてくるスノースピーダー。乗っているのは、二人分の人影だった。
カイは、慌てて立ち上がる。座り込んでいた自分に、今更ながら気付いた。
ハッチを開けて外に出ると、冷えた空気が肺に染みる。スピーダーが停止し、後部座席から降りてきたのは——
「——ニナ?」
思わず、声が漏れた。
風で乱れた髪を押さえながら、ニナがこちらを見ている。
その瞬間、カイの体が勝手に動いた。頭より、心より先に、口が動く。
「——なんで、来たんだ」
労いでも、謝罪でもなかった。咄嗟に出たのは、そんな言葉だった。
「戻れ。ここにいちゃ——」
最後まで、言い終わらなかった。
乾いた音が、雪原に響いた。
視界が、一瞬揺れる。頬ではない。ヘルメットの側面、硬い金属を、思い切り張られた感触だけが伝わってくる。
ニナが、右手を振り抜いた格好のまま、肩で息をしていた。その手が、真っ赤になっている。痛かったのは、明らかにニナの方だった。それでも、構う様子はなかった。
「あんなに、決意めいた顔で置いていったくせに! こうやって私が来たら、また『戻れ』って、それ、また、相談も、しないで、決めて——いい加減、にしてください!」
カイは、何も言い返せなかった。
「叔父様は、あなたを私に——」
言いかけて、ニナは一度、唇を噛む。
「私は、あなたの家族じゃない。分かってます。でも、シオウさんに任された——んです、私」
声が、少しだけ小さくなる。それでも、真っ直ぐにカイを見上げたままだった。
「あなたを一人にしたら、駄目な気がする。上手く、言えないけど——そう思うんです」
風が、二人の間を吹き抜けていく。
カイは、赤く腫れたニナの手を見つめた。
自分を叩いたその手が、今も震えている。怒りのせいか、痛みのせいか、あるいはその両方か。
言葉が、出てこなかった。
やがて、操縦席から降りたロウガンが、ヘルメット越しでも分かるくらい呆れた様子で肩をすくめながら歩いてくる。
「——お前な、あの説明で大丈夫だったと、本気で思ってんのか?」
その声に、咎める色はあまりなかった。むしろ、どこか安心したような響きが混じっている。
「——ニナちゃん、悪いけど中で待っててもらえるかな」
そう言って、ロウガンはニナの方に視線を移した。
「積もる話が、色々あるんだ——」
声色に、少し怒気がはらむ。
「長くなりそうだし、な」
「え……」
ニナが、少し不服そうな顔をする。それでも、二人のヘルメットを見比べて、何かを察したのか、それ以上は食い下がらなかった。
「——分かりました」
小さく頷いて、キタツグミのハッチへと向かう。中に入る直前、一度だけ振り返った。
「あんまり、遅くならないでくださいね」
その一言だけを残して、ハッチが閉まる。
外に残ったのは、カイとロウガンだけだった。
吹きさらしの雪原、冷えた空気。だが、マンダロリアン二人の前では、寒さなど大した問題にはならなかった。
ロウガンは、提げていた荷物をそのまま自分の傍らに置く。まだ、何も言わなかった。
*
「——凄いなあの子」
ロウガンは閉まったハッチを見上げて、ぽつりとこぼす。
「お前が一発もらうなんてな。お陰で殴りそびれちまったよ」
冗談めかしているが、本気を思わせる声だった。
「まあ、座ろうぜ」
どっかりとその場に腰を下ろすロウガン。カイも黙って隣に座る。
風が、雪の表面を薄く撫でていく音だけが続いた。
雪原の向こう、山の稜線が薄く霞んでいる。
「ここに来るまで、何してたんだ」
「…………」
どこか遠くで、雪崩か何かの重い音が微かに響いた。すぐに静かになる。
「言いたくないなら良いさ。俺もそれ以上、聞かない」
——それ以上、聞かない。
何度も聞く機会があったはずの問いを、それでも聞かずに済ませてくれる——
こいつはそういう男なのだ。
長年の付き合いで育まれた信頼が、カイの罪悪感をチクチクと刺す。
カイは手の中でブラスターを弄ぶ。しばらく金属を撫でる微かな音だけが立ち、やがて雪原を駆ける風に溶けて消える。
やがて、一言、一言、確かめるように話し出す。
死にかけるほどの怪我を負ったこと。親父が知り合いの病院まで連れて行ったこと。記憶を失っていたこと。ここまで回り道をしながらも旅を続けたこと。
ヘルメットを外した相手が誰なのかは、伏せた。それは、自分が死ぬまで抱え続けるべき、親父の名誉だと思うから。
カイの話が終わったのを見計らって、ロウガンも話しだす。
襲撃の時に孤児たちを集めてシオウの船に乗せたこと、避難先を探すのに苦労したこと、ここに落ち着いてからアジトを構え直すまでのこと。
未だ行方が分からない仲間。
もう帰らない仲間。
「いずれ、ここも発つつもりだ」
きっぱりと、ロウガンは告げる。
行き先はきっとカイには知る術がない。だから、会えるのはこれが最後になるかもしれない——そんな含みを持たせて。
「そうか……」
それしか、返せなかった。
しばらく、どちらも口を開かなかった。
ロウガンは、片膝を立てたまま、遠くをぼんやりと眺めていた。
何か言いかけて、結局やめる。そんな仕草を何度か繰り返す。
「お前はさ、いっそニナちゃん嫁にしちゃえば?」
「——はあ!?」
唐突すぎる提案に、思わず頓狂な大声で返してしまう。
「良い子じゃん、あの
「良い子とか、そういう話じゃなくてだな……」
「真面目な話、悪い提案でもないと思うけどな、俺は」
ロウガンは、存外あっさりと言い切った。それが、余計にカイを苛立たせる。
「お前、何を根拠に——」
「根拠も何も、普通の話だろ。うちの
悪びれる様子もなく、飄々と返される。
カイは、それ以上何を言えばいいのか分からなくなった。何かがおかしい。話が噛み合っていない気がする。だが、その正体を突き止める気力も、今はなかった。
「俺は彼女の……保護者みたいなもんだよ」
「それはそれは」
「——もういい。話を変えよう」
カイは片手で顔を覆う仕草をする。ヘルメットの下で意味はないと分かっていても、そうせずにいられなかった。
「そういや」
ロウガンが、ふと目を留める。
「それ、さっきから気になってたんだが」
言われて初めて気付く。話しながら、無意識に胸元のナイフへと指が伸びていた。
「良いナイフだな」
「……ああ」
短く返し、カイはその手をそっと離す。急ぐでもなく、ただ、それ以上見せたくないというように。
ベスカーのナイフ。氏族の紋章が、刃の付け根に隠されている。
——あの時。
カイの中で、唐突に繋がるものがあった。あの時、アーマラーがこのナイフに気付かなかったはずがない。目ざとい人だ、材質だって、一目で見抜いていたはずだ。
それでも、何も言わなかった。何も気付かないふりを、した。
それが、却ってナイフが抱える謎を深める。
占い師の言葉が、脳裏によぎる。
「——氏族を、追え、か」
「何が?」
「何でもない。少し、昔を思い出しただけだ」
カイは、それ以上を口にしなかった。占い師の言葉も、アーマラーが見せた沈黙も、まだ自分の中でも形になっていない。誰かに話せるほど、まとまってはいなかった。
沈黙が落ちる。風だけが、二人の間を通り抜けていった。
ロウガンも、それ以上は聞かなかった。何かを察したのか、あるいは単に、踏み込むべき時ではないと分かっているのか。片膝を立てたまま、遠くの稜線をぼんやりと眺めている。
「お前は、さ——」
ロウガンが切り出す。
「俺らの中でも、自分に厳しすぎると、俺は思ってる」
「……そんなことはないさ」
「そんなことあるから言ってんだ」
ロウガンはカイに向き直る。カイは明後日の方を向いたままだ。
「お前はさ、親父さんといつも任務だ使命だって飛び回っててさ。たまーに帰ってきても、隅っこでずっと身体鍛えてるか技磨いてるかばっかでさ」
ロウガンの鎧が擦れる音がする。
「俺が誘わないと、誰にも話しかけないまますーぐ次の任務行っちまう」
「ああ……」
カイは抑えきれない笑い声を漏らす。
「正直、邪魔だったな」
「……マジかよ」
でも、とカイは続ける。
「ありがたかったよ、心から」
「そっ……か」
「ああ、お前がいつも誘ってくれるから、それに甘えてた」
「ははっ」
笑いながら体勢を変えたロウガンの指が、傍らの荷物に触れる。
「あ、そーだそーだ、忘れるとこだったわ」
ロウガンは抱えてきた包みを解く。現れたのは一丁のライフル。襲撃の日、アジトの仲間に預けたまま回収できずにいた、自分の物だった。
「残ってたのか——」
目を丸くしてカイは受け取る。銃身を覗き、構えて、安堵のため息と共に感謝する。
「直してくれたんだな、助かる。やっぱりこいつもいないと寂しくて」
まるで恋人に囁くような言葉に、ロウガンは、相変わらずだな、と苦笑いする。
「良い銃だよな、それ。軽くて取り回しやすいのに、静かで良く狙える」
「おい、勝手に使ったのか」
本当に恋人扱いじゃないか、とロウガンは呆れた。
*
カイはしばらく構えては銃身を撫でまわし、また構える、と繰り返し続ける。
「なあ、また見せてくれよ、お前の腕前」
ロウガンは屈託なく、そう言った。
「またっていつの話だよ」
スコープから目を離さずに答えられる。
「それに、技は見せびらかすものじゃない。そう教わったろ」
キッパリと断られたが、なおも食い下がる。
「頼むよ。見たいんだ」
——次があるか分からないから。
それだけは言えなくて飲み込んだ、そんな気配があった。
大きくため息をついて、薬室に一発だけ装填する。
「どこだ?」
「うーん……」
ロウガンはしばらく、取り出したスコープで周囲を眺め、やがて遠方の山を指差す。
「あの山の上、一本だけ生えた木があるだろ」
「あれか」
「あ、でも——」
ロウガンはハッと気が付く。
「お前って、一発撃たないと狙いがつけらんないんだっけ?」
「いらない」
——パンッ!
引き金が引かれ、乾いた破裂音が響く。
一本杉の頂上、葉先が僅かに弾けて揺れている。
「うお、誰がそこまでやれっつった」
慌ててスコープを覗いたロウガンが唸る。
ここまでの狙撃技術、仲間の内でもカイの他にいるかいないか怪しい。
当の本人ときたら、
「俺の銃だし、空撃ちはいらないんだが」
不満そうに口を尖らせて、
「少しズレた。修理してたの忘れてた」
と、心底悔しそうに排莢している。
——おいおい、マジか。
ロウガンのつぶやき声は届かなかった。
空撃ちが要るのは、他人の銃を借りた時だけだ。自分の銃なら、癖はとうに指が覚えている……はずなのに。
「やっぱお前すげえよ。孤児たちに射撃教えてくれたらどんなに楽できるか……」
叶わないことと分かって口にするロウガン。カイは何も答えない。
「俺は狙って当てるってのがどうも苦手でさ。長物振り回してる方がよっぽど性に合ってる」
カイは、ふと浮かんだ名前をぽつりと返す。
「——ディンさんが、いるだろ」
「ディン……何だって?」
「ディン・ジャリン」
知ってるだろ、とカイは振り返る。
長年、銀河中でクレジットとベスカーを集め続ける、孤高の賞金稼ぎ。
同じく任務で星々を飛び回っていたカイは、あまり会う機会がなかったが、それでも若手マンダロリアンや孤児の間では度々、話題にのぼっていた。
戦闘技術は何をさせても人よりこなし、集団戦法が基本のマンダロリアンの中で単独で戦い続けられる強さに、カイも密かに憧れていた。
何より——
『孤高の賞金稼ぎ』という響きは、認めたくないが、そそる。
だが、ロウガンの反応は鈍い。
いや——鈍いんじゃない。様子が、おかしい。
「お前、知らないのか——?」
「え?」
「そうか、そうだよな。知りようがなかったもんな」
一人納得するロウガンに、カイは疑問と不安が隠せない。
「何がだよ」
「あの人は、多分戻らない」
にわかに信じられない言葉に、カイは呆然とする。
ロウガンは構わずに説明を続ける。
何も死んだわけじゃない。
あの日、ディンがギルドの依頼を反故にした。子どもを連れて逃げた。その瞬間から、ネヴァロの空気は変わった。
ギルドが動き、帝国残党もざわつき始めた。ロウガンたちは地下で息を潜めていたが、ディンが追い詰められたと知って、もう隠れてはいられなくなった。
助けに出た。それは教義だからだ。仲間を見捨てるわけにはいかない。だが、姿を晒したことで、帝国に『ここにマンダロリアンがいる』と知られた。
戦闘は派手だった。ジェットパックの炎も、ブラスターの光も、全部が目立ちすぎた。帝国が見逃すはずがない。
数日後、アジトに帝国の部隊が押し寄せた。隠れ家はもう隠れ家じゃなくなっていた。鍛冶場も、武器庫も、全部が焼かれた。
「ディンさんが——?」
「おい、勘違いすんなよ」
親友の不穏な気配に、ロウガンは釘を刺す。
誰もディンを責めなかった。あいつは子を守っただけだ。そして俺たちは仲間を助けた。それだけの話だ、と。
それでも、明かされた事実に動揺が隠せない。
あの人が、あいつが、それで俺の親父が。
行ってはいけない方向へ思考が走るのが止められない。ロウガンが言うことが正しい。仲間を助けるのが教義。子供を守るのも教義。
教義。教義。教義。
——俺は、もうマンダロリアンじゃない。
感情が論理を塗り潰す。一度染み付いたそれは、もう拭いようがなかった。
*
旧友との親交が一区切りつくと、キタツグミのハッチが開き、ニナが顔を覗かせた。
「そろそろ、いいですか?」
控えめな声だった。カイは頷き、立ち上がる。
「——行くのか」
ロウガンも腰を上げながら言う。声のトーンは、いつもの軽さを保とうとしているようで、少しだけ揺れていた。
「ああ」
「我らの道」
——我らの道。
その言葉に、今はもう、返せない。
「——俺は、背教者だから」
カイは、視線を落としたまま答える。
「そんなの」
ロウガンが、遮るように言った。
「俺とお前の仲に関係あるか?」
その一言に、カイは顔を上げる。
「今は離れたいのも分かる。でも、俺は待ってる」
ロウガンは、腰のポーチから小さな機械を取り出すと、放り投げてよこした。カイは反射的に受け取る。
「これ……」
手の中にあるのは、白い
「その、流石に
ロウガンは少し気まずそうにヘルメットをコツコツと叩いてみせる。
ヘルメットには通信機能が当然付いている。
——だが、恐らく自分のは、もう繋がってないだろう。
またも沈みかけたカイを引き上げるように、ロウガンはあえて明るく声を張り上げる。
「俺の方でも、どうにかできないか調べておく」
何を、とは言わなかった。それでも、その言葉の重さは伝わってきた。
「お前はお前が、信じた道を行け」
ロウガンは、真っ直ぐにカイを見た。
「
カイは、コムリンクを握りしめたまま、しばらく何も言えなかった。
「——それとな」
ロウガンが、思い出したように付け足す。
「まずお前らは話し合うべきだろう。それは親父さんで実感したんじゃないのか、カイさんよ」
——あの時ちゃんと話せなかった分もな。
何故か、そう付け足された気がした。
その一言に、カイは苦笑いを浮かべる。
「——言われなくても、分かってる」
「なら良い」
ロウガンは、満足げに頷いた。
「——ああ」
やっと、それだけを絞り出す。
ロウガンが頷いた——その瞬間だった。
「そうだ、忘れるとこだった」
思い出したように言うと、ロウガンはニナの方へ向き直る。
「——ニナちゃん」
「はい?」
「これから、こいつと旅を続けるなら、伝えておくべきことがある」
やけに真剣な声だった。ニナが、少し身構える。
「こいつには、注意してくれ」
そう言うと、ロウガンはおもむろに腰のブラスターを抜いた。
カイに向けて、構える。
「——は?」
カイが声を上げるより早く。
——ビシュッ!
銃声が、雪原に響いた。
「——え?」
ニナの声が引き攣る。
仰向けに、どさりと倒れたのは——ロウガンだった。
「ロウガンさん!?」
悲鳴に近い声で、ニナが駆け寄る。カイもまた、動揺したまま立ち尽くしていた。
「何で撃ったんですか!」
ニナが、カイに詰め寄る。
だが、当のロウガンは、ヘルメットを両手で押さえながら、のろのろと起き上がった。
「——いってぇ」
そして。
「な?」
平然と、そう言った。
「——お前」
カイの声から、動揺が消え、代わりに怒気が滲む。
「冗談が過ぎるだろ⁉︎ アーマー以外に当たってたら、どうする気だ‼︎」
「お前の腕なら」
ロウガンは、ヘルメット越しに頭を軽く撫でながら、いつもの調子で返す。
「アーマーに、ちゃんと当てるだろ?」
その一言に、カイは押し黙った。
——それは、そう当てたから。
咄嗟に逸らしたつもりだった。ロウガンが起き上がるまで、確信が持てなかっただけで……。
——完全に無意識だったなら、きっとアーマーの隙間を突いていた。
「な、何なんですか、二人とも!」
事情の飲み込めないニナが、怒りの矛先をどちらに向けていいのか分からず声を荒げる。
ロウガンが、身体に付いた雪を払いながら、ニナに向き直った。
「——こいつにはな、冗談でも銃の類を向けるな。弾切れでも、オモチャでも、手で作った形でも駄目だ」
肩をすくめて、続ける。
「でないと、こうなる」
「お前が——」
カイの両肩が震える。
「お前が言うな‼︎」
怒声が、雪原にこだました。
その光景に、ニナは呆気に取られたまま、しばらく言葉を失っていた。
*
キタツグミのエンジンに静かに火が入る。
ふわり、と機体が浮く感覚があった。
スロットルを軽く握ったまま、カイは行き先も決めずに機体を上昇させる。大気圏の中を、あてもなくゆるゆると飛ぶ。急いで決める必要は、もうなかった。
操縦席で、カイは腕を組んでジッと考え事をしている。
引っ叩いた手前、どう話しかけたものか、とニナは隣でそっと様子を伺っていた。
「——ニナ」
「は、はい!」
急に声だけかけられて、ニナの肩が跳ねる。
「フリ、じゃないからな?」
「え?」
「本気で危ないから、やらないでくれ」
「え? え?……あ」
ロウガンが最後に見せつけた、あの手つきのことだろう。
「……やりませんよ」
少し口を尖らせる。先程の”悪趣味な冗談”の余韻が、まだ残っている。
「それならいいんだが——」
ふーっ、と長めのため息を吐いて、カイは天井を仰ぐ。
「直そうとは努力してるつもりなんだが……」
「ええ、いくら何でも危なすぎます」
「なかなか、これが……」
そこには、ニナが思った以上に努力した様子が滲み出ていた。身についてしまった癖を、ここまで直そうとするだけでも、一体どれほどの積み重ねがあったのだろう。
ニナには分からないカイの一面が、顔を覗かせた気がした。
「さて……いや、さてじゃないか——」
カイは、一度言い直す。腕を組んだまま、視線を落とす。
言葉が、なかなか出てこなかった。
ロウガンとの会話で、少しは息が整った気がしていた。だが、いざニナに向き合うと、そのくらいの余裕では足りないことに気付く。
詫びる、というだけの単純な話じゃない。
自分が何をしたのか、まず自分自身が飲み込まなければならなかった。
「——悪かった」
やっと出た言葉は、短かった。だが、それで終わらせるつもりはない。
「何が悪かったか、ちゃんと、言う」
一度、拳を握る。
掌に硬い小さな感触。
それは、ロウガンに渡されたコムリンクだった。
「また、相談せずに決めた。お前の気持ちなんて、一度も聞かなかった。聞こうとすら、しなかった」
声が、少しずつ掠れていく。
「自分のことでいっぱい——いや、そう言えば、楽になれるんだろうな。でも、それは言い訳にすらならない。お前を、モノみたいに扱った。押し付けて、勝手に納得して、それで終わったつもりで——」
拳の中で、爪が掌に食い込む。痛みで、言葉を繋ぎ止めているようだった。
「一番、駄目だったのは——」
一度、言葉が詰まる。
「お前が、どれだけ本気で嫌がってたか。それすら、俺は分かってなかった。あのビンタで、ようやく分かったつもりになってる。それが、一番情けない」
カイは、そこでようやく顔を上げ、ニナの方を見た。
「——すまなかった」
ニナは、その言葉の重さに、少しだけ息を呑む。カイが、こんなにも自分を追い詰めるように言葉を選ぶのを、初めて見た気がした。
「——私も」
ニナは、膝の上で手を握る。
「正直に言うと、私も、ちゃんと整理できてないんです」
「え?」
「叔父様……シオウさんと、最後にきちんと話せたわけじゃなくて」
声が、少し揺れる。
「あなたの治療を、何度も、任せると言われて、それで、預かった気になって——」
「『任された』って言いましたけど、それも——半分は、私がそう思い込んでるだけかもしれません」
その告白に、カイは何も言わなかった。ただ、続きを促すように、視線だけをニナに向ける。
「でも」
ニナは、顔を上げた。
「今のあなたは、危なっかしく見えます。孤児の保護って使命にしがみついてるような、それすら今は手放そうとして、だから——一人にしちゃダメだって、それだけは、思ってるんです」
沈黙が落ちる。エンジンの微かな唸りだけが、コックピットに響いていた。
「何で……置いていこうとしたんですか」
絞り出すような声が、ニナから出た。
「——なんで、か」
ぽつりと、返す。
「ベスピンで、お前を守りきれなかった。あの時、ずっと考えてた」
「……」
「親父がいない俺は、あまりに力不足だ。今更、思い知った」
言葉は、静かに続いていく。
「ウォッチの仲間になら、任せられる。あそこにいれば、少なくとも、俺よりは守ってやれる」
カイは、一度言葉を切った。それから、少し違うトーンで続ける。
「マンダロリアンになる必要も、別にないんだ。成人したら、自分の好きな道を選べばいい」
その一言に、ニナの視線が、わずかに泳いだ。
何かを言いかけて、口を開く。だが、言葉にする前に、また閉じる。
「——それが、あなたの本音、なんですね」
「ああ」
カイは、頷いた。
しばらく、どちらも口を開かなかった。
「——一つだけ、約束してほしい、です」
ニナが、先に沈黙を破る。
「もう、勝手に決めないでください。私を、置いていくとか。一人で突っ走るとか」
「——分かった。それは、約束する」
「じゃあ」
ニナは、少し身を乗り出した。
「一緒にいる
「――」
「一緒に
カイは、すぐには答えられなかった。視線を彷徨わせ、それでも逃げずに、ニナの方を見る。
「——即答は、できない」
正直に言った。
「でも」
続ける。
「危なくないように。衝突しないように。これから、“ゆっくり”話し合っていこう」
カイは、そこで一度言葉を切った。
——失ったものは、多い。
マンダロリアンとしての立場。親父そのもの。ネヴァロで消えた、他の仲間たちの顔。数えれば、指では足りないくらいに。
——それでも。
今まで歩んできた生き方は、誰にも取り上げられていない。ロウガンも。助かった仲間たちも。胸元の短剣も、新しく打たれたこの鎧も。「叔父様に託された」という、あの使命感さえ、消えてなどいない。
そして——一番、大事なものも。
それから、初めて自分から——
「だから、“まだ”、一緒にいて欲しい」
その一言に、ニナの目に、また涙が滲んだ。今度は、悲しみのためではなかった。
「私、もっと知りたいです」
すこし居住まいを正して、さらに続ける。
「カイさんのこと、もっと深く知りたい」
——ガタッ。
操縦席に座っていたカイの体勢が、大きく崩れた。
顔はニナに向けたまま、固まってしまっている。
ヘルメットの下の表情は、ニナには読めない。
「それ、は——」
絞り出すような声のあと、しばらくしてようやく言葉が続いた。
「あ、ああ、そうだよな。うん、分かった」
「?」
気まずいような、それでいてくすぐったいような、変な沈黙が漂う。
その時。
ピー……。
カイが握りしめていた拳から、微かな電子音が、流れて途切れた。
ロウガンに渡されたコムリンクが、通信圏外の警告音と共に自動でスイッチが切れる。
「それ、通信機、ですか?」
「ああ」でも、と続ける。「圏外だな」
「え⁉︎」
距離は保って50km。いくら大気圏内とはいえ、これだけ飛ばしていたら届かなくなるだろう。
ロウガンが見送ってくれた平原は、もう見えなくなっている。
「そんな、だって……」
不安そうにこちらを見るニナの頭を軽く撫でる。
「大丈夫だ。これが使えなくなっただけで、通信なんて他にやりようがある」
「それじゃあ——」
ニナは、カイの掌の小さな機械に目を落とす。
「ま、お守りみたいな、ものかな」
特に何も説明することなく、カイは腰のポーチにその小さな
圏内に入れば、また、通信可能になる。
近くにいれば、すぐに分かる。
マンダロリアンは、
だから、これは、一人の戦士であり、昔馴染みでもある彼なりのメッセージだった。
——また会おう。
「ああ、またな」
ニナに聞こえない声量で、カイは親友との再会を約束した。