黒刃と寄る辺なき花   作:アサナシケイ

15 / 15
第四話 ソレイン基地にて 2/3

 十分ほどして、担当官だけが戻ってきた。

 

「悪いが、あの子、登録自体が初めてらしい。データが一切ないんだ」

「……初めて?」

「そう。再発行とかそういう話じゃなくて、まっさらな新規登録になる」

 担当官は、後ろ頭を掻きながら続ける。

「照合やら本人確認やら、色々手続きが要る。今すぐってわけにはいかない」

「どれくらいかかる」

「早くて数時間、遅けりゃ日を跨ぐ」

 

 カイは、思わず息を吐いた。

 ——まあ、想定の範囲内か。

 むしろ、これ幸いと言えなくもない。どうせいつかは通らなければならない手続きだ。

 

「少佐」

 カイは、傍らに立つ少佐へ向き直る。

「一つ、頼みがある」

 少佐は、片眉を上げた。

「ほう?」

「あの子の登録、ここで済ませたい。あと——」

 カイは、格納庫の隅に停めたキタツグミの方へ視線を送る。

「もう一つ、頼めるメカニックはいないか。壊れたドロイドがある」

 ずっと気に掛かってはいたが、なかなか取り掛れなかった。

 時折、動かなくなった『ドクちゃん』を見つめるニナの横顔が頭に浮かぶ。

 

 少佐は、しばらくカイの顔——正確にはヘルメットだが——を眺めていたが、やがてニヤリと口の端を上げた。

 

「金は出せるのか?」

「謝礼は……払う。足りないなら、労働か何か——悪いが、何とかならないか」

「お、言ったな?」

 

 ——え?

 

「こっちも頼みたい仕事があってな。ちょうど手が足りなくて助かるよ」

 待ってましたと言わんばかりの提案だった。カイは、面食らう。

 

 ——は?

 

「仕事?」

「うちの管轄内に、帝国シンパの残党が立て篭もってる場所があってな。隊長格を捕らえたいんだが、こっちの人数じゃどうにも足りない」

 少佐は、後ろで気だるげに佇む部下たちを一瞥する。

「見ての通りだ」

 見張り塔は止まったまま、整備中の機体は放置されたまま。良くも悪くも、色々とゆるい基地だった。

「マンダロリアンなら、ちょうどいいと思ってな」

 

 その一言に、複雑な感情が去来する。

 ——俺の実力じゃなくて、マンダロリアンって看板が欲しいだけか。

 それでも、断る理由はこちらにはなかった。

 

「分かった。手伝う」

「よっし、決まりだ、な」

 少佐は、あっさりと手を叩いた。

「報酬は——」

 

 提示された金額を聞いて、カイは一瞬言葉を失った。

 まだ相場観というものがよく分からない。それでも、この基地の懐事情を思えば、明らかに割高な気がする。

 

「……高くないか、これ」

「マンダロリアンを雇うなら、これくらい出さねぇと逃げられるからな」

 少佐は、悪びれもせずそう言った。

 ——かつての奴らが、そういう相場を作ったんだろうな。

 自分の実力とは無関係な、先人の遺産にただ乗りしている気分になる。素直に喜べない複雑さが、胸の奥に淀んだ。

 それでも、若さゆえの見栄がそれを上回った。

 

「前金で、三分の一貰おうか」

 努めて平静な声で、そう告げる。

「残りは終わってからでいい」

「話が早くて助かるよ」

 少佐は、片手を差し出した。カイは、その手を握り返す。

 ——やるしかない、か。

 

 背後を振り返る。ニナは、まだ戻ってこない。

 カイは、小さく息を吐いた。出発の前に、まだ言っておきたいことがある。

 

「話は決まりだ。行こうか」

 少佐がそう言って踵を返しかけたところで、廊下の奥からニナが顔を覗かせた。

「あ、カイさん」

「まだかかるんじゃなかったのか?」

「途中で一回、休憩が入るみたいで。少しだけ時間ができました」

 担当官に促されて、束の間の空き時間をもらえたらしい。ニナは小走りに近づいてくると、カイの前で足を止めた。

 

「どこか、行くんですか?」

「ああ。ちょっと頼まれごとが、な。すぐ済む」

 適当に請け合ったつもりだったが、ニナの表情は晴れなかった。

 しばらく、言葉を選ぶように黙っていたニナが、やがて意を決したように口を開く。

「あの、一つだけ」

「何だ?」

 

「殺さない戦い方は、できないんですか」

 

 唐突な問いだった。カイは、すぐには答えられなかった。

「……できるだけ、そうしてるつもりだが」

「つもり、ですよね」

 ニナの視線が、揺るがない。

「余裕がある時は、な」

 カイは正直に答えた。ごまかしても、この子には見透かされる気がした。

「でも、いつも余裕があるわけじゃない」

「……そう、ですよね」

 ニナは俯く。だが、それで終わりにはしなかった。

 

「でも——もし、その人が死んだら」

 顔を上げる。

「その人にも子供がいたら、孤児を——カイさんが増やしてしまうことにも、なりませんか」

 その一言に、カイは息を呑んだ。

 

「全員、保護できますか? カイさんが」

「……」

「できませんよね」

 容赦のない指摘だった。だが、そこに悪意はない。ただ、まっすぐにこちらを案じているだけの目だった。

 カイは、しばらく何も言えなかった。反論しようにも、言葉が見つからない。

 

「――前向きに、検討する」

 やっと絞り出せたのは、それだけだった。

 

 ニナは、その返事に満足したのかどうか、微妙な顔で小さく頷いた。

「約束、ですよ」

「善処する、としか言えないが」

「それでいいです」

 少し拍子抜けしたような声で、ニナはそう言った。

 

 担当官が奥から呼ぶ声がして、ニナは名残惜しそうにしながらも「行ってきます」と踵を返す。

 カイは、その背中を見送りながら、しばらくその場に立ち尽くしていた。

 

       *

 

 小さな会議室に、埃っぽい光が差し込んでいた。

 

 卓の上に広げられているのは、施設の見取り図——らしきもの。あちこち黄ばみ、折り目がそのまま線のように焼き付いている。作成年を確認したいのに見事に掠れて消えていた。

 

「これが、例の施設の図面です」

 説明役に立ったのは、少佐でもなければ、あの担当官でもない。もう一人、別の部下だった。人の良さそうな丸顔で、やたら胸を張っている。

 

「……古くないか、これ」

 カイは、思わず口を挟んだ。端の方が変色し、印刷というより手書きに近い部分すらある。

「古いですけど、これしかないんで」

 あっさりとした返しだった。食い下がる隙もない。

 

「元は帝国の通信施設だったので、正確な図面はそもそも残ってないんですよ。これは、その、伝聞ベースで再構成したやつです」

「伝聞……」

 嫌な予感がした。

 

「大体合ってると思います、多分」

「多分」

 思わず聞き返す。部下は、悪びれる様子もなく頷いた。

 

「人員配置は、これくらいで」

 図面の脇に並べられた駒——代わりに使われているのは、何かの部品のようなものだった——の数を、カイは数える。

 

 少ない。

 

「これだけか」

「これしかいないので」

 またも即答だった。

「後詰めが薄すぎないか」

「基地の総力です」

 誇らしげにすら聞こえる声だった。カイは、思わず眉間を押さえる。

 

「隊長の顔写真とかは」

「ないですね」

「ないのか」

「風の噂で、体格がいいって話は聞いてます」

「体格が、いい……」

 情報と呼べるかどうかも怪しい代物だった。

 

 その時、部屋の隅で黙って書類を整理していた別の隊員が、控えめに手を挙げた。

 先の二人とは、明らかに空気が違う。姿勢も、目つきも、やけに真面目だった。

 

「あの……よろしいでしょうか」

「何だ」

「そもそもの話なんですが」

 その隊員は、少し言いにくそうに言葉を選ぶ。

「民間人に——それも、マンダロリアンの方に、正式な報酬を払って軍の任務を代行させるというのは、本当に問題ないんでしょうか」

 

 カイは、思わずその隊員の方を見た。

 ——同じことを、考えていた。

 自分でも、腑に落ちないまま流していた疑問だった。まさか、基地の側からそれを指摘されるとは思わなかった。

 

「監査が入ったら、どう説明するんです? 装備も人手も足りない、では——」

「はいはい、堅いこと言うなって」

 少佐が、あくびを噛み殺しながら手を振る。

「その通り。装備も、人も、練度も足りねぇんだよ、うちは。使えるもんは何でも使う。それだけの話だ」

「ですが……」

「後ろ暗いことなんざ何もねぇだろ。ちゃんと報酬も払ってる」

 あっさりと、少佐は切り捨てた。真面目な隊員は、それでも納得しきれない顔で口を噤む。

 ——いや十分後ろ暗いだろ。

 カイも言葉を飲み込む。

 

 カイは、内心で複雑な気分になった。

 ——こっちとしても、あんまり自信持って肯定できる話じゃないんだが。

 だが、この基地の懐事情を見れば、少佐の言い分も理解できなくはなかった。

 

「まあ、それに——」

 少佐が、ふと声のトーンを落とした。

 先ほどまでの気だるさが、ほんの少しだけ、薄れる。

「今回のシンパの連中は、な」

 

 カイは、その言葉の続きを待った。

「——いや、何でもない」

 少佐は、そう言うと、すぐにいつもの調子に戻ってしまった。

 

 何かを言いかけて、飲み込んだのが分かった。だが、それが何なのかまでは、教えてもらえそうになかった。

 カイは、少し引っかかりを覚えたものの、それ以上は追及しなかった。

 

「……とにかく、行けばいいんだな」

「そういうこった」

 少佐は、あっけらかんとそう答えた。

 

 カイは、天を仰いだ。

 

 ——これは、思っていたより、割に合わない仕事だったかもしれない。

 前金の重みが、急に頼りなく感じられた。

 

       *

 

 装備の点検に、いつもよりわずかに時間をかけた。

 

 バンドリアの弾薬帯を指で辿り、数を数える。グレネードのピンの掛かり具合を確かめ、ヴァイブロブレードの起動を一度だけ試す。

 低い振動音が手のひらに伝わり、正常だと分かって止める。

 ダートの残弾を確認し、最後にブラスターの薬室を覗き込んだ。

 

 深く、息を吐く。

 

 ——施設内、閉所での接近戦。数の優位。

 

 作戦の内容自体は、悪くない。むしろ、自分の得意分野に近いとすら言える。

 

 見る限りでは、だが。

 

 あの緩さで組まれた作戦だ。現地に着けば、想定と違うことの一つや二つ、出てくるだろう。最後は、出たとこ勝負になる公算が高い。

 

 それでも構わない、とは思う。

 

 ただ——ベスピンの時のような遅れは、二度と取りたくなかった。ネヴァロのあの日、力が及ばなくて、守りきれなかったものもある。

 

 この基地の空気に流されて、自分まで緩んでいたことに、今更ながら気付く。

 カイは、意識して肩の力を入れ直した。

 

 ——集中しろ。

 

 そう自分に言い聞かせたところで。

 肩を、強く掴まれた。

 

 振り返ると、少佐だった。

「……何だ」

「いや」

 少佐は、少しの間、こちらの全身を眺め回すような視線を寄越した。

「正直、最初はな。若造一人に任せて大丈夫かって、心配してたんだ」

 ——チェーンコードを盗み見たな、こいつ。

 突っ込みたい気持ちはあったが、飲み込んだ。今更、目くじらを立てるようなことでもない。

「それで?」

「今は、悪くない目をしてる。安心した」

 

 そう言った少佐の表情は——だが、安心とは程遠かった。

 

 眉間に薄く皺が寄り、口元だけが笑おうとして、うまく笑いきれていない。

「……そうは見えないが」

 カイは、素直にそう指摘した。

 

 少佐は、一瞬だけ言葉に詰まる。それから、真っ直ぐにこちらを見た。

 

「今回の作戦、な」

 声のトーンが、それまでとは違っていた。

「最優先事項として、追加してほしい」

 

「——部下を頼む」

 

 短い、それだけの言葉だった。

 

 カイは、その先を待った。だが、続きはなかった。

「ずいぶんと、曖昧な指示だな」

 茶化す気配は、なかった。純粋な指摘だった。

 

 少佐は、何も付け加えなかった。ただ、こちらを見つめる目だけが、それ以上の言葉を求めていた。

 

「……最優先だな」

 カイは、短く請け負う。

「任された」

 

 少佐の肩から、わずかに力が抜けたのが分かった。

「頼む」

 もう一度、それだけ言うと、少佐は肩を叩いて離れていった。

 

 カイは、その背中を見送りながら、装備帯をもう一度、確かめるように締め直した。

 

       *

 

「細かいことは、現地で何とかしてくれ」

 そんな無責任な台詞を残した張本人は、さっさとX-ウイングに乗って飛び去ってしまった。

 現地付近で待機して様子を伺う、という。

 

 カイは用意された輸送船の中で、先程確認しそびれたことを尋ねる。

 本来、わざわざ聞くまでもない事なのだが、嫌な予感が拭えなかったのだ。

 

「通信手段はあるんだよな?」

「基本的に、大声です」

「大声」

 ——大声?

「あと、光の点滅とか」

 同行している説明役の部下は、これといって恥じる様子もなく続ける。カイは、もはや何から突っ込めばいいのか分からなくなっていた。

 

「……本当に、俺だけで足りるのか、これ」

 思わず漏れた呟きに、部下は元気よく答える。

「足りなかったら、その時考えます」

「頼もしいな、おい」

 皮肉のつもりだったが、部下には通じなかったらしい。にこやかに頷き返してきただけだった。

 

 ——おいおい、"頼む"ってまさかこういうことじゃないだろな。

 

 命だけじゃなくて、これは——

 信じられない結論を、頭を振って追い払う。

 

 カイは、通信機(コムリンク)の電源を入れる。それは出発前、少佐が投げて寄越した物だった。

 今になって、なぜ部下に渡さなかったのか理解した。

 

 通信が繋がった瞬間——

「お゙い゙!!!!」

 カイは低い声で怒鳴りつけた。

『おー、マンドー式の通信は威勢がいいんだな』

 通信機越しの少佐(クソパイロット)の声は、どこ吹く風と言ったように呑気なものである。

 その態度が余計にカイの神経を逆撫でた。

 

「おま、これ、ほんとに正規軍か!?」

『正規軍なんだなぁ』

「——————ッ!!」

 もはや言葉にすらできなかった。

 目の前で苛立たしげに足を踏み鳴らすマンドーを、NRたちは怯えながら見ている。

 

『まぁまぁ、兄さん聞いてくれよ』

「……兄さん呼び止めろ」

『ははははは』

 笑って受け流しながら少佐は続ける。

『そもそも、な。うちの連中の練度が低いのには理由があるんだよ』

「聞かなくても分かる。やる気がないんだろ」

『それも間違っちゃいないが、根っこはもっと単純だ』

 

 少佐は、鼻歌でも歌い出しそうな調子で続けた。

『食うに困った奴らの、貴重な就職先ってだけだよ、ここは』

 

 外縁部は貧しい生活を送る者が少なくない。辺境の辺境ならなおさらだ。

『向こうのシンパ連中も、似たようなもんだ。大義がどうこうより、他に行き場がなかった連中の吹き溜まり』

 

 その言葉に、カイは思わず言葉を失う。

 拾う者次第で変わる運命。それは自分たち(マンダロリアン)も似たようなものかもしれない。

 

『まあそういうことでな。今まで、大した消耗も衝突も、ろくに起きたことがない。言ってみりゃ、なあなあの平和ってやつだ』

 妙に実感のこもった声だった。

 

「じゃあ、今回は——」

『なあに、心配すんな』

 カイの問いを遮るように、少佐が言葉を被せる。

『体力だけは、ちゃんとしごいておいたから』

「……本当だろうな」

 もはや、文句を言う気力すら湧いてこなかった。ただ、深く長いため息だけが漏れる。

 

 カイは、片手で顔を覆いたい衝動をどうにか堪えた。ヘルメットの下では意味がないと分かっていても、そうしたくなる気持ちだけは本物だった。

 

「……ヘルメットの周波数、教えとく」

 諦めの境地で、そう告げる。

『お、いいのか?』

「暗号帯も含めてだ。今後はこっちを使ってくれ」

 

 口にしてから、一瞬だけ迷いがよぎった。

 

 ——これ、後々まずいことにならないか。

 

 だが今更、撤回する気にもなれなかった。数列を読み上げ、通信機へと打ち込ませる。

『よし、繋がった。これで安心だな』

「安心できるかどうかは、お前次第だ」

『手厳しいな』

 軽口を叩く少佐に構わず、手に持ったままのコムリンクへ視線を落とす。もう用済みだ。

 

「——お前が持ってろ」

 説明役の部下に向けて、軽く放り投げる。

 

 だが、油断していたのか、間の抜けた声と共に、コムリンクは指先をすり抜けて地面に転がった。

「わっ……!」

 部下が、慌てて拾い上げる。幸い、傷一つついていないようだった。

 

「おい、壊すなよ!……いや、失くすなよ!?」

 

       *

 

 施設を望む岩陰から、カイは遠巻きに様子を窺っていた。

 

 傍らに伏せる後詰めの数人が、それぞれ機材を構えている。緩い部下——ペックスと名乗っていた——の一人が、小さな端末に目を落としたまま囁いた。

「タレット、二機です。ゆっくり周回してます」

 端末の画面には、点滅する反応が二つ。その隅で、時折ノイズのような乱れが走っているのが目に入ったが、部下は特に気にした様子もなかった。

 

 ——二機。

 

 カイは、ジェットパックの左側面——マグネットで固定されたスラッグ・スローワーへ手をやる。取り外し、薬室を開く。

 

 弾薬帯を指で辿り、EMPカートリッジに手が伸びる。確実に無力化できる、便利な代物だ。

 ——だが。

 指先が、そこで止まる。

 

 ——高いんだよなぁ、これ。

 一発一発の値を思い出すと、途端に手が惜しくなった。二機程度なら、わざわざ使うほどでもない。

 少し逡巡してから、ライフルを元の位置に戻す。

 

「——借りるぞ」

 傍らの部下から、代わりにライフルを受け取った。持っただけで、整備の悪さが伝わってくる代物だった。銃身にがたつき、グリップの塗装は剥げかけている。

 思わず、ため息が漏れる。

 

 ——まあ、これでも十分だ。

 

 道具の善し悪しは、多少なら腕で埋められる。

 

 スコープを覗く。まずは、一番狙いやすい位置にいる一機。動きも読みやすい。

 

 ——一発目。

 

 乾いた発射音。命中と同時に、タレットの灯りが消える。

 

 銃の癖は、これで大方掴めた。

 

 ——二発目。

 

 間を置かず、二機目も同様に沈黙する。

 

「あ」

 傍らで、間の抜けた声が漏れた。

 

 ——あ、って何だよ。

 

「もう一機、いました!」

「先に言え、バカ!」

 

 悪態をつきながら、カイは目を凝らす。周回コースの死角、暗がりの中に紛れていたそれを、かろうじて視界に捉えた。

 ——妨害電波か!

 端末の画面に走っていたあのノイズは、これのせいだったらしい。局所的な妨害装置か何かで、探知そのものを阻害されていたのだろう。今更気付いても、遅い。

 

 照準を合わせる。引き金を絞る。

 

 命中——だが、コンマ数秒、遅かった。

 

 着弾の直前、タレットから鋭い警告信号が放たれる。

 施設全体に、けたたましいサイレンが鳴り響いた。

 カイは、小さく舌打ちする。

 

 ——見つかったか。

 

 もう、忍び込む手は使えない。

 振り返りライフルを返すと、後詰めの肩を叩いて先を促す。

「見つかった。忍び込むのは無理だ、行くぞ」

 

 短くそう告げると、カイは施設の正面へ向けて駆け出した。

 

       *

 

 施設全体に、けたたましいサイレンが鳴り響いていた。

 

 ——今頃気付いても、遅い。

 

 正面ゲートは、後詰めが強引にこじ開けた。

 なだれ込むように、カイは先頭で駆け出す。

 構造物の中、サイレンはまだ鳴り続けている。それなのに、駆けつけてくる足音の一つもない。

 

「——あの音、止めろよ」

「うるせえな、誤作動だろ」

 通路の奥から、気だるげな声が漏れ聞こえてくる。誰も、本気で対応する気配がなかった。

 

 やがて、耳障りな音が唐突に途切れる。誰かが、面倒臭がって手動で止めたのだろう。静寂だけが、通路に戻ってきた。

 

 ——助かるが、危機感がなさすぎるだろ、これ。

 

 拍子抜けした気分のまま、カイは足を止めない。

 通路の構造は、渡された図面とまるで違っていた。曲がり角が一つ多い。壁の位置もズレている。

 

 ——伝聞ベースって、こういうことか。

 

 舌打ちする間もなく、最初の敵影が現れる。

 

 躊躇なく踏み込み、当て身一つ。意識を刈り取る。崩れ落ちる体から、ブラスターだけを蹴り飛ばして先へ進む。

 

 ——待てよ。

 

 ふと、足を止めかける。

 

 武器を奪うだけでいいのか。隠し持った予備の一つや二つ、あってもおかしくない。今は意識がなくても、目を覚ませば話は別だ。

 

 ——後ろに、ペックスたちがいる。

 

 万が一、途中で意識を取り戻した誰かに、後詰めの誰かが不意を突かれでもしたら。

 ——思考が一瞬、囚われた隙に。

 

「突入します!」

 背後で、やたら威勢のいい声。ペックスが、真っ先に飛び出していく。

「——待て、先に——」

 

 制止は、間に合わなかった。

 

 通路の奥、複数の敵影。ペックスは棒立ちのまま、どれから狙うべきか迷っている様子だった。

 舌打ち一つ、カイはその横をすり抜けざまに動く。

 

 閃光。乾いた打撃音。また一人、崩れ落ちる。

 

 だが、殺す前提で磨いてきた体は、時折その”加減”に戸惑う。踏み込みが深すぎたり、力が余ったり。

 

 ——やりにくいな、これは。

 

 氏族に伝わる戦闘術は、そもそも手加減のために組まれてはいない。今更ながら、それを実感する。

 

「あ——危な!」

 

 背後で、間の抜けた悲鳴。振り返れば、ペックスが敵の一撃を紙一重で躱していた。

 

 ——おい。

 

 カイは、思わず天を仰ぎたくなった。

 

 ——任せるって、やっぱり教育もかよ。

 

 少佐との約束を、今更ながら恨めしく思う。

 

 それでも、数の優位は揺るがない。後詰めが多少頼りなくとも、圧倒的な状況そのものは崩れなかった。

 

 ——これだけ人手と装備が揃っていれば。

 

 ふと、ベスピンでの死闘が脳裏をよぎる。あの時とは、何もかもが違う。守る者もなく、退路も潤沢な、恵まれた戦いだった。

 

 あらかた制圧し終えると、カイはもう一度、ヘルメットのセンサーに意識を向けた。

 

 熱源反応、なし。物音も、なし。

 

 ——片付いたか。

 

 それでも油断せず、しばらく周囲を窺う。誰かが息を潜めている気配もない。ようやく、詰めていた息を吐き出した。

 誰にも聞こえないような声量で、無意識に呟く。

 

「——ニナ、どうしてるかな」

 

       *

 

 ニナが案内された小部屋には、聞き慣れない機械音が満ちていた。

 

 担当官が、キタツグミの登録情報を呼び出しながら、ペンで頭を軽く叩く。

「あー、だから止められたんだな、あんたら」

「何がですか?」

「航行履歴が、ほとんど白紙なんだ。この十五年、どこにも飛んでない」

 

 ニナは、静かにその言葉を受け止めた。

 ——ずっと、あの整備場の奥に眠っていた船だもの。

 驚くようなことでも、ない気がした。

 

「まあ、辺境じゃ珍しくない話だ。長らく倉庫に眠ってた船とか、記録漏れとか」

 担当官の言葉に、ニナは小さく頷く。

「——おっと、所有者が違うみたいだな」

「え!?」

「ま、これもよくある話だ。それより——こっちが前の所有者の記録なんだが」

 担当官の声が、少しだけ変わる。

 

「これ、あんたの血縁者らしいぞ」

 

「——え?」

 

「船の登録情報に紐づいてる血縁データだ。おそらく、母親に当たる人物だな」

 心臓が、跳ねた。

「わ、私の、母親……?」

「ああ。詳しく見てみるか」

 担当官が、画面をこちらへ向ける。

 

 モニターには、機械的に整列した文字列。ニナは、その一つ一つを目で追う。

 

 だが——知らない。

 どこにも、見覚えのある響きがなかった。

 

「え……——何て、私、知らないです。この人が私のお母さんなんですか?」

 

 モニターに、そっと手を沿わせる。そこに並んだ無機質な文字の羅列。それは何も語らずに、微かな走査線の中で揺らいでいる。

 

「お母さんは、私のお母さんは——」

 

 その時、一つの情景が、ゆっくり開かれたカーテンの向こうのように頭に浮かんだ。

 

 開かれた図鑑、優しく降り注ぐ声、文字をなぞる——二つの手。

 

 ——ニナ。

 

 背中の温もり。甘く包む香り。

 見上げる顔は、白く焼け付いて思い出せない。

 

 ——ニナ、ほら、ツグミさんだよ。

 

 自分を抱える女性は、自分の名前を呼びながら、本の写真を指差す。

 

 後ろから、父の呼ぶ声が聞こえる。

 

 ——ご飯ができたよ。

 

 ——ニナ……ソ——

 

「ソレイン——」

 

 思い出した、お母さんは、ソレインって呼ばれてた。

 

「ソレイン……お母さんは、ソレインって呼ばれてました」

 繰り返すように、もう一度呟く。

 担当官が、怪訝そうに眉を寄せた。

 

「ソレイン? ……それ、この基地の名前と同じじゃないか」

「え……」

「どういうことだ、そりゃ」

 

 答えられるわけがなかった。ニナ自身、何が起きているのか分からない。

「わ、私にも、分からないです。ただ、母は……その名前で、呼ばれていたので」

 画面に映る、見知らぬ文字列を見つめたまま、ニナは正直にそう答えるしかなかった。

「私、この本名なんて、聞いたこともなくて」

 

 担当官は、しばらく画面と睨めっこしていたが、やがて何かに思い当たったように、ぽん、と手を打った。

「——ああ、なるほどな」

「?」

「よくある話だ。お母さん、この基地の名前を、そのまま自分の呼び名として使ってたんじゃないか?」

「基地の……名前を?」

「たとえば、な。景気付けとか、縁起担ぎとか。外縁部じゃ珍しくもない」

 担当官は、軽い調子でそう説明する。

「名乗りと本名が別にある人間なんて、この辺じゃごまんといるさ。あんたのお母さんも、その口だったんだろうよ」

 

 その言葉に、ニナはようやく合点がいった。

 

 ——だから。

 

 基地の名前を聞いた時、あの既視感があったのだ。母の呼び名と、同じだったから。

 偶然ではなく、ちゃんと繋がっていた。

 ニナは、モニターに映る見知らぬ文字列を、もう一度見つめる。

 知らない名前。それでも——確かに、これが、母だった。

 

 小部屋を出る前、担当官が最後にもう一つの端末を操作した。

「そういえば、船の方の登録もついでに済ませとくか。前所有者が身内なら話は早い」

「あ……はい、お願いします」

 

 手続きは、思いのほかあっさりと進んだ。数回のサインと、指紋の照合。ものの数分で、キタツグミの所有者欄に、ニナの名前が刻まれる。

 

 ——お母さんの船が、私の船になった。

 

 実感の湧かないまま、画面をぼんやり見つめる。

 

 小部屋を出ると、廊下の窓から差し込む光が、やけに眩しく感じられた。

 

 ——図鑑の、一番好きなページ。

 

 思い出したのは、名前だけではなかった。優しい声で読み聞かせてくれた、あの一節。今も諳んじられるくらい、体に染み付いている。

 

 あれは、母がくれたものだったのだ。

 

 ニナは、静かにその事実を胸にしまう。悲しみでも、喜びでもない。ただ——知らなかった自分の欠片が、また一つ埋まったような感覚だった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。