黒刃と寄る辺なき花   作:アサナシケイ

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第五話 黄昏のスズメバチ 1/4

 金属を軋ませる音が、絶え間なく響いている。

 

 砕かれた鉱石が、選鉱ラインの上を流れていく。埃っぽい空気。錆びついた配管。むき出しのベルトコンベアが、単調な音を立てて奥へと続いている。

 

 ——ここなら、多少の物音は誰も気にしない。

 

「——いい仕事するわよね、貴方。アジトの位置も、人員の配置も、ばっちり」

 

 女の声が、機械音の合間に響いた。

 

「けど、ね」

 

 乾いた銃声が一発。

 

 女の目の前、一人の男が崩れ落ちた。

「それを漏らされるのは困るのよ、分かるでしょう——?」

 

 即死だった。

 

 もう一人の男は、それをただ見ていた。動けなかった。

 

 女は、物言わぬ身体を無造作に蹴った。転がるように、コンベアの上に落ちる。

 

 ベルトが動き出す。

 

 ゆっくりと——男の目には、やけにゆっくりと見えた——死体が運ばれていく。奥の機構へ。金属の唸りが、一段大きくなる。

 

 それきり、人だった何かは、コンベアの向こうに消えた。

 

「はい、次——」

 

 女の視線が、男へと向いた。

 

 男は、悟った。

 

 自分が呼ばれた理由に、心当たりなどなかった。使えないと判断された、それだけだ。

 

「——っ、あ、いや、いやだ……!」

 

 声にならない声で叫ぶ。逃げようと、足を動かそうとする。だが体は、恐怖に縫い止められたように動かない。

 

 女が、こちらへ歩いてくる。

 

 ——近い。

 

 近すぎる。

 

 その目を、見てしまった。

 

 心臓を掴み上げるような、暗い光。

 

 男の喉から、それきり音が消えた。悲鳴すら、出なかった。

 

 体が、コンベアの上に運ばれていく。金属の唸りが、すぐ側で響いている。轟音の中、それでも、間近にいる女にだけは、聞こえていたのかもしれない。

 

 嫌だ。

 嫌だ。

 

 嫌だ嫌だ嫌だ。

 助けて誰か嫌だ怖い嫌だ嫌だ。

 

 いや——

 

 男の意識は、そこで途切れた。

 

        *

 

 女は、うっとりと目を細めていた。

 

 轟音の中に佇み、機構が仕事を終えるまでの、ほんの短い時間を。

 

「——ん、ふふ。いい音。役に立ったじゃない」

 

 満足げに、息を吐く。

 

 少し離れた場所——女とコンベアの両方が見える位置に、部下たちが整列していた。誰も、身じろぎ一つしない。

 

 ただ、恐怖だけが、その場を支配していた。

 

        *

 

 眼下に広がる惑星は、遠目にも賑わっているのが分かった。灯りの密度が違う。港湾部の光点は数珠つなぎで、これだけでも相当な交通量だと察しがつく。

 

「——発着枠が埋まってる、と」

 

 管制からの応答を聞き流しながら、カイはひとりごちた。

 

 なんでも、地上で大規模な見本市が開かれているらしい。物流だ、技術だ、と各方面の商人が押し寄せていて、通常便の受け入れすら滞っているという。

 

「しばらく上空待機を、だそうだ」

 

 操縦席から振り返る。ニナは窓の外を覗き込んで、目を輝かせていた。片手に掴んだサンドイッチのことは、すっかり頭から抜けているようだ。

 

「賑わってますね」

「——そうだな」

 

 混雑した空路の向こうに、無数の灯りが瞬いている。悪い星ではなさそうだ、と思う。少なくとも、傭兵稼業や賞金首の噂が転がっていそうな活気はある。

 

 問題は、それが今すぐ手に入らないということだった。

 

「——で、どれくらい待つんだ」

 誰にともなく呟いた声に、管制からの淡々とした返答が重なる。

「——一時間ってところか」

 カイは、シートに深く座り直した。

 

 ニナはようやく最後の一口を食べ終わると開口一番、「あの」と切り出す。

 

 ——こうやって空き時間ができると、二人は自然とお互いの話をするようになった。

 もっと知りたい、ニナの希望を受けてからである。

 

 大半はとりとめのない話題。

 カフの好みとか、シートの座り心地とか、先日買ったレーションの味とか。

 武器の手入れのコツ、応急処置で意外と気をつける点。

 ニナの知らない星の風習、カイの会ったことのない患者の話。

 

 ——今回、最初に切り出したのはニナだった。

 

「マンダロリアンって、戦士の一族なんですよね。孤児の保護って皆さんでなさってるんですか?」

 少し意外な質問に面食らったが、言われてみるときちんと説明したことも無かった気がする。

「いや——そういう訳でもないな」

「?というと?」

「んー……そうだな、教義としては確かに全体の義務ではあるんだが」

 

 そこで一旦、言葉を切るとカイは頬に当てた指先で軽くヘルメットを叩く。

 

 ——さて、どう説明したものか。

 

 父から、大人から、周りから、幼い頃より叩き込まれた教義ではあるが、いざ説明するとなると切り出し方にも迷う。

 

「まず、孤児を保護するだろ? ニナにしたみたいに」

 ——結果的には孤児という歳でもなかったわけだが。

 ニナは話の腰を折ることなく、黙って頷く。

「仲間や親族、部族とか、返せるところがあるか探して、それでも無いってなると——」

 あの日のニナの泣き声が唐突に蘇って、言葉をのむ。

 今となっては、酷い所業をしたものだと、我ながら嫌になる。

 

 黙りこくってしまったカイの後を継ぐように、ニナが助け舟を出した。

「チルドレン・オブ・ザ・ウォッチの皆さんに、預けて育てる?」

「——そうなるな」

 

 ——ん? その正式名称(よびかた)、言ったことあったか?

 

 ふとよぎった疑問を、ニナの質問がかき消した。

「それだと——仲間の元に返す人が必要じゃないですか?」

「ああ」

 ずっと天井付近を彷徨わせていた視線をニナへ向ける。

「それが——ヴォル氏族の仕事なんだ」

「え?」

 

「これが、結構、大変な任務で——」

 ふーっと息を吐いて再び天井を仰ぐ。

「調べて、探して、届けて……届けた先で、また孤児を拾ったこともある」

 

 かつて過ごした時間を、頭に浮かべながら話す。その言葉は苦労話というより、どこか楽しそうな響きだった。

 キタツグミと違う輸送船、操縦席にはシオウが座り、自分はいつも複座で——

 

 戻ってもまた新しい孤児が待っている。

 慌ただしく支度を済ませて、すぐに発つことだって少なくなかった。

 だからこそ、久しぶりに顔を合わせた仲間には、いちいち驚かれる羽目になる。

 

 ——そういえば、ロウガンの顔が広くなりだしたのも、この時からか。

 

「帰ったら、アジトが移転してた事もあったな。ロウガンが、事前に教えてくれなかったらマズかった」

 

「落ち着いてる期間の方が、正直少なかったな」

 

 ——でも、楽しかった。

 

 戻らない日々を思うと、今でも胸が苦しくなる。

 氏族の使命、そう誇りを胸に刻んだ日々を——

 

「といっても、親父も死んだし、今は俺しか——」

 そこまで言って、またも言葉が続かない。

 

 ニナは、小さく頷く。そして——

「すごい、誇り高い氏族、なんですね」

 真っ直ぐとこちらを見つめる。

「ヴォル氏族って」

 

「——そうだな」

 氏族を褒められて、照れくささを噛み殺す。

 もうマンダロリアンじゃない。氏族を継ぐと決めたわけですらない。

 そこにはお互い触れないことにしていた。

 いつの間にか、そうなっていた。

 

 ——ポールドロンに刻まれた氏族の意匠。まだ真新しいその紋章を、背負う覚悟ができているかと言うと怪しい。

 

 沈黙を破ったのは、ニナだった。

 

「——さっき、教義としては全体の義務だって、おっしゃってましたよね」

「ん?」

「『としては』ってことは……みんながみんな、同じように考えてる訳じゃない、ってことですか?」

 

 ——地味に鋭いところを突いてくる。

 

「——ああ、そういうわけでもないな」

「そうなんですか?」

 

 ——そう言えば、確かにそんな話をした覚えがある。

 

「ウォッチとは、また違う考え方をする連中もいる」

 昔、父親から聞いた単語が思い当たった。

「ああ……ナイトアウル、とかだな」

 

「ナイトアウル」

 舌の上で転がすように、ニナが繰り返す。

 

「詳しいことは、俺もよく知らないんだが」

 ——親父から聞いた話も、正直かなりふわっとしている。

「教義の解釈が、ウォッチほど厳格じゃない連中がいる、ってだけの話でな」

「厳格じゃない?」

「ヘルメットのルールとか、そういうのに、もう少し緩やかな考え方をする一族らしい」

 

 ——らしい、としか言えないのがもどかしい。

「親父も、直接会ったことはなかったんじゃないか、と思う」

 カイは、記憶の底を探るように視線を彷徨わせる。

「ただの又聞きだ。ウォッチだけが、マンダロリアンの全てじゃない、ってことぐらいしか、俺には分からない」

 

 ニナは、それでも興味深そうに頷いた。

 

「——でも、そういう人たちが、マンダロアの座標を知ってるかもしれないんですよね?」

「ああ」

「じゃあ、会えたらいいですね」

 

 カイは、曖昧に頷き返すことしかできなかった。

 

 ——会えたら、な。

 

 どんな連中なのか、見当もつかないというのに。

 

       *

 

 着陸許可までは、まだ時間がかかりそうだった。

 ——今のうちか。

 カイは、コックピットの隅で丸くなっているドロイドに視線を送る。

 

「——ニナ、悪いんだが」

「はい?」

「着陸に備えて、アストロメクの接続調整、確認しておきたい」

「はい、分かりました」

 ニナは素直に頷いた。

 

 ——だが、動かない。

 

 興味深そうにドロイドの方へ身を乗り出し、副操縦席に座ったまま、じっと待つ体勢に入っている。

 ——いや、そうじゃなくてだな。

「——外で、待っていてくれるか」

「え?」

 ニナが、きょとんとした顔でこちらを見る。

「一緒に見ていちゃ、駄目なんですか?」

 

「——いや、その」

 言葉に詰まる。適当な理由をでっち上げた手前、断る理由も咄嗟に出てこない。

「地味な作業だから、退屈すると思う」

 これは流石に苦しいだろう、と自分でも思う。が、ニナは少し不思議そうにしながらも、椅子から腰を上げる。

「分かりました。何かあったら呼んでください」

「——ああ、頼む」

 ハッチが閉まるのを見届けてから、カイはドロイドに向き直る。

 

「……」

 大きく息を吸って、吐く。

 

「——ドク」

 

《……》

 電子音が一つ、短く鳴った。

 

「聞きたいことがある」

《……ピー》

 まるで聞こえていないふりだ。

 

「聞きたいことがある。ニナのことで」

 

 ドロイドの丸い目のようなセンサーが、ゆっくりとカイの方を向いた。だが、キタツグミのモニターには何も表示されない。代わりに、低い唸り音がひとつ。

 

 ——なんだ、その反応。

 

「お前、知ってるんだろう」

《ピリリ、リリ……》

 やはり、答えない。

 

 カイは、うなじに手をやった。

「——なあ。今回だけだ。今回だけでいいから」

 

 沈黙。

 

 ドロイドは、ゆらり、と一度だけ本体を揺らした。それきり、動かない。

 

 ——呆れられているのか、それとも。

 

 しばらく睨み合いが続いた。根負けしたのは、カイの方が先だった。

 

「頼む」

 柄にもなく、頭を下げた。

 

 ドロイドが、電子音を一つ鳴らす。今度は、さっきまでとは違う響きだった。どこか、確認するような。

 

 ——なんだ?

 

「……あんたが、大事に思ってる。それは分かってるつもりだ」

 勘だった。だが、当たっている気がした。

 

 ドロイドは、しばらく黙っていた。

 

 やがて、コックピットに設置されたモニターに文字が浮かぶ。

 

 数字が、ふたつ。

 

 カイは、それをじっと見つめた。

 

 ——ああ。

 

 ソレイン基地、詰め所前のボロいベンチに並んで座って。

 『もうすぐ——』

 言いかけて、ニナが飲み込んだ、あの続き。

 

 やはりあれは、こういうことだったのか。

 

       *

  

「宿、すぐに決まって良かったですね」

「ああ」

 

 二人は荷物を部屋に置き終えると、身軽な姿で市場へ繰り出した。見本市の影響か、それとも普段からなのか、通りは人、人、人……。二人は圧倒される。

 

 ——キャンセルが出たのが奇跡だったな。

 本当にたまたま、一部屋だけだが空きが出たらしい。満室です、予約が無いと、と断られ続けた二人は、悩む余裕もなくすぐに決めざるを得なかった。

 ——まあ、俺は床、いや船で寝れば良いし。

 

 隣で人混みに目を回しているニナに声をかける。

「さて、ちょっと買うものがあるから付き合ってくれ」

 

        *

 

 最初に入ったのは食料品店だった。保存食に焦点を絞った品揃え。

 今まで補給で訪れた時も、度々似たような店舗には入ったことがある。

 だが、いつもは当然だが出発直前に買い足すもので、到着早々に来るのは初めてのことだ。

 

「店主!干した果実は——これだけか?」

 カイに呼びかけられた店主は、ぶっきらぼうに「そうだよ」と返す。

 何個かニナが聞いたことのない名前を並べるが——

「聞いたことないねえ、なんだいそれ」

「これくらいの大きさで、赤くて——」

「それならこれかい?」

「いやそれじゃなく……じゃあ、ダリクロン星系の——」

「あんた、そんな遠くの品が手に入るわけないだろう」

「そ、そうか——」

 

 それきり、カイはドライフルーツの平台の前で腕組みして考え込んでしまう。

 

 冷やかしかと、店主の視線が痛くなってきた頃。

 カイはようやく意を決し、声をかけた。小声で何かやり取りする。

 

 少し離れた場所で、店内をうろついていたニナへ手招きした。

「カイさん、どうしました?」

「ちょっと、味見してもらえるか——?」

「味見、ですか——?」

 困惑する二ナの前に3つの小さなドライフルーツが差し出される。

 赤いのと、黒いのと、青緑色をしたぐにゃりとしたもの。

 カイの方を見ると、少しバツが悪そうに頷く。

 ——この中から選ぶってことなのかな。

 

 一個目。

「甘酸っぱいですね」

「食えそうか?」

 それは——この場で聞いて良いものなのか。

 店主の咳払いを聞こえなかったフリをして頷いた。

 続いて、二個目。

「わ、すっごい甘い。——でも美味しい、です」

 少し気を使った返答を心がける。

 そして、三個目。

 強烈なビジュアルに手が止まるが、ままよ、とニナは腹をくくった。

 口に放り込んで咀嚼する。

 

 店主と、ヘルメットからの視線が——重い。

 そして——

「…………美味しい!私、これ好きです!」

 口いっぱいに広がる爽やかな甘さと、豊かな香りに、ニナは思わず大きめの歓声が上げる。

「そっか——」

 カイのホッとしたようなため息が聞こえた。

「それじゃ店主——全部、一袋ずつ、あ、こっちは二袋くれ」

「え、全部?」とニナ。

「ああ、全部」とカイ。

 

 ——味見の意味、ありました!?

 

 そう口から飛び出しそうになるのを、どうにか堪える。

 

「さて——」

 カイは受け取った商品を確認すると、今度は——

「店主、ナッツはどこだ?」

「まだあるの!?」

 今度こそ口に出してしまう。

 カイは心から申し訳なさそうな声で、

「——ごめん」

 と謝った。

 

        *

 

 それからカイに連れ回されること数時間。

 味見を頼まれたり、目的の物が見つからず彷徨ったり——

 流石にニナの体力も限界に近づきつつあった。

 

「すまない、疲れただろ。少し休むか」

「あ、はい。大丈夫です」

 適当な東屋の長椅子に腰を下ろす。両手いっぱいの荷物を、カイが横に置いた。

 

 ——結局、何を作るつもりなんだろう。

 

 木の実、香辛料、蜂蜜、粉状の何か。買った物を並べて眺めてみても、ニナには見当がつかなかった。

 

「あの、これって……」

「——ん?」

「何を、作られるんですか?」

 試しに聞いてみる。

 

「——いや、まあ、その」

 カイの視線が、明後日の方向を彷徨う。

「——秘密だ」

 

 随分と分かりやすい誤魔化し方だった。

 

 それ以上聞いても、はぐらかされるだけだろう。ニナは大人しく、荷物の中身を数えるふりをして黙り込んだ。

 

       *

 

 ——やっぱり、駄目か。

 

 カイは荷袋の中身を確認しながら、内心でため息をついていた。

 揃った材料の半分近くが、記憶にあるものとは違う代用品だ。味は近いはずだが、"はず"でしかない。仕上がりがどうなるか、正直自信が持てなかった。

 

 ——そもそも、俺には確かめようがないんだがな。

 ヘルメット越しでは、味見のしようがない。合っているかどうかの判断は、結局のところ勘に頼るしかなかった。

 ——せめて。

 救いがあるとすれば、ニナに一口ずつ確かめてもらったことくらいか。少なくとも、食えないものが紛れ込む心配だけはない。それだけでも、随分と気が楽になった。

 ——親父に教わった時とは、何もかも違う。

 

 ふと、隣に座らせておいたはずのニナの姿がないことに気付く。

 

 視線を巡らせると、少し離れた露天商の前で、ニナが足を止めていた。

 並んだ装飾品に、目を輝かせている。

 

        *

 

 露天に並べられたアクセサリーが、陽の光を浴びてキラキラと輝いている。

 疲れた体には余計に眩く見えて、つい足が向いてしまった。

 

 色とりどりの宝石が、煌めく金属の繊細な細工の上に、淑女のように静々と収まっている。

 御伽噺のお姫様が付けているような、付けて、いるような……。

 

 ——何だろう、これ。

 

        *

 

「装飾品が、欲しいのか?」

「わっ」

 背後から声をかけられて、初めて断りもなく離れてしまったことにニナは気付いた。

 

「ご、ごめんなさい!勝手に離れたりして——」

「別に、子供じゃないんだから、とやかく言う気はないさ」

 ——子供じゃない。

 いつかの会話で、子供扱いを怒ったことがある。

 なのに、いつの間にか自分が子供扱いされることに慣れていたことに——今更、気付いてしまった。

 

 ——結局、それに甘えていたのは自分の方だったのかもしれない。

 妙な気恥ずかしさが込み上げて、ニナは俯く。

 

「——で、これが気になるのか?」

 カイの視線が、ニナの見ていた装飾品の方へ動いた。

 ニナの視線の先——陳列された装飾品の一つに、カイの手が伸びた。

 

 小さな金属の台座。その中央に、灰色がかった青い石が収まっている。

 ——何だ、これ。

 特に意味もなく、目についたものを手に取っただけだった。

 

「——お客さん、髪飾りをお求めかい?」

 奥から、店主が姿を現した。

 気配自体は先程からしていたが、カイの無骨な佇まいに、どうせ買う気はないだろうと踏んでいたらしい。

 ——だが、連れがいるとなれば話は別だ。

 そんな計算が、店主の顔にちらりと滲んでいた。

 

「——髪飾り」

 繰り返した言葉に、カイの中で何かが繋がる。

 ——そうか、これは、髪に付けるものか。

 思えば、髪を飾るという発想自体、これまで頭になかった。

 カイは、手にした髪飾りを、そっとニナの方へかざしてみる。

 

 瞳と——同じ色。

 

 偶然のはずなのに、妙にしっくりくる気がした。

 不思議そうにこちらを見上げるニナと目が合った。

 

 そういえば、と思い出す。

 作業をしている時。食事の時。読みかけの本に向かっている時。

 ニナは時折、肩にかかる髪を、無意識に手でかき上げていた。

 

 邪魔そうに。少し、鬱陶しそうに。

 

「——いるか?」

 軽い調子で聞いたつもりだった。

 

 だが、ニナは答えなかった。

 

 答えられなかった。

 

        *

 

「——いるか?」

 

 そうカイに聞かれた時、ニナの中で何かがもがいた。

 

 心の中の箱。無数に並んだ中の一つが——

 

 ガタガタと。

 ゴトゴトと。

 開けろ、と。

 出せ、と。

 

 ニナには一つのおまじないがあった。

 それは、五年間の孤独の中で、心を壊さないために身につけたおまじない。

 

 向き合ってもどうにもならない。

 出しても辛くなってしまう。

 ぶつける相手なんて——何処にもいない。

 

 そんな気持ちが湧いた時、しまって、閉じ込めて、鍵をかける——

 

 そんな箱。

 

 それが積み重なって、自分を囲んで、身動きできなくなっても。

 今更、開けられない。

 

 そんな、箱。

 

 以前に、一度だけ開けてしまったことがある。

 今まで言えなかった気持ちが、一つだけ逃げ出してしまった。 

 

 カイが瀕死で運ばれた時も。

 叔父様が亡くなって一人で処理した時も。

 満足に食事もできずに倒れた時も。

 クレバスから落ちて、死を覚悟したあの時も。

 

 ——誰か助けてください。

 

 言えなかったはずなのに、伝えるつもりなんてなかったはずなのに。

 

 ——助けてくれる人がいた。

 

 だから甘え続けてしまった。

 

 でももう、孤児じゃない。

 守ってもらえる理由がない。

 助けてもらえる理由がない。

 

 だから、これ以上は、ワガママを言ってはいけない。

 

 箱を押さえつける。上に新しく乗せる。

 湧いてしまったワガママを、その中にしまう。

 

 決して見られないように。

 決して見せないように。

 

       *

 

「——っ」

 喉の奥が、きゅっと締まる感覚があった。

 

 言葉にしようと開きかけた口を、ニナはすぐにまた固く結ぶ。

 視線を落として、ただじっと黙り込む。

 

 その沈黙を、カイは違う意味に受け取ったのかもしれない。

 店の奥へと足を向け、店主と小声で何か言葉を交わす気配がした。

 

 しばらくして、戻ってくる。

 

 ——その手には、何も持っていなかった。

 

 カイはニナの肩を、軽く一度だけ叩いた。

「行こう——」

 それだけ言って、歩き出す。

 

       *

 

 古本屋の前を通りかかった時だった。

 ——また、か。

 視界の端で、ニナの足が止まる気配がした。振り返るまでもなく、大体察しがついた。

 案の定、彼女は積み上げられた古本の山を前に、目を輝かせている。

 

 ——さっきの装飾品の時とは、少し違うな。

 あの時は、どこか遠慮がちに、盗み見るような目だった。今度は違う。真っ直ぐに、迷わず、食い入るように見つめている。

 

「——欲しいなら、欲しいと言ってくれ」

 我ながら、少し呆れた声が出た。

「そこまで甲斐性なしだと思われているのも、心外だ」

「——そういう訳じゃ」

 ニナが、慌てて振り返る。

「でも、ここまで結構、使いましたし……」

 視線が、これまで買い込んだ荷物に落ちる。

 ——それは、確かにそうなんだが。

 

 正直言って、痛くない出費と言えば嘘になる。

 だがそこまで切羽詰まった問題でもない。

 なにより——

「どのみち、この星で仕事は探すつもりだった。心配は要らない」

「そう、ですけど……」

「それに」

 言いかけて、少し口が滑った。

 

「——俺も、たまに欲しい武器を買っちまってるし」

 

「え」

 ニナの目が、丸くなる。

「——初耳です」

 

 ——しまった。

 

 脳裏に浮かぶのは、寝台の上を占拠しつつ、ついに寝る場所を確保できなくなった武器の数々。

 

「まさか、最近……」

 ニナの声が、何かに思い当たったように低くなる。

「——寝てるかと思ったら、ずっと部屋からガチャガチャ音がしてたのって……」

「——すいません。ライフルの追加パーツを……買ってみたら楽しくて、つい」

 カイは、素直に白状した。

 

 沈黙が落ちる。

 

 ——これは、分が悪い。

 

 話を逸らすように、足元のまとめ売りされた古本の山を指差した。

 

「——これ、買おうか?」

「……どうぞ」

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