黒刃と寄る辺なき花   作:アサナシケイ

18 / 19
第五話 黄昏のスズメバチ 2/4

 宿に戻る頃には、日は傾きかけていた。

 両手に抱えきれないほどの荷物を、部屋の隅に下ろす。

 ——さて。

 ニナは早々に、買ったばかりの古本の一冊を広げて読み耽り始めていた。声をかけても、生返事しか返ってこない。

 ——今のうちか。

 

 カイは荷物の中から、食材の入った袋だけを選り分ける。キタツグミの簡易ギャレーでは、到底この量を捌ける代物ではない。

 台所を借りるしかなかった。

 

 一階に降りると、食堂の奥から賑やかな声がする。夕餉時の仕込みだろう、湯気と香辛料の匂いが漂っていた。

 カイは、女将らしき女性の姿を見つけると、真っ直ぐに歩み寄る。

 

「——すまない」

 女将が振り返った。マンダロリアンの姿に、一瞬だけ目を丸くする。

「台所を、少し借りたいんだが」

 

        *

 

 カイは早速、勝手口の奥の台所へと足を向ける。

 

 思っていたより、しっかりとした設備だった。食堂も兼ねているだけあって、かまども水回りも申し分ない。

 

 手袋を外す。ガントレットを外す。

 それらを台の端に、丁寧に並べて置いた。

「さて——」

 袖を、肘の上まで捲り上げる。

 

 ——夜の仕込みはもう終わっているし、食堂を開けるまでなら。

 そういう約束で貸してもらえた。手早くやらないと間に合わないだろう。

 目の前に並べたのは、あちこちで買い集めた材料の山。半分近くが代用品、記憶と完全には一致しない、心許ない顔ぶれだった。

 

 ——まずは…………包丁か?

 カイは戸棚を一つ、また一つと開けていく。皿、鍋、香辛料の瓶——出てくるのは、探している物以外ばかりだった。

 棚という棚、引き出しという引き出しが、几帳面に整頓されている。裏を返せば、勝手を知らない者には迷宮も同然だった。

 

        *

 

 女将は、拭き終えたグラスを棚に戻しながら、小さく息をついた。

 ——マンダロリアンが台所を貸してくれ、なんて。

 最初に言われた時は、面食らって断りかけた。だが、あの必死な食い下がりようだ。悪いようにはしない、手間もかけない、と繰り返す姿に、つい絆されてしまった。

 ——まあ、夜まで時間はあるし。

 そう軽く考えていたのだが。

 

「すまない、まな板はどこだ?」

 

「またすまない、何か食材を入れる容器は——」

 

「度々すまない! 型か何か——」

 

 立て続けに顔を出しては、律儀に詫びながら道具の在り処を尋ねてくる。律儀すぎて、逆にこちらが落ち着かない。

 

 ——これは。

 

 流石に、この調子だと。

 女将は、壁にかかった時計を一瞥する。

 夜の開店までに、片付くのだろうか。

 

 不安が拭えず、女将は手にしていた布巾を置くと、台所の方へ向かった。

 

       *

 

 台所を覗くと、案の定だった。

 あちこちの戸棚が開けっ放しで、食材が作業台の上に所狭しと積まれている。肝心の手は、まだ何も切っていない。

 

「——ちょっと、あんた」

 声をかけると、カイの肩がびくりと跳ねた。

「悪いが、これじゃ夜までに片付かないよ」

「——すまない」

「別に責めちゃいないよ。ただ、何を作ろうとしてるのか、聞いてもいいかい」

 

 その問いに、カイは一瞬固まった。

 視線が、明後日の方向を彷徨う。

 

「——いや、それは」

「言いたくないなら、それでも」

「——違う。そうじゃ、なくて」

 何故か、歯切れが悪い。

 女将が黙って続きを待っていると、カイは観念したように、小さく息を吐いた。

 

「——ウジャライを、マンダロアの焼き菓子を、作ろうと思っている」

「ウジャライ?」

「大事な、人に——」

 その先が、なかなか出てこない。

 

「誕生日、なんだ。今日が」

 

「——へえ」

 女将の口元が、緩む。

「あの子の、かい」

「——ああ」

 カイは、耳まで赤くなっているのが、ヘルメット越しでも分かるくらいだった。

 

 女将は、しばらくその様子を眺めてから、ふっと笑って腕まくりをした。

「——よし、分かった。手伝ってやるよ」

「——いいのか?」

「男が一人で、慣れない台所で四苦八苦してるのを、黙って見てられるほど薄情じゃないさ」

 女将は、そう言うと、カイの脇に立った。

 

「まずは、その包丁の使い方から。危なっかしくて見てられない」

 

       *

 

 本のページをめくる手が、ふと止まった。

 

 ——何の音?

 

 階下から、何やら声が聞こえてくる。食堂は、まだ開いていない時間のはずだった。宿全体が静かなだけに、余計に響く。

 

「ほら早く切らないと、いつまで経っても終わんないよっ!」

 

 女将の声だ。怒鳴っている、というより、活を入れているような調子だった。

 それに、くぐもった声で何かが言い返している。よく聞き取れないが、カイの声だというのは分かる。

 ——何をしているんだろう。

 ニナは、少しの間、階下の気配に耳を澄ませていたが、やがてまた本のページに視線を戻した。

 

 が、やがて——

 

「あんた、何てもん入れるんだい!?」

「うるさいな!親父は入れてたんだよ!!」

 

 今度こそ、カイの声がはっきりと聞こえた。

 

 ——何か、作ってる?

 階下が気になって仕方ないが、装飾品店の前の、カイの様子を思い出す。

 ——ううん、多分、私が見に行ったら駄目だと思う。

 

 大きく息を吐いて、再び読書に戻った。

 

       *

 

「ほら、そこ、焦がすんじゃないよ! かき混ぜる手、緩めない!」

「——っ、分かってる」

 カイが、鍋の中身をかき混ぜる手に、ぐっと力を込める。

 

 女将は、その様子を見ながら、ふと視線を止めた。

 鍋の縁に添えられた手。袖口から覗く手首。

 

 ——やけに、傷が多いね。

 

 古い傷、新しい傷。皮膚の硬さも、色艶も、まちまちだった。台所仕事で付くような傷とは、明らかに質が違う。

 女将は、長く宿を営んできた。行き倒れ、訳ありの旅人、荒事に片足を突っ込んだ客——そういう人間の手を、何度となく見てきた。

 

 だから、分かる。

 この手が、どういう生き方をくぐり抜けてきたものか。

 

 ——だからって、聞くようなことじゃないさ。

 

 それ以上何も言わず、女将は視線を鍋へと戻した。

 

「——火、少し弱めな」

 何事もなかったかのように、次の指示だけを口にする。

 

       *

 

 ノックの音に、顔を上げる。

 

 扉の向こうに、皿を持ったカイが立っていた。

 テーブルに置かれたそれは——少し焦げ目のついた、素朴な焼き菓子だった。

 

 置かれた瞬間、ゴツ、と鈍い音がした。見た目に反して、ずしりと重みのある音だった。

 

「——ウジャライだ。マンダロアの、焼き菓子で——ともかく」

 カイが、静かに椅子へ腰を下ろす。

「——誕生日、おめでとう」

 

 その一言に、ニナは息を止めた。

 

 ——今日が、誕生日。

 

 自分でも、忘れかけていた日付だった。

 

「知って、たんですか」

「——色々あって、な」

 歯切れの悪い返事。それ以上、聞く気にはなれなかった。

 

 ニナは、フォークをそっと手に取る。

 

 一口。

 

 ——甘い。

 

 思っていたより、ずっと。噛みしめるほどに、木の実の香ばしさと蜂蜜の深みが、じんわりと広がっていく。

 

「……美味しい、です」

「——そうか」

 短い返事の中に、安堵が滲んでいた。

 

「——親父の方が上手く作れるんだけどな。少し、焦がしたし」

「気にならないです。むしろ——」

 

 言葉を、探す。

 

 ——なんだろう、この、胸の奥が。

 

「——温かい、味が、します」

 うまく言えたとは思えなかった。それでも、カイは何も言わず、小さく頷いた。

 

「——もう一つ」

 カイが、懐から何かを取り出す。

 包装もされていない、それ。

 

 ——さっき、露天で見た。

 灰色がかった青い石の、髪飾り。

 

「使わないなら、捨てたっていい」

 差し出されたそれを、ニナはしばらく見つめていた。

 

 ——欲しい、と、言えなかったのに。

 覚えていてくれた。

 

 心の中に押し込めたはずの気持ちが、静かに溢れてくる。

 

「……ありがとう、ございます」

 声が、震えた。

 

       *

 

「それにしても」

 ニナが、ふと呟いた。

「マンダロリアンって、もっと武骨で……こういうこと、あんまり気にしないイメージでした」

 

 言ってから、しまった、と思う。

 

 ——失礼な質問だっただろうか。

 

 だが、その心配は、すぐに吹き飛んだ。

「いや、祝わないな」

「え!?」

 カイは、あっさりと言った。

「そもそも、孤児がほとんどだからな。誕生日自体が、分からない者が多い」

「——そう、なんですか」

「俺は親父が、そういうものがあるって——教えてくれたから、知ってるだけだ」

 淡々とした説明。ニナは、それを黙って聞いていた。

 

「——だけど、その」

 カイの声が、急に歯切れ悪くなる。

「誕生日っていうのは、本来、祝うもの、なんだろ?」

 

 気まずそうな、それでいて真剣な問いだった。

 ニナは、思わずくすっと笑ってしまう。

 

「——なら、今度は私が、お祝いしたいです」

「——え?」

「カイさんの、好きなもの、教えてください」

「……」

 カイが、黙り込む。

 

 ——そんなに、難しい質問だっただろうか。

 

「カイさん——?」

「……」

 沈黙が、思いのほか長く続く。

「もしかして、聞いたらマズイことでしたでしょうか?」

 少し不安になって、様子を窺う。

 

「…………ウジャライ」

「え?」

「その——ウジャライが、好きで。それしか、作れないが」

 ——焦がしたけどな、と付け足す声は、小さかった。

 

 ニナは、それを笑わずに受け止めた。

 視線を、目の前の焼き菓子に戻す。

 ——精一杯、祝おうとしてくれたんだ。

 その事実だけで、十分だった。

 

 ——誕生日。

 

 聞こうとして、言葉を止める。

 それはきっと、いたずらにカイを傷つけるだけだと、分かっていたから。

 

「——親父が、決めてくれたんだ」

 カイが、静かに口を開いた。

「拾われた日を、誕生日代わりにしよう、って」

「——そうだったんですか」

「毎年、その日にウジャライを焼いてくれた」

 カイの声に、懐かしさが滲む。

「——だから、祝うことといったら、これくらいしか、思いつかなくて……」

 ニナは、その言葉を、ゆっくりと噛みしめた。

 

「その日って、いつなんですか?」

 カイは、しばらく考え込んでから、指を折り数え、答えた。

「——そうなんですね」

 

 ニナは、その日付を、頭の中で繰り返す。

 忘れないように。

 覚えておかなければ、と思った。

 

「まだ、少し先ですね」

「ああ」

 ニナは、小さく微笑んだ。

 

 ——それなら、まだ時間がある。

 

        *

 

 酒場は、いつも通りの喧騒だった。

 安酒の匂い。掠れた笑い声。誰かの下手な口笛。

 

 女は、カウンターの隅で杯を傾けていた。

 

 装いは、白と深紅が混ざり合った、飾り気のないアーマー。傍らのカウンターには、無造作にヘルメットが置かれている。

 だが、その意匠は、この惑星系で見かけるような教義寄り(ウォッチ)の質実さとは、明らかに違う。もっと洗練された、どこか退廃的な色気を纏った拵えだった。

 

「——もう二杯、同じのを」

 カウンターの向こうへ、軽く声をかける。

 

 マスターは、慣れた手つきでボトルを傾け始めた。

 その様子を眺めながら、女は、ぽつりと呟く。

 

「——今日ね、大事な部下を失ってしまって」

 声には、確かな悲しみの色があった。

 マスターが、気の毒そうに頷く。

 

 女は、手にしていた杯を、一息に空けた。

 

 新しく用意された杯を、一つ、手に取る。

 もう一つの杯へ、軽く触れさせた。

 乾いた音が、酒場の喧騒に紛れて消える。

 

 ——献杯。

 

 女は、残された杯を、そのままカウンターの端に置いた。

「優秀な子だったわ。本当に、残念」

 その顔に浮かんだのは、紛れもない悔しさだった。

 

 酒場は、何一つ変わらなかった。誰も、女の献杯に気付かない。いつも通りの、どこにでもある夜の風景。

 

 その風景に、ふと、小さな綻びが生まれた。

 

 入り口に、少女が現れた。

 席を探して、辺りをきょろきょろと見回している。

 

 やがて、その視線が——女と、ぶつかった。

 

 少女の目が、ゆっくりと、大きく見開かれていく。

 女もまた、少女に気付いていた。

 

 ——うん?

 

 静かに、観察する。

 

 深緑がかった旅装。裾や袖口には、葉脈のような刺繍が控えめに施されている。フードには、小さな装飾。歩き慣れた、けれど所帯じみてはいない足取り。

 

 ——灰みがかった青い石が、ハーフアップにまとめた髪に、控えめに光っていた。

 

 少女は、しばらくの間、驚いたように女を見つめていた。

 そして、すぐに踵を返す。

 逃げるように、扉の向こうへ消えていった。

 

 女は、その背中を見送りながら、口の端を、わずかに上げた。

 

 ——あら。

 

 いつもと違う、何かが来る予感。

 久しく、感じていなかった類のものだった。

 

       *

 

 ニナには、先に食堂へ行ってもらった。

 

 誕生日のご馳走が、焦げたウジャライだけというのも、流石に忍びない。

 部屋に一人残ったカイは、皿に残った焼き菓子を、齧る。

 ——やっぱり、親父のとは違うな。

 小さく、ため息をついた。

 

 その時。

 扉を、激しく叩く音がした。

 

「カイさん! カイさん! 開けていいですか!?」

 ——何事だ。

 緊急事態かと、慌ててヘルメットを被り直す。

 

 だが、口の中には、まだウジャライが残っていた。

「——ろにがあった?」

 どもりがちの、間の抜けた返事になった。

 

「マンダロリアンの人が! ヘルメット脱いで! もしかして!」

 要領を得ない。何が「もしかして」なのか、さっぱり分からなかった。

 訝しみながらも、扉を開ける。

 ——マンダロリアン?

 その単語だけが、妙に引っかかった。

 

 ほんの少し、嫌な予感がした。

 

 扉の向こうには、息を切らしたニナが立っていた。

「カイさん、下に——」

 言葉が、上手く繋がらない。

「マンダロリアンの人が、いるんです。ヘルメット、外してて」

「——え?」

「だから、その……ウォッチの方じゃ、ないですよね。もしかして、マンダロアのこと、知ってる人なんじゃないかと」

 

 カイは、一瞬、言葉を失った。

 ——ウォッチ、じゃない?

 

 この星に、心当たりなど一つもない。

 だが、ニナの慌てぶりを見る限り、見間違いというわけでもなさそうだった。

 

「——どんな、姿だった」

「白と……赤っぽい色の、鎧でした。カウンターに、ヘルメットが置いてあって」

 

 脳裏に、親父から聞いた話がよぎる。

 ——ウォッチとは、違う考え方をする連中もいる。ナイトアウル、とかだな。

 ヘルメットを外している。ということは、少なくとも、ウォッチの人間ではない。

 

 ——ナイトアウルか。

 可能性としては、あり得ない話ではなかった。

 

「——案内してくれ」

「はい」

 カイは、ブラスターの位置を、指先で軽く確かめてから、部屋を出た。

 

       *

 

 入り口の空気が、変わった。

 女は、視線だけをそちらへ向ける。

 

 現れたのは、マンダロリアンの男——その後ろに、先ほどの少女が続いていた。

 

 見覚えのない意匠、使い込まれた装備。光を弾かない漆黒の鎧と、こちらへ向かう足さばきから、只者ではない様子が見て取れる。

 男はこちらへ迷いなく真っ直ぐ向かってきた。そして、自分の前で止まる。

 出で立ちの割に素直な振る舞い。見た目の印象よりも若いのかもしれない。

 

「あなた——マンダロリアン、かしら?」

 

 男はしばらく答えない。

 向こうもこちらを観察しているのだろう。

 連れの少女が、不安そうに二人を交互に見ている。

 

 やがて——

「——ああ」

 短い返事。ヘルメット越しの声は、機械的に加工されていたが、それでも若さは隠しきれていなかった。

 佇まいを見る限り、腕の方は間違いなさそうだ。構え一つ取らずとも、隙のない立ち方をしている。

 

 容姿、年齢、伝え聞いた情報とは一致している。

 ——少し、カマをかけても良いかもしれない。

 

「あら、噂は本当だったのね」

「——噂?」

「新共和国の残党狩りで、随分と派手にやったそうじゃない」

 女は、持っていたグラスで男を指す。グラスを持つ指先が、妙に生々しい。

「追い剥ぎ——だったかしら」

 

 男の肩が、目に見えて強張った。

「——それは、誤解だ」

「あら、そうなの?」

 女は、くすりと笑う。

 からかい甲斐のある反応だった。

「まあ、いいわ。それより——」

 女は、話の接ぎ穂を探すように、視線を巡らせる。

 

 男の後ろで、少女は少し身を寄せるようにして、こちらを警戒するように見つめていた。

 

 ——ん?

 女の視線が、ふと止まる。

 男のポールドロンに刻まれた、紋章。

 

 ほんの少しの逡巡。

 誤魔化す様に杯を煽る。

 

「貴方、私に話があるんじゃないの?」

 女は傍ら、カウンターの空いた席を促す。

 

「私はヴェスパー、ヴェスパー・ドレン」

 そして、艶かしく片目を瞑る。

「——マンダロリアンよ」

 

       *

 

「私はヴェスパー、ヴェスパー・ドレン」

 ——マンダロリアンよ。

 目の前の女の、余裕のある仕草。

 カイは、少しだけ気圧された。

 得体の知れない相手だった。同じ鎧を纏っていても、まとう空気がまるで違う。

 

 ヴェスパーが、カウンターの空いた席を、軽く手のひらで示す。

 ——座れ、ということらしい。

 カイは、ちらりと背後を振り返った。

 ニナは、少し離れた場所で、心配そうにこちらを見つめている。

 

「——先に、部屋に戻っていてくれ」

 短く告げると、ニナは戸惑いながらも、小さく頷いて食堂の奥へと下がっていった。

 その背中を見届けてから、カイは、示された席に腰を下ろす。

 

「——何が、望みだ」

「あら、せっかちね」

 ヴェスパーは、くすりと笑う。

「まずは一杯、どう?」

「——結構だ」

 即答だった。

「——あら、そう」

 

 ヴェスパーの視線が、カイのヘルメットを、上から下へ、ゆっくりと辿る。

 外す気配など、微塵もない。

 ——ふうん。

 その一瞥だけで、何かを見定めたような、そんな気配がした。

 

「——お前は」

 カイは、探りを入れるように切り出す。

「ナイトアウルか。それとも——」

「あら」

 言い終わる前に、ヴェスパーが遮った。

「随分と、単刀直入なのね。名乗りもせずに」

 

 ——名乗りもせずに物を聞くな。

 親父の声が頭をよぎった。

「——カイだ」

「カイ」

 名前を、味わうように繰り返す。

 

「——で? 答えを聞きたいのよね。ナイトアウルかどうか」

 カイは、黙って頷く。

「確かに、昔そこにいたわ。今は——逸れ者。ただの、マンダロリアン」

 グラスを傾けながら、あっさりと答えた。

 

 ——同じ、境遇か。

 教義から外れた者同士、という共感めいたものが、無意識に警戒を薄れさせる。

「——なら、マンダロアの座標を知らないか」

 性急な問いだった。

「ふふ、気が早いこと」

 ヴェスパーは、カイのポールドロンへ視線を移す。

「その前に、聞きたいことがあるの。その紋章——氏族のものでしょう」

 

「——ヴォル氏族だ」

 少し口ごもりながら、答えた。

「ヴォル……」

 何度も舌の上で転がすように、繰り返す。度数の高い酒のように。

 視線が、宙を彷徨った。白いグローブの指先が、流れ落ちる金の髪を巻き取る。

 

 思い出そうとする、その長い、長い——間。

 

 やがて、ヴェスパーの唇が、ゆっくりと動いた。

 

「——同族、殺し」

 

 言葉が、一音ずつ、区切られるように落ちた。

 

 酒場の喧騒が、遠くなる。

 

 カイの耳には、その一言だけが、やけに鮮明に響いていた。

 

 ——何を、言った。

 

 聞き間違いだと、思いたかった。

 

「——ああ、思い出した」

 ヴェスパーの声に、遊びの色が滲む。

「悪い子のところには、断罪者が来るぞ、って」

「——何の、話だ」

 声が、自分でも分かるほど、上ずっていた。

 

「昔読んだ、御伽噺よ」

 ヴェスパーは、悪びれる様子もなく、続けた。

「子供の頃、寝物語に聞かされたわ。悪さしてると——同族殺し(マンダロリアン)の『断罪者』が来るぞ、って」

「——同族殺し(マンダロリアン)の……断罪者」

 カイは、その言葉を、なぞるように口にした。

 

 ——何を、言っている。

 

 理解が、追いつかない。

 

 孤児を探し、届け、また拾う。その繰り返しの中で、確かに誇りを感じてきた。親父が背負ってきた仕事も、自分が継ごうとしている務めも、そういうものだったはずだ。

 

 同族(マンダロリアン)を、殺す?

 

 そんな話は、聞いたことがない。教わったことも、匂わされたことすらない。

 

「絵本にね、挿絵があったのよ。今のあなたと、よく似た紋章の」

 ヴェスパーの視線が、再びポールドロンへ向く。

「氏族の名前までは、覚えていなかったけれど——あら」

 目が、細くなる。

 

「あなたの、その反応。図星、みたいね」

 

 カイは、何も答えられなかった。

 

 ——違う。

 

 そう言い返したいのに、言葉が出てこない。

 

 根拠なんて、何もない。ただの御伽噺だ。分かっているはずなのに——なぜか、腹の底が、冷たくなっていく。

 

 親父は、何も言わなかった。

 

 いや——言えなかったのか。それとも、知らなかったのか。

 

 どちらなのかすら、分からない。

 

「——子供騙しの、御伽噺だろう。そもそも、あんたが本当のことを言ってるのかさえ、俺には——」

 喉が乾く。目の前が一瞬歪む。

 やっとの思いで、そう絞り出した声は、思っていたより掠れていた。

 

「さあ、どうかしら」

 ヴェスパーは、答えをはぐらかすように、笑みを深めた。

「別に、信じたくないなら、それでもいいのよ」

 カイは、返す言葉を持たなかった。

 

「——ところで」

 沈黙を割るように、ヴェスパーが話を継いだ。

「一つ、頼みたいことがあるの」

 

 頭の隅で、思考が、まだ空転していた。

 何か答えなければ、と分かっていても、うまく言葉が形にならない。

 

「仕事の、話よ」

「——今は」

「聞くだけ、聞いてくれない?」

 カイが何か言う前に、ヴェスパーは続けた。

「この街を仕切ってる、質の悪い賞金稼ぎたちがいてね。——潰したいの」

 ——潰したい。

 ぎり、と聞こえそうな程の歯軋りが、言葉に上乗せされている。

 

「それが、俺に、何の関係が——」

「大事な、仲間を失ってしまってね」

 その声に、初めて、翳りが差した。

「私の仲間の——仇を、取りたいの」

 ヴェスパーの、グラスを持つ手が、微かに震えた。

 

 カイは、わずかに眉を寄せる。

 どこか、聞き覚えのある言葉だった。仲間を守る、仲間の仇を討つ——そういう理屈には、慣れているはずだった。

「——あなたたちの教義では、違う考えかしら?」

 ヴェスパーが、そっと首を傾げる。

 

 その問いは、まるで、逃げ道を塞ぐようだった。

 

 ——仲間の仇。

 

 教義に照らせば、断れる理由がない。

 混乱した頭のまま、カイは、それだけを飲み込む。

 ヴェスパーが、飲み干したグラスを、カウンターに置いた。

 

 コツン、と。

 

 良く響くその音に、カイは我に返る。

「——ここで、続ける話でもないわね」

 ヴェスパーは、椅子から立ち上がりながら言った。

 

「残りは、私の部屋でしましょうか」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。