本のページを、ニナは何度もめくり直していた。
同じ行を、もう何回読んだか分からない。
——全然、頭に入ってこない。
カイのことが、気になって仕方なかった。あの場所に、あの人と、二人きり。
控えめなノックの音がした。
顔を上げる。
「——俺だ」
扉が開くと、カイが立っていた。戸口から、動こうとしない。
「——カイさん?」
様子が、おかしい。
立ち姿は変わらないはずなのに、纏う空気が、いつもと違って見えた。
「仕事が、取れた」
カイの声は、どこか性急だった。
「隣の部屋で、商談の続きをする。遅くなるかもしれないから——先に、寝ていてくれ」
「——あの」
ニナは、思わず一歩、近づく。
「大丈夫ですか? 少し、休んだ方がいいんじゃ……難しいなら、私も、一緒に——」
「——いい」
強い口調だった。
ニナは、息を呑む。
「先に寝てろ。頼む」
それだけ言うと、カイは扉を閉めた。
残されたニナは、閉じられた扉を、しばらく見つめていた。
*
「——さて」
ヴェスパーが、口調を切り替えながらガントレットを軽く操作する。
空中に、淡い光が浮かび上がった。施設の見取り図が、ホログラムとして投影される。
「敵の拠点は、この街の外れ。元は採掘施設だった場所よ」
カイは、頷く。
だが、目は地図を追っていても、意識はどこか別のところにあった。
「報酬は、マンダロアの詳しい座標と情報。それから——多少の、クレジットも」
「——ああ」
生返事だった。
「——ねえ」
ヴェスパーが、地図から顔を上げる。
「聞いてる?」
「——聞いてる」
「本当に?」
少し強い声だった。
「——ああ」
同じ調子の返事。
ヴェスパーは、小さくため息をついた。
「——まあ、いいわ。すぐに飲み込めなくても、無理はないもの」
その声には、思いのほか棘がなかった。
ヴェスパーは、持ち込んだ酒瓶を、傾ける。
「一杯、どう?」
「——いらない」
断る。反射のように、いつもの返事。
ヴェスパーは、瓶を持ったまま、じっとカイを見た。
「——ふうん。やっぱりヘルメットは外さないのね」
目が、細くなる。
「あなた、チルドレン・オブ・ザ・ウォッチかしら?」
「……だった」
カイは、正直に答えた。
「もう、違う」
「あら」
ヴェスパーの口元が、緩む。
「じゃあ、私と、仲間ね」
いたずらっぽく、片目を瞑ってみせる。
——はっ。
自嘲する。
カイの口元に、微かに、苦笑いが戻った。
*
「——さっきは、ちゃんと聞いてなかったでしょう」
「そうだな、悪かった」
ヴェスパーが、再びホログラムを展開させた。
「——拠点はここ。かつての選鉱・粉砕場よ」
立体的な図面には、要所要所に印がつけられていた。人員の配置、警備の巡回ルート、隠された裏口。
「私の部下が——命懸けで、持ち帰ってくれた情報よ」
その声には、微かな重みがあった。
「随分と、優秀な子だったの」
カイは、黙ってホログラムに目を落とす。
「表の入り口は、警備が厚い。だから、こっちを使うわ」
指が示したのは、施設の裏手。かつて鉱石を運び出していたという、古い搬入路だった。
「表向きの警備は、そちらには回っていない。少なくとも——その子が調べた時点では、ね」
カイは、頷いた。
——随分と、詳しい情報だ。
命がけで集めた、というだけのことはある。
「潜入したら、まずは中枢まで進む。敵の親玉は、私が仕留めるわ」
「——俺は」
「あなたは、残りの掃除。それと、退路の確保をお願い」
ヴェスパーは、そう言うと、ホログラムを一度消す。
「ウォッチの人に会うのは初めてなの。腕前、期待させてもらうわね?」
微笑むその表情には、嘲りや皮肉は一切込められていなかった。
*
カイが部屋に戻ると、ニナは一人分のベッドに腰掛けていた。
ソファ代わりにしているのか、端に浅く座り、手には古本を一冊、抱えている。
その顔を見た瞬間、ふっと、肩の力が抜けた。
——なんだろう、この、安堵は。
理由は、自分でもよく分からなかった。
「まだ、起きてたのか。先に寝ていて良かったのに」
柔らかい声が、自然と出た。
「だって……」
ニナが、言い淀む。
視線が、腰の下のベッドへ落ちた。
——そうだ、まだ何も伝えていなかった。
「——仕事は、話がついた」
カイは、思い出したように付け加える。
「明日、決行だ」
「——そうだったんですね」
ニナは、ほっとしたような、それでいて何か言いたそうな顔をした。
「——このベッド、一人分ですよね」
困ったような声だった。
「だから、私か、カイさんが、寝る場所がないじゃないですか」
「——別に、問題ない」
カイは、にべもなく答える。
「俺は、船で寝る」
「明日、お仕事なんですよね?」
ニナが、食い下がる。
「操縦席なんかで寝て、疲れが取れますか?」
「大丈夫だ」
カイは、視線を逸らした。
「——少し、一人になりたいんだ」
それだけ言うと、荷物を纏め始める。
「でも……」
まだ、何か言いたそうだった。
その時。
開けっ放しの扉を、軽くノックする音がした。
「隣で、こう騒がれちゃ。うるさくて、寝てられないわ」
戸口に、ヴェスパーが立っていた。
不満げな、それでいて、どこか面白がっているような顔だった。
「——ならいっそ」
ヴェスパーの視線が、ニナへと動く。
「お嬢さんは、私の部屋に来ない?」
*
「まさか隣に泊まっていたなんてね」
ヴェスパーが、軽く荷造りを終えたニナを眺めながら言った。
「——すいません、突然。お世話になります」
ぺこりと、頭を下げる。
部屋の中では、カイが憮然とした面持ちで、明後日の方向を見ていた。
ここに至るまで、少しばかり口論があった。
『そこまで信用できない相手と、あなた仕事する気なの?』
ヴェスパーのその一言と。
『一人になれますし、ベッドで寝れますし、何かあったらすぐ来れる距離ですよね?』
ニナのその一言で、ようやくカイは折れた。
完全に納得した顔ではなかったけれど。
「私、床で大丈夫ですから」
恐縮しながら言うと、ヴェスパーが自室の扉を開きながら答える。
「あら、私、ベッドはできる限り大きい部屋を取るようにしてるのよ」
そこには、二人がゆったりと寝られそうな、部屋の広さの割に大きめのベッドが、少し窮屈そうに鎮座していた。
*
ベッドに並んで腰掛けると、ヴェスパーは軽い仕草でヘルメットを外した。
——わ。
思わず、息を呑んだ。
緩くウェーブのかかった金髪が、肩のあたりで柔らかく揺れる。整いすぎているくらい整った顔立ちに、ニナは一瞬、目のやり場に困った。
ふわり、と、甘い香りが漂う。
占い師の時に感じた、あの神秘的な香りとは、また違う種類のものだった。もっと甘く、嗅ぐと胸の奥まで染み込んでくるような、そんな香り。
「——どうしたの? そんなに見つめられると、照れちゃうわ」
「あ、いえ! すみません!」
慌てて、視線を逸らす。
背後から、アーマーを外す音が聞こえる。
ぱちり、ぱちり——
何だかいけない事をしている気分になって、顔が上げられない。
耳まで熱くなっているのが分かる。
ヴェスパーは、くすりと笑いながら、ベッドに横座りになった。
「——ねえ、聞いてもいい?」
「な、なんでしょう」
「あなたと、あのマンダロリアン。——どういう関係なの?」
「——っ」
ニナは、勢いよく首を振った。
「そ、そういうのじゃ、ないです! 保護してもらってるというか、その、色々あって……!」
早口になってしまう。
「あら、そう?」
ヴェスパーは、面白がるように、目を細めた。
「でも、あなたを見る目、優しかったわよ」
「——そんな、こと」
「ふうん。自覚、なかったのね」
からかうような口調に、ニナの顔が、じわじわと熱くなっていく。
「わ、私は、その……」
言葉が、うまく続かなかった。
ヴェスパーは、それ以上追及せず、くすくすと笑うだけだった。
「でも、良かったじゃない。あんな護衛、なかなかいないわよ」
「——護衛、ですか?」
「マンダロリアンよ? 腕も立つし、律儀だし」
ヴェスパーは、髪を軽く指に絡めながら、続けた。
「——怖くないの? マンダロリアンって」
「怖い?」
ニナは、少し首を傾げた。
「あんまり、考えたことないです」
「あら、そうなの」
「私の知ってるマンダロリアンの人たち、皆さん、優しいので」
カイ。ロウガン。シオウ。
思い浮かぶ顔ぶれは、いつも、身内のようなものだった。
「——ふうん。面白いこと言うのね」
ヴェスパーの声に、微かな響きが混じった。
だが、ニナは、それに気付かなかった。
「ヴェスパーさんも、優しいですし」
「——あら」
ヴェスパーの目が、少しだけ細まる。
「初対面の人間を、随分と簡単に信じるのね」
「——だって」
ニナは、素直に答えた。
「悪い人には、見えませんでしたし」
その言葉に、ヴェスパーは、しばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「——そう」
それだけ、答えた。
その時。
壁を、軽くノックする音がした。
「——寝るんじゃなかったのか?」
壁越しの、くぐもった声。
ニナは、飛び上がるように背筋を伸ばした。
「——すみません! 寝ます!」
隣で、ヴェスパーが、堪えきれないように肩を揺らしていた。
*
半ば無理やりに譲られたベッドの上で一人、カイは知らない天井を仰いでいた。
——断罪者。
——同族殺し。
その2つの言葉が、頭の中を埋め尽くして、それはヴォル氏族と結びつけられない——
否。
本能ではもう分かっていた。自分の心が認められないだけだった。
如何に致命傷を一瞬で与えるか、そのために研ぎ澄まされた体術。
確実に獲物を仕留めるための狙撃術。忍び寄るための歩法。音を消し、影に溶け込む
研鑽し、その身に叩き込んだ技術が、雄弁に、言葉もなく、氏族の辿ってきた道を認めてしまっている。
——認めざるを得なくなっている。
肩が、重い。
ポールドロンに刻まれた、氏族の紋章。
誇りを持ってまとったはずの印が、今は縫い止めるように重くのしかかってくる。
『その紋章は、毒に塗れる定め』
占い師に言われた言葉が頭に浮かぶ。
毒。マンダロリアンは本来、毒物のたぐいは使わない。それは戦士として正々堂々とした戦いには不要のもの。卑劣の象徴。
——だったら、これは何なんだ。
自分の踵に隠された刃。そこには致死性ではないが、麻痺毒が仕込まれていた。
調合はシオウ直伝で、似たような毒はおろか、そのような存在は他の仲間からついぞ聞くことはなかった。
——親父、どうして。
今更聞いたところで、答えてくれる人は、もういない。
カイは胸に手を当てる。そこには、シオウの遺品である短剣が収められている。
「氏族を、辿りなさい、か」
氏族の紋章が刻まれた短剣。残る手がかりのそれを、カイはことさらゆっくりと引き抜いて眺める。
ベスカーでできた短剣。同じ金属の鎧をも、貫ける短剣。
ためつすがめつ、見つめたところで、そこにあるはずのない答えが浮かぶわけでもない。
黒い刀身に刻まれた、一本の細い溝をなぞりながら、ふと。
——これは、血抜きではなくて……。
その時。
壁越しに、二人の女性の笑い声がした。
重苦しい沈黙とは、まるで違う音だった。頭の中の陰鬱な気分ごと、浮かんだ考えを吹き払う。
ふっ、と軽く笑うと、カイは身を起こす。静かに隣室の間の壁に寄って、気持ち強めに叩く。
自分の苦言に返ってくる、ニナの慌てたような声に、止まらない笑いを噛み殺しながら、再びベッドに戻る。
例え、この技が血に塗れていても、それでも——
今まで守れた存在がいる。
その救いに、今は心を任せることにした。
*
翌朝。
施設に見つからない距離を取って停泊させたキタツグミの中。
ハッチを開ければ、外は切り立った岩山ばかりが続く景色だった。赤茶けた岩肌が朝の光を鈍く弾いている。生き物の気配はない。風の音だけが、やけに大きく響いていた。
装備の確認をする。ブラスターの残弾、ヴァイブロブレードの固定、ジェットパックの燃料——一つずつ指で辿るようにして。隣でヴェスパーも似たような手順を踏んでいる。無駄のない、慣れた仕草だった。
視線を感じた。
振り返らずとも分かる。ニナだ。
何度もこちらを窺っては、また逸らす。言いたいことを飲み込んで、また窺う。それを繰り返している。
「……私は、着いて行っちゃ、ダメですか?」
やっぱり言った。
ヴェスパーが振り返る。纏う空気は、既に昨夜のものではない。
「駄目よ」
にべもない声。ニナがびくりと肩を揺らす。
「戦う力もない子がいても、邪魔になるだけ」
「——でも」
「そこのアストロメクなら、連れて行ってもいいけどね」
ヴェスパーが軽く肩をすくめて、キタツグミの隅を指す。ドクちゃんが、心外だとばかりに旋回灯を点滅させた。
「置いていく」
カイは即座に否定する。ドクを戦場に連れ出す気は毛頭ない。
ニナに向き直った。
(うまく言える気がしないな)
思いながらも、口を開く。
「マンダロリアンが、二人もいるんだ。大丈夫だ」
——それだけじゃ、足りないか。
「危ないところに、お前を連れていきたくないだけだ」
言ってから、しまった、と思う。柄にもないことを、随分素直に言ってしまった。
誤魔化すように、ヘルメットを軽く叩いて見せる。
「いざとなったら、これで呼んでくれ」
ニナの目が、キタツグミのコンソール——コムリンクの接続先——とカイの間を、何度か往復する。迷いを飲み込むような沈黙。
やがて、小さく頷いた。
「……分かりました」
カイとヴェスパーは、纏う雰囲気をすっかり戦支度に変え、施設へと向けて出発した。
*
地図のデータが収められたガントレット。それをコツコツと叩きながら、ヴェスパーが口を開いた。
「転送したいのだけれど——ついでに、はぐれた時のために、繋いでおきましょうか」
「——ああ」
カイは、いつも通りの手順で答える。
「——四、七、二、一」
周波数の数字を、口頭で告げた。
ヴェスパーが、自分のヘルメットに何か操作をする。
だが、しばらくして。
「——繋がらないわね」
「——は?」
「聞こえてる? もう一度、言ってみて」
「四、七、二、一だ」
「……やっぱり、駄目ね」
ヴェスパーは、小さくため息をついた。
「——ヘルメット、ちゃんと整備してる? 」
「それは——」
「そもそも、ウォッチって、そういうのできるの?」
「——できることは、できるが」
カイは言い淀む。
整備が行き届いているとは、お世辞にも言えない自覚があった。
自然と、左手が右のガントレットを撫でる。アーマラーに新調して貰った時に、同時に完璧に整備された振動装置。——ハイネスティアでずっと格闘したのに自力でどうにもできなかった代物。
なおここ最近は、気密ロックの調子も悪く、完全に閉じきれていない。薄く隙間が空いたまま、放置していた。
「まあ、いいわ」
ヴェスパーは、自分の装備のポーチから、何かを取り出す。
配線らしきコードだった。
「有線で繋ぐから、ちょっと、じっとしてなさい」
「——何を」
「いいから」
有無を言わせない口調だった。
カイのヘルメットの側面に、コードの先端が触れる。
小さな電子音が、一つ。
——繋がったのか?
「——はい、これで大丈夫よ」
ヴェスパーは、あっさりとコードを外した。
「これで、もう心配ないわ」
「手間かけて悪かった」
「先がちょっと思いやられるわね」
カイは、素直に頷いた。少し、肩を落としながら。
その様子にヴェスパーは吹き出す。
「——まったく、叱られた犬みたいな顔しないの」
「し、してない……」
白い指先が、ぴん、とカイのヘルメットを弾く。
「この後、取り返せばいいの。そうでしょ?」
「——ああ」
特に意味もなく、カイはヘルメットの位置を直した。
*
「——さて、行きましょうか」
ヴェスパーが、地図のホログラムを消す。
施設の裏手——かつて鉱石を運び出していたという、古い搬入路。錆びた扉は、半分朽ちかけていた。
カイは、指先で軽く扉に触れる。
——罠は、無し。
受け取った情報通りだった。表向きの警備は、こちらには回っていない。
「開けるぞ」
小声で告げて、扉を押す。軋む音が、思ったより大きく響いた。
息を、詰める。
——反応、無し。
中は、暗い。埃と、錆と、油の匂い。奥から、微かに機械の唸りが聞こえてくる。
二人は、身を低くして侵入する。ヴェスパーの足運びは、無駄がなかった。息遣いすら、聞こえない。
——場数を踏んでる。
カイは、そう察しながら後に続いた。
*
通路の先、明かりが漏れている。
人影が、一つ。
カイは、指を1本立ててヴェスパーに合図した。——俺が、やる。
足音を殺して、距離を詰める。
相手が振り向くより早く、首の後ろへ手刀を叩き込んだ。
崩れ落ちる体を、音を立てないよう受け止める。
——よし。
いつも通りだった。当て身で、無力化。殺さない。
だが。
「——何のつもり?」
背後から、怒気を孕んだような声。
振り返ると、ヴェスパーが、氷のような目でこちらを見ていた。
「それが
「——いや、それは」
「——殺れって、言ってんの」
抑えた声だが、有無を言わせない響きがあった。
ヴェスパーのブラスターが、無造作に持ち上がる。
乾いた音が一つ。
崩れ落ちた体が、二度と動かなくなる。
「——ほら。片付いた」
何でもないことのように、そう言った。
カイは、言葉に詰まる。
——ニナには。
殺さない戦い方をする、と。そう誓ったはずだった。
(ごめん、ニナ)
声には、出さなかった。出せるはずもなかった。
小さく、頷く。
それだけで、十分だった。
*
次の敵が現れた時、男の動きが変わった。
——あら。
ヴェスパーは、目を細める。
先程の、当て身。手加減。まるで、教本通りの制圧術。
それが、消えた。
踏み込みは、最短距離。関節の可動域の隙間を縫うように、刃が滑り込む。声を上げる暇すら与えない。
一人、二人——数える間もなく、片付いていく。
——見覚えのある、型ではない。
それでいて、洗練されている。無駄な力みが一切ない、しなるような体運び。見知ったウォッチの型式立った剣術とも、荒事上がりの我流とも違う。
もっと、根の深いもの。
——どこで、身につけたのかしら。
値踏みする目で、カイを見る。
自分の動きに、当の本人が驚いているのが分かった。無意識に、体が覚えていた動きを引っ張り出したような、そんな顔。
——ふうん。
面白い。
「——へえ」
感心したような声が、自然と出た。
「随分と、隠し玉を持ってるじゃない」
男は、何も答えなかった。
答えるつもりも、なさそうだった。
*
警報が、鳴った。
甲高いサイレンが、施設中に反響する。
——さすがに気付かれたか。
もはや、足音を殺す意味もない。
カイは腰のホルスターから、ブラスター・ピストルを抜く。
通路の先、複数の足音。怒声が飛び交う。
——数、多いな。
一発。二発。
狙いは、正確だった。飛び出してきた影が、次々と崩れ落ちていく。
殺傷ではなく、行動不能を狙う。膝、肩、得物を持つ腕——急所を外した部位を、的確に撃ち抜いていく。
悲鳴が、通路に響く。
それでいい。悲鳴は、後続の足を鈍らせる。
隣で、ヴェスパーの銃口も休みなく火を噴いていた。狙いに、迷いがない。
「またそうやって、甘い事を——」
嫌味がかった口調とは裏腹に、動きに無駄がなかった。
カイの戦術は、確かにこの場では効果的だった。
二人がかりで、通路を押さえる。
敵の増援が、途切れる。
——今のうちに。
「行くぞ」
カイは、短く告げると先を急いだ。
*
施設の奥へ進むほど、設備は古びていく。
剥き出しの配管、錆びた足場、崩れかけた案内表示。かつての採掘施設の面影が、あちこちに残っていた。
中枢へ続く通路は、思ったより入り組んでいる。
——地図と、少し違うな。
仲間の情報にあった見取り図と、実際の施設には、細かな相違があった。増改築でも繰り返したのか、迷路のような分岐がいくつも増えている。
それでも、迷うほどではなかった。ヴェスパーが、ホログラムの見取り図と周囲を見比べながら先へ進む。
「——こっちよ」
狭い通路を抜け、開けた空間に出る。
巨大な粉砕機の残骸が、そこかしこに転がっていた。稼働を止めて久しいのか、赤茶けた錆に覆われている。
その時。
足元で、微かな振動があった。
——今の、は。
カイが振り返るより早く。
天井の一角が、軋みながら崩れ始めた。
考えるより先に、体が動いた。
崩落の音を耳が捉えた瞬間には、もう足が地面を蹴っていた。
——罠だ。
声にする間もない。踏み込みざま、ヴェスパーの体を進行方向へ——安全な側へ、思い切り蹴り飛ばした。
「——っ、ちょっと、レディを蹴り飛ばすなんて!」
抗議の声が、崩落の轟音に半分かき消される。
だが、間に合った。ヴェスパーの体が、瓦礫の届かない側へ転がっていく。
——良し。
安堵する暇もなく、天井が崩れ落ちる。
視界が、埃と瓦礫に覆われる。
カイは、咄嗟に腕で頭を庇いながら後ろへ跳んだ。
直撃は免れた。
しかし——巨大な瓦礫の壁が、二人の間に割り込む。
轟音が止んだ後に残ったのは、重い沈黙と、宙を舞う粉塵だけだった。