パチッ。
ヘルメットの回路基板に、小さな火花が走る。
思わず顔を離す。焦げた匂いが鼻を突いた。
——またか。
ロック機構の周りを覆う気密用のパッキンは、もうとっくに寿命を迎えていた。何度も脱ぎ着を繰り返すうちに擦り切れ、隙間から入り込んだ埃か何かが、接点をじわじわと蝕んでいたらしい。
工具箱から予備のパッキンと、小さな熱線ペンを引っ張り出す。焦げた配線の被膜を薄く削り、変色した部分だけを切り詰めて繋ぎ直す。
細かい作業自体は苦にならない。むしろ、頭を空っぽにできるこの手仕事の時間が、今は都合が良かった。
垂れ下がる髪が視界を塞ぐたびに、鬱陶しそうにかき上げる。
最後に切ったのはいつだったか。そろそろ切り時だとは分かっているが、なかなか機会に恵まれなかった。
——
ヘルメットを被る時はかき上げてしまえば却って固定されてしまう。おかげで脱ぐたびにふわふわとして邪魔なことこの上ないのだが。
新しいパッキンを溝に沿わせて填め込み、ロック部分を丁寧に組み直す。
試しに一度、ヘルメットを被って顎のロックを噛ませてみる。
——プシュ、と鈍い音がして、密閉の感触が指先に返ってきた。
今度は、隙間なく閉じている。
ついでに、と無線の調子も見てみる。だが原因らしきものは、結局どこにも見当たらなかった。
——まあ、繋がってはいるんだから、いいか。
深追いはせず、工具を片付けた。
◇
ヴァント星系。そのとある都市郊外、人気のない荒野にキタツグミが停泊していた。
その船外、すぐ側で。
ぷるぷると震える腹筋を、ニナは根性で持ち上げる。
「ふっ……くっ、はぁ」
苦しそうに息を吐いて、仰向けに倒れる。
——その視線は、頭上の一点に止まった。
「——カイさん、頭に血が登ったりしないんですか……?」
「いや?」
そこには、岩の間に脚を挟んで逆さ吊りになったカイが、涼しい顔で腹筋している。
「登る前に上げればいい」
「そうは言っても——」
ニナが一回の腹筋を終えるごとに、カイは十回は身を起こしている。それもニナの倍以上の振り幅で。
カイは、呆気にとられるニナの前に、するっと降りてきた。
「どうした?まだ半分ぐらいじゃないか?」
「うっ……」
——思ったよりスパルタだぁ。
負荷が足りない、と言って適当な重りを持ち直すと、カイは再び岩場に駆け登る。そしてまた、重力なんて無いかのように腹筋を続けだした。
その様子をしばらく見ていたが——
「ニナ?」
その一言で、腹を文字通りくくるように、ニナもまた腹筋の続きをゆっくりと再開した。
——きっかけは、ニナの一言だった。
「体力を、付けたいです!!」
「う、うん?」
ヘルメットの修理を終えて、自分のカフを淹れに来たカイに、ニナは意を決して申し出てみた。
「私、いつもカイさんについて行けてないっていうか——」
「そう、か?」
「置いていかれっぱなしっていうか——」
「それは——」
「だから、体力をもっと付けたら、一緒に行けるかなって」
——付けたところで、な。
元より危険な所と判断したら、常に留守番を頼んでいた。
そこは着眼点が違うんじゃないか、と思ったが。
——ま、せっかくそう言うなら。
「それじゃあ、時間もできたことだし、ちょっと鍛えてみるか?」
「——はいっ!」
いつになく元気の良い返事。
修理で凝り固まった身体をほぐしながら、カイはニナでもできそうな内容を頭の中で組んでみた。
組んでみた、のだが。
「おーい、無理せずになー……」
「は、はい……」
立ち止まり、ぜえぜえと肩で息をする彼女の横を、カイは軽やかにすり抜けていった。
辺りには岩山ばかりがそびえ立っていた。
その中の適当な一つを指して、とりあえず一周、と言われたのだが——
四分の一も行かないところで、ニナは力尽きかける。いや、力尽きていた。
どうにか顔を上げられたが、もうカイの姿はない。
前方にはわびしい岩だらけの景色だけ——
「ニーナッ」
「ひゃあっ!」
突然、
「——本当に大丈夫か?」
振り返るとそこには、先に走り去ったはずの男が足踏みしていた。
「カ、カ、カ……」
「何だよ……」
「だ、だだ、だって、先に……」
ニナは更に青ざめた顔で前方を指差す。
「ま、まさか、カイさんが、二人!?」
「んな訳あるか」
思わず呆れたようなため息が溢れた。
しかしすぐに、くっくっ、と笑いを噛み殺す声。カイは笑ったのを誤魔化すように、その場で身体を伸ばし始めた。
「普通に一周回って来ただけだよ」
「もう!?」
「もう」
なんて事ないような返事に、ニナは崩れ落ちるように座り込んだ。
「……マンダロリアンって、みんな身体能力が高い種族なんですか——?」
「そんなことはないし、俺も——ヒューマンなのは知ってるだろ」
「それにしたって、体力が桁違いすぎます。私だって同じヒューマンなのに……」
「俺も、生まれた時からこうだった訳じゃないさ」
その声が、心なしか、いつもより低く落ちた気がした。
——遠くを見るような、一拍の間。
◇
片腕だけで、身体を持ち上げる。
もう何度目かは、数えていない。
肘が震えている。それでも、下ろす速さは変えない。ゆっくりと下げ、ことさらゆっくりと上げる。
視界の端が、じわりと滲み始めていた。
——あと、一回。
言い聞かせるように、もう一度腕を曲げる。
ゆっくりと下げ——
?……??
俯せに倒れているせいで、ヘルメット越しの視界が暗く塞がれているだけだと、遅れて気付いた。
——いつの間に気を失って……。
体勢を整えようと、身を起こそうとして。
「そこまで、だ」
首にヒヤリとした感触がした。
ナイフが当てられている、とすぐに分かった。
その持ち主も。
その感情も。
「——っ、まだ」
「ダメだ。意味が分からない訳でもないだろう」
苦し紛れの抵抗も、にべもなく切り捨てられる。
——これが敵なら殺されていた。
カイは、ナイフの持ち主がそう言いたいのは理解していた。
でも、と続けたくなるのを飲み込んで、「ごめんなさい」とだけ答えると、ようやく離してもらえた。
ナイフをしまったシオウに引き起こしてもらう。まるで猫の子になった気分だった。
塩の粒が浮いた腕はまだ細い、気がする。声変わりが始まったばかりの自分と、そばに居る父親を比べるのも、意味ないことだと分かりつつ。
「今日は終わりだ。——というか、やりすぎだ」
呆れの混じったシオウの制止に、口答えをする勇気はまだない。だが——素直に従う返事は、なかなか出ない。
「水分取って、身体拭いて、休むんだ」
「…………はい」
部屋に戻るまで、シオウの視線は外れなかった。
——次は、倒れる前に止めよう。
そう決めたのは、確かにこの日だったはずだ。
だが「倒れる前」の線引きは、いつまで経っても人並みからは遠かった。
◇
「——で、今のカイさんは、どう思ってるんですか」
ニナの声に、カイは我に返る。
「今のって?」
休憩に入ったニナがこちらを
「無理してでも鍛えた方がいいと思ってるのか、それとも——」
「無理は、良くない」
食い気味に返した自分に、少し驚く。
「適度に、が一番だ」
まるで他人事のような付け加え方だった。
「それはカイさんも?」
「俺は……別に」
「そうですか……でも、休憩しませんか? その、カイさんも……」
カイは休んでいるニナの脇で、ずっと腕立てをしていた。だが、その言葉に気まずくなり、止めて立ち上がる。
代わりに足元に転がる石を拾い上げた。
ブラスターの出力を最低値まで下げてから——石を放り投げる。
右手で三発。
持ち替えて、左手で三発。
ビシッビシッ、と撃つたびに、石が空中で踊る。
六発目を終えて、一回りも二回りも小さくなって地面に転がった。
「わあー……」
横で見ていたニナが、感嘆の声を上げながら拍手をする。
ぱちぱちぱち、と一人分の破裂音が少しこそばい。
出力を戻したブラスターを納め、軽く手のひらを握っては開く。
大怪我を負ってから少し不安はあったが、完全に調子は取り戻したようにも思える。
本当は動き回りながらの訓練もしたかったが、そばにニナもいることだし、危険なことは避けるべきだろう。
——と、ちらりと隣に視線を向けると、期待を込めた眼差しとぶつかった。
「……どうした?」
「あの、私も——撃ってみたら駄目ですか?」
——は?
ニナは視線を落とし、指先を忙しなく合わせながら続ける。
「その、護身用、というか、私も少しは戦えないと——」
「必要ない」
またも食い気味に返した自分に、今度はもっと驚く。そのせいで、残った言葉が続けられなかった。
——俺がいるだろ、と。
ニナは、バッサリと切られたのがこたえたのか、「でも」と口篭ったきり膝を抱え込んでしまう。
その様子に、大きくため息をついて、カイは再びホルスターから愛用の銃を取り出した。
——出力は……いや、いい。あえて、このまま。
彼女の隣にしゃがみこみ、持ってみるように促す。
「人差し指は伸ばしたまま。いいって言うまで絶対に引き金に指をかけないこと」
「え、でも——」
「いいから、ほら——」
渡された武器の、予想以上にずしりとした重さにニナは怯える。
「あの岩が見えるか? ゆっくりと構えて——」
手頃な目標を指し示すが、戸惑ったようにこちらを見上げるだけで銃口を上げる気配がない。
ため息一つ。銃を持つ彼女の両手ごと、そっと包み込むように支えて持ち上げる。少し冷たくて、少し震えていた。
狙いを定めて——
「引き金、引いていいぞ」
「————っ!」
バシュッ!
熱線が弾ける音とともに、ニナの腕が反動で大きく跳ね上がる。すぐにブラスターを取り上げたので第二射の暴発は防がれたが、そのあまりの衝撃にニナは固まったままだった。なるべく衝撃はカイが引き受けたつもりだったので、肘や肩に負担は行かなかったはずだが——
しばらくして両手を下ろしたが、まだ痺れるのかゆっくりと自分の手を見ている。
——少し荒療治過ぎたか。
「大丈夫か? 痛む所あるか?」
「う、腕が痺れて…」
その声に、カイの中で何かがすっと冷めた。
「——悪い。加減、間違えた」
思ったより早口で、思ったより焦った声だった。
「いえ、大丈夫で、す。痛いところは、ないですし」
でも、とニナは驚いた顔のまま続ける。
「こんな威力のものを、皆さんは撃ってたんですか——」
「そうなるな」
ブラスターを今度こそホルスターに納める。
「ニナには……まだ難しいと思う。今度、扱えそうなの見繕っておくから」
「——そうですね。ありがとうございます……」
素直に肩を落とすニナに、少し同情からの苦笑いが漏れた。
ウォッチに迎え入れられたばかりの孤児たちも、似たような落ち込み方をする子がいた気がする。
「カイさんは、これを……」
「ん?」
「これを、どれくらい練習したら、ここまで扱えるようになりましたか?」
その一言に、無意識のうちにブラスターに手が伸びた。
トリガーガードに触れる指先は、皮の厚みも、大きさも、今とは違っていた。