突き出した拳を、後ろから掴まれた。
「そこまでにしなさい」
シオウの声。束の間、固まる。
——なぜ、止められた。
拳は、まだ震えていない。狙いも外していない。理由が、掴めなかった。
「体力を使いすぎてる。休憩を、挟め」
それだけ言い残し、シオウは離れていった。
駆け足で、船へ戻る。
体力を使わなければいい。それなら、これだ。
自分の背丈より少し短いブラスターを、両腕で抱えて戻ってきた。
シオウの目が、一瞬だけ細くなる。何かを言いかけて、やめた。
構えを教わった通りに直し、的へ向ける。
ビシッ、ビシッ、と乾いた音が続く。狙いは荒い。それでも、弾はほとんど的の内側に収まっていく。
弾倉が空になる頃には、腕の震えより先に、息が上がっていた。
的を見に行く。散らばった穴の位置を、指でなぞる。
——真ん中じゃない。
もう一度、弾を込め直す。
気付けば、影の向きが変わっていた。
何度目の弾倉を空にしたのか、途中から数えるのをやめていた。指先の皮が、薄く剥けかけている。
「——十分だろう」
声をかけられて、初めて、シオウがすぐ後ろに立っていたことに気付く。
「まだ、まんなかに、入ってない」
「これだけ入っていれば」
「全部、まんなかがいい」
譲らない様子に、シオウは短くため息をついた。
「……夕飯ができたら呼ぶ。それまでだけだ」
「はいっ」
返事だけは、やけに元気が良かった。
◇
「ぜ、全部真ん中ですね……」
ニナに狙わせた岩。そこには深く穿たれた穴が開いている。焼け焦げた匂いがこちらまで漂ってきた。
結局あの後、カイは三度目の射撃をせがまれて披露する羽目になっていた。
威力はいつも通りで、連射に近い形で。ニナの放った弾は明後日の方向へと飛んでいったが、カイの放つそれは、吸い込まれるように同じ箇所を撃ち抜いた。
——まあ、ブラスターなら弾代かからないし。
昔、実弾ライフルの訓練に集中しすぎて、大量の弾を消費してしまったことを思い出す。
今にして思うと、親父はよく笑って許してくれたものである。
「カイさんって、体術も射撃も凄いんですね」
「訓練したからな」
照れ隠しだった。時折くる、ニナのストレートな称賛は、何だか、こう、心臓にくる。
当の本人といえば、呑気に水筒を煽っている。
「そういえば……カイさんが体術で戦うところ、私、ちゃんと見たことないかもしれません」
「見せる機会も、そうないからな」
「見てみたい、っていうか……見せてもらうのは、駄目ですか?」
即答できなかった。
——いいか、その業は、みだりに晒すな。
父親の声が蘇る。
「悪いが……それは、駄目だ」
「……そう、ですか」
「親父の言いつけで、人に見せるなって——」
「?」
あからさまに肩を落とすニナに、言い方が悪かった、と思う。まるで自分の意思ではないみたいに聞こえる。
続けるべき言葉を探す。素っ気なく断っただけでは、また誤解される。
「それに、見せられない、というか……見せるようなものじゃ、ないんだと思う」
視線を落とす。
「——うちのヴォル氏族には、昔、良くない噂があったらしい」
そこから先は、言葉を選びながら、途切れ途切れに続けた。
——ヴォル氏族は、かつて同族を狩って回っていた一族だったらしい、という伝承。御伽噺として語り継がれる「断罪者」という逸話に、その名がなぞらえられていること。もっとも、それを聞かせてきたヴェスパー自身も、また誰かから聞いた話でしかなく、確かめようのない伝聞の伝聞に過ぎないこと。
そして、自分の中に眠る、人に晒すなと言いつけられた技術、それが、その噂——"同族殺し"という言葉とも、無関係だとは思えないこと。
「——だから、な」
言葉が、そこで途切れた。
ニナは、何も言わなかった。
長い沈黙が落ちる。
風の音だけが、やけに大きく聞こえた。
「そんなの——」
やがて、絞り出すような声だった。
「今の、カイさんに、関係ないじゃないですか……」
「そういう訳には、いかないだろ——」
胸に、重みを覚えた。——比喩ではなく、懐に納めた氏族の短剣、その実の重さから。
「継ぐにしろ継がないにしろ、切って切り離せない問題だから」
——だから?
自分でも何を続けたいのかが分からない。
ニナは、また黙り込んだ。今度は、何かを組み立てるような間だった。
そうして、静かに、丁寧に切り出す。
「カイさんは、同族——いえ、マンダロリアンの皆さんを手にかけたことが、あるんですか?」
「無い。それだけは、断じて無い」
強く、否定する。それが、それだけが、自分にとって確かなことだったから。
必要があれば、迷わず手にかける。それは今更、恥じることでもない。
——だが、それとこれとは、話が違う。
「それなら——」
凛とした、ニナの声。
「カイさんは、"同族殺し"なんかじゃ、ないじゃないですか」
ハッとして、ニナに振り返る。
その微笑みに、少しだけ胸の支えが取れるような気がした。
「そうだな——」
「カイさんは、カイさんです」
ふっと表情を緩めたカイに、ニナも柔らかく笑う。
「今まで、傍にいてくれたカイさんが、その一族の話一つで、変わったりしないです」
傾きかけた日が、二人の影を長く伸ばしていく。
——その時。
遠くから、ピーッ、と甲高い電子音が響いた。
振り返ると、船から転がるように出てきたドクが、こちらへ向かって忙しなく手(のようなもの)を振っている。
「……何かあったみたいですね」
名残惜しさを振り切るように、ニナが先に立ち上がった。
◇
コックピットの通信パネルを開き、白いコムリンクを専用の差込口へ接続する。
トランシーバーの出力表示が緑に切り替わるのを待って、周波数を打ち込む。
プツ、プツ、と断続的なノイズの後、繋がったことを示す短い電子音が鳴った。
「——おせえよ、何回呼んだと思ってんだ」
呆れたトーンを隠しもしない親友——ロウガンの声が響いた。
「悪い、色々あってな」
「すいません、お待たせしちゃって」
「お?」
声の調子が明るく切り替わる。
「ニナちゃんもいるのか? おーい、やっほー。久しぶりだな、元気にしてたか?」
「は、はい! お久しぶりです」
急に話を振られて、ニナが慌てて姿勢を正す。
その微笑ましいやり取りを一頻り交わした後——
「——例の件、聞きたくて繋いだんだが」
「ああ、あれな」
ロウガンの声の温度が、不意に変わった。
「——"同族殺し"ねえ……」
わざとらしいくらい、軽い調子だった。
「まあ、うちらマンダロリアンなんて、身内で殺し合ってきた歴史みたいなもんだしな。今更、何を言われても驚きゃしないさ」
「そうなんだが——」
カイの言葉を、「でもよ」とロウガンが断ち切る。
「わざわざその単語が出てくるってことは……お前が気にするだけの何かは、あるのかもな」
まだ明確な答えが見いだせないまま、カイは沈黙する。
「こっちで調べた限りだと、お前んとこの氏族なぁ……あんまり調べられなかったっつーか」
「何だよ、歯切れ悪いな」
「いや、三代前より前は、ウォッチじゃなかったらしいんだわ」
「——は?」
「これなぁ、俺から話すより……うん」
通信の向こうは、その煮え切らない一言を最後に、黙りこくってしまう。
「ロウガン——?」
「じゃ、そういうことで、健闘を祈る!」
——待て。
あいつとは長い付き合いだ。こういう時は——嫌な予感がする。
ガサっと何か物音がした。続けて軽くノイズの音も。
「おい、ロウガン——」
不安に駆られて飛び出たカイの言葉に、別の人物の声が返ってくる。
「——通信替わった。変わりないか」
一瞬で汗がぶわっと吹き出した気がした。
操縦席にもたれかかってた身体を引き起こし、背筋を伸ばす。相手には一切見えないのに。
アーマラーの声だった。
急に知らない人の声がしたことに戸惑うニナに、頼むから静かにしていてくれ、とジェスチャーで返す。
通信の向こうでは、そんな二人の様子を知ってか知らずか、落ち着いた女性の声が続いた。
「ヴォル氏族、その名を渡したのは私だ。だから、これだけは言う」
「三代前——お前の代で数えれば、曽祖父の代だ。ヴォル氏族が
「それ以前のことは、私も詳しくは知らない。ただ、氏族を率いる立場として、大まかなことだけは引き継いでいる——加わる前は、あまり褒められた身の上ではなかった、とだけ」
一拍、間が空く。
「あの短剣は、まだ持っているな?」
カイは、答えられなかった。代わりに、右手が短剣を撫でる。
「ヴォル氏族の内容には、これ以上伝えられることはない。だが、短剣を渡した者の——シオウの役目はこれで果たせたはず」
「あの、アーマラー——」
「私も、ここを発つ」
それだけ言って、通信の向こうで、また物音がした。
「——おう、戻ったぞ」
ロウガンの声だった。心なしか、いつもより声のトーンを落として。
「悪いな、俺から言えることじゃなかったから」
「……いや」
「まあ、聞いちまったものは仕方ねえ。気にすんな、とは言わねえけど」
柄にもなく、優しい声だった。
「それは、まあいいさ」
答えるカイの声も、穏やかだった。
「だが——」
切った言葉は、トーンがぐっと落ちた。
「お前……アーマラーに引き継ぐなら、そうと言えよ!」
「はっはっはっ!ざまぁみろ」
「——っ!切るからな!」
宣言とともに容赦なく通信スイッチに左手を伸ばす。
——その右手は未だ、短剣から離れないままだった。
◇
それから、数日。
悪天候は、一向に晴れる気配を見せなかった。
体力トレーニングの成果か、ニナの足取りは日に日に軽くなっていく。反比例するように、待機日数だけが積み上がっていった。
その夜も、変わらず星図には荒れ模様の表示が続いていた。
夕食を終え、片付けを済ませたニナが、静かに向かいへ腰を下ろす。
「——そういえば、目の方は、もう平気なんですか?」
唐突にも思えたが、狙撃の様子を見ていたからと思い至った。
「ああ。もう見え方に問題はない」
「良かった……」
思えば、あれだけの大怪我をして後遺症が残らなかったというのも奇跡的だ。左目に至っては、一度焼かれていたような気もしたのだが。
「バクタタンクっていうのは凄いんだな。入ってるだけでここまで回復するとは」
「——え?」
「ん?」
ニナの表情に、何かピリッとしたものが走る。また何か地雷を踏んでしまったのだろうか。
「覚えて、いないんですか——?」
——ほら。
「ごめん、寝てたから、何も……」
馬鹿正直に答えたな、と自分でも思うが、本当に寝ていただけなので言い訳のしようがない。その答えに、ニナは「はぁぁぁ」と露骨に盛大なため息を吐き出す。
しかし来る説教に身構えていたが、それきり何も言わない。
「——ニナ?」
「いえ、覚えていないなら、それはそれで」
突き放す、というより、少し安堵したような声音だが、
「待ってくれ。ちゃんと知らないことなら話してほしい。俺の身体のことなんだし」
「——っ。そうですね、ごめんなさい」
判断の間違いに気付いたのか、ニナは申し訳なさを滲ませながら説明してくれた。ネヴァロで大怪我を負ってから、目覚めるまでの経緯を。
左目は、一時は視力を失いかけるほどの火傷を負っていたこと。バクタタンクだけでは治しきれず、ドクが何度か手術を重ねたこと。その一つが、人工の角膜への置き換えだったこと。
「そんなに、酷かったのか」
「はい……本当に、酷かったです」
ニナの声が、少しだけ震えている。小さな、本当に小さな声で、「生きてて良かった」とつぶやくのが拾えた。
その縮こまった背が、ホスで暮らしていた頃と重なる。
何と返せばいいか、分からなかった。
あの時の記憶がない自分には、ニナが感じた恐怖も、安堵も、後から聞かされるだけの、遠い出来事でしかない。
——それでも。
気付けば、手が伸びていた。躊躇いがちに、ニナの頭へ。
柄にもなく、と思いながらも、止まらなかった。
「——な、何ですか、急に」
驚いた声を上げながらも、振り払いはしない。
「いや……よく、頑張ったな、と」
我ながら、下手くそな言葉だった。
ニナは、しばらく目を丸くしていたが、やがて、くしゃっと笑う。
「私、子供じゃないんですよ」
「そうじゃなくて——感謝してるんだこれでも」
「ふふっ」
涙の跡が残る目元のまま笑うニナに、詰まっていた空気が、少しだけ緩んだ気がした。
しかし、すぐに笑顔が消える。いや、しまわれる。
——青灰色の瞳が、真っ直ぐにこちらを見上げている。
「もし——」
「うん」
「もし、また同様の怪我を、特に頭部に負った場合——」
そこで区切ると、ニナは息を整えた。
「ヘルメットを、外しても構いませんか? それとも、そのままにしますか?」
——教義を破って生きるか、教義に従って死ぬか。
突きつけられた命題に、言葉が返せない。
「無茶しないで、とは言いません。マンダロリアンに、それを言うのは、違う気もするので」
「マンダロリアン……」
お互いに意識して避けていたことだった。
最初に切り出したのがニナというだけだった。
——まだ、マンダロリアン、と呼んでくれるのか。
「それは——まだ、ウォッチのつもりでいるのか、ってことか」
「そう、とも——」
「——ごめん。今のは言い方が悪い。責めるつもりはないんだ」
自分でも思ったよりも深いところに刺さった質問に、つい無遠慮な言葉を返して後悔する。
考える時間を求めて、片手を軽く上げる。ニナは黙って頷いた。
緊急の対応の話だけじゃない。
自分の生き方まで、きっと問われている。
今まで向き合ってこなかったツケが、こんな形で回ってきて——喉の奥で言葉になりきれずに詰まっている。
やがて、絞り出した答えも。
「その時が来たら、自分で外す。だから、安心していい」
どこかピントがズレたものしか返せないのがもどかしい。
——違う、そうじゃない。聞かれていることは。
「今は、まだ——教義に従って、生きたい」
「……そう、ですか」
感情の読めない声。落胆か、安堵か、それとも。
なぜ、と聞かれると思った。でも、聞かれなかったことは、答えなくていいことではないのだろう。今ではそれが理解できる。
「一度、教義を破ってしまった。それでも——」
物心つく前から、当たり前のようにそうだったから。
「親父によく言われた。氏族は、仲間は、家族だと」
言いながら、その意味を今更、自分の中で確かめるように続ける。
教義を捨てることは、その家族ごと、切り捨てることのような気がしていた。
——ニナが聞きたかったことから、少しずれている自覚はあった。それでも、止まらなかった。
ニナも、それに気付いているのか、口を挟まず、ただ静かに聞いていた。
「——仲間を、裏切ることだけは、許せない」
言ってから、思ったより本気の声だったことに、自分でも驚く。
ニナの指先から、力が抜けたように見えた。強張っていた眉が、ふっと緩むのを見て、カイも安堵から肩を下ろす。
彼女の視線が、カイの胸元——短剣のある位置に、そっと落ちる。
触れはしない。ただ、そこにあると分かっているだけで、十分だったのかもしれない。
「それなら、それがカイさんなんですよ。氏族として暗い過去があっても、それが——」
「そうか、そうだな——」
そのまま、ニナの指先が、ヘルメットへと伸びて——軽く、はじく。
いたずらめいた笑顔と声色で。
「でも、もし意識がなかったら、無理にでも外しますからね」
軽い調子の言葉に、同じように少し吹き出す。
「……ああ」