黒刃と寄る辺なき花   作:アサナシケイ

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第六話 いしの在り処 4/5

 翌朝、目覚まし代わりのドクの電子音で起こされる。

 

 プローブから届いた最新の観測データ、荒れ狂っていた大気の状態が、幾分か落ち着きを見せていた。

 

 身支度を整え、ヘルメットを手に取る。

 被る前、一瞬だけ鏡代わりの金属板に目をやった。

 ——前より、少しだけ色が違って見える気がする。左目だけ。

 

 言われてみるまで、気付きもしなかったことだ。

 かぶり直すと、視界が薄暗く切り替わる。いつも通りの、慣れた感触だった。

 

「支度、できたか?」

「……出来てます!」

 隣室から慌ただしく出てくる音。

 ほぼ同時に部屋から出たのか、少し不安そうな顔と目が合った。

 

 ——そりゃあ、前回が前回だったから、な。

 どう発破をかけようか考えあぐねていると、ニナの方が先に口を開いた。

「あ、あの、寝癖が取れなくて、あんまり見ないでください……」

「寝癖?」

「カイさんは良いですよね。全部ヘルメットで誤魔化せますから」

「そもそも寝る時、脱がないからな」

 ズルい、と文句を言いながら、先にコックピットへ向かう小さな背。

 

 ふと、気を遣われたのは自分の方だと気付いた。

「——参ったな」

 カイは気恥ずかしさを振り払うように、首の後ろをかいた。

 

 操縦席に座り、コンソールのボタンを次々と入れる。

 エンジンに熱が入り、ドクの電子音が呼応するように鳴り出した。

 

 操縦桿を握り、そっと息を吐く。

「——行くぞ」

「はいっ!」

 

  ◇

 

 晴天、とまではいかないが、初回とは比べ物にならないほどマンダロアの大気の状態は安定していた。

 計器の数値はおおよそ許容範囲ではあるが、それでも揺れるには揺れる。

 

「ニナ、大丈夫か?」

「ええ、そろそろ雲を抜けそうです」

 風が大きく機体を揺らした。軽く操縦桿を持ち上げて機体を安定させる。

 

「地上、見えて——」

 ニナの声が、それっきり止まる。

 

 理由がすぐに分かった。

 

 ——何だ、これ。

 

 思わず息を飲んだ。

 今まで、任務で様々な星を見てきた。

 それでもこの景色は見たことがなかった。

 

「結晶……か何か、ですか——?」

 不安そうに尋ねるニナに、上手く答えられない。

 

 黒く濁った結晶に一面覆われている。強く打ち付けた水面のようにそれは刺々しくそそり立ち、来るもの全てを寄せ付けない様相を呈している。

「千の涙の夜、だ——」

「え?」

「核融合爆弾(フュージョン・ボム)で焼き払われた、とは聞いていたが——」

 聞きかじりの知識を語る、自分の声が、どこか遠い。

 

「こんな、でも、酷い……」

 再び、言葉を失うニナ。

 

 ——こんな所に、手がかりがあるのか……?

 

 チルドレン・オブ・ザ・ウォッチのマンダロリアンで、マンダロアを訪れたことがある者は少ない。いや、いないと言っても差し支えないだろう。

 自分たちはずっと、マンダロア衛星のコンコーディアに身を潜めてきた。千の涙の夜を生き延びられたのも、皮肉にもそのおかげだ。

 

 尤も、今はそのコンコーディアからも逃げ出し、銀河に散り散りとなっているのだが。

 

 ましてや、泉なんて——

 

 口を突きそうになる不安を噛み殺す。強く、痛いほど。

「——着陸する。掴まってろ」

 

 ニナの返事を待たずに、機体を傾けた。

 

  ◆

 

 着陸してすぐ、カイは装備の最終確認もそこそこに、単身で周辺の様子を見に出て行った。

 ——せめて、安全そうな場所か確認するまでは。

 

 数分もしないうちに、大股で戻ってくる足音がした。

「大気は問題ない。ドクにも測らせたが、呼吸に支障はないそうだ」

 言いながら、声色が渋くなる。

「——だが、ダメだ、ここ」

「え……」

「電波が、まともに通じない。少し離れただけで、コムが完全に死んだ」

「そんな——」

「試しに通信入れてみたんだが——気付いたか?」

「い、いえ、何も」

 

 自分の言葉で、事の深刻さを噛み締めているのか、カイは少し眉間を寄せる。

 ——離れた場所で何かあっても、互いに知りようがない。

「——ニナ、一緒に来てくれ。この状況で、一人にはできない」

「はい——」

 ニナは急いで荷物をまとめた。

「ドクは船を頼む。一応、防御プロトコルだけ入れておいてくれ。戻ったら合図する」

 ぴ、と短い電子音が答えた。

 

 タラップから覗いた景色は、空中から見る以上に惨々たる光景だった。

 険しくそびえ立つ結晶がそこかしこに屹立し、大きいものに至っては今まで見たどんな建物よりも高い。

 

 ニナは一歩足を踏み出して、感触から伝わってくるものに慄く。

 ——ここは、すでに死んでいる、と。

 

 カイを伺い見れば、しきりに手甲を操作していた。時折、舌打ちを交えながら。

「都市の、座標まで——くそっ、磁場が狂ってて正確な場所まで分からない」

 そこでようやくこちらを振り向いてくれた。

「恐らく、だいぶ歩くと思う。無理はしないでくれ」

「大丈夫です! 一緒にトレーニングしましたし!」

 両手を握りしめて、脇を締めるように構えて見せる。なるべく明るく、前向きに。

 

「——そうか。でも、本当に気をつけてくれ」

 カイはそれだけ言い残して歩き出す。

 ——いつもなら、ここで少しリアクションを見せてくれた。

 自分のおどけりに反応が返ってこなかったこと。それが不満だったわけではない。

 ——余裕がないんだ。私がしっかりしないと。

 

 ぎゅっと、再度拳を握りしめ、ニナも後に続いた。

 

  ◆

 

 歩いても、歩いても、景色は変わらなかった。

 黒い結晶と、瓦礫の名残らしき何か。それが、延々と続く。

 時折足を止めて方角を確認する度、思っていたよりも進んでいないことに気付かされる。磁場のせいで正確な距離すら測れない。

 

「大丈夫か?」

「はい、まだ全然いけます!」

 振り返るたびに、ニナは元気に頷いてみせる。その無理をした様子に、罪悪感が募る。

 ——早く、決着をつけないと。

 

 瓦礫の陰から、地面そのものが唸るような重低音が響いたのは、しばらく歩いた頃だった。

「——伏せろ」

 短く告げて、自分もその場に身を屈める。

 遠く、地表がまるで呼吸するように盛り上がった。

 

 黒く濡れた地肌が、瓦礫を押しのけながらせり上がる。長い、あまりに長い胴体が、地中から地上へ、地上から再び地中へと、緩やかな弧を描いて潜っていく。全貌を捉えることさえできない。

 

 視界を横切るだけで、優に数十秒はかかった。

 息を潜めて、それが完全に沈むのを待つ。

 

「……何、ですか、あれ」

 小声で、震える声。

「分からない。だが——」

 言葉を切る。

 ——あれほどの図体が、悠々と地表を這い回っている。

 人の気配は、どこにもない。それどころか、身を隠す場所さえろくにない開けた瓦礫の上を、何にも脅かされず闊歩している。

 この土地に、もう誰も、生きてはいない。

 確信に近いものが、胸の奥で冷たく固まっていく。

 

 生物が完全に見えなくなってから、ようやく立ち上がった。

「……行くぞ」

「はい」

 声に、少し力がなかった。

 それでも、足を止めるわけにはいかなかった。

 

 やがて、瓦礫の丘を越えたところで——視界が、一気に開けた。

「——」

 言葉にならなかった。

 

 かつて都市だったものが、そこに横たわっていた。

 

 どこまでも続く黒い結晶の海。その所々に、崩れ落ちたドームの骨格が突き出している。かつて幾つもの命を守っていたであろう外殻は、今はただの巨大な残骸として、風化もせずに立ち尽くしていた。

 

 ガラス質に変わった地面には、無数の影が焼き付いている。人の形をしたものも、そうでないものも。何が起きたのか、考えたくもなかった。

 道の跡らしき窪みが、結晶の下にうっすらと透けて見える。かつて、誰かがここを歩いていた。

 看板の残骸。折れ曲がった手すり。用途の分からない構造物の断片。日常があった痕跡だけが、意味もなく散らばっている。

 

 ——ここに、街があった。

 

 人が、暮らしていた。

 

 子供が、走り回っていたかもしれない。

 

 その全部が、一晩で。

 

「……」

 ニナも、何も言わなかった。

 言葉を探すだけ、無駄だと分かっているみたいに。

 

 風が、結晶の隙間を抜けて、乾いた音を立てる。

 それだけが、この街に残った唯一の音だった。

 

 カイは、滑り落ちるように瓦礫の山へ向かう。

 そこにあった、黒く煤けた欠片を拾い上げた。手の中で、さらさらと、崩れて風に溶けていく。

 ——これも、何かの成れの果てだったのだろう。

 考えるのをやめた。今はまだ、その答えに向き合う準備ができていない。

 

 ニナが、よろけながらも後を追う。

 瓦礫の隙間、半ば結晶に飲まれかけた石碑のようなもので、ふと足を止めた。

 彫り込まれた文様を、指先でなぞっている。

「——どうした?」

「これ……」

 ニナが指し示す先、風化しきらずに残った刻印。

 見覚えのある、線の並び。短剣に刻まれた氏族の紋章と、同じ文字——マンドア語だ。

 

 目を凝らして読み解こうとするが、風化と結晶に阻まれて、拾えるのは断片だけだった。

 ——……地に。……水、ミソソー……謝。

 

 土地に伝わる祈りの文句だろうか。氏族の秘密とも、泉の在り処とも、何の繋がりもないように思えた。

 

「何て、書いてあるんですか?」

「……大したことじゃない。この土地の、昔からの祈りの言葉だろう」

 ニナは、少しだけ肩を落とす。

「そう、ですか……」

「行くぞ」

 歩き出したものの、足取りは重かった。

 

 結晶の海はどこまでも続いている。手掛かりらしい手掛かりは、あの祈りの言葉一つだけ。

 ——本当に、ここに何かあるのか。

 考えたくなかった問いが、頭の中で勝手に膨らんでいく。

 

 泉どころか、氏族の痕跡すら、まだ何一つ見つかっていない。

 この星のどこかに何かがある、というのも、結局は伝聞の伝聞でしかなかった。

 

 ——ヴォル氏族の先祖とやらがこれを見ても、同じことを思っただろうか。

 断罪者だの、同族殺しだの、大層な呼び方をされたところで、誰も、何もいない。

 継ぐかどうか悩んでいた氏族そのものが、もう——

「意味なんか、あるのか——?」

 微かに漏れた言葉は拾われることなく、廃墟の風に攫われる。

 

「——カイさん?」

 ニナの声で、我に返る。

 いつの間にか、足が止まっていた。

「……何でもない。行こう」

 言い聞かせるように、自分に向けて呟く。

 

 だが、一度顔を出した迷いは、そう簡単には消えてくれなかった。

 

  ◇

 

 結晶の丘を回り込んだ先、開けた窪地で、それを見つけた。

 

 整列した人影。制式の装備。見覚えのある、灰色の意匠。

 ——やはり、帝国軍か。

 残党の巡回部隊にしては、数が多い。息を潜め、ニナに向けて手で合図を送る。低く、動くな、という意味を込めて。

 

 距離はある。向こうはまだ、こちらに気付いていない。

 ——何を、探している。

 整然と並んで、瓦礫を掘り返している一団を見つめる。この惨状の中で、あれだけ統率が取れているのが、逆に不気味だった。

 

 ——ここに、まだ何か残っているというのか。

 好奇心より先に、警戒が勝った。

 

「……離れるぞ」

 小声で、ニナに告げる。数だけは確認できたが、目的までは分からない。今はまだ、迂闊に近づく理由がなかった。

「え、でも——」

「今の状態で、鉢合わせは避けたい。数が多すぎる。少し離れた場所で、様子を見る」

 言い切ってから、ニナを促して踵を返す。

 

 ——好都合だ、とすら思った。

 この決断に、迷いなんて挟む余地はなかった。

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