黒刃と寄る辺なき花   作:アサナシケイ

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第六話 いしの在り処 5/5

 来た道をただ戻る。二人とも何も喋らない。

 まるで話し始めるのを恐れているように。

 

 日が落ち始め、ようやくニナが口を開く。

「あの……ごめんなさい。少し、休みたいです——」

 その時初めて、休憩らしい休憩を取っていなかったことにカイは気付いた。

 

 自分に対する苛立ちから、舌打ちが溢れた。

「——っ、ごめんなさい」

「あ、違……俺の方こそ、悪かった」

 思いもよらず彼女に当たったようになってしまった。ますます自己嫌悪が腹に沈んでいく。

「休憩に、しよう。気付かなくて、ごめん」

「いえ、大丈夫ですから——」

 歯切れの悪い言葉に、ニナは笑って返す。いっそ責めてくれた方が、気が楽だった。

 

 ニナは腰掛けると、荷物から水筒を取り出す。その様子をただぼんやりと見守る。だが、カイの意識はどこにも向いていなかった。

 

「あ、ごめんなさい! カイさんも、喉乾きましたよね」

「——え?」

 気がつくと目が合っていた。

「私、どこか、ええとあっちの方に行ってますから!」

「あ、ちょっと——」

 止める間もなく、開きっぱなしの水筒片手に走り去ってしまった。

 ——また気を遣わせたのか、俺は。

「あー……くそっ」

 悪態をついたところで、何も変わらない。苛立ちは消えないし、手掛かりは見つからないし、何も得られない。

 手近な結晶に背中を預ける。

 

 胸元の短剣を、鞘の上から撫でる。氏族の話を聞いてから、迷いがあるたびに自然と身についてしまった癖だった。

 親父は、この短剣をどんなつもりで身に付けていたのか。

 親父は、俺になんのつもりで技を身に付けさせたのか。

 

 もう聞くことが出来ないことが、こんなに恨めしく思うとは思わなかった。

 

 月(コンコーディア)が昇ってきている。かつて自分たちが暮らしていた、あの時のまま。

 辺りはいつの間にか暗く——

 

「きゃあっ!」

「ニナ!?」

 

 悲鳴と共に、弾けるように身体が動いた。

 バイザーのセンサー越しに見えるのは、地面に崩れ落ちたニナの姿。

 ——このクソ馬鹿野郎が!

 ブラスターを抜き放ちながら駆け付ける。

「ニナ! 無事か!?」

「あっ……」

 後ろに倒れ込んだ姿のニナ。片手を頬に当てて。

 ——帝国兵!? 違う、センサーには何も。

 

「大丈夫です! 違うんです!」

「何がだ! 何があった!?」

「あの——」

 言葉が続かない様子だった。呼吸が乱れたまま、何とか声を絞り出しているのが分かる。

「そこの、隙間に——巣、みたいなのがあって。気付かなくて、覗き込んじゃって……」

「巣!?」

「小さいの、が、飛び出してきて……頬に、当たって」

 辺りを見回す。バイザーのセンサーに、それらしい反応はもう映らない。逃げたのか、隠れたのか。

 ——探している場合か。

「見せろ」

「え、でも——」

「見せろ!」

 繰り返す声に、有無を言わさぬ響きが混じる。ニナは、観念したように頬から手を離した。

 

 うっすらと、赤い線が一本。

 浅い。傷というより、かすった程度。血もほとんど滲んでいない。

 それでも、心臓は早鐘を打ったままだった。

「痛むか」

「ちょっとだけ、です。全然、大丈夫です」

 

 安堵よりも先に、別の何かが胸を締め付けた。

 ——これで済んだのは、たまたまだ。

 下手すれば、次はこうはいかない。

「……帰ろう」

「そんな、私——」

「ダメだ、もう決めた」

 そこには、諦観以上に、安堵が含まれていた。

 

  ◇

 

 帰り道はより足を早めた。

 ニナが何度かつまづきかけるたびに支えて、しまいには抱えるか考え出した時——

 見慣れた船体が、結晶の影から姿を現した。

 

 キタツグミのギリギリの位置で息を吹き返したコムで連絡を取り、開いたタラップに駆け込むように乗り込む。

 ニナを座らせ、カイも向かい合うように腰を下ろした。

「傷、もう一回見せてみろ」

「大丈夫です」

「いいから——」

「もう治療は済ませてます」

「だから——」

「話を聞いてくれませんかっ!?」

「——っ!」

 押し問答の末の意外な大声に、カイは伸ばしかけた手を止める。

 ぴろ……、とためらいがちなドクの電子音が聞こえた。

 そこでようやく、傷ではなく、ニナの顔を見た。

 ——眉を寄せて、口を硬く結んでいる。

「消毒しましたし、もうすることはありません」

「だけど……」

「だから、少し休んだら、また出発しませんか——?」

「それは——」

 懇願するような物言いに、思わず口籠る。

 

 ——けど。

「ダメなものは、ダメだ……」

「私、大丈夫ですから!」

「そうじゃなくて」

「治療ができますし、役に立てます!」

「役に立つとか、そういう話じゃなく——」

「そうだ、碑文! しっかり見なかったけど、よく調べたら」

「だから——」

「明るくなったら、また行けば——」

 ——いい加減。

 

「危ないっつってんだろ!!」

 

 振り下ろす拳が、どこかにぶつかって、大きな音を立てた。

 ニナの肩が大きく跳ねる。大きく開かれた瞳が、潤んで揺らぐ。

 ——しまった。

 

「違……ごめん、そうじゃなく、俺は——」

 両手をぎゅっと握りしめて、ニナは俯く。表情は分からない。ただ、一条の赤い線が見えた。

「悪かった。疲れてて、つい——」

 その傷跡に手を伸ばす。触れるか触れないか、その位置で——

 がぴー、とけたたましい音を立てながら、二人の間にドクが挟まる。身体を震わせる少女を背にして。

「……」

 カイは何も言えず、手を引っ込めると、少し離れた位置に腰を下ろした。

 

 それでも、ニナの側を離れたくはなかった。

 

 ——ああ、疲れた。

 

「ただ、俺は——」

 何も成せず、何も決められず、現状に苛ついて。

「お前を、危険に晒したくなくて」

 ニナに当たって、自分の暴力性に言い訳して。

「大体、親父の奴が——」

 そうだよ、親父のせいだろ。

 勝手に教えて、勝手に押し付けて、勝手に——死んで。

「こんな、氏族の使命とか謎とか、意味が分かんねえよ……」

 

 ——本当に、疲れた。

 

 言い切ってから、自分の言葉の幼さに気付く。八つ当たりの延長でしかない愚痴だった。

「技だって見せるなとか、何も説明しないまま——」

 いつの間にか握りしめていた短剣の鞘が、ぎち、と悲鳴を上げた。

「——どういうつもりだったんだよ」

 

「どういう、つもりって……」

 それまで俯いていたニナが、言葉を継いだ。

「もしかして、別に理由が、あったんじゃないですか?」

「——は?」

「全部知ってたのに、カイさんには言わないままにした、っていうか……」

 いつもより、少し歯切れが悪い。それでも、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 それは、慰めか、励ましか、濁った思考には判別が付かなかった。

「教えなかったんじゃなくて、教えたくなかったのかも」

「何だ、それ」

 粗雑な返答だった。だが、カイの体からこわばりが取れていた。

 

「……そういえば」

 ニナがぽつりとこぼす。

「叔父様、たまに家に来てた時、カイさんの話をしてる時だけ、笑ってるのに、ちょっと困ってるみたいな顔をしてました。理由は分からなかったですけど」

「……そんな話、してたのか。俺のいないところで」

 カイは意外そうに呟く。

 

 何を話していたのか、何が父をそんな顔にさせていたのか——聞きたい気持ちはあったが、ニナも「理由は分からなかった」と言っている以上、これ以上尋ねても仕方がないと分かっていた。

 

 それでも、カイの中に小さな引っかかりが残る。父は、一体何を考えていたのだろう。

 その問いに、カイ自身が辿り着くことはまだない。

 

  ◆

 

 ——ただ、子供と呼ぶにはもう遠くなった頃のカイが、ある夕暮れに父へ見せた光景があった。

 

 二人の人物が打ち合っている。体格の良い男が、細身の男を押している。

 

 細身の男、カイが繰り出す打撃は読まれているかのごとく捌かれてしまう。

 

 突いた腕が伸び切る前、肘が手刀で払われる。

 切り返す様に繰り出した肘はたった半歩で躱される。

 ならばと繰り出した三手目は、そのまま掴まれ引かれ、重心が崩れたところに——

「——ぐっ!?」

 ガツン、と小気味いい音。顎に一発、綺麗に貰い、カイはよろめいて後ずさる。

 

 咄嗟に顎を引いた感触はした。衝撃は殺せたようだし、こちらも加減はしていた。

「大丈夫か? 舌でも噛んだか?」

 体格の良い男、シオウは、崩れたまま膝をつく息子に手を伸ばす。

 

 カイは軽く頭を振ると、シオウの手を取る。

「——噛んでない」

 憮然とした声に、苦笑いを噛み殺す。

 

 そのまま立ち上がると、カイは再び構えを取る。

「もう一本、お願いします」

「……これが最後、な」

 

 一手、二手、同じ様な繰り返し。同じように捌きながら、ははあ、とシオウは心の中で笑う。

 三手目で仕掛けるつもりか。

 先程よりも分かりやすい起こり。まだまだ子供らしい発想に愛おしさすら感じながら、今度は受け止めずに流すことにする。

 

 三手目は、来なかった。

 

 息子の姿が消える、否、沈む。

 ——下。

 引いた軸足に衝撃が走り、そのまま重心を崩される。

 倒れながら、シオウは追撃をかけようとするカイを見る。

 ——このまま一本やってもいいが。

 体勢を崩されるままに預け、足をカイの胴にかける。

「えっ、あっ——」

 そのまま襟首も掴みつつ、巴投げの要領で戸惑う声ごと投げ飛ばす。

 うわっ、と悲鳴が後方へ飛んでいくが、タッ、トッ、と軽快な音からして着地は取れたらしい。

 こちらも即座に起き上がり構え直す。

 しかし——息子は気の抜けた様子で、自分の手を見おろして動かない。

 

 やがて——

 

「…………ありがとうございました」

「もういいのか?」

「多分、今ので2、いや3回は死んでたし」

 深いため息と共に一礼すると、小声でぶつぶつと反省しながら船に戻っていく。

 シオウはその背を見送りながら、息子の成長を噛み締める。それと同時に、このままでいいのか、と自問する。

 

 飲み込みが早い。それ以上の努力をする。訓練を苦とも思わない。あるべき姿。やって当然、と。

 氏族を背負う者として、申し分ない逸材だ。

 だからこそ——

 

 教えてきたことを、数えてみる。

 型。捌き。間合い。殺し方。氏族の作法。

 ——それだけだ。

 

 継がせるべきことばかりを、優先してきた。

 教えることは、まだ山ほど残っているはずだった。それなのに。

 

「——親父?」

 立ち止まったままのシオウに、カイが振り返って声をかける。

 

 ——夕日が、重なった。

 逆光に、息子の姿が、暗く陰る。言いようのない、胸のざわめき。

 

「少し、一人にしてくれ」

「……分かった」

 微かに吐いたため息は、息子に届くことはなかった。

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