来た道をただ戻る。二人とも何も喋らない。
まるで話し始めるのを恐れているように。
日が落ち始め、ようやくニナが口を開く。
「あの……ごめんなさい。少し、休みたいです——」
その時初めて、休憩らしい休憩を取っていなかったことにカイは気付いた。
自分に対する苛立ちから、舌打ちが溢れた。
「——っ、ごめんなさい」
「あ、違……俺の方こそ、悪かった」
思いもよらず彼女に当たったようになってしまった。ますます自己嫌悪が腹に沈んでいく。
「休憩に、しよう。気付かなくて、ごめん」
「いえ、大丈夫ですから——」
歯切れの悪い言葉に、ニナは笑って返す。いっそ責めてくれた方が、気が楽だった。
ニナは腰掛けると、荷物から水筒を取り出す。その様子をただぼんやりと見守る。だが、カイの意識はどこにも向いていなかった。
「あ、ごめんなさい! カイさんも、喉乾きましたよね」
「——え?」
気がつくと目が合っていた。
「私、どこか、ええとあっちの方に行ってますから!」
「あ、ちょっと——」
止める間もなく、開きっぱなしの水筒片手に走り去ってしまった。
——また気を遣わせたのか、俺は。
「あー……くそっ」
悪態をついたところで、何も変わらない。苛立ちは消えないし、手掛かりは見つからないし、何も得られない。
手近な結晶に背中を預ける。
胸元の短剣を、鞘の上から撫でる。氏族の話を聞いてから、迷いがあるたびに自然と身についてしまった癖だった。
親父は、この短剣をどんなつもりで身に付けていたのか。
親父は、俺になんのつもりで技を身に付けさせたのか。
もう聞くことが出来ないことが、こんなに恨めしく思うとは思わなかった。
辺りはいつの間にか暗く——
「きゃあっ!」
「ニナ!?」
悲鳴と共に、弾けるように身体が動いた。
バイザーのセンサー越しに見えるのは、地面に崩れ落ちたニナの姿。
——このクソ馬鹿野郎が!
ブラスターを抜き放ちながら駆け付ける。
「ニナ! 無事か!?」
「あっ……」
後ろに倒れ込んだ姿のニナ。片手を頬に当てて。
——帝国兵!? 違う、センサーには何も。
「大丈夫です! 違うんです!」
「何がだ! 何があった!?」
「あの——」
言葉が続かない様子だった。呼吸が乱れたまま、何とか声を絞り出しているのが分かる。
「そこの、隙間に——巣、みたいなのがあって。気付かなくて、覗き込んじゃって……」
「巣!?」
「小さいの、が、飛び出してきて……頬に、当たって」
辺りを見回す。バイザーのセンサーに、それらしい反応はもう映らない。逃げたのか、隠れたのか。
——探している場合か。
「見せろ」
「え、でも——」
「見せろ!」
繰り返す声に、有無を言わさぬ響きが混じる。ニナは、観念したように頬から手を離した。
うっすらと、赤い線が一本。
浅い。傷というより、かすった程度。血もほとんど滲んでいない。
それでも、心臓は早鐘を打ったままだった。
「痛むか」
「ちょっとだけ、です。全然、大丈夫です」
安堵よりも先に、別の何かが胸を締め付けた。
——これで済んだのは、たまたまだ。
下手すれば、次はこうはいかない。
「……帰ろう」
「そんな、私——」
「ダメだ、もう決めた」
そこには、諦観以上に、安堵が含まれていた。
◇
帰り道はより足を早めた。
ニナが何度かつまづきかけるたびに支えて、しまいには抱えるか考え出した時——
見慣れた船体が、結晶の影から姿を現した。
キタツグミのギリギリの位置で息を吹き返したコムで連絡を取り、開いたタラップに駆け込むように乗り込む。
ニナを座らせ、カイも向かい合うように腰を下ろした。
「傷、もう一回見せてみろ」
「大丈夫です」
「いいから——」
「もう治療は済ませてます」
「だから——」
「話を聞いてくれませんかっ!?」
「——っ!」
押し問答の末の意外な大声に、カイは伸ばしかけた手を止める。
ぴろ……、とためらいがちなドクの電子音が聞こえた。
そこでようやく、傷ではなく、ニナの顔を見た。
——眉を寄せて、口を硬く結んでいる。
「消毒しましたし、もうすることはありません」
「だけど……」
「だから、少し休んだら、また出発しませんか——?」
「それは——」
懇願するような物言いに、思わず口籠る。
——けど。
「ダメなものは、ダメだ……」
「私、大丈夫ですから!」
「そうじゃなくて」
「治療ができますし、役に立てます!」
「役に立つとか、そういう話じゃなく——」
「そうだ、碑文! しっかり見なかったけど、よく調べたら」
「だから——」
「明るくなったら、また行けば——」
——いい加減。
「危ないっつってんだろ!!」
振り下ろす拳が、どこかにぶつかって、大きな音を立てた。
ニナの肩が大きく跳ねる。大きく開かれた瞳が、潤んで揺らぐ。
——しまった。
「違……ごめん、そうじゃなく、俺は——」
両手をぎゅっと握りしめて、ニナは俯く。表情は分からない。ただ、一条の赤い線が見えた。
「悪かった。疲れてて、つい——」
その傷跡に手を伸ばす。触れるか触れないか、その位置で——
がぴー、とけたたましい音を立てながら、二人の間にドクが挟まる。身体を震わせる少女を背にして。
「……」
カイは何も言えず、手を引っ込めると、少し離れた位置に腰を下ろした。
それでも、ニナの側を離れたくはなかった。
——ああ、疲れた。
「ただ、俺は——」
何も成せず、何も決められず、現状に苛ついて。
「お前を、危険に晒したくなくて」
ニナに当たって、自分の暴力性に言い訳して。
「大体、親父の奴が——」
そうだよ、親父のせいだろ。
勝手に教えて、勝手に押し付けて、勝手に——死んで。
「こんな、氏族の使命とか謎とか、意味が分かんねえよ……」
——本当に、疲れた。
言い切ってから、自分の言葉の幼さに気付く。八つ当たりの延長でしかない愚痴だった。
「技だって見せるなとか、何も説明しないまま——」
いつの間にか握りしめていた短剣の鞘が、ぎち、と悲鳴を上げた。
「——どういうつもりだったんだよ」
「どういう、つもりって……」
それまで俯いていたニナが、言葉を継いだ。
「もしかして、別に理由が、あったんじゃないですか?」
「——は?」
「全部知ってたのに、カイさんには言わないままにした、っていうか……」
いつもより、少し歯切れが悪い。それでも、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
それは、慰めか、励ましか、濁った思考には判別が付かなかった。
「教えなかったんじゃなくて、教えたくなかったのかも」
「何だ、それ」
粗雑な返答だった。だが、カイの体からこわばりが取れていた。
「……そういえば」
ニナがぽつりとこぼす。
「叔父様、たまに家に来てた時、カイさんの話をしてる時だけ、笑ってるのに、ちょっと困ってるみたいな顔をしてました。理由は分からなかったですけど」
「……そんな話、してたのか。俺のいないところで」
カイは意外そうに呟く。
何を話していたのか、何が父をそんな顔にさせていたのか——聞きたい気持ちはあったが、ニナも「理由は分からなかった」と言っている以上、これ以上尋ねても仕方がないと分かっていた。
それでも、カイの中に小さな引っかかりが残る。父は、一体何を考えていたのだろう。
その問いに、カイ自身が辿り着くことはまだない。
◆
——ただ、子供と呼ぶにはもう遠くなった頃のカイが、ある夕暮れに父へ見せた光景があった。
二人の人物が打ち合っている。体格の良い男が、細身の男を押している。
細身の男、カイが繰り出す打撃は読まれているかのごとく捌かれてしまう。
突いた腕が伸び切る前、肘が手刀で払われる。
切り返す様に繰り出した肘はたった半歩で躱される。
ならばと繰り出した三手目は、そのまま掴まれ引かれ、重心が崩れたところに——
「——ぐっ!?」
ガツン、と小気味いい音。顎に一発、綺麗に貰い、カイはよろめいて後ずさる。
咄嗟に顎を引いた感触はした。衝撃は殺せたようだし、こちらも加減はしていた。
「大丈夫か? 舌でも噛んだか?」
体格の良い男、シオウは、崩れたまま膝をつく息子に手を伸ばす。
カイは軽く頭を振ると、シオウの手を取る。
「——噛んでない」
憮然とした声に、苦笑いを噛み殺す。
そのまま立ち上がると、カイは再び構えを取る。
「もう一本、お願いします」
「……これが最後、な」
一手、二手、同じ様な繰り返し。同じように捌きながら、ははあ、とシオウは心の中で笑う。
三手目で仕掛けるつもりか。
先程よりも分かりやすい起こり。まだまだ子供らしい発想に愛おしさすら感じながら、今度は受け止めずに流すことにする。
三手目は、来なかった。
息子の姿が消える、否、沈む。
——下。
引いた軸足に衝撃が走り、そのまま重心を崩される。
倒れながら、シオウは追撃をかけようとするカイを見る。
——このまま一本やってもいいが。
体勢を崩されるままに預け、足をカイの胴にかける。
「えっ、あっ——」
そのまま襟首も掴みつつ、巴投げの要領で戸惑う声ごと投げ飛ばす。
うわっ、と悲鳴が後方へ飛んでいくが、タッ、トッ、と軽快な音からして着地は取れたらしい。
こちらも即座に起き上がり構え直す。
しかし——息子は気の抜けた様子で、自分の手を見おろして動かない。
やがて——
「…………ありがとうございました」
「もういいのか?」
「多分、今ので2、いや3回は死んでたし」
深いため息と共に一礼すると、小声でぶつぶつと反省しながら船に戻っていく。
シオウはその背を見送りながら、息子の成長を噛み締める。それと同時に、このままでいいのか、と自問する。
飲み込みが早い。それ以上の努力をする。訓練を苦とも思わない。あるべき姿。やって当然、と。
氏族を背負う者として、申し分ない逸材だ。
だからこそ——
教えてきたことを、数えてみる。
型。捌き。間合い。殺し方。氏族の作法。
——それだけだ。
継がせるべきことばかりを、優先してきた。
教えることは、まだ山ほど残っているはずだった。それなのに。
「——親父?」
立ち止まったままのシオウに、カイが振り返って声をかける。
——夕日が、重なった。
逆光に、息子の姿が、暗く陰る。言いようのない、胸のざわめき。
「少し、一人にしてくれ」
「……分かった」
微かに吐いたため息は、息子に届くことはなかった。