——時は、ギルドを出た二人に戻る。
立ち並ぶ露店。その景色を眺める視線が、忙しない。
記憶と一致する箇所を見つけては、安堵を繰り返す。そんな不毛な行動。
ヘルメットの下でのことだ、他人に気付かれはしない。それでも、傍らのニナにだけは、この落ち着きのなさが伝わっていた気がする。
誤魔化すように、手頃な露店で足を止める。
「ニナは、何か欲しいものとか——」
商品を手に取りながら伺うと、ふいに目が合った。
真剣な目だった。真っ直ぐこちらに開かれた青灰色の瞳。
「どう、した?」
自分の喉が、ひく、と動くのが分かった。
「あの……先に、行きたいところがあるんです」
ニナが袖を引いてくる。手にした商品を戻して、引かれるままに着いていく。
少し人気のない路地で、ニナは足を止めると、わずかに視線を落としてからまたカイの方へと戻す。
「アジト、まだ残ってるなら、見ておきたくて」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
——どこでも行く、と言った。言ったのは自分だ。
だとしても、まさかそこを選ぶとは。
この期に及んで、それが目的だったとは思いもよらなかった。
硬直したまま突っ立つカイに、ニナが心配そうに顔を覗き込む。
「……カイさん?」
「——ああ、悪い。大丈夫だ」
我に返って短く答え、来た道とは逆の路地へ足を向ける。
「こっちから、入れる」
◇
地上とは打って変わって、静まり返った地下水道に、ニナの足音が一人分響いている。
カイはヘルメットを軽く操作する。ほんの僅かな作動音と共にニナの方へ振り返った。
「それ、俺の方へは向けないでくれると、助かる。——いや、俺も気をつけるけど」
「あ、はい! 気をつけますね」
ニナは、少し持ち上げ気味だったグロー・ロッドを改めて足元へ向ける。
その様子を見てから、カイは再度、ヘルメットの暗視機能を入れた。
ニナが、ふと足を止めてこちらを見上げる。視線は肩の辺りで止まっていた。
「それ、氏族の印、なんですよね」
「ああ」
氏族の頭文字を、背後から斬りつけているようにも見える。
——そう思いついて、少し肌寒いものを感じた。
「行くぞ」
短く告げて、また歩き出す。
しばらく無言で歩を進める。カイの足取りは重いが、確かであった。
生き物の気配は——無い。
されど、時折見慣れない痕跡が、明かりに照らされて、視界に入る。
鋭く削られた岩壁、焦げ付いた地面。——隅に転がる、何かの破片。
見かけるたびに、身体のどこかしらが痛むような気がした。
焼かれたはずの顔の左側を、ヘルメット越しに撫でる。
——よく、生きていたものだ。
他人事のように、そう思う。
やがて、アジトのあった場所に辿り着いた。
そこも記憶と一致しない。一致する訳がない。
息が、苦しい。
「————っ」
背後でニナも息を飲んだ。
かつて何十人もの声で満たされていた広間は、静まり返っていた。
崩れた棚、裂けた寝台の敷布、割れたまま放置された食器。
生活していたエリアは荒れ果てていた。荷物がほとんど残されており、如何に急いで撤収したかが分かる。
ただ、所々——誰かの手作りらしい玩具や、絵の描かれた木片だけが、わざとらしく踏み潰されていた。
それだけが、妙に。
妙に、目についた。
グロー・ロッドを握るニナの手が、微かに震えている。
「これ、は——」
「ああ」
短く答えたきり、カイは動けなかった。
床に転がる、千切れかけたぬいぐるみを、ニナが拾おうと手を伸ばす。
「ニナ——」
側からの制止の声に、彼女は手を止めた。
「——そっと、しておいてやってくれ」
「……はい、ごめんなさい」
ぬいぐるみの虚ろな目が、こちらを見ていた。
◇
ニナは、ただ後ろをついて歩くことしかできなかった。
提案しなければ、良かったのだろうか。
声には出せない後悔が、視線だけを何度も足元へ落とさせる。
カイは瓦礫の一つ一つを、丁寧に検分していく。
時折、小さく呻く。傷が痛むのか、それとも別の何かか、ニナには判別がつかない。
それでも、手を止める気配はなかった。
——氏族の手がかりなど、もう、どうでもよかった。
ここで何があったのか。自分がいない間に、何を奪われたのか。
それを、知りたいだけだった。
ふと、脳裏を過るのは、あの男の顔だった。
——お前が、逃げたりしなければ。
分かっている。筋違いだと、分かっている。
それでも、行き場のない感情は、勝手にその名前を選んで、そこに留まろうとする。
◇
カイの足が、ある部屋の前で止まった。
そこだけは、他と違って整えられていた。
レンガを組んで作られたであろう台が並び、大きめの机の側には、鍋や歪んだ器が散らばっている。
——何だ、腹でも減ったのか。
——カイだって若いんだから。
——訓練は終わったんだ?
——もうすぐできますから、子供たちを呼んできてもらえますか。
親父の、仲間たちの声が蘇って、また短く唸る。
レンガでできた竈の前で、鍋をかき回す後ろ姿。机に向かう背中。器を手に取り、こちらを振り返って——
その鮮烈な記憶に、足元を掬われる。後ずさって壁に手をついたところで、優しい——本物の声が聞こえた。
「大丈夫ですか? 少し休みませんか?」
「——大丈夫、だ」
全然、そんな風には見えなかったであろう。
ニナは何も言わず、しばらくこちらを見つめる気配がする。
やがて、カイの横をすり抜けると、あちこちを明かりで照らし始めた。少し、焦るような手つきで。
親父は、短い滞在時間の大半を、稽古か、ここで過ごしていた気がする。
だから、他の場所よりも、ずっと気配が濃い。
そんな気が、した。
竈の縁に触れてみる。そこには何も無かったが、今でも煮立つシロップの香りが蘇ってくる。
戸棚に何があったのかも、器をどこに仕舞ったのかも、今でも思い出せる。どの場所よりも、ありありと。
全部、もう、残っていない。
かつて居た、人たちごと。
「あの、カイさん——」
こちらを伺うような声で、意識が現実に引き戻される。
「ここ、レンガが、何か削られているような」
「——どこだ」
言われるがまま、腰を落として覗き込む。
ちょうど、ニナの目線の高さだった。何度もこの場所を行き来していたはずなのに、気付かなかった位置。
ニナの指すレンガの一角、確かに何かが刻まれている。指先でなぞってみる。
一本の線が、いくつも折れ曲がりながら連なっていた。
「これは……鎖、か?」
「やっぱり、鎖ですよね?」
指でなぞって、折れ目の数を数える。多い側と、少ない側。二種類の数があるらしいが、それが何を示すのかは分からない。
カイは顎に手を当てて考え込む。
鎖。思い付きで言ったことを、その場で肯定されたもの——それでもやはり腑に落ちない。
位置から見れば、子供の落書きか何かだろう。だがその彫りの深さ、線の描き方に、何か思い付きではないような意思を感じる。
しかしやがて——
「ただの、いたずらだろ」
考えることを諦めた。ここに鎖のようなものがあったとて、だから何だっていうんだ。
視線が、竈の方へと逸れていく。まだ、あの声が耳の奥に残っている気がした。
ニナは、「でも」と言い淀んだまま、それでもレンガから目を離さなかった。
彫られた線に指先でそっと触れてみる。
鎖の連なりに紛れて、小さな文字が二つ、刻まれているのに気づく。見慣れた
——"周期"、"日"。
なぞる。なぞり直す。
その繰り返しの中で、ふと、指の動きが止まった。
「これ……日付、ですか?」
「——は?」
「周期と日って、彫ってあって。それで、この鎖みたいなのは……」
言いながら、ニナ自身も自分の考えを整理しきれていない様子だった。
「チェーン……」
「何だって?」
「あの、鎖ってチェーン、ですよね?」
カイは、突然の謎掛けのような言葉に、思考が停止する。一体何の話だ。
「ギルドで登録する時、カイさん、
出した覚えはあった。チェーンコードは、ホログラム投影でも提示することはできる。賞金稼ぎギルドの仮登録も、その場で見せることで通していた。
「ちょっと見せてもらってもいいですか?」
「何を馬鹿な——」
「試しに、試しにですから」
「——はぁ」
せがまれて、押し負けて、ガントレットを操作する。空中に文字の羅列が投影される。
楔型の文字を目で追って、すぐにニナは困ったような顔を向けてきた。
「あの——読めないです」
「そりゃあ、な」
ふ、と思わず笑い声が漏れた。少し、身体から力も抜けた。
「マンドア語だよ。マンダロアで見ただろ?」
「ああ——!」
崩れた都市で見かけた石碑を、ニナも思い出したらしい。
カイは浮かんだホログラムを、もう片方の手で指し示しながら説明してやる。
「ここが俺の名前、カイ・ヴォルって書いてあって——」
「ふんふん」
ニナが再び、チェーンコードを辿り始める。
「カイさん、ここは?」
「あー……誕生日か、これ」
「え!? 誕生日分かるんですか!?」
「いや、多分違う」
「え?」
「恐らく、登録する時に親父が適当に付けたんだと思う。名前だって、親父が付けてくれたし」
「そうだったんですか!?」
「だって——」
少年兵だった頃のことは、今はもう深い霞の向こうにあるように思い出せない。自分がかつて、なんと呼ばれていたのかも。
少し遠い目をし始めたカイは、彼女の言葉でまた引き戻される。
「これって、じゃあ——」
二つの数字を、ニナが唱える。それは、彼女の誕生日祝いの時に教えた、親父が決めたカイの"誕生日"。
「いや——違うな、これ」
「え? ええ?」
「登録上だと、七の周期目、三日目になってる」
「ほんとだ、全然違う……」
ニナはそれっきり、腕を組んで考え込んでしまう。一体何がそんなに気になるのか分からないが、元々ここに来たいと言い出したのも彼女だ。急かすことはない。
姿勢を直して、つま先で床を引っ掻く。ざり、という音とともに、埃が舞った。
「あ——」
突然、ニナはレンガに駆け寄ると、そのままなぞるように連なりを指で叩き出す。カイは予想もつかない奇行に呆気にとられた。
「なあ、ニナ——?」
「んん、違うかな……」
聞こえていないのか、鎖の描かれたレンガと違う位置を押したり引っ掻いたりしている。やがて手を離すと、また鎖のレンガに戻り、またなぞりだす。横に、縦に。
「うぅ……届かない」
縦に伸ばしきったところで、つま先立ちになるが、目当てのところまで届かないらしい。
「カイさん、届きますか……その、一個上なんですけど」
「何やってるんだ」
全く訳がわからないまま、ニナが示す位置のレンガに触れる。
——ん?
指先から伝わる違和感。隣のレンガも試しに触ってみる。やはり、違う。
仕掛けられた罠を見破る訓練を思い出した。あの時は確か、裏が——。
「これ——」
「やっぱり!」
指を引っ掛けて、レンガを引っ張り出す。中には空洞があった。
暗くて中まで見えない。一瞬、不用心かと案じたが、思い切って手を突っ込んでみる。
がさり、とした紙の感触がした。
掴んで引っ張り出すと、それは、丁寧に蝋封された封筒だった。
「手紙、みたいだな」
暗視装置を切って、ニナからグロー・ロッドを受け取る。
宛書に当たる場所、そこには
——カイ、へ。
差出人の名は、確かめるまでもなかった。
心臓が早鐘を打つ。手紙を持つ手が僅かに震える。
封を開けるのが、恐ろしかった。
「開け、ないんですか——?」
「いや、開ける。開けるから、少し、待ってくれ」
蝋を剥がす指先が、思うように動かない。何度か指先を滑らせて、ようやく開封する。
中には、几帳面な字で埋め尽くされた便箋が数枚。
カイは、そのまま黙って目を落とす。
——材料、水二百。
一瞬、文字の意味が頭を素通りした。
もう一度、頭から読み直す。
——やっぱり、材料だ。分量が、書いてある。
これは何かの符丁か。暗号の類か。あるいは、もっと別の、重大な意味が隠されているのではないか。
三行読んで、二行戻る。また数行読んで、また戻る。
だが、何度読み返しても、そこにあるのはただの手順だった。
鍋に、水と、香辛料を。煮立ったら、弱火で。
——いやまさか、これは。
ウジャライの、レシピ。
最後の一枚まで、それ以外は何もなかった。
「……は」
声にならない声が漏れる。
拍子抜けした、その一拍後——
「——ふ、はは」
堪えきれず、笑いが漏れた。
「カイさん……?」
戸惑うニナの声で、ようやく我に返る。
「——悪い。何でもない。ただ、拍子抜けしただけだ」
「拍子抜け……?」
「ウジャライの、レシピだった」
「え——シオウさんの?」
「ああ。丸ごと」
便箋を捲って見せる。並んだ材料と手順、几帳面な字。
目で追いながら、記憶の中の味と照らし合わせる。香辛料の配分が、少し違う。この分量なら、もっと近づけるかもしれない。
——今度、試してみるか。
そこまで考えて、ふと、可笑しくなる。
あれだけ勿体ぶって、蝋で封をして、レンガの奥に隠して。
残したのが、これだけとは。
もう一度、最初から目を通す。手順、分量、火加減の目安。それ以外、何もない。
名残惜しむ言葉も、詫びの一つも、書かれていない。
まるで、レシピさえ渡せば、他には何も要らないとでも言うように。
荒らされて、生き物の気配が二つしかないアジトに、しばらく笑い声を響かせる。
諦めでも、自分への皮肉でもない。ただ、してやられた、という笑いだった。
——頭の中で、親父の笑い声が重なった気がした。
手紙を、ニナもそっと覗き込む。
「それじゃあ、次の誕生日、私が作ってみますよ」
「いや、今度こそ、俺がちゃんと作るよ」
「ええ? 祝われる側が作るんですか?」
俺が、と言いかけて、止まる。
祝われる側。確かに、そうだ。
毎年、用意される側だった。座って待っているだけだった。
——だが。
このレシピさえあれば、来年も、その先も。誰の手も借りずに作れる。
自分の分を。それから。
それから、誰かの分も。
いつか、誰かの誕生日に。祝う側として、これを。
——親父も、そうしていた。
毎年、鍋をかき回していた背中。呼ばれて振り返る、あの姿。
あれを、自分が。
そこまで考えて、もう一度、便箋に目を落とす。
名残惜しむ言葉も、詫びの一つも、書かれていない。さっきまでは、それを物足りなく思っていた。
だが、違う。
言葉を惜しんだんじゃない。
言葉より、行動で示せと、教わった。それが、教義なのか、親父の信条なのか、今となっては分からない。
だから、書かなかった。のかもしれない。
氏族のことも、教えた技についても、何も、何一つ。
本当のところ、親父が何を考えていたのかは、分からない。伝える必要はないと判断したのか、伝える機会も、言葉も、見つけられなかったのか。それとも、まだ先があると思っていたのか。
——確かめる相手は、もう、いない。
でも、これだけは確かだ。
親父は、俺に、これを渡した。
それだけで、視界が滲んだ。
「——え、カイさん?」
驚いた声に、応える余裕もなかった。
声を殺すことすら、できなかった。
熱いものが何度も頬を伝う。それは顎でせき止められて、首筋を伝って濡らしていく。
肩を震わせる男に、ニナは気を遣ったのか、その場を離れようとした。
——彼女の手首を掴んでいた。無意識だった。
それでも、離す気にはなれなかった。
「頼、む、から……今は、側に、いてくれ——」
嗚咽混じりの声に、少女が頷く気配が返ってくる。
自分の手に、少女の手が重ねられる。
仄かな闇の中、その温もりだけが、今はただ一つの寄る辺だった。
◇
薄暗い地下水道を、一人。ニナは壁にもたれかかりながら、物思いに耽っている。
あれからしばらくして、ようやく落ち着いてきたカイに、色々と整えるものもあるだろうと、今度こそ一人にさせてきた。
——念のため、あまり離れすぎないように。
まだ湿った声で、それでもこちらの安全に気を配る。そういう人なのだ、あのマンダロリアンは。
ここにも、焼け焦げたような跡がある。
かつての姿を、ニナは知らない。賑わっていたのかも、行き交う声も。
それでも、と、足元を流れる汚水に視線を落とす。
ここは、人が暮らすような場所ではない。
衛生的ではない。空気が澱んでいる。何より——
日が、差さない。
こんな所に、孤児たちも暮らしていたのだろうか。
ニナは、特定の神を持たない。
誰に祈ればいいのかも、知らない。
それでも、目を閉じた。
いつの日か、子供たちが、陽の光の元で遊べる日が来るように、と。