黒刃と寄る辺なき花   作:アサナシケイ

27 / 28
第七話 伝説の賞金稼ぎ 2/3

 ——時は、ギルドを出た二人に戻る。

 

 立ち並ぶ露店。その景色を眺める視線が、忙しない。

 記憶と一致する箇所を見つけては、安堵を繰り返す。そんな不毛な行動。

 ヘルメットの下でのことだ、他人に気付かれはしない。それでも、傍らのニナにだけは、この落ち着きのなさが伝わっていた気がする。

 誤魔化すように、手頃な露店で足を止める。

「ニナは、何か欲しいものとか——」

 商品を手に取りながら伺うと、ふいに目が合った。

 

 真剣な目だった。真っ直ぐこちらに開かれた青灰色の瞳。

「どう、した?」

 自分の喉が、ひく、と動くのが分かった。

「あの……先に、行きたいところがあるんです」

 ニナが袖を引いてくる。手にした商品を戻して、引かれるままに着いていく。

 少し人気のない路地で、ニナは足を止めると、わずかに視線を落としてからまたカイの方へと戻す。

「アジト、まだ残ってるなら、見ておきたくて」

 

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 ——どこでも行く、と言った。言ったのは自分だ。

 だとしても、まさかそこを選ぶとは。

 この期に及んで、それが目的だったとは思いもよらなかった。

 

 硬直したまま突っ立つカイに、ニナが心配そうに顔を覗き込む。

「……カイさん?」

「——ああ、悪い。大丈夫だ」

 我に返って短く答え、来た道とは逆の路地へ足を向ける。

「こっちから、入れる」

 

 ◇

 

 地上とは打って変わって、静まり返った地下水道に、ニナの足音が一人分響いている。

 携帯照明器具(グロー・ロッド)を掲げるニナの前方を、静かにカイは歩く。こちらは何も灯さずに。

 カイはヘルメットを軽く操作する。ほんの僅かな作動音と共にニナの方へ振り返った。

「それ、俺の方へは向けないでくれると、助かる。——いや、俺も気をつけるけど」

「あ、はい! 気をつけますね」

 ニナは、少し持ち上げ気味だったグロー・ロッドを改めて足元へ向ける。

 その様子を見てから、カイは再度、ヘルメットの暗視機能を入れた。

 

 ニナが、ふと足を止めてこちらを見上げる。視線は肩の辺りで止まっていた。

「それ、氏族の印、なんですよね」

「ああ」

 肩甲(ポールドロン)に刻まれた、マンドア語で"∨"を意味する文字。その背後に、一閃の刀傷のような模様。

 氏族の頭文字を、背後から斬りつけているようにも見える。

 ——そう思いついて、少し肌寒いものを感じた。

「行くぞ」

 短く告げて、また歩き出す。

 

 しばらく無言で歩を進める。カイの足取りは重いが、確かであった。

 生き物の気配は——無い。

 されど、時折見慣れない痕跡が、明かりに照らされて、視界に入る。

 鋭く削られた岩壁、焦げ付いた地面。——隅に転がる、何かの破片。

 

 見かけるたびに、身体のどこかしらが痛むような気がした。

 焼かれたはずの顔の左側を、ヘルメット越しに撫でる。

 ——よく、生きていたものだ。

 他人事のように、そう思う。

 

 やがて、アジトのあった場所に辿り着いた。

 そこも記憶と一致しない。一致する訳がない。

 

 息が、苦しい。

 

「————っ」

 背後でニナも息を飲んだ。

 

 かつて何十人もの声で満たされていた広間は、静まり返っていた。

 崩れた棚、裂けた寝台の敷布、割れたまま放置された食器。

 生活していたエリアは荒れ果てていた。荷物がほとんど残されており、如何に急いで撤収したかが分かる。

 ただ、所々——誰かの手作りらしい玩具や、絵の描かれた木片だけが、わざとらしく踏み潰されていた。

 

 それだけが、妙に。

 妙に、目についた。

 

 グロー・ロッドを握るニナの手が、微かに震えている。

「これ、は——」

「ああ」

 短く答えたきり、カイは動けなかった。

 床に転がる、千切れかけたぬいぐるみを、ニナが拾おうと手を伸ばす。

「ニナ——」

 側からの制止の声に、彼女は手を止めた。

「——そっと、しておいてやってくれ」

「……はい、ごめんなさい」

 ぬいぐるみの虚ろな目が、こちらを見ていた。

 

  ◇

 

 ニナは、ただ後ろをついて歩くことしかできなかった。

 提案しなければ、良かったのだろうか。

 声には出せない後悔が、視線だけを何度も足元へ落とさせる。

 

 カイは瓦礫の一つ一つを、丁寧に検分していく。

 時折、小さく呻く。傷が痛むのか、それとも別の何かか、ニナには判別がつかない。

 それでも、手を止める気配はなかった。

 

 ——氏族の手がかりなど、もう、どうでもよかった。

 ここで何があったのか。自分がいない間に、何を奪われたのか。

 それを、知りたいだけだった。

 

 ふと、脳裏を過るのは、あの男の顔だった。

 ——お前が、逃げたりしなければ。

 分かっている。筋違いだと、分かっている。

 それでも、行き場のない感情は、勝手にその名前を選んで、そこに留まろうとする。

 

  ◇

 

 カイの足が、ある部屋の前で止まった。

 

 そこだけは、他と違って整えられていた。

 レンガを組んで作られたであろう台が並び、大きめの机の側には、鍋や歪んだ器が散らばっている。

 

 ——何だ、腹でも減ったのか。

 ——カイだって若いんだから。

 ——訓練は終わったんだ?

 ——もうすぐできますから、子供たちを呼んできてもらえますか。

 

 親父の、仲間たちの声が蘇って、また短く唸る。

 レンガでできた竈の前で、鍋をかき回す後ろ姿。机に向かう背中。器を手に取り、こちらを振り返って——

 

 その鮮烈な記憶に、足元を掬われる。後ずさって壁に手をついたところで、優しい——本物の声が聞こえた。

「大丈夫ですか? 少し休みませんか?」

「——大丈夫、だ」

 全然、そんな風には見えなかったであろう。

 ニナは何も言わず、しばらくこちらを見つめる気配がする。

 やがて、カイの横をすり抜けると、あちこちを明かりで照らし始めた。少し、焦るような手つきで。

 

 親父は、短い滞在時間の大半を、稽古か、ここで過ごしていた気がする。

 だから、他の場所よりも、ずっと気配が濃い。

 そんな気が、した。

 

 竈の縁に触れてみる。そこには何も無かったが、今でも煮立つシロップの香りが蘇ってくる。

 戸棚に何があったのかも、器をどこに仕舞ったのかも、今でも思い出せる。どの場所よりも、ありありと。

 

 全部、もう、残っていない。

 かつて居た、人たちごと。

 

「あの、カイさん——」

 こちらを伺うような声で、意識が現実に引き戻される。

「ここ、レンガが、何か削られているような」

「——どこだ」

 言われるがまま、腰を落として覗き込む。

 ちょうど、ニナの目線の高さだった。何度もこの場所を行き来していたはずなのに、気付かなかった位置。

 ニナの指すレンガの一角、確かに何かが刻まれている。指先でなぞってみる。

 一本の線が、いくつも折れ曲がりながら連なっていた。

「これは……鎖、か?」

「やっぱり、鎖ですよね?」 

 指でなぞって、折れ目の数を数える。多い側と、少ない側。二種類の数があるらしいが、それが何を示すのかは分からない。

 カイは顎に手を当てて考え込む。

 鎖。思い付きで言ったことを、その場で肯定されたもの——それでもやはり腑に落ちない。

 位置から見れば、子供の落書きか何かだろう。だがその彫りの深さ、線の描き方に、何か思い付きではないような意思を感じる。

 しかしやがて——

「ただの、いたずらだろ」

 考えることを諦めた。ここに鎖のようなものがあったとて、だから何だっていうんだ。

 視線が、竈の方へと逸れていく。まだ、あの声が耳の奥に残っている気がした。

 ニナは、「でも」と言い淀んだまま、それでもレンガから目を離さなかった。

 

 彫られた線に指先でそっと触れてみる。

 鎖の連なりに紛れて、小さな文字が二つ、刻まれているのに気づく。見慣れた共通文字(オーラベッシュ)だった。

 ——"周期"、"日"。

 なぞる。なぞり直す。

 その繰り返しの中で、ふと、指の動きが止まった。

 

「これ……日付、ですか?」

「——は?」

「周期と日って、彫ってあって。それで、この鎖みたいなのは……」

 言いながら、ニナ自身も自分の考えを整理しきれていない様子だった。

「チェーン……」

「何だって?」

「あの、鎖ってチェーン、ですよね?」

 カイは、突然の謎掛けのような言葉に、思考が停止する。一体何の話だ。

「ギルドで登録する時、カイさん、手甲(ガントレット)から出してたのって、チェーンコード、ですよね?」

 出した覚えはあった。チェーンコードは、ホログラム投影でも提示することはできる。賞金稼ぎギルドの仮登録も、その場で見せることで通していた。

「ちょっと見せてもらってもいいですか?」

「何を馬鹿な——」

「試しに、試しにですから」

「——はぁ」

 せがまれて、押し負けて、ガントレットを操作する。空中に文字の羅列が投影される。

 

 楔型の文字を目で追って、すぐにニナは困ったような顔を向けてきた。

「あの——読めないです」

「そりゃあ、な」

 ふ、と思わず笑い声が漏れた。少し、身体から力も抜けた。

「マンドア語だよ。マンダロアで見ただろ?」

「ああ——!」

 崩れた都市で見かけた石碑を、ニナも思い出したらしい。

 カイは浮かんだホログラムを、もう片方の手で指し示しながら説明してやる。

「ここが俺の名前、カイ・ヴォルって書いてあって——」

「ふんふん」

 ニナが再び、チェーンコードを辿り始める。

「カイさん、ここは?」

「あー……誕生日か、これ」

「え!? 誕生日分かるんですか!?」

「いや、多分違う」

「え?」

「恐らく、登録する時に親父が適当に付けたんだと思う。名前だって、親父が付けてくれたし」

「そうだったんですか!?」

「だって——」

 少年兵だった頃のことは、今はもう深い霞の向こうにあるように思い出せない。自分がかつて、なんと呼ばれていたのかも。

 

 少し遠い目をし始めたカイは、彼女の言葉でまた引き戻される。

「これって、じゃあ——」

 二つの数字を、ニナが唱える。それは、彼女の誕生日祝いの時に教えた、親父が決めたカイの"誕生日"。

「いや——違うな、これ」

「え? ええ?」

「登録上だと、七の周期目、三日目になってる」

「ほんとだ、全然違う……」

 ニナはそれっきり、腕を組んで考え込んでしまう。一体何がそんなに気になるのか分からないが、元々ここに来たいと言い出したのも彼女だ。急かすことはない。

 姿勢を直して、つま先で床を引っ掻く。ざり、という音とともに、埃が舞った。

 

「あ——」

 突然、ニナはレンガに駆け寄ると、そのままなぞるように連なりを指で叩き出す。カイは予想もつかない奇行に呆気にとられた。

「なあ、ニナ——?」

「んん、違うかな……」

 聞こえていないのか、鎖の描かれたレンガと違う位置を押したり引っ掻いたりしている。やがて手を離すと、また鎖のレンガに戻り、またなぞりだす。横に、縦に。

「うぅ……届かない」

 縦に伸ばしきったところで、つま先立ちになるが、目当てのところまで届かないらしい。

「カイさん、届きますか……その、一個上なんですけど」

「何やってるんだ」

 全く訳がわからないまま、ニナが示す位置のレンガに触れる。

 ——ん?

 指先から伝わる違和感。隣のレンガも試しに触ってみる。やはり、違う。

 仕掛けられた罠を見破る訓練を思い出した。あの時は確か、裏が——。

「これ——」

「やっぱり!」

 指を引っ掛けて、レンガを引っ張り出す。中には空洞があった。

 暗くて中まで見えない。一瞬、不用心かと案じたが、思い切って手を突っ込んでみる。

 がさり、とした紙の感触がした。

 掴んで引っ張り出すと、それは、丁寧に蝋封された封筒だった。

「手紙、みたいだな」

 暗視装置を切って、ニナからグロー・ロッドを受け取る。

 宛書に当たる場所、そこには共通語(ベーシック)で一言。

 

 ——カイ、へ。

 

 差出人の名は、確かめるまでもなかった。

 心臓が早鐘を打つ。手紙を持つ手が僅かに震える。

 封を開けるのが、恐ろしかった。

「開け、ないんですか——?」

「いや、開ける。開けるから、少し、待ってくれ」

 蝋を剥がす指先が、思うように動かない。何度か指先を滑らせて、ようやく開封する。

 中には、几帳面な字で埋め尽くされた便箋が数枚。

 カイは、そのまま黙って目を落とす。

 

 ——材料、水二百。

 

 一瞬、文字の意味が頭を素通りした。

 もう一度、頭から読み直す。

 ——やっぱり、材料だ。分量が、書いてある。

 これは何かの符丁か。暗号の類か。あるいは、もっと別の、重大な意味が隠されているのではないか。

 三行読んで、二行戻る。また数行読んで、また戻る。

 だが、何度読み返しても、そこにあるのはただの手順だった。

 鍋に、水と、香辛料を。煮立ったら、弱火で。

 ——いやまさか、これは。

 ウジャライの、レシピ。

 最後の一枚まで、それ以外は何もなかった。

 

「……は」

 声にならない声が漏れる。

 拍子抜けした、その一拍後——

「——ふ、はは」

 堪えきれず、笑いが漏れた。

「カイさん……?」

 戸惑うニナの声で、ようやく我に返る。

「——悪い。何でもない。ただ、拍子抜けしただけだ」

「拍子抜け……?」

「ウジャライの、レシピだった」

「え——シオウさんの?」

「ああ。丸ごと」

 便箋を捲って見せる。並んだ材料と手順、几帳面な字。

 目で追いながら、記憶の中の味と照らし合わせる。香辛料の配分が、少し違う。この分量なら、もっと近づけるかもしれない。

 ——今度、試してみるか。

 そこまで考えて、ふと、可笑しくなる。

 あれだけ勿体ぶって、蝋で封をして、レンガの奥に隠して。

 残したのが、これだけとは。

 もう一度、最初から目を通す。手順、分量、火加減の目安。それ以外、何もない。

 名残惜しむ言葉も、詫びの一つも、書かれていない。

 まるで、レシピさえ渡せば、他には何も要らないとでも言うように。

 

 荒らされて、生き物の気配が二つしかないアジトに、しばらく笑い声を響かせる。

 諦めでも、自分への皮肉でもない。ただ、してやられた、という笑いだった。

 ——頭の中で、親父の笑い声が重なった気がした。

 手紙を、ニナもそっと覗き込む。

「それじゃあ、次の誕生日、私が作ってみますよ」

「いや、今度こそ、俺がちゃんと作るよ」

「ええ? 祝われる側が作るんですか?」

 俺が、と言いかけて、止まる。

 

 祝われる側。確かに、そうだ。

 毎年、用意される側だった。座って待っているだけだった。

 ——だが。

 このレシピさえあれば、来年も、その先も。誰の手も借りずに作れる。

 自分の分を。それから。

 それから、誰かの分も。

 いつか、誰かの誕生日に。祝う側として、これを。

 ——親父も、そうしていた。

 毎年、鍋をかき回していた背中。呼ばれて振り返る、あの姿。

 あれを、自分が。

 そこまで考えて、もう一度、便箋に目を落とす。

 名残惜しむ言葉も、詫びの一つも、書かれていない。さっきまでは、それを物足りなく思っていた。

 だが、違う。

 言葉を惜しんだんじゃない。

 言葉より、行動で示せと、教わった。それが、教義なのか、親父の信条なのか、今となっては分からない。

 だから、書かなかった。のかもしれない。

 氏族のことも、教えた技についても、何も、何一つ。

 

 本当のところ、親父が何を考えていたのかは、分からない。伝える必要はないと判断したのか、伝える機会も、言葉も、見つけられなかったのか。それとも、まだ先があると思っていたのか。

 ——確かめる相手は、もう、いない。

 でも、これだけは確かだ。

 

 親父は、俺に、これを渡した。

 

 それだけで、視界が滲んだ。

「——え、カイさん?」

 驚いた声に、応える余裕もなかった。

 声を殺すことすら、できなかった。

 熱いものが何度も頬を伝う。それは顎でせき止められて、首筋を伝って濡らしていく。

 肩を震わせる男に、ニナは気を遣ったのか、その場を離れようとした。

 

 ——彼女の手首を掴んでいた。無意識だった。

 それでも、離す気にはなれなかった。

「頼、む、から……今は、側に、いてくれ——」

 嗚咽混じりの声に、少女が頷く気配が返ってくる。

 自分の手に、少女の手が重ねられる。

 仄かな闇の中、その温もりだけが、今はただ一つの寄る辺だった。

 

 ◇

 

 薄暗い地下水道を、一人。ニナは壁にもたれかかりながら、物思いに耽っている。

 あれからしばらくして、ようやく落ち着いてきたカイに、色々と整えるものもあるだろうと、今度こそ一人にさせてきた。

 ——念のため、あまり離れすぎないように。

 まだ湿った声で、それでもこちらの安全に気を配る。そういう人なのだ、あのマンダロリアンは。

 

 ここにも、焼け焦げたような跡がある。

 かつての姿を、ニナは知らない。賑わっていたのかも、行き交う声も。

 それでも、と、足元を流れる汚水に視線を落とす。

 ここは、人が暮らすような場所ではない。

 

 衛生的ではない。空気が澱んでいる。何より——

 日が、差さない。

 こんな所に、孤児たちも暮らしていたのだろうか。

 

 ニナは、特定の神を持たない。

 誰に祈ればいいのかも、知らない。

 それでも、目を閉じた。

 

 いつの日か、子供たちが、陽の光の元で遊べる日が来るように、と。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。