地上に出た瞬間、光と喧騒がどっと押し寄せる。
熱気なのか、熱波なのか、まとわりついていた地下の湿気ごと吹き飛ばしていった。
「喉、乾いたな」
ぼそりと呟く声に、「ええ」と短くニナが笑いながら応える。
「何か買って、涼しいところにでも行こう。ここじゃ暑すぎるんじゃないか?」
「あはは……実は、そうですね」
ニナは、じわりと浮き出た汗を拭うと、歩き出したカイの隣に並ぶ。
「でも、カイさんは涼しい所に行っても、その——」
「ん?」
「その、飲み物とか。ヘルメットのままだと、飲めないので」
言われて、初めて思い出す。ここへ来て随分と当たり前になっていたので、忘れていた。
「そうだな……いや、飲める。一応」
「え?」
「ここに、飲み口が付いてるんだ」
顎下、目立たない一角。小さな開閉式の
「これで、水分と、簡単なものなら摘める」
「初耳です! みんなそうなんですか?」
「いや……多分、ないんじゃないかな。親父の提案で付けたやつだから」
「え?」
目を丸くしたままのニナに、肩をすくめて返す。
「何でも、強くアーマラーに直談判したとか何とか。まあ、長期間待機とか、そういう事も見据えて、とか何かだろ。よく知らないが」
「そうなんですか……あ」
何か思いついたのか、ニナは若干わざとらしく人差し指を立てて見せる。
「それなら、ヘルメットを少しズラしたらどうですか? 顔が見えないように、こう——」
こう、と言いながら、顎を下げる。恐らく彼女の脳内では今ヘルメットが装着されているのだろう。
その仕草に思わず吹き出しそうになる。きっと本人はいたって真面目なつもりなんだろうが。
だからこそ、こちらも茶化さずに返すべきだと思った。
「……そういうズルは、良くない」
「……駄目ですか」
「教義、だからな。裏技みたいに回避しようとするのが、特に」
「うう……」
「それにそんな事アーマラーに言ったら、ハンマーで叩かれるかも」
「ええ、そんなに厳しい人なんですか!?」
「そんなに厳しいんだよ……」
今度こそ本気のため息が溢れた。何度、ロウガンとセットで叱られたことか。
通りに並ぶ店、その一つに目が留まった。
鮮度の良さそうな果物が並び、『搾りたて!』『新鮮!』『ジュース』と書かれた販促物があちこちに貼られている。
ニナも気になるのか、目を輝かせている。
——ここにするか。
「ニナ」「カイさん」
ほぼ同時だった。少し待って、ニナから、と促す。
「あの、これならカイさんも飲めますよね?」
「——え?」
「ほら、ストローが付いてますし」
カウンターに見本として置かれた容器には、確かにストローが用意されている。
「いや、俺は——」
「どれにしますか!?」
口籠ったカイの声は届かなかったのか、ニナは興奮気味に果物を指差す。
その笑顔に何と言い訳したものか考えて——諦めた。
「——ニナが選んでくれ」
「じゃあ、これにしますね! ——二つ、下さい!」
あいよ、と果物を搾り始める店主。渡す硬貨をポーチから弄りながら、カイは呻きともため息ともつかない声を零した。
◇
高台を吹き抜ける風は乾いていて、ネヴァロの地熱にほてった体に心地良かった。
少し息を切らせながら階段を上り切ったニナは、手すり越しに見える街の景色に歓声を上げる。
「大きな街だったんですね——!」
二人が目指したのは、街を見下ろせる程の高さに設けられた見晴らし台。
涼しい所はないかとドリンクバーの店主に聞いたら、それならと教えてくれた。
通りに飾られた色とりどりの日除け布がはためいている。その下を行き交う人は多く、喧騒だけが、風に乗ってこちらまで届いてきた。
ひと足先に見下ろしていたカイが、誰に聞かせるでもなく呟く。
「——見晴らしがいいな」
狙撃には人目につき過ぎるかな、と付け足して、ニナが口を尖らせる。
「職業病……」
「悪かったな」
街はまだ道半ばのようだった。骨組みだけの建物があちこちに突き出ている。線路でも引くつもりか、遠くの丘陵まで地面が均されていた。
「結構、体力付いてきたな」
「えへへ」
隣に追いついたニナへ、抱えていた紙袋からドリンクを一本取って渡す。
ニナは礼を言って受け取るが、口をつけもせずに、カイとドリンクを交互に見比べる。
「? 飲まないのか?」
「えっと——カイさんは?」
カイは、紙袋から出してもいない。
不安そうな顔でニナはカイをうかがう。
「ポート、あるって——」
「あるけど……」
軽く息を吐いて、渋々といった体でドリンクを取り出す。まだひんやりとしたボトルに結露が滲んでいる。
高台には、他にもまばらに人がいた。
ほとんどが観光客のようだったが、マンダロリアンが珍しいのか、ちらちらとカイに視線を送っている。
こうやって見られることには慣れている。
けど——
「……やっぱり俺はいいよ」
「え」
目を丸くするニナの方を見られないまま、手の中のボトルを持て余す。
ぐっ、と喉に力を入れる。言葉を、切りながら、白状する。
「人前で、食事を取るのは、抵抗がある——ごめんな」
「あ……」
残念がるのではなく、気付かなかったことを悔いる声が、却って胸に深く刺さった。
「ごめんなさい——」
「いや、謝るのは俺の方だから——」
カイは軽く体勢を変える。
ポケットの中の、しゃらり、と滑るような細い感触。
——違う、今じゃない。
「ニナは……どうして、一緒に飲み食いしたがるんだ?」
——しまった、直球過ぎたか。
後悔しても今更遅い、とカイは固唾をのんで様子をうかがう。
ニナは、口を固く結んでうつむいていたが、やがて——
「……美味しいから」
「——え?」
「一緒に、食べたり、飲んだり、するのって、美味しいじゃないですか——」
——意味が、分からない。
怒りでも、呆れでもなく、本当に意味が理解できなかった。
それは今までの人生で、感じたことのない感覚——
違う。
「あー……確かに、美味かった、かも——」
頭の中に、ホスの基地で囲んだ食卓の風景が、まざまざと蘇る。
いくら記憶がなかったとはいえ、我ながら何の疑問も持たずに食事をする姿は、どこか他人の経験のように遠く感じた。
「あの、ワガママでしたよね。無理なら無理で、しょうがないですから——」
「いや、大丈夫、待ってくれ」
放っておけば、どんどん自責に駆られそうな少女の言葉を、半ば強引に断ち切る。
教義に背いている訳では無い(多分)
単純に、自分の気分の問題である(きっと)
腹を括れ——
おおよそ飲み物に臨むものではない覚悟を決めて、ヘルメット接続口を開ける。
そこへ、ストローを差し込む。
唇に、慣れない感触。咥える瞬間、ニナの息を飲む音が聞こえた気がした。
——ずっ。
口の中に果実の香りが広がる。
「…………甘いな……」
「だ、大丈夫です、か——?」
「多分、あ、いや——」
ニナへ振り返って見せる。ポートにストローを差したまま。
「美味いよ」
「っ——! 本当ですか!?」
「うん」
もう一口飲む。
ニナも釣られるように飲む。
「美味しい——!」
「だろ?」
しばらく二人で舌鼓を打つ静かな時間。
時折、風が少女の髪をさらう。そこに留められた髪飾りに、カイはそっと視線を寄せる。髪飾りの石と少女の瞳が、陽光を反射して、眩しさに目を細めた。
手にしたドリンクを飲み干して握り潰すと、包装の紙袋に放り込む。
——踏み込んでみるものだな。
さっきまでの怖気が、嘘のように軽くなっている。この調子なら、次も。
「ニナ——」
「はい?」
「もう、手掛かり探しは、切り上げようと思う」
「……」
何の、とは言わなかった。それでも彼女には伝わったようだ。
ニナの視線が、右肩の印から、次いで胸元の短剣まで彷徨ってから、カイの顔に戻る。
「——そうですか」
静かに返ってきた声に、落胆も、安堵も、含まれない。ただただ肯定するだけの返事。
カイもまた静かに頷く。
「ニナが、アジトに行きたい、って言ってくれたおかげだ。俺一人じゃ多分、親父の手紙にすら、辿り着けなかったと思う」
ニナの方へ、体ごと向き直る。
「——ありがとう」
ニナは何かを言いたげに口を開くが、少し息を吐いて、首を横に振る。
「私こそ、無理させちゃったみたいで、心配で——」
「待ってくれ」
続く言葉を遮る。
「謝らなくていい。というか、謝らないでくれ。こっちは感謝してるんだから」
「————っ、ごめ……あっ」
思わず口をつきかけた言葉に、少女は慌てて口を押さえる。その仕草に、カイは吹き出した。
笑わないで下さい、とふくれる彼女に、カイは「だから——」と切り出す。
「今度こそ、ニナが本当に行きたいこと、いや、やりたいことでもいい。何でも付き合わせてくれ」
ニナの顔から——笑顔が消えた。
風に吹き払われたように、そこには元々無かったかのように。
——ひゅ、と喉の奥で小さく音がした気がした。
……気のせいだろうか。
——ああ、またこの顔。
カイはヘルメットの下で奥歯を噛みしめる。
彼女は気付いているのだろうか。これまで何度も、ふとした時、同じ様に表情が漂白されるのを。
待つべきか、と思ったが、カイはあえて踏み込むことにした。
「——ニナ、たまにそうなるよな」
「——え?」
「表情が消えるっていうか、心が塞がれるっていうか——悪い、上手く言葉にできない」
「……」
ほんの僅か、彼女の肩が震えた。だが、それっきり。
顔色一つ変えず、うつむいてしまう。
やがて——
「不快にさせてしまったなら、ごめんなさい」
ニナは、取り繕った笑顔を貼り付けて謝る。
——失敗だった。
勢いに任せてしまったことを後悔する。そんな表情をさせたかったわけじゃない。
結局、自分にできるのはこの程度なのか。
爪先に、ぐっと力が入る。ブーツの中で、意味もなく踏み締めるように。
——踏み込めなかった分だけ、せめて届く物を。
ポケットの中で、指先が硬い感触を探り当てる。一度だけ、確かめるように握り込んでから、取り出した。握った拳ごと、ニナへ差し出す。
ポケットの中の、しゃら、という微かな金属の擦れる音とともに、開いた手のひらから現れたのは——
一本のペンダントだった。
しずく型をした銀色の金属の表面に、控えめな花の意匠。花弁は薄青く着色されたものが五枚。他には僅かな茎と葉のみのほとんど装飾のないものだった。
「これ、ニナに——」
「え?」
差し出された少女の両手に滑り落とす。
ニナは受け取ると、しばらく、ぼうっとした面持ちで眺めている。
「ペンダント、ですか?」
「迷子札、かな——」
言ってから、しまったと思う。
「はい?」
「いや……何でもない。ペンダントだ」
「はあ——」
意味を測りかねているのか、ニナからは気の抜けた返事。
それが何ともいたたまれなく、カイは少し早口で言葉を継ぐ。
「もしはぐれたり、何か困ったりしたら、多分役に立つと思って。お守りみたいなものだけど」
「お守り——」
そう言葉を拾うと、ニナはようやくペンダントを包むように手のひらを握りしめた。
「——ありがとうございます」
こちらを見る顔には、まだぎこちないながらもいつもの笑顔が灯っていた。
「重かったり、邪魔なら、ポケットにでも——」
「付けてみて、良いですか?」
「——どうぞ」
ニナは後ろ手にペンダントの金具を留めようとする。しかし、中々難しいのか、苦戦しているようだ。
カイは少し様子を窺っていたが、ふ、と微かに笑って自分の手袋を外す。
「こっち向いてくれ。手伝うよ」
「え、でも」
「いいから——」
少女は後ろを向くと、おずおずと髪を持ち上げる。うなじが覗いて、髪飾りの石と、
カイは髪をかき分け、留め金を探る。
指先が、彼女の肌に触れて、その肩が強張るのを感じる。
金具を留め終わった時、ようやく少女の首筋が、耳が、朱く染まっていることに気付いて——慌てて手を離す。
「——留まった」
平静を装ったつもりでも、気持ち上擦った声が出た。気付かれたか分からないが、思わず口元に手を当てて、視線を明後日の方向へ逃がしてしまう。
ニナは振り返ると、まず胸元のペンダントに触れた。そして顔を上げる。
——まだ少し、顔が赤い。
「……似合い、ますか」
しばらくこちらを伺うような、上目遣いの視線。
ペンダントの事を聞かれているのに、カイは何故か、どこを見たら良いのかわからなくなった。
ようやく。
「……分からない」
「え」
違和感はない。長さも問題ないように思える。ただそれだけ。
「その、
我ながら情けない言い訳が出てきたものである。
ニナは呆れたのか、それとも怒ったのか、どちらともとれない盛大なため息をついた。
「あの、ですね……」
「しょうがないだろ」
「こういう時は、嘘でも『似合ってる』って言っておけば丸く収まるんです」
「嘘は駄目だろ」
今度は笑い出した。照れたり、呆れたり、怒ったり、そして笑ったり。
——そっちの方が、ずっと良い。
胸が軽くなる。緩んだ心のまま、カイは少し首を傾げてみせた。
「主観でいいなら」
「そもそも主観で良いんです」
「そうか、なら——」
ニナが、笑っている。
その胸元で、空色の花が、揺れている。
「可愛いとは、思ってる」
「——え」
あけすけな物言いに、一瞬、ニナが固まる。
そして——両手で顔を覆ってしまった。
「え、あ、俺、また何かマズイこと言ったか!?」
「ち、違——」
ニナは片手を振って誤魔化すが、もう片手は顔に張り付いたまま。
「悪かった」
「そうじゃなくて!」
カイが一歩近づくと、ニナも一歩下がる。
「ニナ、言ってもらわないと、正直分からなくて——」
「ああもう、こっち見ないで!!」
「はぁ!?」
高台の上、沈み始めた日。二人の傍らを、風が吹き抜けていった。
◇
少し離れた岩陰、双眼鏡越しに一部始終を見ていた者がいる。
——思っていたのと、違う。
自分と同じ、はずだった。
堕ちて、壊れて、それで初めて、使い物になる——
そういう、計算のはずだった。
なのに、今のあの姿は。
そこで思考を止める。まだ、早い。
双眼鏡を下ろし、踵を返す。
◇
ネヴァロの空を、一隻の船が飛び去っていく。
その様子を、一人の監督官——グリーフ・カルガが、自分の執務室から見送っていた。
やがて、彼の元を一人のマンダロリアンの男が訪ねる。
「遅かったじゃないか」
挨拶も省いて、カルガは大きく両手を広げて歓迎の意を示す。男も、頷いて返す。
カルガは男の手元、次いで足元を見て、残念そうに肩をすくめる。
「あの子はどうした?」
「船で寝ている。それより——」
男は少し声を落とした。
「俺以外のマンダロリアンは訪ねてこなかったか」
「ああ、黒ずくめの奴か? そいつなら、もう発っちまったぞ」
男は、ふむ、と腕組みをしてしばらく考え込む。
その様子に苦笑しながら、カルガは手元のコンソールを操作した。
軽く手招きをして、表示されたものを見せる。その顔には悪巧みのようなものが浮かんでいた。
「次の行き先だそうだ」
本来、開示されるはずのない情報だ。だがカルガにはそれが可能だった。
男が画面をじっと見つめる。しばらくして、カルガが声をかけた。
「ベスピンか。すぐ出るのか?」
「——ああ」