昼下がりの公園で、カイは一人ベンチに腰掛けていた。手持ち無沙汰に、ひとひら落ちてきた葉を、指先でくるくると回している。
——来る途中に公園があったでしょう? そう、あの大きな樹が生えている。そこで待っててもらえるかしら。
占い師との話を終えても、ニナの支度はまだこれからかかりそうだった。終わり次第向かわせるから、と追い出されるように言われて今——
「あっちが、招待してきたくせに——」
思わず溢れた愚痴は誰にも拾われない。
とは言っても、香炉が焚きしめられた密室より、爽やかな風が吹き抜けるここは、居心地が良かった。
遠くで家族連れが賑わう声がこちらにも届いてくる。
物々しいマンダロリアンが近くにいては怯えさせるだけだろう、とかなり離れたベンチを選んだつもりだが、降り注ぐ陽光はここですら大樹の枝葉に遮られている。
本当に巨大な木だった。
——平和、だな。
柄にもない事を考える。そして、暇なんだな、と気付く。
気付いて、苦笑いをこぼして、そして思い出す。
——分かった。そっち行くわ。行くまで出るなよ。
いつになく真剣だった、ロウガンの声。
あいつがああいう態度の時は、大抵——
「嫌な予感が、するな」
一人言と共に、落ち葉を弾いて飛ばす。馬鹿な考えごと、笑い飛ばす代わりに。
「カイさーん! お待たせしましたぁ!」
「ニ——」
ニナの声がして、振り返って——言葉に詰まった。
見慣れた作業着とも、旅の間中着ていた服とも違う。
生成り色の布が、緩やかに膝の下まで広がっている。裾も袖も、何かの模様が縁を這っていた。
だが、そんなものは、二の次だった。
結い上げられた髪に、見覚えのある一点の青が、光を弾いている。
——あの、髪飾り。
自分が選んだはずの物が、今、まるで初めて見るもののように収まっていた。
「あ、あの……変じゃ、ないですか?」
控えめに、裾の端をつまんでみせるニナ。
カイは何も言えない。何を言えばいいのか、分からない。
——似合ってる、とか。
——綺麗だ、とか。
言葉なら知っている。だが、どれも、口から出そうとすると詰まって出てこない。
「あの、その——似合っ……いや、その服、走れるのか、それ」
言った後で、自分でも何を言っているのか分からなくなった。
「そうなんですよ、靴も、ほら——」
ニナは、クルッと回りながら足元を見せる。浅めの靴、そして細くて白い足首が覗いた。
「だから、お待たせしちゃって……あの、カイさん?」
固まってしまったカイを、ニナはヘルメット越しに覗き込む。
知らない花のような香りと共に、胸元のペンダントがさらりと揺れた。
「あ、ああ——大丈夫だ」
何が大丈夫なのか、さっぱり分からない。
ベンチから少し腰を浮かしてズレてやると、ニナは黙って隣に腰を下ろした。
——やけに近くないか? いや、いつも通りか?
考えがまとまらない。さっきまで何を考えていたのかすら。
「カイさん」
「ん、ああ」
「今、変な顔してる」
「は!? し、してない」
「ほら——」
ふふ、と笑い出す少女が、かつて氷に閉ざされた基地の痩せこけた姿と重ならない。重ならないことに、少し、ホッとする。
ふと、カイは自分の手首に触れた。館から去り際、占い師が咄嗟に掴んだ感触が、まだ薄く残っている。
あの時、どこか必死そうな顔で、しかし何かを言い出そうとして、口をつぐんでいた。そして結局——
——頑張って。
それだけ言い残して見送られた。
これって、つまり、この事だったのか?
いや違うような。
「何がです?」
「まだ何も言ってないだろ」
「カイさん、黙ってる時、絶対頭の中は騒がしいんだろうなって」
「そんなこと——あるけど」
「認めるのは、ちょっと意外でした」
「何だよ……」
笑いの余韻が収まる頃、カイは思い出したように背嚢を探る。
「そういえば、これ」
取り出したのは、道中で買っておいた軽食の包み。ニナの分と、自分用の携行ドリンク。
「わあ、ありがとうございます」
包みを開けながら、ニナはふと手を止める。
「あの——カイさん。変なこと聞いてもいいですか?」
「……何だ」
少し、間があった。
「シオウさんが昔、言ってたことなんですけど」
突然の親父の名前に肩が強張る。
ニナは、ヘルメットの下の表情に気付かないのか続けた。
「顔を、マンダロリアンは顔を見られたら、見た人を、その」
「その?」
「——殺す、って」
重々しく告げられた言葉が、最初分からなかった。
物騒な単語がニナの口から飛び出た驚きで理解が遅れた。だが——
「ぶはっ!」
思わず吹き出してしまう。見なくても隣でニナが困惑しているのが分かる。片手で制して、まだ込み上げる笑いを押し込める。
「親父の、ふふ、与太話、信じてる奴がまだいたんだな、くっ」
「笑っ……え、与太話?」
「ああ、よく新入りとかにしてた、与太話」
「じゃあ、私は——」
「根本から違うっていうか——」
はーっ、と息を吐いて整える。さて、とんでもないとこで土産を残したな、親父。
「見た奴をどうこう、じゃなくて、見られたその事が問題だろ」
「そうなんですか」
「だから、見た奴全員手にかければ良いって話じゃないんだ。少なくとも——俺はそう考えてる」
「でも——」
ニナは手にした軽食に口を付けていない。微かに手が、震えていた。
「ヘルメットを、外したのは——」
呼吸が荒い。握りしめる力が強くなる。
——ああ、きっと。
庇うつもりだ。この子が、自分を後回しにする顔を、俺は知っている。
「わた——」
「親父だろ?」
最後まで言わせなかった。予想通りだった。
思わず深いため息がこぼれた。
「知ってるよ」
「なん、で——」
「最期に、な」
ニナはうつむいたまま、その表情は見えない。だが、細かく震える肩や指先が、如実に物語っていた。
その頭を撫でようとして、流石に止める。綺麗に整えられた栗色の髪の中で、青い石が揺れていた。
カイは、ベンチに深く座り直す。ギシッという音を、わざと、大きく鳴らすように。そして視線を遠くへ外す。
「……で? だから何だ、俺がお前を口封じするとでも思ってたのか」
「そ……なことっ!」
顔が上がる、気配がした。
「心外だな、ああ心外だ」
「そうですね。ごめんなさい」
ニナが——微かに笑う声がした。
「カイさん、ずっと、私のこと守ってくれてたのに。——ありがとうございます」
「いや、まあ、うん——」
改めて、はっきりと礼を言われると、返答に困ってしまう。そんなだいそれた事をしていたつもりはなかった。ただ、当然のつもりで。
俺は、彼女を——
「あの、じゃあ……」
ニナが、そこで言葉を止める。
——分かっている。何を聞かれようとしているか、なんとなく。
答えられる、言葉を、持っていない。
息を、大きく吸う。何か言わなければ。
——風向きが、変わった。
葉の匂いに混じって、鉄と油の匂い。かすかに。だが、間違えるはずがない。
複数、四——いや五。距離はまだある。だが、囲むように広がっている。
家族連れの声が、まだ風に乗って——ここまで届いている。
撃てば、届く距離。
考える間もなく、体が動いた。
軽食の包みを放り出し、ニナの手を取る。
「え、カイさん——」
「動くぞ」
問答は挟まなかった。
ベンチを蹴って、木立の奥、公園の外へ向かう。
◇
相手は、迷いなく追ってくる。狙いはこちらだと合っていたらしい。——忌々しいことに、しかし幸いなことに。
「っ! ごめんなさいっ!」
ニナの悲鳴に近い声が聞こえて足を止める。
やはり走れる様な服装じゃない。舌打ちを堪えて背中に庇うと同時に、"襲撃者"は姿を表した。
——どういう事だ?
予想した姿よりも、いくぶんか、まとまりがない。もっと組織だった姿を想像していただけに、肩透かしを食らった気分だ。
「よぉ、坊主。まだ根に持ってるやつがいたとは思わなかったろ?」
「——は? 何の話だ」
「あんたのせいで、こっちは随分痛い目見たんだよ」
「おい、話が見えない」
「ギルドに入りもしねえで、散々俺等のシマぁ荒らしてくれてよぉ!」
——ああ、なるほど。少し見えてきた。
つまり賞金稼ぎの、逆恨みか。
入ったのは、つい最近の話だ。今更それを持ち出されても——面倒なだけだった。
こういう手合いは——
「おい! 何とか言ったら——ぐえっ!!」
相手の言葉が終わるのを待たずに、カイのブラスターがその膝を撃ち抜いた。
大げさな悲鳴を上げながら、激痛にのたうち回る姿を確認して、様子を窺う。
——引かない。
仲間の泣き叫ぶ姿に少し躊躇は見せたものの、それでもなお囲いを狭めようと迫ってくる。
「ニナ、ごめん」
「え?」
ポーチからグレネードを引き抜き、ピンを抜いて放る。
炸裂と同時に、視界が白く塗り潰される。
「掴まってろ」
答えを待たず、ニナの体を肩に担ぎ上げる。悲鳴のような息が漏れたが、構う暇はない。
煙の中を、足だけを頼りに走り抜ける。
晴れる頃には、追っ手も撒けるはずだ。
今のうちに、退避したほうが賢明だろう。
——ロウガンには悪いが。
◇
「カイ、さん、ちょ、待っ」
「悪い。待てない。もう少し堪えててくれ」
肩で揺らされるニナの声がリズミカルに途切れている。
途中で道から屋根に飛び移ったので、より落ち着かないのは分かるが仕方がない。
建物を飛び移る度に、わ、とか、ひゃ、とか短い悲鳴が聞こえる。
「ニナ——」
「は、はいっ!」
「ちょっと、重くなったな」
「はぁ!?」
「安心した」
「今言います!? 今それ、言います!? っわわわ」
ウィップコードを使って屋根から滑るように落ちる。このまま進めばキタツグミまですぐのはずだ。
「船に着いたら、すぐに出よう。あいつらも宙域までは追ってこれないはずだ」
「は、はい……」
一旦、ニナを下ろして怪我がないかだけ確認する。少しふらついているが無事なようだ。
そのまま手を引いて、角を曲がる。その先には見慣れた船が——
「は……?」
「嘘——」
二人同時に言葉を失った。
キタツグミは、傾いでいた。
着陸脚の一本が根元から折れ、船体が斜めに沈み込んでいる。船腹の装甲は焼け焦げ、開いたハッチからは配線が剥き出しのまま垂れ下がっていた。
エンジン周りは特に酷い。冷却フィンが叩き潰され、外殻に大きく歪んだ痕が残っている。飛べない。今すぐには、絶対に。
だが——爆発した跡はない。
燃やされたわけでも、粉々に砕かれたわけでもない。
まるで、飛べなくすることだけを目的にしたような、正確な破壊だった。
「トリンさん……!」
ニナが声を上げて駆け寄る。カイも続くが、辺りに人の姿はない。
工具箱が横倒しになり、油の染みが広がった床に、赤黒い一筋が伸びていた。
「トリン! どこだ、返事し——」
「——残念、ここにはいないよ」
声は、頭上から。
振り返る間もなく、屋根の破れ目から数人が降り立った。先程の連中とは、明らかに雰囲気が違う。
——どういう事だ。
問いただしたい気持ちを、押し殺す。
優先順位をつけろ。全部は無理だ。
「ニナ——!」
叫ぶように彼女を呼び戻す。だが、それでもなお探すのを止めようとしない。
——くそっ!
ニナの腕を掴んで引き寄せる。短い悲鳴とともに、彼女の居た場所に棒状の物が投げつけられた。
見れば、敵がこれ見よがしに構えた武器もおかしい。拘束、昏倒、麻痺——殺傷性の武器がほとんどない。少なくとも、見る限り。
まるで、生け捕りが目的のような。
——ただの報復じゃない。
背筋を冷ややかな物が伝う。
殺しに来ていない。それが、今はかえって不気味だった。
スタン・グレネードを抜いて放つ。
閃光が炸裂し、対処が取れなかった全員の目に刺さる。
声をかける暇がなかった。敵同様に目を押さえるニナを再び抱え上げる。
逃げないと。とにかく。
でもどこへ——?