黒刃と寄る辺なき花   作:アサナシケイ

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第二話 ツグミと占い師 2/8

 酒場を出てすぐ、カイはニナの方を振り返った。

 

「悪い、店を間違えた」

 

「大丈夫か?」

 

 ニナは渡した菓子袋から一つ摘み出すと、口に含んで、ぽり、と小さく噛んだ。

 

「甘いです」

 

 ……そうか、聞いたのはそこじゃないんだが。

 

 思わず失笑が漏れる。緊張していた肩の力が、少しだけ抜けた気がした。

 

「あの……」

 ニナがおずおずと切り出した。

「すっっっごい、見てくる人、いませんでした?」

 

「いた」

 俺は素直に頷いた。あれだけ露骨だと、気づかない方が難しい。

「すっっっごい、見られてた」

 

 あの視線を思い出すと、地味に堪える。カイは無意識にヘルメットの後頭部を撫でていた。まだそこに視線がこびりついているような、妙な気持ち悪さが残っている。

 

「最初はベスカー狙いかと思ったんだが」

 高価なベスカーを見れば、身の程知らずが目の色を変えて狙ってくることは珍しくない。実際そういう手合いに絡まれたんだろう、さっきのは。

 

 ——親父と二人でいる時は、こんな風にじろじろ見られることすらほとんどなかった。今思えば、あれは親父の存在そのものが抑止力になっていたんだろう。一人になった今、もっと気をつけるべきなのかもしれない。

 

 考えても仕方のないことだ。カイは小さく息を吐いた。

 

「敵意はないみたいだから、放っておいたけど」

 少し身震いする。

「はあ、気持ち悪かった……」

 素直な気持ちが漏れた。

 

       *

 

 ——半日ほど前。

 

 ハイパースペースから飛び出したHWK-290が、実空間へと戻る。眩い光の帯が収束し、代わりに眼下へ広がったのは、白い縞模様をたたえたガス状惑星の姿だった。

 

 カイはコンソールに視線を走らせる。速度、燃料残量、外部センサー──どの数値にも異常はない。予定通りの座標、予定通りの惑星。ひとまず、それだけで肩の力が少し抜けた。

 

 操縦席を立ち、居住スペース代わりに使っている格納庫へ向かう。

 ニナを起こしてやらないと。

 

 格納庫の扉をくぐった瞬間、カイは足を止めた。

 

 ニナは眠っていなかった。コンテナの陰に腰を下ろし、何かを膝の上で丁寧に磨いている。布切れを使って、表面の汚れを几帳面に拭い取るような手つきだった。

 

 何をしているんだ、と近づきかけたカイの視界に、その形がはっきりと映った瞬間——全身の血が音を立てて引いた。

 

 グラヴ・チャージ。

 

 小型の粘着式爆弾だ。うっかり握りが緩めば、あるいは表面の起爆スイッチに指がかかれば、それだけで格納庫ごと吹き飛びかねない代物。

 

 叫びそうになる喉を、カイは力任せに押さえ込んだ。ここで大声を出せば、驚いたニナの手が滑る。それこそが最悪の結果を招く。

 

 「ニナ」

 

 努めて静かに、それでいて有無を言わせない声で呼びかける。

 

 「それ、そっと──ゆっくりでいい。床に置いてくれ」

 

 ニナは不思議そうに小首を傾げながらも、言われた通りに従った。両手で包み込むように持ったまま、ゆっくりと床へ下ろしていく。

 

 金属が硬い床に触れる、小さな音。

 

 カイはその場に凍りついたまま、しばらく起爆の兆候がないことを確認し続けた。表示ランプは灯っていない。振動もない。異常なし。

 

 詰めていた息を、一気に吐き出す。安堵で膝から力が抜けそうになるのを、なんとか堪えた。

 

 「……ニナ。それは、爆弾だ」

 

 ニナの肩が大きく跳ねた。

 

 「え……ば、爆弾……!?」

 

 両手を体から離すようにして、後ずさろうとする。カイは慌てて片手を上げ、それを制した。

 

 「もう置いた後だ、大丈夫。動くな、そのまま」

 

 落ち着かせるように言い聞かせてから、カイは改めてニナを見た。疑問の方が先に立つ。

 

 「——何でこんなことしてたんだ」

 

 ニナは俯いた。膝の上で指をもじもじと絡ませながら、しばらく言葉を探すように黙り込む。

 「その……何か、役に立ちたくて」

 

 小さな声だった。積み荷の点検も、食料の管理も、自分にできることは限られている。だから、コンテナの隅に転がっていたそれを見つけて、せめて綺麗にしておけば——そんな理屈だったのだろう。

 

 カイは大きく息をついた。安堵と、脱力と、少しの呆れが入り混じったため息だった。

 

「気持ちはわかる。わかるが」

 

 できるだけ声を荒げないよう、言葉を選ぶ。

 

「ああいうのは、まず俺に相談してからにしてくれ。何か手伝いたいことがあるなら、それでいい。でも、勝手に触るのは駄目だ」

 

 ニナはきょとんとした顔で見上げてくる。

 

「……相談、ですか?」

 

 その響きに、あまりピンときていないのが丸わかりの表情だった。誰かに何かを尋ねる、頼る——そういう習慣自体が、彼女の中には根付いていないのかもしれない。

 カイはそのことに、一瞬だけ胸の奥が詰まるのを感じたが、顔には出さなかった。

 

「ああ、相談だ」

 

 繰り返すと、ニナは少し考え込んでから、こくりと頷いた。

 

「わかりました。次からは、そうします」

 

 素直な返事だった。カイはそれで十分だと思うことにした。

 

 カイはグラヴ・チャージを手に取ると、腰のポーチに仕舞おうとして、ふと手を止めた。

 

 ——いや、まだ確認が終わってない状態だ。頼りにするには、少し、怖い。

 

 それに、これは生体認証を通さなければ起動しない代物でもある。コンテナに転がしておいたところで、誰かが不用意に踏もうが振り回そうが、暴発する心配はない。

 

 結局、元通りコンテナの中に戻す。ぞんざいな扱いに見えなくもないが、今はそれでいい。生体認証を通さなければ起動しない代物でもある。半端なものに頼るよりは、しかるべき時にきちんと向き合ってからだ。

 

       *

 

 二人はコックピットへ戻った。

 

「シートに座って、ベルトを」

 カイが促すと、ニナは素直に腰を下ろし、ベルトを引き寄せる。窓の外に広がる惑星を見下ろして、その目が輝いた。

 

「あそこはどんな星なんですか?」

 

 聞かれて、カイは一瞬答えに詰まった。

 

 ——そういえば、行き先のことをニナに何も話していなかった。さっき自分で「相談してくれ」と説教しておいて、これでは示しがつかない。

 

 小さく咳払いをしてから、カイは説明を始める。

 

 ベスピンは陸地を持たないガス巨星だが、大気の上層に「ライフ・ゾーン」と呼ばれる、人間が生身で過ごせる層がある。気圧も気温も重力も申し分なく、生命維持装置なしで暮らせるほどだ。

 かつてこの惑星は、貴重なティバナ・ガスの採掘地として栄えた。ガス層を漂う巨大生物が排出するガスを集め、精製する採鉱コロニーがいくつも浮かんでいる。

 中でもクラウド・シティは、贅を尽くした観光地としても名を馳せていた。住民の多くは人間とアグノート種族で、その数は数百万に及ぶという。

 

「浮いている街、ということですか?」

 

「ああ。雲の上に、丸ごと街が浮かんでる」

 

 ニナは食い入るように窓へ顔を近づけた。閉じた世界で育った彼女にとって、それはにわかには信じがたい光景なのだろう。

 

「まずは、知り合いのメカニックに船を見せる。名前は、トリン、トリン・ヘイズ」

 

 そう言ったきり、カイの声のトーンがどこか重くなった。

 

「……気乗りしないんですか?」

 

「いや、腕は良いんだ。腕は」

 

 操縦桿を握る手に、無駄な力がこもる。

 

「そんじょそこらのメカニックに見せるぐらいなら、あいつに任せるのが一番なんだ……のは、分かってるんだが……」

 

 言葉の途中で、カイはヘルメットの額を、こつん、と軽く操縦桿にぶつけた。

 

「人間性が……その……非常に」

 

「?」

 

「良くない」

 

 短く言い切ると、カイは深いため息をついた。

 

「メカニックの腕前と、人間性、秤にかけたら、余裕で人間性の悪さが勝つ。あいつに任せるぐらいなら、ジャワ族に任せた方がマシまである」

 

 ニナが小首を傾げているのも構わず、カイは続ける。半ば独り言のような調子だった。

 

「親父の尊敬できるところの一つが、あいつを一度も殴らなかったことだな。俺は……一回殴ってから、会わせてもらわずに済んでる」

 

「殴ったんですか⁉︎」

 

「……あ〜〜〜、会いたくねえええ」

 

 質問には答えず、カイはヘルメットの中で唸るような声を漏らして、操縦桿に額を押し付けたまま動かなくなった。

 

       *

 

 大気圏へ突入すると、窓の外は瞬く間に色を変えた。

 

 橙色と薄紫が入り混じる雲海が、どこまでも広がっている。時折その隙間から、巨大な生物の群れがゆっくりと漂っているのが見えた。

 まるで空そのものが呼吸をしているような光景に、ニナは言葉を失って窓に張り付いている。

 

 浮遊するプラットフォームや採掘施設が、雲の切れ間に姿を現し始めた頃だった。

 

 コンソールの警告灯が、けたたましく点滅した。

 

「おいおいおい!?」

 

 推力の出力が唐突に落ち込む。船体がガクン、と大きく傾いだ。

 

「掴まってろ!」

 

 叫びながら、カイは操縦桿にしがみつくようにして機体を立て直しにかかる。高度計の数字が容赦なく減っていく。目的のプラットフォームまで、あと少し——もつのか、これは⁉︎

 

 減速用のスラスターを無理やり噴かせ、機体を滑らせるようにしてプラットフォームへ突っ込む。金属同士が擦れる耳障りな音と、火花。

 

 船体が跳ね、大きく揺れながら、なんとか停止した。

 

 静寂。

 

「……着いた」

 

 カイの声には、安堵と疲労がない交ぜになっていた。

 

 だが、休む間もなかった。ハッチが開くより先に、外から怒声が飛んでくる。

 

「てめえ、ふざけた操縦しやがって! 目ん玉くり抜いて浮遊プラットフォームのボルトにしちまうぞ!」

 

 工具箱を片手に駆けつけてきたのは、油まみれの作業着を着た初老の男だった。開口一番、罵声である。

 

 だが、こちらの姿を認識するなり、口調が一変した。

 

「おいおい、マンドー! 何だおい、久しぶりだな! 息子は元気か? 下の毛生えたか? ……何だおい、黙っちまって。痩せちまってよう」

 

 初老の男はそう言いながら、カイの肩を旧友のように遠慮なく叩いてくる。カイは何も言わず、ただ耐えていた。

 

「何だぁ? 口でも縫い付けられちまったかぁ? どれ脱いでみろや、診てやろか?」

 

 握っていたスパナで、こつん、とヘルメットを叩かれる。カイは反論もせず、じっと耐え続けた。ニナはその隣で、ハラハラと二人を見比べている。

 

「トリン……」ようやく、カイが低く切り出す。

「俺は、息子の方だ」

 

「はーん?」

 

 トリンはまるで気にした様子もない。

 

「おん? あのヘナチョコパンチのガキンチョか? フラップも踏まねえくせに、一丁前に図体ばっかりでかくなって、生意気にも呼び捨てか?お?……ん?親父さんどした?」

 

 ひえ、とニナが小さく喉を鳴らして固まった。

 青ざめたまま、そっとカイの表情を伺う。もちろんヘルメットの下は見えるはずもない。

 

 少しの沈黙の後、

 

「おお、いねえって事はおっ死んだか!」

 ただ純粋に、段取りの悪さを詰っているだけ。

 

「先に言えよ! 気まずいだろ、俺が!!」

 ガハハ、とトリンは笑う。悪びれる様子など欠片もない。

 

「えええ……」

 ニナはもうカイの方が怖くて見られない。

 

 しばらく手の内側では、拳を、ぐっぱっ、と握っては開いていたカイだが、ようやく口を開く。

「……………………整備を頼みたいんだが」

 感情を抑え込んだような、平坦な発音だった。ニナには、その抑えている感情すら読み取れなかった。

 

「いいけどよぉ」

 トリンはボリボリと頭をかく。

「金ぇ、あんのか? 金はよぉ。こいつぁ結構するぜ?」

 

 そして、ちらりとニナに視線を向けた。

「まさかその嬢ちゃんか? ガラボネじゃねぇか、そんなんじゃ足りねえなあ」

 

 下品に笑いながら、右手の人差し指と親指で輪っかをつくり、そこに左手の人差し指を——。

 

 すぱん!

 

 ハゲ上がった頭に、カイの平手が炸裂した。小気味いい軽快な音がドックに響き渡る。

 

「てめえ!」

 

 逆上するトリンを完全に無視して、カイはニナの手を取る。

「行くぞ、飯でも食おう」

 そのまま足早に、その場を後にした。

 

「親父、やっぱ凄えわ……」

 焦るニナの耳に、ボソリと呟く声が聞こえた気がした。

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