——そこから先の顛末は、すでに語った通りである。
酒場を出て、路地を歩きながら、カイはポーチの中の硬貨を指先だけで数えていた。ニナに気づかれないよう、さりげなく。
……少ない。
数えるまでもなく心許ないことはわかっていたが、改めて実感すると重い息が漏れた。トリンへの修理費、船の燃料、当面の食費。何か仕事を見つけて稼がなければ、到底足りない。賞金首でも、簡単な依頼でも、選り好みしている余裕はなさそうだ。
親父がいれば、こういう時こそ頼りになったんだが。
こういう時、親父ならどうしていたか。金の算段も、仕事の探し方も、あの人はいつも涼しい顔でこなしていた気がする。だが、その中身までは知らない。聞いておけばよかった、と今になって思う。
聞く術は、もうどこにもない。
そう考えて、途方に暮れかけたところで──ふと、我に返った。
考えごとに沈みすぎていた。いつの間にか、隣にいたはずのニナの姿がない。
「……は?」
——馬鹿か、俺は!
自分の愚かさに呆れながら、カイは来た道を急いで引き返す。
十歩も歩かないうちに、道端にしゃがみ込んでいるニナを見つけた。歩調を緩めもせず、気づかずに置き去りにしてしまっていたらしい。
「おい、大丈夫か……!?」
焦りと心配と、それ以上の申し訳なさが声に滲む。
ニナはその声に振り返ると、困ったような顔を浮かべた。
「あの……子供が…………」
ニナの前には、泣きじゃくる子供がいた。大きな丸い目、突き出した口、頭の上にはひょろりとしたアンテナ状の器官、肌は淡い緑色。ローディアンだ。
「どうしたの? 大丈夫?」
ニナは何度も声をかけているが、子供は泣き続けるばかりで一向に埒が明かない。
カイはニナの肩を叩いた。
「悪いが、こんなことをしてる余裕は──」
置いていくぞ、と続けるつもりだった。いつものおどおどした様子でついてくる、そう予想していた。
だが——強い視線で睨まれた。カイは思わずたじろぐ。
「置いて行くんですか? 」
「仕方ないだろ——」
「こんな小さな子を一人ぼっちで?」
「そうは言っても……」
「それに、孤児かもしれないですし」
いや、どう見ても、迷子だろ。
「もういいです」
ニナはぷいと子供の方へ向き直った。決意は立派だが、対応はあいかわらず辿々しい。カイはしばらくそれを眺めていたが、
(見てらんないな……)
痺れを切らして、ニナと入れ替わるように子供の前にしゃがみ込んだ。
——さて。親父はこんな時、どうしていたっけか。
しばし記憶を探ってから、軽く咳払いをする。
ヘルメットの下から出てきたのは、トーンの高い濁音と破裂音が混じった、奇妙な響きだった。ローディアン語で「こんにちは」を意味する言葉──頼む、これぐらいしか話せない。
拙い発音ながらも、自分たちの言葉が聞こえたことに子供が反応する。同じような音で何かを喋り返してくるが、こちらはさっぱり理解できない。
(あー、参ったな……)
「
なるべくゆっくり、優しく、明るい口調を心がける。子供はゆっくり頷き、まだ涙の残る声で答えた。
「わかる、ます」
安堵で、胸に溜まっていた息が大きく漏れる。肩の力がどっと抜けた。
「はぐれたのは、お母さん? お父さん?」
「おかあさん!」
「それじゃあ、お兄ちゃんと一緒に、お母さんを探そうか」
しゃがんだ体勢から立ち上がる。その拍子に、こちらを見上げるニナと目が合った。
表情は、驚愕とも尊敬ともつかない、不思議な色を浮かべている。
「ヘルメット脱いだら、違う人が出てきたりしませんよね……?」
出てきてたまるか。
*
昼下がりのクラウド・シティ上層、風光明媚で知られるサロウ・レイヤーは、今日も多くの観光客で賑わっている。
様々な種族が行き交うこの通りでも、マンダロリアンの姿は珍しい。
そのマンダロリアンが、子供を肩車していれば、なおさらだった。
「悪いが、この視点からじゃ人混みしか見えないな」
「なあ、あそこの露店なら覚えてるか?」
「…………お母さんをちゃんと探してるか?」
「おい! あんまりヘルメットを叩かないでくれ」
困った様子の声とは裏腹に、肩の上の子供はけらけらと楽しそうに笑っている。その後ろを、時折くすくすと笑いを漏らしながら、フードの少女がついていく。
——その光景を、物陰からじっと窺う者がいた。
しばらく様子を観察してから、その人物は音もなく身を翻し、人目につかない裏路地へと姿を消した。懐から通信機を取り出す。
「……はい、見つけました」
低く抑えた声。
「いえ、一人じゃありません。……ええ、マンダロリアンに守られています」
一拍置いて、また続ける。
「はい、マンダロリアンです。それが、間違いなく」
*
こんなことをしている場合じゃないんだが。
肩車から下ろした子供と並んで通りを歩きながら、カイは内心で何度目かのぼやきを漏らしていた。母親探しは思うように進まず、時間だけが過ぎていく。修理費、仕事探し、そして今この状況──やることは山積みなのに、何一つ前に進んでいない。
日はだいぶ傾いていた。三人は、店の並ぶ通りの端にあるベンチに腰を下ろした。
母親は、まだ見つからない。
疲れきったのか、子供はいつの間にかニナにもたれかかって寝息を立てている。ニナはその小さな頭を、優しく撫でていた。
「……腹減ったな」
思わず、本音がこぼれ出た。
「そういえば、カイさん、食事摂ってないですよね」
ニナに指摘されて、カイは軽く辺りを見渡した。
「摂ろうにも……な」
ヘルメットを人前で外すわけにはいかない。かといって、この状況で悠長に場所を探している暇もない。少し考えてから、少し離れた路地の隙間を指差した。
「すぐ戻るから、待っててくれ」
「はい。人が来ないか見てますね」
ニナが頷くのを確認してから、カイは弁当の包みを掴んで路地裏へと足を踏み入れた。
数歩進むだけで、あたりの空気が変わる。ゴミの臭いと、湿った薄暗さ。あまり褒められた場所ではないが、贅沢を言っている場合ではない。カイはヘルメットに手をかけた。
包みを開けた、その時だった。
スピーダーの走行音が、路地の入口の方から迫ってくる。
「カイさん!!」
ニナの悲鳴。争う物音。子供の泣き叫ぶ声。
弁当を放り出し、ヘルメットを被り直して路地から飛び出す。
目の前を、一台のスピーダーが走り去っていく。乗っているのは、ニナと子供——そして、昼間絡んできたはずのならず者だった。
ジェットパックを起動する。
だが返ってきたのは、力なく途切れる情けない噴射音だけだった。エネルギー切れ。
「
カイの悪態だけが、誰もいない路地に虚しく響いた。
*
酒場の扉が乱暴に開いた。
「おい」
低く、押し殺した声。店主が顔を上げると、そこには昼間見たマンダロリアンが立っていた。ただし雰囲気はまるで違う。
「あの、ならず者どもの溜まり場、知ってるか」
一歩、また一歩とカウンターに詰め寄る。
「俺が、昼間追い払った奴。知らないなら知らないでいい。だが——」
「嘘は吐くな」
声には、隠す気もない苛立ちと、切迫した危うさが滲んでいた。最悪、弾が飛んできてもおかしくない──そんな空気だった。
店主は一瞬たじろいだが、すぐに表情を落ち着けた。
実のところ、内心では感謝の方が大きかった。
ここのところ幅を利かせていたあのならず者どもを、死体一つ出さずに追い払ってくれたのは、この男だ。
それに、支払われたクレジットの額も——荒っぽい態度の割に、根は真面目なんだろう。
「落ち着けよ、兄さん」
なだめるように両手を軽く上げてから、店主は声を潜めた。
「あいつらがよくたむろしてるのは、外縁のメンテナンスプラットフォームだ。こっから一番近いとこなら人目もねえし、整備の連中もめったに近寄らねえ」
聞き終えるが早いか、カイは踵を返して扉へ向かう。
「兄さん!」
店主が硬貨を放り投げてよこした。
「相場の十倍は貰い過ぎだよ、兄さん」
カイは受け取り、少し迷ってから、同じ硬貨をカウンターに投げ返す。
「情報料だ。取っといてくれ」
それだけ言い残し、駆け出した。
——それに。
走りながら、内心で付け足す。
あの時は、ニナがいた。
だが——。
ここから先は、殺さずに済むとは言えないから。
*
クラウドシティの外縁は、中心部の賑わいが嘘のように静かだった。
代わりにあるのは、絶え間なく吹きつける強風と、眼下どこまでも広がる雲海だ。一般の観光客はまず近づかない——足場は狭く、手すりすらまともに整備されていない箇所も多い。落ちれば、それで終わりだ。
だからこそ、都合のいい連中が使う。密輸業者にとって、保安官の目が届きにくいこの外縁は、格好の荷受け場所になっていた。時折、素性の怪しい小型船が一時的に停泊しているのも、そういう理由だ。
カイは強風に煽られながら、狭い足場を駆けていく。ヘルメットのバイザー越しに、乱雑に並んだ整備用プラットフォームの群れが見えてきた。
——このどこかに、ニナと子供がいる。
バイザーの内側で、センサーが走査を始める。熱源反応がいくつか、まばらに散らばって浮かび上がった。
だが、全員がならず者とは限らない。一人ずつ確認している時間もない。
焦りを喉の奥に押し込みながら、カイは手近な反応の一つへ足を向けた。
——違う。浮浪者だ。
一度、センサーを切る。
その時、足元に何か違和感のあるものが目に入った。色とりどりの、小さな粉のようなもの。
この場所には、あまりに場違いだ。
そっと片膝をつき、指先でつまみ取る。しばらく感触を確かめてから──ヘルメットの下部の隙間に、指ごと突っ込んだ。土埃混じりのざらつきごと、構わず舐め取る。
——甘い。
ニナに渡した、あの菓子だ。
慎重に、それでいて時間をかけすぎないよう、粉の跡を目で辿っていく。
跡は、もう使われていない風力タービン保守用のアクセスシャフト──その出入り口の前で、ふつりと途切れていた。
カイは腰のブラスターを、ゆっくりと撫でた。
ヘルメットの下で、その眼光は暗く光っていた。
今度こそ、手加減はしない。
*
螺旋状の階段に、ならず者が二人、だらしなく座り込んでいた。手には酒瓶。下卑た笑い声が、シャフトの中に間延びして反響している。
何かがツボにはまったのか、ならず者の一人が手を叩いて笑い出す。そして突然立ち上がった。
否──浮いていた。宙に、ゆらりと。
もう片方は状況が飲み込めないまま、さっきまで隣で笑っていた仲間の方へ、覗き込むように近づこうとする。
その背後に、音もなく影が忍び寄っていた。
口を塞がれる。
抵抗する間もなく、首元に鋭い一線が走った。悲鳴は形にならないまま、男はその場に崩れ落ちる。
飛び散る血飛沫は、不思議なほど正確に、カイの体には一滴もかからなかった。
ウィップコードを巻き取り直す、微かな音。
宙吊りにされていた男が、階段の上に落とされる。そのまま、古びた手すりの隙間をすり抜けるようにして、闇の中へ落下していった。
首を掻き切られた男も、同じように手すりの外へ蹴り出される。
死体が通路の縁に一度ぶつかる、鈍い音。そのあと、シャフトの底──いや、底など存在しない。この街は空中に浮かんでいる。何もない虚空へと、二つの落下音が長く尾を引きながら消えていった。
奥で立哨していたつもりの男が、聞き慣れない音に違和感を覚えて腰を上げる。螺旋階段の方へ、様子を見に向かう。
階段のすぐ下まで辿り着こうとした、その時。
頭上を、何かが飛び越えた。
それが、男が最後に見た景色だった。
音のない着地。突き出されたヴァイブロブレードが、心臓を正確に貫く。男は声もなく、糸が切れたようにその場に崩れた。
そのまま虚空へと、二人の後を追わされる。
*
通路に、白煙が突如として噴き出した。
「なんだ、なんだ!?」
誰かが叫ぶ。反射的に構えたブラスターの銃口は、白く塗り潰された視界の中で行き場を失っていた。
「煙幕だ、気をつけ——!」
声を張り上げた男の言葉は、しかし途中で不自然に途切れた。誰も気に留めなかった。この状況では、誰かの声が急に消えることすら、異常だと気づく余裕がない。
「クソ、目が──」
咳き込みながら、一人が壁伝いに後退する。何かが背後を通り過ぎたような気がしたが、振り返っても何も見えない。気のせいだ、そう思い込もうとした瞬間、首筋に鋭い痛みが走り、視界が一気に暗く沈んでいった。倒れた、という自覚すら持てないまま。
「おい! お前ら返事しろ!」
誰かが怒鳴る。返事は、ない。
煙の向こうで、何かが動く気配。慌てて発砲した男の弾は、虚しく壁を穿つだけだった。
「くそったれ、どこにいる──」
言い切る前に、喉から声が消えた。
生き残った数人が、背中を合わせるようにして固まる。もはや誰が誰だか、敵がどこにいるのかすら分からない。ただ、確かなことが一つだけあった。
——一人、また一人と、仲間が消えていく。
「化け物か……!」
震える声で誰かが呟いた、その言葉が、この場の全員が抱いていた恐怖を正確に言い表していた。
煙の中、最後の一人だけは違った。
振り抜かれた刃を、その男はほとんど反射的に——おそらくは偶然に近い反応速度で、腕に着けた小手のようなもので受け止めた。甲高い金属音が、煙の中に短く響く。
男は間髪入れずにナイフを繰り出してくる。突き。狙いは正確、悪くない動きだった。
だが、それだけだった。
カイは半歩体を捌いて切っ先を逸らすと、流れるような動作で相手の腕を制し、返す刃で急所を貫いた。男は驚いたような表情のまま、声もなく崩れ落ちる。
煙が薄れていく頃、通路に立っていたのは、たった一人だけだった。
——しくったな。
薄れゆく煙の中、カイは静かに己を省みていた。
怒声、発砲音、悲鳴。予定していたよりも、ずっと騒がしくなってしまった。これで奥の敵にも異変が伝わったなら——時間との勝負が、一段と厳しくなる。
静かに、確実に。それがいつもの流儀だったはずなのに。
反省する暇はあっても、立ち止まる暇はなかった。カイは足音を殺し、奥へと急いだ。