謁見の間に足を踏み入れた瞬間、カイとニナは思わず息を呑んだ。
天井から吊るされた無数の水晶が、淡い光を反射して部屋全体を柔らかく照らしている。奥に据えられた椅子に、一人のトワイレックが座っていた。
頭部から伸びる二本のレクに沿うようにして、枝が幾重にも絡み合ったような繊細な金属細工の冠が飾られている。
露わになった肩や首筋には、樹皮を思わせるほのかな木目模様の刺青——いや、ペイントだろうか——が浮かび、まるで彼女自身が一本の木であるかのような静けさを纏っていた。
纏う衣は深緑と褐色を基調に、金の糸が細く縫い込まれ、動くたびに葉擦れにも似た微かな音を立てる。
その人物が、ゆっくりと立ち上がった。動作の一つ一つが、まるで計算されているかのように緩やかで、衣擦れの音すら静けさの一部になっている。
「——ようこそ。急な呼び出し、非礼をお許しください」
声は、枝葉を吹き抜ける風のように涼やかだった。
「私はティア=ソラ・サロウ。このサロウ・レイヤーを預かる者です」
一礼して名乗ると、ティア=ソラは自らも含め三人で腰掛けられるよう、傍らの席へゆったりと手を向けた。
「どうぞ、お座りください」
促されるまま、カイとニナが腰を下ろすのを見届けてから、ティア=ソラは静かに続けた。
「先に、あの子のことをお話ししましょう。攫われたあの子は、私の使用人の子。私にとって、使用人は皆、我が子も同然の存在です」
穏やかな声の奥に、確かな重みが滲んでいた。
「その子の身を、命がけで守っていただいた。感謝の言葉もありません」
そう言って、ティア=ソラは深く、静かに頭を下げた。
「それにしたって」
カイが口を挟んだ。
「使用人の子供にしては、敵の数が多すぎやしないか」
その言葉に、ティア=ソラはわずかに口元を緩めた。何かを見透かすような、それでいてどこか可笑しがっているような微笑みだった。
カイ自身が、その理由の一端に自分がいることにまるで気づいていない——そのことが、余計に彼女の興を誘ったのかもしれない。
「それも、無理のない話です」
静かな声が続く。
「あの伝説のマンダロリアンが、あれほど厳重にあの子を守っていたのですから。攫った者たちは、きっとこう考えたのでしょう──これほどまでに守られる子供ならば、よほど重要な人物に違いない、と」
つまり、守り方そのものが、事態を大きくしてしまった。
皮肉な話だった。
「あなたが本気で守ろうとしたことが、かえって相手の欲を煽ってしまった。そういうことです」
その言葉に、カイは一瞬、返す言葉を失った。
——俺が、守ろうとしたことで。
守り抜いたつもりでいた。だが、その守り方そのものが、事態をここまで大きくする引き金になっていた。もっと目立たないやり方があったのではないか。もっと上手くやれていたら——
ニナがあんな目に遭うことも、なかったのではないか。
自分の行動が、結果として最悪の方向に転がる材料になっていた。その事実が、じわじわと胸を締め付けてくる。
「カイさん……」
隣で、ニナが小さく声をかけた。俯きかけたカイの様子に気づいたのだろう、心配そうな眼差しがこちらを向いている。
その気配を察してか、ティア=ソラが静かに口を開いた。
「ですが」
一拍、間を置く。
「決して、無駄ではありませんでしたよ」
ティア=ソラは、そう続けた。
「実を言うと、私は以前から、あの者らに指示を出していた依頼人の正体を掴みたいと思っていました。ですが、普段は決して尻尾を出さない相手で……もどかしい思いをしておりました」
静かな声に、わずかな苦みが滲む。
「ですが今回、複数のグループがひとつのアジトに集められていた。それも、あなたという想定外の脅威に対応するためです。慌てて資金を動かし、連絡を取り合った──普段は決して残さない足取りを、こちらに残してくれました」
言葉を切り、ティア=ソラは静かにカイを見据えた。
「あなたが本気で立ち向かい、事態を大きくしてくださったからこそ、掴めたものです」
その言葉に、カイはしばらく黙り込んだ。
——結果として、悪いことばかりじゃ、なかったのか。
胸の中で渦巻いていたものが、少しだけ形を変える。それでも、割り切れるようなものではなかった。ただ、完全な無駄ではなかったという事実だけが、かすかな救いだった。
「あなたの行動がなければ、あの子もニナ様も、今頃どうなっていたか分かりません」
穏やかな声で、ティア=ソラが続けた。慰めのつもりなのだろう。だが、その言葉は、カイの中にすとんと落ちてはくれなかった。
——結果だけ見れば、そうなんだろうな。
結果だけ見れば、成功だ。ニナも子供も無事だった。依頼人に繋がる手がかりまで得られた。誰がどう見ても、上出来と言われる部類の話だろう。
だが。
もし、あの瞬間に保安部隊が間に合っていなかったら。もし、自分がもっと上手く立ち回れていたら──装備を切らさず、無駄な音を立てず、初めから一人で片付けられるだけの力があったなら。
もし、親父がいてくれたなら。
いくつもの「もし」が、頭の中で重なっては消えていく。結果が良かったことは分かっている。それでも、そこに至るまでの過程が、あまりにも綱渡りだった。運が悪ければ、今頃どうなっていたか分からないのは、こちらも同じだ。
忸怩たる思いが、胸の奥に重く沈んでいく。
態度には出さないつもりだった。それでも、そのわずかな沈黙に何かを感じ取ったのか、ティア=ソラの視線が、少しだけ長くカイに留まっていた。
沈黙が落ちた一瞬、ティア=ソラの目が、わずかに細められた。
まるで、口にしていない胸の内までも読み取ったかのような、静かな微笑みだった。実際、彼女はほんの少しだけ──カイの纏う空気の揺らぎを、感じ取っていたのかもしれない。
「あなたは、随分と厳しい方ですね。ご自分に対して」
咎めるでもなく、ただ穏やかにそう告げる。カイは何も答えなかった。答えられるようなことでもなかった。
ティア=ソラはそれ以上踏み込まず、ゆったりとした所作で椅子から立ち上がった。
「さて。感謝の気持ちを、言葉だけで終わらせるわけにはまいりません」
ティア=ソラは静かに続けた。
「船の修理費用については、こちらで持たせていただきます。工房への連絡は、既に済ませてあります」
「それは——」
断ろうとしたカイを、ティア=ソラは柔らかく制した。
「受け取っていただかなければ、私の気が済みません。それに」
一拍、間を置く。
「これは、あの子の命の対価というだけのものでもないのです」
その言い方に、カイは僅かに眉を寄せた。何か、もっと別の意味が込められているような響きだった。
「よろしければ、お二人に予言を授けたいのですが」
ティア=ソラが、静かにそう切り出した。
「結構だ」
カイは即座に、にべもなく答えた。
「そういう、まやかしの類は信じない」
その反応にも、ティア=ソラは特に気を悪くした様子もなく、むしろどこか楽しげに目を細めた。まるで、そう返されることまで最初から分かっていたかのように。
「ふふ。予想通りのお答えですね」
「私は、聞いていきます」
隣で、ニナが控えめに手を挙げた。
「せっかくですし……興味もありますから」
カイが少し驚いたようにニナを見たが、何も言わなかった。
「……なら、今のうちに」
カイは話を変えるように口を開いた。
「装備の補充がしたい。この辺りで、武器が買えるところはあるか」
「もちろんです」
ティア=ソラは微笑み、傍らの使用人に目配せする。
「必要な資金と、この地域で最も信頼できる工房への案内を。お連れして差し上げなさい」
「かしこまりました」
使用人が一礼し、カイを促す。カイは立ち上がりながら、ティア=ソラに向けて短く頭を下げた。
「……世話になった」
不器用ながらも、きちんとした礼だった。そのまま使用人と共に、部屋を後にする。
扉が閉まり、静かな謁見の間には、ティア=ソラとニナ、二人だけが残された。
無言のまま、ティア=ソラは自分の座る椅子の端に、すっと空間を空けてみせる。手招きされるままに、ニナは戸惑いながらも、恐る恐るその傍らに腰を下ろした。
「ちょっとごめんなさいね」
そう言うと、ティア=ソラの両手が、そっとニナの顔を包み込むように挟んだ。
その手つきは驚くほど優しく、それでいて有無を言わせない確かさがあった。
ゆっくりと、額と額が触れ合う。
近づいた拍子に、冠の金属細工が触れ合う微かな音がした。同時に、香木を思わせる甘く落ち着いた香りがふわりと漂う。
至近距離で見つめられる格好になり、ニナの心臓が急にうるさく鳴り始めた。
「あ、あの……」
「やっぱり……」
ティア=ソラは、額と手を離すと、からからと笑い出した。先ほどとは打って変わった気さくな雰囲気に、ニナは驚きと戸惑いを隠せない。
「あなたたち、とっても面白いわ。それに可愛い。大好き」
「えっ……あの、その……」
一頻り笑った後、ふーっと息をついて、ティア=ソラは目元を拭った。そこにはもう、先ほどまでの神秘的で妖しげな気配は残っていなかった。
どうしたらいいか分からず困った顔をするニナの両手を、ティア=ソラは優しく自分の両手で包み込む。額を合わせた時と同じ、あの体温がした。
「あの子——カイくんには、ちょっと意地悪な言葉だったかしらね。ごめんなさいね、でも反応が可愛くてつい」
くすくすと笑いながら、続ける。
「可愛い子は好きよ。幸せな結末の次に好き」
ニナの瞳を覗き込みながら告げるその言葉は真剣で、世辞や冗句の類ではないと分かった。ティア=ソラは続ける。
「私ね、娘がいるのよ。本当の娘じゃないけど。孤児だったのよ。──カイくんと同じね」
そう言って茶目っ気たっぷりのウインクをしてみせるが、ニナの疑問は拭えない。
何で、と続けかけた唇を、そっと人差し指で塞がれる。とても、長い、美しい装飾のネイル。──何で、孤児だって知ってるんですか?、とは聞けずじまいになった。
「一つ」
ティア=ソラは続ける。まるで講義のように。
「彼はマンダロリアン。……それも、教義に厳格な、そうでしょう?」
完全に飲まれてしまったニナは、頷くことしかできない。
「恐らく、チルドレン・オブ・ザ・ウォッチの子かしらね。……あら、その言葉は知らないわよね。ごめんなさい」
「カイくんの一団はね、孤児を拾って育てて仲間に加えるの」
ああ——
ニナには思い当たる節があった。
——俺たちマンダロリアンは、孤児を保護し、仲間の元へ送り届ける。
——マンダロリアンの、崇高な使命だ。
カイさんの言っていたことって、このことだったのかも。
「困っちゃうわね」
ティア=ソラは、いたずらっぽく目を細めた。
「気をつけてね。私たち占い師は、こうやって相手のことを見透かした"フリ"をするの。あなたは可愛いから、きっとすぐに騙されて危ない目にあいそう。だから、つい——ね?」
愛らしく小首を傾げる仕草。種明かしをするような、少し悪戯っぽい響きだった。
「でもね」
一転して、声の色が真剣なものに変わる。
「娘がいるのは、本当よ?」
ティア=ソラは静かに続けた。今、その娘は”たまたま”遠方へ出かけているのだという。
「今回、あの子が攫われたと知った時——もしかしたら、娘と間違われたのかもしれない、と思ったの。使用人の子ではなく、私の娘の方を狙われたのではないか、と」
そうであれば、話はまるで違ってくる。相手にしているのが単なる小悪党ではなく、もっと大きな存在を敵に回すことになるかもしれない。
だからこそ、動くより先に、確かめずにはいられなかった。
「結局、そうではなかったみたいだけれど。それを見極めるのに、時間がかかってしまったの」
静かな声に、わずかな苦さが滲んでいた。
だからこそ、真相に辿り着くまでの間、カイたちだけが先に動くことになった——そういうことなのだろう。ニナは、ようやく腑に落ちた気がした。
「本当に無事で良かった……あの子も、もちろんあなた達も」
ニナの手を握る力が、強くなる。
「ありがとう。あなたたちには、感謝してもしきれない」
その言葉が静かに宙に溶けていくのを待つように、ティア=ソラはしばらく黙っていた。
そして、ふっと表情を改める。
「さて」
たった一言で、空気の質が変わった。柔らかかった声に、わずかな厳かさが混じる。
その瞬間だった。
窓は開いていない。けれども確かに、頬をかすめるように、何かがすっと通り抜けていく感覚があった。音もなく、匂いもなく、ただ確かに何かが二人の間を横切っていった——そんな気配。
ニナは思わず、周囲を見回しそうになった。だが、部屋の空気は元のまま、静かに凪いでいる。
ティア=ソラだけが、その気配の意味を正確に受け取ったように、目を伏せたまま小さく頷いていた。
「あなたに、告げましょう」
その一言で、纏う空気が変わった。
先ほどまでの気さくで人懐こい雰囲気は、綺麗に鳴りを潜めている。目の前にいるのは、初めて謁見の間で対面した、あの神秘的な占い師——いや、それよりもなお深いところで、何か大きなものと繋がっている、一人の預言者だった。
ニナの背筋が、意識せずとも自然に伸びた。
「——逃げてはいけない」
低く、それでいてよく通る声だった。先ほどまでの砕けた口調とは、まるで別人のように厳かな響きを纏っている。
「あなたはいつか、大きな決断を前にする。その時、あなたは逃げたくなるでしょう。楽な道を選びたくなるでしょう」
ティア=ソラの瞳は、ニナを見ているようで、もっと遠くの、まだ訪れていない何かを見つめているようだった。
「けれど、覚えておきなさい」
一拍、間が置かれる。
「自分の心に従った、その決断から——逃げてはいけません」
その言葉は、ニナの胸の奥深くに、まるで刻印のように残った。
決断から、逃げない——?
しばしの静寂。
香炉の灰が落ちる、僅かな音をきっかけに、ティア=ソラは両手を「ぱん」と一つ鳴らした。
その音に、ニナはハッとして顔を上げる。
「ごめんなさい、こんな厳しい預言、怖いわよね」
申し訳なさそうにする占い師の姿は、またすっかり気さくな雰囲気に戻っていた。
「私も、悲しいことを告げるのは苦しい。悲しいことは大嫌い」
ふと、ティア=ソラは遠くへ視線を移す。その横顔には、悲しいことを今しがた見聞きしたような憂いが帯びていた。
「——この銀河には、悲しいことが多過ぎるわ」
「可愛い子たち、どうか、幸せな結末を、見せてちょうだいね」
*
自分の心に従った決断——その言葉の意味を、まだ上手く飲み込めないまま、ニナは謁見の間を後にした。