クレヨンしんちゃん×Cyberpunk: Edgerunners 嵐を呼ぶ!春日部エッジランナーズ   作:stein0630

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第二話 家族を乗せた逃走車

 

 ファルコの装甲車には、チャイルドシートがなかった。

 

「ちょっと! 赤ちゃんを乗せる車なのに、チャイルドシートもないの!?」

 

「悪いがお嬢さん、この車は赤ん坊を乗せる想定じゃない」

 

 運転席へ滑り込んだファルコが、エンジンを始動させる。

 

「ロケット弾なら二発まで耐える。子どもの安全基準については保証外だ」

 

「そんなものよりチャイルドシートを付けなさいよ!」

 

「次の改装項目に入れとくさ」

 

 みさえは文句を言いながらも、持っていた抱っこひもでひまわりを自分の胸へ固定した。

 

「ひろし、しんのすけにベルト!」

 

「分かってる!」

 

 ひろしは後部座席の床から太い固定ベルトを引っ張り出し、しんのすけの腰へ回した。一般車のシートベルトとは違い、身体を座席へ縛り付けるためのものらしい。

 

「とーちゃん、オラを荷物にする気?」

 

「いまは荷物でも何でもいい! 座ってろ!」

 

「ワレモノ注意でお願いします」

 

「シロも伏せろ!」

 

「アン!」

 

 シロはしんのすけの足元へ身体を丸めた。

 

 最後に乗り込もうとしたレベッカを、みさえが慌てて引き寄せる。

 

「あなたも早く!」

 

「うわっ、引っ張んな! アタシはここで援護すんだよ!」

 

「子どもがそんな所に立ったら危ないでしょ!」

 

「誰が子どもだ、クソババ――」

 

 レベッカはみさえの胸元に固定されたひまわりを見て、言葉を呑み込んだ。

 

「……とにかく放せ! 撃てねえだろ!」

 

 屋根の穴から、黒い人影が次々と降りてくる。

 

 アラサカの兵士たちは、着地と同時に散開した。銃口が一斉に装甲車へ向けられる。

 

『回収対象を確認。成人二、未成年二、動物一』

 

 拡声器を通した声が倉庫内へ響く。

 

『対象は無傷で確保。傭兵は排除を許可する』

 

「ほらな」

 

 レベッカが車外へ身を乗り出した。

 

「アタシらは殺していいってさ!」

 

「嬉しそうに言うこと!?」

 

「分かりやすくていいだろ!」

 

 銃声が重なった。

 

 レベッカのショットガンが火を噴き、前方の兵士を吹き飛ばす。直後、装甲車の外板を無数の弾丸が叩いた。

 

 車内にいるひろしたちへ弾は届かない。

 

 それでも、金属越しの衝撃は腹の底まで響いた。

 

 ひまわりが泣き出す。

 

「大丈夫、大丈夫だからね」

 

 みさえはひまわりの後頭部を胸へ押しつけ、耳を塞いだ。

 

 しんのすけは窓の外を見ようとしなかった。

 

 足元のシロを撫でながら、小さな声で言う。

 

「アクション仮面なら、こういうときワッハッハって出てくるんだけど」

 

「ああ」

 

 ひろしはしんのすけの肩を抱いた。

 

「でも今日は撮影がお休みみたいだな」

 

「日曜なのに?」

 

「ヒーローだって休むんだよ。たぶん」

 

「とーちゃんは日曜でも連れ出されたけどね」

 

「言うな」

 

 冗談にしては、ひろしの声はひどく震えていた。

 

 車外では、デイビッドがひとりで兵士たちの前に立っている。

 

 黄色いジャケットの背中へ、複数の照準光が集まった。

 

『デイビッド、スマートリンクを切って!』

 

 ルーシーの声が回線へ割り込む。

 

『アラサカが照準補助から侵入しようとしてる!』

 

「キーウィ!」

 

『もう妨害してる。向こうのネットランナーが二人。少しは自分でも避けて』

 

「十分だ」

 

 デイビッドの背骨が発光した。

 

 世界が赤く引き延ばされる。

 

 兵士たちの銃が火を噴いたとき、デイビッドはすでにその場から消えていた。

 

 一人目の懐へ潜り込み、銃を上へ逸らす。肘で装甲マスクを砕き、倒れる前に二人目へ身体ごとぶつける。

 

 背後から追尾弾が曲がってくる。

 

 デイビッドは振り返らずに身を沈めた。弾丸は彼を追い越し、正面にいた兵士の胸へ突き刺さる。

 

 速度が戻った瞬間、銃声と衝撃音がまとめて爆発した。

 

「ファルコ、出せ!」

 

 デイビッドの声が回線に響く。

 

「まだあいつが乗ってないぞ!」

 

 ひろしが叫んだ。

 

「だから出すんだよ!」

 

 レベッカが後部扉に片足をかけ、外へ向かって撃ち続ける。

 

「デイビッドなら追いつく! ここにいたら、アタシらまで囲まれる!」

 

 ファルコがアクセルを踏み込んだ。

 

 装甲車が鉄骨や廃材を跳ね飛ばしながら、倉庫の東門へ突進する。

 

 外から何かが後部扉を掴んだ。

 

 黒い装甲腕が隙間から入り込み、強引に扉を開こうとする。

 

「うおおおっ!」

 

 ひろしは反射的に取っ手へ飛びついた。

 

 だが、生身の腕で張り合える相手ではなかった。扉が少しずつ開き、ひろしの身体が浮き上がる。

 

「あなた!」

 

「とーちゃん!」

 

「おとなしく乗ってろ!」

 

 ひろしは歯を食いしばった。

 

 扉の隙間から、無表情な装甲マスクが覗く。

 

 銃口がひろしの腹へ向けられた。

 

「邪魔だ!」

 

 レベッカが身を滑り込ませた。

 

「耳塞いでろ、サラリーマン!」

 

「え?」

 

 ショットガンが至近距離で炸裂した。

 

 装甲腕の兵士が車外へ消える。扉が閉まり、その反動でひろしとレベッカは車内へ転がった。

 

「痛てて……」

 

「ったく、ガニックがクロームと力比べしてんじゃねえよ。腕ごと持ってかれるぞ」

 

「俺だって好きでやったんじゃない!」

 

「でも逃げなかったじゃん」

 

「家族が後ろにいたんだよ!」

 

 レベッカは起き上がりながら、ひろしを横目で見た。

 

「ふうん」

 

「何だよ」

 

「別に」

 

 装甲車が門を突き破り、夜の幹線道路へ飛び出した。

 

 頭上では、二機のAVが旋回している。

 

『追跡機、来る!』

 

 ルーシーの警告と同時に、車体が大きく揺れた。

 

 一機のAVが道路すれすれまで降下し、装甲車の側面へ体当たりしたのだ。

 

 みさえたちの身体が横へ投げ出される。

 

「しんのすけ!」

 

「ベルトしてるゾ!」

 

「ならいい!」

 

「オラへの心配、終わるの早くない?」

 

 ファルコは車体を立て直し、対向車線へ突っ込んだ。

 

 無人配送トラックが急停止する。荷台から色鮮やかな包装食品が道路へ散乱した。

 

「どいてくれよ、チューマ!」

 

 ファルコがハンドルを切る。

 

 巨大なタイヤが歩道へ乗り上げた。ホログラム広告の支柱をなぎ倒し、そのまま路地へ突入する。

 

 窓の外を、ナイトシティが流れていく。

 

 けばけばしい照明に照らされた屋台。

 

 身体の半分以上を機械へ置き換えた男。

 

 路上で動かなくなった人間の隣を、誰も足を止めずに歩いている。

 

 燃えている車の上では、巨大な企業広告が笑顔で医療保険を勧めていた。

 

 ひろしは、しんのすけの頭を抱き寄せた。

 

「見るな」

 

「さっきも言ってたけど、どこを見てもだいたい同じだゾ」

 

「だから見るなって言ってるんだ」

 

「とーちゃんは見ていいの?」

 

「俺は……父ちゃんだからな」

 

 答えになっていなかった。

 

 しんのすけはそれを指摘せず、ひろしのシャツを掴んだ。

 

『次の交差点を左』

 

 キーウィが指示する。

 

『その先の交通網を落とした。自動運転車が止まるまで十五秒』

 

「了解」

 

『待って、左はダメ』

 

 ルーシーが割り込んだ。

 

『アラサカが先回りしてる。右の高架下へ。そこならAVは高度を下げられない』

 

『私のスキャンには何も出てないけど』

 

『だから待ち伏せなの』

 

 一拍置いて、キーウィが答える。

 

『……右よ、ファルコ』

 

 ファルコは迷わずハンドルを右へ切った。

 

 直後、左側の道路へ対車両用バリケードがせり上がる。物陰に伏せていた兵士たちが一斉に姿を現した。

 

「助かったぜ、ルーシー」

 

『まだ。後ろの一機がついてきてる』

 

 シロが突然、後部座席へ向かって吠えた。

 

「アン! アンッ!」

 

「どうした、シロ」

 

 しんのすけが覗き込む。

 

 装甲板の継ぎ目に、針ほどの赤い光が点滅していた。

 

「何か光ってるゾ」

 

 レベッカの顔色が変わる。

 

「伏せろ!」

 

 彼女はしんのすけの襟首を掴み、床へ引き倒した。

 

 同時に赤い光が車内へ細い走査線を放つ。

 

「追跡ダートだ!」

 

 レベッカが銃床で装甲板を殴る。

 

「外側から刺さってやがる!」

 

『破壊しないで。発信が途絶えた位置を調べられる』

 

 ルーシーが言った。

 

『信号を複製する。十秒ちょうだい』

 

「その十秒で追いつかれるぞ!」

 

『デイビッドがいる』

 

「どこに――」

 

 AVの上部で爆発が起きた。

 

 赤い残光とともに、デイビッドが追跡機の機体へ着地している。

 

 腕に内蔵された発射装置から、二発目の弾頭が飛び出す。AVの推進器が吹き飛び、機体が大きく傾いた。

 

 デイビッドは墜落する直前に跳躍した。

 

 装甲車の屋根が轟音とともにへこむ。

 

「うわっ、何!?」

 

「デイビッドだ!」

 

 レベッカが天井を叩く。

 

「屋根壊すんじゃねえ!」

 

 返事の代わりに、後部扉が開いた。

 

 デイビッドが車内へ転がり込む。ファルコは速度を落とさなかった。

 

 その鼻から、細い血の筋が流れている。

 

「お兄さん、鼻血」

 

 しんのすけが言った。

 

「平気だ」

 

「オラもチョコビ食べすぎると、たまに出るゾ」

 

「関係ない」

 

「じゃあ、きれいなおねいさんを見すぎた?」

 

「しんのすけ!」

 

 みさえの拳が飛ぶ前に、装甲車が急降下した。

 

 高架下の保守用トンネルへ入り込み、外の光が途絶える。

 

『複製完了』

 

 ルーシーの声が響く。

 

『ダートの信号を、さっきの配送トラックへ移した。追跡機はそっちを追ってる』

 

 後部装甲板の赤い点滅が消えた。

 

 しばらくして、AVの飛行音も遠ざかっていく。

 

 誰もすぐには口を開かなかった。

 

 聞こえるのは、装甲車のエンジン音と、ひまわりのすすり泣きだけだった。

 

 デイビッドは血を拭い、壁へ背中を預けた。

 

「キーウィ、ここから先のカメラは?」

 

『死んでる。正確には、三年前から修理されてない』

 

「追跡は切れたか」

 

『いまのところは』

 

 ファルコがバックミラー越しにデイビッドを見る。

 

「行き先は?」

 

「ランチョのセーフハウス」

 

『あそこを使うの?』

 

 キーウィが聞いた。

 

「俺の家には連れていけない。アラサカが何を追ってるか分からない」

 

『懸命ね』

 

 ルーシーの声が少しだけ柔らかくなった。

 

「ルーシーも来られるか」

 

 回線の向こうで、沈黙が落ちた。

 

『……データを直接見たい。裏口から行く』

 

 通信が切れる。

 

 レベッカはデイビッドの横顔を見たが、何も言わなかった。

 

     *

 

 セーフハウスは、閉店したコインランドリーの地下にあった。

 

 地上の看板は半分落ち、残った文字が青白く明滅している。ファルコは建物裏の貨物用昇降機へ装甲車を乗せ、そのまま地下へ下りた。

 

 厚い扉が閉まり、外界の音が遮断される。

 

「着いたぞ」

 

「ここが安全なの?」

 

 みさえが薄暗い室内を見回した。

 

 壁には銃や弾薬が並び、中央のテーブルには分解途中の武器が置かれている。隅には古いソファと簡易キッチンがあった。

 

「さっきの倉庫よりはな」

 

 レベッカが答える。

 

「比較対象が低すぎるわよ」

 

「注文多いな、アンタ」

 

「赤ちゃんがいるんだから当然でしょ。お湯は出る?」

 

「銃撃された直後に最初に聞くことがそれかよ」

 

「ミルクを作るの!」

 

 みさえはテーブルへ近づき、置かれていた拳銃を指差した。

 

「これ、どけて」

 

「は?」

 

「ひまのオムツを替えるから。早く」

 

「ここは武器の整備台だぞ!」

 

「いまからオムツ交換台よ」

 

 レベッカとみさえが睨み合う。

 

 先に折れたのはレベッカだった。

 

「チッ。デイビッド、そっち持て」

 

「俺が?」

 

「アンタが連れてきた家族だろ!」

 

 デイビッドは何も言わず、テーブルの上の銃をまとめて箱へ移した。

 

 ファルコは帽子のつばを下げ、壁の方を向く。

 

「終わったら教えてくれ、お嬢さん」

 

「あら、あなたは気が利くのね」

 

「長く生きるには、見なくていいものを見ないことさ」

 

 ひろしは腕にできた切り傷を確かめていた。倉庫を出る際、飛び散った金属片で切ったらしい。

 

「あなた、血が出てるじゃない!」

 

「こんなの、かすり傷だよ」

 

「見せなさい!」

 

「だから平気だって――痛い痛い! そこ押すな!」

 

 みさえが傷口へ消毒用のウェットシートを押し当てる。

 

「ケガしてるなら早く言いなさいよ!」

 

「言う暇があったか!?」

 

「バイ菌が入ったらどうするの!」

 

「銃弾が飛んでるときに、バイ菌の心配までできるか!」

 

「オラもお腹すいた」

 

 しんのすけが割って入った。

 

「いま、その話してないでしょ」

 

「お腹は話が終わるまで待ってくれませんな」

 

 レベッカが棚から包装された棒状の食品を投げる。

 

「ほら。食えるぞ」

 

 しんのすけは受け取り、袋の匂いを嗅いだ。

 

「これは?」

 

「プロテイン入り合成食品」

 

「お菓子?」

 

「味は保証しねえ」

 

 ひと口齧ったしんのすけの動きが止まった。

 

「……粘土?」

 

「だろ?」

 

 レベッカが笑う。

 

「食べ物を無駄にしない!」

 

 みさえに叱られ、しんのすけは渋い顔で二口目を齧った。

 

「未来の人は、これを食べてまで長生きしたいの?」

 

「長生きできるとは言ってねえよ」

 

 レベッカが答えた。

 

 その言葉に、ひろしが顔を上げる。

 

 レベッカはもう笑っていなかった。

 

 みさえはしんのすけから合成食品を半分受け取り、自分で味を確かめた。

 

「……本当に粘土みたい」

 

「かーちゃんも食べ物を悪く言った」

 

「これは感想よ」

 

 残りをひろしへ渡す。

 

「あなたも食べる?」

 

「いや、俺はいい」

 

「次いつ食べられるか分からないでしょ」

 

「じゃあ少し」

 

 ひろしが齧り、顔をしかめる。

 

 しんのすけがそれを見て、少しだけ笑った。

 

 ひまわりのオムツを替え、ミルクを飲ませ終えるころには、銃声の余韻も遠くなっていた。

 

 だが、状況は何も好転していない。

 

 テーブルの中央に、銀色の翻訳端末が置かれた。今後はそれを介し、全員の言葉が日本語として聞こえる。

 

 ひろしとみさえはソファへ並んで座った。しんのすけは二人の間。ひまわりはみさえの膝。シロはその足元から離れない。

 

 向かい側には、デイビッドとレベッカ。

 

 ファルコは入口近くの椅子に座り、帽子を脱いだ。

 

「まず確認したい」

 

 ひろしが言った。

 

「あなたたちは何者なんだ」

 

「エッジランナー」

 

 デイビッドが答える。

 

「道路の端っこを走る人?」

 

 しんのすけが首を傾げる。

 

「違う。金をもらって、企業やギャング相手の仕事をする」

 

「警察みたいなものか?」

 

「正反対」

 

「じゃあ犯罪者じゃない!」

 

 みさえが声を上げた。

 

「否定はしない」

 

「否定しなさいよ、そこは!」

 

「嘘をついても仕方ない」

 

 みさえは言葉を失った。

 

 ひろしが慎重に尋ねる。

 

「さっきの連中は?」

 

「最初にいたのはスカヴ。人間を襲って、クロームや臓器を売る。後から来たのはアラサカの企業兵」

 

「アラサカってのは、会社なのか」

 

「世界でも最大級の企業だ」

 

 ファルコが答えた。

 

「銀行、警備、兵器、ネット、サイバーウェア。国より力を持ってると思った方が早い」

 

「そんな会社、聞いたこともないぞ」

 

「だから、あんたたちの話が本当なら妙なんだ」

 

 ひろしは顔を覆った。

 

「頭がおかしくなりそうだ……」

 

「私だってそうよ」

 

 みさえが言う。

 

「でも、考えるのをやめたって帰れないでしょ」

 

「帰る方法があるのか?」

 

 デイビッドは答えなかった。

 

 その沈黙が、答えだった。

 

「俺たちを助けて、これからどうするつもりなんだ」

 

「調べる」

 

「分からなかったら?」

 

「そのとき考える」

 

「ずいぶん無責任だな」

 

 ひろしの声が強くなった。

 

「俺たちには帰る家があるんだ。仕事だってある。しんのすけには幼稚園があるし、ひまはまだ赤ん坊だ。いきなり五十年後だか外国だかに連れてこられて、そのとき考えるじゃ困るんだよ!」

 

「とーちゃん」

 

 しんのすけがひろしの袖を引いた。

 

 デイビッドは怒らなかった。

 

「俺が連れてきたんじゃない」

 

「分かってる!」

 

「でも、あそこに置いてくることはできなかった」

 

 ひろしは口を閉じた。

 

 倉庫で、自分の前へ立った黄色い背中を思い出す。

 

「……そうだな」

 

 ひろしは両膝へ肘をついた。

 

「悪かった。助けてもらったのに」

 

「別に」

 

「デイビッドはそういう奴なんだよ」

 

 レベッカが壁へ寄りかかる。

 

「ヤバいもん拾って、あとからどうにかすりゃいいって思ってんの。昔っからな」

 

「うるさい」

 

「今回は家族まるごとだぞ。犬付き。新記録じゃん」

 

「オラ、拾われたの?」

 

 しんのすけがデイビッドを見る。

 

「捨てた覚えはないけど」

 

「捨てません!」

 

 みさえが即座に否定した。

 

「そういえば」

 

 レベッカがひろしの名刺を指で弾いた。

 

「普通の会社員って言ってたよな。毎日何してんだ?」

 

「営業だよ。取引先を回ったり、見積もりを作ったり、上司に怒られたり」

 

「銃は?」

 

「持たない」

 

「護衛は?」

 

「いない」

 

「そんなので、よく毎日帰ってこられるな」

 

「普通は帰ってくるんだよ」

 

 ひろしは少し考えた。

 

「終電を逃すことはあるけど」

 

「それは帰ってきたって言わないわよ」

 

 みさえが睨む。

 

「その話は今しなくてもいいだろ」

 

「家は持ち家?」

 

 ファルコが尋ねた。

 

「ああ。まだローンがある」

 

「どのくらいだ」

 

「残り三十四年」

 

「三十四年!?」

 

 レベッカが目を見開いた。

 

「三十四年も先まで払うつもりで家買ったのかよ」

 

「買うときは三十五年だったわよ」

 

「増やすな、みさえ!」

 

「だって事実でしょ」

 

 レベッカは信じられないという顔で二人を見た。

 

「三十五年後まで生きてる前提かよ」

 

 ひろしは答えに困った。

 

 みさえが代わりに言う。

 

「そりゃ、そのつもりで買うでしょ。途中で死ぬつもりで家なんか買わないわよ」

 

「ガキがいるから?」

 

「子どももいるし、シロもいるし。家族で住むためよ」

 

 みさえにとっては、説明するほどのことでもないらしかった。

 

 レベッカは何も言わず、目を逸らした。

 

 デイビッドも黙っていた。

 

 三十五年。

 

 そんな長さを、自分の人生として考えたことはなかった。

 

 明日の仕事。

 

 次の報酬。

 

 次に入れるクローム。

 

 ルーシーを月へ送るための金。

 

 未来とは、いつも誰かから受け取った夢の先にあった。

 

 自分が三十五年後にどこで何をしているかなど、想像しようとしたこともない。

 

「デイビッド」

 

 ひろしの声で、思考が途切れた。

 

「その身体は……サイバーウェアってやつなのか」

 

「そうだ」

 

「自分で選んだのか?」

 

 デイビッドの眉が、わずかに動いた。

 

「必要だった」

 

「そうか」

 

 ひろしはそれ以上聞かなかった。

 

 否定も、説教もしなかった。

 

 ただ、デイビッドの震えが止まった右手を一度見てから、しんのすけの乱れた髪を直した。

 

 地下入口のランプが三度、短く点滅した。

 

 全員の視線が扉へ向く。

 

「合図は合ってる」

 

 デイビッドが立ち上がった。

 

 扉を細く開ける。

 

 白い髪の女が、フードを深く被って立っていた。

 

 ルーシーは室内へ入ると、まず入口を閉め、次に銃の位置を確認し、最後に野原一家を見た。

 

 青紫の瞳が、ひろし、みさえ、しんのすけ、ひまわり、シロの順に動く。

 

「本当に家族」

 

「言っただろ」

 

「あなたの説明だけじゃ、五割は疑う」

 

「残りの五割は?」

 

「家族を拾うなら、あなたらしいと思った」

 

 レベッカが鼻を鳴らした。

 

「はいはい。再会の挨拶はあとにしてくれ」

 

 ルーシーはレベッカを一瞥し、デイビッドの鼻元に残った血へ目を止めた。

 

「何回使ったの」

 

「三回」

 

「四回」

 

「最後は追いつくために必要だった」

 

「回数を聞いた。理由は聞いてない」

 

「まだ平気だ」

 

「それも聞いてない」

 

 二人の間に、短い沈黙が落ちる。

 

 みさえはそのやり取りをじっと見ていたが、口は挟まなかった。

 

「おお」

 

 しんのすけがソファから降りる。

 

「白い髪のきれいなおねいさーん」

 

 ルーシーの右手が反射的に腰へ動いた。

 

 みさえがしんのすけの襟を掴み、引き戻す。

 

「いきなり近づかない!」

 

「ご挨拶しようとしただけなのに」

 

「この街では、その母親の方が正しい」

 

 ルーシーは警戒を解かなかった。

 

「名前は?」

 

「野原しんのすけ。五歳です。おねいさんは、デイビッドお兄さんの恋人?」

 

 デイビッドが咳き込んだ。

 

 レベッカの眉が吊り上がる。

 

 ルーシーだけは、表情をほとんど変えなかった。

 

「どうしてそう思ったの」

 

「お話しするとき、お顔は怒ってたけど、おめめは心配してたから」

 

 今度こそ、ルーシーは言葉に詰まった。

 

「しんのすけ、余計なこと言わないの!」

 

「余計かどうかは、おねいさんが決めることですな」

 

「黙りなさい!」

 

 ルーシーは視線を逸らし、テーブルへ向かった。

 

「端末を見せて」

 

 ひろしが携帯電話を差し出す。

 

 ルーシーは直接触れず、透明なシートの上へ置かせた。

 

「ずいぶん古い型ね」

 

「買って一年も経ってないぞ」

 

「私たちの基準では、ネットに接続できない骨董品」

 

 ルーシーの指先から細いケーブルが伸びる。だが、端末へ挿すことはせず、非接触の走査機をかざした。

 

 キーウィの映像が壁のモニターへ現れる。口元を覆うフェイスプレートの向こうから、冷静な目がデータを追っていた。

 

『端末の内部時計は進んでる。午前十一時四十七分』

 

「こっちは夜なのに?」

 

 みさえが尋ねる。

 

「時差でしょ」

 

 ひろしが言う。

 

「そういう問題じゃない」

 

 ルーシーが画面を拡大した。

 

「通信規格、地図、通貨、企業名。どれも、私たちの二〇二六年と一致しない」

 

「五十年前なら、違って当然じゃないのか?」

 

「違いすぎる」

 

 ルーシーは、ひろしの名刺を隣へ置いた。

 

「私たちの歴史では、二〇二六年の時点でアラサカは世界中に拠点を持ってた。日本に住んでいて、名前さえ知らないなんてあり得ない」

 

「本当に知らないわよ」

 

「この端末が使ってるネットも、私たちの世界では成立してない。通ってきた歴史そのものが違う」

 

 ひろしは理解できず、黙り込んだ。

 

 みさえが慎重に聞く。

 

「つまり、どういうこと?」

 

 ルーシーは五人を見た。

 

「あなたたちは、私たちの五十年前から来たんじゃない」

 

 しんのすけが首を傾げる。

 

「じゃあ、どこから来たの?」

 

「別の二〇二六年」

 

 地下室の機械音だけが聞こえた。

 

「歴史の違う、別の世界」

 

「そんなの……」

 

 みさえがひまわりを抱く手に力を込める。

 

「そんなの、もっと意味分かんないじゃない」

 

「私にも分からない。物質を別の世界へ移す技術なんて、少なくとも公には存在しない」

 

「帰れるのか?」

 

 ひろしが尋ねる。

 

 ルーシーは安易に頷かなかった。

 

「分からない」

 

「でも、あの箱は俺たちをここへ――」

 

「だから、経路は存在する。ただし、装置はアラサカに回収された。残っているのは、キーウィが抜いた断片と、この端末だけ」

 

「なら、調べて」

 

 みさえが言った。

 

「危険よ」

 

「もう十分危険な目に遭ってるわ」

 

「深く触れば、アラサカに見つかるかもしれない」

 

「でも、私たちには他に頼れる人がいないの」

 

 ルーシーは、みさえを見つめた。

 

 怯えているはずなのに、目を逸らさない。

 

 膝では赤ん坊が眠り、右手は息子の肩に置かれている。夫はその隣で、何もできない自分を責めるように拳を握っていた。

 

 シロまでが、家族の足元でルーシーを見上げている。

 

 ひとつの塊のようだった。

 

「今夜だけ」

 

 ルーシーが言った。

 

「オフラインで調べる。帰れるとは約束しない」

 

「それでいいわ」

 

「よくねえよ」

 

 ひろしが小さく言う。

 

「帰れなきゃ困る」

 

「あなた!」

 

「でも、調べてもらうしかない。お願いします」

 

 ひろしは頭を下げた。

 

 ルーシーは答える代わりに、携帯電話の走査を再開した。

 

 突然、端末が震えた。

 

 全員が動きを止める。

 

 黒かった画面に、着信表示が浮かんでいる。

 

 電話番号は表示されていなかった。

 

 代わりに、日本語で一行だけ書かれていた。

 

 発信地域――埼玉県春日部市。

 

「春日部……」

 

 ひろしが端末を掴もうとする。

 

「待って」

 

 ルーシーが手首を押さえた。

 

「この端末は、こっちの通信網には繋がってない」

 

「じゃあ、これ何なのよ」

 

「分からないから待って」

 

 着信音が鳴り続ける。

 

 野原家で聞き慣れた、ごく普通の電子音だった。

 

「切れちゃう!」

 

 みさえが言う。

 

「向こうからかもしれないのよ!」

 

「罠かもしれない」

 

「それでも出る」

 

 ひろしはルーシーの手を外した。

 

「俺たちの世界からなら、これが最初で最後かもしれない」

 

 ルーシーは数秒考え、端末を銀色の遮蔽ケースへ入れた。

 

「スピーカーにして。十秒で切る」

 

 ひろしが通話ボタンを押す。

 

「もしもし!」

 

 激しい雑音。

 

 遠くで誰かが叫んでいる。

 

『――らさん……野原さん!?』

 

 ひろしとみさえが同時に立ち上がった。

 

「あのときの係員さん?」

 

『聞こえますか! 未来防災フェアの佐伯です! いま、どこにいるんですか!?』

 

「春日部なんですか!」

 

『春日部です! 扉を開けたら、中が別の部屋に変わっていて……警察も消防も来ています! 野原さんたちはどこに――』

 

「ナイトシティ」

 

 しんのすけが電話へ顔を寄せる。

 

「五十年後の外国だゾ」

 

『え?』

 

「しんのすけ、ちょっと黙って!」

 

「そっちの日付は!」

 

 ひろしが叫んだ。

 

「何年何月何日ですか!」

 

『二〇二六年八月九日です! 何を言って――』

 

 通信に別の音が混じった。

 

 低い機械音。

 

 ルーシーの瞳が細くなる。

 

「切って」

 

「まだだ!」

 

「誰かが回線へ入った」

 

 係員の声が途切れ、代わりに感情のない日本語が流れた。

 

『基準世帯、四名および伴侶動物一頭との双方向接続を確認』

 

 携帯電話の画面に、赤い三つ又の紋章が浮かぶ。

 

『帰還経路の再構成を開始します』

 

「帰還……?」

 

 みさえが息を呑んだ。

 

『次回同期窓を算出』

 

 画面が切り替わる。

 

 七十一時間五十九分五十九秒。

 

 数字が一秒ずつ減り始めた。

 

「三日後」

 

 デイビッドが呟く。

 

 電話の向こうで、係員が必死に何かを叫んでいる。

 

 その背後から、別の声が聞こえた。

 

 英語だった。

 

 ルーシーとキーウィの表情が同時に変わる。

 

『接続経路を捕捉。回収対象の現在座標を照合する』

 

 ルーシーは携帯電話から電池を引き抜いた。

 

 それでも画面は消えなかった。

 

 赤い紋章と、減り続ける数字だけが残っている。

 

「いまのも、アラサカ?」

 

 ひろしが聞いた。

 

「ええ」

 

 ルーシーは端末を見つめたまま答えた。

 

「帰る道があることを、向こうも知った」

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