あかねのたいよう   作:かぜのこ

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第1回:『あかねさんは告白されたい』

 

 私の原点には、いつも彼がいた。

 まばゆい照明の熱、大人の怒号、カメラの冷たいレンズ。初めて掴み取った地上波ドラマ、朝のテレビ小説という大舞台の中、セリフが数行だけある小さな役。当時七歳だった私は、プロの現場の重圧に押し潰され、恐怖で声が出なくなってしまった。

 張り詰めた空気の中、張り裂けそうな私の心を救ったのは、共演者の男の子が放った、台本にはない突飛なアドリブだった。

「なんだよお前、変な顔! お腹空いてんのか? ほら、俺のおやつ分けてやるよ!」

 大人の顔色なんて一ミリも気にしていない、弾けるような太陽の笑顔。私を見つめる山吹色の瞳にはたくさんのキラキラとした星が輝いていた。つられて私の口からこぼれた言葉が、奇跡的に監督の心を捉え、私の出番はどんどん増えていった。

 彼は、芸能界で培ったいろいろな技術や経験を私に惜しみなく与えてくれて、その教えは今でも私の中に息づいている。

 ――演技って、こんなに自由で、温かいものなんだ。

 それが私の役者としての夜明けであり、同時に、淡く強烈な初恋の始まりだった。

 けれど、太陽は突然、雲の向こうへと隠れてしまった。彼が芸能界を去ったのは、それから間もなくのこと。

 二度と会えないと思っていた彼と再会したのは、私が中学二年生の時だ。劇団ララライの楽屋に、彼は「よお、あかね! 大きくなったな!」と、昔と変わらない笑顔でフラリと現れた。

 そして、驚く私に唐突に言ったのだ。

「俺、やっぱりあかねのことが好きだ。付き合ってくれ!」

 あまりに突然のことに、私の頭は真っ白になった。

 ずっと探していた。ずっと背中を追いかけていた。なのに、勝手に行き先を変えて、勝手に目の前に現れて、そんな簡単に『好き』だなんて言わないで。また明日から、私の手の届かないところへ行ってしまうかもしれないのに、はいなんて言えるわけがない――!

 押し寄せた寂しさと怒りの勢いのまま、私は彼をキツい言葉で振ってしまった。塩対応、というやつだ。

 すると、彼は「あ、やっぱ芸能界引退した奴とか、急にフラッと来た男は迷惑だったかー! じゃあ、良い友達からやり直そうぜ!」と、これまた太陽らしくサッパリと身を引いてしまったのだ。

 違うの。そういう意味じゃなくて。もっと必死に追いかけてきてよ、バカ――。

 あの日から三年。高校生になった私たちはいまだに、友達以上恋人未満の、奇妙にねじれた距離感を保ち続けている。

 

  ☆ ★ ☆

 

 五月の快晴。雲一つない青空から、容赦のない初夏の日差しが降り注いでいる。

 都内の私立高校。芸能活動への理解があり、出欠の融通が利くこの学校の屋上へと続く階段を、黒川(くろかわ)(あかね)は一段ずつ上っていた。

 手には、少し大きめのトートバッグ。その中には、保温機能のついた真新しいスープジャーと、二人分のお弁当箱が入っている。

 重い鉄扉を引いて屋上へ出ると、吹き抜ける風が彼女の青みがかった髪を揺らした。

 視線の先、いつもの特等席である古びたベンチに、一人の男子生徒が仰向けに寝転がっている。あかねよりも二十センチ以上も高い百八十六センチの長身、アッシュグレーのウルフカットが風邪に揺れている。制服のネクタイを緩め、ブレザーを枕代わりに頭の下に敷いたその姿は、まるで猫の昼寝のようだ。

 日野(ひの)晴人(ハルト)。あかねの初恋の相手であり、現在のただの同級生だ。

 あかねは足音を忍ばせて彼に近づいた。ハルトの耳には白いワイヤレスイヤホンが差し込まれており、その隙間から、シャカシャカと微かな音漏れが聞こえてくる。

『〜誰もが目を奪われてく♪君は最強で究極のアイドル♪』

 独特のアップテンポなリズム。どこか狂気を孕んだ、強烈な電子音のイントロ。

(また、あの曲……)

 あかねは呆れたような、それでいて愛おしさを隠せない笑みを浮かべ、ハルトの顔を覗き込んだ。整った顔立ちが、木漏れ日のような日差しを浴びて輝いている。彼女はそっと手を伸ばし、ハルトの左耳からイヤホンを外した。

「ん……?」

 遮断されていた世界の音が戻ってきたように、ハルトがゆっくりと瞼を持ち上げる。突き抜けるように澄んだ、ひまわりの瞳があかねを捉えた。

「あ、あかねじゃん。おはよ」

「もうお昼だよ、日野くん。また授業サボって寝てたでしょ」

 あかねはわざとツンとした声を出し、ベンチの端に腰掛けた。ハルトは大きなあくびをしながら、がばりと上半身を起こす。

「サボりじゃねーよ、自主的休講。それよりさ、今俺の耳から至高の芸術を奪い去っただろ」

「至高の芸術って、あのボカロ曲のこと? 毎日毎日、飽きないの?」

「飽きるわけねーだろ! 『ソレイユP』の『()()()()』だぞ? 動画の再生数も一億超えてるネットの神話だ。お前も聴くか?」

 ハルトは外されたイヤホンをあかねに差し出し、ニカッと笑った。

 およそ八年前に発表された『アイドル』。非業の死を遂げたとあるアイドルへの哀悼の念を込め、彼女をモチーフに作詞作曲した正体不明のコンポーザー、『ソレイユ』の代表曲だ。

  〝完璧で究極のアイドル〟としての輝きと、その裏に隠された生々しい感情や嘘、狂気的なまでの愛を表現し、 アイドルポップ、ラップ、EDM、宗教曲のような合唱パート目まぐるしく展開するジャンルレスな構成でリリースから八年の歳月が経った今なお広く親しまれる名曲である。

 彼女――『B小町』の『アイ』の命日である十二月二十五日には、毎年のようにREMIX版やMVなどが発表され、まるでその一番星の輝きを世界が忘れさせないためにしているかのようだ。

「いいよ。私は日野くんほどネット動画に詳しくないし」

「もったいねーな。この曲の〝完璧な嘘〟の描き方、役者のお前なら絶対刺さると思うんだけどなー。あーあ、ソレイユマジ天才。爪の垢を煎じて飲みたいわ」

 このマイペースで朗らかな少年が、僅か四歳で芸能界にデビューし、またたく間に業界を席巻した〝元天才子役〟()()()()()だと誰が想像するだろうか。

 出演した作品は全て大ヒット。特に、あかねと出会った朝のテレビ小説『ひまわりの日』は、平均視聴率15.5%という近年では驚異的な数字を叩き出した。

 しかし、ハルトは八歳で突如として芸能活動を引退、表舞台から姿を消したのだった。

「そんなことより」

 あかねは不安を振り払うように、トートバッグからプラスチックのお弁当箱と、ずっしりとしたスープジャーを取り出した。

「お弁当、今日も多めに作っちゃったんだけど……日野くん、食べる?」

 上目遣いで、なるべく無造作を装って差し出す。心臓が、衣服の上からでも分かりそうなくらいトクトクと脈打っていた。

「おっ、マジで!? 食べる食べる! あかねの弁当、いつもうめーからなー! 悪いな、毎日食わしてもらって」

「いいよ。本当に、作りすぎちゃっただけだから」

(なんで毎日毎日作りすぎちゃうのに、一ミリも不自然に思わないのよ、この朴念仁――!)

 あかねは心の中で叫び、自分の火照る両頬を隠すように顔を背けた。

 「作りすぎた」というのは、当然口実だ。あかねは毎朝、ハルトの好物や栄養バランスを徹底的に計算し、彼のために二人分の弁当を作っている。それは、天才プロファイラーとしての能力を完全に私物化した、彼女なりの全力のアプローチだった。

 なのに、この太陽のような男は、彼女の激重な好意を親切な友達の善意として100%きれいに受け取ってしまう。

(でも……そういう、裏表がなくて、真っ直ぐなところがスキなんだけど……)

 素直になれない自分への苛立ちと、彼への愛おしさが胸の中でごちゃ混ぜになり、あかねはきゅっと唇を噛んだ。

「うわ、今日、豚汁じゃん! 汁物まであるとか、最高かよ!」

 スープジャーの蓋を開けたハルトが、立ち上る湯気に目を輝かせる。スプーンで一口啜ると、彼は「はふーっ」と幸せそうな吐息を漏らした。

「まじで染みるわ……。この絶妙な味噌の濃さと、野菜の甘みのバランス。あかねさ、これ出汁の引き算が天才的だろ。まじで結婚してくれ!」

「けっ、結婚――!?」

 ハルトが唐突に放った、他意のない「結婚してくれ」というフレーズ。その瞬間、あかねの脳内処理能力は完全にフリーズした。

 視界が急速に赤く染まり、耳の奥でゴーンと鐘が鳴ったような錯覚に陥る。

「な、何言ってるのよ、バカ! 早く食べてよ、冷めちゃうから!」

 あかねは真っ赤になった顔を隠すように、ハルトの口におかずの玉子焼きを無理やり押し込んだ。

「んぐっ!? おふ、ふはひ……(美味い)」

 もぐもぐと口を動かしながら、ハルトはやっぱり嬉しそうに笑っている。

 その笑顔を見るだけで、胸の奥がキュンと締め付けられるように痛む。あかねにとって、この屋上の静かな空間だけが、劇団での重圧や、芸能界という〝嘘〟の世界から解放される唯一の聖域だった。

 

  ☆ ★ ☆

 

 放課後。夕日が校舎をオレンジ色に染める頃、あかねとハルトは並んで駅までの道を歩いていた。

「ねえ、日野くん。そういえば……有馬さんの最新の舞台、チェックした?」

 あかねが学生鞄の紐を強く握りしめながら、隣のハルトを見上げた。

「有馬かな? あー、観た観た。相変わらずあいつ、周りの役者に合わせて自分の出力を抑えるような、器用で窮屈な芝居してんなぁ」

 ハルトは首の後ろで手を組みながら、どこか懐かしむように、そして少しだけ歯痒そうに呟いた。

 あかねにとって有馬かなは、同い年の〝天才子役〟として、かつて遠い雲の上の存在だった憧れの人だ。劇団ララライに入った今でも、彼女の動向は常にチェックしている。

「日野くんは……やっぱり、有馬さんのこと詳しいね。昔、何度も共演してたから?」

「まあな。十回近くは現場一緒だったんじゃないか? あいつ、昔はまじで鼻持ちならないクソガキだったんだぜ。初めて()ったときなんか、『あんた私の演技についてこれんの?』みたいな顔しててさ。懐かしいわ」

 ケラケラと笑うハルトの横顔を見ながら、あかねの胸の奥が、ほんの少しだけチクリと痛んだ。

 あかねにとってハルトとの共演は、人生を変えた、たった一度きりの大切な奇跡だ。なのに、有馬かなはハルトと何度も同じ現場に立ち、彼の放つ〝太陽の光〟を何度も特等席で浴びていたのだ。

「有馬さん、日野くんが急に引退したとき、すごく怒ってたって聞いたよ。……今でも、連絡とか取ってたりするの?」

 平静を装って、探るように訊ねる。

「いや、プライベートで遊ぶような仲でもなかったし、あいつは芸能界(三次元)の住人だからな。でも、もしどこかでバッタリ再会でもしたら、また『あんた何逃げ出してんのよ!』って怒鳴られるかもなー」

 ハルトは街頭に照らされながら、悪戯っぽく笑った。

「でもさ、あかね。俺はあいつの演技も凄いと思うけど――今のあかねの芝居の方が、よっぽどワクワクするぜ?」

「っ……!」

 不意打ちだった。ハルトは何気ない日常会話の延長として、曇ない善意と本音でそう言ったのだ。

 ずるい。本当に、この人はずるい。

 私は、有馬さんへの嫉妬を隠すのに必死なのに、そんな顔で、私の方が好き(※演技の話)だなんて言われたら、これ以上どうしていいか分からなくなる。

「……ばか」

 あかねは消え入りそうな声で呟き、歩くペースを少しだけ早めた。

「え? なんか言ったか?」

「何も言ってない! ほら、電車来ちゃうから急ぐよ!」

 駅の改札前で「じゃあな、また明日!」と手を振って去っていくハルトの背中を見送りながら、あかねは赤くなった耳を隠すように髪を押さえた。

 ――もしも本当に、日野くんと有馬さんが再会してしまったら。

 その時のことなど、今のあかねには想像もしたくなかった。

 

 ☆ ★ ☆

 

 夜。黒川あかねの自室。

 中間テストが近いこともあり、あかねは机に向かって参考書を広げていた。しかし、シャープペンシルの動きはどこか鈍い。

 彼女はふう、と息を吐くと、机の脇に立てかけてあったタブレット端末に手を伸ばした。

 動画配信サイトを開き、お気に入りのチャンネルを表示する。チャンネル名は『HARUちゃんねる』。登録者数900万人超を誇る、ネット界の超大型インディーズチャンネルだ。そしてその主こそが、ハルトのネットでの姿――『HARU』だった。

 画面をタップすると、ちょうど今、生配信が始まったところだった。

『はいどーも皆様こんばんは、『HARU』です! 今日はね、新しい液タブを導入したんでお絵かき配信をしようと思いまーす! コメ欄のお前ら、リクエストしてー!』

 画面の向こうのハルトは、学校の制服姿とは違い、ラフな黒いパーカーを着ていた。背景には料理配信でよく見る片付けられた清潔なキッチンが映っている。

 コメント欄は、配信開始から一秒と経たずに凄まじい速度で流れ始めていた。

『待ってました!』『また才能の無駄遣いが始まったぞ』『クオリティが高すぎて参考にならない動画』

 視聴者からの愛ある〝才能の無駄遣い〟というタグやコメントを見て、あかねの口元が自然と緩む。

『ふむふむ……『東京ブレイド』の『鞘姫』ね、OK、それで行こう。あ、『東ブレ』といえばさ、みんな劇場版観た?そうそう『天魔覆滅編』! ソレイユPの書いたテーマソング『狂花睡月』もよかったよな〜』

 画面の中のハルトは、本当に楽しそうだった。その活動は多岐にわたる。玩具のレビュー、歌ってみた、ダンス動画、ゲーム実況、料理配信、一発撮りのトリックショットにパルクール動画、時には3DプリンターとCADソフトを用いた製作動画や刃物の鍛造まで、彼は「自分が面白いと思うこと」だけを全力で表現している。

 再生数(数字)なんて気にしていないような素振りを見せながら、その圧倒的なクオリティで結果的に莫大な数字を叩き出している。承認欲求のためではなく、ただ純粋なクリエイターとしての熱量だけで輝いているその姿は、あかねにとって、夜空に輝くどんな星よりもまぶしかった。

(学校ではあんなにトボけてるのに……ずるいよ、日野くん)

 ハルトが楽しそうに笑うたび、胸の奥の〝スキ〟がどんどん膨らんでいく。

 あかねはタブレットの画面に映る彼の顔を、愛おしそうに指先でそっと撫でた。

 天才役者としての仮面を脱ぎ捨てた、ただの一人の恋する女子高生としての顔が、そこにはあった。

「……明日のお弁当、何にしようかな」

 あかねは嬉しそうに微笑むと、参考書を閉じ、明日のメニューの買い出しリストをメモ帳に書き込み始めた。

 二人の、もどかしくて愛おしい日常は、まだ始まったばかり。これから自分たちが、芸能界という巨大な嵐に巻き込まれていくことなど、今のあかねはまだ、知る由もなかった。

 




【登場人物・設定紹介】
 黒川あかね:原作のヒロイン。かわいい。
 日野ハルト:本作のオリ主? 才能マン。
 ソレイユ:フランス語で「太陽」「ひまわり」の意。一体誰なんだ……。

 『アイドル』:我々の知る曲とは歌詞が異なる。具体的に言うと「ルビー」「アクア」の単語がない。
 
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