あかねのたいよう   作:かぜのこ

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第14回:『黒川あかね 1』

 

 『今からガチ恋始めます』の収録現場は、一人の少女の復帰によって、その空気感を劇的に変貌させていた。

 スタジオの複数台のカメラが、一斉に黒川あかねの姿を追う。いや、正確には彼女の心の中に宿る『アイ』という名の偶像を、レンズが本能的に求めていた。髪を弄る指先の角度、レンズを意識させない完璧な視線の外し方、そして何より、両目の奥で爛々と輝く星のような光彩。彼女が微笑むたびに、現場の空気が物理的に華やぐような錯覚さえ覚える。

 だが、今のあかねは、かつて世界を熱狂させた本物の『アイ』のように、周囲の注目も話題も人気もすべてを独占するような振る舞いはしなかった。

(……本物の『アイ』さんなら、この場にいる全員を呑み込んで、自分だけのステージにしちゃうんだろうな。でも、今の私は『今ガチ』の黒川あかね。私を助けてくれたみんなを裏切るようなマネ、絶対にできない)

 あかねの脳裏には、自分がどん底にいた時にメンバーたちが作ってくれた、あの温かい名誉挽回ムービーの記憶が焼き付いている。ゆき、MEMちょ、ノブユキ、ケンゴ、そしてアクア。彼らの優しさを、自分のスタンドプレーで踏みにじることなど、あかねの矜持が許さなかった。

 だからこそ、あかねはハルトと共に練り上げた、極めて高度な演技プランを忠実に実行していた。

「ねえねえ、ノブユキくん。さっきゆきちゃん、あっちのテラスで寂しそうにしてたよ? ……男の子なら、ちゃんと迎えに行ってあげなきゃダメ、だよ?」

 悪戯っぽくウインクをしながら、ノブユキの背中をそっと押す。

 あかねの立ち回りは絶妙だった。『アイ』の持つ圧倒的なカリスマ性を潤滑油として使い、現場をほどよくかき混ぜつつも、あくまで番組のメインである鷲見ゆきを中心とした、ノブユキとケンゴの三角関係を、外側からドラマチックにサポートする立ち位置を崩さない。自分が主役になるのではなく、主役たちを最高に輝かせるための最強のバイプレイヤー。それが、ハルトとあかねが導き出したリアリティショーをハックするための最適解だった。

 カメラの回る中、そんなあかねの動きを、冷徹な、しかしどこか熱を帯びた瞳で見つめる少年がいた。

 星野アクアは、あかねが他の男子メンバーと楽しげに話す隙を突き、自然な足取りで彼女の隣へと滑り込んできた。

「……随分と器用に立ち回るな、あかね」

 アクアの低い声が、あかねの耳元に届く。あかねは瞬時に『アイ』の仮面を維持したまま、首を傾げて小悪魔的に微笑んだ。

「ん? 何のことかな、アクアくん。私はただ、みんなの恋が上手くいくといいなって応援してるだけだよ?」

「その喋り方、視線の作り方、歩幅の感覚……。お前が数日間の休みの間に仕込んできたそのキャラクター……、一体誰を参考にした?」

 アクアの言葉には、探るような執念が凝縮されていた。

 アクアの目的は明確だった。黒川あかねが突然身につけた、この完璧すぎる『アイ』の模倣。その出処が、彼女の幼馴染であり、自分の追う謎のコンポーザー『ソレイユ』こと日野ハルトであると確定させること。そして、あかねとの距離を縮めることで、ハルトの懐へと潜り込むキッカケを掴むことだ。

 だが、今のあかねと会話を交わすアクアの胸の奥には、彼自身すら気付いていない、もう一つの無意識の感情が混ざり合っていた。

 目の前にいる少女の瞳の奥に、あまりにも鮮烈に映る()()()()()の面影。理性がこれは演技だと警告しているにもかかわらず、彼のファンとしての、そして息子としての無意識が、あかね演じるアイに強く惹きつけられていく。それは復讐のための打算を越えた、一種の疑似恋愛の快感に近いものだった。

「ヒミツ、だよ。女の子には、いろいろ隠し事があるものだしね?」

 あかねはアクアの鋭い追及を、アイ特有の「嘘の壁」でひらりとかわす。二人の間で繰り広げられる、視線と言葉の高度な駆け引き。それはカメラを通すと、まるでミステリアスな男女の、濃密な大人のロマンスのように映し出されていた。

 

 ☆ ★ ☆

 

 その日の撮影がすべて終了し、スタジオの撤収作業が始まる時間帯。

 スタッフやメンバーが行き交う通路の片隅で、あかねは私服に着替え終えたアクアの姿を見つけ、小走りで近づいていった。すでに『アイ』の仮面は下ろされ、そこには少し大人しい、素の黒川あかねの表情が戻っている。

「あ、アクアくん。ちょっと、いいかな」

 アクアは足を止め、バッグを肩にかけ直しながら振り返った。

「何だ?」

「あのね、お礼を言いたくて。……メンバーの皆から聞いたの。私が休んでる間にネットに流れたあの特別なムービー、アクアくんが発案して、編集してくれたんだって」

 あかねは両手を前で合わせ、真っ直ぐにアクアの瞳を見つめた。

「本当に、ありがとう。あの動画のおかげで、私……現場に戻る勇気をもらえたから」

 アクアはあかねの素直な感謝の言葉を受けると、僅かに視線を逸らし、ポケットに手を突っ込んだ。

「……余計なお世話だったみたいだけどな」

 その言葉は、言外に日野ハルトの存在を指していた。あの夜、自分が皆に動画の製作を提案したのと同じ時、ハルトがバイクであかねを連れ去り、そして彼女を完璧に立ち直らせて現場に戻してきた。自分の仕掛けた救出劇よりも効果的に、ハルトがあかねの心を救っていたことへの、アクアなりの少し皮肉めいた敗北感の表れでもあった。

 だが、あかねは首を大きく横に振った。

「そんなことない! 本当に、本当に嬉しかったの。ネットの言葉に押し潰されそうになってた時、共演者のみんなが私のことを信じて待っててくれるんだって分かって……。アクアくんの作ってくれた動画の優しさに、私は救われたんだよ。だから……本当に感謝してるの」

 あかねの言葉には、一切の嘘も虚飾もなかった。彼女の持つ高い共感能力が、アクアの行動の裏にある純粋な助けたいという意志を感じ取り、それを全力で肯定していた。

 あかねの真っ直ぐすぎる熱意に押されるように、アクアは小さくため息をこぼしたが、その表情は先ほどよりも幾分か柔らかくなっていた。

「……ならいい。お前が潰れたら、番組のクオリティが落ちるからな。……じゃあな、あかね」

「うん、お疲れ様、アクアくん」

 去っていくアクアの背中を見送りながら、あかねは小さく胸をなでおろした。彼に対する感謝は本物だった。そして、この良好な関係性が、番組をさらに良い方向へ導く確信があった。

 それからの『今ガチ』の撮影は、トラブルもなく極めて順調に進んでいった。

 あかねの急激な〝キャラ変〟は、放送を観たネットコミュニティの間で一時的に大きな物議を醸した。『あかねちゃん、急に雰囲気変わりすぎじゃない!?』『前のオドオドしてた子と同一人物とは思えない』といった戸惑いの声もあったが、『アイ』の持つ圧倒的なカリスマ性と、周囲を引き立てる絶妙な演技プランが功を奏し、世間の評価は瞬く間に好意的なものへと塗り替えられていった。

『今のあかねちゃん、マジで輝いてる。一挙手一投足から目が離せない』

『他のメンバーの恋愛を応援するお姉さんポジション、最高すぎる』

 ネットのバッシングは完全に沈静化し、あかねの人気はうなぎ登りに跳ね上がっていった。

 その影響は、ハルトの活動にも平穏をもたらしていた。ハルトの『今ガチ』感想配信は、苦し紛れのトークをする必要がなくなり、本来の冴え渡るトーク力が復活していた。

『ほら見ろ、言っただろ? あかねの奴、一回コツを掴めばこれくらい余裕なんだよ。ウチのあかねのポテンシャルを舐めてもらっちゃ困るぜ』

 画面の中で自慢げに微笑むハルトの姿を見て、あかねは自宅のベッドの上で、何度も胸を撫で下ろす日々を送っていた。すべてが上手くいっている、そう信じて疑わなかった。

 

  ☆ ★ ☆

 

 撮影もいよいよ終盤に差し掛かったある日のこと。

 スタジオの休憩時間、休憩所のソファには、ゆき、MEMちょ、そしてあかねの女性陣三人が集まって雑談を交わしていた。

「あー、もうすぐ『今ガチ』も最終回かあ。なんか始まったらあっという間だったよねー」

 MEMちょが冷たいペットボトルを頬に当てながら、しみじみと呟く。ゆきも「本当だよね。最初はみんな緊張してたのに、今じゃすっかり仲良しだし」と同意した。

 そんな二人の会話を聞きながら、あかねは穏やかな笑みを浮かべていた。自分の役割は十分に果たせた。そう満足感に浸っていた彼女の耳に、MEMちょの悪戯っぽい声が飛び込んできた。

「でもさー、ゆきとノブユキたちの関係も気になるけど、終盤になって急激に距離が縮まったあかねちゃんとアクアくんのコンビも、ネットじゃめちゃくちゃ盛り上がってるんだよねー」

「えっ? あ、アクアくんと、私……?」

 不意に名前を出され、あかねは目を瞬かせた。確かに演技プランの一環として、またアクア自身の意図もあって、二人が画面内で意味深に視線を交わすシーンや行動を共にするシーンは増えていた。世間ではいつの間にか〝アクあか〟などというカップリング名まで作られている。

「そうそう!」ゆきが身を乗り出して、ニヤニヤとした笑みを浮かべる。「番組の流れ的にさ、このまま最終回に向かうとしたら……あかねちゃん、アクアくんとキスすることになるんじゃない?」

「――っ!?」

 あかねの脳内に、一瞬、激しい落雷が落ちたような衝撃が走った。

「き、キス……っ!? だ、誰が、誰と!?」

「誰って、あかねちゃんとアクアくんに決まってるじゃん!」MEMちょがケラケラと笑う。「恋愛リアリティショーの最終回だよ? これだけお互いに矢印が向いてるっぽい雰囲気になってたら、番組の演出としても、視聴者の期待としても、最後の告白シーンでキスする流れになるのは当然の義務でしょーが!」

「ぎ、義務……っ!?」

 あかねは完全にフリーズした。

 恋愛リアリティショーなのだから、最終的な成立、あるいはドラマチックな演出として〝キス〟という展開が存在することは、知識としては知っていた。だが、自分の役割はあくまで全体のサポートであり、アクアとの関係も()()()()()()()()()()だと完全に割り切っていたため、自分自身がその当事者になるというシチュエーションを、一ミリも想像していなかったのだ。

「あはは、あかねちゃん顔真っ赤! ウブだなぁ、可愛い!」

「ちょっとアクアくんに探り入れてこようかなー?」

 楽しげに盛り上がる二人を余所に、あかねの頭の中は、一瞬にして大パニックの渦へと叩き落とされていた。

 

 女性陣の休憩所から逃げ出すようにして、あかねは一人、誰もいない個人の控え室へと飛び込み、内側から鍵を閉めた。

 薄暗い部屋の中、あかねはベッドの上にへたり込み、両手で自分の燃えるように熱い頬を押さえた。心臓が、まるで早鐘を打つように激しく脈打っている。

「アクアくんと……き、ききき、キス……っ!?」

 口にするだけで、頭から湯気が出そうだった。

「落ち着いて、黒川あかね。これはお芝居、これはビジネス、カメラの前の演出なんだから、役者としてこれまでだって舞台でそういうシーンの経験は……って、ない! ないよ、そんなの舞台でもやったことないもん……!」

 あかねはベッドの上をゴロゴロと転がりながら、悶々と悩み始めた。これが舞台上での演技とはワケが違うことは、これまでの撮影で重々承知している。『今ガチ』は恋愛リアリティショーであり、舞台のようにフェイクキスで済ませることは出来ないのだ。

「で、でも、アクアくんはすごくかっこいいし、役者としても凄く素敵だけど……。もし、本番でそんなことになったら、私、『アイ』さんの仮面を維持したまま演技を続けられるの……!? 絶対に素に戻って、真っ赤になって、カメラの前で気絶しちゃう……!」

 思考のベクトルが、別の方向へと急旋回する。

「っていうか! もし本当にキスシーンなんて放送されたら……ハ、ハルトくんに観られる……!? ハルトくん、今ガチの感想配信、毎週欠かさずやってるんだよ!? 大画面のモニターで、私が他の男の子とキスしてるところを、ハルトくんがじっと観るの……!? い、嫌だ、そんなの絶対に耐えられない……!!」

 あかねは枕に顔を埋めて、足をバタバタと暴れさせた。

 まだ、ハルトとだって、そんな大人の関係のスキンシップはしたことがないのだ。それなのに、仕事とはいえ、カメラの前で別の男性と初めてを経験するなど、乙女として絶対に受け入れ難い事態だった。

 役者としての黒川あかねの理性は、そういった役柄を演じる可能性も何れはあると承知していたが、現実として想像出来ていなかったことをあかねは今更ながらに自覚していた。

「どどど、どうしたらいいの……!?」

 番組の流れを完全に無視して、最終回でアクアを無慈悲に振るという選択肢も頭をよぎったが、あのムービーの恩もあり、番組の盛り上がりを完全に台無しにするようなスタンドプレーはプロとしてできない。仕事としてやり切らなければならない、けれど乙女心は悲鳴を上げて拒絶している。

 絶体絶命の危機。混乱の極みに達したあかねの脳裏に、ふと、過去のある記憶が鮮烈に蘇ってきた。

 去年の今頃、夕日に染まった放課後の教室――そう、()()()()()()()をハルトに頼んだあの時のことだ。

 伯父と姪の道ならぬ恋。妻子ある年上の男性への、破滅的な恋心という感情の出力に悩んでいたあかねが、軽率にもハルトに相手役を打診し、彼の演技力の前に敗北を喫した。

 ハルトのメソッド演技法は、引退からのブランクなど関係ないと言わんばかりに彼をまたたく間に役へと没入させ、真に迫る大人の色気で自分を圧倒した。そして、台本のト書き通りに、互いの息が触れ合うほどの、まさにキス寸前の距離まで顔を近づけてきたのだ。あの時のハルトの山吹色の瞳の輝き、引き締まった身体の圧力、そして唇が触れそうになった瞬間の、胸が張り裂けそうなほどの高鳴り――。

「……あ」

 あかねは起き上がり、ぽかんと口を開けた。

 混濁した頭の中に、一つの狂気的なアイデアが閃いた。閃いてしまった。

「そ、そうだ……()()()()をすればいいんだ……!」

 そうだ、本番で緊張して失敗しないために、あらかじめハルトくんに相手を頼んで、キスの予行練習をしておけばいい。あの時みたいに、ハルトくん相手なら、仕事の延長として(?)心を鍛えることができるはずだ。

 冷静な状態であれば、その提案がハルトに対してどれほど破廉恥で、どれほど恥ずかしいものであるか、そして自分の恋心を爆発炎上四散霧消させる自爆行為であるかに思い至ったはずだった。だが、今のあかねはアクアとのキス回避、そしてハルトへの恋心と独占欲とパニックが混ざり合い、完全に思考のブレーキが壊れていた。

「うん、ハルトくんに頼もう。ハルトくんなら、プロとして、幼馴染として、きっと手伝ってくれるはず……!」

 あかねは震える手でスマートフォンを取り出すと、迷うことなく、山吹色の瞳を持つ最愛の少年の番号を呼び出すのだった。

 

 





 ※ここからアクアが割を食う展開になりますが、キャラクター単体をアンチしたいわけじゃないので後ほどフォローがあることを先にお知らせしておきます。

最新話の更新時間は何時がいいですか?参考までに。

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