あかねのたいよう   作:かぜのこ

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第19回:『レッスン 1』

 

 『苺プロダクション』のレッスンスタジオは、締め切られた空間特有の、熱気と汗の匂いに満ちていた。

 大型の鏡に向かって、新生『B小町』の三人が息を切らしながらポジションにつく。スピーカーから流れ出したのは、かつて伝説のアイドル・アイがセンターを務めていた旧『B小町』の代表曲――『サインはB』のイントロだった。

 王道のアップテンポなメロディに合わせて、ルビーが、かなが、MEMちょが、それぞれのステップを踏み始める。

「――はい、そこ! ルビーちゃん、ターンの軸がブレてる! MEMちゃん、フォーメーション移動の時、一瞬下を向かない! 客から視線を外すな!」

 ハルトの鋭い声が、音楽の隙間を縫ってスタジオに響く。

 彼はパイプ椅子に深く腰掛け、組んだ膝の上に肘を置きながら、冷徹なプロデューサーの目で三人の動きを追っていた。

 結成して間もない彼女たちのパフォーマンスは、確かに必死さが伝わってくるし、有馬かなという絶対的な軸がいるお陰で形にはなっている。だが、ハルトから見れば、それは全く物足りないものだった。

 ステップの細かなズレ、息の合わせ方、何より観客をねじ伏せるような圧倒的な華が、今の三人からは決定的に不足している。旧B小町の、あの『アイ』が立っていたステージの残像を知っているハルトだからこそ、その物足りなさはより顕著に感じられた。

(まあ、結成して一ヶ月未満じゃ、これが限界ってのは解るけどな……)

 ハルトは内心でそう毒づきながら、ふと視線をスタジオの隅へと向けた。

 そこでは、持参したスポーツバッグの横にちょこんと座り、三人のレッスンを熱心に見つめている黒川あかねの姿があった。ノートを膝に広げ、ハルトが指摘したポイントを細かく書き留めている彼女の姿は、のほほんとしていて、()()()()()()()といった風情だ。

 ハルトの唇が、ニヤリと不敵な弧を描く。

「――よし、そこまで。音止めろ」

 ハルトの指示で、ビデオ撮影などの機材担当をしていたアクアが音響のプレイヤーを止める。三人はその場にへたり込み、激しく肩を上下させた。

「有馬、ルビーちゃん、MEMちゃん。お前らのパフォーマンスに何が足りないか、言葉で説明してもこれ以上は時間の無駄だ」

 ハルトはパイプ椅子から立ち上がり、ゆっくりとあかねのほうへと歩み寄った。

「あかね。ちょっとお前、手本見せてやれ」

「……え?」

 夢にも思っていなかった指名に、あかねはノートを握りしめたまま、ポカンとマヌケな声をあげてハルトを見上げた。その綺麗な青い瞳が、驚きで丸くなっている。

「え、ええっ!? 私が、手本……!? 無理だよハルトくん、私は役者だし、アイドルのダンスなんて――」

「何言ってんだよ。お前、俺のスタジオで『アイ』を成立させる特訓の時、この曲死ぬほど練習しただろ。身体が覚えてるはずだぜ」

「う、うぐっ……それはそうだけど、でも……!」

 あかねは顔を真っ赤にして、スタジオの中央で自分を見つめている『B小町』の三人へと視線を彷徨わせた。特に、有馬かなからの「何考えてんのよこの男は」と言わんばかりの、冷ややかな視線が痛い。

「レッスン着、ちゃんと持ってきてるだろ。着替えてこい」

「だって、恥ずかしいよ……! 有馬さんたちの前で、私がアイドルの真似事なんて……」

 完全に難色を示し、バッグを抱え込んで縮こまるあかね。だが、ハルトは最初から、あかねに手本をさせるつもりでここに連れてきていた。言葉だけで指導するよりも、あかねの狂気的な〝完コピ〟を間近で見せる方が、彼女たちへの一番の刺激になると確信していたからだ。

 ハルトはあかねの耳元に少し顔を近づけ、意地悪く、しかし確実に彼女の心を焚き付ける言葉を囁いた。

「いいのか? あそこでツンツンしてる天才子役様(有馬かな)に、『黒川あかねは大したことない』って思われたままで。お前の実力、ここでアイツにきっちり見せてやれよ。ライバルなんだろ?」

「……っ!」

 その言葉が、あかねの役者としてのプライドに完璧に着火した。

 あかねの瞳から、先ほどまでののほほんとした気配が消え、鋭い光が宿る。彼女はハルトをじろりと睨みつけると、抱え込んでいたバッグをバッと掴んで立ち上がった。

「……分かったわよ。着替えてくればいいんでしょ、着替えてくれば!」

 怒ったように足早に更衣室へと向かうあかねの背中を見送りながら、ハルトは「ククッ」と愉しそうに喉を鳴らした。

 

 数分後、更衣室から戻ってきたあかねは、黒いタイトなTシャツに、動きやすいストレッチ素材のチノパンという、極めてシンプルなレッスン着姿だった。髪を後ろで一つに結び、スタジオの中央、鏡の前に立つ。

「……ハルトくん。歌いながらは無理だからね。ダンスと、表情だけだから」

「ああ、わかってる、充分だ。星野、頭から流してくれ」

「了解」

 アクアが操作盤のボタンを押す。

 再びスタジオに鳴り響く『サインはB』のイントロ。その瞬間、スタジオ内の空気が、文字通り変質した。

 あかねが、小さく息を吸い込み、ゆっくりと目を開ける。

 そこに立っていたのは、地味で真面目な劇団ララライの若手女優・黒川あかねではなかった。

 星野アクアの、ルビーの、かなの、そして世界中のファンの記憶に焼き付いて離れない、あの伝説のアイドル――『アイ』が、そこに存在していた。

 あかねの瞳の奥に、夜空の星のような、傲慢で、しかしどうしようもなく人々を惹きつけてやまない〝星の光〟が宿る。

 イントロの激しいドラムロールに合わせて、あかねの身体が滑らかに、かつ爆発的なキレを持って動き出した。

 一歩目のステップ、差し出された指先、そして首の角度。そのすべてが、かつてドームのステージで何万人もの観客を熱狂させた『アイ』の動きそのものだった。いや、あかねが徹底的なプロファイリングによって導き出した()()()()()()()()()()のパフォーマンスは、エグいほどの完成度を誇っていた。

 歌声は聞こえない。しかし、あかねの唇の動き、そして完璧にコントロールされた〝嘘と愛の笑顔〟を見ているだけで、脳内にあのアイの甘い歌声が直接響いてくるかのような錯覚に陥る。

「……っ!!」

 最初に息を呑んだのは、星野ルビーだった。

 ルビーの身体が、感動と衝撃のあまりにガタガタと震え始める。その瞳には、みるみるうちに涙が溜まっていった。お兄ちゃんを寝取った憎い泥棒猫、そんな感情は一瞬で消し飛び、目の前で完璧に躍動する『ママ』の、大好きな『アイ』の幻影に、オタクとしての、そして娘としての魂が激しく揺さぶられていた。

 有馬かなは、あまりの衝撃に言葉を失い、ただ鏡の中のあかねを凝視していた。

 圧倒的な敗北感、そしてそれ以上の激しい対抗心が、かなの胸の中でドロドロとした炎となって燃え上がる。あかねのダンスの技術がどうこうではない。その()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に、同じ子役上がりとしての、そして役者としての本能が「負けたくない」と激しく叫んでいた。

 そして――。

 スタジオの隅で星野アクアの冷徹な仮面が、一瞬だけ完全に崩壊した。

 アクアのスマートフォンを持つ手が、かすかに震える。

(……アイ……)

 あかねのステップの癖、ウインクをする瞬間の、わずかな重心の移動。それは、かつて自分の目の前で命を落とした、あの最愛の母親の姿そのものだった。あかねが『アイの仮面』を被るたび、アクアの胸には、せき止められないほどの思慕と、同時に底なしのトラウマが這い上がってくる。その演技が、アクアの凍りついた心の最も深い部分に、容赦なく突き刺さっていた。

 曲の終わり、あかねがカメラ(観客)に向けて完璧なピースサインを掲げ、ポーズを決める。

 最後の音が静かに消え去ると同時に、あかねは「ふぅ……」と大きく息を吐き、瞬時に元の『黒川あかね』へと戻った。顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに肩をすぼめる。

「……こんな、感じで、どうかな……?」

「あかねちゃんんんんんんん!!」

 絶叫とともに飛び出していったのはルビーだった。ルビーはあかねの腰にしがみつき、ワンワンと泣きながら叫んだ。

「すごすぎる! 本物だよ! アイがそこにいたよぉ! お願いあかねちゃん、ララライ辞めてB小町に入って! 私たちと一緒にセンターやろ!? 私、あかねちゃんならセンター譲ってもいい!!」

「え、ええっ!? 無理だよルビーちゃん、私アイドルじゃないし、ララライは辞められないよぉ……」

 あかねはやんわりと、しかし猛烈に困惑しながらルビーを引き剥がそうとする。

 その横で、有馬かながギラギラとした目で、あかねを真っ直ぐに見据えた。

「……ふん。さすがララライのエース様ね。でも、アイドルのステージは演技だけで乗り切れるほど甘くないわよ。本番じゃ、これに歌と、何万人もの生身の観客の熱気が加わるんだから。……次は、私が本当のセンターの魅せ方ってやつを教えてあげるわ」

「……うん。楽しみにしてるね、有馬さん」

 かなの挑発に、あかねもまた、負けじと真っ直ぐに視線を返した。二人の天才の間に、先ほどまでとは違う、表現者としての本気の火花が散り始める。

「――見たろ。これが、ステージの上で()()()ってことだ」

 ハルトがへたり込んだルビーとMEMちょの前に立ち、腕を組んで見下ろした。

「あかねの動きには、一歩一歩に理由がある。観客のどこに視線を投げ、どのタイミングで身体を大きく見せるか、それを天性の演技力と、徹底的な計算で構築してるんだ。……ルビーちゃん、お前にはその計算が足りねえ。MEMちゃん、お前は技術を意識しすぎて楽しむ表情を忘れてる」

 ハルトはそこから、驚くべき音楽的感性と技術的な視点で、三人のパフォーマンスの修正点を次々と具体的に指摘していった。どの音のタイミングでアクセントを置くべきか、リズムの裏の取り方、ステージの照明を考慮したフォーメーションの角度。その的確すぎる指導は、本物の天才クリエーターとしての、圧倒的な才能の証明だった。

「……凄いな、本当に」

 スタジオの隅で、アクアはその様子を冷ややかに、しかし冷徹に見つめていた。

 日野ハルト。同世代でありながら、作詞、作曲、編曲、さらにはステージのプロデュースからマーケティングまで、すべてを自分の才能だけで完結させている男。

 自分が前世の知識(大人の思考)と、復讐のための執念(泥臭い策略)を武器に、必死になって芸能界の裏側を這いずり回っているのに対し、ハルトは()()()()()()()()という光の暴力だけで、すべてをごぼう抜きにしていく。

(これが……本物の天才か)

 アクアの胸の中に、言葉にできないほどの激しい劣等感(コンプレックス)が湧き上がる。ハルトの放つ圧倒的な輝きが、自分の抱える復讐という名の闇を、より一層惨めで、ドロドロとしたものに浮き彫りにさせていくような、そんな息の詰まる感覚だった。

 

 ☆ ★ ☆

 

 数時間の地獄のような猛特訓が終わり、スタジオにようやく静寂が戻った。

 ルビーとMEMちょは「もう一歩も動けない……」と床に大の字になって寝転がり、かなは悔しそうにハルトの残したメモを睨みつけながら自主練を続けている。

 ハルトが「ちょっと出てくるわ」と斉藤ミヤコとの事務連絡のためにスタジオを出て行った後、あかねは自分の荷物をまとめ、更衣室へ向かうフリをして、スタジオの隅に立つアクアへとゆっくり近づいていった。

「……アクアくん」

 あかねの静かな声に、アクアは緑茶のペットボトルを持ったまま、ゆっくりと振り返った。その瞳には、まだ先ほどのあかねの『アイの演技』に対する動揺の残滓が、かすかに燻っている。

「何だ、黒川。さっきの手本は、あいつらにとって良い薬になった。感謝する」

「ううん、それはいいんだけど……」

 あかねは周囲――特に自主練にに熱中しているかな――に聞こえないよう、さらに一歩、アクアとの距離を詰めた。

 あかねの綺麗な瞳が、じっとアクアの顔を、その目の奥の『暗闇』を見つめる。

 彼女の目的は、最初から決まっていた。

 数日前、ハルトの事務所でアクアが口にした、あの言葉。――『当時、引っ越したばかりのアイがストーカーに刺されるなんておかしい。裏に黒幕がいるはずだ』という、あの恐るべき指摘。

 ハルトには「深入りするな」と強く忠告された。ハルトはあかねを危険から遠ざけたいのだと解っている。だが、役者としての、そしてアクアを誰よりも理解したいと願う一人の少女としてのあかねの探求心は、もう引き返せないところまで火がついていた。

(アクアくんは、何かを知っている。……『アイ』さんの過去や、芸能界の裏に隠された、本当の秘密を)

 あかねは周囲を気にしながら、アクアの耳元に向けて、極めて小さく、しかし明確な意志を込めた声で囁いた。

「ねえ、アクアくん。……この後、少しだけ二人で、静かに話せる場所に、行かない?」

 その浅葱色の瞳の奥で、役者としての、そしてプロファイラーとしての黒川あかねの危険な好奇心が、静かに、妖しく揺らめいていた。

 

 





 アニメ4期のティザームービーが公開されましたが……どうなるんでしょうね?
 自分は精々ドラマ版ぐらいの改編で終わると思いますが、劇中劇エンドとかで終わったらお祭りですね(*´∀`*)

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