あかねのたいよう   作:かぜのこ

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第20回:『協力者(CO・OP)

 

 スタジオから続く、薄暗い非常階段の踊り場。

 コンクリートの壁に囲まれたその空間は、湿った夜の空気と、かすかな埃の匂いが立ち込めていた。重い防音扉の向こうからは、有馬かながまだ居残って練習を続けているのか、微かに『サインはB』の重低音が地響きのように伝わってくる。

「……で、話って何だ、黒川あかね」

 アクアは非常階段の手すりに背中を預け、ポケットに手を突っ込んだまま、冷淡な視線をあかねへと向けた。

 あかねは少し緊張したように自分の指先をいじっていたが、やがて意を決したように真っ直ぐな青い瞳をアクアへと向けた。

「アクアくん、ストレートに聞くね。……あなた、アイさんの死の真相を追っているのよね?」

「……その話か」

 アクアの切れ長の瞳が、刹那、獣のように鋭く細められた。周囲の空気が一瞬で氷点下まで凍りつく。だが、あかねはその威圧感に怯むことなく、言葉を続けた。

「ハルトくんの事務所であなたが言ったこと、ずっと引っかかってたの。『アイ』さんが刺された事件には、裏で手引きした黒幕がいるって……。もし、あなたがその謎を追うっていうなら、私に何か手伝いができるんじゃないかって思ったの。劇団ララライにいる私なら、大人の目を盗んで、芸能界の古い情報や当時の噂を集めることくらいはできるから」

 あかねの提案を聞きながら、アクアの脳内では凄まじい速度で計算が弾き出されていた。

(黒川が、アイの事件の情報を集める……?)

 アクアは、数日前に番組プロデューサーの鏑木から手に入れた情報を思い返していた。

 ――『アイが本当に恋をしたのは、十代前半の頃に秘密裏に通っていた、劇団ララライのワークショップの時期だ』

 アイを孕ませ、ストーカーに情報を流した人物。すなわち、アイが当時交際していた恋人は、確実に劇団ララライの内部、あるいはそこに強い繋がりを持つ人間に違いないとアクアは確信している。

(本命だった日野ハルト……『ソレイユ』は、当時のアイとは完全に無関係の部外者だった。完全に空振りだ。……だが、黒川あかねは、現役の劇団ララライの若手エースだ。こいつを窓口にすれば、ララライの内部に、ひいてはアイの恋人の足取りに合法的に近づくことができる……!)

 それは、復讐の旅路において、あまりにも魅力的なメリットだった。さっきスタジオで見せたあかねの『アイ』の演技。あれほどのトレースができるのは、あかねの背後にいるハルトの、天才的なプロデュースと演技指導の賜物だろうとアクアは考えていた。ハルトのプロデュース力と、あかねというララライへの切符。利用価値は十二分にある。

 しかし――そのメリットを塗りつぶすように、アクアの胸にチクリと重い痛みが走った。

(……ダメだ。日野ハルトの監視の目がある。それに、こいつを巻き込む理由が見当たらない)

 ハルトのあの何でも見透かすような山吹色の瞳が過る。何より、あかねと自分はただの番組の共演者であり、そこに深い情愛の関係があるわけでもない。自分の個人的な目的のために、これ以上無関係な人間を泥沼に巻き込んでいいはずがなかった。前世で医者だったアクアの理性が、あるいは人間としてのわずかな良心が、激しく呵責を訴えていた。

「……何故、俺に協力しようと思ったんだ?」

 アクアはわざと、不快感を露わにした冷たい声で問いかけた。あかねをこれ以上こちら側に踏み込ませないための、拒絶の壁だった。

「正義感か? それとも、他人の不幸な過去を覗き見たいっていう、ただの興味本位か? だとしたら悪趣味だ。これ以上関わり合いにならない方がいい。お前には関係のない話だ」

「興味本位なんかじゃないよ」

 あかねは即座に否定した。その声には、アクアの冷徹な威圧感を撥ね退けるほどの、奇妙な熱量が宿っていた。

「アイさんの本当の人柄や、その裏にある闇を知ることで、私の役者としての演技はもっと輝くと思うの。ハルトくんが作ってくれた〝完璧な『アイ』の仮面〟を、私はもっと自分のものにしたい」

「……それでどうする。お前はもう充分に売れっ子の天才女優だろう」

「足りないの。……全然足りないのよ、アクアくん」

 あかねは一歩、アクアに向けて距離を詰めた。薄暗い踊り場の中で、彼女の青い瞳が、どこか陶酔を孕んだ妖しい光を放ち始める。

「私の隣には、いつもハルトくんがいる。彼は自分の配信だけじゃなく、作詞も作曲も、プロデュースもマーケティングも、全部自分の才能だけで完結させてて、眩しいくらいの光の中で生きてる。太陽みたいなハルトくんの隣で、私がその光に紛れて、()()()()()()()()()()()()()でいるなんて耐えられない。私も、彼と同じ高さで、一緒に輝きたいの。そのためなら、役者として狂えるなら……私は何だってする」

「――っ」

 アクアの背筋に、冷たいものが走った。

 黒川あかねという少女の根底にある、日野ハルトへのあまりにも巨大で、歪んだ執着。その狂気的なまでの愛と情念が、彼女をこの暗闇へと突き動かしている。それは、正義感などという生ぬるいものではなく、自らの魂を焦がしてでもハルトの隣に並ぼうとする、本物の表現者の執念だった。

(こいつは……引き返さない。俺が断っても、自分で勝手に調べ始めるタイプだ)

 アクアの胸の中で、良心と復讐心が激しく天秤にかけられ、――やがて、復讐心がその皿を叩き割った。利用できるものはすべて利用する。それが、自分の生きる理由だ。

「……いいだろう。なら、これは〝取引〟だ」

 アクアは手すりから身体を離し、あかねの目を真っ直ぐに見据えた。

「俺個人への埋め合わせもまだだしな。俺が掴んでいる情報を、お前に一部開示する。その代わり、お前は劇団ララライの内部を探れ」

「……ええ。分かったわ」

「鏑木Pから聞いた話だ。アイは十代前半の頃、秘密裏に劇団ララライのワークショップに通っていた。そして、アイが本当に恋をした……当時の〝恋人〟と出会ったのは、まさにそのララライのワークショップの時期だ」

 あかねは息を呑み、その事実を脳内のノートに刻み込んだ。

「劇団ララライ……。あそこにアイさんの過去が……?」

「ああ。お前は、当時のララライにどんな人間が出入りしていたか、あるいはアイの〝恋人〟に関する古い資料や噂がないか、劇団の人間から自然な形で聞き出せ。代わりに……俺の知っている『アイ』の生前の癖や、プライベートの情報をお前に教える。お前の演技の、さらなる肉付けにしろ。これで貸し借りはナシだ」

「……分かったわ。取引成立ね、アクアくん」

 あかねは小さく頷き、満足そうな、しかしどこか一線を越えてしまった者の危うい微笑みを浮かべた。

 

 ☆ ★ ☆

 

 数分後。あかねとアクアは、時間差を置いて、何食わぬ顔で地下のレッスンスタジオへと戻ってきた。

 スタジオ内では、まだ有馬かなが鏡に向かって熱心にステップを確認しており、MEMちょは床でスマホをいじっている。

 今度こそ本当に服を着替えようとあかねが自分のバッグを持ち上げ、スタジオの扉へ向かおうとした時。

「――お出かけのところ悪いけどさ。あかね、何してたんだ?」

 背後から、低く、しかし驚くほど穏やかな声が掛けられた。

 いつの間にかミヤコとの用件を終えて戻ってきていたハルトが、スタジオの壁に寄りかかり、山吹色の瞳を細めてあかねとアクアの二人を見つめていた。その視線はどこか深く、すべてを見透かしているかのようにも思えたが、彼の表情からはそれ以上の感情を読み取ることはできなかった。

「えっ!?  あ、ハルトくん……!」あかねは一瞬だけ肩を跳ね上がらせたが、すぐに役者としてのポーカーフェイスを作った。「う、ううん、ちょっと自販機まで飲み物を買いに行ってたんだけど、途中で迷っちゃって。そしたらアクアくんが通りかかって、案内してくれたの」

「へえ、案内ね」

 ハルトはアクアのほうへ視線を移した。アクアはいつもと変わらない、感情の読めない冷淡な顔で「事実だ。ここの構造がややこしいからな」と短く口裏を合わせる。

 ハルトは小さく息を吐き、それ以上は二人を追及しなかった。

 だが、その不穏な空気を敏感に察知した人物が、もう一人いた。

「ちょっと、黒川さん!」

 タオルの山を抱えた有馬かなが、ドカドカとあかねの前に歩み寄ってきた。かなの目は、あからさまな不機嫌さと、隠しきれない嫉忑でギラギラしている。

「あんた、テレビじゃビジネスだって言っておきながら、ハルトっていう本命の男がいるくせに、なんで裏でアクアとコソコソ二人きりになってるわけ!?  まさか、アクアにまで色目を使って浮気しようってんじゃないでしょうね!」

「ええっ!? ち、違うよ有馬さん、本当にただ道に迷っただけで――」

「怪しいわね!  天才女優様は男の転がし方も手慣れてるってわけ?  私の……じゃなくて、『B小町』(私たち)マネージャー(アクア)に変な虫がついたら困るのよ!  JIFの前に余計なスキャンダル起こさないでよね!」

 かなの猛烈な怒涛のツッコミに、あかねはタジタジになりながら「本当に違うのぉ……」と手を振る。MEMちょが横から「まーまー、有馬ちゃん落ち着いて!」と宥めに入り、スタジオ内はいつものような、騒がしいうやむやの空気へと回収されていった。

 その様子を見やり、やれやれと言いたげに肩をすくめたハルトは、ふと何かをアクアに向き直った。「ああ、そうだ」

「星野。さっきまでお前んとこの社長さん――斉藤ミヤコさんとやり取りしてたんだけどさ。そんとき、『これから夕飯でも食べてかない?』って誘われたんだが。俺としてはさ、新生『B小町』のマーケティングプランについてミヤコ社長と直接やり取りしたかったし、お邪魔させてもらおうと思ってるんだけど。どう? 行っていいか?」

「えっ、ミヤコさんが!?」

 ルビーが真っ先に声を裏返して反応する。アクアは一瞬だけ眉をひそめたが、すぐにため息をついて肩の力を抜いた。

「……社長がそう言っているなら、俺に断る権利はない。あいにく家にはロクな食材がないはずだが、それでも構わないなら、来ればいい」

「決まりだな。食材はお前らが買って帰れって言ってたぜ、リストももらってる。あかね、お前も行くだろ?」

「えっ? あ、うん、ハルトくんが行くなら、私も……」

 あかねはアクアと交わした秘密の取引の緊張感を胸に秘めながらも、嬉しそうに頷いた。

「よっしゃ、じゃあ今日のレッスンはここまで! みんなで星野んちへ突撃だ!」

 ハルトの威勢の良い掛け声に、疲れ果てていたはずのMEMちょも「タダ飯だー!」と拳を突き上げ、かなはぶつぶつと文句を言いながらも荷物をまとめ始める。こうして、レッスンを切り上げた一行は、アクアとルビーが住む一軒家、斉藤家と移動することになった。

 

 





  某カラス『我は汝、汝は我〜』
  アクアのアルカナは『愚者』か『刑死者』だろうけど、自分のペルソナというかシャドウに取り殺されそうw

最新話の更新時間は何時がいいですか?参考までに。

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