七月十九日、水曜日。夏休みを目前に控えた放課後の『苺プロダクション』・ダンススタジオには、熱気と、それ以上に重苦しい絶望感が漂っていた。
「もぉーーーームリ! できないっ!!」
鏡張りの壁に向かって、有馬かながその場に大の字にひっくり返り、天井を仰いで叫んだ。
元々かなは努力家であり、並大抵のレッスンで弱音を吐くようなタマではない。だが、今回ばかりは事情が違った。急にセンターを任されただけでも胃が痛いというのに、課題曲として突きつけられたのが、ハルトこと『ソレイユ』の手がけた難曲『アイドル』のJIFアレンジバージョンだったからだ。
「よしよし、有馬ちゃん、ポカリ飲む?」
「うぅ……MEMちょぉ……私、もう心臓がバクバクして破裂しそう……」
あかねは、かつて自分が『アイ』の仮面を身につけるためにハルトから叩き込まれた地獄の特訓の記憶を思い出し、どこか遠い目をしながら苦笑いしている。
スタジオの隅で、カメラマン兼音響役としてハンディカメラを構えていたアクアは、ファインダー越しにかなの青白い顔を見つめ、内心で眉をひそめていた。
(有馬のやつ、相当参ってるな……。無理もないが、さすがに負荷が大きすぎる。だが……)
そもそも、なぜ新生『B小町』がこの曲をJIFの一曲目で披露することになったのか。
それは、先日ハルトが『苺プロ』に「楽曲提供とチャンネルコラボ」を持ちかけたことが発端だった。
『『B小町』が世間に大きなインパクトを与えるには、ただ可愛いだけのカバー曲じゃ足りない。俺が提供する『アイドル』を、有馬センターで完璧に仕上げてみせろ。これが、新生『B小町』の起爆剤になる』
ハルトのこの提案に、ミヤコは飛びつき、ルビーも『アイ』への哀悼の歌であるこの曲のパフォーマンスに意欲を見せる。
『『アイドル』が神曲なのは認めるが、界隈で擦られ切ったこの曲をB小町のオリ曲の代わりに歌うメリットは?』
アクアが九年前にリリースされ、様々なアイドルや歌い手に歌われ、有名であるがゆえの普遍化による価値の低下に懸念を示す。ハルトは自信満々に言う。
『だからこそ、ライブ初っ端にクオリティでブチ抜く! 耳の肥えたドルオタに、聞き慣れた『アイドル』を最高以上の形で聴かせてやることで、「こいつらはモノが違う」と見せつけてやるんだよ。……まあ、『アイ』が所属していた『B小町』にこの曲を歌わせたいってのもあるんだけどな』
ハルトのプロデュースプランには説得力があり、また新生『B小町』に『アイドル』を歌唱させたいというアーティストとしてのエゴにアクアも共感と納得を覚えた。最終的には、かな、MEMちょらメンバーも――実力差への不安を抱えつつも――挑戦を決めたのだった。
しかし、曲のクオリティが高すぎる上に、ハルトの指導は一ミリの妥協も許さないスパルタそのもの。特にセンターのかなへの要求は苛烈を極めていた。
「ねえねえ! 有馬先輩が無理なら、代わりに私がセンターやってもいいよ!? 私、この曲超歌いたい!」
床に転がるかなの横から、ルビーが目をキラキラと輝かせて元気よく立候補した。ルビーにとって『アイドル』は、大好きな『アイ』のために作られた特別な歌だ。事あるごとに自分がセンターをやりたいとアピールを繰り返している。
だが、パイプ椅子に踏んぞり返って冷たいお茶を飲んでいたハルトは、ルビーを見ることすらせずにピシャリと言い放った。
「却下。ルビーちゃんは歌ヘタだから駄目」
「なんでよーーー! 酷い! ちょっとくらい音程外したって、パッションがあればいけるもん!」
「いけない。俺の曲を不協和音で汚すな。お前は後ろで必死にダンスのキレを磨いてろ。有馬の歌唱力があって、ようやく成立するかどうかの難易度なんだよ」
容赦ないハルトの言葉にルビーが「むきーっ!」と地団駄を踏む中、床からむっくりと起き上がったかなが、ギリッと奥歯を噛み締めてハルトを睨みつけた。
「あんたねぇ! 自分がステージで踊らないからって、私たちに無理難題ばっかり押し付けてるんじゃないわよ! そんなに偉そうに言うんなら、あんたがやってみなさいよ! 男のあんたに、この『アイドル』の可愛さと狂気の両立なんて、絶対に表現できるわけないんだから!」
日頃のストレスもあって、かながスパルタ指導者に噛みつく。
横で見ていたアクアは、内心で(おいおい、無茶苦茶言うなよ有馬……気持ちは分からんでもないが……)と呆れていたが、ハルトはフッと鼻で笑った。
「ほーん。わかった、やってみせればいいんだな?」
ハルトがゆっくりとパイプ椅子から立ち上がる。
その瞬間、ネット配信者「HARU」の活動を同業者として知っているMEMちょと、プライベートでも彼の生態を熟知しているあかねが、「あーあ……」と言いたげな、すべてを察した顔をした。
「星野、タイミング合わせて曲入れてくれ」
「あ、ああ……わかった」
アクアがラジカセの再生ボタンを押すと、スタジオのスピーカーから、重低音の効いたエッジの尖ったイントロ――『アイドル』の特別アレンジ版が鳴り響いた。
――その瞬間、ハルトの空気が一変した。
音の波に乗るように、しなやかにステップを踏み出すハルト。
彼は女性用のキーで、それも女声を前提とした高音曲であるにも関わらず、決して苦しげな裏声に逃げることなく、地声に近い豊かなトーンで情感をたっぷりと込めて歌い上げた。
さらに驚くべきは、そのダンスだった。ハルトは筋肉質で長身の、どこからどう見てもゴリゴリの男性である。それなのに、彼の見せるステップや腰のくねり、首の角度は、ゾッとするほど妖艶でセクシーだった。
表情、目線、果ては指先の繊細な仕草に至るまで、完全に計算され尽くした女性アイドルとしてのパフォーマンス。だが、それは単なる『アイ』のモノマネではなく、ハルトというフィルターを通した、全く新しい〝
最後の一音が消え去るまで、スタジオの全員が、その圧倒的なカリスマ性に気圧されて息をすることすら忘れていた。
「――で、どうだ有馬。お前の言う通りやってみせたぞ」
ハルトは息一つ乱さず、長い前髪をバサリと払って不敵に笑った。
かなとルビーは、ワナワナと体を震わせたまま言葉を失い、その場に崩れ落ちた。自分たちよりも遥かにアイドルとして完成されたパフォーマンスを、目の前の生意気な男子ボカロPに見せつけられ、敗北感を骨の髄まで味わわされた表情だ。
「フッ、驚くには及ばない。リスナーからの無茶振り即興ダンスは、ウチのYouTubeチャンネルのメインコンテンツの一つだからな」
「いやー、ダンスもだけどさぁ、相変わらずセクシーだよね、HARUくん」
MEMちょがしみじみと呟くと、あかねも深く頷いて同調した。
「うん。普段から配信の企画で、女性キャラクターのコスプレとかメイクの練習とか、色々してるだけあるよね。あれを見ちゃうと、ちょっと女の子として自信なくしちゃう」
「まあ、歌舞伎の
ハルトに振られ、顎が外れそうなほど絶句していたアクアは、ポツリと本音を漏らした。
「……凄い。凄いとは思うが……なんか、キショいな」
「はぁ!? キショいって言うな! 芸術性を褒めろよ!」
「あっ、いや、すまん。つい思ったことが口から出た。失言だ」
アクアの言葉に、真っ先にルビーが「あはは!」と爆笑して立ち上がった。
「たしかに! お兄ちゃんの言う通り、ちょっとキショいかも! 男の人があんなにクネクネ踊るの、よく考えたらキツいー!」
「ちょっと! あんたたち何よその言い草 ! ――って言いたいところだけど、うん、冷静に見たら凄まじくキショいわね!」
かなもこれ幸いと乗っかり、ハルトを指差して弄り始める。
完璧なパフォーマンスでドヤ顔を決めていたはずのハルトだったが、女子たちからの怒涛の「キショい」コールに、さすがに割と本気で傷ついた顔になり、そのままあかねの元へと突進した。
「うわぁーーーん! あかねーーー! みんなが俺のことをいじめるーーーっ!!」
「ハルトくん、よしよし……! そんなことないよ、ハルトくんはとってもかっこよかったよ……!」
あかねの豊かな胸元に思いきり顔を埋めて甘えるハルト。あかねはポッと顔を赤く染め、少し興奮した様子でハルトの頭を優しく撫で回している。
その光景を、一気に冷めた目で眺めていたアクア、ルビー、かな、MEMちょの4人は、完璧に声を揃えて(心の中で)ツッコミを入れた。
((((ただのバカップルだ……))))
ひとしきり騒いだ後、ハルトの実力――悔しいながらも――認めざるを得なくなったかなたちは、先ほどよりも真剣な目つきで再びステップの確認に入った。
その様子をカメラで記録しながら、アクアはハルトの隣にすっと寄り添い、声を潜めて語りかけた。
「日野」
「なんだよ、キショいボカロPに何か用か?」
ハルトは腕を組んだまま、少し不機嫌そうに唇を尖らせている。
「いや、さっきのは悪かった。冗談だ。……じゃなくてだな、真面目な話だ」
「……」
ハルトは山吹色の瞳をすっと細め、練習に励むかなたちへと視線を向けた。「おう、有馬のことか?」
「やっぱわかるか。あいつ、センターとしてのプレッシャーでかなりキてるみたいだ。このままじゃ、本番のパフォーマンス自体に影響が出かねない」
アクアは、かなが自分に好意を寄せていることを知りながら、彼女のスキャンダル防止のためにあえて冷たい態度を取って避けている。その「自分のせいで彼女を追い詰めているのではないか」という罪悪感もあり、かなのメンタルが心配で仕方がなかったのだ。
「何か、いい案はないか? この状況を打開するような」
「そうだな……」ハルトは片手を顎に当て、少し考え込んだ。「予定では、夏休みに入ったら合宿するんだろ?」
「ああ。ウチの事務所、というか俺たちの家に泊まり込みでレッスンする予定だ。スケジュールが許す限りメニューを詰め込むつもりだが……それだけに、追い詰められなきゃいいがと思ってな」
「俺とあかねも出来る限り協力するつもりだけど……その前にさ、一度息抜きをさせるってのはどうだ?」
「息抜き?」
「そう。小旅行とかどうよ。三泊三日くらいの期間で、メンバー全員でパーっと遊びに行って、一回頭をリセットさせるんだ」
「そんな遠くには行けないぞ。今のうちの事務所の予算じゃ、旅行なんて経費で落とせるわけがない」
「カネの心配ならすんな! 万札で殴って解決してやるよ」
「……これだからセレブは」
「こちとらチャンネル登録者数ミリオン超え、ダイヤモンドの盾目前の配信者様だぞ? 舐めるなよ」
ハルトは不敵にニカッと笑い、ポンとアクアの肩を叩いた。
「と、冗談はさておき。具体的な行き先とか日程は、今から外で内密に相談しようぜ。あいつらに知られたら、レッスンに身が入らなくなるからな」
ハルトはパイプ椅子から立ち上がると、スタジオの中央で踊っている『B小町』とあかねに向けて、軽く手を叩いて声をかけた。
「おーい、ちょっと俺と星野は席外すから、戻ってくるまで休憩な! あかね、水分ちゃんと摂れよ!」
「あ、うん、わかった!」
二人の少年は、スタジオの重い防音扉を開け、静かに廊下へと出て行った。
お仕事しながら投稿前の推敲と最新話の準備が両立できない!
というわけで次回からは一日一話投稿となります。よろしくお願いします。たぶんそのうち週一投稿になると思います。
あとランキングに載ってた!!!!ありがとう!!!!
最新話の更新時間は何時がいいですか?参考までに。
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