夜の静寂が、グランピング施設全体を深く包み込んでいく。
深夜二時。ドームテントの薄い膜一枚を隔てた外の世界は、都会では決して見ることのできない満天の星空と、心地よい夜風に揺れる木々の葉擦れの音だけが響いている。
かなは、ベッドの中で何度も寝返りを打っていたが、ついに諦めて起き上がった。昼間のアクティビティやボードゲームで精神的なストレスはかなり和らいだはずなのに、いざ静寂が訪れると、やはりJIFへのプレッシャーと、アクアとの歪な距離感が頭をよぎって目が冴えてしまうのだ。
「……ちょっと、頭冷やしてこよ」
同室のルビーたちの寝息を起こさないよう、慎重に上着を羽織って外に出る。
冷涼な夜気を吸い込みながら、ウッドデッキから続く砂利道を目的もなく歩いていると、前方に自販機の薄明るい光に照らされた、見覚えのある人影を見つけた。
「……あ」
自動販売機の取り出し口から缶コーヒーを取り出していたのは、星野アクアだった。
アクアもまた、砂利を踏むかすかな足音に気づいて振り返る。二人の視線が、誰もいない深夜の闇の中で、真っ直ぐに交錯した。
「有馬……。こんな時間に、どうした」
「そ、そっちこそ何よ。……あんたも、眠れなかったの?」
「ああ。少し、考え事をしていてな」
アクアは缶コーヒーを持ったまま、いつもより少しだけ、本当にわずかだけトーンの柔らかい声で答えた。昨夜、ハルトから突きつけられた「有馬かなはお前の母親じゃない」「あいつのパフォーマンスを殺すな」という言葉が、ずっと胸の奥で重く燻っていたからかもしれない。
露骨に逃げようとしないアクアの態度に、かなの胸が高鳴る。
「……ちょっと、歩かない? 部屋に戻っても、どうせすぐには眠れそうにないし」
かながおずおずと提案すると、アクアは小さくため息をつきながらも、「……付き合うくらいなら構わない」と頷いた。
並んで歩き出す二人。普段ならすぐに口喧嘩が始まるはずなのに、今夜は不思議と、言葉が浮かばない。気まずい、けれどどこか心地よい沈黙を保ちながら、二人は敷地内の少し奥まった、木々の影が濃い散策路の方へと足を進めていった。
その時だった。
前方の大きなブナの木の陰から、かすかに衣類が擦れ合うような音と、密やかな吐息が聞こえてきたのは。
「……っ?」
かなが不審に思って足を止めようとした瞬間、アクアが素早くかなの手首を掴み、近くの茂みの影へと引っ張り込んだ。
「ちょ、ちょっとアクア、何よ――むぐっ」
「静かにしろ。……先客がいる」
アクアに口を手で塞がれ、かなは目を丸くした。至近距離にあるアクアの端正な顔と、手のひらから伝わる体温に心臓が止まりそうになる。だが、アクアの視線の先を追ったかなは、すぐに別の意味で息を呑むことになった。
月明かりがわずかに差し込む木陰。
そこにいたのは、ハルトとあかねだった。
あかねはブナの幹に背中を預け、その身体をハルトの背の高い影が完全に覆い隠すように密着している。ハルトの手があかねの細い腰をしっかりと抱き寄せ、あかねの細い指先が、ハルトの首元に縋るように絡みついていた。
二人の唇が、何度も、深い吐息とともに重ね合わされている。一線は越えていないものの、それは昼間のコメディめいたバカップルの姿とは一線を画す、どこか狂気的なまでの熱量を孕んだ、生々しい男女のスキンシップだった。
「……っ、……んっ……ハルト、くん……」
あかねの甘く掠れた声が、夜の静寂に溶けていく。
(な、な、な、何見てるのよ私達ぃぃぃーーーーっ!?)
かなは顔面が沸騰しそうなほどの衝撃を受け、完全に硬直した。脳内で警報が鳴り響く。今すぐ逃げ出したいのに、足がすくんで動かない。
一方、かなの手首を掴んだままの、アクアの脳内。
(……やれやれ、これだから高校生は。精神の成熟が肉体の発育に追いついていない。思春期のホルモンバランスに振り回されているだけの、サルと同等だ。前世で医者だった俺からすれば、ただの生理現象に過ぎない)
アクアは冷徹な
――しかし、その直後。アクアの身体が、明確な異常を訴え始めた。
ドクン、と胸の奥で、心臓が爆発したかのような激しい鼓動が跳ね上がる。
すぐ隣で、顔を真っ赤にしてパニックになり、小さく震えている有馬かな。暗闇の中で、彼女の細い肩のライン、微かに香るシャンプーの甘い匂い、そして水着の時にも意識してしまった彼女の体温が、ダイレクトにアクアの五感へと叩き込まれてくる。
(……な、んだ、これは……)
脳は「冷静になれ」と命じているのに、十六歳の健康な
目の前のハルトたちの情烈なキス。そして、腕の中にいる有馬かなという〝一人の女の子〟の圧倒的な存在感。
アクアは、自分の肉体がかなに対して明確に昂ぶっていることを自覚し、凄まじいまでの自己嫌悪と戸惑いに襲われていた。
(クソ……、俺は何を意識している……! 相手は有馬だぞ……!?)
かなを一人の女として強制的に意識させられる歪みの中で、アクアは掴んでいたかなの手首を、焼き付くような熱さを感じて思わずパッと離してしまった。
かなはかなで、アクアに突然手を離されたことに驚きつつも、互いに限界を迎えた顔のまま、音を立てないように蜘蛛の子を散らすようにして、それぞれのテントへと逃げ帰るのだった。
☆ ★ ☆
三日目の朝。
山頂から差し込む澄んだ朝の光と、爽やかな風がテラスを吹き抜けていく。
「おはよー……」
「……おはよう」
朝食のテーブルに、アクアとかなが、どこか気恥ずかしさを全身から醸し出しながら現れた。
二人は席につこうとした瞬間、不意に目が合ってしまい、まるで磁石の同極同士が反発するように「っ!」と揃って勢いよく目を逸らし合った。かなは意味もなく自分の髪の毛を弄り回し、アクアは不自然なほど真顔のまま、目の前のトーストを凝視している。
そして二人は、何食わぬ顔で並んで座り、仲良くフレンチトーストを口に運んでいるハルト*1とあかね*2の姿を見るや否や、昨夜の生々しい光景を思い出したのか、同時に顔を林檎のように真っ赤に染めて、さらに縮こまった。
そのあからさまに不審な様子を、ルビーとMEMちょが見逃すはずがなかった。
「なになにー? 二人とも朝から顔真っ赤にして、どうしたのー?」
「あ、怪しい……! これは完全に
二人の現役アイドルが、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて身を乗り出し、二人を囃し立てる。
「な、何でもないわよ! ただの寝不足! 山の朝って、紫外線が強いから顔が火照ってるだけよ!」
「そうだ。空気が乾燥しているせいか、少し体調が狂っただけだ。気にするな」
かなが必死にスプーンを振り回して弁明し、アクアもロボットのような早口でごまかそうとする。その息の合った――そして下手くそな取り繕いぶりに、MEMちょたちは「ほーう?」とさらに目を細めていた。
だが、テーブルの向こう側でその様子を見ていたハルトは、小さく口元を緩め、山吹色の瞳を優しく細めた。
昨日までの、お互いに目を合わせることすら拒絶していたような冷え切った空気は、そこにはもうない。気まずそうではあるが、二人の間の距離は明らかに元通り……いや、それ以上に縮まっている。
(……まぁ、少しは進展したみたいだな、星野)
ハルトは心の中でそう呟き、一先ず胸を撫で下ろすようにして、あかねの皿から半分貰ったオムレツを口へと運ぶのだった。
☆ ★ ☆
楽しい時間は終わりを告げ、一行は再びレンタルのミニバンに乗り込み、帰路へとついていた。
車内の席順は、行きと全く同じ。運転席のミヤコ、助手席のハルト。二列目にアクアとルビー。最後列にあかね、かな、MEMちょ。
東京に近づくにつれ、窓の外の景色は緑からコンクリートのビル群へと変わっていく。
かなは最後列のシートから、二列目で再び読書を始めているアクアの背中を、じっと見つめていた。
朝のあの奇妙な一体感はどこへやら、東京に戻りつつある車内の中で、アクアはまた、いつもの冷淡なマネージャーの仮面を被り、かなと一定の距離を取り始めていた。昨夜の肉体の暴走を、彼自身の理性で必死に抑え込もうとしての自衛行動だったが、かなにとっては、またしても彼の態度に振り回される形になっていた。
(なによ……、またいつもの死んだ魚の目に戻っちゃって。あんなに、昨日の夜は近くにいたのに……)
胸の中に、小さく、苦い寂しさが広がる。
話しかけても、きっとまた冷たくあしらわれるだけ。私の〝好き〟って気持ちは、あいつにとっては迷惑なだけなのかもしれない。
けれど――。
かなは、ぎゅっと自分の膝の上で拳を握りしめ、窓の外を睨みつけた。
これまでのかななら、ここでただへそを曲げて、心を閉ざしてしまっていただろう。だが、二泊三日のグランピングでの息抜き、ハルトからの厳しい、けれど確実なプロとしての指導、そして何より、アクアが自分のことを本当は心配してくれていたという事実が、かなの心に新しい強さを与えていた。
(だったら、もういいわよ。あいつがどんなに私を避けようとしても、関係ない)
あいつが私から目を逸らすなら、――目を逸らせないくらいの、圧倒的な輝きをステージで見せつけてやる。
私をB小町に誘ったことを、私をセンターに据えたことを、一生後悔させてやるくらい、誰よりも輝いてやる。
「……待ってなさいよ、星野アクア」
かなは、小さく、誰にも聞こえない声で呟いた。
彼女の瞳の奥には、弱気な不安や迷いはもうなかった。あるのは、数日後に迫った
ミニバンは、JIFという、彼女たちの運命の初舞台に向けて、夏の首都高速を力強く突き進んでいくのだった。
Q.あのあと二人はうまぴょいしたの?
A.いっぱいした!
感想返しは必要?
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いる
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いらない
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そんなことより続きを書け