あかねのたいよう   作:かぜのこ

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第32回:『イメチェン』

 

 十月も半ばを過ぎると、都心を吹き抜ける風にはっきりと秋の深まりが混じるようになった。街路樹の葉がわずかに黄色く色づき始め、高く澄み渡る空からは柔らかな秋の日差しが降り注いでいる。

 その日の午後、日野ハルトは『苺プロダクション』の社屋を兼ねる斉藤宅の前に立っていた。

 今日のハルトは、いつもより少々気合の入ったコーディネートで身を包んでいる。頭には涼しげな麦わら素材の中折れハットを斜めにかぶり、仕立ての良い綺麗めのシャツに上品なスラックス、足元には艶のある革製のタッセルローファー。そしてシャツの襟元には、フレームの丸いラウンドタイプの色眼鏡がさりげなく挿されていた。

 普段のハルトが好む落ち着いた装いに比べると、どこか胡散臭くも華やかな、業界人特有の浮かれ感を全身から漂わせている。

 ハルトの訪問の目的は二つあった。一つは、自身がプロデュースを手掛ける新生『B小町』に提供する新曲の仮歌データを届けること。そしてもう一つは、先日達成された『HARUチャンネル』とのコラボ効果によるチャンネル登録者数五十万人突破のお祝いである。

 玄関を抜け、メンバーがいつも集まっている会議用の部屋のドアをコンコンと叩き、返事を待たずにドアを開けた。

「よーう、『B小町』の諸君! 銀盾獲得おめでとう! これ、お祝いの高級フルーツな!」

 ハルトは手に下げていた大きな千疋屋の紙袋を高く掲げ、朗々とした声を響かせた。

 部屋の中にいた面々は一斉にハルトへ視線を向ける。ソファで寛いでいたMEMちょが、ハルトの姿を見るなり眉をひそめてツッコミを入れた。

「なっ……なんなんだ、そのテンションは!? ていうかHARUくん、今日の格好どうしたの!?」

「うわぁ、ハルトさんありがとう! 凄い、メロンとシャインマスカットだー!」

 ルビーが目を輝かせて紙袋に飛びつく一方で、部屋の奥にあるテーブルでは、アクアと有馬かなが向かい合って座っていた。二人の手元には、大人気コミック『東京ブレイド』の単行本が開かれている。

 ハルトはお土産の紙袋をテーブルに置くと、二人が今年十二月の大型舞台『東京ブレイド』のキャストに抜擢されていることをすでに知っていたが、そこはプロとして、しれっと口を噤んで韜晦(とうかい)することにした。

「おっ、『東ブレ』じゃん。流行ってんね〜。有馬も星野も漫画読むんだな」

「あ、これ? これはね――」

 ニッコリとしたルビーが、舞台の役作りであることをぶっちゃけようとしたその瞬間、近くにいたかなが跳ね起きるような勢いでルビーの口を両手で塞いだ。

「むぐっ!? ん、んむーっ!」

「ルビー、このおバカ! 余計なこと言わなくていいの!」

 必死な様相で抗議の声を上げるルビーの頭を抑え込みながら、かなは滝のような汗を流している。その様子を、アクアは冷ややかな眼差しで見つめていた。

 アクアはテーブルの上に置かれていたコミックを閉じると、ハルトの前へと歩み寄り、差し出されたUSBメモリを受け取った。

「わざわざ持ってきてくれて悪いな。だが、データだけならメールで送ればよかったんじゃないか?」

「いやいや、再ブレイクを果たした大人気アイドル、有馬かなさんのご様子をちょっと見にね?」

 ハルトはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべ、ルビーと格闘中のかなへ視線を向ける。

 ルビーの手をようやく振り払ったかなは、髪を乱しながら俄かにいきり立った。

「はあ!? あんな切り抜き動画でバズったって意味ないわよ! 私が欲しいのは女優としての評価なの!」

「そういうと思った。お前はいちいち贅沢なんだよ、有馬。知名度は知名度だろ。万バズ結構、重畳じゃないか。そもそも芸能界で再起するためにアイドルやってんだろ? もっと貪欲になれよ」

「うるさいわね! あんたには関係ないでしょ! 私には私のやり方とプライドがあんの!」

 ぷいっと横を向いて腕を組むかなの姿に、ハルトは内心で(この妙なプライドと拘りがなきゃ、もっと生きやすいだろうになあ……)と苦笑交じりのため息を吐いた。だが、それもまた有馬かなという女優の魅力であり、弱点でもあるのだ。

「さて、用事も済んだし俺は帰るよ。邪魔したな」

 ハルトはハットの庇に指をかけ、軽く挨拶をした。

「仮歌は何曲かバリエーション用意したから、聴き比べて気に入ったやつをメールとかで教えてくれ。全部使いたいってならそれでもいいぞ。レコーディングの手配はこちらで進めとくから」

「ありがと、HARUくん! 助かるー!」

 MEMちょが手を振る中、ふと疑問に思った様子で首をかしげた。

「あれ、HARUくんもう行っちゃうの? せっかくフルーツ持ってきてくれたのに、一緒に食べていかないの?」

「ん? ああ、これからデートだよ、で・ぇ・と」

 ハルトはおどけた調子で言い放つと、シャツの胸元に挿していたラウンドタイプの色眼鏡を引き抜き、すっと目元に装着した。

 麦わらハットに丸い色眼鏡という、一層胡散臭さと怪しさを増した風貌となったハルトは、ドアのノブに手をかけ、振り返りざまに片目をウインクしてみせた。

「それじゃ、ちゃお!」

 謎の捨て台詞を残し、軽快な足取りで部屋を去っていくハルト。

 残された会議室には、微妙な静寂が漂っていた。

「……浮かれてるな」

 アクアが心底呆れたような声でつぶやいた。

「浮かれてるねぇ……。あの服装、絶対気合入ってるもんね」

 MEMちょが苦笑いを浮かべながら顎に手をやる。

「浮かれてるね……いいなぁ、あかねちゃん愛されてるねぇ」

 ルビーが羨ましそうに溜息をつく中、一人だけ顔を真っ赤にして拳を握りしめていたかなが、吐き捨てるように大きな声を上げた。

「なによあいつ! あの色ボケウカレポンチがっ……!」

 

 ☆ ★ ☆

 

 所変わって、大勢の若者や観光客が行き交う東京・渋谷駅前のハチ公前広場。

 秋の爽やかな風が吹き抜けるスクランブル交差点の脇で、ハルトはある人物の到着を待っていた。

「ハルトくん!」

 人混みの向こうから、聞き慣れた愛らしい声が響いた。人波を縫うようにして駆け寄ってきたのは、黒川あかねだった。

 今日のあかねは、大きめの伊達メガネをかけ、キャスケット帽を深めにかぶるという慎ましやかな変装スタイル。服装は、清楚な白いブラウスに上品な紺色のキャミソールワンピースを合わせ、秋らしいショートブーツを履いている。

「待たせちゃった? ごめんなさい、電車が少し遅れちゃって」

「いや、俺も今ついたところだ。……うん、すごく似合ってる。かわいいよ、あかね」

「ふふ、ありがとう。ハルトくんも……なんだか今日、すごくおしゃれでカッコいいね」

 あかねはハルトの帽子と色眼鏡を交互に見つめ、少し照れくさそうに微笑んだ。

 二人が今日、渋谷で待ち合わせた目的――それは、期間限定でオープンしている『東京ブレイド』のポップアップショップを訪れることだった。

 きっかけは数週間前、あかねがハルトの部屋で何気なく手に取った『東京ブレイド』の原作コミックだった。

 劇団の人間から勧められたという名目で読み始めたあかねだったが、元々の真面目で徹底的な性格が災い――あるいは幸いした。役作りの延長として原作コミック全巻を最新刊まで読破したのを皮切りに、ハルトの蔵書であった設定資料集や副読本を読み込み、アニメ版と劇場版を完走し、さらにはキャラクターソングCDを一通り聞き込み、ノベライズ本まで網羅してしまったのだ。

 結果として、これまでサブカルチャー全般にあまり馴染みのなかったあかねは、見事なまでに『東京ブレイド』の世界観とキャラクターの魅力にドハマリしてしまったのである。

 渋谷の商業ビルの一角に設置されたポップアップショップは、休日ということもあり、大勢のファンで熱気に包まれていた。

 原画のパネル展示や、等身大キャラクター立看板が並ぶ店内で、あかねは目を輝かせながら人混みを縫うように歩き回っていた。

「あ、ハルトくん見て! 『鞘姫』様の限定アクリルスタンドがある……! 『つるぎ』と『刀鬼』の缶バッジも……!」

「お、よかったな。混雑してるから手、繋いでおこうぜ」

「うん……!」

 人混みに四苦八苦しながらも、あかねは自身の推しキャラである『鞘姫』『つるぎ』『刀鬼』のグッズを次々と手に取っていった。購入したのは、主に缶バッジやアクリルスタンド、トレーディング仕様のキャラクターブロマイドといった、軽めなコレクションアイテムだ。

 レジに並んでいる最中、あかねがふとショップの壁に飾られたファンアートコーナーを見つめながら、疑問をハルトに投げかけた。

「ねえ、ハルトくん。ポップアップショップの告知を見ている時にネットで見かけたんだけど……同人誌っていう本もあるんでしょう? ファンが作った本って書いてあったけど、そういうのもこういうショップで売っていたりするの?」

「ぶっ……!?」

 あかねの純粋無垢な問いかけに、ハルトは思わず吹き出しそうになった。

 自身も二次創作のイラストやその手の小説の閲覧(無論、十八禁には手を出していないが)を嗜み、界隈の奥深さと深淵を知り尽くしているハルトは、色眼鏡の奥の目を泳がせながら苦笑いを浮かべた。

「ええと……あかね。たぶん、お前が想像してるファンが作った綺麗な思い出本みたいなのとは、ほとんど違うと思うぞ……?」

「え? そうなの? みんなで作品の魅力を語り合うような本じゃないの?」

「まあ……そういう健全なのもあるにはあるけどな。九割九方は、もっとこう……業の深い妄想とか、激しい愛憎劇とか、大人の嗜み的な内容が詰まってるんだよ。不用意に立ち入ると火傷するぞ」

「お、大人の嗜み……?」

 首をかしげるあかねに、ハルトは「それ以上は深く調べるなよ」と優しく――そして切実に、釘を刺しておいた。

 無事にグッズの買い物を終えた二人は、渋谷の喧騒を離れ、予約していた落ち着いた雰囲気のイタリアンレストランへと向かった。

 陽射しが差し込むテラス席で、香ばしい窯焼きピッツァと生パスタに舌鼓を打ちながら、二人はお買い上げたグッズを開封して盛り上がった。

「あ、ランダムブロマイド、『鞘姫』様のレア仕様が出た! ハルトくん見て!」

「おお、運がいいな。あかねの日頃の行いがいいからだろ」

「ふふ、ハルトくんと一緒に来たからだよ」

 嬉しそうに微笑むあかねの姿を見ているだけで、ハルトの胸の中は温かい多幸感で満たされていくのだった。

 昼食を終えた二人は、渋谷から京王井の頭線に乗り込み、下北沢へと移動した。

 サブカルチャーと演劇の街・下北沢。古着屋や小劇場、レトロなカフェが立ち並ぶ独特の街並みは、歩いているだけで好奇心を刺激される。

 ここでの目的は、あかねが以前から気になっていたという小劇団の舞台鑑賞だった。

 駅近くの小さな劇場へと足を踏み入れると、パイプ椅子が並ぶ密度の高い客席と、舞台との距離の近さにハルトも新鮮な驚きを覚えた。大きな劇場とは異なり、役者の息遣いや汗、生の感情がダイレクトに伝わってくる熱い演劇に、二人はすっかり引き込まれた。

 観劇を終えた頃には、空はすっかり綺麗な茜色に染まっていた。

 二人は夕暮れ時の下北沢の街を、あてもなくブラブラと散歩した。路地裏のおしゃれな雑貨屋を覗いたり、香ばしいコーヒーの匂いに誘われてテラスのあるカフェでテイクアウトのラテを買ったりと、心ゆくまで休日を満喫した。

「今日、すごく楽しかったな、あかね」

「うん……! ハルトくんと一緒に色んなところに行けて、素敵な舞台も観られて……私、すごく幸せ」

 繋いだ手から伝わってくるあかねの体温と、秋風に揺れる髪の匂い。ハルトは彼女の手を少し強く握り返し、愛おしそうにあかねの横顔を見つめた。

 

 ☆ ★ ☆

 

 十月後半。街を吹き抜ける風はいよいよ秋の深まりを感じさせ、木々の葉が赤や黄色に色づき始めていた。

 来たる十一月に行われる舞台『東京ブレイド』の全体キックオフを前にした最後の打ち合わせを終え、夕方に帰宅したハルトは、静まり返ったリビングを見渡した。

 あかねの姿はない。そういえば今朝、「今日はヘアサロンに行ってから帰るね」と言っていたのを思い出す。

「……夕飯でも作るか」

 ハルトは制服のジャケットを脱ぎ、壁際にピンク色の胸当てエプロンと一緒にかかっていたモスグリーンのサロンエプロンを身に付けてから、キッチンの冷蔵庫を開けた。

 庫内を見渡し、足の早い……賞味期限や傷みやすさが近い食材を脳内で瞬時に優先順位付けし、迷うことなく手に取っていく。一度見た食材の配置や日付を完璧に記憶しているという、完全記憶能力の地味な無駄遣い。才能の無駄遣いたる『HARU』の真骨頂である。

 手際よく野菜を切り、鍋に出汁と調味料を投入して肉じゃがを煮込み始めた。香ばしい醤油と甘いみりんの香りがキッチンいっぱいに広がっていく。

 煮込み具合を確認しながら小皿で味見をしていると、玄関のドアが開く音がした。

「ただいまー」

「おかえりー!」

 鍋に目を向けたまま声を返すと、パタパタと軽やかなスリッパの足音がキッチンへと近づいてくる。

 味見のために小皿をとったハルトは何気なく振り返り――手に持っていた小皿を思わず落としそうになり、絶句した。

「……あかね? え、お前、髪……」

 一瞬誰だか分からず二度見してしまうほどの変貌を遂げた少女がそこに立っていた。

 ハルトのあまりの動揺ぶりに、あかねは少し照れくさそうに頬を染め、長くなった髪の毛先を指先でくるくると弄った。

「ふふ、びっくりした? シールエクステだよ。地毛じゃないから安心して」

 かつて肩にかかる程度のミディアムヘアだった彼女の髪は、前髪の分け目まで変えられ、腰近くまで届く艶やかなロングストレートヘアへと変わっていた。それはまるで――かつての伝説のアイドル『アイ』を彷彿とさせるシルエットだった。

 思わず言葉を失っていたハルトだったが、その圧倒的なビジュアルと妖艶な雰囲気に胸を射抜かれ、わずかに赤面しながら早口で捲し立てた。

「いや、かわいい。正直好き。大好き。似合ってるよすっげーかわいい」

「っ……! ふふっ、ありがとね。ハルトくにそう言ってもらえると、すごく嬉しい」

 あかねも照れたように頬を朱に染め、嬉しそうに目を細めた。

「でも、どうして急にイメチェンなんてしたんだ?」

 ハルトの問いかけに、あかねの表情がキュッと引き締まり、女優としての凛とした眼差しへと変化した。

「イメチェン、かな。冬にすごく大きな舞台が決まっててね。その役作りと……私自身の覚悟のために変えたの」

「覚悟?」

「私、ずっと有馬さんの……かなちゃんの影を追いかけてた。かなちゃんに憧れて、認められたくて、同じような髪型をして、使い勝手のいい女優でいようとしてたの。でも……それじゃダメだって気づいたから」

 まっすぐな瞳で自分の決意を語るあかね。ハルトはその眼差しに黄色い星の輝きを見た。

 浅葱色の視線と山吹色の視線が交差する。

「……『アイ』の髪型に寄せてまで、本気の本気だな」

 ハルトがニヤリと口角を上げると、あかねは一瞬にして雰囲気を変えた。まるで本物の『アイ』が憑依したかのような、惹き込まれるほどに妖艶で魅力的な微笑みを浮かべ、ハルトへと一歩近づいてくる。

「うん。私の中の『アイ』さんを完成させて……もっともっと、ハルトくんに近づくからねっ」

 背伸びをしたあかねは、ハルトの首元に手を回し、その唇に自身の唇を重ねた。

 短くも濃厚なキスの後、顔を離したハルトがぽつりと呟く。

「……俺の作った肉じゃがの味がするな」

「~っ!? あー! と、とりあえずご飯食べよっ!ね!?」

 一瞬で素の女子高生に戻ったあかねは、顔を真っ赤にしてハルトの手を引っ張り、大急ぎで食卓へと向かう。

 ――ハルトとあかね。

 互いに表現者として、そしてかけがえのないパートナーとして寄り添う二人を、やがて来る冬――芸能界の巨大な渦と、過酷な演劇の世界が待ち受けている。

 これが、二人の運命を大きく変えることになる激動の冬の、ほんの始まりに過ぎないことを、この時の二人はまだ知る由もなかった。

 

 





 ぼく「あかねが髪を伸ばしてる描写入れたいんだけどいつから始めたらいい?」
 Geminiくんちゃん「半年そこらでショートボブからロングヘアーになるわけないでしょ。エクステにしときな」
 ぼく「ハイ」

 あと、評価が赤に戻ったしランキングにもまた入ってた!!ありがとう!!!
 

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