あかねのたいよう   作:かぜのこ

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第35回:『The Only Neat Thing to Do』

 

 プロデューサーである雷田澄彰との緊迫した話し合いを終え、ハルトは劇場の静まり返った舞台裏の通路を一人歩いていた。

 壁に埋め込まれたダウンライトが影を落とす長い廊下には、遠くから微かに響く照明機材の駆動音と、自らの靴底がリノリウムの床を叩く足音だけが空しく響いている。

(やっぱ最終的な承認は無しかよ……)

 先ほどまでの雷田の反応を思い返し、ハルトは内心で小さく舌を打った。

 ハルトから「アビ子先生が現在の脚本を却下し、許諾を取り下げる可能性」を指摘された瞬間、百戦錬磨の雷田がみるみるうちに青ざめていった顔が脳裏に焼き付いている。雷田としても、脚本家のGOAを降ろすつもりは毛頭ない。だからこそ、まずは事態の深刻化を防ぐためにアビ子の稽古場見学を一旦ストップさせ、内部で対策を揉むと言って頭を抱えていた。

 典型的といえば典型的な問題の先送りだ。だが、現場を混乱させないための土壇場の選択肢としては、手段の一つではあるだろうとハルトは理解を示していた。

(まあ、伝言ゲームであの鮫島アビ子の複雑な意向を完璧に汲めってのも無理な話だけどな。このトラブルの根本にあるのは、出版社とプロモーター、そして舞台制作陣の間で常態化している業界の悪しき慣例と……何より、アビ子先生の極度のコミュ障にある。あの人のアーティストとしての気質(タチ)を詳しく知ってれば、予め脚本に噛ませるなりしてたんだろうが……)

 作品への熱量が凄まじすぎるがゆえに、他者との泥臭い対話を避けて自殻に閉じこもりがちな原作者と、間に入る大人の事情。まさしくディスコミュニケーションが招いた不運な事故だと結論づけたハルトは、ため息を吐きながらアクアたちに事の次第を伝えてやろうと、役者陣の控え室へと足を進めた。

 

 役者陣の控え室へと続く角を曲がった直後だった。

 重厚な防音ドアの向こう側から、穏やかではない物音と甲高い怒声が漏れ聞こえてきた。

「……? なんか騒がしいな」

 ハルトは眉をひそめ、ドアのノブに手をかけて引いた。

 次の瞬間、目に飛び込んできたのは稽古場の緊迫感とはまったく種類の異なる、泥沼の泥試合だった。

「ピーマン体操が代表作のクセにーッ!」

「そっちだって代表作はあの恋愛リアリティショーでしょうがーッ!」

 室内では、稽古着姿のあかねと小柄なかなが互いに手を掴み合い――最低限の理性は残っているらしい――子供のような取っ組み合いを繰り広げていた。互いに放った言葉のダメージが大きすぎたのか、どちらも顔を真っ赤にして涙目になっている。

「……なにこれ。どういうこと?」

 目の前で展開されるカオスすぎる光景に、ハルトは完全に毒気を抜かれ、呆然と佇むしかなかった。ドアの脇で冷めた目をして成り行きを眺めていたアクアと、苦笑いを浮かべるメルトへと視線を向ける。

「ああ、日野か」

 アクアは感情の籠もっていない淡々とした口調で説明を始めた。

「有馬が、黒川のイメチェンに対して『そうやって色ボケしてるから演技が疎かになってるんじゃないの』って噛みついて、煽り始めたんだ」

「で、黒川さんが『そっちこそ、マルチタレント気取りの売れっ子アイドルさんに言われたくないです』って言い返して、売り言葉に買い言葉でこうなったってわけ」

 メルトが「女子の喧嘩って怖いね」と言いたげに肩をすくめて補足する。

「あーね」

 なんとなく事の発端と流れが完璧に想像できたハルトは、ウルフカットの髪を掻いて深いため息を吐いた。

 その声でハルトの存在に気づいたのか、あかねはかなとの激しい揉み合いからぬるりと抜け出すと、素早い動きでハルトの背後へ回り込み、その背中に身を隠した。

「べーっ!」

「子どもか!」

 自分より遥かに背の高いハルトの身体を完全な盾にしたあかねは、ひょっこりと顔だけを出してかなに向かって盛大にあっかんべーをしてみせた。ハルトは「おー、よしよし」とあかねの頭を撫でて宥めつつ、怒り狂うかなに向き直る。

「ちょっとあんた! あんたがそうやって甘やかすから、その子が調子に乗るんでしょうが!」

 肩で息をしながら指をさしてくるかなに、ハルトはあかねを背中に庇ったまま、当然と言わんばかりの顔で肩をすくめた。

「カレシがカノジョを甘やかして何が悪い。……というか有馬、お前、イメチェンしたあかねを星野が意識してるから、対抗心を燃やしてるんだろ?」

意地の悪い笑みを浮かべたハルトの言葉が、控え室に鋭く響き渡った。

「「はぁ!? / なっ!?」」

 完全に図星を突かれたかなと、予期せぬ方向から名前を出されて不意を突かれたアクアの声が同時に裏返った。

 かなは顔をリンゴのように真っ赤にして絶句し、アクアは珍しく目を見開いて固まっている。その様子を横で見ていたメルトが、感心したようにパンと手を叩いた。

「あっ、やっぱそういう関係なんだ、アクアと有馬って。……でもさ、黒川さんってハルトの彼女じゃん。アクア、いくらなんでもそれは分が悪いでしょ」

「いや違う、違うぞ! 誤解だ、メルト! 俺は別に黒川を意識などしていない!」

 滅多に感情を表に出さないアクアが、珍しく慌てた様子で弁明する。しかしハルトは追撃の手を緩めない。

「いやいや、無理あるだろ。今のあかねのロングヘア、お前の大好きな()()にソックリじゃん」

「くっ……!」

 アクアは反論しようと口を開かけたが、ハルトの指摘があまりにも核心を突きすぎており、ぐうの音も出ずに押し黙ってしまった。それを見たかなが、猫のように全身の毛を逆立たせてアクアを睨みつける。

「やっぱり……! あんた、そういう目で見てたのね!?」

 控え室の空気が完全にカオスと化したその時、ハルトの背中に隠れていたあかねが、静かに影から姿を現した。

 あかねはすっとアクアの前まで歩み寄ると、首を少し傾げ、可憐でどこか小悪魔的な笑みを浮かべた。その眼差しと雰囲気は、瞬時に演じ分けられた『アイ』そのものだった。

「あの、ごめんねアクアくん。……アクアくんの気持ちはすごく嬉しいんだけど、私、君のことそういう風には見れなくって」

「……」

 ナチュラルに取り出された『アイ』の面影を残す小悪魔風の振られ文句に、アクアは精神的ダメージに耐えかねたようにガクリと膝をついて撃沈した。それを見たかなが速攻でツッコミを入れる。

「なんでちょっと嬉しそうなのよあんたはーっ!」

 

 一通りのコントのような茶番が終わり、ようやく冷静さを取り戻した一同は、控え室のパイプ椅子やソファにそれぞれ思い思いの姿勢で腰掛けた。ハルトは用意されたパイプ椅子に深く腰掛け、先ほど雷田と交わした話し合いの報告を始めた。

「――というわけだ。雷田さんもアビ子先生の直接の承認が抜けてることに顔を青くしてた。ひとまず見学は延期にして、対策を考えるそうだけどな」

 ハルトの報告を聞き終えたアクアは、腕を組んで思案に入った。 GOAの書いた脚本に対して初めから懐疑的な視線を向けていたアクアが、静かに口を開く。

「……そもそも、問題のある脚本家を交代させれば済む話じゃないか。公演開始は十二月半ば……今の段階なら、新しい脚本家を立てて新しい本が上がってから稽古し直しても、ギリギリ間に合うだろ」

「そうね。スケジュール的にはかなり厳しくなるけど、役者陣の集中力次第でやってやれないことはないと思うわ」

 子役時代から数々の過酷な現場を経験してきたかなも、役者としての視点からアクアの意見に同意して頷いた。

 しかし、ハルトは首を横に振った。

「そう簡単な話じゃないんだよ。現場の役者はそれでいいかもしれないが、俺たち裏方は新しい脚本家と一から演出や音響の体制を立て直さなきゃならない。PRやマーケティングにも多大な差し障りが出る。……ましてや、新しく連れてきた脚本家が書いた本が、今のGOAさんの本より優れたものになるっていう保証はどこにもないんだ」

 アクアが不満そうに眉をひそめる。ハルトは言葉を続けた。

「脚本そのものに致命的な欠陥があるわけじゃないんだよ。権利を持つ原作者を納得させられないプロデュース体制に問題があるんだ」

「日野、お前はいちいちGOAという脚本家を擁護するが、どうしてだ?」

 アクアの目が鋭さを増す。

「原作の熱量やキャラクターの魅力を無視するような脚本家を、お前がそこまで高く評価する理由がわからない」

 ハルトが反論しようと口を開きかけた――その瞬間。

「アクアくんは勘違いしてるよ!」

 背後にいたあかねが、身を乗り出すようにして声を上げた。

 あかねはハルトの隣に立ち、アクアに向かって早口で捲し立て始める。

「ハルトくんの言う通り、GOAさんの書いた脚本は決して悪くないよ! 私が今『鞘姫』の演技で詰まってるのは、あくまで私自身のプロファイリングと技術の問題なの! GOAさんはこれまでにたくさんの2.5次元舞台を手掛けてきて、原作者からもファンからもすごく高い評価を受けてるんだから! 去年上演された『ルーンストーン』の舞台化だって、原作の複雑な世界観を見事に二時間にまとめて、殺陣のテンポ感も最高で――」

 あかねの瞳にはオタク特有の熱い光が宿り、ノンストップでGOAの過去作の素晴らしさと表現力の凄まじさを長々と早口で語り出し始めた。

「……わ、わかった! わかったよ黒川、俺が悪かった……!」

 圧倒的な熱量と早口の弾丸トークに押し切られたアクアは、思わず両手を挙げて謝罪した。横で見ていたかなが「オタク特有の早口……」と小さく呆れ声で呟く。

「うーん……そう言われても、口で説明されてもイマイチ実感できないなぁ」

 パイプ椅子の背もたれに寄りかかっていたメルトが、首をかしげながら呑気に呟いた。

 その言葉を聞いたハルトの目が、パッと輝いた。

「おっ、メルトが今いいこと言ったな!」

「えっ? 俺なんか言いました?」

 ハルトはポケットからスマートフォンを取り出すと、操作した画面を控え室の中央にかざして見せた。

「今ちょうど、GOAさんが脚本を手掛けた別の2.5次元舞台が都内で公演中なんだよ。……どうだ? この五人で、週末に観に行かないか?」

「それっ! ハルトくん、ナイスアイデア!」

 あかねが手を叩いて賛同する。ハルトはニヤリと笑みを浮かべ、アクアとメルトを見つめた。

「だろ? 有馬はともかく、星野とメルトは本格的な舞台演技は初挑戦なんだからさ。これから自分が立つ舞台がどういうものなのか、客席からプロの熱量とか最新技術とかを体感しておくのも悪くないんじゃね?」

「……俺は正直、興味あるかも。勉強になりそうだし」

 メルトが前向きな表情で頷く。かなはチラリと隣のアクアの様子を伺った。

「私は……まあ、アクアが行くなら付き合ってあげてもいいけど」

「……。黒川がそこまで言うなら、確かめておく価値はあるな」

 アクアも最終的に頷き、ハルトの提案を受け入れた。

「よし、じゃあ決まりだな! チケットは俺が手配しておくよ」

「楽しみだね、ハルトくん!」

 あかねがハルトの腕にそっと手を添え、心から嬉しそうに微笑んだ。

 こうして、ハルト、あかね、アクア、かな、メルトの五人は、週末にGOAの手掛けた2.5次元舞台を観劇することとなったのだった。

 

 





 セリフと地の文の間の空行かぁ……。閲覧設定で調整できるからそのままにしておいたけど、これが原因でブラバされてる可能性もあるしなぁ……。どないしよ(ーー;)

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