週末の客席は、超満員の熱気と物珍しい重厚な空気感で満たされていた。
薄暗い劇場内、スポットライトが交錯し、耳を打つような重低音が響き渡る。舞台上で繰り広げられていたのは、まさに2.5次元演劇の神髄とも言える圧倒的なパフォーマンスだった。
舞台狭しと駆け巡る若手俳優たちの、肌を刺すような熱量を伴った息遣いと迫真の演技。それに加え、二次元特有の派手な必殺技や非現実的な能力の発動シーンが、緻密に計算された照明、重厚な音響、鮮やかなプロジェクションマッピング、そして演者たちの息の合ったダンスなどのアナログ・デジタル技術を縦横無尽に駆使して表現されていた。次元の壁を強引に打ち破り、現実の空間に作品世界を創り出すその圧倒的な演出力に、客席の最前列近くに並んだ一同は言葉を失っていた。
舞台初挑戦となるアクアとメルトはもちろんのこと、子役時代から幾多の生舞台を踏んできた経験豊富な有馬かなまでもが、まるで金縛りにでも遭ったかのように目を剥き、食い入るようにステージへと釘付けになっている。
ハルトはその三人の圧倒された横顔をチラリと盗み見ると、口角を上げて満足そうに深く頷いた。なお、隣に座る黒川あかねはといえば、いつものように純粋なファン目線でキラキラと瞳を輝かせ、舞台の世界観にどっぷりと没頭して熱中しているだけだった。
観劇後。街の灯りが煌めく夜の都心へと移動した五人は、ハルトが事前に手配していた落ち着いた雰囲気の高級焼肉屋の個室へと足を踏み入れた。
シックな木目を基調とした室内に、ダクトから漏れる香ばしい肉の匂いと網の爆ぜる音が漂っている。
「今日は俺が全部払うからさ。腹減ってるだろ? 好きなもん遠慮なく頼んでくれ」
ハルトがメニューを差し出すと、先ほどまで圧倒されていた面々の表情が一気に華やいだ。
卓を囲んで運ばれてくる上質なカルビやタン塩、ハラミに一同が舌鼓を打つ。ハルトとあかねの二人は手際よくトングを操り、網の上の肉を絶妙な焼き加減でひっくり返す焼肉奉行に徹していた。そして、その焼き上がった肉を主にかなが「美味しいーっ!」と遠慮容赦なく口の中へ平らげていく。
全員の腹が十分に膨らみ、温かいコーン茶で一息つき始めたタイミングを見計らい、ハルトは網の火力を弱めながら三人に視線を向けた。
「さて……GOAさんの舞台、実際に観てみてどうだった?」
まず口を開いたのはメルトだった。まだ興奮が冷めやらない様子で目を輝かせている。
「いや……マジで凄かったです! 正直、2.5次元ってキャラのコスプレショーみたいなもんだろって高を括ってた部分があったんですけど、完全に殴り倒されました。あの臨場感とテンポの良さは純粋に観客としてめちゃくちゃ引き込まれました!」
「私は役者の目線から見ても認めざるを得ないわね……」
かなが悔しそうに、けれど素直に感嘆のため息を漏らした。
「あの情報量の多い原作を、役者のセリフとアクションのテンポを殺さずに二時間の舞台に落とし込む構成力……悔しいけど完璧だったわ。演者の良さを最大限に引き出す本を書く脚本家よ、あの人は」
「演出技術と音響、映像の噛み合い方も計算し尽くされていた」
アクアも深く頷き、映像畑の人間としての冷静な分析を口にする。
「アナログな殺陣とデジタルのプロジェクションマッピングがコンマ数秒単位でシンクロしていた。あれは脚本段階で舞台上の視覚効果まで完全にイメージできていないと書けない芸当だ」
共通しているのは、三人とも生の舞台が放つ熱量に心から感動し、興奮が冷めやらない様子であるということだった。
そして何より――三人とも脚本家GOAの凄まじい実力を身をもって理解し、「彼を降板させるなんて選択肢は舞台『東京ブレイド』にとって悪影響にしかならない」と、これまでの認識を完全に改めたことだった。
だが、GOAの実力が本物であると分かったからといって、根本的な問題が解決したわけではない。むしろ、優れた脚本家だが、原作者の意向と乖離しているという複雑な状況に、一同は再び頭を抱えて重苦しい沈黙に包まれた。
ここで、ハルトがコーン茶を一口飲み、静かに切り出した。
「実はさ……今日観劇に来る前に雷田さんと話したんだが。来週、鮫島アビ子先生が稽古場の見学に直接訪れることが決まった」
その言葉に、あかねを含めた全員の背筋が凍りついた。
「雷田さんも、もしアビ子先生に脚本を全面ボツにされたら、全てが最初からやり直しになって12月末の公演スケジュールが完全に破綻する……そのリスクに耐えかねたんだろうな。当日はGOAさんと演出の金田一さんも同席させて、なんとか言葉で納得してもらおうと必死だったよ。……まあ、アビ子先生が今の脚本を気に入ってくれるっていう、奇跡みたいな低確率に縋ってる状態だな」
雷田の力ない顔を思い出しながらハルトが告げると、煙の充満した個室に焦燥感が広がった。
「さて、どうする……? このままだと来週、現場で大爆発が起きるぞ」
ハルトの問いかけに、さまざまな意見や見解が交わされる。だが、どれも根本的な解決には至らない。
その時、ずっと腕を組んで思案していたアクアが、ふと何かを思い出したように顔を上げた。
「……待てよ。鮫島アビ子の師匠って……『今日は甘口で』の作者、吉城寺頼子先生だったよな?」
「え? あ、うん。アビ子先生は元々、吉城寺先生のアシスタント出身だよ」
あかねが速攻で補足する。アクアの瞳に鋭い光が宿った。
「あのドラマの縁で、俺たちは吉城寺先生と繋がりがある。吉城寺先生に協力を頼んで、彼女経由で鮫島先生にGOAが過去に手掛けた2.5次元舞台の記録メディアを事前に渡してもらい、触れてもらうというのはどうだ?」
アクアはテーブルを軽く叩きながら言葉を繋いだ。
「鮫島先生が直接稽古場に来て怒りを爆発させる前に、GOAという脚本家がどれだけ原作をリスペクトし、素晴らしい舞台を創れる人間かを映像で知ってもらうんだ。先生が事前にGOAの実力を認めている状態を作れれば、最悪の決裂だけは回避して、前向きな話し合いに持ち込めるんじゃないか?」
アクアの理路整然としたアイデアに、ハルトは「ほう……」と感心して膝を打った。
「なるほどな! 伝言ゲームで大人たちが言い訳するより、GOAさんの〝本物〟の仕事を見せる方が遥かに説得力がある。いいアイデアだ、アクア」
「俺も……それに賛成です!」
メルトが力強い声で挙手した。その目には、強い決意が宿っている。
「俺……『今日あま』のドラマで吉城寺先生にヘボい演技見せて、すげー落胆させちゃったトラウマがあって……。今回の舞台『東京ブレイド』で成長した姿を見せて、絶対に見直してもらいたいんです。吉城寺先生に頼みに行くなら、俺も一緒に行かせてください!」
「メルト……」
かなもメルトの成長ぶりに目を見張り、力強く頷いた。「私も行くわ。吉城寺先生とは今でも連絡取ってるし」
「よし、決まりだな」
ハルトは頼もしい三人を見渡し、力強く微笑んだ。
「俺はGOAさんの手掛けた傑作舞台のBDや試写用メディア、資料を一通り手配して準備しておく。吉城寺先生との接触と交渉は、三人で頼んだぞ!」
「任せてくれ」
アクアが力強く頷き、作戦の方向性が明確に固まったのだった。
☆ ★ ☆
週が明け、運命の日がやってきた。
秋晴れの澄んだ空とは対照的に、稽古場内には胃が痛くなるような緊迫感が充満していた。
予定通り、稽古場の重い扉が開かれ、原作者である鮫島アビ子が姿を現した。
そしてその隣には、極度のコミュニケーション障害と人見知りを抱える弟子を心配し、付き添いとして同行した漫画家・吉城寺頼子の姿があった。
アクアの作戦は、見事なまでに的を射ていた。
吉城寺経由で事前にGOAの舞台映像を鑑賞していたアビ子は、稽古場で渡された現在の脚本に対して――案の定、「こんなの私の作品じゃない!」と不満を大爆発させた。
雷田や金田一が冷や汗を流して凍りつく中、しかしアビ子は言葉を続けた。
「でも……! GOAさんの作ってきた過去の舞台映像は見ました! 演出も構成も本当に凄かった……! だからGOAさんが悪いんじゃない、私の作品の解釈が伝わっていなかっただけです! GOAさんを責めないでください!」
アビ子はGOAの責任を問うどころか、その才能を絶賛したのだ。そして、目を爛々と輝かせながら言い放った。
「私……2.5次元舞台のこと、完全に舐めてました! あんなに凄い世界があったなんて……! 私、自分がこの舞台の脚本を書きます! GOAさん、私のやりたいことを舞台の形にするのを手伝ってください!」
吉城寺がハルトたちの横に寄り添い、「アビ子ちゃんね、渡された映像観てすっかり2.5次元舞台にハマっちゃって……自分でも書きたいって聞かないのよ」と苦笑交じりに教えてくれた。
プロデューサーの雷田は、原作者自身が脚本に直接介入することによるスケジュールの更なる遅延と暴走の懸念に、「いやしかしアビ子先生……!」と大いに難色を示した。だが、創作意欲を極限まで爆発させた天才漫画家の圧倒的な熱量と迫力に押し切られ、最終的には「分かりました……! GOAさんと二人で共同執筆という形でお願いします!」と渋々了承せざるを得なかったのだった。
☆ ★ ☆
それから数日の月日が流れた。
脚本が全面的に改訂されることとなったため、役者陣による立ち稽古や本読みは一次中断を余儀なくされていた。
しかし、現場の準備が止まったわけではない。劇場裏では、衣装合わせや刀などの小道具の調整、さらには巨大な背景セットなどの大道具が続々とステージへと搬入され、本番に向けた準備は着々と進められていた。
当然、劇伴を担当するハルトも手をこまねいていたわけではない。新しい脚本の展開に合わせて楽曲の構成やコード進行、イントロの尺をいつでも書き直せるよう、PCに向かって幾つものアレンジパターンを事前に準備していた。
そんな、静かな熱気が漂うある日の稽古場。
重い防音扉が開き、脚本家のGOAと、原作者の鮫島アビ子が足取りも軽やかに姿を現した。その後ろには、胃潰瘍寸前の表情をした雷田と金田一が従っている。
どうやら新しい脚本を共同制作する過酷な作業の過程で、クリエイター同士として完全に意気投合したらしく、GOAとアビ子の間には晴れやかな信頼関係が築かれているようだった。
「皆様、お待たせしました! アビ子先生とGOAさんが魂を削って書き上げた、舞台『東京ブレイド』の最終決定稿台本です!」
雷田の声とともに、分厚い冊子が刷り立てのインクの匂いを漂わせながら、役者陣一人ひとりに手渡されていく。
ハルトは壁際のパイプ椅子に深々と腰掛け、缶コーヒーを片手にその様子をのんびりと眺めていた。
(ふぅ……やれやれ。これでようやく俺も本格的な劇伴の打ち込み作業に入れるな。一時はどうなるかと思ったが、結果オーライか)
胸を撫で下ろし、自分の仕事ができる安堵感に浸っていたハルトだったが――その平穏は、一瞬にして打ち砕かれた。
刷り立ての台本を開いた役者陣のあちこちから、「えっ!?」「嘘だろ……!?」「これ、マジかよ!?」という驚愕と困惑の声が上がり始めたのだ。
「え……? ちょっと、これどういうこと……!?」
あかねが青ざめた顔で、慌てた様子で台本を片手にハルトのもとへと走ってきた。
「どうした、あかね。そんなに慌てて。また『鞘姫』の出番でも増えたか?」
「違うの! これ! これを見て、ハルトくん!」
あまりのパニックぶりに困惑しつつも、ハルトはあかねから差し出された重みのある台本を受け取った。
まず、その表紙に印字されたタイトルに目が留まる。
『舞台「東京ブレイド」――【渋谷抗争編】 改め 【天魔覆滅編】』
(……天魔覆滅編……?)
その不穏すぎるサブタイトルを目にした瞬間、ハルトの背筋に冷たい汗が伝った。
『天魔覆滅編』――それは、かつてハルトが『ソレイユ』としてテーマソングを担当し、鮫島アビ子と直接やり取りをして大成功を収めた、あの劇場版アニメのサブタイトルそのものだった。
ふつふつと湧き上がる強烈な嫌な予感に指を震わせながら、ハルトは台本のページをめくった。
一ページ目、登場人物とキャストが一覧で記載されている【キャスト表】。
主演:ブレイド 役 姫川大輝。
ヒロイン:鞘姫 役 黒川あかね つるぎ 役 有馬かな。
主要キャスト:刀鬼 役 星野アクア キザミ 役 鳴嶋メルト 匁 役 鴨志田朔夜……。
順に目を滑らせていき――その一番最後、異質な枠で囲まれた最下段の行に存在する文字を捉えた瞬間、ハルトの思考が完全にフリーズした。
そこには、ハッキリとこう印字されていた。
【〝第六天魔王〟波旬 役 ―― 日野ハルト】
手に持っていた缶コーヒーが、指先から滑り落ちそうになる。
劇伴作家として参加していたはずの自分の名前が、
静まり返る稽古場の中、ハルトは開いた口が塞がらないまま、絶句した。
「なん……だと……」
1話の文字数はどのくらいがいい?自分は5000文字を目安にしています
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