十二月二十二日、金曜日。
街はすっかりクリスマス一色に染まっていた。
歩道に立ち並ぶ枯れ木にはシャンパンゴールドのイルミネーションが幾重にも巻き付けられ、日が落ちる前からチカチカとせわしなく瞬いている。冷たいビル風が吹き抜けるたび、すれ違う人々はマフラーに顔を埋めて足早に通り過ぎていくが、その足取りはどこか浮き足立っているように見えた。
都内のとあるカフェの店内。
扉を開けると、エスプレッソマシンのシュルシュルという蒸気音と、深く焙煎されたコーヒー豆の香ばしい匂い、そしてシナモンや甘い焼き菓子の香りがふわりと鼻をくすぐる。スピーカーからは控えめな音量でクリスマス・ジャズが流れており、外の凍てつくような寒さが嘘のように、暖房の効いた店内は穏やかな空気に包まれていた。
フロアの奥、観葉植物で程よく視線が遮られた窓際のテーブル席。そこに、それぞれの高校の制服にカーディガンを羽織ったあかねとかなが、向かい合うようにして座っていた。二人の間には、湯気を立てるカフェラテと、手つかずのままのフルーツタルトが置かれている。
「もぉ〜、どうしたらいいのよぉ……!」
テーブルに突っ伏すようにして、かなが頭を抱え込んだ。ただでさえ小柄な彼女の身体が、肩を落としたことでさらに一回り小さく見える。
「かなちゃん……」
あかねは、ストローを咥えるのをやめて、困ったような、しかしどこか慈しむような眼差しでかなを見つめた。
有馬かなが今、顔をしかめて頭を悩ませている最大の要因。それは、どうやったら星野アクアを振り向かせることができるのか。どのようにアプローチを展開するべきなのか、という切実な恋の悩みだった。
舞台の公演前という限られた時間を使って、こうして二人きりでお茶会を開いている。あかねにとって、推しである『有馬かな』のプライベートな顔を独占し、直接相談に乗れるこの状況は、胸の奥がキュンと高鳴るほどの至福の喜びだった。
「一応、確認するけど……アクアくんには、お母さんの真実を知ったってこと、勘付かれてないよね?」
「それは、たぶん大丈夫だと思う……」
かなは顔を半分テーブルに沈めたまま、モゴモゴとくぐもった声で答えた。
(ほんとかなぁ……)
あかねは内心で少しだけ訝しんだ。かなは感情が表に出やすい。嘘や隠し事が絶望的に下手な彼女が、あの鋭い観察眼を持つアクア相手に完全にポーカーフェイスを貫けているかは怪しいところだ。
しかし、もしアクアに気付かれたのなら、秘密を漏らした張本人である自分が真っ先に怒りを買い、謝ればいいだけのことだ。彼に嫌われて絶交されたとしても、結果的にかながアクアの心を救い、彼女自身が幸せになってくれるのならそれで構わないと、あかねは静かに結論付けていた。
数日前、アクアの抱える凄惨なトラウマを共有されてからというもの、かなの行動は良くも悪くも変化していた。
どうアクアに接触したらいいのか、傷つけない言葉選びとは何なのかを考えすぎるあまり、彼女の態度は予想通りひどくギクシャクしたものになっていた。しかし、アクアの一見冷たく突き放すような態度に
「たぶんね、アクアくんに〝察して〟系の遠回しな恋の駆け引きとかは、一切通用しないと思うよ。彼、そういうの意図的にシャットアウトするから。日常の場面だったら、もう少し積極的にアピールしないと」
「う……それができれば苦労しないわよ……」
かなが恨めしそうに上目遣いであかねを睨む。
その意外な発言に、あかねは小さく首を傾げた。あかねはてっきり、かなは持ち前の押しの強さで、すでにアクアに対して猛アタックを仕掛けているものとばかり思っていたからだ。少なくともあかねの見える範囲では、舞台の稽古中も楽屋でも、アクアの周りをウロチョロと纏わりつき、ずっとちょっかいをかけているかなの姿しか目撃していなかった。
「そもそも、かなちゃんは今まで、アクアくんにどうやってアプローチしてきたの?」
「アプローチ……」
かなは身体を起こし、冷めかけたカフェラテのカップを両手で包み込むようにしながら、暫くの間、深い思考の海に沈むように黙りこくった。
ジャズのベース音が心地よく響く中、かなはぽつり、ぽつりと重い口を開き始めた。
「舞台の稽古中、私はあいつにずっと付きまとっていたわ。隙あらば話しかけたし、演技の深い相談もした。あいつだって、私には優しかったし、座長として頼ってくれてる感じもあった。だから、絶対に私のこと
悔しさや、届かない虚しさを思い出したのだろう。かなの大きく美しい瞳の端に、じわりと透明な涙が滲んで浮かんだ。
「私が……『アイドルの私、どうだった?』って、一番自信のある姿でアピールしても、あいつはまるで保護者みたいな……どこか遠くを見るような、寂しそうな目をするだけ。なんで? 私、こんなに可愛くて、演技だって誰にも負けないくらいできて、あいつのために……あいつに見てほしくて、アイドルだってやってるのに。どうして一人の女の子として、真っ直ぐに私のことを見てくれないの?」
切実な、恋する少女の痛切な叫び。
その語りをじっと真剣な表情で聞いていたあかねは、ある致命的なエラーに気付き、そっと口を開いた。
「かなちゃん。それは……悪手じゃない?」
「えっ?」
あかねの静かな、しかし確信に満ちた指摘に、かなは呆然として言葉を失った。
「距離を詰めること自体は、すごくいいと思う。アクアくん、根はすごく優しいし、面倒見がいいから、押し切れば絆されてくれるかもしれない。でも……アイドルとして、役者としての魅力を真正面からアピールするのは、今のアクアくんには完全に逆効果だよ」
「な、なんでよ!」
「かなちゃん、忘れたの? アクアくんは、アイドルとして絶頂期だったお母さんを、熱狂的なファンの手によって目の前で亡くしたことが、癒えないトラウマになっているんだよ? キラキラしたアイドルでも、才能溢れる役者でも……スポットライトを浴びて壇上に立つ
「あっ……!」
あかねのロジカルで残酷なまでの指摘に、かなは愕然と目を見開いた。
自分の最も誇れる武器であり、彼に一番見てほしかった輝きが、まさか彼の最も触れられたくない傷を塩もみするような行為だったなんて。
ワナワナと桜色の唇を震わせ、かなは耐えきれずにガタッと音を立てて席を立った。
「じゃ、じゃあ……っ! じゃあ、私はいったいどうしたらいいのよっ!」
悲痛な叫びが、静かなカフェの店内に響き渡る。
エスプレッソマシンの音が止まり、周囲の客たちの怪訝な視線が一斉にあかねたちの席へと集中した。
「か、かなちゃん、落ち着いて。声が大きいから」
「あっ……ご、ごめん」
周囲の空気に気付き、顔を真っ赤にしたかなは、ストンと椅子に腰を落とし、シュンと借りてきた猫のように小さくなった。
「どうしたらいいのよ……あたしには、芝居しかないのに……」
絞り出すような、か細いかなの声。その悲痛な響きに、あかねは胸の奥がキュッと痛んだ。
(私が、かなちゃんを助けてあげなきゃ……!)
推しの笑顔を取り戻し、彼女の恋を成就させるという強烈な使命感が、あかねの心の中で業火のように燃え盛り始めた。
あかねは傍らに置いていた通学鞄のチャックを開け、中から何の変哲もない一冊の大学ノートを取り出した。表紙には何も書かれていないが、ページを開く手つきには奇妙なほどの自信が満ちていた。この日のために、夜を徹して調べ上げて考え抜き、構築してきた
「かなちゃん、私に任せて!」
「……あかね?」
突然、眼のハイライトが消え、底知れぬ凄みを漂わせ始めたあかねに、かなは戸惑いの声を漏らす。
「まず、これを見て」
ドンッ、とテーブルの中央に置かれたノートが開かれる。
そこに広がっていたのは、びっしりと書き込まれた細かな文字、相関図、そしてフローチャート。あかねの天才的なプロファイリング能力をフル稼働させ、星野アクアという人間の精神構造、行動原理、トラウマのトリガー、そして防衛機制を完全に丸裸にした、一種の解析書だった。
狂気すら感じるその情報量に、かなはそれを見ただけで背筋に冷や汗をかき、ドン引きして身体をのけぞらせた。
「な、なによこれ……。これを私に全部覚えろって言うの?」
「ううん、そういうわけじゃないけど、目を通したら少しはアクアくんの思考回路の参考になるかなって」
「アンタじゃないんだから、こんな図形みたいなの、いちいち覚えてられないでしょ! 頭おかしいんじゃないの!?」
「そうかなぁ……ハルトくんはすごく褒めてくれたんだけど」
あかねは不満げに首を傾げつつ、ノートのページをパラパラと捲った。
「まあ、いいか。かなちゃん、ここからが本命よ。一言一句、よく聞いてね」
あかねの指先が、ある見開きのページで止まった。
そこには、彼女の几帳面で丸みを帯びた文字で【星野アクア攻略法(論理編)】という見出しが書かれていた。
ここから、心理学的なテクニックを悪用――いや、応用した、天才役者・黒川あかねによる〝星野アクアの精神ハッキング講座〟が幕を開けた。
「まず一つ目。これは基本中の基本ね。『ベン・フランクリン効果』の悪用。つまり、些細で日常的な頼み事を意図的にするの」
「ベン・フラ……?」
「ロジックとしては、『人間は、自分が助けた相手に対して無意識に好意を抱く』という認知不協和を利用した心理学の手法よ。アクアくんはね、お母さんを守れなかったという過去から、『誰かを守る』『誰かの役に立つ』ことへの異常なまでの強迫観念があるの」
あかねは真剣な瞳で、ペン先でノートを指し示す。
「だから、彼に重い相談……例えば、アイドルとしてのキャリアの悩みとか、演技の深い壁にぶつかっているとか、そういう本質的な相談をしてしまうと、彼は即座に『有馬かなを保護しなければならない』という『保護者モード』に入っちゃうの。恋愛対象から完全に外れる原因はここにあるわ」
「……!」
「だから、かなちゃんは『重くない、どうでもいい日常の頼み事』を意図的に増やして。例えば、学校の宿題の解き方を教えてもらうとか、ちょっと高いところにある何かを取ってもらうとか、ゲームのレベル上げを手伝わせるとか。そうやって『ただの世話が焼ける、等身大のポンコツ女子高生』のイメージを彼の脳内に刷り込むの。そうすることで、重い保護者としてではなく、『同級生の男子』としての自己肯定感を彼に持たせるのよ」
「だ、誰がポンコツよ……! でも……言われてみれば、あいつ、私がしょうもないミスした時の方が、自然に笑ってる気がする……」
「次。二つ目は『罪悪感のハッキング』。主語を『私』にすり替える技術よ」
かなの納得を待たず、あかねは矢継ぎ早に説明を続ける。
「アクアくんの精神の根底には、『自分だけが楽しむこと・幸せになることへの強烈な罪悪感』があるの。だから、彼に向かって『一緒に遊ぼう』とか『楽しんでほしいな』って善意で言っても、彼は『俺にそんな平穏を享受する資格はない』って、無意識の防衛本能で拒絶しちゃうの」
「……めんどくさい男ね」
「そこで、主語を変えるの。『私がクレープを食べたいから、荷物持ちとして付き合ってよ』『私がたまのオフを満喫したいから、一日エスコートしてよね』って。あくまで『有馬かなのワガママに付き合わされている、これは彼女を満足させるための義務だ』という大義名分を彼に与えるのよ。そうすれば、彼は論理的に断る理由を失うし、罪悪感を刺激することなく、結果的に普通のデートに引きずり込めるはずだよ」
「つまり、あいつをデートに誘うんじゃなくて、あたしの用事に付き合わせればいいってこと?」
「そう! アクアくんにとっては、かなちゃんを喜ばせるための仕事になるの!」
あかねの挙げた例に身に覚えがあるのか、かなは感心したように頷いた。小さく、「それならできるかも」と呟く。
「三つ目。『外堀埋め』による既成事実の構築。あかね流パワープレイよ」
「自分で自分の名前入れちゃってるじゃない……」
「かなちゃんはね、態度が大きいわりに、いざとなると受け身すぎるの。もっと狡猾に、有無を言わさず外堀を埋めないと。例えば、『次の役作りのために、普通の高校生の放課後の感覚をリサーチしたいから、毎週火曜日は一緒に帰る協定を結ぼう』とか、彼が論理的に反論できない、いかにも役者らしい理由をでっち上げて、強制的なルーティンを作っちゃうの」
あかねはふふん、と自信ありげに胸を張った。
一方、態度が大きいというあけすけな評価にかなが眉を顰める。しかし、反論の余地がなかったのか、口をとがらせるにとどめた。
「私はね、ハルトくんをそうやって論理的に外堀を埋めて、気付いた時にはもう逃げられない状況を作って落としたんだから。このアプローチの威力は私が身をもって保証するわ」
「……私、あいつのことちょっと可哀想になってきたんだけど」
「四つ目。意図的な『自己開示の返報性』。カッコ悪い失敗談の共有よ」
かなのドン引きしたツッコミを華麗にスルーし、あかねは続ける。
「さっきも言った通り、ステージの上から圧倒的な輝きを見せつけるのは、もう彼に対しては禁止。その代わりに、かなちゃんの『今までで一番カッコ悪い失敗』を、彼にだけこっそり教えるの。例えば、休みの日に料理を盛大に焦がしてボヤ騒ぎになりかけたとか、寝坊して頭ボサボサのパジャマ姿でコンビニに行ったとか」
「ちょっと、なんで私のプライベートの失敗を知って……!」
「人間はね、相手の秘密や恥ずかしい部分を共有された時、相手への親密さを論理的に錯覚する生き物なの。完璧なアイドルの有馬かなじゃなくて、隙だらけでダメな有馬かなを見せることが、警戒心の塊であるアクアくんにとっては、一番の『安心材料』になるんだよ」
あかねはノートに書かれた手書きの図解を指し示しながら、淡々と、しかし推しであるかなの幸せを願う熱い思いを込めて、『星野アクアの脳内構造とバグの突き方』をプレゼンし続けた。
「あんた……なんでそんな、可愛げの欠片もない理屈ばっかりで恋愛語ってんのよ……!」
かなは完全にドン引きし、頬を引きつらせていた。しかし、その反面、「でも確かに、あいつみたいな捻くれたやつには、普通の正攻法じゃ一生響かないかも……」と、その冷徹なまでのロジックに妙に納得させられはじめている自分もいた。
目の前で、普段の引っ込み思案が嘘のようにドヤ顔で自信満々に語っているあかねの迫力に、完全に呑まれていた。
「ふふっ、まだまだ続くよ、かなちゃん。次はフィジカル編!」
「まだあるの!?」
かなの悲鳴めいた声をBGMに、あかねはノートのページを勢いよく捲った。
【あかねのロジカル恋愛アドバイス(フィジカル編)】
「フィジカル編の一つ目は、無意識下の安全領域侵入。心理学で言う『ミラーリング効果』と『ペーシング』よ」
あかねはストローを咥え、一口カフェラテを飲んで喉を潤した。
「ロジックとしては、相手の仕草や言葉のトーンを意図的に真似ることで、無意識下に『この人は自分と似た仲間である』と錯覚させるテクニックね。かなちゃんはいつも『私を見て!』『私が私が!』って、自分の高いテンションとペースで彼を強引に引っ張ろうとするでしょ? それだと、警戒心の塊であるアクアくんの強固な防衛本能に、異物として弾かれちゃうの」
「うっ……」
「だから『ミラーリング』よ。彼がグラスを持って飲み物を飲んだら、かなちゃんも同じタイミングでカップに口をつける。彼が疲れてため息をついたら、同じトーンで息を吐く。歩幅や呼吸のペースを、完全に彼に合わせる『ペーシング』。そうやって、視覚と聴覚から『私はあなたと同じリズムで生きている、完全に無害な存在ですよ』って、彼の脳に直接錯覚させるの。彼のトラウマというアラートを起動させずに、スッと彼のパーソナルスペースに入り込むための、基本にして最強のハッキング技術よ」
「……」
かなはもはや言葉を失い、コクコクと頷くマシーンと化していた。
「二つ目。これが一番重要。オキシトシン分泌の強制トリガー、通称『ロジカル・スキンシップ』よ」
「ロ、ロジカル・スキンシップ……」
「そう。言葉や態度でのアプローチは、彼のあの優秀すぎる脳みそがすぐに『これはアイドルの恋愛というリスクだ』と変換して、理性のブロックをかけちゃうわ。だから、理性をすっ飛ばして、本能に直接アプローチするの。それが『物理的な
あかねは身を乗り出し、かなのカーディガンの袖をちょこんと摘まんだ。
「でもね、露骨に『女』を武器にしたベタベタした接触は絶対にダメ。彼がトラウマでドン引きするから。あくまで『気を許している同性の友達』くらいの、自然な接触よ。こうやって服の袖をちょっと引っ張って気を引くとか、ツッコミを入れる時に軽く肩を叩くとか、歩く時に腕がたまに触れ合う距離をキープするとか。これを無意識レベルで繰り返すことで、彼の脳に『有馬かなが隣にいるのは自然なこと』って覚え込ませるの。つまり、パブロフの犬化されるわ!」
バァン! と、あかねは見えない背景に集中線が引かれるほどのドヤ顔をかなに向けた。
「ちなみに、私はこのテクニックを海外の心理学の専門書を読み漁って学んで、ハルトくんを完全に論理的に陥落させたの。それくらい、この方法の威力は絶大よ」
「ホントかしら……あいつ、単純にアンタの顔が好きだっただけじゃないの……」
あかねの自信満々なドヤ顔に、かなはジト目で疑いの視線を向ける。しかし、それを知ってか知らずか、あかねの講義は止まらない。
「いい? かなちゃん。アクアくんみたいな、過去に縛られて重症レベルで拗らせた相手への恋愛はね、もうフワフワした感情論じゃどうにもならないの。必要なのは『脳の
「……」
かなは、心底ドン引きした表情で、呆れたようにため息をついた。
「……あんた、それ本気で言ってるの? 好きな男落とすのにバックドアとか……。推しに純粋な恋愛相談をしたはずなのに、なんかヤバいサイバーテロリストみたいなこと言い出したんだけど……。ハルトはよく、こんなど理屈一辺倒で中身がストーカーみたいな女と付き合ってられるわね……」
かなの毒舌にも、あかねは全く動じることなく、むしろふふん、と鼻を鳴らして誇らしげに胸を張った。
「ハルトくんはね、私のこういう知的で徹底的なところも『あかねらしくて可愛い』って愛してくれてるから(ドヤ)。とにかく、かなちゃんは、今までの『私が私が』って前に出るのをグッと我慢して、徹底的に『彼のペースに同調するミラーリング』と『物理的に安心させるスキンシップ』に徹するの。これが一番、彼を狂気の世界から日常に引き戻す確率の高い、唯一の最適解よ!」
一通り喋り倒し、自分の持てる知識をすべて推しに注ぎ込んで大満足したあかねは、喉の渇きを癒すために、すっかり冷めきったカフェラテのカップのストローに口を付けた。
「ふぅ……それでかなちゃん、明後日のクリスマスはどうするの?」
モードを切り替え、普通の女子高生のような口調で尋ねるあかねに、かなは少し疲れたように答えた。
「クリスマス? イブは仕事だけど、当日は苺プロのみんなで事務所でパーティーする予定だけど……それがどうしたのよ」
「ちょうどいいね! かなちゃん、まず明日にでも、クリスマスプレゼントをアクアくんと一緒に買いに行きましょう」
「はあ? なんで一緒に……」
「『パーティーに持ち寄るプレゼント選びのセンスがないから、男目線で選ぶのを付き合ってよ。荷物持ちもしてね』って口実で誘い出すの」
「あ……これ、さっき言ってた『2. 罪悪感のハッキング』ってやつ?」
「そう! 流石かなちゃん、飲み込みが早い! あくまでも、かなちゃんが『自分のミッション』を済ませるために、アクアくんを仕方なく付き合わせるの。かなちゃんのワガママなキャラなら、全然不自然じゃないし」
「ちょっと、どういう意味よ、それ……ワガママって……」
「まあまあ」
ムッとするかなを宥めつつ、あかねはさらに踏み込む。
「そして、パーティーでのプレゼント交換用とは別に……アクアくんへ直接渡す、個人的なクリスマスプレゼントをその時に選ぶのよ」
「ア、アクアへの……クリスマスプレゼント……!」
その甘美でロマンチックな単語の響きに、かなの顔がボフッと音を立てるように赤く染まり、瞳が乙女のように陶酔しだした。
しかし、そんなかなの夢見る妄想を、サイバーテロリストあかねの冷徹なロジックが容赦なく切り捨てる。
「いい、かなちゃん。絶対に間違えないでね。アクセサリー類や、身につける装飾品は
「うぐっ……」
手編みの手袋あたりを妄想していたのだろう、図星を突かれたかなが、喉の奥でカエルのようなうめき声を上げた。
「私が彼のパーソナリティをプロファイリングした結果、提案する適切なプレゼントは……『保温・保冷に優れた、シンプルで高品質なブランド物のタンブラー』だよ」
「タンブラー? なんか……色気がないというか、実用的すぎない?」
「そこがいいの!」
あかねは机をトン、と叩いた。
「アクアくんの異常な警戒心をすり抜ける絶対条件は、『圧倒的な実用性』なの。タンブラーなら、アクアくんは仕事現場でも、家で夜更かしして動画編集をしている時でも必ず使うでしょ? 心理学には『ザイオンス効果』、日本語で言うと単純接触効果というものがあるの。人は、接触回数が多いものに対して無意識に好意を抱くのよ。想像してみて」
あかねは語る。
「彼が夜中に、一人でパソコンに向かっている時。ふと息抜きにコーヒーを飲む。その手には、かなちゃんが贈ったタンブラーがある。毎日毎日、彼の一番無防備でプライベートな時間に、物理的にあなたの存在をすり込ませるの。これは『ただの実用品』の皮を被った、彼の日常へ侵入するための『トロイの木馬』よ」
「またややこしい言い回ししよってからに……」
かなは呆れ果てていたが、その情景を想像して少しだけ顔を綻ばせた。
「それから、渡す時のシチュエーション。絶対にモジモジして頬を染めたりしちゃダメ。『メリークリスマス!』なんていうロマンチックな演出も一切不要」
「ええっ、そこが一番大事なところじゃない!」
「違うの。プレゼント交換の買い出しで、彼を荷物持ちとして散々振り回した帰り道。別れ際に、ポンッと『ついで』みたいに無造作に渡すの。そしてこう言うのよ」
あかねは一度咳払いをして、声色を少し低く、かなのツンデレなトーンに似せて実演した。
「『……いつも夜中までパソコン作業してて、目の下にクマ作ってるのが、見ててウザいから。B小町のプロデューサーが過労で倒れたら、こっちが迷惑するの。だからこれで、温かいものでも飲んで』って」
「……つまり、『仕事環境を守るための、プロデューサーへの実用的な投資』だって言い張るってこと?」
「そう! これなら、彼の理屈っぽい脳みそも反論できないし、彼が罪悪感を感じる隙もない。素直に受け取るしかないわ」
「むむむ……」
完璧なロジックに裏打ちされた台詞に、かなは反論の余地もなかった。
「それからもちろん、明後日のパーティーの時には、隣に座ってミラーリングとスキンシップを意識してね。特に食事会ってシチュエーションは、飲み物を飲むタイミングとか、ミラーリングを自然に実践する絶好のチャンスなんだから!」
「が、頑張ってみる、わよ……」
「あとかなちゃん、アクアくんとのショッピングではくれぐれも身バレに注意すること! 特に二人っきりの食事は絶対に禁止! アイドルは、一度の炎上が致命傷なんだからね!」
「わかってるってばぁ……」
あかねの凄まじい熱量と迫力に完全に圧倒されたかなは、助けを求めるように虚空を見つめながら、弱々しく答えるのだった。
☆ ★ ☆
翌、十二月二十三日。土曜日。クリスマスイブイブ。
澄み切った冬の空気が街を包み込み、行き交う人々の吐く息が白く染まる夕暮れ時。
都内の賑わうショッピングモールの帰り道。
申し訳程度に変装したかなは、あかねの教えを忠実に守り、「苺プロのプレゼント交換用の品を、男目線で選んでほしい。あと荷物持ちしてよね」という『私が用事を済ませるための義務』という大義名分を振りかざし、見事にアクアをプライベートで引っ張り出すことに成功していた。
アクアの両手には、かなが選んだ(というより買わされた)紙袋がいくつか提げられている。
冷たい風が二人の間を吹き抜ける中、駅へと向かう道すがら、かなの心臓は早鐘のように打ち鳴らされていた。コートのポケットに突っ込んだ右手は、綺麗にラッピングされた小さな箱――高品質な保温タンブラーを、汗ばむほど強く握りしめている。
(今よ……ここで渡すのよ、有馬かな……!)
かなは立ち止まり、前を歩くアクアの背中に声をかけた。
「ちょっと、アクア」
「ん? なんだ、まだ何か買い足りないのか?」
アクアが振り返る。その首元には、冷気を防ぐための黒いマフラーが巻かれ、冷たそうな瞳がかなを見下ろした。
かなはポケットからラッピングされた箱を取り出し、アクアの胸元へ押し付けるように突き出した。
「ほら、これ」
「……なんだこれ」
「あんたへのプレゼントよ」
アクアが怪訝な顔をして、バリアを張ろうとするその一瞬の隙を突き、かなはあかねから叩き込まれたセリフを、照れ隠しもあって猛烈な早口で言い放った。
「い、いつも夜中まで作業してて目の下にクマ作ってるのが、見ててウザいからっ! 私たちのプロデューサーが倒れたら、こっちが迷惑するの。だから、これで温かいものでも飲んでよねっ!」
顔を真っ赤にして、そっぽを向きながら言い切ったかな。
アクアは突き出された箱と、かなの顔を交互に見比べ、一瞬きょとんとした表情を浮かべた。しかし、その「過労対策への投資」という極めて実用的で理屈っぽい理由に押し切られる形で、彼はふっと、張り詰めていた肩の力を抜いた。
「……サンキュ。ありがたく使わせてもらう」
アクアの口元に、微かな、しかし確かに温度のある柔らかな笑みが浮かんだ。彼は心の防壁(バリア)を張ることなく、ごく自然な動作でかなの手からプレゼントを受け取ったのだ。
その瞬間、かなの胸の奥で、嬉しさと安堵が弾けた。
「ふ、ふんっ。大事に使いなさいよ!」
かなは照れ隠しにツンと鼻を鳴らし、足早に歩き出した。その後ろ姿を、アクアが紙袋を持ち直しながら静かに追いかけていく。
その一部始終を。
街路樹と電柱が作る物陰から、完全に気配を殺してこっそりと見守っていた二つの影があった。
「計画通り……!」
帽子とマフラーで顔を隠したあかねが、暗闇の中で凄腕ハッカーのような邪悪な笑みを浮かべてガッツポーズをした。
「どう、ハルトくん? 私のアドバイス、完璧でしょ?」
隣に立つ長身の恋人を振り返り、あかねは「褒めて褒めて」と言わんばかりのドヤ顔を向ける。
ハルトは、最愛の恋人が見せた、恋愛をサイバー攻撃か何かと勘違いしているズレた倫理観からそっと目を背けつつ、優しく微笑んだ。
「ああ。流石は俺のあかねだ。……あかねは今日も、最高にかわいいなぁ」
「えへへ……」
本質的なツッコミを放棄し、甘やかすことに全振りしたハルトの大きな手が、あかねの頭を優しく撫でる。
冷たい冬の風の中、二組の不器用な恋模様は、クリスマスの足音とともに静かに、そして確かに前へと進んでいた。