十二月上旬。
都心を取り巻く空気はすっかりと尖り、肌を刺すような冬の冷気が街全体を覆っていた。校舎の屋上に吹き抜ける北風は容赦なく衣服の隙間を吹き抜けていくが、フェンスの向こうに広がる澄み渡った冬空は、どこまでも高く、哀しいほどに青く澄み渡っていた。
寒風が吹き荒ぶ誰もいない放課後の屋上で、二人並んでベンチに腰掛けるあかねとハルト。
あかねが自宅から保温ジャーに入れて持参した特製の温かい野菜スープの注ぎ口からは、白く濃厚な水蒸気が揺らめき、冬の澄んだ空気の中に溶け込むように立ち上っていた。コンソメと刻み野菜の甘く香ばしい匂いが、凍えるような空間をやさしく包み込んでいる。
「すっかり街もイルミネーションで飾られて、クリスマスムード一色だな」
ハルトは両手で包み込むように持ったスープカップから、フーフーと息を吹きかけ、美味しそうにスープを一口すすった。喉を通る温かな熱に目を細めながら、遠くのビル群の合間に見える街並みを眺める。駅前の並木通りには、すでに色とりどりのLED電球が巻き付けられ、夕暮れを待つばかりとなっていた。
「そうだね。……今年はホワイト・クリスマスになるのかな?」
あかねは自分の両手をスープの熱で温めながら、少しロマンチックに冬の空を見上げた。
「なんねーだろ。最近の日本は冬でも異常に暑かったり寒かったりだし、都内で雪が降るのはどうせ年が明けてからだろ」
ハルトの夢のない、極めて現実的なツッコミに、あかねは「もう、ハルトくんたら……」と苦笑しつつも、どこか嬉しそうに手元のスマートフォンへと目を落とした。
画面に表示されているのは、今朝SNSで情報解禁されたばかりのネットドラマのニュース記事だ。大々的に掲載されたプロモーション画像には、赤いベレー帽をかぶり、凛とした透明感を放つ少女の姿があった。
「あ、見てハルトくん! かなちゃんの出演する注目ドラマ『今日は甘口で』の配信情報、また新しいPVが公開されたんだって! 来年一月から配信開始だって……あぁもう、絶対リアタイで観なきゃ……正座待機だよ……!」
画面に映る有馬かなのアーティスト写真と予告映像を凝視し、あかねの瞳は爛々とした輝きを放っている。彼女の指先が素早く画面をスクロールし、かなの表情の作り方や照明の当たり方を穴があくほど観察していた。
「お前、本当に有馬かなのこと好きすぎだろ」
ハルトはスープのカップを膝の上に置き、呆れ混じりの、けれど可笑しそうな視線をあかねに向けた。
「うん! だって私の最高の『推し』だからね!」
あかねは一切の迷いなく、両手で固く拳を握りしめて胸の前で力強く断言した。劇団ララライの若手エースとしての対抗心もさることながら、一人のファンとしての重すぎる愛。ハルトは「はいはい」と苦笑しながら肩をすくめる。あかねの有馬かなに対するガチ恋レベルの情熱は、いつ見ても一切のブレがなかった。
「……でもね」
あかねはスマホの画面をそっと閉じ、膝の上で両手をギュッと握りしめた。風に煽られた青みがかった美しい髪が彼女の頬をかすめる。頬を微かに朱に染め、照れくささを隠すように上目遣いでハルトのひまわり色の瞳を見つめた。
「かなちゃんのドラマもすっごく楽しみだけど……今年のクリスマス当日、ハルトくんと……二人で、ゆっくり過ごせたらいいなって……思ってたんだけどな……」
吐く息が白く揺れる。少女の切実で甘いねだり。
だが、ハルトは「あー……それがさ」と、心底申し訳なさそうにアッシュグレーの髪をガリガリと掻き回した。
「俺、今年のクリスマス当日、リスナーと二十四時間生配信する約束しちゃってんだわ」
「えっ……に、二十四時間!?」
あかねの目が見開かれる。
「高校に入って一人暮らし始めたら絶対やるって、中学の頃からチャンネルのリスナーと約束してたんだよな。実家にいた頃は親の目もあったし、今さら約束破って配信休んだら、チキン冷めちゃったどころの騒ぎじゃねえぞ。炎上してネットの海に沈められるわ」
ハルトは自嘲気味に笑うが、あかねの胸にはドッと冷たい寂しさが押し寄せてきた。
せっかくの、付き合って初めて迎える特別なクリスマス。それなのに、彼は画面の向こうにいる何百万人もの視聴者に付きっきりになり、自分はただ自室でそれを指をくわえて眺めているだけなんて――。
(嫌だ……。ハルトくんと一緒にいたい。私だけのハルトくんでいてほしいのに……)
ハルトを独占したいという激しい恋情と、寂しさ。その一心で、あかねは役者としての冷静な計算を完全に放棄し、極めて軽率で、恐ろしく大胆な提案を口にしてしまった。
「……じゃあ、私もその配信に出ちゃダメかな?」
「……は?」
ハルトの思考が一瞬フリーズし、間抜けた声を漏らした。
「それなら、ハルトくんはリスナーとの約束を守れるし……私だって、ハルトくんと一緒にいられるでしょ?」
「いやいや、あかね、お前正気か? お前は今、売り出し中の本格派女優だろ。クリスマス当日に男の家で二十四時間密着生配信なんて、一歩間違えれば大炎上して役者生命が完全に終わるリスクがあるぞ」
ハルトは珍しく表情を一切崩さず、真剣な「プロの顔」で難色を示した。
しかし、ハルト個人としての本音を言えば、大好きなあかねとクリスマスを一緒に過ごせるのは願ってもない話だった。さらにトップYouTuber「HARU」としてのビジネス的観点から見ても、今一番勢いのある若手女優・黒川あかねとのクリスマス二十四時間コラボは、全ネットが揺れ動く前代未聞のお祭り騒ぎになるという確信があった。
「……まあ、俺たちの判断だけで決めるのは危険すぎるな。こういう時は、大人のプロに相談するのが一番だ。ちょっとウチのマネちゃんに確認してみるわ」
ハルトは制服のポケットからスマホを取り出すと、自身の個人事務所『サン・マネージメント』の代表であり、彼が子役時代から全幅の信頼を寄せるチーフマネージャー・宮川みやびへと即座に電話をかけたのだった。
☆ ★ ☆
数日後。あかねが所属する芸能事務所の重厚な応接室。
磨き上げられた革張りソファとローテーブルが置かれた室内に、息が詰まるような重苦しい沈黙が満ちていた。あかねはパイプ椅子の上で肩をすくめ、小さくなって自分の膝を見つめていた。
「なるほどねぇ……。チャンネル登録者数約900万人を誇るトップYouTuber『HARU』の、クリスマス二十四時間生配信へのゲスト出演、ねぇ……」
あかねの担当マネージャーは、手元の資料を食い入るように見つめながら、その瞳の奥にギラギラとした野心の火を灯していた。あかねの女優としての実力は認めつつも、世間一般への爆発的な知名度の伸び悩みを常に気にしていたマネージャーにとって、これはまさに喉から手が出るほど欲しい千載一遇のチャンスだった。
「社長! これは絶対に受けるべきです! あかねの認知度を全国区、いや世界レベルで爆上げする絶好の機会ですよ!」
熱弁を振るうマネージャー。しかし、重厚なデスクの向こうにドサリと深々と腰掛けた社長は、険しい表情のまま静かに首を横に振った。
「ダメだ。あかねはこれから映画や舞台で、繊細な役柄を売っていく大事な時期だろう。ネット配信、それもクリスマス当日に男の家で一晩を明かすなど、どれだけクリーンに装おうとガチ恋のアンチやネットニュースに揚げ足を取られ、炎上するリスクが高すぎる。うちの女優にそんな危険な橋は渡せんよ」
「ですが、社長……!」
「あかね、諦めるんだな。これはビジネスとしてリスクが大きすぎる」
社長の冷徹で現実的な言葉が応接室に響き渡る。あかねはガクンと力なく肩を落とした。
(やっぱり、そうだよね……。自分のワガママで、なんて馬鹿なことを言っちゃったんだろう……)
胸の奥がキュッと痛み、諦めの溜息が漏れかけた――まさにその瞬間だった。
「――だったら、そのリスクを大人の力で100%潰せば問題ないですよね?」
あかねの隣に背筋をピンと伸ばして座っていたハルトが、通る凛とした声で、社長の言葉に割って入った。
「……どういう意味だ?」
社長が不快そうに目を細め、ハルトを睨みつける。だが、ハルトはその圧迫感に微塵も動じることなく、ひまわり色の瞳を真っ直ぐに据えて言った。
「ウチの事務所『サン・マネージメント』の運営スタッフと、そちらのマネージャーさんが、配信中の二十四時間、裏でチャット欄とSNSを常時リアルタイム監視・モデレーションする完璧なセーフティネットを敷きます。公式の大人たちが全員で見守るお洒落でクリーンなクリスマス・公式コラボ企画として、台本から配信内の動線、演出に至るまで、ウチのチーフの宮川が徹底的に監修します」
ハルトは淀みない滑らかな口調で、発生し得るあらゆるリスクに対する具体的な回避策を次々と提示した。高校生とは到底思えない、洗練されたビジネスライクな交渉術と危機管理能力。社長の目つきが、侮りから驚愕へと劇的に変化していく。
「……『ソレイユ』の著作権管理や巨大案件も仕切っている、あの『サン・マネージメント』が全面的にバックアップすると……本気で言っているのか?」
「ええ。ウチの事務所が全責任を持って、あかねのイメージを傷つけない最高のエンタメにしてみせます」
ハルトのひまわり色の瞳が、寸分の揺らぎもなく社長の視線を射抜く。
ピンと張り詰めた静寂が応接室を支配した。時計の針が刻む音だけがやけに大きく響く。
やがて――社長はフッと肩の力を抜き、参ったというように笑みを零した。
「……高校生にしては出来すぎているな、日野くん。そこまで大人が泥を被り、完璧な防護服を用意する準備があるなら、こちらとしても断る理由がないな。――黒川あかねのゲスト出演、許可しよう」
「やった……!」
あかねはパッと顔を輝かせ、隣のハルトの手を嬉しさのあまり握り締めようとした。
「よしっっ!!」
隣にいたあかねのマネージャーが、手にしていた厚い手帳をデスクにバシィンッ!!と叩きつけ、鬼の首を取ったかのような恐ろしい笑顔を浮かべた。
「そうと決まればあかね! これ、ただの遊びじゃないからね!? リアルタイム同接数十万人、総視聴者数数百万人規模の超大規模公式国家プロジェクトよ!! 配信中の立ち振る舞い、言葉遣い、リアクションの間、衣装の選定、カメラ映り……二十四時間一瞬たりとも気を抜かないように、今日からみっちりスパルタ特訓するからね!!」
「え……? ええっ……!?」
あかねが言葉を失って固まっていると、隣でハルトがポケットから出したスマホをフリックしながら、淡々とした声で追い討ちをかけた。
「あ、みやびさんからLINE来たわ。配信のタイムスケジュールと、今回の配信に差し込む企業案件のタイアップ案が送られてきた。あかね、当日までにこの仕様書と台本、全部頭に叩き込んでおいて」
ハルトのスマホから、あかねの端末へと「ピロン」と無機質な通知音が鳴り響く。送られてきたのは、見たこともないほど分厚いPDFファイルの山だった。
(ま、待って……待ってよ……! 私、ただクリスマスにハルトくんと一緒に過ごしたかっただけなのに……なんか、国家予算動かすレベルの大ごとになってない……!?)
自分の小さな恋心とワガママから始まったはずの提案が、大人の思惑と莫大な金、そして芸能界全体を巻き込む巨大な国家規模イベントへと変貌していく。
話のスケールがあまりにも大きくなりすぎたことにようやく気づいたあかねは、みるみるうちに顔から血の気が引き、顔面を真っ青に染め上げながら、ガタガタと生まれたての小鹿のように震え出すのだった。
天才役者たちの、前代未聞のクリスマス二十四時間配信へのカウントダウンが、今、始まった。
【登場人物・設定紹介】
黒川あかね:ヒロイン。有馬かなが推し。
日野ハルト:オリ主。黒川あかねが推し。
※あかねのマネージャーが原作とは別人(男性→女性)ですが、あかねの知名度が原作よりも少し上がっているためということでお願いします。Geminiくんちゃんは最初、社長をミヤコさんにしようとしてたんや……。
最新話の更新時間は何時がいいですか?参考までに。
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