M.M.Trione 昼下がりのルーチンワーク   作:四乃宇内

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踊るレプトン

大口を開ける加茂修次郎の表情がいかにも間抜けで、メイ・リオ・エムノートは思わず噴出してしまった。嘲笑に対して反射的に怒りを表さない修次郎は、メイの記憶の中では豪く珍しい。驚きが過ぎたか。修次郎の視線は、部屋の中央に鎮座する巨大な筒に注がれている。正確には、計器類と配線で繋がれた円柱状の機械である。

メイは、姿勢の悪い修次郎の背に向けて、笑いながら言った。

 

「タバコモザイク病という植物の病気がある。植物の葉っぱにモザイク状の斑点が表れ、植物の成長を阻害する。この病気、植物間を転移する。つまり感染性がある。修の字や。病原体は何だと思う?」

「知ってるよ。タバコモザイクウイルスだろ。これは何?」

「イオンミリング。観察する試料を、薄くスライスする装置だよ。よく知っていたね」

「無免許とは言え、医療行為で生計を立てていたんだ。これは?」

「それ電源。べたべた触るんじゃないよ。じゃあウイルスとは何ぞや?」

 

興味津々に機器類を眺めていた修次郎が、喜劇のように動きを止めた。振り向きもせず、おそらく中空を眺めながら、答えを模索しているのだろう。

 

ウイルスとは何ぞや。

 

ヒトからヒトへ、動物から動物へ、あるいは種を超えて伝染する病気の原因として、広く人口に膾炙されるウイルスというモノについて、正確に理解している人間は驚くほどに少ない。

まず――と、メイは言った。

 

「まず生物では、ない」

 

タンパク質を複製するという生物の細胞が持つシステムを利用して、自己の複製を行うものをウイルスと呼ぶ。すなわちウイルスは、細胞としての要件を満たしておらず、現状、便宜的に非生物として分類されている。

 

「しかし複製のための核酸を持っている」

 

生物ではないが、自己を複製するための核酸――遺伝物質をウイルスは持っている。細胞内に侵入したウイルスは、宿主が持つリボソームなどタンパク質を翻訳する機能を用いて、自己を複製し増殖を行う。肉体を構成するタンパク質の生産ラインを、乗っ取られるようなものだ。またウイルスの中には、複製の際に必要となるトランスファーRNA(tRNA)を持つものも確認されている。

 

「そして細菌よりも小さい」

 

一般的なウイルスのサイズは、同様に感染症を媒介する細菌や真菌よりも、はるかに小さい。細菌を観測する際にもっぱら用いられる光学顕微鏡では、ウイルスの形質を捉えることはできないのである。

 

「見えないもんだから、感染症とはすべて細菌によるものだと、長いこと考えられていた。転機となったのが、先ほどのタバコモザイク病。感染した植物の抽出液をろ過しても、病原性が失われないという論文が発表されてね。光学顕微鏡では観察不可能なサイズの、細菌よりも小さいサイズの病原体の存在が予測された、はじめての瞬間だった」

「それがウイルス」

「そう。ウイルス。では、どうやって目に見えないウイルスを同定したのか。光よりも波長の短いもの、光よりも分解能の高いもので照らし出せば良い」

 

呆けたまんまの修次郎の横に、メイは静かに立った。

そして円柱状の機械の電源を入れた。低いうなり声のような音が、静かに響き渡る。

 

「もう分かっているだろうが、コイツが世界で初めてウイルスを検出した顕微鏡テムだ」

「原理は」

「ある種の粒子に負の高電圧を印加することによって加速させ、観察対象に照射する。観察対象の構造の違いによって、加速粒子の密度に差が生じる。これにより像を得る」

「ある種の粒子ってのは」

「滅茶苦茶に小さい粒子だよ。砂粒よりも細胞よりも、それこそウイルスよりもね」

 

分かったような分かっていないような、修次郎の曖昧な表情が、たまらなく傑作だった。そうやって無知と無理解を隠そうとする修次郎の性分を、メイは心から好いている。

 

「不可能だろ。そんな技術、聞いたことがない」

「そりゃ御上が隠してるもの。一般が知るには、まだ早い」

 

理解が追いつかなくとも考えを放棄しない修次郎に、メイは少しだけ感心した。不思議なものである。学ぶことに消極的で、そのため知識量に乏しいながらも、時にユニークな着想を得るにいたることがある。この修次郎という男は。

さて、今回はどうかと値踏みをしていると――

 

「ロストテクノロジー、か」

「その通り。王立書師隊の連中が、ある古代文明の遺跡から持ち出したテムは、全部で三機。その内二つは、王立機関で使われている。もちろん秘密裏にね。もう一機は、王国が厳重に保管している。だから普通に生活しているヒトが、知る由なんて微塵もないんだよ」

「で、これが三機の内の一つか」

「そう。ライアス設立時にアタシがパテント開放と引き換えに、ぶん取ってやった一機だ。だから壊すような真似するんじゃないよ」

 

最前までの好奇心が嘘のように、途端に及び腰になる修次郎が滑稽で、またぞろメイは笑ってしまった。呵々と笑いながら、テム――電子顕微鏡の操作を修次郎に命じる。

王立先端科学研究所(Royal Institute of Advanced Science:RIAS)ライアスの所長に就任する際に、メイは王国政府といくつかの取引を交わしている。その内の一つが、テムの確保だった。研究を飛躍させるためには必要であり、かつそのためには、かつて取得した数々の特許を手放すこともやぶさかでなしと考えた上での判断である。

 

「あの判断は、間違いではなかったな」

「ん? 何のことだ」

「修の字には関係のないことだよ。それよっか、早いとこコレを観ようじゃないか。ほれ」

 

虹色に輝く翼膜を、メイは取り出した。正確には天廻龍の翼の切片である。

 

「狂竜ウイルス説にメスを入れる時間だよ」




ウイルスがあるなら電子顕微鏡もありますよねって話です。
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