闇は、何千年の時を経てもなお、ねっとりと重く肌にまとわりついていた。
地下深く――光の届かぬ超古代遺跡の最深部。
発振音を立てる大型投光器の無機質な白い光が、幾重もの地層を穿ったその奥で静眠していた「何か」を不気味に浮かび上がらせていた。
「……信じられない。本当に……本当に実在していたのか……」
若き考古学者・
レンズ越しに見つめるその視線の先。巨石の壁面を削り出すようにして埋もれていたのは、異様というほかない異形の遺物だった。
一見すれば、重厚な鋼鉄で鋳造された胸部アーマーのようでもある。しかし、その中央には人間のそれを遥かに凌駕する大きさの「金属の顔」が刻み込まれていた。
固く閉ざされたバイザーのような目元。そして、上下の歯列が隙間なく噛み合わされ、何ものも通さぬように固く口を閉ざした無骨な鋼鉄のアゴ――。
『バイトドライバー』
発掘チームが便宜上そう名付けたその遺物は、静寂の中で禍々しくも静かな存在感を放っていた。さらにその巨大なアゴの隙間には、まるで「噛み砕かれ、封印された」かのように、無数の石版状の小型デバイス――『ライドワード』がぎっしりと詰まり、互いに固着していた。
「訔先生! 考古学史……いや、人類史を覆す大発見ですよこれは!」
「ああ、太古の昔に失われたとされる『音響文字文明』のオーパーツに間違いない……!」
周囲を取り囲むチームの仲間たちが、興奮のあまり声を上ずらせる。彼らが手にした測定器の針は狂ったように揺れ、遺物から微弱に発せられる謎の振動波を感知していた。
だが、訔だけは手放しで喜ぶことができなかった。
訔という名が示す通り、彼は幼少期から言葉の持つ無形の力に人一倍敏感であり、慎み深く、静けさを好む青年だった。言葉は時に人を救うが、時にどんな刃物よりも残酷に誰かの心を切り裂く。
目の前にあるこの遺物の「顔」は、まるで世界に害をなす悪意の言葉をその胎内に押し込め、二度と吐き出させないために固くアゴを閉ざしているかのよう見えたのだ。
「……みんな、浮き足立つな。焦りは禁物だ」
訔は手袋をはめた指先で、遺物の周囲に刻まれた石版の古代文字を撫でた。
「この文字群は……文法構造が極めて特殊だ。『閉じられた口』『噛み砕く者』『悪意の不協和音』……。このオーパーツは、ただの装飾品でも祭祀の道具でもない。何かを閉じ込めるための『檻』として機能している可能性がある」
「檻……ですか? ですが訔先生、この石版の解読さえ進めば、内部の制御システムを起動できるはずです。ほら、この第一碑文の文脈から辿れば……」
「待て! 迂闊に触るな!」
気鋭の若手研究員の一人が、功名心から解読作業を急ぎ、スキャナーの照射端子を石版の特定部位へと押し当ててしまった。
カチリ。
静寂の地下空間に、あまりにも不吉な金属音が小さく響き渡る。
訔の背筋に、氷を突きつけられたかのような激痛が走った。脳裏で、自身が解読していた古代文脈の構造が、瞬時に正反対の恐怖へとひっくり返る。
「――しまっ……!? 違う、解読順が逆だ!!」
訔は叫び、研究員の腕を掴んで引き剥がそうとした。
「それは『解錠』の文法じゃない! 主語と目的語が反転している……それは、『吐き出せ』という解放命令文だ!!」
「え……? あ……」
時、すでに遅し。
石版の刻印が、鮮血のような毒々しい紫黒色の光を放ち始めた。
――ズズズズズ……!
地底の底から湧き上がるような重低音が響き、遺跡全体が激しく揺れ動く。天井からパラパラと土砂が崩れ落ち、投光器の光が不気味に揺れた。
そして――。
地鳴りのような咆哮とともに、バイトドライバー中央の巨大な顔が変貌を遂げた。
固く閉ざされていたバイザーが跳ね上がり、奥から不気味な複眼のシルエットが覗く。それと同時に、数千年の間、頑なに噛み合わされていた鋼鉄の顎が、絶叫するかのように勢いよく全開になったのだ。
『――ジャァァァクッ!! ――』
それは、人間の耳では到底受け止めきれない、絶望的な重低音の「不協和音」だった。
アゴの全開とともに、内部に噛み砕かれて封印されていた無数のおしゃぶり――ライドワードが、黒い光の粒子を撒き散らしながら爆発的に噴出した。
「うあああああっ!?」
「嫌だ、息が……声が……引きずり出される!!」
黒い光は、単なる物理的なエネルギーではなかった。
それは言葉の悪意、呪詛、嫉妬、憎悪――太古から現代に至るまで、人間が吐き捨ててきたあらゆる「醜い言葉」が凝縮された災厄の群れだった。
無数のライドワードは、まるで意思を持った虫の群れのように旋風を巻き起こし、崩落する遺跡の天井を易々と突き破って地上へと飛び去っていく。現代社会に渦巻く不満や怨嗟の声を嗅ぎつけ、吸い寄せられるようにして――。
「やめろ……! 止まれ!! 吐き出すなァァァッ!!」
訔は降り注ぐ巨大な瓦礫も省みず、猛烈な風圧に抗いながら手を伸ばした。
だが、無数の黒い光は彼の手をすり抜け、夜空へと消えていく。
激しい落盤がチームを襲う。絶叫と悲鳴、崩落音。その地獄絵図の中で、訔の指先にたった一つだけ、固く冷たい感触が触れた。
ドライバーのアゴの最奥――溢れ出す黒い光の波に逆らい、土壇場でアゴの隙間に引っかかって残った一枚のおしゃぶり。
そこには、力強い古代文字で【咬】の一字が刻まれていた。
「ぐっ……ああああっ!!」
訔はそのおしゃぶりを死に物狂いで掴み取り、崩れ落ちる巨石の影へと身を投げ出した。
視界が暗転する。耳を突くのは、世界へ散らばっていく悪意の言葉たちの、嘲笑うかのような高笑いだけだった。
我が犯した、取り返しのつかない過ち。
たった一つの言葉の読み違えが、世界に災厄を解き放ってしまったのだ――。
――ポツリ、ポツリ。
フロントガラスを叩く雨粒の音が、静寂の中に規則正しく響いている。
「……ん……」
訔はゆっくりと瞼を開けた。
冷たい汗が額を濡らしている。息が荒く、呼吸を整えるまでに数秒の時間を要した。
そこは、薄暗い部屋だった。
いや、部屋ではない。大型のキャンピングカーを改造した、彼らの移動拠点兼研究室の車内だ。
壁面には幾重ものモニターが並び、全国各地の波形データや「謎の暴徒化事件」のニュース記事がリアルタイムで更新され続けている。窓の外は重い夜の闇が広がり、激しさを増した雨が街灯の光を滲ませていた。
訔はゆっくりと身体を起こし、右手に視線を落とした。
その拳の中には、あの忌まわしい夜から肌身離さず持ち続けている【咬】のライドワードが、冷たく、重々しく収まっていた。
指先でその刻印を強く握りしめる。おしゃぶりの角が掌に食い込み、鈍い痛みが走る。だが、その痛みだけが、彼を現実に繋ぎ止め、犯した罪の重さを忘れさせないでいてくれた。
あの日から数ヶ月。
解き放たれたライドワードは、現代社会の歪んだ悪意や抑圧された人々の憎悪と反応し、人間を怪人『ジャーク』へと変貌させる災厄となって各地で芽吹き始めている。
吐き捨てられた言葉の数だけ、誰かが傷つき、街が苛まれていく。
訔は助手席のシートから立ち上がり、手元に置かれた重厚な金属の顔――バイトドライバーを見つめた。
あの事故の夜、崩落する遺跡から命からがら持ち出した唯一の遺物。変身のたびに使用者の肉体を苛み、生命力を削り取る呪われた共振器。
仲間たちは「チーム全員の責任だ」と言ってくれた。だが、訔は知っている。解読を誤り、最初に鍵を回したのは自分だということを。
ならば、その代償を支払うべき者も、自分一人でなければならない。
訔は上着を羽織り、ドライバーを胸元に固く抱えた。
雨の音に混じり、遠くの街から不穏な不協和音の予兆が、彼の優れた耳に届き始めていた。
訔は静かに目を閉じ、胸の中で、誰に伝えるでもない誓いを立てる。
(あの日、俺たちは災厄を解き放った……)
暗闇の中で、彼の瞳に静かだが消えることのない「覚悟」の火が灯る。
言葉の恐ろしさを知る者として。そして、言葉によって世界を壊してしまった者として。
(吐き捨てられた言葉の数だけ、誰かが傷つく。……だから俺が、この手で……全て噛み砕く)
キャンピングカーのドアを開けると、冷たい夜雨と濡れたアスファルトの匂いが訔を包み込んだ。
漆黒の闇の中へと、男は静かに一歩を踏み出した。
*
深夜の大学校舎。静まり返った『音響言語学研究室』の一室で、幾重もの巨大な液晶モニターが吐き出す青白い光が、一人の女性の横顔を鮮明に浮かび上がらせていた。
若干二十代にして音響言語学の分野で頭角を現す新鋭の研究者である彼女は、乱れ一つない漆黒の髪を揺らしながら、鋭い眼光でモニター上の数値を追っていた。
彼女の指先がキーボードの上を流れるように叩かれるたび、画面上に複雑な波形グラフと周波数解析図が次々と生成されていく。
「……間違いない。やっぱり単なる群衆心理の暴走なんかじゃないわ」
響が呟いた言葉は、無人の室内に寂しく響いた。
ここ数ヶ月、都市部を中心に頻発している「謎の暴徒化事件」。突如として一般市民が正気を失い、暴力と破壊の限りを尽くすという凄惨なニュースは、世間を恐怖に陥れていた。警察やメディアはストレス社会による突発的な暴動と結論づけていたが、響の『音響言語学者』としての直感が、その裏にある決定的な異変を捉えていたのだ。
彼女は過去3ヶ月に起きた十二件の現場周辺の環境音データを抽出し、特定の周波数帯をフィルタリングしてみせた。
すると、可聴域の遥か上、超高周波帯に不気味なノイズの塊が浮き彫りになった。
「可聴域を超えた異常な音波エネルギー……それに、この波形構造……」
響は眉根を寄せ、ズームインした波形を指先でなぞる。
それは自然界にも、従来の人工音波にも存在しない歪な形状をしていた。
言語学の理論に当てはめれば、それは『命令形』の文法が物理的な質量を持って大気を揺らしているような、おぞましい破綻を意味していた。
人間はこの音を耳で「聴く」ことはできない。しかし、高音圧の波形は脳幹へと直接干渉し、理性を破壊して暴走を引き起こす――響の解析結果は、そう結論づけていた。
「言葉が……音波となって人間を狂わせているの……? 一体誰が、どんな技術でこんな……」
謎を解く手がかりを求め、響は警察から独自に入手した現場周辺の防犯カメラ映像にアクセスした。
暴徒化事件が発生する直前、そして終息した直後。時間を前後させて映像を解析し、ディープラーニングによる『人物特定アルゴリズム』を走らせる。
何十万人という通行人のノイズデータの中から、ある特定の「条件」に一致する人物がフィルタリングされていく。
画面が明転し、高精度で拡大された静止画が映し出された。
「え……?」
響の瞳が、驚愕に大きく見開かれた。
事件現場の目立たない物陰、人波に紛れるようにして必ず現れ、そして静かに立ち去っていく一人の男。
黒いコートを纏い、無骨な鞄を抱えたその横顔に見覚えがありすぎた。
「音無……先生……!?」
同じ大学の考古学研究室に所属する特別研究員・音無訔。
学内では無口で大人しく、めったに他人に心を開かない「不器用な考古学者」として知られる男だ。響自身も、キャンパスの回廊ですれ違い、軽く会釈を交わした程度の間柄だった。
なぜ、文系の考古学者である彼が、最先端の音響物理現象の現場に必ず居合わせているのか?
「音無先生……なぜあなたが現場に? この人が……この異常音圧の発生源だというの……?」
液晶画面に映る訔の硬質な瞳を見つめながら、響の手は無意識に研究機材を詰めたケースを固く握りしめていた。
言葉の不協和音が引き起こす惨劇と、考古学者の存在。その二つを結びつける不穏な糸を解き明かすため、響は自ら現場へ赴くことを決意した。
――数時間後。夕暮れの廃ビル街。
かつて再開発計画が頓挫し、今や人通りも絶えたコンクリートの廃墟群。傾いた陽光が建物たちの影を長く引き伸ばし、街角全体を不気味な茜色と漆黒のグラデーションに染め上げていた。
響の研究室が弾き出した「過去の周波数発生パターン」に基づけば、次の音響異常が発生する確率は、このエリアが最も高い。
響は物陰に隠れ、持ち込んだ可搬型周波数測定器のモニターを監視しながら、息を殺して張り込みを続けていた。
その時――測定器のノイズインジケーターが、ピキピキと不吉な音を立てて跳ね上がった。
「来た……! 空間の音圧が……急激に高まっている!」
響は息を呑み、視線を路地裏の奥へと向けた。
そこには、ボロボロのスーツを纏った一人の男が立ち尽くしていた。
男は頭を両手で激しく抱え込み、「うう……あぁ……」と獣のような呻き声を上げている。その瞳は血走り、正気を失っていた。
会社での苛烈なパワハラ、同僚からの嘲笑、社会からの孤立――抑圧された日常の中で積み重なった鬱屈と悪意が、男の精神を内側から苛んでいるのだ。
「許さない……許さないぞ……! 俺を馬鹿にしやがって……!」
男の震える右手に握られていたのは、スマートフォンでも凶器でもなかった。
それは、紫黒色の怪しい光を放つ、不気味な
「……おしゃぶり?」
響の言葉通り、取っ手がありその先端は丸い。まるでおしゃぶりのようなモノ――ライドワードだった。その表面には【燃】という文字が、どくんどくんとまるで心臓のように脈動しながら刻まれている。
響の測定器が狂ったように
「何なの……あのデバイスは!? 人間の感情…悪意と共振して……音圧を増幅させているの!?」
響が慄然とする中、男の怨念が極限に達した。
男は血走った眼でライドワードを高く掲げ、掠れた声で叫んだ
「あいつらも……会社も……この汚い街も……! 全部燃えてなくなれ!! 『燃えろ!!』」
男が叫ぶと同時に、ジャークライド中央の『ボイスコア』がカシャッと気味の悪い音を立てて開眼した!
《燃えろ》
不吉な機械音声が響き渡った瞬間、男の口から、そして全身の毛穴から、どろりとした黒紫色の炎が爆発的に噴出した。
「ぎゃあああああっ! 暑い、熱い……ハハハ! 燃やしてやるぅぅっ!!」
男の悲鳴は瞬時に狂乱の歓喜へと変わり、黒炎は男の肉体を丸呑みにして巨大化していく。
炎が収まった後に現れたのは、もはや人間の原型をとどめていない異形の怪物だった。
全身を焦げ付いた文字の皮膚で覆い、両腕からは激しい黒炎の爪が伸びている。悪意の言葉「燃えろ」が肉体を得て暴走した怪人――バーン・ジャークが誕生した瞬間だった。
「嘘……でしょ……? 人間が……怪人に変貌した……!?」
目の前で起きた非現実的な光景に、響は息をすることすら忘れていた。
だが、恐怖に慄く彼女の存在などお構いなしに、バーン・ジャークは狂乱のままに暴走を始めた。
「燃やせぇぇっ! 全部焼き尽くせぇっ!!」
バーン・ジャークが両腕を振りかざすと、膨大な熱量を秘めた黒炎の衝撃波が全方位へと撒き散らされた。
――ドカァァンッ
廃ビルの壁面が崩落し、アスファルトがドロドロに溶け出す。黒煙と爆風が路地裏を吹き荒れた。
響は慌てて物陰から逃げ出そうとしたが、測定器の数値を記録し続けようと一瞬躊躇したのが命取りとなった。
「きゃあっ!?」
目と鼻の先で炸裂した衝撃波の爆風に煽られ、響の身体は無造作に吹き飛ばされた。
背中から崩落した瓦礫の山へと激突し、手にしていた高価な音響機材は地面に叩きつけられて粉々に粉砕される。
「う……あぐっ……!」
激しい痛みが全身を走る。響は必死に立ち上がろうとしたが、右足の足首に激痛が走り、その場に崩れ落ちた。関節が異常な方向に捻れ、力が入らない。爆発の余波で足を激しく負傷してしまったのだ。
ヒタ――ヒタ――
燃え盛る黒炎の向こうから、重い足音が近づいてくる。
煙を割って現れたバーン・ジャークの複眼が、倒れ込んで動けない響の姿を捉えた。
「ハハハ……動けないのかぁ? 綺麗なお姉さんも……まとめて燃えて灰になれぇぇっ!!」
バーン・ジャークが灼熱の爪を掲げ、響の頭上へと振り下ろそうとする。
逃げられない。足が動かない。響は必死に手を伸ばし、崩れた壁にしがみつこうとしたが、容赦なく迫る熱気が肌を焼き、呼吸を奪っていく。
爪の先で渦巻く黒炎から発せられる不協和音。それは、人間の声帯から発せられる音圧の限界を遥かに超えた、絶望の波形だった。
「こんなの……人間の声じゃない……! こんな異常な波動に……勝てる人間なんて……!」
死。
その圧倒的な二文字が、響の脳裏を白く染め上げた。
灼熱の爪が空を切り、彼女の視界を黒い炎が埋め尽くしていく。
響は生への執着を振り払い、死を覚悟して固く目を瞑った――。
その時であった。
空気を切り裂く激しい重低音とともに、黒煙の天井を突き破って「何者か」が乱入してきたのは――
「人の心を踏みにじる言葉を……これ以上吐き捨てるな!!」
死を覚悟した響の耳に届いたのは、鼓膜を打つ低く重厚な怒号だった。
次の瞬間、迫りくる黒炎の爪を真っ向から切り裂くようにして、漆黒のコートを翻した影が煙の渦の中から飛び出してきた。
影は迷わず響の細い身体をその力強い腕で抱きかかえると、背後に押し寄せる高熱の爆風を背中で受け止めながら、間一髪のタイミングで路地裏の物陰へと跳躍した。
響が直前までいたコンクリートの床が、バーン・ジャークの爪によってドロドロのマグマのように溶け落ち、激しい火柱を上げる。
瓦礫の陰にすべり込み、激しい衝撃とともに地面へ降ろされた響は、荒い息を吐きながら救出者の顔を見上げた。
そこにいたのは――焦げたコートの襟を正し、静かに呼吸を整える男の姿だった。
「お……音無……先生……!?」
響は痛む足首を押さえながら、目の前の光景が信じられずに声を張り上げた。
いつも大学の回廊で伏し目がちに歩いていた、あの不器用で無口な訔。
その男が今、鋭い眼光で怪人を睨みつけ、自分を守るように立ちはだかっている。
なぜ? なぜ彼がここにいるのか? なぜ怪人の攻撃を恐れず、こんな超人的な動きができるのか――思考が激しいパニックを起こす。
だが、訔は響の動惑に答えることはなかった。
彼は物陰に響を休ませると、上着から1つの装置を取り出した。
カチリ、と硬質な金属音が響く。
訔の胸元に装着されたのは、重厚なガンメタルで鋳造された巨大な「顔」――バイトドライバーだった。
固く閉じられたバイザー状の目元と、凶悪な顎。
古代の遺跡から発掘されたはずの恐ろしい遺物が、今や訔の胸で微かに脈動し、重厚な稼働音を立てている。
響は息を呑んだ。あの研究室で観測した異常音圧と、目の前の男の存在が、強烈な一本の線で結ばれた瞬間だった。
「音無先生……その胸部のそれは……一体……!?」
「じっとしていろ。……足のケガに響く」
訔は短くそれだけ告げると、ポケットから1つのアイテムを取り出した。
それはバーン・ジャークが使用していたものと同じ。しかし、古代文字の刻印【咬】が刻まれたライドワード。
訔の手の中で、彼が吐き出す熱い息吹に応えるように、紫色の微光を放ち始めた。
訔は静かに歩み出で、燃え盛る黒炎の真っ只中へとその身を晒す。
「ハハハ! まだ生きていたのかぁ!? 邪魔する奴は……纏めて燃やしてやる!!」
狂乱するバーン・ジャークが、灼熱の黒炎を腕から放ちながら咆哮する。
炎の波が押し寄せる中、訔は立ち止め、バイトドライバーの開口されたスロットへ【咬】のライドワードを深く挿入した。
《咬む》
重厚な機械音声が重低音となって路地裏に響き渡る。
迫りくる黒炎の熱風が訔の前髪を激しく吹き散らすが、彼の瞳は微動だにしない。
訔は右手を固く握り締め、腹の底から静かに、だが地鳴りのような重圧を込めて言い放った。
「変身ッ!」
訔は同時にバイトドライバーの上下にあるレバーを押し込んだ。
《
次の瞬間――ギミックが発動する。
地鳴りのような炸裂音が響き渡り、ドライバーの胸の顎が激しい叫びとともに噛み合わされ、間髪いれずに、目のバイザーがカシャシャキィン!と鋭い音を立てて下に降り、完全閉眼を果たす。
目と口、その全ての「開口部」が完全に閉じられたその瞬間――逃げ場を失った高密度の
紫色のフォントエネルギーが帯状となって訔の全身を包み込み、激しい火花を散らしながら重厚な装甲へと再構築されていく。
《
重厚なベルト音声が完了すると同時に、黒煙を吹き飛ばして「それ」は立ち上がった。
漆黒のアンダーアーマーにパールホワイトの装甲。四肢には【咬】が連想されるような牙や顎のような装甲が至る所に散りばめられている。
マスクのにはまるで【咬】の形のような複眼があり、淡い紫色の光が浮かんでいる。そして一番特徴的なのは、口部分を覆う更なるマスクのようなモノが特徴的だ。
仮面ライダーバイト
言葉の不協和音を封じ込め、噛み砕くために現れた不言実行の戦士だった。
「な……何なの……あの姿は……!? 言語波形が……完全に甲冑として固定化されている……!?」
物陰で一部始終を目撃していた響は、研究者としての理解を超えた光景に震え上がった。
あれは単なるアーマーではない。言葉が持つエネルギーを圧縮し、物理的な質量へと置換した極限の音響アーマーなのだ。
「変な装甲を着けたところで……燃え移るだけだぁぁっ! 『燃えろ』! 『燃えろ』ォ!!」
バーン・ジャークが狂気とともに両腕を振り下ろし、大蛇のような黒炎の渦を放つ。
しかし、バイトは一歩も引かない。
無駄口を一切叩かず、ズシン……ズシン……と重圧なステップで炎の渦へと踏み込んでいく。
バイトはバイトドライバーのレバーを素早く押し込んだ。
《
両腕のアゴのようなアーマーが噛み合わさる衝撃波が発生。襲いかかる黒炎は、バイトの装甲に触れる直前でパンッと高音を立てて相殺され、霧散した。
「な……なにぃっ!?」
動惑するバーン・ジャークの懐へ、バイトは一瞬で間合いを詰める。
言葉を発しない代わりに、パンチが炸裂する。
「ガハッ!?」
胸の肉厚な装甲を打ち抜かれたバーン・ジャークが激しく吹き飛ぶ。
バイトは追撃の手を緩めない。一切の無駄な動作を削ぎ落とした、肉弾戦の連撃。
重厚なステップから繰り出されるローキック、そして両腕のアーマーによる挟み込みが、怪人の文字皮膚をバチバチと火花とともに削り取っていく。
言葉による挑発も、無意味な叫びもない。ただ静かに、確実に敵を追い詰めていくその様は、まさに悪意を食らう「捕食者」そのものだった。
「許さん……許さんぞぉぉっ! 燃え尽きろぉぉっ!!」
追い詰められたバーン・ジャークが、全身の黒炎を限界まで膨らませ、自爆覚悟の超高熱波を放とうとする。
その時、バイトが動いた。
《咬む》《咬む》
バイトがバイトドライバーのレバーを連続で2回押し込む。すると、連動してドライバーがガブガブッと二重開口する。そして、内部に溜め込まれたフォントエネルギーが限界までフルチャージされていく。
《
電子音声が響き渡ると同時に、バイトは大きく跳躍した。空中で、胸の目と口が超重圧とともに再び閉じる。溢れ出した圧倒的な紫色のフォントエネルギーが、バイトの右足裏――「咬」の字を象った歯型ソールへと一気に集束していく。
「その悪意……口を閉じろッ!!」
バイトの鋭い一閃が空を穿つ。極大のエネルギーを纏ったキック――セッションエンドが、黒炎を切り裂いてバーン・ジャークの胸板へ一直線に突き刺さった。
「ガァアァァァァァァァーーーッ!?」
文字の爆発が路地裏を包み込む。
【燃】という文字の粒子が破砕し、バーン・ジャークの肉体が内側から崩壊していく。
そして爆炎の渦中、怪人の体内から弾き出された紫黒色のおしゃぶり――【燃】のライドワードが、空中に高く跳ね上がった。
それを見上げたバイトは、着地と同時に胸のバイトドライバーを勢いよく全開にする。
《燃える》
空中で回転するライドワードを、バイトは胸のアゴで見事にキャッチする。すると、黒紫色が段々と消え赤とオレンジのグラデーションがかかったおしゃぶりへと変化していく。
黒炎が消え去り、静寂が戻った廃ビル街。
元の男は正気に戻り、気絶したように崩れ落ちていた。
回収を完了したバイトの足元で、無数の文字の光が静かに舞い散っていた。
変身を解除した訔は、激しい息を吐きながらその場に膝をつきかけたが、かろうじて踏みとどまった。
胸元に覗くバイトドライバーの金属面は、変身の負荷によって灼熱を帯び、もうもうと白い蒸気を上げている。
訔は荒い呼吸を整えようと胸を押さえ、痛む身体を鞭打つようにしてバイトドライバーを胸元から外し、コートの内側ポケットへしまった。
そして、気絶して横たわる男を一瞥すると、救急車の手配を念頭に置きつつ、一言も発することなく踵を返して去ろうとした。
「……待ってください……! 音無先生……!」
背後から届いたのは、鋭く、だが微かに震える女性の声だった。
訔は足を止めず、コートの裾を揺らして歩みを進めようとする。だが、声の主は諦めなかった。
「待ってと言っているでしょう……! 答えなさい、音無訔!!」
訔は静かに足を止めた。
ゆっくりと振り向くと、そこには崩れた瓦礫を支えに、痛む足首をかばいながら必死に立ち上がろうとする響の姿があった。
彼女の白衣は泥と煤で汚れ、整っていた髪も乱れている。
しかし、その手に固く握られたスマートフォン型の解析端末――その液晶画面を直視する響の瞳には、強い意志と知性の火が激しく燃えさかっていた。
響は画面に表示された生体波形と音響データを、指先で叩きつけるように操作しながら突きつけた。
「……やっぱりだわ。今の戦闘中、あなたの心拍数と生体反応は……人間の許容限界値を遥かに超えていたわ!」
響の声が、静まり返った街に響く。
「あれは、人間の発声圧と生命エネルギーを強引に変換して装甲を形成している。でも、あなたの手探りの使用法じゃ、波形の整合性がまったく取れていないわ! 変身するたびに、あなたの身体は内側から強烈な音圧の反動で破壊されているのよ!?」
画面に刻まれているのは、変身直後に観測された訔の急激な心負荷と、骨格にかかる異常な圧力の数値だった。
さらに、響の解析端末はもう一つの決定的な「事実」を示していた。
バイトが発動させた必殺技・セッションエンドと、ライドワードの浄化が行われた瞬間、街を覆っていた異常な不協和音波が、完璧な逆位相の波形によって完全中和・消滅していたのだ。
「手探りでそんな無茶な運用を続けていたら……あなたの命が持たないわ!」
響の悲痛とも取れる指摘に対し、訔は背を向けたまま、氷のように冷たい声を落とした。
「……だからどうした」
「え……?」
「一般人が首を突っ込むな。……これは俺たちのミスだ」
訔は静かに首だけを振り向け、暗い瞳で響を見据えた。
その瞳の奥には、数ヶ月前の事故以来、片刻たりとも彼を苛み続けている深い「贖罪の傷痕」が透けて見えた。
「解読を誤り、言葉の災厄を世界に解き放ったのは俺だ。その毒を咬みしめ、元に戻すのは俺の義務だ。……命を削ろうが、関係ない」
自分一人で罪を背負い、孤独の中で死に場所を探すかのような訔の態度。
だが、響はその突き放すような言葉に怯むどころか、痛む足に力を込め、毅然として一歩前へ踏み出した。
「都合のいい悲劇のヒーローを気取らないでちょうだい!」
響の強い一言が、訔の背中を貫いた。
訔が眉をひそめて振り向く。響は乱れた前髪を払い、堂々と胸を張って言い放った。
「一般人じゃないわ。私は音響言語学の研究者よ!」
響は解析端末をかざし、論理の刃で訔の頑なな態度を容赦なく切り崩していく。
「あのドライバーは、人間の発声――すなわち『息吹と声帯の微振動』を共振周波数に変換する極めて精密な共振器よ。古代の技術か何者かのオーバーテクノロジーかは知らないけれど、根底にあるのは『言語と周波数の相互作用』という物理法則に過ぎないわ!」
響の瞳に、研究者としての確信と、一人の人間としての情熱が宿る。
「言語と周波数のコントロールなら、私の専門分野よ。私の理論と
響は訔の目をごまかすことなく、真っ直ぐに見つめ返した。
「命を削って罪を償うのがあなたの美学かもしれないけれど、途中であなたが倒れたら、残された災厄は誰が回収するの? 本当に世界を元に戻したいのなら……専門家の力を頼るのが、最も合理的で正当な帰結だわ!」
「…………」
訔は言葉を失った。
言葉というものを誰よりも重く受け止めてきた彼だからこそ、響の発する「一切の嘘も矛盾もない言葉」の重量が、胸に強く突き刺さったのだ。
論理的でありながら、その裏には命を捨てようとする自分への純粋な怒りと救いの手が込められている。
一人で背負うと決めていた重荷の端を、この女性は自ら掴みに来ているのだ。
その時、路地裏の闇を切り裂いて、二灯のヘッドライトの光が差し込んできた。
滑り込んできたのは、重厚な装甲と無数のアンテナ群で補強された、大型の改造キャンピングカーだった。
プシューッとエアブレーキの音が響き、サイドドアが勢いよくスライドして開く。
「訔! 無事か!……って、そちらの女性は!?」
運転席から顔を出したチームの仲間が、血相を変えて現場の惨状と響の姿交互に見つめた。
訔が返答に窮していると、響は痛みを押して口元にフッと小さく、不敵で魅力的な微笑を浮かべた。
「お生憎様。今日からあなたたちの
響は訔の返答を待つことなく、自らキャンピングカーのステップへと手をかけ、負傷した足をかばいながら堂々と車内へと乗り込んでみせた。
そして、入口で呆然と立ち尽くす訔へ向けて、白衣の裾を翻しながら振返る。
「さあ行きましょう、音無先生。あなたのその……無茶で愚かな『命がけの回収戦』を、私が正しく『言語化』してサポートしてあげるわ」
車内の明かりに照らされた響の顔には、迷いなど微塵もなかった。
訔は数秒間、たたずんだまま彼女の顔を見つめていたが、やがて呆れたように深く、小さくため息をついた。
だが、その強張っていた肩の力はどこか抜け、固く閉ざされていた彼の表情には、ほんの少しだけ……救われたような温かな陰影が落ちていた。
「……勝手にしろ」
訔はボソリと呟くと、コートの襟を立て、助手席のドアを開けて乗り込んだ。
バンッ、とドアが閉まる音。
大型キャンピングカーのエンジンが重厚な咆哮を上げ、タイヤが濡れたアスファルトを力強く噛みしめる。
ヘッドライトの光線が夜の静寂を切り裂き、車体は雨の上がる闇の街へと滑り出していった。
無口な現場の考古学者・音無訔と、論理の言語学者・音羽響。
言葉の牙に傷つき、言葉の力を識る二人の戦いは、今ここに本当の「バディ」として、過酷で熱い結末へ向かって走り出したのだった。
お世話になっております。
山都撫子です。
新たな仮面ライダー作品を拝読頂きありがとうございます。
斬新な仮面ライダーの二次創作を執筆したいと思い
【言葉】×【おしゃぶり】
という新たなジャンルの仮面ライダーを考えました。
新開拓過ぎて、皆様の感想やご意見いただければ幸いです。
ゆっくり執筆活動していくので
次の投稿をゆっくりとお待ちください。