どこまでも深く、光の一片すら届かない漆黒の底で、聞こえるのは自分のものではない荒く激しい呼吸音だけだった。
突如として、視界が灼熱の赤と紫で叩き割られる。
そこは、現代の如何なる建造物とも異なる、異様な巨石で組み上げられた古代都市だった。
天空を衝く尖塔、幾何学模様が刻まれた神殿、天を覆う巨大な石のアーチ。しかし、それら偉大な文明の遺産は今、すべからく荒狂う業火の海に呑み込まれていた。
「逃げろ! 呪言だ! 街が、言葉が呑まれるぞ!!」
「うああああっ! 言葉が……声が出ない……!?」
逃げ惑う人々。その身に纏う衣服もまた、現代のそれとは異なり、無数の記号や文字が織り込まれた特殊な衣服。超古代「音響文字文明」の民たちであった。
人々が空を見上げて絶望の悲鳴を上げる。
暗雲が垂れ込める上空には、目に見えるほどの質量を持った無数の「黒紫色の文字」が巨大な旋風となって渦を巻いていた。
【暴】――荒狂う破壊の波動
【偽】――現実を歪める欺瞞の呪い
【黙】――あらゆる声を奪い去る沈黙の檻
【縛】――存在そのものを繋ぎ止める呪縛
それだけではない。現代では未だ観測されていない、禍々しい無数の古代呪言が、巨大な濁流となって空を埋め尽くし、都市と人間たちを文字通り「食い荒らし」ていた。
崩落する神殿の頂。その中心に、一人の男が立っている。
男の顔は逆光と炎の影に包まれ、窺い知ることはできない。
ただその胸元に刻まれた「装置」だけが、異様な存在感を放ち、赤黒く発光していた。
それは現代において訔が腰に装着している「バイトドライバー」と酷似した、だが遥かに巨大で禍々しい金属の顎型装置であった。
男は血に濡れた手で、胸の装置の「顎」を力任せに開いた。
手中に握られているのは、深紅に輝く原典の結晶――【咬】
男は掠れた声で、現代の言語体系には存在しない凄惨な古代語を叫んだ。
『――ッ!!』
巨石すら噛み砕くような重厚な駆動音が響き渡り、巨大な金属の顎が完全に閉じ合わされる。
次の瞬間、男の全身を過酷な生体装甲が侵食するように覆い尽くしていった。
――古代のバイト
それは現代の音無訔が身に纏うスタイリッシュな仮面ライダーの姿とは、根本から異なっていた。
鎧や装甲というよりも……「巨大な金属の顎を持つ未知の怪物」が、人間の肉体へと寄生し、その骨格と筋肉を強引に造り替えているかのような、醜悪で禍々しい異形の姿。
「オァァァァァァッ!!」
古代のバイトは獣のような咆哮を上げると、空を覆う呪言の濁流の中へと飛び込んだ。
襲い来る【暴】の文字に対し、寄生した顎を力任せに突き出す。
ガチンッ!
【暴】の文字が噛み砕かれ、黒いエネルギーの粒子となって胸のドライバーへと吸い込まれていく。
ガチンッ!
【偽】を咬む。
ガチンッ!
【黙】を咬む。
凶暴な呪言たちが、次々と古代バイトの顎によって噛み砕かれ、ドライバー内部の深淵へとろ過・吸収されていく。
都市を救う奇跡の力。呪言を打ち払う救世主。
誰もがそう信じた、その瞬間だった。
寄生された男の体が、カタカタと狂ったように震え始めた。
「……もっと……」
ドライバーの顎が、男の意志を無視してひとりでに音を立てる。
ガチン。
「……まだ……足りない……」
ガチン。
「……全部……」
男の声から人間性が削ぎ落とされ、どす黒い欲望と飢餓の濁りに満ちていく。
「……喰わせろぉぉぉぉッ!!」
胸のドライバーに刻まれた【咬】の古代文字が、過剰なエネルギーの過負荷によってみりみりと形を変えていく。
一瞬だけ――
【咬】の文字が変形し、不気味で禍々しい文字へと書き換わった。
――【喰】
胸の巨大な顎が、今まで見たこともない限界を超えた角度まで開き放たれた。
吸い込まれていくのは、空を覆う黒紫の呪言だけではなかった。
旋風となって巻き上げられる業火。
崩れ去る巨石の神殿。
逃げ惑う人々の絶望の悲鳴。
そして人間が思考し、口から発する「言葉」という概念そのものが、目に見える光の帯となって、すべて巨大な顎の中へと吸い込まれ始めた。
「やめろ……! やめてくれぇぇぇッ!」
男は己の狂気に正気を取り戻し、悲鳴を上げながら両手で胸のドライバーを必死に押さえ込んだ。
「俺は……そんなものまで……食うために……ッ!」
しかし、寄生した顎は止まらない。
男の肉体を喰らい、世界を喰らい、あらゆる意味と音を呑み込んでいく。
視界全体を埋め尽くす、底なしの暗黒を誇る巨大な口――
ガチィィィィン!!!!
*
「――っ!?」
訔は飛び起きた。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」
自身の荒い呼吸音だけが、深夜の狭い自室に空虚に響き渡る。
全身は嫌な冷や汗でぐっしょりと濡れており、Tシャツが肌に張り付いていた。
訔は激しい動悸に耐えながら、震える右手で己の胸元を強く握りしめた。
心臓が壊れた時計のようにドクドクと高鳴っている。夢の中のあの男が感じていた、全身の骨が内側から噛み砕かれるような強烈な「侵食感」が、未だに胸の奥に生々しく残っていた。
「……はぁ……はぁ……夢……か……?」
額から落ちる汗を腕で拭い、訔はゆっくりと息を整えようとした。
月光が静かに差し込む机の上。そこに、無造作に置かれているバイトドライバー。
訔がそれを見つめた、まさにその時だった。
誰も触れていない。
部屋の中に風すら吹いていない。
静まり返った暗闇の中で――
カチッ
バイトドライバーの「顎」が、ほんの数ミリだけ、自らの意志を持ったかのように単独で動いた。
訔の息が止まる。
胸の奥の動悸が、再び激しさを増して跳ね上がった。
月光に照らされた黒い顎は、まるで今目覚めたばかりのように、冷たく静かに沈黙を守っている。
訔は喉を鳴らし、震える声でぽつりと漏らした。
「……今のは……?」
帝都大学――考古学研究室
普段は無機質で静謐な研究室の空気は、今や張りつめたような緊張感と、重苦しい沈黙によって支配されていた。
大型モニターには、膨大な古代文字の解読データと、先日のライオット・ジャークとの戦闘ログが複雑に交錯して表示されている。長机の上には、幾重にも及ぶ古代文献や羊皮紙の複写が山のように積み上げられていた。
宗一は厚いレンズの眼鏡の位置を直しながら、古びた文献のページを一枚一枚、慎重に繰っている。
響は解析端末にバイトドライバーを接続し、キーボードを叩く指を一切止めない。
そして――その少し離れた壁際。
白衣を纏い、腕を組んで冷たい視線をモニターへ送っている男の姿があった。
正木律である。
パイプ椅子に深々と腰掛け、缶コーヒーを飲んでいた陸が、露骨に嫌そうな顔をして律を指差した。
「……なぁ。なんでお前が普通にここにいるんだ?」
律は視線をモニターから外すことなく、淡々とした電子声のような低音で答えた。
「昨日も言ったはずだ。ライオット・ジャークに関する情報共有だ」
陸は半眼になり、缶コーヒーを机に叩きつけるように置いた。
「はぁ? 昨日まで訔から強引にベルトを取り上げようとしてた奴がか?」
律はゆっくりと首だけを陸の方へ向け、寸分のブレもない平坦なトーンで言い放った。
「昨日ではなく現在もだ」
陸が跳ね起き、即座に叫んだ。
「帰れ!!」
響はため息をつきながら、端末から目を離さずに手をひらひらと振った。
「はいはい、二人とも静かに。そこ、小学生みたいな喧嘩しないの」
二人の不毛な小競り合いを余所に、宗一が重々しく咳払いを一つした。その顔には、これまでに見せたことのない深い疲労と懸念の色が滲み出ている。
「……皆、本題に入ろう」
研究室の空気が一瞬で引き締まった。訔もまた、机に置いたバイトドライバーを静かに見つめながら、宗一の言葉に耳を傾けた。
宗一は手元の古い石版の拓本を指差し、そこに刻まれた二つの特殊な古代文字を画面に大きく投影させた。
一つは、鋭い牙の形を模した文字――【咬】
そしてもう一つは、不気味な開口の意匠を持つ未知の文字――【喰】
ふたつの古代文字が、青い透過画面の上で妖しく並び立つ。
「今まで我々は……【咬】こそがバイトドライバーのシステムにおける中核文字であり、万物を咬み砕いて制御するための力だと考えていた」
訔が眉をひそめ、宗一を見つめた。
「違うんですか……? 俺はずっと、その力でジャークの悪意を咬み砕いてきた」
宗一は静かに首を振った。
「正確には……不完全な理解だった」
宗一が指し示した古代文献の影印。そこには、掠れた古代音響文字で明確にこう記されていた。
『咬は鍵。喰は器』
画面を見つめていた響が、短く息を呑む。
「【咬】が鍵?」
宗一が深々と頷いた。
「恐らく、【咬】というワードはドライバー本来の真価を起動させるための制御文字…つまり安全装置に過ぎない。 【咬む】という動作は、前段階の手順に過ぎなかった」
壁際に立っていた律が、冷徹な分析を言葉に乗せて継ぎ足した。
「なるほど。【咬】がただのアクセスキーであるならば、このシステムの本来の目的、そして本質的な機能は――もう一つの文字、【喰】側にある」
宗一は深く吐息をつき、静かに頷いて肯定した。
「そういうことになる」
響は端末の操作を再開した。
「試してみるわ。ドライバーの最深部……これまでプロテクトがかかってアクセスできなかった最深コア領域へ、直接データを流し込む」
響の指先がキーボードの上を激しく跳ねる。
バイトドライバーの中核回路へ、【咬】の制御アルゴリズムを接続。
さらに、激戦の中で判明した、音無訔の精神波形とドライバーを同調させる特殊なプロトコル――「
ピ・ピ・ピ・ピ・ピ!
端末のインジケーターが赤から黄色、そして青へと急速に変色していく。
カチッ
誰も触れていないバイトドライバーの内部で、重厚な物理ロックが一瞬だけ外れる乾いた駆動音が響いた。
直後、解析モニターの画面全体が激しく明滅し、見たこともない漆黒のシステムUIが立ち上がった。
=====
BYTE DRIVER
PRIMARY FUNCTION:――――
SEALING CAPACITY:UNKNOWN
STORED WORDS:――――
=====
画面の最下部、文字化けしたログの奥底で隠されていた真のシステム定義が、ほんの一瞬だけ鮮明に表示された。
画面を覗き込んでいた陸が、顔を強張らせて呟いた。
「……吸収……? 喰いつくす……?」
響は画面に表示された恐ろしい処理コードを見つめたまま、震える声で言った。
「やっぱり……間違いないわ。このドライバー……ただライドワードの属性を引き出して使うためだけの装置じゃない」
全員の視線が集中する中、律が静かに一歩、踏み出した。奥の冷ややかな瞳が、机の上の黒い顎を射抜く。
「逆だ」
律の言葉に、全員がハッと息を呑んで律を見つめた。
「使うためではない」
律は確信に満ちた、残酷なまでの正論を突きつけた。
「言葉を取り込み――その概念そのものを『喰う』ために作られている」
静寂が研究室を支配した。
訔は自分の両手を見つめた。
昨夜見た惨劇の夢。都市を呑み込み、人間の言葉すら喰らい尽くしたあの古代の巨顎。
己の胸に在ったものの正体。
訔の顔から血の気が引き、その表情が絶望と慄然によって激しく歪んでいった。
*
都心に位置する大型ショッピングモール「グランテラス都心」の吹き抜け広場。
休日の熱気に満ちたその空間で、一人の青年が両手いっぱいに抱えたブランドショップの紙袋をベンチに投げ出すように置いた。
彼の腕には、つい先ほど購入したばかりの数百万クラスの海外製高級腕時計がギラギラと鈍い光を放っていた。足元には、抽選販売でようやく手に入れた限定スニーカー。首からは新鋭デザイナーのシルバーアクセサリー。彼が今身につけている衣類と買い漁った品々だけで、普通の若者が年間に稼ぐ給与の大半が吹き飛ぶ計算になる。
だが満の表情に、買い物を終えた者特有の充足感や昂ぶりは一切なかった。
満は無機質な眼差しでスマートフォンを操作し、SNSのタイムラインを高速でスクロールしていた。
画面に躍るのは、見知らぬ他人の「誇示」の数々。
一流レストランの限定コース料理。特別仕様の国産高級外車。地中海リゾートでの海外旅行。著名人との華やかなパーティー写真。
「……いいな」
満の親指が、微かな震えとともに画面をタップする。
「これも……かっこいいな……。なんであいつがこれ持ってんだよ」
スクロール。また別の投稿。
「俺も欲しい……。俺の方が……絶対似合うのに……」
満自身の足元には、誰もが羨む限定品の山がある。彼が身につけている時計一つ取っても、同世代の若者から見れば高嶺の花だ。彼は持っている。十分すぎるほどに、何もかもを持っている。
それでも胸の奥の底抜けの空洞は、何を注ぎ込んでも埋まることがなかった。
画面が切り替わり、友人からのチャットアプリのメッセージが届く。
『また買ったの? 画面に映ってるスニーカー、先月も似たようなの買ってなかった?』
満は不機嫌そうにキーボードを打ち返した。
『前から欲しいって言ってたやつだよ。別にいいだろ』
数秒後、友人からの返信が届く。
『欲しいっていうかさ……みつるって、人が持ってると欲しくなるだけじゃない? 本当にそれが好きなの?』
満の指がピタリと止まった。
画面の文字が、脳の奥を直接焼き刺すような不快な痛みを伴って焦げ付く。
満はスマホを強く握りしめ、ゆっくりと周囲を見回した。
楽しそうに歩くカップル。あいつの連れている彼女は可愛い。
――欲しい
ストリートで人々を集める若者の服。あいつの着こなしの方がセンスがいい。
――欲しい
路上でバイオリンを演奏する音大生。あの溢れ出る才能と人々の賞賛。
――欲しい
すれ違う裕福そうな男の自信に満ちた笑顔。あの人生。あの地位。
――欲しい、欲しい、欲しい!
「……俺だって」
満の口から、低く歪んだ声が漏れ出た。
「俺だって……もっとあれば……! あいつらより凄くなれるのに……!」
その瞬間、彼のポケットの中で、冷たい結晶が異様な熱を帯びて発光し始めた。
黒紫の禍々しい文字が刻まれた原典の結晶――【欲】
「俺だって……満たされるはずなんだ……!!」
《欲しろ》
【欲】の結晶が満の憎悪と渇望に共鳴し、眩い黒紫の光を解き放った。
無数のどす黒い文字の嵐が彼の全身を覆い尽くし、肉体と精神を狂気とともに再構築していく。
巨大な袋と、強欲な口を全身に備えた怪異――グリード・ジャーク
ここに、最悪のジャークが誕生した。
「アハハハハハッ! 素晴らしい! 全部、全部俺のものだ!!」
グリード・ジャークは狂喜の声を上げ、吹き抜け広場の中心で腕を掲げた。
グリードの能力――それは「他者の所有物を無条件で奪う」こと。
しかし、その悪意の本質は、単なる物理的な強奪にとどまらなかった。
「その時計、いいな! 欲しい!!」
通りかかった紳士が腕にはめていた限定の金時計が、空間を無視して一瞬で消失し、グリードの太い腕へと装着された。
「ひっ……!? 俺の時計が……!?」
「次はそれだ! その車が欲しい!!」
モールの一角に展示されていた特別仕様のスポーツカーが、一瞬にして黒紫の文字データへと変換され、グリードの巨大な体内へと吸収されていく。
さらに、グリードの侵食は「概念」そのものへと及んでいった。
広場の路上で美しい旋律を奏でていたストリートミュージシャンの青年。その姿を見つめ、グリードは歪んだ口を開いた。
「その才能が……欲しい!!」
黒紫の文字の触手が青年の胸を貫く。
「あ……が……!?」
青年は崩れ落ち、手にしていたギターを見つめた。ポロロン……と鳴らした音は、哀れなほどに音外れで不協和音に満ちていた。青年は涙を流しながら、困惑の悲鳴を上げる。
「な……なんだこれ……!? 弾き方が……コードが……思い出せない!? 俺の指が……どうやって弾くんだっけ……!?」
長年積み重ねてきた演奏技術、音楽の記憶、才能そのものが、根こそぎグリードによって奪い去られたのだ。
「最高だ! 歌える! 俺は演奏できるぞ! ハハハッ! 次はそれだ!」
グリードの視線が、ファンに囲まれてライブ配信を行っていた有名配信者の少女へ向けられた。
「その人気が……注目が……欲しい!!」
黒紫の文字が少女を包み込む。次の瞬間、群がっていたファンたちが一斉に首をかしげ、少女を無視して通り過ぎ始めた。
「え……? みんな、どうしたの? 私だよ? コメント読んでる……? え……?」
少女がどれほど叫んでも、周囲の人々は彼女の存在すら認識しなくなった。「人気」と「注目を集める力」そのものを奪われ、少女は群衆の中で透明な存在へと成り下がった。
欲望のままに人々の「持てるもの」を食い荒らす破壊工作。
モール内にパニックが広がり、人々の悲鳴が渦を巻く。
「そこまでだ」
ガラス屋根を叩き破り、吹き抜け広場へと躍り出た二つの影。
訔と、その傍らで静かに白衣を揺らす律。
端末のジャーク反応を察知し、急行してきた二人であった。
走ってきた陸と響が後方で人々の避難誘導を始める中、訔は胸元のバイトドライバーへ手を伸ばした。
その隣で、律は整然とした動作でシンタックスドライバーを装着する。
訔は横の律をチラリと見やり、短く声をかけた。
「正木」
律は視線を変えずに冷たく答えた。
「何だ」
「……今回は、戦闘中に俺からベルトを取り上げるなよ」
律は感情の削ぎ落とされた声で言い放った。
「状況による」
訔は眉をひそめて突っ込んだ。
「……。」
二人の登場に気づいたグリード・ジャークが、醜悪な顔を歪めて二人を睨みつけた。
全身から黒紫の過剰な欲望の波動を撒き散らし、狂気じみた声を張り上げる。
「もっと……! もっと寄こせ! 世界中のすべての素晴らしいものを、俺に寄こせぇぇぇッ!!」
訔はライドワード【咬】をバイトドライバーのスロットへ叩き込んだ。
《咬む》
「変身」
《
《
ガチィィィン!
紫の旋光が訔の全身を包み込み、牙の装甲が組み上がっていきバイトへと変身を遂げる。
同時に、律もまたポケットからライドワードを取り出し、シンタックスドライバーへと装填した。
律は寸分の乱れもない美しい所作で、静かに呟いた。
「変身」
《
《
《
《
白銀の幾何学光線が収束し、完璧な管理と規律の騎士・シグナルが舞い降りる。
「ハァッ!」
バイトの放つ鋭い拳が、グリードの側面を捉える。間髪入れずにシグナルが滑り込み、その手にしたシンタックス・サーベルが閃光のような軌跡を描いて怪人の装甲を切り裂いた。
序盤の主導権は完全にこちらにあった。息の合った連携がグリードの巨躯を追い詰めていく。
「グッ……アァ……!」
攻撃を受け、後退したグリードが、不気味に歪む複眼でシグナルを見据えた。その視線が固定されたのは、シグナルの手元で蒼いフォント光を放つ鋭利な刀身だった。
「それ……」
グリードの喉の奥から、どろりとした執着が漏れ出す。
「欲しい……!」
怪人の胸部で、黒紫のフォント文字が過剰に発光した。
【欲】
その文字が放つ異様な力波が、シンタックス・サーベルの構造データを瞬時に解析・抽出していく。サーベルを構成するフォント構造が、グリードの視線を通じてリアルタイムでコピーされていくのが見えた。
「な……!?」
シグナルが息を呑む暇すらなかった。
グリードの右腕の装甲がグニャリと生体金属のように蠢き、黒紫のフォントエネルギーを撒き散らしながら再構築されていく。数秒と経たずに完成したのはシグナルが持つものと瓜二つの、禍々しい偽物のシンタックス・サーベルだった。
シグナルは刃を構え直し、警戒を露わにする。
「コピー能力……!?」
「それだけじゃない」
バイトが叫ぶ。だが、グリードの歪んだ執着の矛先は、すでにバイトへと向けられていた。
「それも、欲しい……!」
グリードの複眼が怪しく光る。次の瞬間、バイトの全身を覆うエレメントの能力情報が、怪人の体内へとなだれ込むように複製されていった。
怪人の掲げた偽サーベルに、激しい紅蓮の炎が巻き起こる。
【燃】の能力の模倣。
炎の刀身が振り下ろされ、鋭い真空の刃が地を裂いて走る。
【切】の斬撃。
さらに、怪人の左手から激流のような水塊が噴出し、バイトの脚をすくい上げて吹き飛ばした。
【流】の水流。
「グアッ……!」
アスファルトの上を転がるバイト。
グリードはこれまでバイトが死闘の中で獲得し、振るってきた多様なライドワードの能力を、その「欲」のままに次々と模倣し、己の力として発現させていた。
立て直し、バイトの隣に並び立ったシグナルが、冷徹に敵の性質を分析する。
「欲求に応じて、他者の能力情報を吸収・再現している。放置すれば際限なく強くなるぞ」
「だったら!!」
バイトは立ち上がり、胸元のドライバーのレバーを強く押し込んだ。
《
能力の模倣など関係ない。根本の打撃で直接叩き潰すのみ。
バイトは低く身を構えると、爆発的な踏み込みで地上を蹴った。炎も水流も潜り抜け、最短距離でグリードの懐へと飛び込む。全体重と「咬む」意志を乗せた右拳を、グリードの胸部――あの不気味に蠢く【欲】の文字へ向けて一直線に叩きつけた。
激しい衝突音が戦場に轟く。
しかし――
【欲】と【咬】が接触した、まさにその瞬間だった。
ガチンッ!!
バイトドライバーの内部機構が、甲高い異常金属音を上げた。
「……!?」
拳を打ち込んだ姿勢のまま、バイトの身体が凍りつく。自分の意思とは無関係に、ドライバーの歯車が狂ったように高速回転を始めていた。
「……?」
もう一度、狂暴な金属打撃音が響く。
ガチン!
脳内にダイレクトに響き渡る、響の悲鳴のような音声。
『訔! ドライバーの出力が勝手に上がってる! 制御不能よ!』
「俺は何も……何も操作してない……!」
ドライバー中央に刻まれた巨顎のギミックが、まるで腹を空かせた獣のように、自動的にガバッと大きく開いた。
「……なんだ……!?」
怪人の胸部から、黒紫色のフォントエネルギー――【欲】の概念そのものが、渦を巻いてバイトドライバーの開いた顎へと吸い込まれ始めた。
強烈な吸引力が周囲の空間を歪ませる。
「止まれ……! 止まれ……!」
バイトは必死に拳を引き抜こうとしたが、ドライバーと怪人の胸部が不可視の磁力で固着したかのように、ビクとも動かない。
「俺の……俺の力が……! 離せ、俺の……!!」
怪人が苦悶の叫びを上げる。
引きずり出されているのは、コピーした能力だけではなかった。怪人の外骨格を形成する黒い装甲、体内のフォントエネルギー、そして肉体そのものが、微小な文字の粒子となってドライバーの巨顎へと呑み込まれていく。
「音無! 危険だ、今すぐ離れろ!」
「離れられない……! 抜けないんだ!」
バイトの胸部で、幻影の巨大な顎が空間を覆うほどに巨大化していく。
それは文字通りの「捕食」だった。幻影の巨顎が牙を剥き出し、グリードの全身へと容赦なく食らいつく。
その瞬間、ドライバーから溢れ出る【咬】の文字が、禍々しく歪み始めた。
線が崩れ、フォント構造が組み換わり、一瞬だけ――全く別の、忌まわしき一文字へと変貌を遂げる。
【喰】
バイトの複眼から鮮烈なフォント光が消え、底なしの暗闇のような黒紫色へと染まり上がった。
*
――訔の頭の中。
意識が、暗く深い精神の深淵へと叩き落とされる。
そこで、聞いたことのない声が響いた。
――――もっと
「……誰だ……!?」
――――もっと喰え
ライオットの声ではない。シグナルでも、響でも、陸でもない。
誰の声でもない。
腰に装着された、バイトドライバーそのものの「底」から這い上がってくる、果てしない飢餓感を孕んだ古の咆哮。
――――悪意を
――――言葉を
全部――――
《喰え》
脳味噌を直接擦り潰されるような絶望的な衝動が、訔の全神経を支配しようとする。このままドライバーに身を任せれば、グリードも、目の前のシグナルも、この街の全ての言葉も喰らい尽くしてしまう。
「やめろォォォッ!!」
訔は全身の血を吐き出すような叫びとともに、限界を超えた力で右拳を叩きつけた。
【咬】を強引に引き抜く。
パチンッ、と空間が弾けるような音とともに、不可視の吸引鎖が断ち切られた。
エネルギーの吸収が強制停止する。
反動の衝撃波が弾け飛び、全身の威力を削ぎ落とされたグリードが、空中を無残に舞ってはるか後方のアスファルトへ吹き飛ばされた。
バイトは全身の力を使い果たし、ドサリと両膝を突いた。激しい呼吸に合わせて、アーマーが不規則に上下する。
「音無!」
シグナルが駆け寄ろうと足を踏み出す。
「近づくな……!!」
地獄の底から絞り出したような訔の声。
その鬼気迫る静止に、シグナルの動きがピタリと止まった。
バイトの右手。
バイトの装甲の上に、気味の悪い黒いフォント文字が、まるで焼き印のようにくっきりと浮かび上がっていた。
【喰】
その文字は呼吸するように蠢き、数秒の沈黙の後、スーッと霧が晴れるように消えていった。
通信機越しに、響の息を呑む音が聞こえる。
「……今の、文字……」
帝都大学の研究室。モニターに映し出された異常数値を食い入るように見つめていた宗一が、重く、低く呟いた。
『間違いない……』
メガネの奥の瞳が、恐れに震えている。
『古代文献に記されていた……最初の戦士を破滅へ導いた、呪われし文字――【喰】だ』
*
数百メートル先。
瓦礫の山から、グリードが這いあがってきた。
だが、その姿は先ほどまでの凶暴な怪物とは程遠かった。体表のフォントエネルギーは著しく減退し、黒紫の装甲はひび割れ、全身を激しい震えが支配している。
「返せ……」
かすれた声。
バイトは膝を突いたまま、何も言わずに怪人を見つめた。
「返せ……! 俺の……俺の“欲しい”を……返せぇっ!!」
怪人は胸をかきむしり、狂ったように叫び声を上げる。
その悲痛な叫びを聞きながら、訔は戦慄とともに理解した。
グリードから【欲】の能力を力任せに奪い去った瞬間――ドライバーが喰らったのは、単なる能力のフォントデータだけではなかった。
怪人の宿主となっていた人間の、「欲求」という感情そのものまで根こそぎ削ぎ落とし、消去してしまったのだ。
欲望を失ったグリードは、もはや怪人としての駆動原理すら維持できず、ただ「何かを失った」という空虚な恐怖に震えるだけの出涸らしと化していた。
ジャークの悪意を挫くためとはいえ――人間の感情そのものを喰らい、無に帰す力。
「こんなの……」
訔は、己の血に染まった両手を見つめた。喉の奥が引きつり、激しい吐き気がこみ上げてくる。
「こんなの……浄化じゃない……!」
闇の中に消えた【喰】の文字の冷たさが、バイトドライバーを通じて、訔の魂に重く圧しかかっていた。
暴走した【欲】の悪意が、巨大な嵐となってモール全体を呑み込もうとしていた。
一度バイトに喰われかけたことで、「奪われたくない」「すべてを俺のものにしたい」という強烈な生存本能と執着が爆発。倉橋満の肉体を核としたグリード・ジャークの姿は、肥大化したどす黒いフォントエネルギーによって膨れ上がり、吹き抜けの天井に届くほどの巨体へと変貌を遂げていく。
「返せ! 俺のものだ! 全部俺のものだぁぁぁ!!」
【欲】の怪異が撒き散らす漆黒の波動が、周囲の展示物や建造物、さらには逃げ惑う人々の「大切なもの」を無差別に引き寄せ、強引に怪人の体内へと呑み込んでいく。
膝を突いたまま、荒い息を吐く訔。
胸元のバイトドライバーは、未だ不気味な熱を帯びて静かに呼吸している。もう一度あれを使えば、自分の中に潜む【喰】の顎が目覚め、敵の悪意ごと倉橋満という人間の感情まで完全に喰らい尽くしてしまうかもしれない。
その恐怖が、訔の身体を縛り付けていた。
「……っ」
立ち上がれないバイトの傍らに、白銀の騎士・シグナルが静かに歩み寄る。
「音無」
無機質なシステム音声の奥から届く、冷徹な声。
「……」
「何を迷っている」
バイトは震える右拳を強く握りしめ、掠れた声を漏らした。
「……また喰ったら……あいつの感情まで消える。もう二度と、あいつは何も欲しがることができなくなるんだ……!」
敵を倒すための力が、相手の人間性そのものを削ぎ落とす破滅の毒と化す。その矛盾に押し潰されそうになる訔に対し、律は淡々とした、だが迷いのないトーンで言い放った。
「なら使い道を変えろ」
バイトがハッと息を呑み、シグナルを見上げる。
シグナルは偽サーベルの嵐を放つグリードを見据えたまま、言葉を継いだ。
「君が言ったんだろう」
シグナルの脳裏に、かつて正義と規律のあり方を巡って激突した、あの日の言葉が蘇る。
『使い方なんて一つじゃない!』
バイトの複眼に、一瞬の光が宿る。
「……正木」
シグナルはシンタックス・サーベルを美しく構え直すと、短く吐き捨てた。
「自分の理屈くらい、自分で証明しろ」
その言葉が、訔の胸の奥で燻っていた恐怖を吹き飛ばした。
「……そうだな」
バイトは膝に力を込め、ゆっくりと、だが力強く立ち上がった。
手中に握られた、ライドワード――【咬】
己を喰らい尽くそうとする呪われし顎に流されるのではない。この力をどう使い、何を切り護るのかを決めるのは、自分自身だ。
「全部を喰う必要なんてない……!」
バイトはスロットへ【咬】を装填し、レバーを叩き込んだ。
《
ガチィィィン!!
眩い紫のフォント光が弾け、バイトは力強く拳を構える。
「悪意と――」
荒狂うグリードを見据え、その奥に沈む人間の叫びに耳を澄ませる。
「こいつ自身の“欲しい”は違う!」
「ハアッ!」
同時に踏み出す二つの影。バイトとシグナルが、巨大化したグリードの巨躯へ向かって一直線に駆け抜けた。
「邪魔をするなぁぁぁッ!」
グリードが解き放つ【燃】【切】【流】の複合攻撃。炎と刃と水流が渦を巻く破壊の濁流に対し、シグナルが先陣を切った。白銀の刀身が精密極まる軌跡を描き、迫りくる属性攻撃の構造を最小限の動作で正確に切断・無力化していく。
「今だ、音無!」
シグナルがシンタックスドライバーのレバーを引き、解析機能を限界まで展開した。
《
シグナルの視界に、グリードの体内を蠢く二つの異なるエネルギー波形が青と赤のグリッド線となって浮き彫りになる。
一つは、人間・倉橋満の根底にある「満たされたい」という純粋な「
そしてもう一つは、それを歪め、無限の奪略へと変貌させている
二つの波形は複雑に絡み合っていたが、シグナルの頭脳は寸分の狂いもなくその境界線を割り出していく。
「分離ポイントを送る!」
シグナルからバイトの視界へ、ターゲットの座標データがダイレクトに転送された。
「頼む!」
バイトは地を蹴り、空中へと跳躍した。
ターゲットは、グリードの胸部で禍々しくのたうつ【欲】の文字の中心ではなく、その「悪意の外枠」だけ。
「喰らい尽くすんじゃない……咬み分ける!!」
《咬む》《咬む》
《
バイトは右脚に全フォントエネルギーを収束させた。胸のドライバーの顎が開き、紫の光で形成された巨大な牙が必殺の蹴りと共に展開する。
「ウオアアアアアッ!!」
バイトのセッションエンドが、グリードの胸部へ寸分の狂いもなく叩き込まれた。
重厚な金属打撃音が空間を震わせる。
バイトが咬み砕いたのは、シグナルが指定した「ジャークの悪意」の領域のみ。過剰な欲望に狂っていた黒紫のフォント構造だけがバキバキと音を立てて砕け散り、ドライバーの深淵へとろ過・吸収されていく。
その内側にあった、倉橋満の純粋な心の核には、一切の傷もつけずに。
「ガ、アアアアアッ……!?」
悪意の骨組みを根こそぎ噛み砕かれたグリードの巨大な体が、内部から崩壊を始めた。
爆発の炎とともに、怪人の姿が弾け飛ぶ。
煙の中から転がり出たのは、元の服を着た青年――倉橋満であった。
そして、宙を舞う一つの結晶。
黒紫色に汚れていた【欲】のライドワードが、悪意を削ぎ落とされたことで、透き通るような鮮やかな金色とマゼンタの光を放つ美しい結晶へと浄化されていく。
カチャリ。
バイトの手のひらに、浄化された【欲】のライドワードが収まった。
変身を解除した訔は、ゆっくりと地面に倒れ込んでいる満へ歩み寄る。
満は自分の両手を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……俺」
その瞳からは狂気が消え去り、元の気弱で、どこか空虚な少年の色に戻っていた。
「何であんなに……欲しがってたんだろう」
訔は満の前にかがみ込み、静かな、だが温かみのある声で言った。
「欲しがること自体は、悪くない」
満がゆっくりと顔を上げる。
「欲しいものがあるから、頑張れることだってある」
「……。」
「ただ」
訔は手の中の、金色に輝く【欲】のライドワードを見つめた。
「他人から奪わなきゃ満たされないなら……たぶん、欲しいものを間違えてる」
満は自分の胸の上に手を当て、訔の言葉を噛みしめるように深く息を吐いた。その目には、先ほどまでの底なしの飢餓感ではなく、小さな自分自身の意思が宿り始めていた。
*
戦闘後――帝都大学・考古学研究室。
中央の長机の上で、バイトドライバーが解析用ケーブルによって幾重にも装置と接続されている。
シグナルの変身を解いた律が、モニターに流れる天文学的な速度のデータシークエンスを、冷たい瞳で見つめていた。
その背後から、響が身を乗り出して尋ねる。
「どう……?」
律はキーボードから手を離し、ゆっくりと振り返った。
「最悪だ」
パイプ椅子に座っていた陸が、身を乗り出して顔をしかめる。
「そんなヤバいのか?」
律は眼鏡の奥の瞳を細め、静かな、しかし重い声で言った。
「理論上、このドライバーには――」
一瞬間を置き、律は言葉を躊躇した。
「上限がない」
訔が身を乗り出し、律を直視する。
「どういう意味だ」
「相手のフォントを喰って、自分の内部へ取り込めるなら……」
律は机の上の、冷たく沈黙する黒い顎を指差した。
「ジャークだけじゃない。ライドワード……感情……記憶……意思……」
部屋の中の空気線波が凍りつく。律は残酷な真実を言葉に乗せた。
「場合によっては――人格そのものまで喰える可能性がある」
息を呑むような沈黙が研究室を支配した。
訔はゆっくりと自分の胸元へ視線を落とした。敵の能力を喰らう救世のベルト。その真の姿は、あらゆる存在の『魂』すら呑み込み兼ねない、底なしの装置だったのだ。
その重苦しい静寂を破るように、部屋の奥で古文献を紐解いていた宗一が、かすれた声で呟いた。
「……見つけた」
全員の視線が宗一へと集まる。
宗一は手元の古びた羊皮紙の拓本を指差し、そこに刻まれた一文を読み上げた。
「古代のバイトについての記述だ……咬む者は、呪言を選びて喰らう者」
そして、その次の行。
「選ぶことを失いし時――」
文字が掠れ、一部が欠損している。宗一は息を整え、新たに判読できたその下の凄惨な一文を静かに口にした。
「人は器となり、顎が主となる」
響の顔から血の気が引いていく。
「……顎が、主……?」
訔は、机の上に静置されたバイトドライバーを見つめた。
選ぶことをやめ、喰らう衝動に身を任せた瞬間、人間は肉体の主導権を失い、ドライバーという『顎』の単なるエサであり奴隷と化す。それが、古代文明を滅ぼした【喰】の戦士の末路だったのだ。
夜――訔の自宅。
自室のベッドの上で、訔は浅い眠りについていた。
月光が部屋の中に冷たい影を落としている。机の上に置かれたアタッシュケース。その中で、バイトドライバーは静かに横たわっている。
静寂に包まれた部屋。
カチッ……
誰も触れていないケースの中で、ドライバーの顎が、ミリ単位で勝手に開いた。
その暗い口開の内部。
これまで訔が命を懸けて砕き、浄化してきたライドワードの意匠が、一瞬ずつ、灯火のように怪しく浮かび上がっては消えていく。
【燃】
【切】
【流】
【吹】
【信】
【黙】
【急】
【欲】
あらゆる言葉と感情の軌跡。
そして最後――
それらすべてを黒く塗りつぶすように、過酷な文字が浮かび上がった。
【喰】
ドライバーの底から、人間のものとは思えぬ、どろりとした低い声が暗闇に響いた。
『……足りない』
顎が、さらに数ミリ、飢えたように開く。
『もっと――』
*
「目覚め始めたわね……」
傍らで腕を組むバインドが、冷ややかな声で応じる。
「予定より早い」
だが、その奥に鎮座する巨躯――ライオットだけが、喉を鳴らして狂気じみた笑いを漏らしていた。
ファルスが肩をすくめて振り返る。
「嬉しそうですね」
ライオットは、その大きな手の中で自身のライドワードを握りつぶさんばかりに力を込めた。
「当然だ」
凶悪な瞳が、暗闇の中で赤黒く光り輝く。
「ようやく“バイト”が、本来の姿へ戻る……」
ファルスがくすくすと囁くように言った。
「でも、あの子は抵抗するしますよ? どこまでも不器用に、ね」
「だからこそ――」
ライオットの歪んだ声が、深淵の闇を切り裂く。
自室で苦しい夢にうなされる訔の姿と、ケースの中で不気味に呼吸するバイトドライバー、そしてその背景に覆いかぶさるような、世界を喰らい尽くす巨大な顎の幻影が浮かび上がる。
ライオットの残忍な宣言が、暗闇に響き渡った。
「――腹を空かせてやればいい」