キャンピングカーの車内には無機質な電子音が低く響いていた。
大型車両の居住スペースは、すでに本来の用途を失っている。壁一面には波形モニターや周波数解析機がひしめき、無数のケーブルが束となって床を這う。かつて旅を楽しむための空間だった場所は、完全に怪異を追跡するための「移動式音響ラボ」へと変貌を遂げていた。
「見て。これが昨日、あなたが命懸けで回収した『それ』のデータよ」
響は短く切り揃えた髪を揺らし、マルチモニターの一つを指で叩いた。画面には、脈動する波形グラフと、鮮やかなオレンジ色に発光するおしゃぶり型アイテム――フレアワードの3Dデータが表示されている。
「元は黒く濁った悪意の波形だったけれど、バイトドライバーを装填した事を経て毒素が完全に中和されたわ。今のこれは、言語が持つ本来の『燃える』を物理エネルギーへと変換する純粋なフォントデバイス――フレアワードよ」
助手席側の簡易ベッドに腰掛けていた訔は、無言のまま視線を落としていた。
チャコールグレーのロングコートはところどころが擦り切れ、立ち上げたスタンドカラーの隙間から覗く首筋には、痛々しい紫色の充血痕が残っている。仮面ライダーバイトとなり、過剰なフォントエネルギーを全身で受け止めた代償――生体負荷の爪痕だった。
響はキーボードを叩き、訔の生体バイタルデータを画面に割り込ませた。心電図の波形は極めて乱れており、過度の肉体疲労と細胞損傷を示している。
「昨日の戦闘データとあなたのバイタルを照合したわ。バイトドライバーは、装着者の息吹と脈動を無理やり共振させて骨格を補強する……言わば、肉体を『鳴らし切る』構造になっている。今のあなたの体のままじゃ、あと数回変身しただけで心停止か、良くて全身の神経が焼き切れるわ」
響はデスクの引き出しから、小型の周波数チューナーと接続コードを取り出した。
「ドライバーの共振周波数を私の理論で再設計するわ。装着時の肉体負荷を最低でも40%はカットできるはずよ。さあ、バイトドライバーを貸しなさい」
訔は静かに立ち上がると、響の手元にあるチューナーを一瞥し、低く短い声で拒絶した。
「……余計な真似だ」
「なっ……余計な真似!?」
「これは、俺の誤読が生んだ罪だ。俺の肉体が削られようと、俺自身が背負うべきリスクだ。外部から余計な操作を加えて、万が一出力が下がれば……ライドワードの回収に支障が出る」
訔はコートの襟を固く閉じ、背を向けようとした。その不器用で破滅的な自己犠牲に、響の眉が大きく跳ね上がる。響はバンと勢いよくデスクを叩き、訔の前に立ちふさがった。
「馬鹿言わないで! あなたが途中で倒れて死んだら、残されたライドワードは誰が回収するの!? 一人で悲劇のヒーローを気取るのは勝手だけど、回収戦線そのものが破綻したら元も子もないでしょうが!」
「…………」
「いい? 私はあなたの自殺に付き合ってるんじゃないの。考古学者であるあなたが『現場』で命を張るなら、音響言語学者である私が『理論』でそれを補強する。それが最も合理的で、最も生還率が高い帰結よ。……文句があるなら、私の論理を上回る対案を提示しなさい!」
凛とした強い瞳でまっすぐに見つめ返され、訔は言葉を詰まらせた。無口な彼に、響の弾丸のような正論を言い返す術はない。
訔は小さく息を吐くと、諦めたようにバイトドライバーを渡した。
「……手短に頼む」
「フン、最初からそう言えばいいのよ」
響は素早くコードをバイトドライバーの端子へ接続し、データの書き換えを開始した。車内にキーボードを叩く軽快な音が響く。不器用で頑固な男と、妥協を許さない理知的な女。噛み合わないはずの二人のギアが、少しずつ、しかし確実に噛み合い始めていた。
*
夕暮れ時。市内の総合病院の廊下には、消毒液の匂いと夕日の橙色が重苦しく立ち込めていた。
病室の静けさを破らないよう、青年――加藤はそっとドアを押し開け、ベッドの脇に脚椅子を引き寄せた。ベッドの上では、激しく痩せこけた母親が点滴のチューブに繋がれ、弱々しく眠っている。
「母さん」
加藤が低く声をかけると、母親は重い瞼をゆっくりと持ち上げた。カサカサに乾いた唇が小さくほころぶ。
「……あら、拓也。仕事は……大丈夫なの……? 忙しい時に、無理をして来なくても……」
「何言ってるんだよ。全然平気だよ」
加藤は必死に明るい声をつくり、母親の痩せた手を両手で包み込んだ。
「むしろ順調そのものさ。今月も成績はトップでね、上司からも『次のプロジェクトのリーダーは君だ』って言われてるんだ。近いうちにまとまった手当が入るから、そうしたらもっと景色のいい個室に転院しよう。だから母さんは、余計な心配しないで治療に専念してくれればいいんだよ」
ポンポンと景気のいい言葉を並べる加藤の顔には、温かな笑顔が浮かんでいた。
だが、それはすべて「優しい嘘」だった。
現実は、連日の介護疲れによるミスの連続。先週ついに会社を解雇され、アパートの家賃も滞納し、明日の生活費すら危うい惨状にあった。けれど、死期の近い母親にそんな本当のことを言えるはずがない。少しでも安心させたい、最後の日々を温かい気持ちで過ごしてほしい。その一心でつむいだ、精一杯の言葉だった。
母親は嬉しそうに目を細め、弱々しく加藤の手を握り返した。
「そう……よかったわねぇ。拓也は昔から優秀で、自慢の息子だもの……」
母と子の間に、穏やかで温かな時間が流れるはずだった。
――バシンッ!!
乱暴に病室のドアが叩き開けられたのは、まさにその時だった。
「何が優秀よ! 呆れた、病人にまでそんな見苦しい出まかせを並べるなんて!」
怒声とともに踏み込んできたのは、叔母の和代だった。派手な服に身を包んだ彼女は、加藤を氷のような蔑みの目で見下ろすと、手に持った封筒を床へ叩きつけた。
「拓也! あんた、会社をクビになったんですってね!? うちの人から聞いたわよ! 先週には解雇通知が出てたそうじゃない!」
「お、叔母さん……!? ちょっと待ってくれ、今は母さんが――」
「黙りなさい! 会社を追い出された無職のくせに、何がプロジェクトリーダーよ! 何が個室へ転院よ! よくもまあ、そんな嘘八百をペラペラと口から出せたものね!」
和代の尖った声が病室中に響き渡る。ベッドの母親は顔色を失い、呼吸を乱しながら加藤と和代を交互に見つめた。
「拓……也……? 嘘……なの……?」
「母さん、ちがっ、違うんだ! 僕が説明するから――」
「何が違うのよ!」
和代は加藤の肩を激しく突き飛ばした。その言葉は、容赦なく青年の胸を刺し穿つ。
「親の心も知らないで! 死にかけた母親にまで嘘をついて騙すなんて、あんた人間じゃないわ! 親族の面汚しよ! そうやって甘えた嘘ばかりついて、周囲との関係までバッサリ『切り捨てる』気!? あんたみたいな嘘つき、もう家族でも何でもないわ! さっさと出ていきなさい!!」
和代の口から吐き出された暴言は、まるで鋭利なナイフだった。
母を想ってついた「優しい嘘」。それを「悪」と決めつけられ、人間性ごとバッサリと切り捨てられた衝撃。加藤の視界から色が失われていく。
(僕の言葉は……母さんを安心させたかっただけの言葉は……全部、汚い嘘なのか……?)
(僕の気持ちも……僕自身も……こうやって切られて、捨てられるのか……?)
深淵のような絶望と、歪んだ怒りが加藤の胸の底から噴出した。
「切り捨てられた」という深い傷口が、大気中に漂う不協和音の粒子を引き寄せる。
キィィィィィン――――!!
突如、病室の空間が異様な高周波で歪んだ。
「ひっ……!? な、なにこの音……!?」
耳を押さえる和代の頭上、空間の裂け目から跳来したのは、どす黒く濁った金属製のおしゃぶり型デバイス――【切】のライドワードだった。
ライドワードは不吉な紫色のオーラを撒き散らしながら高速で旋回し、加藤の口元へと吸い寄せられるように激しく咬みついた!
「『切れ』」
《切れ》
「アガッ……あぁぁぁぁぁぁっ!!」
加藤の叫びが、ボイスコアの共鳴とともに耳をつんざく怪人の咆哮へと変わる。
彼の身体から黒紫色の不協和音が噴出し、皮膚が激しいスパークとともに銀色の鋼鉄へと変質していく。
「拓也……!? な、何なのよそれ!? やめなさいよ!!」
悲鳴を上げる和代に対し、変貌を遂げた怪人はただ冷たくその巨躯を翻した。
全身が無数の剣やハサミ、鋼の刃で構成された怪人――スパーダ・ジャークの誕生であった。
「切り……割く……! 嘘も……絆も……全部、切り捨ててやるぁぁぁっ!!」
スパーダ・ジャークが右腕の巨大な刀身を横一文字に振るった。
チャキィィィンッ!
瞬間、大気を裂いて目に見えない
病室の厚いコンクリート壁がサックリと切断され、窓ガラスが一瞬にして粉々に砕け散る。
「きゃああああああっ!!」
「拓也! 拓也ぁぁぁっ!」
悲鳴と破壊音が廊下に響き渡り、スパーダ・ジャークは病院の壁を突き破って中庭へと飛び降りた。
「切る……切り裂く……! 邪魔な言葉は……すべて削ぎ落とせぇぇぇっ!!」
病院の中庭で、スパーダ・ジャークは狂ったように両腕の刃を振り回した。
放たれる無数の真空波が植木を微塵に切り刻み、ベンチを真っ二つに叩き割り、逃げ惑う患者や看護師たちの頭上へと容赦なく降り注ぐ。
言葉によって絆を切り裂かれた青年が、今や世界を切り刻む暴走する刃と化していた。
「きゃあぁぁぁっ!」
夕闇が迫る病院の中庭に、絶叫と破壊音が響き渡っていた。
そこへ、車輪を悲鳴させながら強引に滑り込んだのは、マットブラックの大型キャンピングカーだった。完全に静止するよりも早く、助手席のドアが勢いよく開き、チャコールグレーのコートを翻して音無訔が飛び出す。
「音羽、避難誘導を!」
「言われなくても! 訔、相手の波形は極めて鋭利よ、気をつけて!」
中庭の中央では、全身を刃の装甲で覆ったスパーダ・ジャークが狂気じみた咆哮を上げていた。逃げ遅れた看護師が、倒れた車椅子の脇で腰を抜かしている。その頭上へ、スパーダ・ジャークの右腕をなす巨大な鋼鉄の刃が振り下ろされようとしていた。
「そこまでだ!」
地面を力強く蹴った訔が滑り込み、看護師の体を抱きかかえて間一髪でローリング回避する。頭上を通過した真空の衝撃波が、背後の太い桜の木をバッサリと斜めに切断し、地響きとともに倒れ込ませた。
「下がっていろ!」
看護師を物陰へ押し遣った訔は、素早く立ち上がる。そして、先程まで響によって調整されたバイトドライバー。先日の戦いでは禍々しいイメージだったデザインが一新され、白と金を基調とした鮮やかなツールへと進化していた。それを胸元に装着する。
ポケットから取り出したのは、明るい紫の光を宿す【咬】のライドワードだ。
「人の想いを……言葉の刃で切り裂くか。その汚い悪意……俺の胸で咬み砕く!」
訔は【咬】のライドワードをドライバーの胸部スロットへ深く装填する。
《咬む》
音声が鳴り待機音声が広場に響き渡る。その中で訔はゆっくりと両手を伸ばし両手を咬む動作を行う。
「変身ッ!」
《
ドライバー中央の巨大な鋼鉄の顎が重厚な金属音を立てて全閉する。スチール製のバイザーがカシャシャキィンと降り、密閉された目と口の隙間から紫色のフォントエネルギーが濁流となって全身へ吹き出した。
《
紫色のフォントエネルギーが訔の体に纏い、パールホワイトとヴァイオレットの顎の骨のような装甲が訔の全身を覆う。仮面ライダーバイトが、夕暮れの中庭に降臨した。
バイトは一切の言葉を発することなく、重々しいステップで踏み込んだ。両腕のアーマーを打ち合わせ、鈍い金属音を鳴らして牽制する。
だが、スパーダ・ジャークは不気味な高笑いを上げた。
「切り裂け! 邪魔な言葉も……存在も! 全部、削ぎ落とせぇぇぇっ!!」
スパーダ・ジャークが高速で両腕の刃を交差させて振るう。瞬間、大気を切り裂いて目に見えない無数の真空の刃が、高速の連射となってバイトへ襲いかかった。
「ハッ……!」
バイトは即座に両腕のアーマーを胸の前で交差させ、ガード体勢を取る。
苛烈な火花が中庭を照らし出した。しかし、スパーダ・ジャークの解き放つ真空の刃は、あまりにも鋭く、そして密度が高すぎた。音圧を相殺するためのアーマーをもってしても衝撃を完全に緩和しきれず、鋭利な刃の波形がパールホワイトの装甲を直接ガリガリと削り取っていく。
「グッ……!?」
激しいスパークとともに、バイトの巨体が後方へと数メートル押し戻された。削られた装甲の隙間から、紫色のフォントエネルギーが痛々しく噴出する。
「ハハハハッ! 切れる、切れるぞ! 俺の刃からは誰も逃げられない! 嘘も絆も、お前の頑丈な鎧も、全部サックリ切り捨ててやる!!」
スパーダ・ジャークは間髪入れず、両腕を扇状に振り抜いた。さらに巨大な三日月の形をした真空波が、左右からバイトを挟み込むように迫る。
バイトは低く身を屈め、前方に転がってこれを回避。だが、通過した真空波は後方の病院の外壁を深く削り取り、激しい粉塵を巻き上げた。長時間の防戦は不可能だ。この病院そのものが崩落しかねない。
(くそ……刃の切れ味が鋭すぎる。手甲の物理防御と共振波形だけでは、攻撃を噛み砕く前にこちらの装甲が断裂する……!)
その時、バイトの耳元に装着された通信インカムから、キャンピングカー内で波形モニターを睨みつける響の鋭い声が飛び込んだ。
『訔! 聞こえる!? あの怪人が放つのは、周波数を極限まで圧縮した「完全拒絶」の音波刃よ! 固い装甲で受け止めようとしても、分子レベルで分子結合を切り裂かれるだけだわ!』
「……どうすればいい」
バイトは呼吸を整えながら、低い声で返した。スパーダ・ジャークは次の斬撃を繰り出そうと、両腕の刀身を赤黒く発光させている。
『刃の切れ味……つまり周波数の「極小の尖り」に対抗するには、物質そのものをドロドロに融解させるほどの「高熱波形」で波形ごと溶かすしかないわ!私がチューニングを施したライドワードを使って!』
「……
『ええ! ジャークの悪意は消し去った。今のあれなら、相手の冷たく鋭い刃を包み込み、優しく溶かすフォントフレアを展開できる! 急いで、コンテナを射出するわよ!』
キャンピングカーのルーフハッチが音を立てて開き、小型の加圧コンテナが夕空へ向けて打ち上げられた。
「切り切り切り……切り刻めぇぇぇっ!!」
スパーダ・ジャークが最大威力の真空交差波を放つ。
バイトは空中で弧を描くコンテナを見上げると、地を強く踏みつけ、全身の推進力をもって斜め前へと跳躍した。迫りくる黒紫色の刃を間一髪で潜り抜け、右拳でコンテナをダイレクトに粉砕し、砕け散る合金の破片の中から、一筋の鮮やかなオレンジ色の光が転がり出た。
バイトの手に収まったのは、かつて黒炎で街を焼いた悪意が削ぎ落とされ、暖かな太陽のごとき輝きを宿した――【燃】のライドワードだった。
バイトは胸部のチェストスロットから標準の【咬】を力強く引き抜くと、間髪入れずにオレンジ色に輝く【燃】のライドワードをスロットの奥深くへと叩き込んだ。
《燃える》
キャッチーで軽快なシステム音声が、緊迫した戦場に朗々と響き渡る。
「…ワードチェンジ」
《
重厚な変身待機音が重低音となって中庭の空気を震わせた。響の手によって共振周波数が完璧にチューニングされたドライバーが、訔の血流と息吹に呼応して凄まじい波形エネルギーを生成していく。
かつて人々を焼き尽くそうとした黒炎の悪意は、もうそこにはない。訔の覚悟と響の理論によって昇華されたそれは、言葉の傷を包み込む「温もりの光」へと姿を変えていた。
バイトはバイトドライバーの上下にあるレバーを押し込んだ。
《
ドライバー中央の鋼鉄の顎が豪快に全閉される。閉ざされたバイザーとアゴの隙間から、眩い赤とオレンジのフォントエネルギーが濁流となって噴出し、バイトの全身を包み込んだ。
バイトが身に纏っていたパールホワイトの装甲は残りつつ、顎や骨を彷彿とさせるデザインの上から重なるように赤とオレンジの炎を彷彿とさせるアーマーがバイトの装甲を形成されていた。
「ハッ……! 姿を変えたところで何になる! 切り刻んでやるぁぁぁっ!!」
激昂したスパーダ・ジャークが、両腕の巨大な刃を交差させて最大出力の真空交差波を放つ。大気をズバズバと鋭く切り裂きながら迫る、黒紫色の殺意の波形。
だが、フレアワードとなったバイトは一歩も引かない。
「ハァァァァッ!」
バイトは重厚なステップで前進すると、赤熱した手甲を胸の前で力強く突き出した。
両腕のアーマーの放熱スリットから噴出したのは、橙色と真紅が混ざり合う高熱波形――フォントフレアの波動であった。冷たく鋭利な真空の刃は、バイトの放つ温かな熱の波動に触れた瞬間、悲鳴を上げる間もなく分子レベルでドロドロに融解し、ただのぬるい風となって大気へと霧散した。
「な……にぃぃっ!? 俺の刃が……溶けて……崩れる……!?」
「言葉は……人を切り捨てるための刃じゃない」
バイトは足元の石畳を力強く踏み抜き、爆発的な推進力で急接近! 動揺するスパーダ・ジャークの懐へと一瞬で潜り込んだ。
「クソッ、近づくなぁぁぁっ!」
《
スパーダ・ジャークが狂ったように右腕の剣を振り下ろすが、バイトはバイトはバイトドライバーのレバーを素早く押し込み、両腕のアーマーでその刃をガチコンッと強力に挟み込んだ。高熱の油圧アゴが鋭利な剣を逃さずロックし、そのまま強烈な熱波で真っ二つに砕き折る。
「ギニャァァァァァッ!? 俺の刃がぁぁぁっ!」
《燃える》《燃える》
《
間髪入れず、バイトはバイトドライバーのレバーを連続で2回押し込む。そして右足を深く引き込み、全身のフォントエネルギーを右足のソールへと極限まで集中させた。足裏に刻まれた「燃」のスタンプが、赤熱したフォント文字のオーラとなって激しく発光する。
「その悪意…口を閉じろォ!」
バイトは地を蹴り、空中へと跳躍。灼熱の文字エネルギーを巨大な歯型のオーラとして纏い、全身の体重とフレアワードの推進力を乗せた強烈なセッションエンドを叩き込んだ。
【燃】のスタンプがスパーダ・ジャークの胸部に深々と穿たれる。高熱の衝撃波が怪人の全身を駆け巡り、刃の装甲が次々と破砕されていく。
「嘘も……言葉も……全部……切り……裂いて……壊したかったのにぃぃぃっ!!」
断末魔の叫びとともに、スパーダ・ジャークは巨大な文字の爆発を起こして打ち砕かれた。
炎とフォントエネルギーの煙が舞い散る中、爆心地点から黒く濁った【切】のライドワードが空中に弾け飛んだ。
バイトは着地と同時に胸のバイトドライバーへ意識を集中させる。
《切る》
ドライバーの顎が前方に大きく開口し、見事にキャッチする。すると、黒紫色が段々と消え銀色のおしゃぶりへと変化していく。
*
騒乱が収まり、夕闇に包まれた病院の中庭には、静寂と少し冷たい夜風が戻っていた。
変身を解除した訔は、胸元を軽く押さえながら静かに息を整えていた。
「……辛くない」
先日の戦闘後に彼を襲った、あの血を吐くような凄惨な肉体負荷は嘘のように軽減されている。立ち上がった彼の足取りには、確かにしっかりとした力強さが戻っていた。
ふと見やると、怪人の束縛から解放された青年――加藤が、砕けたガラス片の散らばる地面に膝をつき、呆然と自分の両手を見つめていた。
「拓也……! 拓也ぁっ!」
背後から駆け寄ってきたのは、車椅子を必死に押して病室から出てきた母親だった。車椅子の車輪が途中で引っかかると、母親はそのまま投げ出されるように地面へ降り立ち、這うようにして青年の元へ向かう。
「母さん……! だめだ、来ちゃ……!」
加藤は慌てて母親の身体を抱き起こした。そして、自分の軽率な嘘と、それが招いた凄惨な出来事に耐えかねたように、ぽろぽろと大粒の涙をこぼした。
「ごめんなさい、母さん……! ごめんなさい……! 僕、嘘をついてたんだ……! 会社なんてずっと前にクビになってて……次の仕事も決まってなくて……! 親切な個室に転院なんて、全部僕の……僕の見苦しい嘘だったんだ……!」
加藤はボロボロと溢れる涙を拭いもせず、母親の膝に顔をうずめて哭いた。
「心配かけたくなかったんだ……死にそうな母さんに、情けない息子の姿を見せたくなくて……! でも、叔母さんの言う通りだった……! 僕は母さんを騙して、自分を守るために……最低な嘘をついてたんだ……!」
青年の背中が、痛々しいほどの悔恨で激しく震える。
母親はそんな青年の頭を、優しく、包み込むように撫でた。その目には怒りも絶望もなく、ただ温かな慈愛の光だけが宿っていた。
「知っていたわよ……バカねぇ、拓也」
「え……?」
加藤が涙に濡れた顔を上げると、母親は困ったように小さく微笑んでいた。
「あなたが私の前で……あんなに無理をして景気のいい話をする時、昔からいつも右の手のひらをぎゅっと握りしめる癖があるの。……気づかないわけないじゃない。あなたが私のために、どれだけ苦しい想いをして笑顔を作ってくれていたか……」
「母さん……」
「嬉しかったわよ。自分の情けない姿より、お母さんの笑顔を選んでくれようとしたんでしょ? ……嘘でもね、あなたのその気持ちが……お母さんは何より嬉しかったのよ」
「母さん……! 母さんぁぁぁっ……!」
青年は幼子のように母親の胸に飛び込み、声を上げて泣きじゃくった。母親はそんな息子をしっかりと抱きしめ、何度もその背中を優しく擦り続けた。
和代の吐き捨てた暴言によって一度は切り裂かれた母と子の絆。しかし、その根底にあった「相手を想う言葉の真意」は、決して切断されてなどいなかった。
*
病院の屋上。風が吹き抜けるフェンスの脇から、訔と響はその光景を静かに見下ろしていた。
響は手元のマルチ端末を操作し、今しがた回収された【切】のフォントデータを保存しながら、ふっと短く息を吐いた。
「『言葉の刃』は、簡単に人の絆を切り裂いてしまうわ。たった一言の暴言が、人を怪物に変えるほどの悪意になる……。けれど……」
響は画面から目を離し、眼下の親子の姿を見つめた。
「正しく言葉を使えば……一度切り裂かれた傷だって、温めて、紡ぎ直すことができるのね。データ上の波形だけじゃ、その言葉が『悪意』か『善意』かまでは判別できないわ……」
言葉は刃にもなる。だが、薬にもなる。音響言語学者としてデータばかりを信じようとしていた響にとって、それは現場で直接触れたからこそ理解できた、人間の心の複雑さだった。
隣に立つ訔は、チャコールグレーのロングコートの襟を立て、静かに自身の胸元へ手を当てた。
「……切り裂かれた言葉も、咬み砕いて光に変えればいい」
ボソリと、だが確かな意思を込めて潰やかれた訔の言葉。
響は一瞬驚いたように目を丸くした。無口で、自分の罪にばかり囚われていた男が、少しだけ前を向き、己の使命の意味を言葉にしたのだ。
響は呆れたように肩をすくめると、どこか誇らしげな笑みを浮かべて腕を組んだ。
「……ふん。少しは物事の理屈が分かってきたじゃない。今日の戦闘データ、肉体負荷は予定通り40%カットできたわよ。私のチューニングの成果、少しは認めたかしら?」
訔は響の視線をすっと逸らすと、不器用にポッケに手を突っ込んだ。
「……勝手にしろ」
「ちょっと! そこは『ありがとう、音羽先生』でしょうが! 本当に素直じゃないんだから!」
プリプリと怒る響を完全に無視して、訔は屋上のドアへ向かって歩き出す。だが、その背中に漂っていた暗く破滅的な影は、ほんの少しだけ薄れていた。
「待ちなさいってば! まだ『スパーダワード』の出力限界データのフィードバックが終わってないでしょ! 車に戻ったらすぐに再チューニングよ!」
「……手短に頼む」
「またそれ!? あなたの語彙力、少しは増やしなさいよ!」
夕闇が明けて夜の帳が降りる街の中、キャンピングカーへ向かって並んで歩く二人。
不器用で破滅的な考古学者と、理知的で妥協を許さない音響学者。
不協和音だったはずの二人の歩調は、互いの存在を認め合いながら、静かに、そして力強く一つのリズムを刻み始めていた。