帝都大学・人文学部棟の地下深く。普段は静まり返っている言語考古学研究室の重い防音扉が、ガタガタと賑やかな音を立てて押し開かれた。
「ヘイヘイ! 超重量級の音響解析機、無事に搬入完了だぜ! 廊下の曲がり角で壁を削りかけたけどな!」
作業着の腕をまくり上げ、汗を拭いながら巨大な精密機械を台車で運び込んできたのは、訔の同僚である
「ちょっと陸、乱暴に扱わないで! そのマルチアナライザー、レンズの光軸がゼロコンマ1ミリズレるだけで周波数測定が狂うのよ!」
後方から大量のケーブル類を抱えた響が、容赦のない飛沫のような小言を飛ばしながら入ってくる。
「分かってるって、音羽センセー! ほら、訔も手伝え……って、お前は休んでろよ」
「……いや、運ぶ」
「だーめ! 患者は大人しく指示に従うの!」
二人の軽妙なやり取りを、研究室の奥にある巨大なオーク材のデスクから、温かな目で見つめる男がいた。白髪混じりの髪を後ろに流し、ツイードのジャケットを羽織った初老の男性――この研究室の主であり、訔たちの恩師である
「ふふ、相変わらず賑やかでいいな。キャンピングカーでの隠密調査も限界があったろう。よく帰ってきたね」
訔は宗一の前まで歩み寄ると、立ち止まり、ゆっくりと胸元に手を伸ばした。
スタンドカラーの隙間から覗いていた首筋の紫色の充血痕は嘘のように薄れ、かつて死相すら漂っていた訔の顔には、生気と確かな血色が戻っていた。
訔はデスクの上のドライバーと、隣で誇らしげに胸を張る響を交互に見つめ、わずかに口元を緩めた。
「ただいま戻りました、教授」
年相応の、どこか柔らかさを帯びた微笑み。
その表情を見た瞬間、宗一の目元が深く和らぎ、胸の底から安堵の溜息が漏れ出た。
「……訔。顔色が、本当に良くなったな。よかった……本当に、よかったよ」
言導は椅子から立ち上がり、訔の肩を力強く、だが優しく叩いた。
「昨日の報告を聞いた時は生きた心地がしなかった。ドライバーの肉体負荷でお前の命が削られていくと聞いて……ワシは、またお前に過酷な運命を背負わせてしまったのではないかと、自分を責めたよ。……響くん」
宗一は響に向き直り、深く頭を下げた。
「君の優れた音響理論と適切な処置のおかげだ。我が教え子の命を繋いでくれて、本当にありがとう」
「っ……!? い、いえっ! 私はただ、論理的に最も合理的な帰結を導き出しただけです! 訔が勝手に自爆して回収戦線が破綻されたら困りますから!」
急にお礼を言われた響は、耳まで真っ赤にしてそっぽを向いた。陸が横から「素直じゃないねぇ、音羽センセー」とつつき、響に無言の蹴りを入れられている。
「さて」
宗一は表情をキリッと引き締め、デスクの上に広げられた古く巨大な羊皮紙の文献――古代の言語器物に関する記述を指し示した。
「今日からはこの研究室を、対ジャークのオペレーション本部とする。そして訔……ワシも手をこまねいていたわけではないぞ。ドライバーの咬み砕く力を増幅させ、お前の負担をさらに軽減するための『器』の解読が進んだ」
羊皮紙には、巨大な刃と複雑な歯車機構を併せ持つ、無骨な戦斧の図面が描かれていた。
「これは……斧か?」
陸が覗き込む。宗一は静かに頷いた。
「古代の伝承にある『音圧破砕の戦斧』……今で言えば『バイトクランチ』と呼ぶべきか。ドライバーが『咬み砕くアゴ』なら、これは言葉の悪意を『叩き割り、削ぎ落とす牙』だ。響くん、陸。この設計図をベースに、至急プロトタイプの組み上げに入ってくれ」
「了解しました、教授! 私の音響ジェネレーターと組み合わせれば、完璧な武器になるわ!」
「おうよ! 組み立てと機械調整なら俺に任せとけ!」
*
帝都大学のキャンパスから少し離れた、賑やかな商店街の一角。
老舗の洋食店「キッチン日向」の店頭には、異様な光景が広がっていた。
「おい、ここだろ! ネットで叩かれてる悪質店舗ってよ!」
「客に暴言吐いて賞味期限切れの肉出してるんだって? 最悪だな!」
スマホを掲げた野次馬たちが、店を取り囲んで容赦なくカメラを向けている。
店の看板にはペンキで大きく『詐欺』『営業やめろ』と心ない落書きが擦りつけられ、ドアには不快な言葉が書かれた紙片が無数に貼り付けられていた。
「違います……! 全部、根も葉もない嘘です! 私はそんなこと言っていませんし、食材も毎日仕入れて――」
店主の男――日向は、濡れ衣を晴らそうと必死に頭を下げ、声を張り上げた。
だが、その声は野次馬たちの罵声と、SNSの通知音の嵐にかき消されていく。
ひとつの匿名掲示板に書き込まれた、真偽不明の「店主から暴言を受けた」という捏造記事。それがSNS上で拡散され、面白半分の尾ヒレがつき、またたく間に不特定多数による「拡散の波」となってお店へと押し寄せていた。
「嘘つけ! ネットに動画上がってんだよ! みんな拡散してるぜ!」
「拡散拡散! こんな店、炎上させて潰しちゃえよ!」
「やめてくれ……頼むから聞いてくれ……! 私の言葉を聞いてくれ……!」
日向は涙を浮かべ、喉を枯らして訴え続けた。
しかし、一度流れ出した「流言飛語」という名の濁流は、個人の叫びなど容易く押し流してしまう。誰一人として彼の言葉に耳を傾けず、ただスマホの画面越しに悪意の言葉を撒き散らし続ける。
止めようとしても止められない。
次から次へとあふれ出し、激流となって大切な店を、人生を切り崩していく言葉の群れ。
(止まらない……。僕が何を言っても、誰も信じてくれない……)
(言葉が……悪意が……全部を押し流していく……!)
日向の胸の底で、絶望と怒りが限界を迎えた。
周囲を取り囲む人々のスマートフォンから、実体のない悪意の文字粒子が黒い霧となって立ち上り、一箇所へと集束していく。
キィィィィィン――――!!
不協和音の高周波が商店街を激しく揺らした。
空中の亀裂から跳来したのは、どす黒い濁流のような液体を内に蠢かせるおしゃぶり型デバイス――【流】のライドワードだった。
ライドワードは狂ったように回転しながら日向の元へ飛来し、彼の口元へと浮かぶ。
《流れろ》
「ガハッ……あ、あぁぁぁぁぁぁっ!!」
日向の喉から、人間の発し得る音を超えた激流の咆哮が炸裂する。
彼の全身から黒青色のジャークフォントが噴出し、衣服を破り捨てて青黒い水圧装甲と高圧ノズルのような異形の皮膚へと変形していく。
「ヒッ……!? な、なんだこれ! 怪獣!?」
「うわああああっ! 逃げろーッ!」
さっきまで威勢よくカメラを向けていた野次馬たちが、パニックを起こして蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
頭部に巨大な水流ノズルを持ち、全身から激しい水圧を噴出させるハイドロ・ジャークがそこに降臨していた。
「止められない言葉……! 溢れ出る噂……! 全部……全部押し流してやるぁぁぁっ!!」
ハイドロ・ジャークが両腕の噴射口を前方へ掲げると、激しい爆音とともに高圧の
「ギャーッ!?」
凄まじい水圧が周囲の電柱をへし折り、商店街のアーケードのガラス天井を木っ端微塵に砕き割る。逃げ遅れた人々が水流に呑まれ、悲鳴とともに吹き飛ばされていく。
一度溢れ出したら二度と止まらない流言飛語の恐ろしさ。
その悪意の波形を具現化した怪人が、街を浸水させながら破壊の限りを尽くし始めていた。
先ほどまで買い物客や下校途中の学生たちで賑わっていたアスファルトの路上は、すでに足首を完全に覆い尽くすほどの濁流の川へと変貌を遂げている。水面は黒く濁り、至る所で不気味な泡を噴き上げていた。
壊された店舗の木製看板、散乱したプラスチックケース、へし折られた街頭の旗竿が、激しい奔流に乗ってガラガラと不吉な音を立てながら下流へと流されていく。濡れた路上で足を取られて転倒し、悲鳴を上げながら這うようにして避難しようとする人々の上へ、無情にも頭上のアーケードから砕け散ったガラスの破片がキラキラと光を反射しながら降り注いだ。
「逃げて! 早く建物の上へ!」
「うわあああ! 水が……水が止まらない!!」
阿鼻叫喚の渦と化した現場へ、凄まじい水しぶきを豪快に跳ね上げながら突入してきたのは、マットブラックの重厚なキャンピングカーだった。大型の全天候型タイヤが濁流を力強く噛み、水煙を左右に豪快に巻き上げる。
「へいへいへい! 激流のど真ん中に到着だぜッ!」
ステアリングを両手でガッチリと握り締めた陸が、巧みなハンドリングでブレーキを踏み込んだ。タイヤをロックさせ、巨体な車体を横滑りさせながら強引に停車させる。車体が大きく傾き、押し寄せた水幕が巨大な壁となって周囲の路上へバシャァンと広がった。
車輪が完全に止まるよりも早く、助手席のドアが勢いよく開け放たれる。チャコールグレーのロングコートの裾を水面に激しく踊らせて、音無訔が濁流の中へと飛び降りた。
「陸、そのまま逃げ遅れた住民の避難誘導と救護を! 建物の中へ避難させてくれ!」
「了解だ! 無理すんじゃねえぞ、訔!」
陸は力強く頷くと、すぐさまドライバーズシートから跳ね起き、ドアを蹴開けて車外へ躍り出た。水しぶきを上げて走り、崩れた店舗の物陰で腰を抜かして怯える親子へと一直線に駆け寄っていく。
訔は膝下を容赦なくすくおうとする濁流の激しい勢いに負けじと、ブーツの底で力強くアスファルトを踏みしめながらポケットから取り出したバイトドライバーを胸部へと押し当てる。
重厚で硬質な金属ロック音が、濁流の叩きつける重低音を真っ二つに切り裂いて響き渡った。
訔の右手の指先には、鈍い銀の光を宿した【咬】のライドワードが固く握られている。
「能力を見るに【流】のライドワードのジャークか。止められない悪意の濁流……俺の胸で、咬み砕く!」
訔は迷いなくライドワードをドライバーのスロットへ深々と装填する。
《咬む》
「変身ッ!」
《
ドライバー中央の巨大な鋼鉄の顎が重厚な金属音とともに全閉。スチール製のバイザーがカシャシャキィンと降り、密閉された目と口の隙間から、紫色の粒子が爆発的な濁流となって吹き出した。
《
紫の粒子が渦を巻いて収束し、漆黒とパールホワイトの装甲が訔の全身を隙間なく覆い尽くす。
バイトは水煙の向こうで狂乱し、周囲を破壊し続けるハイドロ・ジャークを見据え、力強い一歩を踏み出す。しかし
「止まらない……! 止められないッ! 邪魔ナ奴モ、全部……全部流し尽くせい toxicity ぇぇぇっ!!」
バイトの存在に気づいたハイドロ・ジャークが、全身を覆う青黒い高圧ノズルを総動員し、バイトへ向けて集中的に照準を合わせた。体内の水圧タンクで極限まで圧縮された高圧水流が、爆発的な轟音とともに一斉に解き放たれる!
「グッ……!? ぐあぁっ……!」
それは単なる物理的な水圧ではない。不特定多数の人間が吐き散らしたネット上で止まらない誹謗中傷や暴言の波が凝縮された、邪悪で鋭利な不協和音の濁流だった。
バイトの足元が容易く浚われ、強烈な水圧の壁によって強引に後方へと押し戻される。バイトは両腕の重厚なアーマーを胸の前で交差させ、耐え構えを取るが、全方位から休みなく叩きつける激流の勢いは留まることを知らない。
バチバチと激しいスパークと大量の水しぶきが舞い散り、バイトの巨体がズルズルと水浸しの路上を滑り去っていく。装甲の表面に刻まれたフォントの刻印が、水圧による不協和音とぶつかり合い、痛々しい悲鳴を上げて擦れ合っていた。
「ハァ……ハァ……! 間合いを、詰められない……!」
接近戦に持ち込もうと必死に足を踏み出そうとするものの、片足を上げた瞬間に足元の奔流に浚われ、体勢を激しく崩される。無理に踏み込めばそのまま押し流されて壁へ激突させられるだけだ。近づくことすら許さない、完璧な「拒絶と流失の領域」がそこにあった。
どれほど強固な鎧であっても、受け止めるための足場そのものを奪われてしまえば意味を成さない。
(くそ……水圧が凄まじすぎる。バイトワードの推進力だけでは、この濁流の波形を正面から突破して間合いを詰められない……! このままでは商店街全体が飲み込まれる……!)
バイトが激しい水圧に押され、ついに片膝を水の中へ突きそうになったその時だった。
「訔ーーッ! これを受け取れぇぇぇっ!!」
濁流をバシャバシャと豪快に割って駆け込んできたのは、周辺の避難誘導を終えた陸だった。彼はキャンピングカーのトランクから担ぎ出した大型のガンメタル製コンテナを豪快に押し開き、中に収められていた無骨で極太の戦斧を、水しぶきを派手に蹴立ててバイトへ向かって投げ渡した。
「陸……!?」
空中を舞う、圧倒的な質量感と存在感を放つ鋼鉄の塊。
バイトは猛烈な水圧に全身を軋ませながら耐え、右手を高く伸ばして、その重厚な柄を力強く掴み取った。
ズシリと両腕に直接響く、あまりにも重厚な重量感。
両刃の斧面が上下の鋼鉄の歯列となっており、剥き出しの骨と小型アゴスロットが異彩を放つ無骨極まりない専用武器――バイトクランチだ。
握り締めた瞬間、持ち手を通じて重厚なフォントエネルギーがバイトの全身へと駆け巡るのが分かった。
同時に、バイトの耳元に装着された通信インカムから、大学の研究室で波形モニターを激しく叩く響の緊迫した声が響き渡った。
『訔! 聞こえる!? 陸に届けさせたのが、言導教授の古代文献から復元した専用武装バイトクランチよ!』
「……バイトクランチ」
『いい!? 時間がなかったから、ガトリングモードへの可変機構と内部コアのアラインメント調整はまだ未完成よ! 遠距離での音圧射撃戦は今の状態じゃ使えないわ! 無理にトリガーを引けば内部でエネルギーが逆流して爆発する!』
「……分かった。では、どうする」
『今はアックスモードの物理打撃と強力な破砕力だけで、あの濁流を力任せに押し切りなさい! あの武器の刃は、言葉の波形そのものを物理的に叩き割るように設計されているわ! あなたの力なら、あの激流を断ち切れる!』
「了解だ……!」
バイトはバイトクランチを両手で力強く握り直し、柄の底部にあるレバーをグッと手前に引き込んだ。
重厚なギミック音とともに、斧の刃が音を立てて固く噛み合わさる。
未完成の刃。ガトリングという遠距離の解を持たない、武骨な骨の塊。
だが、その圧倒的な重さと、言葉の悪意を噛み砕くために鍛え上げられた破砕力は、激流を切り裂いて道を開くための確かな「新しい牙」だった。
「ハァァァァッ!!」
バイトはバイトクランチを低く構え、両足に全力で出力を込めると、ハイドロ・ジャークの解き放つ狂乱の濁流の中へと、力強くその一歩を踏み出していった。
「ハァァァァッ!!」
仮面ライダーバイトは両手で『バイトクランチ』の重厚な柄を力強く握り締め、正面から叩きつける高圧水流の濁流へ向けて、渾身の力で一閃を放った。
ガンッ!!
重厚な鋼鉄の刃が濁流と激突し、凄まじいスパークと衝撃波が水しぶきとともに弾け飛ぶ。
バイトクランチのアックスモード。それは物理的な質量と強力な破砕機構によって、水圧となって襲い来る言葉の濁流の波形そのものを力任せに叩き割り、左右へと押し開いていく。
バイトの重厚なステップが、足元を覆う黒青色の水圧を力強く蹴り飛ばす。
一歩、また一歩。
かつては接近することすら叶わなかったハイドロ・ジャークとの距離が、バイトクランチの放つ破砕力によって確実に縮まっていく。
「な……何な……!? 俺の言葉が……俺の流す悪意が、破砕されているだとぉぉぉっ!?」
ハイドロ・ジャークの異形の目が、信じられないものを見るかのように見開かれた。
怪人は叫びながら、全身の高圧ノズルを異常なまでに赤黒く発光させ始める。
「止まらない……止めるものかぁぁぁっ! 噂も、嘲笑も、一度流れ出したら誰にも止められないんだよぉぉぉっ!!」
ハイドロ・ジャークの体内で、異常な高圧力が限界を超えて上昇した。怪人は両腕のノズルをバイトの至近距離で交差させ、これまでとは比べものにならない密度の高圧水流を放つ。それはもはや水という液体の領域を超え、固形物すら凌駕する硬度を持った「密閉された流体の壁」となって、バイトの目前へ立ちはだかった。
「ぐあぁぁぁっ……!?」
バイトクランチのアックスモードで受け止めたものの、その水圧の壁から発せられる絶え間ない衝撃はあまりにも重く、バイトの進撃が完全に押し止められた。パールホワイトの装甲がキシキシと悲鳴を上げ、バイトクランチからシューシューと過熱した蒸気が噴出する。
押し返される――重厚な打撃と破砕力だけでは、どこまでも果てしなく生成され続ける流動する壁を打ち破りきれない。
『訔! 応答しなさい、訔!』
耳元の通信インカムから、大学の研究室でモニターを食い入るように見つめる響の叫びが飛び込んできた。
『ダメよ、今の物理破砕力だけじゃ流体のエネルギーを完全に相殺しきれない! 相手の「流れる波形」を打ち破るには、それ以上の速度で波形そのものを「断ち切る」鋭利なフォント周波数が必要よ!』
「……断ち切る周波数」
バイトは押し込まれながらも、バイザーの奥の目を鋭く光らせた。
相手は留まることを知らない「流れる言葉」の悪意。ならば、それを止めるために必要なのは、重い打撃ではなく――一切の余情を残さずに切り裂く「明確な刃」だ。
(切り裂く言葉……。人を傷つけるためではなく、悪意の連鎖を断ち切るための……刃)
バイトは左手をバイトクランチの柄から離し、ベルトの右ホルダーへと伸ばした。
そこに収められているのは、スパーダ・ジャークから回収され、響の完璧なチューニングによって悪意の黒炎を削ぎ落とされた【切】のライドワード。
澄み切った銀色の光を宿すライドワードが、バイトの指先で静かに脈動していた。
バイトはスロットから標準の【咬】を力強く引き抜く。
そして、手にした【切】のライドワードを、バイトドライバーに装填しレバーを引いた。
《切る》
《
《
「切り裂かれた言葉も……噛み砕いて、光に変える!」
銀色の粒子の爆発とともに、鮮やかな薄青と鋭利なシルバーの光がバイトの全身を包み込んだ。
パールホワイトの装甲は、研ぎ澄まされた刀身を思わせるシャープな流線型へと再構成され、両腕のアーマーには幾重にも重なる鋭利なスチールブレードが装着される。バイザーの目元は切れ長の青い光を放ち、全体のシルエットが一瞬にして重装甲から極限まで削ぎ落とされた剣士へと変貌を遂げた。
仮面ライダーバイト、スパーダワード。
「姿を変えたところで何になる! 押し流せぇぇぇっ!!」
ハイドロ・ジャークが狂気とともに、さらに高圧の水流壁を押し出してきた。
だが、スパーダワードとなったバイトの動きは、先ほどまでとはまるで違っていた。
「ハッ……!」
踏み出す一歩に、重厚な遅さは一切ない。
バイトは刃の如き鋭いステップで水面を滑るように前進すると、バイトクランチを軽く一閃させた。
バイトクランチのアックスモードの刃に【切】のフォントエネルギーが充填され、刃全体が毎秒数万回振動する超高周波の「断空刃」へと化していた。軽く振るわれた一撃が、迫りくる濁流の壁を――紙を切り裂くかのように「サックリ」と真っ二つに切断する。
「な……なにぃぃぃっ!? 俺の水圧の壁が……切られた……だと!?」
「流れる言葉の悪意……ここで断ち切る!」
バイトは脚部のスチールブレードからフォント粒子を噴射し、水面を疾走する。疾風の如き超高速の踏み込みで、動揺するハイドロ・ジャークの眼前に一瞬で肉薄した。
慌てて右腕のノズルを振るうが、バイトはバイトクランチの刃でそのノズルごと攻撃を軽々と受け流し、すれ違いざまに怪人の装甲を微細な一閃で切り刻む。
「ギニャァァァァっ!? 速い……速すぎる!!」
ハイドロ・ジャークが悲鳴を上げながら後退する。バイトはバイトクランチを逆手に持ち替え、刃と柄の間にあるスロットにバイトドライバーに装填していたスパーダワードを装填する。
《切る》《切る》《切りまくる》
バイトクランチの柄にあるスライド式のレバーを三度上下にスライドする。同時に刃を咬む顎が三回動き、音声が響き渡ると同時に銀色のフォントエネルギーが刃に集約されていく。
《
「ハァァァァッ!!」
バイトは全身のフォントエネルギーをバイトクランチの刀身へと集約させ、地を蹴って跳躍。銀色の刃の軌跡を空中に描き出しながら、必殺のアナウンスが響き渡る。
《
「咬み切れッ!!」
空中で旋回したバイトが放つ、超高速の超巨大な一閃。
澄み切った断空波の刃が、ハイドロ・ジャークの放つ最大出力の水流ごと、怪人の巨躯をバッサリと縦一文字に叩き割り、噛み砕くように一刀両断した。
「言葉は……誰かを壊すために流すものじゃないんだぁぁぁぁっ!!」
断末魔の叫びとともに、ハイドロ・ジャークの体内から高圧水流が爆発的に霧散。青いフォント文字の爆風が商店街を包み込み、怪人は豪快に打ち砕かれた。
激しい爆炎と水煙が舞い散る爆心地点から、黒く濁った【流】のライドワードが空中に弾け飛んだ。
着地したバイトは、ライドワードをキャッチし直ぐ様バイトドライバーに装填する。
《流れる》
黒く濁ったライドワードはバイトドライバーによって浄化し、毒気を抜かれた純粋な青のおしゃぶりへと浄化されていく。
バイザーの奥から溢れ出す、澄んだ青の光。
悪意の回収、および浄化は完全に完了した。
*
事件の熱気が冷めやり、静まり返った帝都大学・人文学部棟の地下。
重い防音扉の向こうにある言語考古学研究室には、古書の匂いとともに、淹れたての香ばしいコーヒーの香りが優しく立ち込めていた。
「はいよ! 特製ブレンド、お待ちどうさん!」
湯気を立てるマグカップを四つトレーに乗せ、軽やかな足取りで運んできたのは陸だった。雑然としたオーク材の大型デスクにカップを丁寧に並べていく。
デスクの上には、先ほどまで戦場にあったはずのバイトドライバーが静かに置かれていた。
訔は椅子に深く腰掛け、マグカップから立ち上る湯気を静かに見つめていた。その表情には、響と出会った頃の戦闘後で見せたあの壮絶な苦悶や、死相すら漂わせていた痛々しさは欠片もない。
「ふう……生き返るわね。陸の淹れるコーヒーだけは、まあまあ評価してあげてもいいわ」
響がマグカップを両手で包み込み、細い息を吹きかけながら口に含む。
「『だけは』は余計だろ、音羽センセー! 俺のドライビングテクと、現場へのバイトクランチ即時納品スピードにもっと感謝してくれてもいいんだぜ?」
陸は腰に手を当てて胸を張り、ニシシと悪戯っぽく笑ってみせた。
「今回は完璧なタイミングだったろ? 訔が激流に押し戻されたコンマ数秒の隙に、バッチリ手元に届かせたんだからな!」
「はいはい、認めるわよ。現場への投入タイミングに限って言えば、合格点をあげてもいいわ。……でも、次の『ライドワーダー』の走行テストデータ、まだ提出してもらってないんだけど?」
「うぐっ……! それは明日! 明日の朝一番に出すから許してくれ!」
大げさに頭を抱える陸の姿に、デスクの奥で優しく目を細めていた宗一から、楽しげな笑い声が漏れ聞こえた。
「ははは、相変わらず賑やかでいいな。一人でキャンピングカーを走らせていた頃とは大違いだ」
宗一は自身のマグカップを手に取り、静かに訔へと視線を向けた。その瞳には、厳格な学者としての光と、教え子を深く案ずる父親のような温かさが同居していた。
「訔。言ったろう……もう、一人で全てを背負う必要はないのだと」
「教授……」
「お前は過去の事故を、自分の不徳を咎め、たった一人で世界中の呪いを噛み砕いて消え去ろうとしていた。だが、言葉というものはな、決して一人で完結するものではない。伝える者がいて、受け取る者がいて、そしてそれを支える空間があって初めて『言葉』は意味を持つ」
宗一はデスクに置かれたバイトドライバーと、周りを囲む仲間たちを慈しむように見渡した。
「今のお前には、命を繋ぐチューニングを施す響くんがいる。現場を駆け抜け、背中を守る陸がいる。そして、いつでも文献を紐解き、帰りを待つワシがいる。ここは、お前がいつでも戻ってきていい場所なんだ」
「……。」
訔は静かに目を伏せ、胸の奥から込み上げる熱い塊を噛み締めるように、そっと拳を握りしめた。
かつて、発掘現場の凄惨な事故によって己の声を失い、世界を呪い、ただ贖罪のためだけに命を投げ出す覚悟で戦っていた。孤独の暗闇の中で、一人で倒れて死んでいくことだけが己に許された救いなのだと信じ込んでいた。
だが、今は違う。
不器用ながらも完璧な論理で己の命を繋ぎ止めてくれた音響学者。
脳天気な軽口を叩きながらも、いつでも真っ先に現場へと駆けつけてくれる熱い同僚。
そして、どれほど深い傷を負っても、変わらぬ温もりで帰りを待ち続けてくれる恩師。
(俺は……一人じゃない)
訔はゆっくりと顔を上げた。前髪の影に隠れていたその瞳には、澄んだ確かな光が宿っていた。
「……感謝する。音羽、陸……そして、教授」
ぼそりと、小さな声で紡がれた感謝の言葉。
言葉数こそ少ないが、そこに込められた真摯な音波の温もりを、研究室にいる誰もがはっきりと感じ取っていた。
響は一瞬驚いたように目を丸くし、すぐに顔を背けてゴホンと大げさに咳払いをした。
「っ……な、何よ急に素直になっちゃって! 勘違いしないでよね、私はただ、言語考古学の貴重なサンプルであるあなたを失いたくないだけなんだから! 明日からもビシバシ再チューニングとバイタルチェックを行うわよ!」
「はいはい、素直じゃないのは音羽センセーも同じだなー!」
「ちょっと陸、余計なこと言わないで!」
「あだだだっ! 髪引っ張るな! 教授、助けてくれー!」
「ふふふ、賑やかな研究室になりそうだ」
宗一の和やかな笑い声と、陸と響の軽妙な掛け合いが、静かな研究室の夜を温かく満たしていく。
訔は温かいマグカップを口元へ運び、一口含んだ。
苦味の奥に広がる豊かな甘みが、冷え切っていた胸の奥をじんわりと溶かしていく。
かつて孤独な戦いの中で擦り減っていた男の心に、仲間たちの確かな絆と、二度と失われることのない「帰るべき場所」がしっかりと刻まれた。
夜の帳が降りた大学の地下で、新しい歴史を紡ぐ『言葉の戦士たち』の物語が、今静かに動き出そうとしていた。