ベイサイド上空を覆い尽くす漆黒の暗雲。
渦を巻く漏斗雲から繰り出される猛烈な突風が、ジャンクションの鉄骨を激しく軋ませ、東京湾の水面を狂乱の渦へと変えていた。
「ヒハハハハハッ! 逃げられん、逃げられんぞぉぉッ! 噂も、悪意も、お前たちの命も……全てこの俺の胃袋へ収まるのだぁぁぁッ!!」
超巨大化を果たしたバキューム・ジャーク。その巨大な胸部で狂ったように超高速回転する三連吸引ファンは、すでに暴風の領域を超えた「疑似的なブラックホール」と化していた。
ドズズズズズズズッ!!
「ぐっ……おおあぁぁぁぁっ……!」
アスファルトに深く突き立てた足はとうにグリップを失い、削れた破片とともにバイトの身体がずるずると前方に滑っていく。
ハイドロワードの流体装甲から吐き出す高圧水流も、展開した瞬間から渦を巻いて怪人の吸引口へ吸い込まれ、逆にバキューム・ジャークの巨躯を太らせる燃料へと変換されてしまう。
さらに後方では、コンソールの自動制御で待機していた専用バイク・ライドワーダーまでもが、数トンの車体を車高高く浮き上がらせ、悲鳴のような金属音を立てながら怪人の死のファンへと引き寄せられていた。
「ライドワーダーまで……くっ、踏みとどまるのが……限界だ……ッ!」
バイトのバイザー奥で、ハイドロワードの青い光芒が激しく明滅する。
このままファンへ吸い込まれれば、装甲ごと破砕され、体内圧縮タンクで爆破撃破されるのは明白だった。
『諦めないで、訔!!』
その時、インカムのノイズを突き破り、叩きつけるような響の叫びが脳腔に響いた。
帝都大学の研究室。
薄暗い地下のオペレーションルームで、響はホログラムモニターに映し出される不協和音の音波データを、鬼気迫る表情で高速タイピングしていた。画面上には、バキューム・ジャークの体内に吸い込まれていく音波のベクトルと、過充填されていくエネルギー波形がリアルタイムで展開されている。
『どんなに巨大な吸引ファンでも、物理的な
響の指先がキーボードを強く叩くと、怪人の波形データの一部が赤く点滅した。
『吸い込んだ悪意とあなたのエネルギーがあまりにも膨大すぎるせいで、内部の圧縮サイクルにコンマゼロ秒の遅延が発生している! タンクが破裂する直前、排気弁が開く瞬間の「圧力の隙間」――そこが唯一の波形の欠陥よ!』
「圧力の……隙間……!?」
バイトは逆風に耐えながら、バイザーの焦点を怪人の胸部、歪に発光する圧縮タンクの脈動へと合わせた。
『そうよ! そこに外部から過剰なエネルギーをさらに叩き込めば、キャパシティが限界を突破して内部から回路が逆流を起こす! 吸引が止まるわ!』
『訔! 音羽センセーの言う通りだ! そしてそのためには、あいつを使えッ!』
続いて通信に入ってきたのは、ガレージでオイルまみれになりながらモニターに食らいついていた陸の声だった。陸は胸を張り、画面越しに叫ぶ。
『ライドワーダーのコンソール脇にあるスロットだ! あそこはお前のバイタルを通さず、マシン本体のエンジンへダイレクトに言葉のエネルギーを送り込むアンプリファイ・システムが組んである!』
「スロット……!」
バイトは、吸い込まれそうになりながら宙を舞うライドワーダーのハンドル周りへ視線を走らせた。そこには確かに、バイトドライバーと同系統の、鋼鉄のアゴを模した武骨なミニスロットが存在していた。
『あそこに【流】のライドワードを直接ぶち込め! マシンのエンジンが言葉のパワーを何倍にも増幅して跳ね返す! 噂の暴風なんぞ、俺たちの作ったライドワーダーのパワーで吹き飛ばしてやれぇぇっ!!』
「……了解だ! 音羽、陸!」
仲間たちの言葉が、絶望の暴風の中でバイトの心に確かな一筋の光を灯す。
バイトはハイドロワードの流体装甲から最後のエネルギーを脚部へ集中させると、迫り来る吸引力に抗うのではなく、あえてその引力を利用して、宙を舞うライドワーダーのシートへと一気に飛び移った。
ジャンクション全体を覆い尽くす漆黒の狂乱。
超巨大化したバキューム・ジャークが撒き散らす死の吸引力は、コンクリートの路面を豪快に削り取り、高架下のあらゆる物質を暴虐の渦へと巻き込んでいく。
宙へと舞い上がりかけたライドワーダーのシートへ着地したバイトは、ステップを噛みしめるように深く沈み込み、両手でハンドルを強く握り締めた。
「ヒハハハハッ! 愚かな! 自ら死の口の中へ飛び込んできたか! その重厚なバイクごと、俺の胃袋で粉々に破砕してやるぁぁぁっ!!」
怪人の胸部で荒り狂う三連ファンが、黒紫色の悪意を撒き散らしながらさらに回転速度を増す。
死の回転刃が目と鼻の先まで迫る。だが、バイトのバイザーの奥に宿るコバルトブルーの光芒は、一切揺らいでいなかった。
(『吹く』悪意の風を止めるのは、刃ではない……)
バイトの脳裏に、研究室で分厚い古文書を慈しむように見つめていた言導教授の、重々しくも温かい言葉が鮮やかに蘇る。
『――“吹く”言葉には、芽を育てる追い風もあれば、全てを吹き飛ばす悪意の暴風もある。だがな、訔。激しい怒りや風の刃で立ち向かっても、嵐は余計に勢いを増すだけだ。悪意の暴風を真に止めるのは、鋭い刃ではない。全てを包み込み、濁りを清らかに洗い流す“流(水)”の包容力なのだよ』
(そうだ……暴風を力で切り伏せるのではない。包み込み、満たし、洗い流す……!)
バイトは意を固めた。
吸引力に抗って耐える姿勢を完全に捨て去り、全身のハイドロフォームの装甲をキシキシと鳴らす。
「流れる言葉の力……今、すべてを注ぎ込む!」
バイトはハイドロワードの両肩、胸部、そして両腕に配置された高圧水流スリットを全開に開放。体内のフォントの流動速度を極限まで跳ね上げた。
「ハァァァァァッ!!」
バイトの全身から、清冽なコバルトブルーの超高圧水流が爆発的な奔流となって解き放たれた。
それは防御や相殺のための水流ではない。バキューム・ジャークの絶大な吸引力が描く「螺旋の渦」そのものに全エネルギーを同調させ、怪人の胸部ファン――すなわち体内の圧縮タンクへ向けて、ダイレクトに全量を流し込む逆転の奔流であった。
「な、なんだとぉぉぉっ!?」
バキューム・ジャークが驚愕の悲鳴を上げる。
怪人が誇る猛烈な吸引力は、バイトが放った文字通りの「大河のような水圧の質量」を一切の抵抗なく体内へと一気に引きずり込んでしまった。
清澄な水の波動が、怪人の胸部ファンを突き抜けて体内の悪意圧縮タンクへと怒涛の勢いで雪崩れ込む。
「ガハッ……!? な、なに……水が……膨大な重圧が……体内に……っ!?」
響が解析した通り、バキューム・ジャークの内部タンクには明確な
SNSから吸い上げたネットの悪意、被害者の絶望、そして暴風のエネルギーで飽和状態にあったタンクへ、ハイドロフォームの過剰なまでに重厚な高圧水流が逃げ場なく注ぎ込まれたのだ。
怪人の体内から、過熱した金属が悲鳴を上げる不快な摩擦音が上がり始める。
タンク内の圧力が許容量を遥かに突破し、排気周波数の位相が修復不可能なほどに崩壊していく。
「ぐ、あぁぁぁっ!? 苦しい……タンクが……圧力が抜けない……! 逆流する……悪意が…溢れるぅぅぅっ!!」
バキューム・ジャークの胸部ノズルから黒い蒸気と水煙が爆発的に吹き出した。
限界を超えた圧縮タンクが内部から完全な
「ガボッ……グハァッ!?」
猛烈だった超吸引力が一瞬にして完全停止。
それどころか、飽和した内部圧力の反動で怪人の巨躯が大きく打ち震え、足元を縛り付けていた悪意の旋風が虚しく霧散していく。
バイトとライドワーダーを引き寄せていた「死の引力」は、跡形もなく消失していた。
「音羽、陸……指示通り、タンクを過飽和させた」
シートの上で体勢を立て直したバイトのバイザーが、逆回転するファンの奥、弱点である不協和音の核を捉えて鋭く光る。
「……反撃に出る!」
不協和音の波形が崩れ去り、絶望の嵐の中に勝機の道筋がはっきりと開いた。
「ガ、ハッ……!? 俺の……俺の吸引力が……止まった、だと……!?」
体内の圧縮タンクが過飽和を起こし、胸部の三連ファンが異音を立てて逆回転を始めたバキューム・ジャーク。怪人は巨大な巨躯を激しく揺らし、苦悶に身を捩りながら路面へと膝をついた。
ジャンクション全体を支配していた凄惨な吸引力と、絶望の暴風が嘘のように霧散していく。
「今だ、訔ッ! 決めろぉぉぉッ!!」
通信越しに叫ぶ陸の声。
バイトは一切の躊躇なく、滑走するライドワーダーのシートへ完全に身を躍らせた。両足でステップを強固に踏み込み、左右のハンドルグリップを締め上げる。
「言葉の道筋を……切り拓く!」
バイトは胸のチェストスロットから、コバルトブルーに煌めく【流】のライドワードを力強く引き抜いた。
そして、陸が指し示したライドワーダーのハンドル右脇。そこに配備されたミニチュアの鋼鉄のアゴのスロットへと、ライドワードを勢いよく叩き込む。
《流れる》
ライドワーダーのスロットジョーが、カチリと澄んだ音を立ててハイドロワードを深く噛み砕く。
《
瞬間、ライドワーダーの重厚なエンジンルームが、まるで巨大な命の心臓のようにドクンと大きく脈打った。
パールホワイトと艶消しブラックだった車体全体に、眩いコバルトブルーのフォントラインが血管のように走り抜けていく。フロントカウルに刻まれた鋼鉄の顎がガチリと開き、内部の集音・圧縮ノズルから清冽な高圧水流の波動砲が溢れ出した。
さらに、後部からは、青白い光を帯んだ猛烈な水圧推進力が爆発的に噴射される。
重低音の排気共振波が、湾岸高速道路から海上高架橋にかけての空間全体を物理的に揺らし始めた。
「な……なんだあのプレッシャーはぁぁぁっ!?」
怯むバキューム・ジャークが、壊れたノズルからヤケクソのように残存する暴風弾を撃ち出す。だが、ライドワーダーが放つ凄まじい共振音圧の前には、風弾など近づくことすらできず破砕されて散っていく。
バイトはアクセルグリップを、限界を超えて全開まで一気に絞り込んだ。
「言葉を虐げ、煽り立てる悪意の風……その不協和音、ライドワーダーとともに咬み砕く!!」
《
後部からの爆発的な水圧推進力によって、ライドワーダーは弾丸となって路面を滑走した。
時速数百キロに達する超高速領域。
ライドワーダーの車体を取り巻く巨大な水圧波動は、やがて夜の海上高架橋を覆い尽くすほどの、一匹の巨大な『水流の蒼龍』へと姿を変えていく。
「ヒッ……ひぁぁぁぁぁっ! 来るな、来るなぁぁぁぁっ!!」
「ハァァァァァァァッ!!」
超高速の水流突進が、逃げ場を失ったバキューム・ジャークの巨躯を真っ正面から直撃・貫通した。
水龍の顎が怪人の胸部、歪んだ三連ファンと不協和音の圧縮タンクを丸ごと噛み砕き、強烈な水圧波で内部の悪意回路を粉々に破砕していく。
「ガボォッ……!? バ……バキューム……散るぅぅぅぅぅっ!!」
海上高架橋の上に、鮮やかなコバルトブルーの水煙と光の爆炎が咲き誇った。
貫通し、遥か前方で華麗に180度ドリフト旋回を決めて停止するバイトとライドワーダー。その背後で、巨大化していた怪人の肉体は崩壊し、内部から溢れ出た大量の水が、煤煙と不不協和音を綺麗に洗い流していく。
爆炎の中心から、弾き飛ばされた【吹】のライドワードが空中に舞い上がった。
バイトはライドワーダーから滑らかに降り立つと、チェストスロットのレバーを操作。胸のスロットを大きく開放させた。
《吹く》
空中から落ちてきた【吹】のライドワードは、バイトの胸のアゴによって寸分たがわず捉えられ、力強く装填された。
黒紫色の禍々しいフォント粒子が消え去り、透明な澄んだクリアグリーンのライドワードへと浄化されていく。
雲が割れ、湾岸の夜空に穏やかな星々が戻りはじめていた。
だが――その平穏な光景を、遥か上空から冷たく見下ろす眼光が存在していた。
ベイサイドの沿岸にそびえ立つ、築浅の超高層複合ビルの最上階。
立ち入り禁止となっている屋外ヘリポートの屋上に、一人の男が夜風に身を晒して佇んでいた。
ゴオォォォ……と、地上百数千メートルを吹き抜ける強風が、男の纏う重厚な黒赤のロングコートを狂おしく羽ばたかせる。
だが、男の体躯はその猛烈な風圧に一切微動だにしない。まるで、空間そのものに巨大な鉄の杭を打ち込んだかのような、異質なまでの質量と重圧を周囲に放っていた。
男の周囲の空気は重く沈み込み、赤黒い澱みのような不協和音が視覚的なノイズとなって空間を歪ませている。
男の右手の拳。その掌の隙間からは、黒赤くドロリと蠢く古代の呪文――【暴】の刻印が、狂暴な脈動を打ち続けていた。
「ふん……くだらん風の悪意など、所詮はその程度か」
男の喉から漏れ出た声は、低く、重く、聞く者の鼓膜を直接押し潰すような圧迫感を孕んでいた。
眼下の高架橋で、変身を解除しつつある訔の姿を、男はバイザーも越えて肉眼で射抜くように凝視している。その瞳には、倒されたバキューム・ジャークへの哀悼も、仮面ライダーへの驚愕すらもない。ただ底知れない冷酷さと、他者を嘲笑うような絶対的な傲慢さだけが宿っていた。
「言葉の傷を水で洗い流し、寄り添う……か。反吐が出るほど温い真似を」
男は静かに右手の掌を上へ向け、そのまま指先をゆっくりと折り曲げて握り潰した。
男が握り拳を作った瞬間、何もない空間が暴圧によって爆破破砕されたかのような突風が吹き荒れた。屋上に設置されたコンクリートの給水塔の側面に、打撃すら受けていないにもかかわらず、蜘蛛の巣状の巨大な亀裂が一瞬で走り抜ける。
「勘違いするなよ。言葉の本質とは、傷を舐め合うような生ぬるい流動などではない……」
男の身体から、どす黒い赤のフォント粒子が爆発的に噴き出し、ヘリポートの床面を侵食していく。
言葉とは、他者を支配するための道具。
言葉とは、抵抗する者の意志を砕き、屈服させるための尖兵。
そして、言葉とは――力そのものであり、全てをねじ伏せる『絶対的な暴力』だ。
古の時代、ただその一言によって国を滅ぼし、数万人を戦慄とともに平伏させた極毒の呪言。【暴】を司る首魁――ライオット・ジャークの悪意が、現代の不協和音と引き合って完全に目を覚ましつつあった。
「待っていろ、【咬】の言葉を使う者よ。お前のその生ぬるい絆も、言葉も……俺様がこの手で直々に叩き潰してくれよう……」
冷酷な宣告が夜風に溶けると同時に、男の体躯を包む黒赤のフォントエネルギーが渦を巻き、激しい不協和音とともに収縮した。
次の瞬間、圧迫感に満ちていた屋上から男の気配は完全に掻き消えていた。
あとには、歪に亀裂の入ったコンクリートと、焦げ付いたような黒赤のフォントの残滓だけが、月光の下で禍々しく残されていた。
*
狂乱の暴風と荒れ狂う濁流が去ったベイサイドの沿岸。昨夜までの凄惨な不協和音が嘘のように、穏やかで澄んだ海風が静かに吹き抜けていく。高架橋のコンクリートに付着していた潮煙や悪意の残滓は、バイトが放った清澄なハイドロワードによって綺麗に洗い流されていた。
沿岸のベンチにぽつんと座り込んでいた青年――SNSの心ない誹謗中傷と拡散される不快な言葉の嵐に苛まれ、バキューム・ジャークの標的とされていた彼は、ゆっくりと頭を上げた。
「あ……朝だ……」
青年が震える手でスマートフォンの画面を開く。
そこには、昨夜まで猛烈な勢いでタイムラインを埋め尽くしていた無責任な暴言やデマが、潮が引き去るように急速に沈静化していく様子が映し出されていた。代わりに立ち上がり始めていたのは、「冷静になろう」「根拠のない噂を流すのはやめよう」という、静かだが確かな善意の声だった。
「消えてる……悪意の嵐が、嘘みたいに……」
青年はスマートフォンの画面を胸に抱きしめ、ぽろぽろと涙をこぼした。昨夜まで自分を押し潰そうとしていた冷酷な言葉の刃は去り、穏やかな朝焼けの光が、傷ついた彼の心を優しく包み込んでいく。
「よかった……本当に、よかった……」
安堵の表情を取り戻した青年は、朝空を仰ぎ見ながら、深く、深く息を吐き出した。
時を同じくして、城南大学・言語考古学研究室。
地下のガレージには、激戦を潜り抜けたライドワーダーが静かに鎮座していた。カウルの各所にはわずかな擦り傷が見受けられるものの、車体全体からはどこか誇らしげな重厚さが漂っている。
「いやぁ〜! 見ろよ音羽センセー、このスロットの噛み合わせ! 【流】のパワーを何倍にも増幅して吐き出したってのに、内部のギアが一つも欠けてねぇ! 俺の作ったアンプリファイ・システム、完璧だっただろ!?」
工具箱を叩きつけるように置き、油と汗にまみれた顔で笑うのは陸だ。スパナを片手に、ライドワーダーのエンジンカウルを愛おしそうに磨き上げている。
「はいはい、陸くんのメカニック技術は完璧だったわよ」
メインコンソール前でキーボードを叩いていた響は、呆れ顔を浮かべつつも、その瞳には爽やかな達成感が満ちていた。画面上に表示されているのは、今回回収された【吹】の解析データだ。
「でも、訔がハイドロワードの特性を理解して、怪人の圧縮タンクに水流を流し込む判断をしなかったら、あの圧力差には勝てなかったわ。【流】の波形は、相手を穿つためじゃなく、包み込んで過剰な悪意を内側から無効化するために機能した……完璧な連携だったわね」
響は別画面のホログラムモニターに映る【流】のコバルトブルーの波形データを慈しむように見つめ、小さく頷いた。
ガレージの隅、使い古されたソファーに腰掛けていた音無訔は、重量感のあるバイトドライバーをそっとテーブルの上に置いた。
湯気の立ち上る湯呑みを両手で包み込み、温かいお茶を静かに口に含む。
全身の緊張がほどけ、体の奥底からじんわりと温かい心地よさが広がっていく。
「ふぅ……」
「お疲れ様、訔。今回も無事でよかった」
宗一が奥の書庫から歩み寄り、湯呑みにお茶を注ぎ足しながら、穏やかな眼差しで訔の肩を優しく叩いた。
「言葉というものは、一度口から解き放たれれば、誰かを傷つける風にもなれば、誰かを救う水にもなる。今回、お前が示したのは後者だ」
教授の言葉に、訔は湯呑みを見つめたまま、ゆっくりと深呼吸をした。昨夜、暴風の中で聞いたバキューム・ジャークの叫びと、被害者の青年の絶望が頭をよぎる。
「……言葉は、誰かを吹き飛ばしたり、傷つけたりするためのものじゃない」
訔は静かに呟き、顔を上げた。その瞳には、かつてないほど澄んだ、揺るぎない確信が宿っていた。
「寄り添い、流れるためのものだ。傷ついた心に寄り添って、悪意の濁りを綺麗に洗い流す……それが、【流】の言葉の本当の力なんだと思う」
「へっ、格好つけちゃってさ! けどまあ、今日のところは免じてやるか!」
陸がスパナを掲げてニシシと笑い、響も「ふふっ、そうね」と優しく微笑みかけた。
窓から差し込む朝の光が、研究室の古書やマシン、そして四人の温かい笑顔を柔らかく照らし出している。
だが、訔は知っていた。
今回の戦いの果て、遠くからこちらを見下ろしていた不気味な悪意――【暴】の影が、確実に近づいてきていることを。
言葉を「暴力」として振るい、全てをねじ伏せようとする絶対的な脅威。
それでも、訔の心に迷いはなかった。仲間たちとともに紡ぎ出す言葉の絆がある限り、どんな悪意の暴風にも決して屈しはしない。
静かな決意を胸に、訔は澄み渡る朝空を見上げ、深く頷いたのだった。