本戦の会場は、地区予選とは比べ物にならない規模だった。カードの雨を遮る結界が張られた巨大なドームの中、無数の対戦テーブルが並んでいる。天我の一回戦の相手は、開始前から重い空気を纏っていた。
「……あの、ごめんなさい。私、多分、あんまり強くないので……申し訳ないんですけど、よろしくお願いします」
田中輪廻と名乗ったその少女は、俯きがちに、消え入りそうな声でそう言った。何をするにも申し訳なさそうで、テーブルに着くだけで謝罪の言葉が漏れる。天我は反射的に、彼女の心を読もうとした。
――今日も勝てる気がしない、勝てる気がしない、勝てる気がしない。
繰り返される自己否定の声が、表情そのままに響いてくる。演技には見えなかった。少なくとも、この時点では。
「よろしく」
天我は短く答え、試合が始まった。
輪廻のデッキは黒単。序盤から静かに墓地を肥やしていく。《禍福の循環 疫病》で山札を削り、《禍福の循環 呪詛》で手札を整える。派手さのない、地味な積み重ねだった。
「すみません、こんな地味な動きばかりで……」
謝りながらも、手は止まらない。天我はマナを伸ばし、NILへの布石を進めていく。育つまでの過程はいつも通り、盤面が動くたびに構成カードが少しずつ積まれていった。
6ターン目、輪廻はついに切り札を場に出す。
「……出します。禍福の循環、スケープゴート」
黒6コスト、パワー8000。ダブル・ブレイカー。出た瞬間、能力が発動した。
「自分の墓地から、《禍福の循環》とあるカードを、好きなだけ、山札の下に置きます」
墓地に眠っていた《禍福の循環》シリーズが、次々と山札の底へと沈んでいく。8枚。
「その分、天我さんは、自分のバトルゾーン・シールドゾーン・手札から、好きなカードを選んで、墓地に置いてください」
天我はここで初めて、この能力の本当の恐ろしさに気づいた。
NILの構成カードは、NIL自身の下に積まれてはいるが、扱いとしてはバトルゾーンに存在するカードだ。8枚分の墓地送りを、天我は自分で選ばなければならない。シールドから出すか、構成カードを崩すか、あるいはその両方か。
――どう選んでも、失うものが大きい。
天我は、シールドを3枚と、構成カードを5枚、泣く泣く選んだ。育ちかけていたNILの土台が、一気に崩れる。
「すみません……本当にすみません」
謝りながらも、輪廻はタップするたびにこの効果を何度も重ねてきた。そのたびに天我は、構成カードかシールドか手札か、どれかを差し出し続けるしかなかった。
NILは、育つよりも早く、削られ続けた。構成カードは一向に10枚に届かない。
終盤、天我のシールドは1枚、手札もほとんど残っていなかった。輪廻のスケープゴートが、ダブル・ブレイカーでその最後の砦を刈り取る。
「……負けた」
初めての敗北だった。何連勝していようと関係ない。この一戦で、天我は普通に、あっさりと負けた。
「あ……」
輪廻が、顔を上げる。俯きがちだった表情が、一瞬で変わった。
「ウソ、勝っちゃった。え、マジで? 全勝の子に勝っちゃったんですけど」
先ほどまでの弱々しい声色はどこにもなかった。晴れやかを通り越して、あからさまに調子に乗った笑みが浮かんでいる。
「いやー、私って実は結構強いんですよね。さっきまでの空気、忘れてください」
天我は、何も言えなかった。心を読む力があっても、この落差までは、正直予想していなかった。
ポケットの中で、NILが静かに呟く。
――負けた。
「……ああ」
削られた構成カードは、まだ元には戻っていない。天我は、次の対戦に向けて、初めて「勝てない」という感覚と向き合うことになった。