デッキを組み直した夜、天我はストレージの隅にアテネのカードを置いた。
「……天我」
小さな声だった。いつもの、姉ぶった余裕のある声ではない。
「これで、終わり?」
天我は答えなかった。答える言葉を、持っていなかった。赤ん坊の頃からずっと隣にいたカードを、こんな形で棚の奥にしまうことになるとは、正直思っていなかった。読めるはずの他人の心すら、自分がアテネに対して何を感じているのか、うまく言葉にできない。
――嫌いになったわけじゃない。ただ、NILの声のほうが、今の自分には近く聞こえてしまっただけだ。
それがどれだけ身勝手な理屈か、分かってはいた。
アテネは何も言わず、光を失ったようにストレージの中で静止した。天我はそれを見届けることもせず、部屋の電気を消した。
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「じゃ、さっそくやろうぜ。相棒新調したんだろ?」
放課後の空き教室。駆はスマホをテーブルの端に立てかけながら言った。
「ん、それ何」
「デッキ紹介チャンネル用の撮影。俺、生徒会の広報でエピタフ普及企画任されてんだよ。真面目な優等生キャラの需要ってやつ」
駆はにやりと笑うと、録画ボタンを押す寸前まで下ネタ交じりの軽口を叩いていたのに、赤いランプが点いた瞬間、表情も声のトーンもまるきり別人になった。
「こんにちは、皆さん。今日は友人との練習試合を通して、エピタフの基本的な流れを紹介していきたいと思います」
爽やかな笑顔。丁寧な言葉遣い。天我はその落差に、内心だけで小さく引いた。心の声のほうは、相変わらずカメラ映りと構図の計算と、さっきの下品な冗談の続きでほとんど埋まっている。
(……よくやるな、これ)
「天我くんも、一言お願いしていい?」
カメラを向けられ、天我は数秒黙った後、短く応じる。
「……よろしく」
それだけだった。駆が横で小さく吹き出しそうになるのを、なんとか真面目な顔で堪えているのが、声を出さずとも伝わってくる。
撮影用の間を置いて、駆はデッキを構えた。天我は無言でシールドを6枚、裏向きに並べる。
じゃんけんで先攻を取ったのは駆だった。
「先攻もらうぜ」
マナを1枚チャージし、《火矢の小兵》を召喚。スピードアタッカーでそのまま殴りかかってくる。パワー1000の一撃が天我のシールドを1枚割った。
「軽いジャブ、ってやつだ」
トリガーは不発。ただの手札交換で終わった。
「天我のターンな」
カードを引き、マナを1枚。
「……《番人の壁》」
パワー1000だが、ブロック時にはパワー3000として扱われる壁役だ。
「早いな、もう受けに回るのかよ」
「駆のデッキは、序盤で削り切るのが前提だろ」
駆の心の声は、いつも通り緻密だった。表向きの下品さの裏で、手札の枚数とマナの伸びを冷静に計算している。天我はそれを読み切った上で動いている。
次のターン、駆はマナを2枚に伸ばし《暴走前夜》を展開。
「シールド1枚、手札に加えるぜ」
自分のシールドを1枚戻し、パワーを底上げしてブロック不可に。壁役では止まらず、天我のシールドはさらに1枚割れた。残り4枚。
「速いだけの脳筋じゃねぇんだよ、俺は」
「……知ってる」
天我はマナを3枚に伸ばし、《静かなる誓い》を撃つ。駆の全クリーチャーが、次のターンの間動けなくなった。
「うわ、まとめて止めてきたか」
その隙に天我は手札から一枚を切る。
「……先に一枚」
0コストの捨て札呪文を使い、そのターン最初のカードとして処理する。まだ場に出ていないNILの能力はまだ関係ない。だが、これは布石だった。
5マナ目を置いたところで、天我はついにあのカードを場に出す。
「……出す」
「求める機械、NIL」
場に出た瞬間、駆の表情が固まった。
「おいおい、そのテキスト量、反則だろ」
NILは何もせず、ただそこに立っていた。構成カードがまだ0枚では、アタックもブロックもできない。だが同時に、効果の対象にもならず、バトルゾーンから動かすことすらできない。
――足りない。まだ、全然足りない。
NILの声が、天我の中で響く。焦りではなく、ただ純粋な渇望だった。
封じが解けた次のターン、駆は仕切り直しにかかる。だが盤面が動くたびに――クリーチャーが破壊されるたびに――NILの下には静かにカードが積まれていく。誰の、どちらの盤面のクリーチャーであっても関係ない。
天我の《爪痕の一撃》が駆の暴走前夜を割った。構成カード、1枚目。
駆の《闇夜の刃》が天我の壁役を削った。2枚目。
互いの盤面が消耗戦になるにつれ、構成カードは着実に増えていく。
「……先に一枚」
あるターン、天我は2コストの小さな呪文をまず切った。NILの構成カードの中に、それより軽いカードが紛れていたことに、天我は気づいていた。
「そのターン最初に使ったカードより軽い構成カードを、只で使える」
これはNIL本体の能力で、10枚集まっているかどうかは関係ない。攻守に関わる能力とは別に、常に働き続けている。構成カードがまだわずかしかない今の段階でも、NILは静かに仕事をしていた。
「……なんだよそのおまけ機能」
駆が舌打ちする。天我は答えず、次の一手を進めた。
消耗戦が続き、駆のシールドは2枚、天我のシールドは3枚まで削られていた。互角に見えて、実際には駆の一挙手一投足が天我には筒抜けだった。相手の本心が読める以上、どこで勝負に出るかは最初から分かっている。
そして構成カードが、12枚に達した。
「……10、超えた」
NILがゆっくりと持ち上がる。ワールドブレイカー――相手のシールドを全てブレイクする。
「くそ、シールド、それ食らったら……!」
防ぎようがなかった。2枚のシールドが同時に砕け、駆の手札に吸い込まれる。だがそれで終わりではない。
「アタック後、構成カードの《終末の日》を使ってアンタップ」
構成カードは12枚から11枚へ。まだ10枚以上残っている。だからこそ、もう一度動ける。
「もう一回、殴れる」
二撃目が、無防備な駆に直撃した。構成カードは11枚から10枚。ぎりぎりのラインだった。もしこれが10枚ちょうどのまま二撃を放っていたら、二回目の時点で9枚に落ち、そもそもアタックできなかったはずだ。
――積み上げた分だけ、殴れる。
それがNILの強さであり、同時に限界でもあった。
「……負けた」
駆は肩をすくめて笑った。
「マジかよ、あんなの一体どうやって対策すりゃいいんだよ」
「……育つ前に、削り切るしかない」
天我は淡々と言った。だが、それが簡単ではないことを、二人とも理解していた。育てば育つほど、除去そのものが相手の武器を太らせてしまう。矛盾した弱点だった。
ポケットの中で、NILがぽつりと呟く。
――ありがとう。
その声に、これまでにない実感がこもっていた気がした。
天我はまだ、何も答えられなかった。ただ、部屋の隅に置いてきたアテネのことを、ふと思い出していた。