FINAL FANTASY Ⅶ Revengers 作:オレンジⅩⅢ
錆びついた扉を、後ろ手に閉める。
冷たい金属の感触が、掌に伝わった。
しばし、闇の中で息を潜める。
追ってくる足音は、無い。
レノとルードを隔てた、あの影の群れ――正体不明の何かが、まだこちらを庇っているのか。それとも、単に、追跡を諦めさせる程度の時間は稼げたということか。
判断材料が足りない。
だが、今は、それを考えている場合ではなかった。
(レノ……)
脳裏に、先程の光景が過ぎる。怒りに震えた声。裏切り者と、面と向かって糾弾された事実。
長年の同僚であり、幾度となく、飲みに誘ってきた男だ。粗野に見えて、義理堅く、仲間思いなところがある。だからこそ、あの怒りは、本物だったのだろう。
(感傷に浸っている暇は無い)
自分に言い聞かせる。今、優先すべきは、生き延びることだ。過去との決別を惜しむ余裕など、既に、失われて久しい。
分かっているはずなのに、胸の奥に残る、鈍い痛みが、消えてはくれなかった。
(まずは、生き延びることが先決だ)
呼吸を整えながら、暗闇に目を慣らす。かねてから整備しておいた、地下水路への抜け道――タークスとしての立場を利用し、ゆっくりと時間をかけて構築してきた、逃走経路の一つだ。
こんな形で使うことになるとは、想定していなかったが。
懐から、私物の――家に置いてきた本命とは別に、常に携行していた予備の――端末を取り出す。
画面には、着信も通知も無い。まだ、誰も、この番号にはたどり着いていないはずだ。それでも、油断はできない。
(万が一を考えれば、これも切り捨てるべきだな)
端末の中身を、素早く確認する。連絡先、履歴、いずれも、暗号化と偽装を重ねてある。だが、神羅の解析能力を、甘く見るべきではない。特に、内偵がここまで進んでいた以上、想定を上回る技術が投入されている可能性がある。
(惜しいが、仕方がない)
小さく息を吐き、端末を地面に置く。グリモアの背から抽出した小型の魔力刃で、内部の基盤を、丁寧に破壊していく。それでも足りないと判断し、最後は踏み潰した上で、瓦礫の隙間へと押し込んだ。
これで、追跡の糸口は、また一つ、断たれたはずだ。
(次は、これだ)
左腕の義手に、意識を向ける。
スカーレットが与えたものであり、彼女が手を加えたものでもある。今回の内偵の発端を思えば、この義手そのものに、何らかの仕掛けが施されていない保証は無い。グリモアも、同様だ。
(自分の首を絞める道具になっていないと、良いんだがな)
自嘲気味に呟きながら、義手のカバーを外し、内部の演算回路を、グリモアを通じてスキャンする。魔晄濃度の解析に使う機能を転用すれば、電波や信号の異常な発信も、ある程度は検知できるはずだ。
幾何学的な文様が、蒼く発光する。
義手内部の回路図が、仮想モニターに投影され、一つ一つ、丹念に確認していく。
(――問題、無いか)
一通りの走査を終え、小さく息を吐く。発信機らしきものは、見当たらない。もっとも、自分の技術水準で発見できないほど巧妙な仕掛けであれば、それはそれで、お手上げということになるが。
(考えても仕方が無いことだ。今は、この結果を信じて動くしかない)
グリモア本体も、同様に確認する。こちらも、異常は見つからなかった。
安堵、というほどのものではない。ただ、次に打つべき手が、一つ、明確になっただけだ。
(さて――)
地下水路の暗闇に、目を凝らす。
かつて、こんな道を通ることになるとは、思ってもみなかった。裏工作の一環として整備した経路のはずが、今や、自分自身の逃走路になっている。
皮肉なものだ。
歩を進めながら、頭の中で、これからの算段を組み立てる。
(内偵の手が、俺の身元に届いた以上、今後、通常のセーフハウスは使えない)
用意していた候補地は、いくつかある。だが、そのいずれもが、タークスとしての立場を利用して確保したものだ。今の状況では、どこまで安全か、確信が持てない。
(一つずつ、潰していくしかないか)
腐敗した水の臭いと、闇の中で反響する、自分の足音だけを頼りに、時間をかけて、地上へと通じる別の出口を目指す。
途中、幾度か、頭上を通る足音に、息を潜めた。
神羅の捜索が、既にここまで及んでいるのか、それとも、単なる巡回か。判断はつかない。だが、確認する余裕は無かった。
(今は、身を潜めることだけを考えろ)
義手の付け根に、鈍い痛みが走る。幻肢痛が、こういう時に限って、決まって疼く。喪失を意識させるその痛みは、いつも通り、都合の悪いタイミングでやってくるものだ。
(今更、感傷に浸っている場合か)
自分に言い聞かせながら、水音を立てないよう、慎重に、足を運ぶ。
計算していた経路は、いくつかの分岐を経て、最終的に、四番街の外れへと繋がっているはずだった。事前に想定していたルートと、実際の状況との誤差を、頭の中で、逐一、修正していく。
(想定より、崩落箇所が多いな……)
内偵の目を警戒し、整備は最低限に留めていたツケが、こんな形で回ってくるとは。苦い笑みが、思わず漏れる。
それでも、足を止めるわけにはいかなかった。
数時間か、それ以上か。時間の感覚すら曖昧になった頃、ようやく、目的地への出口を見つける。
翌日の夜。
四番街の外れにある、目立たない廃屋――かねてより、緊急時の隠れ家として準備していた場所の一つに、身を潜めていた。
窓の隙間から漏れる、街灯の明かりだけを頼りに、拾い集めた古い携帯ラジオの周波数を、慎重に合わせる。
雑音混じりの音が、少しずつ、輪郭を帯びていく。
『――繰り返します。本日夜、七番街プレートの支柱付近にて、大規模な倒壊が発生しました』
思わず、手が止まる。
『神羅カンパニーは、テロ組織アバランチの拠点撲滅を目的とした作戦を実行。この結果、プレートを支える支柱が崩落し、下部のスラム一帯が――』
淡々と読み上げられる、アナウンサーの声。感情の一切乗らない、機械的な口調が、かえって、事の異常さを際立たせていた。
(本当に、実行したのか……)
半信半疑だった部分が、音声を通じて、確かな現実として、突きつけられる。
リーブから聞いた時、頭では理解していたつもりだった。だが、実際に、それが起きたという事実を前にすると、想像していた以上の重みで、胸に圧し掛かってくる。
(――ここまでやるとはな)
内心で、独りごちる。表情には出さないよう、努めてはいたが、それも、今この場では、誰に見られているわけでもない。
リーブから聞かされていた計画。まさか、これほど早く、実行に移すとは。
(想定より、遥かに早い)
自分が逃走したことと、無関係ではないだろう。神羅にとって、内偵の対象が動いたことは、状況を早める理由になり得る。あるいは、単に、元々そのつもりで進めていた計画が、たまたまこのタイミングと重なっただけかもしれない。
いずれにせよ、確かめる術は無い。
(クラウド……)
胸の奥に、鈍い痛みが走る。
七番街には、そこに住む住民の、クラウドの生活がある。
(無事、なのか)
一瞬、そう思う。だが、すぐに、頭を振った。
(――今は、それを考えている場合じゃない)
安否を気にかけたところで、今の自分には、確かめる術が無い。感情に引きずられて、思考を止めるのは、最も避けるべきことだ。
今、優先すべきは、潜伏を続けながら、今後の計画を練り直すための情報を集めることだ。クラウド達の安否確認は、その次でいい。
ラジオの音声は、その後も、被害状況の概要を、淡々と読み上げ続けていた。犠牲者数、詳細は不明。復旧の目処は立たず。テロ組織アバランチの壊滅を確認――そう締めくくられた一文に、内心で、強く歯噛みする。
(壊滅、か。随分と、都合の良い発表だな)
真偽など、この際、どうでもいい。神羅にとって、重要なのは、大衆に植え付ける印象だけだ。
ラジオを消し、暗闇の中、しばらく、動けずにいた。
(考えろ。考えるんだ)
自分に言い聞かせる。今、確認できることは、限られている。だが、動かないという選択肢は無い。
(今後、どう動くべきか)
意識を、切り替える。感傷ではなく、算段を組み立てる時間だ。
安全だけを優先するなら、選択肢は、いくつもある。だが、今、自分が測るべき基準は、それではない。
(どこにいれば、最も、神羅を食い破れるか)
その一点に尽きる。
このまま、ミッドガルに留まるべきか。
正体が神羅に割れた以上、地下に潜り続けることには、いずれ限界が来る。ウォールマーケットは、確かに神羅の監視が緩い。だが、それは、あくまで一時凌ぎでしかない。
(ジュノン、か……)
もう一つの選択肢が、頭をよぎる。神羅の一大拠点であるジュノンは、軍事施設としての機密度が高い分、掴める情報の質も、跳ね上がるはずだ。だが、それは、裏を返せば、監視の密度もまた、跳ね上がるということだ。今の身元で近づくのは、危険が利益を上回る。
(ウータイか)
本流との繋がりを頼りに、国外へ逃れるという手もある。“ゼロ”としての信用は、まだ、多少は残っているはずだ。本流の庇護を受け、体制を立て直すことも、不可能ではない。
だが――
(それでは、神羅から遠ざかるだけだ)
内心で、否定する。この地を離れれば、神羅を内側から食い破るという、自分の目的そのものから、遠ざかることになる。積み上げてきたもの全てを、手放すのと同義だ。
(それに――)
今夜、七番街で起きたことを、頭の中で反芻する。
住民を巻き込んだ、あからさまな暴挙。テロ対策という大義名分すら、もはや、体を成していない。追い詰められた神羅は、これから先も、同じように、性急な判断を重ねていくだろう。
(暴走する組織ほど、脆いものは無い)
冷静さを欠いた相手は、必ず、綻びを見せる。今回のプレート落下も、その一端だ。ならば、その綻びに、最も早く気づき、最も深く付け入ることができるのは、どこか。
答えは、明白だった。
(――ミッドガルだ)
神羅の中枢が、まさに、崩れかけている、その只中。ここに留まり続けることこそが、次の綻びを見逃さず、最大限に利用する道に繋がる。
(当面は、ミッドガルに留まる。ただし、いつでも動けるように、備えはしておく)
そう、方針を固める。
夜が明けるまで、廃屋の隅で、じっと、気配を殺し続けた。
翌朝、ウォールマーケットの露店で、身元の分からない中古の端末を、現金で買い求める。
出所の怪しい品を扱う店だ。店主も、余計な詮索はしてこない。裏の稼業には、都合の良い場所だった。
物陰に身を隠しながら、ザックスに渡していた番号へ、慎重に発信する。
コール音が、数回、鳴る。
『――もしもし?』
「俺だ。ジュリアスだ」
『――! ジュリアス、無事だったのか!?』
安堵の滲む声が、耳に飛び込んでくる。
「詳しくは話せないが、色々あってな。今は、別の端末から連絡している」
『色々って、なんだよ…… って、それより、七番街のことは……!』
「知っている。今、情報を集めているところだ。お前は、無事か」
『あ、ああ。俺は大丈夫だ。……でも、クラウドとは、そもそも連絡を取る手段が無いんだ。あいつに渡した端末の番号も、俺は知らねぇし』
ザックスの声に、隠しきれない焦りが滲む。
「……そうか」
短く答えながら、内心で、素早く状況を整理する。ザックスが無事なら、少なくとも、一つの安心材料にはなる。
「お前の方は、変わったことは無いか」
『いや…… それが、一つ、報告がある』
ザックスの声色が、僅かに、落ち着きを取り戻す。
『あの後、カンセルってソルジャーと、連絡が取れたんだ。前に話しただろ、信頼できるやつがいるって』
「ああ、覚えている」
『あいつ、俺のこと、信じてくれてな。今の神羅の内情も、教えてくれた。それで――』
一拍、間が空く。
『今は、そいつの手引きで、変装して潜伏してる。姿を変えれば、そう簡単には見つからないだろうってな』
「賢明な判断だ」
内心で、僅かに安堵する。ザックスが、単独で無茶な行動に走っていないことは、素直に、良い兆候だった。
「そのカンセルという男は、どこまでの情報を持っている」
『詳しいことまでは、まだ聞けてねぇ。ただ、内偵が動いてるって話は、あいつも知ってたぞ。ソルジャー内でも、それなりに噂になってるみたいだ』
(内偵の話が、既に、そこまで広まっているのか)
内心で、小さく唸る。表沙汰にはなっていないはずの情報が、ソルジャー内部にまで漏れているとすれば、想定していたよりも、事態は深刻かもしれない。
「カンセルという男が、どこまで信用できるかは、今は判断できん。だが、少なくとも、お前を売るような真似はしていないようだな」
『だろ? あいつは、そんな奴じゃない』
自信ありげなザックスの声に、内心で、小さく息を吐く。
「今のところは、その言葉を信じておく。だが、油断はするな」
『わーってるよ。……それより、お前はどうするんだ?』
「六番街に移る。ウォールマーケットなら、神羅の目も、多少は緩い」
裏社会が幅を利かせる場所だ。堅気の統制が及びにくく、皮肉なことに、それが、身を隠すには都合が良い。
『そうか。……なぁ、ジュリアス』
「なんだ」
『クラウド達、本当に、大丈夫だよな……?』
不安げな問いかけに、すぐには、答えられなかった。
(大丈夫だと、言い切れる材料は、今は無い)
だが、それをそのまま伝える必要は、無いだろう。
「……無事を信じて、動くしかない。今は、それだけだ」
『……ああ、そうだな』
短いやり取りの後、通話を切る。
(さて――)
買い求めたばかりの端末を、懐にしまう。
雑踏に紛れながら、ウォールマーケットの喧騒へと、足を踏み入れる。
けばけばしいネオンと、行き交う人々の活気。表向きは享楽の街であり、裏では、あらゆる非合法が入り混じる、混沌そのものの場所だ。
呼び込みの声、酔客の笑い声、どこからともなく漂う、香水と煙草の混じった臭い。プレートの上とも、七番街のスラムとも違う、独特の空気が、この街には満ちていた。
神羅の統制すら、この街の隅々までは、行き届いていない。
(潜伏先としては、悪くない)
金と欲望が渦巻くこの場所では、誰もが、他人の素性に興味を持たない。それが、身を隠す上で、何よりの隠れ蓑になる。
これから、この街のどこかに、新たな拠点を構える必要がある。
裏路地を歩きながら、目星をつけていた宿の一つに、足を向ける。表向きは、場末の安宿だ。だが、経営者は、金さえ払えば、余計な詮索をしない類の人間だった。以前、裏工作の途中で世話になったことがある。
「――一部屋、頼む」
「はいよ。前金でね」
無愛想な女将に、紙幣を渡し、鍵を受け取る。それだけのやり取りだった。名前も、素性も、問われることは無い。
案内された部屋は、狭く、埃っぽい。それでも、雨風を凌げるだけで、十分だった。
ドアに鍵をかけ、ようやく、肩の力を抜く。地下水路を歩き通した疲労と、神経をすり減らし続けた緊張が、今になって、どっと押し寄せてきた。
義手の付け根が、鈍く疼く。生身の方も、あちこちに、擦り傷が滲んでいた。だが、傷の手当てよりも、今は、情報の整理が先だ。
窓の外に、けばけばしいネオンの明かりが、絶え間なく瞬いている。派手な看板の一角には、この街を裏で仕切っているという男の名前が、大きく掲げられていた。
(コルネオ、か……)
耳にしたことのある名前だった。ウォールマーケットに根を張る、闇の顔役。神羅の目が届きにくいこの街で、あれだけの影響力を持つ以上、いずれ、無関係ではいられなくなるかもしれない。
(今は、深追いする段階じゃないな)
意識の隅に、その名を留めておくだけに留める。
ベッドに、身体を沈める。
七番街プレート落下。ジュリアスの逃走。ザックスの潜伏。内偵の手が、自分の身元にまで及んだこと。
情報が、断片的に、しかし確実に、積み上がっていく。
(優先すべきは、この状況を踏まえて、次の計画を練り直すための情報を集めることだ。クラウド達の安否確認は、その後でいい)
頭の中で、改めて、順序を整理する。
とはいえ、迂闊に動けば、自分の存在そのものが、彼らを危険に晒しかねない。
(慎重に、だが、迅速に――ままならないものだな)
天井を見上げながら、静かに、次の一手を練り始めた。
七番街が失われた今、アバランチという駒が、どう動くのか。神羅の暴走が、次に、どこへ向かうのか。全ての手がかりを、一つずつ、拾い集めなければならない。
(――さて、どこから手をつけるか)
けばけばしいネオンの明かりだけが、狭い部屋の中を、ちらちらと、照らし続けていた。