FINAL FANTASY Ⅶ Revengers 作:オレンジⅩⅢ
Side ティファ
カーム・インの裏部屋、あてがわれたベッドの上でティファは何度も寝返りを打っていた。
窓の外は静かだった。町の喧騒はとうに寝静まり、虫の音だけが途切れ途切れに聞こえてくる。
隣のベッドでは、エアリスが小さな寝息を立てていた。安らかなその横顔に少しだけ羨ましさを覚える。
(眠れない……)
瞼を閉じても、頭の中で今日聞いた話が何度も繰り返される。
セフィロス。ニブルヘイム。四年間の人体実験。
クラウドの口から語られた真実は、ティファ自身が抱えていた記憶と少しずつ形を変えながら重なり合っていった。
自分の知っているクラウドは、七年前ニブルヘイムを出て行った、あの少年のままだった。もっとも、幼い頃の彼との記憶は、驚くほど少ない。輪の中に入ろうとせず、いつも少し離れた場所から、こちらを眺めているような子供だった。言葉を交わした記憶さえ、数えるほどしかない。
だが今、隣の部屋で眠っているはずの彼は、あの夜確かにあの村にいて、セフィロスと刃を交えていたのだという。
七年という月日。あまりにも長い空白の時間だった。
(本当にクラウドなのかな……)
浮かんだ疑念に、思わず自分自身に対して小さく頭を振る。
そんなはずはない。ここまで一緒に戦ってきて何度も助けられてきた。疑う理由などどこにもないはずだった。
それでも拭いきれない不安が胸の奥にじわりと滲む。
七年前の彼と今の彼。同じ人物だと言われても、正直、うまく像が結びつかない瞬間がある。
もっとも、幼い頃のクラウドを、そう深く知っていたわけではない。あの頃の彼は、多くを語らず、いつも一歩引いた場所にいるような子供だった。だからこそ余計に、比べる材料も無いまま、今の彼との間にある、漠然とした隔たりだけを、感じてしまうのかもしれない。
今のクラウドは、物腰も、纏う空気も、記憶の中の彼とは、随分と違う。話す言葉一つ一つに、重みがあった。あの頃には、感じたことのない重みだ。
(人体実験のせいで変わってしまったのかな。それとも――)
考えれば考えるほど答えの出ない問いが、頭の中を巡っていく。
思えば、ミッドガルにいた頃は、こんな風に、疑う余裕すらなかった。逃げて、戦って、生き延びることに、ただ必死だった。クラウドが本物かどうかなんて、考える暇もなかった。
それなのに、こうしてカームに着いて、束の間の落ち着きを得た途端、今更のように、疑う気持ちが顔を出す。
(――酷いよね、私)
内心で、そっと、自分自身を責める。あれほど命懸けで守ってくれた人を、平穏な時間を得たからこそ疑うだなんて。そんな自分の狡さが、少しだけ、嫌になる。
もちろん、あの人体実験の話を聞いた今なら、彼の変化にも説明がつく。それでも、心のどこかで、まだ拭いきれない引っかかりがあった。
このまま眠れそうにない。
そっと身体を起こし、足音を殺して部屋を出る。エアリスを起こさないよう細心の注意を払いながら。
宿の裏口から夜の外気の中へと踏み出す。
ひんやりとした風が火照った頬を撫でていった。見上げれば、ミッドガルでは決して見られなかった満天の星が広がっている。プレートの上でさえ、こんなにも星は見えなかった。
(綺麗……)
しばし、その光景に見惚れる。ここが、これほど平穏な景色を抱えた場所だとは、ミッドガルにいた頃には、想像もできなかった。
だが、すぐに視線を下へと戻す。
宿の裏手、小さな井戸の傍に人影があった。
見覚えのある背中に思わず足を止める。
クラウドだった。
星空を見上げるでもなく、ただぼんやりと井戸の縁に腰掛けている。
その横顔には昼間には見せなかった疲れの色が色濃く滲んでいた。両肩に、まだ、あの告白の重さが残っているように見える。
「――クラウド?」
小さく声をかける。
「――ティファ?」
驚いたようにクラウドが振り返る。
「眠れなくて」
「俺も、だ」
短いやり取りの後、どちらからともなく視線を星空へと向ける。
「隣、良い?」
「あ、あぁ」
促されるまま井戸の縁に並んで腰掛ける。木の縁は、夜露で少し湿っていた。
しばらく二人の間に沈黙が落ちた。虫の音だけが静かに辺りを満たしている。遠くで、宿の看板がかすかに軋む音がした。
「今日の話、まだ頭の中で整理できてなくて」
先に口を開いたのはティファだった。
「そうか」
「セフィロスのこと、人体実験のこと……。全部、想像していたより辛い話だった」
膝の上で両手をそっと握りしめる。
「クラウドは大丈夫?」
問いかけながら、隣に座る彼の横顔を、そっと窺う。
「――どうだろうな」
自嘲気味にクラウドがそう零す。
「話しながら、ずっと変な感覚があった。まるで他人の話をしているみたいな……。いや、違うな。ちゃんと俺の話だって分かってる。分かってるのに、どこか遠い出来事みたいに感じるんだ」
「そう、なんだ……」
言葉を選びながらティファは頷く。
「あのさ……」
一度、言葉を切る。今聞くべきかどうか迷いながら。
「昔の話、しても良い?」
「昔の話?」
「うん。ニブルヘイムにいた頃の」
クラウドの表情に僅かな緊張が走るのが分かった。
「――良いぞ」
短く頷きが返ってくる。
「エミリオ達のこと、覚えてる?」
その名前を口にした瞬間、クラウドの表情が明らかに曇った。
「――ああ」
短く、それだけ答える。それ以上続ける気配はなかった。
(――やっぱり)
内心で小さく頷く。この反応を見たかったわけではなかった。だが確かめずにはいられなかった。
「興味ない、よね」
気まずさを誤魔化すように小さく笑う。
「ごめん、変なこと聞いて」
「――いや」
クラウドが静かに首を振る。
「怒ってるわけじゃない。ただ……ティファが俺を試そうとしてるのは分かった」
その言葉に心臓が大きく跳ねた。
「――え?」
「昔の話をして、俺の反応を見てる。本物のクラウドかどうか確かめようとしてるんだろう」
苦笑を浮かべつつ、しかし責めるでもない声色でクラウドが続ける。
「無理もないと思う。七年も経って急に色々なことを聞かされたんだ。疑いたくなる気持ちも分かる」
図星を突かれ返す言葉が見つからなかった。
見透かされていた。それも、こんなにも、あっさりと。
自分では、上手く誤魔化せているつもりだった。世間話のふりをして、さりげなく、昔の話題を差し込んだつもりだった。だが、クラウドには、最初から、全て分かっていたのだろう。
「――ごめん、なさい」
俯きながら絞り出すように謝る。
「気づいてたのに、気づかないふりして聞いてもらって……。ずるいこと、したね」
「謝る必要は無い」
短くクラウドがそう答える。
「俺だって同じ立場だったら、同じことをすると思う」
星空を見上げながらクラウドはしばらく何かを考えるように黙り込んだ。夜風が、彼の前髪をわずかに揺らしていた。
「なぁ、ティファ」
「――うん?」
「ティファの不安を軽く出来るかはわからないけど……。エミリオ達のこと……。正直に言うと、ほとんど興味がないけど、あいつらを許せないと思ってることがあるんだ」
意外な言葉に思わず視線をクラウドへと向ける。
「――どうして?」
「あの日、ティファのお母さんが死んで……。ティファが、ニブル山に行っただろう」
覚えていないと言っていたけど、と続けるクラウドに、ティファは頷く。
そう、自分の中で、未だに思い出すことのできない記憶。父が、クラウドがティファを誑かしたと言い、クラウドの母であるクラウディアが謝罪していたことくらいしか、覚えがない。
低くクラウドが続ける。
「あの日、エミリオ達もティファと一緒に行ってたんだ。母親に会えるかもしれないって、ティファが言ったから」
「そっか……」
あの日の記憶が朧げに蘇る。母を失った悲しみに耐えきれず、無謀にも山を登った、あの夜のことを。
ただ、それ以上のことは、やはり思い出せない。
「……あいつら、途中でティファを置いて逃げた」
淡々と、しかし、その声には僅かな怒りが滲んでいた。
「怖くなったんだろう。魔物が出て暗くなって……。それで、ティファを置いたまま、順番にいなくなっていった」
「そう、だったんだ……」
その事実をティファは初めて聞かされた。
あの頃の記憶は、断片的にしか残っていない。母を失った直後の自分は、悲しみと恐怖で、正常な判断など、できていなかったのだと思う。エミリオ達が、いつの間にか隣にいなくなっていたことにも、当時はほとんど気づかなかった。ただ、闇雲に、山を登り続けていた記憶が、なんとなく浮かんできた。
「子供だったとはいえ、あいつらのしたことは、無責任すぎる」
クラウドが、静かに、しかしはっきりとした声で続ける。
「最初から、ちゃんとした覚悟も無いまま、軽い気持ちでティファについてきただけだった。それなのに、自分達が怖くなった途端、あっさりティファを見捨てて逃げた。……それだけは、どうしても、許せない」
その言葉に、ティファは、何も言い返せなかった。
「俺は最後までついていった」
クラウドが静かに続ける。
「途中で、橋が崩れて……。ティファと二人、下まで落ちた」
「――そこから先が、実は、あんまり……」
言葉を濁す。正直に言えば、あの夜の記憶は、そこから先、ほとんど残っていなかった。
「気がついたら、家のベッドの中にいて。随分と日にちが経ってたことだけ、覚えてる。私が大怪我をしたことも、後になって、大人達の話でなんとなく知った程度で……」
自分でも、少し情けなくなる。あれほど大きな出来事だったはずなのに、当の自分の記憶だけが、驚くほど曖昧なままだった。
「でも、なんで今更……。その話を?」
素直な疑問を口にする。
クラウドはしばらく黙り込んだ。星空を見上げるその横顔に複雑な感情が浮かんでは消えていく。
「――あの事件は、俺の弱さの象徴だったんだ」
やがて絞り出すようにそう零した。
「弱さ……?」
「ティファのお父さんが俺のせいだって言い出した時があっただろう。俺がティファをたぶらかして山に連れ出したって」
「――覚えてる」
あの時のことも、ティファの記憶に深く刻まれている。父の剣幕に、幼いティファは何も言い返せなかった。
「あの時、俺はそれを否定しなかった」
低くクラウドが続ける。
「本当は、ティファが行くって言い出したことだった。俺はただ、その後ろを勝手についていっただけだ。でも…… それを認めれば、ティファが怒られなくなると思った」
その告白にティファは大きく息を呑んだ。
まさか、そんな理由があったなんて、考えたこともなかった。あの時のクラウドは、ただ、俯いて、何も言い返さないまま、父の言葉を受け止めていた。てっきりそれは、彼が本当に悪いと思っていたからなのだと、ずっと信じ込んでいた。
「だから、俺のせいにした。俺が悪いんだって言われるがまま頷いた」
淡々と、しかし、その声には隠しきれない苦さが滲んでいた。
「弱かったんだ、俺は。ティファを危険な目に遭わせたことも。それを守れなかったことも。全部、俺の弱さのせいだった」
「クラウド……」
その名を呼ぶことしかできなかった。かけるべき言葉が、上手く見つからない。
「だから……強くなりたいって思った」
一度、言葉を切る。
拳を強く握りしめる。
「弱かった自分を、ずっと許せなかった。今でも時々思い出す。あの時の無力さを」
それに……と、クラウドは言葉を続ける。
「あの無力感から、俺は強くなるためにソルジャーになろうと思ったんだ。
俺がティファを、給水塔に呼び出したことがあっただろ? あの時の記憶は、俺たちは忘れていない。だから、その時につながる話をできれば、少しは不安を消せると思ったんだけど……。
そもそも、ティファはあの滑落事故のことを覚えていないんだから、失敗だった。ごめん」
苦笑を浮かべつつ、クラウドは後頭部に手を当てつつ謝罪する。
彼の言葉の一つ一つがティファの胸に重く響いていく。
(――そんなことをずっと一人で……)
知らなかった。あの事件がクラウドの中で、そんな意味を持っていたなんて。
てっきり彼は、あの怪我のことなど、とうに忘れているのだと思っていた。子供の頃のちょっとした失敗として、笑い話にできる程度のものだと、勝手に決めつけていたのかもしれない。
だが実際には七年経った今もなお、その記憶は彼の中で消えることなく燻り続けていたのだ。
「ティファに責められてるように感じてたんだと思う」
クラウドが続ける。
「あの事件以来ずっと。ティファは、そんなこと言ってないのに。俺が勝手にそう思い込んでただけなんだ」
「……だから言いたくなかったの?」
「――ああ」
短く頷きが返る。
「情けない話を聞かせたくなかった。俺がどれだけ弱かったか。それを認めることが怖かった」
その言葉を最後にクラウドは口を閉ざした。
星空の下、二人の間に長い沈黙が落ちる。
ティファはしばらくの間、何も言えなかった。
胸の奥に様々な感情が渦を巻いていた。驚き、後悔、そして――言葉にならない温かなもの。
(本物でも偽物でも……)
ふと、そんな考えが頭を過ぎった。自分でも、少し、奇妙な考え方だとは分かっていた。だが、今、この瞬間、それ以外の言葉が見つからなかった。
目の前にいるクラウドが七年前と寸分違わぬ、あの少年である保証はどこにも無い。実験を受け、姿も声も何もかもが変わってしまったのかもしれない。それでも。
これほどまでに自分のことをずっと想い続けてくれていた人が。これほどまでに不器用に、自分を守ろうとしてくれていた人の気持ちが。
偽物のはずが、無い。
気づけば、ティファの身体は自然とクラウドの胸へと飛び込んでいた。
「――ッ、ティファ?」
突然のことにクラウドが大きく動揺する。
「ごめん、なさい」
胸に顔を埋めたままティファは震える声で続ける。
「疑って、ごめんなさい。試すようなこと、して、ごめんなさい」
「……いや」
戸惑いながらもクラウドの手がそっとティファの背中に添えられる。ぎこちない、けれど確かな手つきだった。
「気にするな。ティファは悪くない」
「悪いよ」
強く首を振る。
「クラウドが、そんなに私のこと想ってくれてたなんて知らなかった。それなのに私……」
言葉に詰まる。堪えきれなかったものが目の端からこぼれ落ちていくのが分かった。
「ありがとう」
震える声で、それだけを絞り出す。
「あの時、最後までついてきてくれて。ずっと私のこと守ろうとしてくれて……。本当に、ありがとう」
「――俺の方こそだ」
クラウドの声も僅かに掠れていた。
「守れなかったのに。何度も守れなかったのに。それでも今、また、こうして隣にいさせてもらえてる」
その言葉に、ティファの胸が、じんわりと熱くなる。
思えば、母を失ってから、ずっと、誰かに寄りかかることを、どこかで恐れていた気がする。強くならなければと、一人で歩いていかなければと、そればかりを考えていた。
だが、こうしてクラウドの腕の中にいると、その強張っていた何かが、少しずつ、解けていくのを感じる。
しばらくの間、二人はそのまま動かなかった。
夜風が静かに二人の間を通り過ぎていく。虫の音が、いつの間にか、少し遠くなった気がした。
ティファはまだクラウドに自分の気持ちを伝える勇気はなかった。
好きだと言葉にすることも。彼から同じ言葉を返されたとしても、それを受け止めきる自信も、まだ無い。
それでも。
(――一緒に地獄まで堕ちる。そう言ってくれたよね)
以前クラウドがかけてくれた言葉を思い出す。あの夜、酒場のカウンターで、彼が静かに告げてくれた、あの一言。
あの言葉がどれだけ自分の支えになっていたか。今、改めて実感する。
ならば、自分にできることは一つだけだった。
彼の隣で、彼を支え続けること。強がって、一人で全部を背負い込もうとする彼の、その荷物を、少しでも軽くしてあげること。
たとえその先にどんな道が待っていたとしても。地獄であろうと、何であろうと、逃げるつもりはなかった。
「――ありがとう、クラウド」
もう一度そう呟く。
「これからも、隣にいさせてね」
「――ああ」
短い、しかし確かな頷きが返ってくる。
その声にティファは少しだけ微笑んだ。
夜空には変わらず満天の星が瞬いていた。
ミッドガルでは決して見ることのできなかった光景。
その星々の下、二人はしばらくの間、無言のまま寄り添い続けていた。
翌朝。
食堂に降りたティファを真っ先に出迎えたのは、エアリスのにやけた視線だった。
「――昨日の夜、どこ行ってたの?」
「な、なんのこと?」
「隠さなくても良いのに」
くすくすと笑うエアリスにティファは思わず頬を赤らめる。朝から、こんなにもからかわれるとは、思っていなかった。
「私、夜中にトイレで起きたら、ベッドが空っぽだったんだから。ちゃーんと気づいてたんだよ?」
「そ、それは……」
言い訳を探すが上手い言葉が見つからない。
「まぁ良いけどね。二人とも、なんだか今朝は顔色が良い気がするから」
意味深に笑うエアリスに、これ以上は突っ込まれても仕方が無いとティファは小さく息を吐いた。頬の熱は、まだ、完全には引いていなかった。
その様子を少し離れた席から、ジュリアスが無言のまま眺めていた。
何かを察したのだろう。それ以上何も言おうとはしなかった。
「――な、何か言いたいことでも?」
視線に気づき思わずそう問いかける。
「いや、何も」
素っ気なくそう返され、ジュリアスは興味なさげにパンを口に運ぶ。
(――絶対、気づいてる)
内心でそう確信しながらも、それ以上の追及は諦めることにした。
窓の外、カームの朝は静かに明けようとしていた。露店の準備をする商人の声が、遠くから微かに届く。
食堂の隅の席では、バレットが大あくびをしながら、装備の点検をしていた。レッドⅩⅢは、その傍らで、静かに目を閉じている。
やがて、クラウドが、少し照れくさそうな顔をして食堂に現れた。目が合うと、彼は小さく手を挙げる。
「――おはよう」
「おはよう、クラウド」
短いやり取りだけだったが、それだけで、昨夜の会話が、決して夢ではなかったのだと確信できた。
今日も、また、長い一日が始まろうとしている。
それでも昨夜のやり取りが、ティファの胸に確かな温もりを残していた。
ティファがクラウドを疑うシーンを、どう着地させるか悩んだ結果、こうなりました。