FINAL FANTASY Ⅶ Revengers 作:オレンジⅩⅢ
コスモキャニオンの朝は、昨夜の熱を静かに冷ましながら明けていった。谷を吹き抜ける風には土と香草の匂いが混じり、赤い岩肌が朝日を受けて燃えるように染まっている。祭りの後の静けさとでも言うのだろうか、集落全体が、まだ昨夜の余韻から覚めきっていないように見えた。
広場には、旅の一行が自然と集まっていた。テントの支柱に寄りかかるバレット、井戸端で顔を洗うクラウド、その少し離れた場所で薬草を摘みながら何気ない会話を交わすティファとエアリス。誰の顔にも、昨夜の慟哭の余韻がまだ滲んでいる。
輪の中心にいたのは、ナナキだった。
「じっちゃんに鍛えられたからだけじゃない」
円を描くように仲間たちを見渡してから、続ける。
「みんなとの旅の中で鍛えられたから、おいらは前に進めるんだ」
その声には、もう昨夜のような震えはなかった。父の真実を知り、涙を流し尽くした獣の瞳は、今は澄んだ強さだけを湛えている。ティファが目を細めて微笑み、エアリスが小さく拍手をした。バレットは太い腕を組んだまま、満足げに頷いている。
(悪くない顔だ)
輪の端でその様子を眺めながら、義手の指先が無意識に袖口を撫でた。ナナキの変化は、単なる感傷では片付けられない重みを持っている。誇りを取り戻した者は、時に誇りに縛られる。その危うさも含めて、見届ける価値のある成長だった。
「じゃあ、これからは正式に『ナナキ』って呼べばいいのよね」
ユフィが確かめるように問うと、ナナキはくすぐったそうに鼻先を鳴らした。
「ああ。……悪くない響きだ、自分の名前ってやつは」
「かっこいい名前じゃないか」
クラウドが軽く笑いかけると、ナナキも尾を揺らして応じる。その気安いやり取りだけで、昨夜からの重苦しさがわずかに和らいだ気がした。
だが、その空気は長くは続かなかった。
広場の奥、老いた石段の上から、ゆっくりとした足音が近づいてくる。丸い乗り物に腰かけたブーゲンハーゲンだった。宙に浮かぶ様子はいつもどおりだが、その眼鏡の奥の瞳には、普段の飄々とした気配とは違う、確かな緊張が宿っていた。
「ナナキの試練は終わった」
その一言に、集落中の気配が一斉に静まる。
「……が」
言葉が切れた一拍の間に、広場の空気がわずかに張り詰めた。
「お主たち全員に、見せねばならぬ星の真実がある」
クラウドが眉を寄せる。ユフィが首を傾げ、ケット・シーが「なんやなんや、穏やかやないなあ」と肩の上で身を乗り出した。
「見せなきゃならない、って……もう一回、あの洞窟に?」
ティファの問いに、ブーゲンハーゲンはゆっくりと頷いた。
「ギ族の民の怨嗟は、セットーの真実だけでは終わらぬ。あの奥にはまだ、星の運命そのものに関わる伝承が眠っておる」
バレットが唸るように腕を解いた。
「星の運命だと……? 昨日ので終わりかと思ってたが」
「行けばわかる。……いや、行かねば、わからぬのじゃ」
ブーゲンハーゲンの声には、老人らしからぬ緊張が滲んでいた。伝えようとして伝えきれない何かを抱えている――その気配が、義手の内側でグリモアがわずかに脈打つように反応する感覚と共に伝わってくる。
(占い師でも聖職者でもない。ただ、知っている者の顔だ)
これまで幾度となく、情報を隠す者の顔を見てきた。ブーゲンハーゲンのそれは、隠す顔ではなく、告げる覚悟を固めている顔だった。両者の違いは、些細なようでいて決定的だ。
視線を巡らせると、クラウドが黙って頷き、剣の柄に手をかけていた。行かない、という選択肢は、はじめから誰の頭にもなかった。
「……わかった。案内してくれ」
クラウドの声に、ブーゲンハーゲンは静かに頷き、再び先頭を切って歩き出した。
旅支度を整える束の間、荷物を確認する振りをしながら、輪から少し離れた岩陰に身を寄せる。祭りの熱気が抜けきらない集落の喧騒が、遠く耳に届いていた。
(星の運命、か)
昨夜、老いた男から聞いた「わしら」という言葉が、まだ耳の奥にこびりついている。本流という組織の思惑と、これから聞かされる星の真実。二つの情報が、頭の中で別々の盤面として並んでいく。今はまだ、どちらも欠けたピースだらけの盤だった。
「ジュリアス、行くよ」
ナナキが声をかけてくる。感傷に浸る時間は、この旅には与えられていない。頷き返し、荷を担ぎ直して輪の中へと戻った。
谷の奥、ギ族の洞窟へと続く道は、記憶よりも重く沈んで感じられた。昨夜、セットーの石像と対峙した通路を通り抜け、さらに奥へ――今まで足を踏み入れたことのない階段が、闇の底へと続いている。
松明代わりの魔晄灯りが壁を照らすたび、彫り込まれた古い文様が浮かび上がっては消えていく。ギ族が刻んだと思しきそれらは、獣とも人ともつかない影絵の連続だった。
「……この彫刻、なんか見てるだけで胃が痛くなってくるんだけど」
ユフィが小声で漏らすと、エアリスも黙って頷いた。普段は物怖じしない二人が、そろって口数を減らしている。それだけで、この先に何が待っているのかを察するには十分だった。
先頭を歩くナナキの足取りに迷いはなかった。父の真実を知った者だけが持てる、静かな確信がその背中にある。
階段を下りきった先に広がっていたのは、天然の岩をくり抜いたとしか思えない、巨大な祭壇の間だった。壁面には無数の彫刻が刻まれ、中央には黒く艶めいた石の台座が据えられている。空気そのものが重く、まとわりつくような気配が肌を刺した。
「うわ……なにここ、めっちゃ嫌な感じがするんだけど」
ユフィが両腕をさすりながら後ずさる。エアリスもまた、普段の明るさを引っ込め、祭壇を見据えたまま動かない。
「……この場所」
「わたしも同じこと考えてた」
ティファが小声で応じる。エアリスの視線の先、台座の周囲に、薄く白い靄が立ち込め始めていた。
靄はやがて人の形を取り、幾つもの影となって祭壇の周囲に浮かび上がる。ギ族の亡霊たちだった。落ち窪んだ眼窩に、燃えるような怒りと、それ以上の悲しみを湛えて。
『我らが、生み出してしまった』
声とも呻きともつかない響きが、洞窟全体を震わせた。バレットが銃腕を構えかけ、それをジュリアスが視線だけで制する。
(武器で応じるものじゃない)
亡霊たちに敵意はない。あるのは、長い年月をかけて熟成した後悔だけだ。武力で黙らせようとすれば、ただ悲劇を上塗りするだけに終わる。
『星を滅ぼす禁断の力……あれは、我らの罪だ』
亡霊の一体が、台座を指し示すように腕を伸ばした。
『我らはかつて、星の力を極めんとした。無限の可能性を秘めた究極の力を、この手で生み出そうとした』
語る声が幾重にも重なり、それぞれが違う記憶を語っているようにも聞こえた。悔恨、恐怖、そして呪い。積み重なった感情の層が、洞窟の壁を震わせる。
「……なんで、そんなものを作ろうとしたんだよ」
バレットが低く問いかける。答えるように、亡霊の声がさらに重なった。
『星が涸れかけていた。恵みが薄れ、我らの技も、力も、及ばなくなっていく時代があった』
『だから、極限の力を求めた。星そのものを凌駕する力があれば、涸れた星を救えると信じた』
救いを求めて生み出した力が、逆に星そのものを滅ぼしかねない禁忌へと転じた――その皮肉に、誰もが言葉を失っていた。エアリスが胸の前で両手を握りしめ、俯く。
『だが、生まれたものは……星そのものを滅ぼしかねない、禁断の力だった』
『セトラが、それを奪った。奪って、神殿に隠した』
「黒マテリア……」
クラウドが呟いた声は、掠れていた。ジュリアスの中で、これまで断片的に集めてきた情報が音を立てて繋がっていく。神殿という言葉、星を滅ぼす力という響き――それはこれまで聞いてきたどの伝承よりも、はっきりとした輪郭を持っていた。
(神殿……どこの、何を指している)
まだ確証はない。手がかりと呼べる材料すら乏しい。だが、点と点が繋がりかけている感覚だけは、確かにあった。
『返してほしい……我らの過ちを、我らの手で終わらせたい』
亡霊たちの声が重なり、悲願とも呪いともつかない波となって祭壇を満たす。それは懇願であり、同時に、届くはずのない祈りでもあった。
ナナキが牙を鳴らし、うなり声を漏らした。
「その願い……おいらが聞き届けられるとは、言えない。けど」
ナナキは前に進み出て、祭壇に向かって頭を垂れた。
「あんたたちの罪も、悲しみも、忘れない。おいらの父さんが、たった一人でこの谷を守ったように――おいらたちも、星を守るために戦う。それだけは、約束する」
しばしの静寂の後、亡霊たちの輪郭がゆっくりと薄れていく。怒りの気配だけが、最後に微かな安堵に変わったように感じられたのは、気のせいではなかったはずだ。
祭壇の間に、再び静けさが戻った。誰もしばらく口を開かなかった。
「……とんでもないものを見せられたね」
エアリスが呟いたが、その声には普段の軽さがなかった。
「星を滅ぼす力、か」
バレットが低く漏らす。
「そんなもんが、まだどこかにあるってのか」
答える者は、この場にはいなかった。誰もが自分の中で、今しがた聞いた言葉を消化しようとしていた。
「神殿、って言ってたよね」
沈黙を破ったのは、ケット・シーだった。
「セトラが黒マテリアを隠した神殿……心当たり、あるんか?」
その問いに、答えられる者はいなかった。「神殿」がどこの何を指すのか、この場にいる誰にとっても未知の言葉だった。今はまだ、確信と呼べるほどの材料は揃っていない。
「今、断定できることは何もない。だが、覚えておく価値はある」
その一言に、それぞれが小さく頷いた。目的地はまだ定まらないが、探すべき手がかりの輪郭だけは、確かに増えていた。
洞窟を出るための階段を上っている最中、その空気を破るように、乾いた足音が乱れた。
「クラウド……?」
ティファの声に振り向くと、クラウドは壁に手をつき、肩で息をしていた。額には脂汗が浮かび、剣を支えにする手が小さく震えている。すぐさま歩み寄り、義手に仕込まれた解析機構をクラウドの首筋に向けた。数値上の異常は――やはり、これといって現れない。魔晄の反応でも、外傷でもない。原因を掴めないまま増していく頻度だけが、確かな悪化の証拠だった。
(ゴンガガ以降、明らかに間隔が短くなっている)
しばらくの間、クラウドは荒い呼吸を繰り返すだけだった。ティファがその背にそっと手を添える。ユフィやエアリスも、口を挟まずに見守っていた。誰もが、これが初めてではないことを知っている。
やがて呼吸が落ち着き、クラウドはゆっくりと壁から身を離した。
「……悪い。もう、大丈夫だ」
汗の滲んだ額を拭い、クラウドは何とか笑ってみせる。だが、その笑みがどこまで本物か、傍から見ても心許ないものだった。
「無理しないで」
ティファがそっとクラウドの背を支える。クラウドは苦笑しながらも、その手を拒まなかった。
「今、何を見た」
問いかけに、クラウドは一瞬言葉に詰まった。誤魔化しても無駄だと悟ったのか、やがて観念したように口を開く。
「……セフィロスだ」
その一言だけで、周囲の空気が張り詰めた。
「声は聞こえなかった。ただ、あいつが……笑ってるみたいだった。ここで、こうなることを、全部わかってたみたいに」
「場所は」
「わからない。景色は見えなかった。ただ、白い……いや、銀色の髪が、目の前で揺れて」
言葉を選びながら語るクラウドの様子から、記憶そのものが曖昧なまま焼き付いているのだと知れる。幻覚か、それとも何らかの意識の干渉か――今の段階では判別のしようがない。だが、頻度が増している以上、これを放置する猶予はもう残されていなかった。
(ゴンガガの魔晄炉以降、明確に悪化している。時間の問題だ)
「……大丈夫なの、クラウド」
エアリスが心配そうに顔を覗き込む。クラウドは小さく頷いたが、その頷き方には、自分自身を納得させるための無理が滲んでいた。
「大丈夫だ。まだ、俺は俺のままでいられてる」
その言葉に嘘はないだろう。だが、いつまで「まだ」が続くのか、誰も保証できない。だからこそ、答えを探す道はもう一本しかなかった。
一行が階段を上りきり、谷の外へと続く出口の光が見えてきた頃、その道の端に、黒いマントの人影が倒れているのが目に入った。
「クラウド、待て」
声をかけると同時に、警戒の姿勢を取る。バレットが銃口を向け、ユフィが息を呑んだ。だが、近づいてみれば、男に敵意を向ける力すら残っていないことがすぐに知れた。
痩せ細った身体は魔晄の光を帯びたように青白く、荒い呼吸だけが辛うじて生きている証を刻んでいる。露出した肌には、幾つもの古い傷痕と、そうでない不自然な変色が入り混じっていた。
「……この人も、頭巾の……」
ユフィが息を詰めて呟く。傍らに膝をつき、男の手首を取って脈を測る。異様に速い鼓動が、指先に伝わってきた。義手の解析機構を向けても、体内から返ってくる反応は判読不能なノイズにまみれている。これまで遭遇してきた黒マントの男たちと、同じ症状だった。
(生かしておくだけで精一杯……何のために、こんな姿になるまで動き続けていた)
男は虚ろな目でこちらを見上げ、何かを呟いた。
「……ニブルヘイム……」
それだけを言い残し、男はまた意識を失った。誰も、しばらく言葉を発せなかった。
「……あの村の名前が、こんなところで出てくるなんて」
ティファが押し殺した声で呟く。クラウドの顔からは、先ほどまでの痛みとは別の色の緊張が滲んでいた。
膝をつき、男の脈と呼吸を確かめる。命に別状はない。だが、意識が戻る保証もない。この場に留めても、連れていくにしても、答えを引き出せる状態ではなかった。
「集落の医者に預ける。今は、それしかできない」
その言葉に、誰も異を唱えなかった。バレットが黙って男の身体を担ぎ上げる。
沈黙を破るように、口を開く。
「以前、ジュノンで話したことを覚えているか」
クラウドが視線を上げる。
「お前とザックスが受けた実験について――ジェノバや、お前の身体に何が起きているのかを知るには、ニブルヘイムへ行くしかないと言った」
「……ああ」
「黒マントの足跡も、セフィロスの気配も、行き着く先は同じ場所だ。もう、遠回りをしている余裕はない」
「今の伝承と、この男……全部、繋がってるってことね」
エアリスが静かに言葉を継いだ。
「セフィロスがニブルヘイムに絡んでいるのは、間違いない。黒マテリアの行方を追うにしても、クラウドの身体のことを調べるにしても――全部、あの村に行き着く」
誰も異論を挟まなかった。それぞれの胸の内にある覚悟が、言葉よりも雄弁にその場を支配していた。
男を集落の医者に託し、旅支度を整え終える頃には、既に日が高く昇っていた。
「あの男の容態は、こちらで診ておこう。目を覚ましたら、知らせを送る」
ブーゲンハーゲンは丸眼鏡を押し上げながらそう告げた。
「ニブルヘイムへの道は、この谷を西へ抜け、そこから北へ向かうのが最短じゃ。だが……あの土地に足を踏み入れれば、星そのものが軋む音を聞くことになるじゃろう。心して行くがいい」
その言葉に含まれた重みを、誰もが黙って受け止めた。老人は何も語らず、ただ静かに一行を見送るように石段の上に佇んでいた。
谷の外縁、街道の始まりに立つと、遥か彼方に不気味な稜線が見える。ニブル山だった。かつて何もかもが焼き払われた土地。そこへ向かうことの意味を、この場にいる誰もが、それぞれの重さで抱えている。
「……行こう」
クラウドが、静かに、しかし固い声でそう言った。
「ニブルヘイムへ」
その一言に迷いはなかった。頭痛も、欠落した記憶への恐れも、全てを呑み込んだ上での意志だった。
「うん」
ティファが小さく頷き、隣に並ぶ。かつて幼い頃に共に駆けた故郷へ、今度は二人で戻る。その事実だけで、ティファの拳には静かな力が籠っていた。
「……なんか、みんな覚悟決めた顔してるね」
ユフィが場違いに明るい声で言いながらも、その表情には隠しきれない緊張があった。
「怖いなら、ここで待っていてもいい」
そう告げると、ユフィはむっとしたように頬を膨らませた。
「バカにしないでよ! アタシだって、ちゃんと仲間なんだから」
その返答に、微かに口の端が緩む。悪くない返事だった。
「それに、あんたたちだけ危ないとこ行かせて、アタシがのんびりお土産選んでるとか……ありえないし」
軽口に紛れているが、その瞳の奥には確かな覚悟が宿っている。ウータイという故郷を神羅に奪われた者として、この旅の先に何があるのかを、誰よりも切実に理解しているのかもしれなかった。
(甘さの残る覚悟だ。だが、悪くはない)
口には出さず、ただ小さく頷き返すだけに留めた。今はまだ、それで十分だった。
バレットが荷物を担ぎ直し、ナナキが誇らしげに一歩を踏み出す。ケット・シーも「わては地図係、任しとき」と軽口を叩きながら後に続いた。
(さて――)
一行の最後尾から、その背中を見送る形で歩き出す。故郷を焼かれた者たちの旅路の先に、また別の焼かれた故郷が待っている。皮肉としか言いようのない巡り合わせだが、皮肉に付き合うことにも、もう慣れていた。
風が強く吹き、赤い岩肌の谷を抜けていく。振り返れば、コスモキャニオンの街並みは、もう遠い輪郭になっていた。
遠くに聳えるニブル山のシルエットが、次第に大きく、重く、一行の視界を占めていく。
あの山の向こうに何が待っているのか、正確に言い当てられる者は誰もいない。宝条が刻んだ実験の記録も、セフィロスの狂気の根も、七年前に焼かれた村の真実も――全てが、あの稜線の先で答えを待っている。
(欠けたピースを、埋めに行くだけだ)
恐れがないと言えば嘘になる。だが、恐れを理由に足を止めるほど、この旅は生易しいものではなかった。むしろ今は、答えに近づいているという確かな手応えの方が勝っている。
全ての始まりであり、全ての答えが眠る場所へ――一行は、ゆっくりと足を進めていった。
黒マテリアが、リベレーションでどうなるのか……