FINAL FANTASY Ⅶ Revengers 作:オレンジⅩⅢ
薄闇の廊下を抜けた先、ヴィンセントに導かれるまま辿り着いた最奥の一室――そこが、目的の制御室だった。長らく人の出入りがなかったのか、床には埃が薄く積もり、足跡すら残らないほどだった。
制御室の扉は、思いのほかあっさりと開いた。
義手の指先が最後の接点をなぞると、鈍い電子音とともに壁一面のパネルが順に灯る。埃を被った端末の群れが、まるで長い眠りから覚めたように、それぞれの起動音を不揃いに響かせた。天井の照明が半分だけ点り、部屋の輪郭を薄闇の中に浮かび上がらせる。棚には資料の束が崩れかけたまま積まれ、床には割れたディスクの破片が散らばっていた。
眼前のモニタに視線を走らせ、流れ落ちるログの中から目当ての文字列だけを拾い上げていく。義手の指がキーの上を滑るたび、無機質な文字列が画面を埋め尽くしては消えていった。
「……あった」
低く呟いた声に、背後から覗き込んでいたユフィが息を詰めた。
「なに、なんかあったの?」
「これだ」
画面には、走り書きめいた報告書の断片が並んでいる。黒く塗り潰された行の合間に、辛うじて読み取れる単語がいくつか残されていた。日付は不揃いで、順序すらまともに保たれていない。
『黒マテリア』
『古代種の神殿』
「黒マテリア……古代種の……神殿?」
ティファが画面を覗き込み、声を落とす。バレットが銃腕を組んだまま眉を寄せた。
「聞いたことねえ地名だな」
「詳細は伏せられている。だが、この施設の記録が最終的にどこへ繋がるのか――手掛かりにはなる」
「わたしにも、はっきりとは分からない。でも……何となく、行かなきゃいけない気がするの」
エアリスが呟く。何かに耳を澄ますような、遠い目だった。以前のように確かな手応えを得ている様子はなく、ただの勘のようなものだと本人も分かっているのだろう。それでも、口にせずにはいられなかったようだった。
「……この部屋にある端末だけでも、二十を超える」
資料の山を軽く見回す。日誌、実験ログ、人事記録、資材台帳――棚の奥まで数えれば、優に千枚を超すだろう。
(全部読むには、時間が足りない)
内心の計算をよそに、端末の前に立ったまま口を開く。
「ここに残って、資料と端末を洗う。手間はかかるが、他に方法がない」
「アタシも手伝う」
即座に手を挙げたのはユフィだった。
「……あんた一人じゃ、絶対終わんないでしょ。それに――」
言葉を切り、ユフィはわずかに視線を逸らす。
「……別に、あんたがどんな顔して調べ物してんのか、ちょっと気になるだけだし」
「わても、乗るで」
続いてケット・シーが手を挙げた。いつもの軽い調子だったが、その目にはどこか真剣な色が滲んでいた。
「神羅がやってきたことを、ちゃんとこの目で見とかなあかん気がするんや。……なんでか自分でも、よう分からんけどな」
二人を見比べ、小さく頷く。
「分かった。二人には手伝ってもらう」
そして、他の面々へ視線を移す。
「クラウド、そっちは街へ戻って、いつでも出発できるように準備を進めておいてくれ。補給、情報収集――何でもいい。ここで手をこまねいているだけでは、時間の無駄になる」
「……分かった」
クラウドが短く頷いた。異論を挟む者はいない。ここまでの旅の中で、こういう采配に従うことにはもう慣れている。
「おいら、なんか手伝えることあるかな」
ナナキが低く唸るように言うと、バレットが肩を叩いた。
「村の連中に話を聞くだけでも十分だ。おめえの鼻なら、他の連中が気付かねえことにも気付けるかもしれねえ」
「うん……分かった」
エアリスも腕を組み、小さく頷く。
「わたしは、村の人たちの様子を見てくる。あの復興の裏に、何か引っかかるものがあった気がするの」
「ああ、頼む」
ティファがこちらへ視線を向けた。
「……無理はしないでね」
「善処する」
短い返答に、ティファは小さく苦笑した。それ以上は踏み込まず、準備班の面々へ向き直る。
一行が身支度を整え始めたそのとき、部屋の奥、崩れかけた棚の陰から、赤いマントが静かに動いた。ヴィンセントだった。誰に言うでもなく、低い声が響く。
「好きにするがいい」
「……お前はどうする」
こちらが問うと、ヴィンセントは長い沈黙のあと、僅かに視線を巡らせた。
「この屋敷には、まだ番人が知らぬ影がある。それを確かめてから決める」
それだけ言うと、赤いマントは奥の暗がりへと溶けるように消えていった。誰も、それ以上は追わなかった。
(まだ目覚めていないものがある――さっきのあの言葉、忘れたわけじゃない)
胸の内で、屋敷に足を踏み入れる前にヴィンセントが零した警告を反芻する。屋敷の番人が匂わせた「影」の正体は、まだ何も分かっていない。だが、今はそれを問い詰めるよりも、目の前の資料を紐解く方が先だった。
「……ま、あの人のペースに合わせてたらキリないっしょ」
ユフィが肩をすくめる。同意するように頷きつつ、すでに次の端末へと手を伸ばす。準備班の面々が階段の方へ向かう足音が、やがて遠く消えていく。残された地下室には、機械の駆動音と、紙をめくる乾いた音だけが響いていた。
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SIDE クラウド
村の広場に近づくにつれ、復興という名の作り物めいた光景がまた目に入ってくる。手入れの行き届いた花壇、真新しい看板、笑顔を貼り付けたような住民たち――どれもが、五年前の惨劇を覆い隠すための書割だった。
「……何度見ても、慣れねえな。この村」
バレットが吐き捨てるように言う。ナナキも低く唸り、地面の匂いを嗅いだ。
「作り物の匂いがする。花にも、土にも」
そのとき、広場の向こうから、聞き覚えのあるエンジン音が響いてきた。
バイクが一台、砂埃を巻き上げて滑り込んでくる。運転席から降り立ったのは、見慣れた男の姿――だが、その輪郭はどこかいびつだった。
「ローチェ……?」
ティファが息を呑む。かつて見た快活な笑みはそこになく、皮膚の下で何かが蠢くように、右腕から肩にかけて異様な隆起が浮かんでいた。血管が黒く浮き出て、目は虚ろに濁り、正気の光が薄い。バイクのエンジン音に混じって、獣のような荒い息遣いが聞こえてくる。
「マイフレンド……」
掠れた声が、それでも、忘れていないはずの呼び名を紡いだ。
「まだだ……まだ、終わってねえ……この胸の高鳴りは……嘘じゃねえ」
「ローチェ、お前……その体――」
「速さこそが……美しさだ……お前と競う、この一瞬こそが……!」
かつてのローチェなら、バイクを駆りながら気取った台詞の一つも添えたのだろう。だが今は、その言葉すら己の内側から溢れる衝動に押し流されているようだった。
言葉は所々で千切れ、獣じみた唸りにかき消される。それでも尚、かつての気障な口上を捨てきれずにいるのが分かった。ローチェは咆哮のような声とともに突進した。とっさにクラウドが剣を構える。鈍く重い一撃が、大剣の腹を叩いた。
「……ッ!」
以前の彼とは比べ物にならない膂力だった。踏みしめた足元の地面が、抉れるように陥没する。バレットが銃腕を構えかけたが、クラウドが片手で制した。
「待ってくれ……これは、俺がやる」
その声に、バレットは渋々ながらも武器を下ろした。動きは直線的で、隙は多い。何度も打ち合ううち、クラウドはその剣筋の奥に、まだ辛うじて残る「勝負がしたい」という一心を見た気がした。かつて、同じ空の下で刃を交わしていた男の面影が、崩れかけた輪郭の隙間から覗く。
振り下ろされる拳を紙一重で躱し、返す刃で肩口を浅く斬る。ローチェの動きが一瞬止まり、濁った目がクラウドを捉えた。その奥に、ほんの刹那だけ、正気の色が過ぎった気がした。
「……クラウド……お前と、走りたかった……もっと……」
言葉にならない何かを吐き出そうとして、それもまた獣じみた唸り声にかき消される。
「……分かった」
低く呟き、剣を構え直す。
「受けてやる。だから――終わらせよう」
砂埃の中、幾度目かの斬撃が交錯する。ローチェの膂力は衰える気配を見せなかったが、動きそのものは次第に単調さを増していった。獣に近づくほど、技は失われていく――その事実が、クラウドの胸を余計に締め付けた。
最後の一合は、あっけないほど静かだった。振り抜いた刃が、ローチェの得物を弾き飛ばす。膝から崩れ落ちた体は、痙攣するように震え、やがて完全に動きを止めた。
その顔から、表情と呼べるものが消えていく。目の光が失われ、輪郭が黒く滲むように変わっていった。あとに残ったのは、屋敷の地下で見たあの姿――黒マントの、何も語らぬ影だった。
「……ッ」
クラウドは息を呑んだまま、動けずにいた。頭の奥で、鈍い痛みがずきりと疼く。視界の端が一瞬、白く霞んだ。
(自分も……いつか、こうなるのか)
膝が笑いそうになるのを、剣を杖代わりに支える。その肩に、ティファの手がそっと乗った。
「クラウド」
「……大丈夫だ」
答える声は、自分でも驚くほど掠れていた。バレットは銃腕を下ろしたまま、黒く沈んだ残骸を睨みつけていた。
「……こんなもん、二度と見たくねえな」
低く吐き捨てるその声には、怒りとも悲しみともつかない色が混じっていた。ナナキが低く唸り、黒く変わり果てたローチェの残骸に近づいて鼻を鳴らす。
「……もう、何も感じねえ。魂の匂いすら、しねえよ」
その言葉に、誰も何も返せなかった。
離れた場所で、その一部始終を見ていた人影があった。
(……アマンダ)
クラウドの脳裏に、訓練兵時代の記憶が微かに過ぎる。座学でも実技でも常に首席だった彼女とは、あの頃から顔なじみだ。今度はこちらが相手か――そう思っていた矢先、当のアマンダが、ゆっくりと近づいてくる。表情は硬く、視線はローチェだった影を一度だけ見て、それきり逸らされた。
「……こんな姿になるまで、実験に付き合わされてたなんてね」
アマンダが吐き捨てるように言った。声には、これまでにない翳りが混じっていた。
「アマンダ……」
クラウドが名を呼ぶと、アマンダは短く首を振った。
「聞かなくていい。神羅がどういう組織か、今ので嫌ってほどよく分かった」
一度言葉を切り、アマンダはクラウドとティファへ視線を移す。寄り添うように立つ二人を見て、その口元が僅かに緩んだ――皮肉ではなく、どこか懐かしむような表情だった。
「……相変わらず、世話が焼けそうな組み合わせね」
「アマンダ、お前……」
「別に、悪い意味じゃない」
アマンダは小さく肩をすくめた。
「……で、ジュリアスはどこに行ったの?」
「ジュリアスなら、資料を調べてる。まだしばらくかかりそうだ」
クラウドが答えると、アマンダは呆れたように鼻を鳴らした。
「相変わらず、面倒くさいやつ」
そう言いながらも、声に険はなかった。同じ釜の飯を食った仲だという事実は、今も変わらない。
「頼みがある」
クラウドが切り出すと、アマンダは片眉を上げた。
「頼み……?」
「ジュリアスが神羅屋敷で調査する時間を稼ぎたいんだ」
アマンダはしばらく黙ってクラウドを見つめ、やがて小さく息を吐いた。
「……良いわ」
「手伝ってくれるの?」
ティファが驚いたように問うと、アマンダは肩をすくめた。
「体裁としては、この周辺の調査の名目で――ソルジャーの私が、あんたたちを現地協力者として一時的に雇った形にすればいい。それなら、村の役人も多少は誤魔化せるでしょう。さっきのローチェとの戦闘の言い訳も、こっちでかんがえておくわ」
「……ありがとう」
「勘違いしないで。あんたたちのためって訳じゃない」
一瞬、視線が揺れた。何か言いたげに開きかけた唇は、結局、別の言葉を紡ぐことなく閉じられる。
そう言い切って、アマンダは背を向けた。数歩進んだところで、一度だけ足を止める。
「……いいから、さっさと決着つけなさいよ。全部」
振り返らないまま、バイクのエンジンをふかし、風のように走り去っていった。残された砂埃の中、クラウドとティファはしばらく黙って立ち尽くしていた。
しばらくして、ようやくティファが口を開いた。
「あの人……本当は、優しいのかもね」
「……ああ。昔から、口ほどには悪いやつじゃなかった」
クラウドは静かにそう答えた。訓練兵時代、彼女がどんな顔で自分たちを見ていたのか――今になって、少しだけ分かる気がした。
広場の方から、バレットの大きな声が響いてくる。
「おい、こっちだ! 村の連中から、ちっとばかり面白え話が聞けたぜ!」
「……行こうか」
砂埃の残り香だけが、しばらく足元に漂っていた。
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制御灯の明滅する地下書庫に戻ると、資料の山は先刻よりもさらに高くなっていた。椅子にも座らず、立ったまま次々とページをめくり、義手の指先で端末の入力を並行してこなしていく。積み上げられた資料は、日誌、報告書、写真の断片――一枚として同じ形式のものはなく、整理する手間だけでも気が遠くなるほどだった。
「はい、差し入れ」
ユフィが携行食の包みを机の端に置いた。ケット・シーも小さな水筒を掲げてみせる。
「一応、栄養補給しときや。まあこの様子やと、食う暇もなさそうやけど」
「……進捗、どう?」
ユフィの問いに、資料から目を離さないまま答える。
「芳しくない」
「え」
「ここにある記録の大半は、研究員個人のメモや日記の域を出ない。感情的な走り書きや、断片的な数値ばかりで、核心に触れた明確な報告がほとんど残っていない」
ページをめくる手は止めず、分割した思考で続ける。
「肝心な部分は、宝条が意図的に処分したか――あるいは最初から、書面に残さなかった可能性が高い。あの男の頭の中にしか、答えがないのかもしれない」
「じゃあ、余計に見つかりっこないじゃん……」
「だからこそ、散らばった断片を拾い集める必要がある。日記の日付、記録の齟齬、削除された痕跡そのものから、何が消されたのかを逆算する。どうしても時間はかかる」
そう言った端から、義手が新たなファイルへ触れ、両の眼球が信じられない速さで文字列の海を流れていく。一冊、また一冊と、資料の山が机の反対側へ積み上がっていった。ページを繰る音だけが、規則正しいリズムを刻んでいる。
「……ねぇ」
ユフィがケット・シーと顔を見合わせる。
「今、『時間がかかる』って言ってたよね?」
「言うてましたな」
「今の動き、時間かかってる人の動きに見える……?」
義手が乾いた音を立てて頁を繰り、瞳が文字の羅列を追う速度は、人の目で追える域をとうに超えていた。ものの数秒で一冊を読み終え、次の一冊へ手を伸ばす。淡々とした声と、化け物じみた処理速度――そのギャップに、二人はそろって一歩後ずさる。
「な、なあ……この人、ホンマに人間なんか……?」
「知らない……知らないけど、今それ聞いちゃダメな気がする……」
「集中を乱さないでくれると助かる」
抑揚のない声で釘を刺すと、二人は慌てて口を噤んだ。それでも視線だけは、その異様な速度から離れられずにいた。
「……ほんま、規格外やなあ」
ケット・シーが半ば呆れたように呟く。積み上げられていく既読の資料と、まだ手つかずの山とを見比べ、その差が刻一刻と詰まっていく様子に、二人はただ黙って見守るしかなかった。
資料をめくる音だけが延々と続く部屋の隅で、ユフィは床に座り込み、携行食の包みを開けていた。
「……ねえ、ケット・シー。準備班のみんな、今頃何やってるかな」
「さあなあ。クラウドはんのことやし、村をうろついとるだけちゃうか」
「暇そうでいいなー……こっちは埃まみれなのに」
そう言いながらも、ユフィの視線は時折、資料の山と格闘するジュリアスの背中へ向けられていた。表情には出さないが、その横顔にはどこか案じるような色が滲んでいる。ケット・シーはそれに気付いたのか、ふっと目を細めた。
「心配なんやったら、素直にそう言うたらええのに」
「べ、別に心配なんかしてないし!」
慌てて否定するユフィに、ケット・シーは肩をすくめるだけで、それ以上は何も言わなかった。
静かに戸口の陰から現れたのは、ヴィンセントだった。マントの裾が、床に散らばった紙片を微かに揺らす。
「そもそも……お前達は何者だ? 特にお前は、タークスの関係者か?」
低い問いが、資料をめくる手を止めさせた。顔を上げ、赤い瞳を見返す。
「そうだな……。色々あるが、神羅のケツを蹴り上げ、セフィロスという共通の敵と戦うための仲間と言っておこう。それと、俺も元タークスだった。反神羅のスパイだがな」
「そうか」
短く応じたヴィンセントの声に、驚きの色はなかった。
「お前らの先に、セフィロスがいるんだな。なら、協力しよう。俺の贖罪のためにも」
「生きる伝説の協力か、頼もしい」
「……その呼び名はやめろ」
低く釘を刺すヴィンセントに、ジュリアスは僅かに口の端を上げた――ように、ユフィには見えた。
「正式に同行する、ということでいいの?」
「ああ」
短いやり取りだけで、それ以上の言葉は要らなかった。ヴィンセントは部屋の隅に佇み、静かに目を閉じる。その気配は、まるで最初からそこにいたかのように、部屋の空気に馴染んでいった。
その様子を見ていたユフィが、小声でケット・シーに耳打ちする。
「……なんか、思ってたよりまともな人じゃない」
「せやなあ。まあ、あの見た目でびっくりはしたけどな」
棚の資料は、少しずつだが確実に減っていった。読み終えた束は右手の空いた棚へ、まだ手つかずの束は左手の机へ――自分の周りだけ、いつの間にか整然とした秩序が生まれている。時折、義手の関節が軋むような音を立てた。酷使の代償は、確実に蓄積していた。
「……あの人、まばたきの回数まで減ってない?」
「見んほうがええで、ユフィはん。ああいうんは、見すぎるとこっちの調子まで狂う」
ケット・シーが半ば本気で忠告する。ユフィは苦笑しながらも、視線をどうしても外せずにいた。
それから、どれほどの時間が過ぎただろうか。ユフィ経由で知ったアマンダが稼いだ猶予と、自分の尋常でない読解速度が重なり合った結果、ばらばらだった断片が一つの形を結び始めた。窓のない部屋の中で、時間の感覚はとうに失われていた。ユフィが何度目かの欠伸を噛み殺し、ケット・シーが壁にもたれてうとうとし始めた頃――
「……見えた」
呟きに、ユフィが弾かれたように顔を上げる。
「ソルジャーの生成原理――魔晄と、ジェノバ細胞の適合実験。適合率が一定を超えなかった被験体は、精神と肉体の均衡を失い、崩壊していく。行き着く先が――黒マントだ」
「それって、クラウド達から聞いた……ローチェの……」
「ああ。適合の失敗例と見ていいだろう。ニブルヘイム事件についても、記録の欠落と改竄の痕跡が一致した。当時、現地の後処理に当たっていたのはタークス――事件そのものが、組織的に隠蔽されている」
さらにページをめくる手が、一瞬だけ止まる。
「……古代種の神殿という単語も、この文脈の中に出てくる。黒マテリアの保管場所を示唆する記述と併記されていた。おそらく、宝条もセフィロスも、同じ場所を目指している」
「じゃあ、そこに行けば……」
「黒マテリアの正体、又は居場所が分かる。同時に、セフィロスとも鉢合わせる可能性が高い」
淡々とした声に、ユフィとケット・シーは思わず顔を見合わせた。だが、こちらの視線はまだ資料から離さない。
淡々と紡がれていた声が、そこで初めて、僅かに震えたのを自覚した。
「黒マントの男たちの正体も、これで繋がった。適合率の低かった被験体を、宝条は廃棄せず、別の実験系列に転用していた。今もどこかを彷徨っている連中は、その生き残りだ」
「あの人たちも……被害者、ってこと……?」
ユフィの声が、僅かに掠れる。その問いには答えず、ただ次のページへと視線を移した。
「クラウドとザックスに行われた実験の内容も、断片から復元できた。二人は、宝条の――」
言葉が、そこで途切れた。手にしていた資料が、静かに震えている。
資料をめくっていた手が、ふと止まる。乱れた呼吸を整えるように、一度だけ目を閉じる。
「……ふざけるな」
低い声だった。だが、その奥に燻っていた何かが、堰を切ったように溢れ出す。
「人を、道具としか思っていない。実験体の数だけ並べて、失敗すれば処分する。それだけの記録が、何百枚も――」
拳を、机に叩きつけた。積み上げられていた資料の山が崩れ、紙片が舞い散る。散らばった紙の一枚が、宙をひらひらと舞ってから床に落ちた。
「これのために……これのために、何十人も、何百人もの人生が――」
「ちょ、ちょっと……!」
「ジュリアスはん、落ち着いてや……!」
普段は感情の起伏を見せないようにしていた。だが、この激しい怒りを隠すことは出来なかった。その落差に、ユフィとケット・シーは慌てて両側から腕を掴んだ。
「なだめても……無駄だ」
「無駄でもや! 今のアンタ、目ェ据わってもうてるで!」
「頼むから、落ち着いて……!」
叩き割らんばかりに机へ振り下ろしかけた拳が、二人の腕の中で、辛うじて止まる。荒い息の下、目を閉じ、長く息を吐いた。だがその瞳の奥にはまだ、消えない怒りの火が燻っていた。
部屋の隅で、その様子を見ていたヴィンセントが、静かに口を開いた。
「……お前のその怒りは、まだ使い道がある。今、ここで使い果たすものではない」
その一言に、肩から少しだけ力が抜ける。深く息を吐き、崩れた資料の山を見下ろした。
「……悪かった」
「別に、謝ることじゃないし……」
ユフィが小さく呟く。ケット・シーは、床に散らばった紙片を一枚一枚拾い集めながら、誰にともなく呟いた。
「けど……ホンマに、酷い話やな」
やがて、自分も崩れた資料を一枚ずつ拾い集め、机の上へ丁寧に積み直していく。その手つきは、先刻までの怒りが嘘のように静かだった。
「……悪いが、続けさせてもらう。ここで止まるわけにはいかない」
「無理せんといてな。アンタが倒れたら、元も子もないんやから」
ケット・シーの言葉に、小さく頷くだけで答えた。ユフィは、その横顔をしばらく見つめてから、そっと自分の分の携行食を差し出す。
「……はい。ちゃんと、少しは食べて」
「……ああ」
珍しく、素直な返事だった。
携行食を一口齧りながら、崩れた資料の山を見つめた。この部屋に眠る記録の数々は、これまで積み上げてきた復讐の輪郭を、また一段と鮮明にしていく。憎しみを燃料に進んできた道のりの果てに、今度は何が待っているのか――それを考えるのは、今この瞬間ではない。
窓のない部屋に、しばらくの沈黙が落ちた。散らばった紙の束の向こうで、まだ照らされていない端末の光が、静かに点滅を続けている。その光の一つ一つの奥に、まだ暴かれていない何かが眠っているのだろう。
(古代種の神殿――そこに、答えがある)
遠くから微かに聞こえる駆動音が、まるで施設全体の鼓動のように響いている。まだ何も終わっていない――それだけは、確かだった。
内心で呟いたその言葉は、誰の耳にも届かないまま、機械の駆動音に紛れて消えていった。