FINAL FANTASY Ⅶ Revengers 作:オレンジⅩⅢ
冷たい奔流が全身を貫いていく感覚とともに、意識が暗闇の底へ引きずり込まれていく。
(沈むな……!)
胸の奥で、誰かが吼えるように叫んでいる。だが手足はどこにも見当たらず、踏ん張ることも、掻き分けることもできない。ただ意識だけが、圧し掛かる闇の重みに爪を立てるようにして、必死に抗っていた。
左肩から先にぽっかりと空いた途方もない空白と、潰れた左目がもたらす絶対的な暗黒、そして全身を炙り尽くすような激痛――それらすべてに、しがみつくようにして踏み留まる。手放せば、そのまま闇に溶けて消えてしまう。それだけは、理屈より先に、本能そのものが激しく拒んでいた。
(……まだだ。まだ、終われない……)
歯を食いしばるように、闇の中で意識を引き結ぶ。神羅を、この不条理な世界そのものを打ち砕くための道具でいるつもりだった。感情も、恐れも、迷いさえも切り捨て、壊すことだけを己に課し、その先にある痛みも代償も、すべて引き受けるつもりでいた。それが、失った者たちへの唯一の贖いだと、これまでずっと信じてきたはずだった。
だが今、その道具は無様に転がり、指一本まともに動かすことすらできずにいる。悔しさだけが、闇の中でひりつくように募っていく。こんな場所で朽ちるために、これまで積み上げてきたわけではない。
脳裏に、途切れ途切れの光景が浮かんでは消える。
振り上げられた鉤爪。マテリアキーパーの巨体が影を落とす瞬間、視界の端でユフィの背が無防備に晒されているのが見えた。声を上げる暇すらなかった。踏み込んだ足が地を蹴る感触、義手を盾のように掲げた刹那、灼けるような激痛と、砕け散るグリモアの不協和音。誰かが自分の名を叫んでいた気がする。それが誰の声だったのか、今はもう思い出せない。
続けて、もっと以前の記憶が滲むように浮かび上がってくる。神羅ビル、訓練場の片隅で座学に手こずるクラウドへ計算式を教えた午後。初めて素性を明かした夜、疑いの目を隠さなかったヴィンセントの視線。屋敷の地下書庫で、解析結果に絶句したユフィとケット・シーの顔。野営中の警戒を手伝おうと、無言で毛布を持ってきたティファの気遣い。バレットが不器用に差し出した携帯食料の味――どれも、道具のままでは決して得られなかったはずの温度だった。
クラウド、ティファ、バレット、ナナキ、ヴィンセント、ケット・シー。ここまで肩を並べてきた顔ぶれが、次々と脳裏をよぎっては闇に呑まれていく。あの仲間たちの足を引っ張ることだけは避けたかった。神羅の情報網を出し抜き、幾度となく死線を掻い潜り、盤面を読み違えぬことこそが己の存在価値だと信じてきた。それなのに、たった一度の判断の遅れで、己の身は既に半分以上使い物にならなくなっている。
(それでも……ここで消えるわけには、いかない)
闇が四肢を絡め取ろうとする感覚に、渾身の力で抗う。爪を立てる指すらないというのに、意識だけは光の方角を求めて藻掻き続けていた。壊すことしかしてこなかった手だ。それでも、その手を今ここで手放すことだけは、何かが激しく拒んでいる。
ふと、脳裏を過ったのは、屋敷の地下書庫でユフィが零した一言だった。「ジュリアスがいないと調子狂うんだよね」――軽口めいた響きの奥に、確かな信頼があった。あの声を、二度と聞けなくなってもいいのか。そう自らに問うた途端、抗う意志がわずかに強くなった気がした。
味方も、敵も、もはや区別する意味すら失われていくような、際限のない沈黙が四方から押し寄せてくる。それでも、沈むまいとする意志の欠片だけが、闇の底で小さく光を放ち続けていた。
名前すら、とうに捨てたはずだった。ジュリアス・キングズレイという名をも隠し、感情の一切を凍らせて「ゼロ」という記号になった、あの日から。何も持たない、何も背負わない、ただ盤面を動かすだけの駒であれば、これほど惨めな思いをすることもなかったはずだ。それでも――このまま闇に呑まれてなるものかと、記号のはずの自分の中で、何かがまだ激しく牙を剥いていた。
(駒でいるだけなら、とうに壊れて終わっていたはずだ。なのに、まだ何かが、この場所にしがみついている)
その正体が何であるのか、闇の中では答えが出せなかった。ただ、抗う意志だけが、途切れそうになる度に息を吹き返す。
――お兄様
暗闇を裂くように、澄んだ声が響いた。
気がつくと、視界を塗り潰していた漆黒はいつの間にか消え去り、代わりに白く眩い光に満ちた花畑が広がっていた。どこか懐かしい風が頬を撫でる。故郷、ウータイの郊外で目にした景色と重なる、柔らかな風だった。遠くで、名も知らぬ鳥が鳴いている。丘の稜線も、揺れる草花の匂いも、記憶の底にしまい込んでいたはずのものばかりだった。
花畑の真ん中に、小さな影が立っていた。亡き妹――ナナリーだった。記憶の中の姿より少しだけ幼く、けれどあの日と変わらない澄んだ瞳をしている。
傷つき果てた姿をじっと見つめ、ナナリーは哀しげに、けれど慈しむように首を振った。
「お兄様……どうして、そんなに傷ついているの? どうして、そこまで自分を痛めつけるの?」
「ナナリー……」
声を絞り出そうとするが、言葉が喉の奥につかえて出てこない。ようやく押し出した声は、自分でも驚くほど掠れて震えていた。
短い時間しか共に過ごせなかった。それでも、あの数年の記憶だけは、どんな汚れにも塗り潰されず胸の奥に残り続けている。
小さな手を引いて畦道を歩いた朝があった。まだたどたどしかった口が、初めて「兄様」と紡いだ瞬間があった。拙い手つきで摘んだ野花を、得意げに差し出してきた昼下がりがあった。眠れないと縋ってきた小さな身体を、夜通しそばで見守っていたこともあった。熱を出して魘されるナナリーの額に、濡らした布を当て続けた明け方もあった。片言の歌を一緒に口ずさみながら、粗末な寝床で肩を寄せ合って眠った夜もあった。そして――炎に包まれ崩れていく家の輪郭、母の声、抱き上げて走った夜の記憶。そのすべてが、今もこの胸を焼く。
「世界も、神羅も……許すわけにはいかない。俺の手は、もう汚れきっているんだ。修羅の道を行くしか、ない」
ナナリーが静かに歩み寄ってくる。裸足で踏む花畑には、足音ひとつ立たなかった。
「私は、お兄様たちと暮らせて幸せでした」
小さな声だったが、迷いはなかった。
「あの家も、あの畑も、みんな焼けてしまったけど……お兄様と一緒に過ごした時間だけは、ずっとあったかいままでした」
込み上げるものを堪えるように、俯く。何も答えられなかった。
「お兄様がおんぶして、山道を走ってくれた時のこと、私、今でも覚えてます」
ナナリーがふと、微笑みながら続けた。
「怖かったはずなのに、お兄様の背中があったかくて……不思議と、安心できたことを」
「それでも、守り切れなかった」
「ううん」
ナナリーは首を振る。
「あの時までは、確かに守ってくれた。それだけで、私は十分幸せでした」
「幸せ、か……」
その言葉が、ひどく遠いものに思えた。
「俺は、お前を守り切れなかった代わりに、憎むことだけを覚えた。神羅を、この世界の理不尽さを、恨み続けることだけが、俺にできる唯一のことだったんだ」
「お兄様は、恨むことしか知らなかったんじゃありません」
ナナリーが、穏やかに首を振る。
「私を庇って泣いてくれたことも、隠れ家で私を笑わせようと変な顔をしてくれたことも、ぜんぶ覚えてる。お兄様は、ちゃんと優しかったんです。今も、きっとそうなんだと思う」
思いがけない言葉に、喉の奥が詰まった。優しさなど、とうに擦り切れて消えたはずだった。だが、ナナリーの瞳に映る自分は、そのすべてを覚えているというように、澄んだままだった。
「だから……お兄様の行く道が、そんなに苦しいものであってほしくない。本当は、誰よりも優しいお兄様でいてほしいのに」
「優しい、道……?」
続く言葉に、身体が固まる。修羅として生きることを己に課し、情を切り捨てることでようやく前へ進めてきた身に、そんな道を選ぶ資格などあるはずがなかった。
「俺は、お前と母さんを残して生き残った。あの日から、何一つ変わっていない。ただ、汚れる先が増えただけだ」
ナナリーは何も言わず、ただ悲しげに瞬きをした。その沈黙が、かえって胸に突き刺さる。
「もう、戻れないんだ」
俯いたまま、声を落とす。
「俺の罪と身勝手な打算のせいで、多くの犠牲を出した。仲間の未来まで、この手で巻き込んでいる。そんな俺に、優しさなど――」
自責の闇へ、再び逃げ込もうとした瞬間だった。
「――いつまで、辛気臭い面してんのよ、バカ!」
パシンと、頭に鋭い痛みが走った。
驚いて振り返ると、腕を組んで仁王立ちする女の姿があった。見覚えのある不敵な笑み、そして苛立たしげに吊り上がった眉。かつての同僚、リーシャだった。
「リーシャ……!? なぜ、お前が……ここに……」
「ジュリアス!」
言葉を遮るように、リーシャが一喝する。
「死の責任だの罪だの、御大層な言葉並べちゃって。いつまで自分の闇に逃げ込んでるつもりよ!」
呆れたように、それでいて奥に激しい怒りを滲ませてリーシャが叫ぶ。あまりの剣幕に、言葉を失った。
「なぜだ……なぜお前が、俺のこれまでの行いや、葛藤を知っている」
「言ったでしょ、あっちに還ったって」
「いつの話だ!」
リーシャは腰に手を当て、真っ直ぐにこちらを見据える。
「ライフストリームの中で、ずっとあんたの悪戦苦闘を見てたのよ!」
息を呑む間もなく、言葉は続いた。
「不器用に一人で抱え込んで、誰にも頼らず、バカみたいにボロボロになってさ。見てるこっちが、どれだけ歯痒かったか分かる?」
星の記憶の中で、彼女はずっと見ていたのだ。己の知らない場所から、この不様な足掻きの一部始終を。そう理解した瞬間、返す言葉が見つからなくなった。
「あんたがタークスとして神羅の部隊を率いてた頃、隠れて泣いてた夜があったこと、知ってるんだからね」
それは、彼女が死んでからの記憶……。
リーシャの声が、少しだけ柔らかくなる。
「誰にも弱音を吐かず、部下の前ではいつも涼しい顔してさ。でも、一人になった途端に、崩れ落ちるみたいに項垂れてたの、あたしは知ってる」
見られていたのか――羞恥と驚きが同時に胸を突く。何も言えずにいると、リーシャは小さく肩をすくめた。
「別に、責めてるんじゃないの。ただ、あんたが誰よりも人間らしく足掻いてたってことを、忘れないでほしいだけ」
「お前を死なせた責任は、俺にある。それを、今更どの面で……」
「はいはい、それもいつもの台詞ね」
リーシャは軽く肩をすくめ、呆れたように息を吐く。
「あんたが何もかも一人で背負い込んで、勝手に罰を与えようとするその癖、昔から一つも直ってないんだから」
図星を突かれ、言葉に詰まる。
「あんたがどんな顔して仕事してたか、今でも覚えてる。誰よりも冷静で、誰よりも正確で――でも、誰も信じようとしなかった。任務が終わるたびに、一人でどこかへ消えてさ。あの頃から、ずっとそうだった」
懐かしむような、それでいてどこか切ない声だった。
「あんたが自分の名前を捨てて、ただの記号になろうとしてたのも、ずっとそばで見てた。意識しかないから余計に悲しかったよ、それ」
初めて、リーシャの声から刺々しさが抜けた。
「感情も、痛みも、全部凍らせて『ゼロ』になれば、確かに楽だったかもしれない。でも、それじゃ守りたいものすら守れやしないでしょ。今のあんたが、それを一番よく分かってるはずよ」
図星を突かれ、返す言葉がなかった。しばしの沈黙の後、リーシャは表情を改める。
「一回、失敗したからって何よ。諦めちゃダメ」
リーシャはずかずかと歩み寄ると、胸元を指で強く突いた。
「あんたが壊したいのは神羅であって、あんた自身じゃないでしょ。なのに、そうやって自分の存在まで一緒に磨り潰そうとしてる。それは違う」
「だが……俺のような人間が、この先も生きていていいのか。誰かを守るたび、誰かを危険に晒す。その繰り返しじゃないか」
震える声で問うと、リーシャは初めて、少しだけ表情を和らげた。
「守れなかったことも、間に合わなかったことも、あんたはこれから先もきっとあるでしょうよ。それでも」
一拍置いて、続ける。
「誰かが誰かに優しくできる世界を作りたいなら……その世界の中に、貴方もいなきゃダメなの。
壊す責任を果たすつもりなら、その先の幸せも全部背負って生きてみなさいよ。逃げるのは、死ぬことじゃない。生きて、答え続けることの方がよっぽど難しいの」
言葉の一つひとつが、固く縮こまっていた胸の奥に染み込んでいく。何かが、少しだけ緩んでいく感覚があった。
「今のあんたには、隣を歩いてくれる仲間がいるんでしょう?」
リーシャが、ふと優しい声で問いかける。
「だったら、その手を離しちゃダメ。一人で抱え込む道と、誰かと一緒に歩く道――あんたはもう、選べるはずなんだから」
答える代わりに、拳を固く握りしめた。痛みは、まだ消えていない。それでも、闇に沈もうとしていた足は、いつの間にか止まっていた。
「不細工な顔ね、相変わらず」
場を和ませるように、リーシャがくすりと笑う。
「昔から、辛いことがあると余計に不機嫌な顔になるのよ、あんた。分かりやすいったら」
「……うるさい」
思わず零れた反論に、リーシャは声を上げて笑った。屈託のない、けれどどこか胸に染みる笑い方だった。
背後から、ナナリーがそっと背中に手を添える気配がした。
「行って、ルルーシュお兄様。私の優しいルルーシュお兄様としても、お仲間の皆さんと一緒のジュリアスとしても、生きて幸せになって」
「私は、これからもずっと見てるから。優しいジュリアスのこと」
ふたりの手が同時に、その背を力強く押し出す。柔らかく、けれど確かな力だった。
「返事は?」
リーシャが、いつもの調子で片眉を上げてみせた。
「……分かった」
搾り出すように、それだけを口にする。
「上出来」
リーシャが、ようやく笑った。昔と変わらない、少し勝ち気な笑みだった。
眩い光が視界を覆い尽くし、闇の底に沈んでいた意識が急速に浮かび上がっていく感覚があった。花畑も、ふたりの姿も、光の奔流の中へ溶けるように消えていく。
(誰かに、優しくできる世界を――)
その言葉だけが、光の中で繰り返し木霊していた。
「――っ……!」
喉の奥から漏れた自分の声で、意識が現実へと引き戻された。
荒い息とともに瞼を開く。左目の視界は、相変わらず絶対的な暗闇に閉ざされたままだった。右目だけで捉えたのは、見覚えのないウータイ病院の天井だ。
左肩から先――かつて義手を接続していた領域の感覚は、根こそぎ消え去っている。首を巡らせると、戦闘で粉砕・暴走した義手側は既に取り外され、傍らの棚に残骸として置かれているのが目に入った。左肩に残っているのは、受入側のメカニカルな接合ソケットだけだった。
「ジュリアス……! 気がついたの!?」
傍らの椅子に座っていたエアリスが、弾かれたように立ち上がる。
「丸一日……ううん、それ以上、ずっと手術してたんだよ」
短く息を整えながら、エアリスが続けた。
「みんなは、ユフィを探しに街へ出てる。もうすぐ戻ってくるはずだから」
言葉の意味を咀嚼する間もなく、騒ぎを聞きつけた執刀医が病室へ入ってくる。
「意識が戻ったか。だが、楽観はできんぞ」
医師は淡々と、しかし重い声で告げた。
「左目の視力は完全に失われた。削ぎ落とされた身頃や欠損した組織を元通りにし、皮膚の美観も含めて復元するには――培養した人工皮膚の移植を伴う、月単位の再生治療が必要になる」
「人工皮膚の移植、だと……?」
低く呟き、残された右目で医師を射すくめた。
「そんな悠長な治療を待っている余裕は、俺にはない」
「な……何を言っているんだ!?」
医師が眉を吊り上げる。構わず、言葉を継いだ。
「神経と筋繊維さえ、最低限繋がっていればいい。外皮の再生治療は取りやめろ。強力な回復魔法と外科処置で、動くことだけを最優先に、今すぐ傷口を縫い合わせろ」
「正気か!? そんな治療をすれば、下手をすれば後遺症が残りかねないぞ!」
医師が声を張り上げる。それでも、一切の迷いのない声で言い切った。
「構わん。戦うために動けさえすればいい。今すぐやれ」
「ジュリアス、ダメだよ! そんな無茶――」
「エアリス」
制止しようとする声を遮り、鋭く見据える。
「俺には、まだ果たすべき責任がある。ここで立ち止まるわけにはいかないんだ」
その声に込められた強烈な意志に、エアリスも医師も息を呑み、言葉を失った。
沈黙が病室を満たす。やがて、医師が深く息を吐いた。
「……分かった。だが、術後の責任は持たんぞ」
その一言を合図に、強行処置の準備が始まる。回復魔法の光が満ちていく気配の中、限界を超えていた意識は、それを見届ける間もなく再び暗転していった。
光の余韻が薄れると、そこにはもう、何の像も残っていなかった。ただ、深く、静かな眠りだけが、しばらくの間その身を包んでいた。痛みも、声も、記憶さえも遠く、意識はどこまでも穏やかな水底に沈んでいるようだった。どれほどの時間が過ぎたのかは、分からない。
不意に、微かな物音がその静けさに紛れ込んできた。
布擦れの音。椅子の軋み。誰かが、そっと歩み寄ってくる気配。
それから、ためらうように、けれど確かにこちらへ向けられた視線の重み。
意識の縁が、その気配に引かれるようにして、ゆっくりと揺れ始めた。遠くにあったはずの現実の輪郭が、少しずつ近づいてくる。
(……誰か、いるのか)
まだ言葉にはならない、ぼんやりとした問いが胸の奥に浮かぶ。冷たいはずの右手の指先に、微かな熱が灯っている気がした。消毒液のものらしい匂いと、規則正しい機械の音、そして、押し殺すような小さな息遣い。
瞼の裏に、白い光の気配が滲み始める。まだ、目を開けるだけの力は戻っていなかった。それでも確かに、閉ざされていた意識は、その気配を追いかけるようにして、少しずつ水面へと近づいていた。
誰かが、椅子をそっと引き寄せる音がした。それから、小さく震える吐息と、何かを堪えるような沈黙が続く。名前を呼ばれたわけでもないのに、その気配だけで、誰なのかが分かるような気がした。
(――待たせているのか、また)
そう思った瞬間、鈍く沈んでいた身体の奥に、微かな熱が戻り始める。指先が、シーツの感触をわずかに捉えた。
やがて、重い瞼が、ほんのわずかに震えた。
しれっと主人公の本来の名前が登場
オマージュ元が元ですからね。やるっきゃないね